2023年12月31日日曜日

2023年 私の挑戦

  今年は、新しいことに挑戦し続ける自分に、疲れを感じた年でした。でも、年齢は重ねても、性分はなかなか変えられません。今年も、何だかんだ言いながらも、新しいことに挑戦しました。1つはバレエの発表会に出たこと、そして2つ目は学会での発表でした。

 2015年にこのブログを書き始めて、毎年年末にその年自分が挑戦したことを書き続けてきました。体調が回復途中だった2015年は、1日に複数の用事を足したことを報告していました。当時は食料品を買いにいったついでにドラッグストアに寄るーなどと複数の用事を足すと、体調に響いてしまっていました。ですので、複数の用事を足すことが、私にとって、挑戦でもあったのです。

 でも、その後、体調はぐんぐんと回復し、毎年、新しいことに挑戦する体力がついてきました。この9年を振り返ると、一番の挑戦は大学院博士課程に出願し、入学したこと。そして二番目は本を出版したことでしょうか?

 今年のバレエの発表会に出るという挑戦は、なかなか勇気の要ることでした。私にとってバレエは好きだけれども、得意ではないこと。いつまで経っても上手にならないですし、踊る姿も美しくありませんので、発表会に出ることはずっと躊躇してきました。でも、上手になるのを待っていたら、年を取り過ぎてしまうため、今年、挑戦してみたのです。

 ステージで踊ったのは、5分程度。何度も練習を重ね、先生にたくさん注意を受けて恥ずかしい思いをしながら練習したため、少なくとも失敗はしなかった。優雅に踊ることは出来ませんでしたが、このおばさん、楽しんでいるなぁぐらいの雰囲気は出せたと思います。

 課題は太いウエストでしょうか? こればっかりは、先日、胃がんの内視鏡手術を受けて、絶食+五分がゆの回復食でも全く痩せませんでしたので、難しい。でも、次回は細いウエストで軽やかに踊ってみたいです。

 もう一つの挑戦は学会での発表です。現在、取り組んでいる研究についてですが、本当に緊張しました。何度も何度も練習したので、普段のおどおどとした雰囲気は出なかったとは思いますが、いつかは、堂々と発表してみたい。

 ということで、今年も挑戦し続けた私でした。新しいことに挑戦する自分に疲れ、「こういう性分って疲れる!」とほとほと自分が嫌になった年ではありましたが、性分はなかなか変えられませんので、このまま、来年も頑張ります。

 皆さま、今年も「がんのママの育児(育自)日記」(旧アラフィフママの育児日記)を読んでくださり、ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

2023年 息子の挑戦

 今年、息子は頑張りました。駅伝の学校代表選手に選ばれたのです。

 5,6年生の男女12人で構成される駅伝選手。昨年は予選で結果が出ず、出場はかないませんでした。今年はリベンジでの挑戦。ギリギリのタイムで選ばれたようです。

 今年のお正月、初めて箱根駅伝を見に行ったので、きっと刺激になったのでしょう。私も夫も、息子が自信を持って何かに取り組んでくれることを願っていましたので、息子が「駅伝選手に選ばれたよ」と声を弾ませながら報告してくれたときは、本当に嬉しかった。

 朝練にも毎朝、真面目に通いました。息子の体操着にゼッケンを縫ったときは、私も誇らしくて、胸がいっぱいになりました。

 応援にも力が入りました。私と夫、娘が息子の小学校名が印刷されたお揃いのTシャツを着て、スタンドから大きな声援を送りました。私の母も来てくれました。1位でタスキを受け取った息子は4位でタスキを引き継いでしまい、不本意だったようですが、全力を出し切りました。

 息子の走る姿を見守りながら、勉強嫌いな息子に何とかスポーツで自分の道を見つけてくれないかなぁ?と願ったのでした。

 

2023年 娘の挑戦

  今年は娘にとって、変化の年でした。インターナショナルスクール最終学年で必死に勉強して国際バカロレア資格を取得。そして、関西の大学へ入学し、大学で学びながらアート専攻を目指しオーストラリアの大学に出願しました。

 娘が高校在学中に出願したのは、イギリスやカナダの大学の建築学部。夫が「アートでは食べられない」と勧めたこの学部ではご縁をいただけず、日本の大学の教養学部に合格をいただきました。

 現在通っている大学はとても良い大学で寮生活も快適で、娘も夫も私も満足していたのですが、私が「あなたにはアートの才能がある。アート専攻で挑戦すべきだ」と背中を押しました。出願時期がイギリスやアメリカ、カナダなどより半年遅いオーストラリアの大学に照準を定めました。難易度の高いシドニー大学やメルボルン大学にも挑戦。ここでは、高校時代に描いた作品のポートフォリオの提出を求められました。

 娘は油絵、アクリル画、水彩画、デッサン、写真などバカロレアのアートのプログラムで手掛けた作品を提出。シドニー大学は10作品、さらに厳しいメルボルン大学では20作品の提出を求められ、苦しみながらも仕上げました。面接試験を経て、両方の大学に合格をいただきました。

 私は、子供たちに若いうちは夢と可能性を追いかけてほしいーと常々考えています。現状を受け入れ、前向きに生きることはとても大切ですが、人生は長い。失敗してもいい、結果が出なくてもいい、とにかく自分がやりたいことに挑戦することが大切だと考えています。ですので、娘の背中を押しました。

 娘がいると家族に笑いが広がりますし、娘は家にいることが大好きです。そして、何と言っても、私は娘に癒されています。娘が側にいてくれると、幸せです。でも、その気持ちを心の中に押し込んで、娘に家から出ることを勧めました。世界は広い。娘には世界に出て、自分の力を試してほしい。

 2024年は娘にとって、新しい場所で、新しいことへの挑戦が続く年になります。私もワクワクしながら、娘の挑戦を見守りたいと思っています。

 

2023年12月29日金曜日

塾からの電話

  昨夜午後9時ごろ、息子の通う塾の先生から電話がありました。2月1日から始まる中学受験まであと1カ月と迫った今、まったくやる気を見せない息子について頭を抱えていたところでした。塾の先生は早速本題に入りました。

「お母さま、息子さんが全部の学校を落ちたときの準備はされていますでしょうか?」

「えっ、はい。一応、1月にインターの受験も考えてはおります。が、インターはこのタイミングは一斉試験はありませんので、欠員があれば個別の試験、ということになります。で、2つの学校にコンタクトは取りましたが、1つは試験は受けられますが、欠員はないので大変難しい状況だと言われています。ですので、インターも厳しい状況です」

「そうですか。1月受験は考えていますか?千葉県、埼玉県の学校です」

「いいえ」

「このままですと、息子さんの希望する学校への合格はかなり厳しいです」

息子は3校の出願を考えていました。そのうち1校は比較的入りやすいと言われている学校です。息子は11月に、理科社会をあきらめていますので、受験は英語・国語・算数の3教科、もしくは国語・算数の2教科の試験を設けている学校です。さらに息子は多くの学校が特別枠を設けている帰国子女ではありませんので、受験できる学校は限られています。

「そうは思っておりましたが、私もどうしてよいものか、考えあぐねておりまして。理社をあきらめた時点で、この受験は大変厳しいものとなることは覚悟はしておりましたが…」

「全部落ちた場合、近くの公立中をお考えのことと思います。ですが、この3年間受験に向け勉強してきて、全部落ちたら、仕切り直してすぐ高校受験へとは大人が考えるようには子供は簡単には切り替えができません。そして、公立中に入れば、中学校受験をしなかった子供たちが3年後の高校受験を目指して、一斉に塾に通い始めます。そして、首都圏では中高一貫校が増えていますので、受けられる高校は少ない。高校受験は大変厳しいものになります」

「そうですか。近くの公立中学校は良い学校と聞いておりましたので、そこでも良いかとは考えていましたが」

「もう少し、枠を広げて、息子さんが合格をいただける学校を受験し、そこに行かれることを考えてはいかがでしょうか。お母さまが考えるように、中学校受験で思うような結果が出なかった場合、気持ちを切り替えて高校受験で良い結果を出すーということがうまくいけば良いですが、そうはならないお子さんもいらっしゃる。息子さんがそうならなかった場合のことも想定して、今、できることをしてあげることをお勧めします」

「でも、息子は勉強が嫌いで…」

「はい。息子さんは勉強が大嫌いだと私にも言っていました。嫌いで嫌いで仕方ないと。そんな息子さんは、公立中学校に行った途端に、勉強が好きになるでしょうか? 公立中学校に行って、勉強が嫌いなままで、やる気がないままだとどうされますか? 反抗期も重なります。今よりもずっと対応が難しくなります。親の言うことはもっと聞かなくなるでしょう」

「確かにそうですね。では、先生、具体的にどこかおすすめの学校などはありますか?」

「九州の学校で東京で試験を受けられる学校があります。ここなら、息子さんも合格をいただけるでしょう。まずは、ここで実際に試験を受けて、合格をいただいて、自信をつけてあげてください」

「九州?」

「はい。●●大学の付属校です」

 事態は、私が想像していたよりずっと厳しいようです。

「分かりました。そこを受けさせます。息子はあと1か月というこの時期でも全くやる気を見せません。そして、焦りもしない。先日もきつく叱ったばかりです」

「お母さま、今の段階では叱っては駄目です。とにかく、良いところを見つけてほめてあげてください」

「…。勉強以外では、良い子なんです、とても。でも、勉強では褒めるところがないんです」

「分かります。でも、そこは何とかほめてあげてください。勉強を全くしないーそこをスタートとして、少しでも取り組んだ、少しでも良い点数を取ったーというところでほめてあげてください」

「息子を勉強嫌いにしてしまいました。先生、私はどこかで間違ったのですね。娘はほめて育てました。成長が遅かったので、何かできたらほめるーそうして育てました。中学受験でしのぎを削る激戦区の公立校ではとてもついていけなかった。だから、早々にインターに移しました。娘が大きく成長したのは高校に入ってからでした。それまでは親として待ち続ける日々でした。でも、息子は頭が良かった。他の日本人の子のように、息子は中学受験に挑めると考えた。でも、頭は悪くないのに、努力が嫌いなんです。そうしているうちに、一生懸命努力する子供たちからぐんぐん引き離されていったんです」

「男の子の成長は、女の子よりずっと遅いです。大学に行ってから伸びる子もいます。だから、息子さんの良いところを褒めて、待ちましょう」

 電話を切ってから、私は学校のリストとにらめっこしながら、いくつもの学校のウェブサイトにアクセスし、入学試験要綱をダウンロードし、息子にチャンスはないかどうか、探りました。そして、これまで全く考えなかった学校を数校付け加えて、出願締め切りや試験日程、合格発表日時を記載する「受験カレンダー」を作成し、今日夕方、塾に提出しました。


2023年12月26日火曜日

今年もサンタが来た

  今年もマイヤー家の19歳の娘と12歳の息子に、サンタさんがプレゼントを持ってきてくれました。

 昨日の朝、テーブルの上のプレゼントを見て19歳の娘が涙ぐみました。「サンタさん、来てくれた。今年はもう来てくれないと思っていたの。私、もう子どもじゃないから。でも、来てくれて嬉しい」。

 サンタさんが娘にくれたのは、深紅のジュエリーボックス。娘は私と夫がプレゼントしたり、私が若いころ身に付けていて娘に引き継いだジュエリー、自分のお小遣いで買ったイヤリングなどアクセサリーが増えていますので、ちょうど良いプレゼントでした。

 今年、12歳の息子は夫に「サンタさんって、ダディとママなの?友達がサンタさんはいないって言っていたんだけど」と聞いてきたそうです。でも、娘はこれまで一度もそのようなことを私や夫に聞いたことはありません。周囲がどう言おうと、サンタさんがいると信じ続けてきました。

 毎年、24日の夜はサンタさんに食べてもらうクッキーを焼き、トナカイさんが食べるニンジンもカットしてお皿に盛ります。今年もクリスマスイブに、息子と一緒にクッキーを焼いていました。

 自分はもうプレゼントはもらえないかもと思いつつ、クッキーを焼き、テーブルに置いておく(昨年まではベッドの横でした)娘を、可愛いなぁと思います。ジュエリーボックスを抱き締め、涙ぐんだ娘を、いつも以上に愛おしく感じました。

サンタさんは今年も子どもたちにプレゼントをくれました

 幼稚園のとき、「ヴァイオリンがほしい」とサンタさんに手紙を書き、朝起きてリコーダーが枕元に置いてあり、がっかりした娘。「サンタさんも、沢山、お手紙来ているから、全員にほしいものあげられないよね」と寂しそうにしていると、午後、カーテンの後ろにヴァイオリンが置いてあって、大喜びでした。

 ハリーポッターの魔法の杖を頼んで、素敵な杖をもらって、おまじないの言葉をつぶやきながら何度も何度も杖を振っていた娘。でも、何度試しても魔法が使えなくて、「来年は、サンタさんに杖の使い方を書いた本を頼んでみる」とつぶやいた娘。

 きっと、サンタさんも娘へのプレゼント選びは楽しかったに違いありません。来年は20歳になる娘。正真正銘の大人だから、サンタさんからはもう期待できないでしょう。でもピュアな心を持ち続けている娘のところには、もしかしたら、サンタさんも近所の子どもたちにプレゼントを届けたついでに、寄ってくれるかもしれません。

 

 

2023年12月20日水曜日

息子の成長

「ママ、作文書いたんだけど、サインしてくれる?」
息子がそう言って、紙を持ってきました。B4の紙には、「クラブによる成長」というタイトルで、文章が書かれてます。卒業アルバムに載せる文章で、親が読んでサインをすることになっているようです。

 導入部分には、クラブ活動の仕事を怠っていたけれども、後輩の5年生がクラブ活動の時間を過ぎていても仕事をしている様子を見て、反省したことが書かれていました。そして、なぜ自分が仕事を怠っていたのか考え、仕事が「分からない」からだと思っていたが、「分かろうとしなかったことに気付いた」と自己分析しています。自分なりに考えた後の行動についてはこう書いてありました。

「仕事を怠るくせから離れるのは大変だ。自分自身で考えるだけでは何もできないと感じたため、クラブの先生に相談すればよいのではないかと考えた。クラブ前に、担当の先生に相談し仕事の内容ややり方について知った後、一生懸命働くようになった。そして、先生から『役に立っているね』『仕事をするようになったね』といった言葉を頂いたことが心に残っている。」

 そして作文は次の文章で締めくくられていました。

「このクラブの経験により他の仕事にも挑戦するようになった。委員会では前期は副委員長、後期は委員長として数多くの業務に取り組むことができた。クラブでの出来事が私の自信をより増す契機となったと思う」

 国語が苦手で、特に長文読解は大嫌いな息子。でも、とても良い文章を書いていました。
「とても上手だよ。上手でびっくりした」と息子に感想を伝えると、息子は「これ、何週間もかけて書いたんだ」と教えてくれました。そうか、息子なりに頑張ったんだなと思いました。

「文章を書く才能あるよ。新聞記者になれるかも」と言うと、息子が「いや、いいっす」とあっさり。そうか、息子が大人になるころは新聞を読む人はもっと少なくなっていて、新聞そのものの存続も危ぶまれているかもしれないーと想像し、思わずこの職業を勧めてしまった自分に苦笑しました。

 いずれにせよ、息子がきちんとした日本語でしっかりとした文章を書いていたことが嬉しかった。子どもは知らないうちに、成長しているものなのですね。
 
 

2023年12月17日日曜日

駅伝

  今日は息子にとって、晴れがましい、でもちょっぴり悔しい思いもした一日でした。区の小学校駅伝大会に男女混合12名のチームの走者として出場したのです。

 区の駅伝大会の参加校は60校。30校ずつ、午前と午後に分かれて競いました。息子の学校は午後の部。5年男女各3名と6年男女各3名で構成する男女混合チームは、女子が650㍍、男子が850㍍走ります。6年生男女6人は生徒約100人の中から選出。息子は昨年は選ばれませんでしたが、今年はギリギリメンバーに入ることが出来たのです。

駅伝大会の開会式

 息子は5年生男子からタスキを受け取ることになっていました。参加30校中5、6番目でタスキを渡していたメンバーは5年生男子がじわじわと順位を上げ、9番走者で1位に。スタンド席の保護者や先生から大きな声援を受け、息子は一番でタスキを受け取りました。

 受け取ったタスキを体にかけた息子はスピードを上げ…と書きたいところですが、どうも遅い。「本気出して走れ~!!!」と叫びたくなるほどゆったりと走っています。そうしているうちに、後ろから追い上げてくる走者に次々と抜かされてしまいました。後から聞くと、一生懸命走っていたらしいのですが…。

 息子は順位を下げ4位でタスキを11番走者につなぎました。そして、最終走者は6位でゴール。息子が大きく順位を落としてしまったので、残念な結果になってしまいました。

 息子は肩を落としていましたが、閉会式後スタジアムの外に出たときは、皆に「頑張ったね」と言われ、気を取り直したよう。皆と一緒に記念写真を写したときは、嬉しそうな表情に変わっていました。

 息子にとっては不本意な走りだったかもしれませんが、学校の代表として駅伝大会に出られたことだけで、私は十分だと思っています。娘も息子の走りを観るために戻ってきましたし、母も連れて行き、家族全員が息子のお陰で小学校駅伝を楽しむことが出来ました。

 目標に向かって、毎日仲間と練習してきた息子。この経験が息子の自信になってくれれば、と願っています。

 

 

 

2023年12月16日土曜日

娘が帰ってきた

  今日の息子の「小学校駅伝」を観るため、娘が戻ってきました。昨日は夜の授業があったらしく最終便に乗ったようで、夫が娘を最寄り駅に迎えに行ったのは午前0時過ぎでした。

 私は11時ごろに寝てしまい、娘が居間で夫と話す声を聞いて、目が覚めました。居間に行くと、「ママ、ごめんねえ。起こしちゃった?」と言い、相変わらずのニコニコ笑顔です。愛おしくて、何度もハグしました。やはり、まだ19歳。娘がいるときは毎日ハグしていましたので、ハグできるときに娘が側にいるのは、いいものだなぁと思いました。

 娘のリクエストで、鶏そぼろご飯を準備していました。娘が「やっぱり、ママの鶏そぼろご飯最高!」と言って、食べてくれました。そして、娘を真ん中に、息子と川の字で寝ました。

 午前5時過ぎの今、外を見ると雨は降っていないよう。天気予報も晴れ時々曇りです。練習を頑張ってきた息子が、納得の走りができますように。そして、この経験が少しでも息子の自信につながりますようにと願う母なのでした。

2023年12月14日木曜日

研究室へ

  今日は10日ぶりに研究室に行きました。週末をのぞくと、8日ぶりです。研究者仲間数人に病気のことは知らせており、私が元気だったため、皆に驚かれました。

 私の研究室はがんを専門に研究している人の集まりですので、私の姿を見て、「やっぱり、早期発見は大事なんだね」と口々に言っていました。私もそう実感しています。

 指導教員と研究者仲間に今回の入院について言うかどうか、随分迷いました。1週間ですので、言わない選択も出来ました。でも、嘘をつくのもはばかられたので、伝えることにしました。指導教員はとても忙しい人なので機会をとらえて話しかけ、新たながんにり患したことを言いました。具体的な入院日程についてはメールで伝えました。

 退院した日にその旨と復帰の日についてもメールで伝えましたが、返信がありません。「手術がうまく行ってよかったですね」とか、「お大事にしてください」とか、簡単でもいいのでメールを待っていましたが、ありませんでした。

 私の現在の指導教員は、昨年の指導教員が異動したため、自身の専門外の研究をする私を引き受けてくれました。私の比較的得意な分野の研究に携わらせてくれ、また、研究者仲間もいい人たちばかりなので感謝しています。が、指導教員が他の学生たちに話しかけたり、激励している様子を見ると、やはり気持ちが沈みます。

 こういうときは、順天堂大学医学部の小林弘幸教授が書かれた本の中の一節をいつも思い出します。「この世の中で、一番苦労をしているのは、求められていない場所で必死に求めている人だ」。私は求められていない場所で必死に求めているんだなと思います。

  博士課程はあと2年数カ月あります。指導教員の専門外の研究を自力でし続けること、また、指導教員の言葉掛けもない中で、私は持ちこたえられるだろうか? 博士課程の単位は取っても、論文が通らず学位を取得できない場合もあります。そうした場合は費やした4年が無駄になってしまう。そうなった場合でも、自分の能力を遥かに超える目標に挑戦したこと、難しい環境の中で努力したことで、自分を納得させることが出来るだろうか? そんな自問自答を繰り返してます。

 気持ちが不安定になりますが、作家で精神科医の帚木蓬生氏が提唱する「ネガティブ・ケイパビリティ」=答えの出ない事態に耐える力=を今、私はつけている最中なのだーとわずかでも前向きに考えるようにします。最近、帚木氏の「生きる力 森田正馬の15の提言」も何度も読み返しています。これは20世紀の初頭、精神科医の森田正馬が創出した「森田療法」という治療法を紹介した本。帚木氏はこの本の中で、「森田療法は普通人においてこそ、より強力な効果を発揮する」と評価しています。  

 悩みはさておき、現時点の瞬間瞬間に、自分の一生をつぎ込んで進んでいくー。

 自分の気分には左右されず、目の前の小さなやるべき事柄に集中するー。

 日々を前向きに生き、不安に押しつぶせられないようにするため、これらの本から言葉を拾い上げ、胸に刻みつけています。

2023年12月13日水曜日

家庭科ボランティア

  忙しい日でした。朝9時から10時半までは、息子の小学校の卒業アルバムづくりのボランティア。10時45分から12時半までは、息子のクラスの家庭科の授業を手伝いました。

 息子は家庭科の授業で輝く子。料理や裁縫などが得意で、今春は、家庭科の授業で作ったタオルハンガーが、区の作品展に出展されました。学校では目立たない子ですが、家庭科の授業だけは、息子がキラキラして見える。だから、私は息子の生き生きとした姿を見られる家庭科ボランティアが大好きなのです。

 今日の授業はトートバッグ作り。私の役割は、子どもたちが先生の指示通りに縫っているか確認し、分からない子や遅れ気味の子の手伝いをすること。間違って縫ってしまった子の糸をほどいたりもします。

 子どもたちを手伝うのは、本当に楽しく、心が弾みます。ミシンで縫う作業一つでも、子どもたちの個性が出ます。あまり考えずにダダッと縫ってしまい失敗する子。面倒がって「先生、これ無理、無理」と大声で先生に訴える子。黙々と縫う子。几帳面で、糸の始末など細部まできちんとする子。

 息子は手際良く、そしてリズミカルにかつ丁寧に縫っています。普通の授業では全く存在感がありませんが、家庭科の授業では存在感バッチリ。あちこちから、「マイヤーッ」と声がかかり、教えに行ったり、手伝ったりもしています。

 そんな生き生きした息子の姿を見て、一昨日ユーチューブ視聴に熱中し宿題をしていないため、厳しく叱ってしまったことをちょっぴり反省。勉強は全く集中しないけど、好きな家庭科なら、こんなに集中して取り組み、楽しそうなんだ、そこを認めてあげないと反省したのでした。

 前回のミシンの授業の日は、帰宅して「ママ、余った布ない?」と聞いてきて、私が持っていた余り布で、テキパキと袋を縫ってくれました。娘と私におそろいで作ってくれ、娘には先日、その袋の中にお小遣いで買ったお菓子を一杯詰めて、誕生日プレゼントとしてあげていました。

息子がミシンで縫った袋。私と娘にお揃いで作ってくれました

 息子にはこんなにいい所がある。ここを見てあげなければーと自分に言い聞かせた日でした。

「家庭科授業で輝く男子」https://ar50-mom.blogspot.com/2022/07/blog-post_18.html

「家庭科の作品展」 https://ar50-mom.blogspot.com/2023/03/blog-post.html

夫が白内障の手術

  今日は夫の白内障の手術に付き添いました。昨年、左目の手術をし、視力がかなり良くなったものの、手術の不快感が記憶に残っているらしく、「手術は受けたくない」とずっと言っていたのです。ただ、もう片方の右目がかなり白濁し、「ほとんど見えない」と言っていましたので、今日は仕方なく手術を受けた形となりました。

 夫の兄は40代で両目とも白内障の手術をし、夫は50代で両目の手術。ですので、遺伝なのではと思います。今日、クリニックに手術に来ていた方々は6,70代という雰囲気でしたので、恐らく、夫は若い方なのでしょう。

医師が間違えないように「右眼」のシールが貼られている。着替えずにこのまま手術を受けていたのには、驚きました

 夫が手術を受けている間、私が処方箋を持って薬局に行き、薬を購入してきました。そして、クリニックに戻って間もなく手術が終わった夫が待合室に戻ってきましたので、白内障の手術は日帰りで出来るというのは本当なんだな、と分かりました。

 夫は、強い光が目に当てられる中、目を開けていなければならないのが辛かったとダウン気味。自宅への帰り道も口数が少なく、家でも、ずっと寝ていました。1週間はお酒も禁止されましたので、大好きなワインも飲めなくて、可哀想です。

 先週末まで私が入院しており、娘も関西にいるので、夫も不安だったに違いありません。私の入院が伸びず、夫の手術に付き添えて良かったと思っています。

 マイヤー家は今月、かなり慌ただしいです。

2023年12月11日月曜日

朝食づくり 息子と一緒に

  今日は土曜日の音楽会の振替休日のため、昨日に引き続き朝、息子とウォーキングをしました。「朝ご飯何食べたい? 選択肢はうどんかホットケーキだよ」と聞くと、息子が「ぶっかけうどん」と言います。

 ぶっかけうどんは、濃い目のつゆがかけてあるうどん。「上に1,2枚焼いた豚肉を載せたい」と息子の注文は具体的です。

「うーん、1,2枚の豚肉スライスのために全部を解凍するのももったいないなぁ」

「また、冷凍すればいいじゃん」

「一度、解凍したら、使い切らなきゃダメなの。もう一度冷凍はできない」

「えっ、何で?」

あーぁ、そういうものなの!と心の中で答えつつ、

「一回解凍したら、お肉の状態が悪くなってしまうの。そもそも、冷凍するってことは、食べなければならない時期を先延ばしにしているってことでしょう」

「なるほど」

「あっ、じゃあ、夜ご飯は生姜焼き肉にする?」

「いいね」

 そんな会話をしながら、帰宅しました。息子は冷凍庫からうどんと生姜焼き肉用の豚肉スライスを取り出します。まず、肉を電子レンジで解凍。お湯を沸騰させて、うどんを入れます。フライパンを取り出し、解凍した豚肉スライスを2枚入れます。「今日は油なしにする。豚肉の脂でやけるよね」と息子。

 肉が焼けた後は、ゆで上がったうどんをざるに取ります。お椀につゆと、うどんを入れます。その上に、キッチンバサミで切った豚肉を載せます。最後にバナナを切って、皿に盛り付け終了。

上は息子が作った朝食。下は私が作った朝食

 私はキーウイ1個とバナナ半分を切ってヨーグルトをかけます。その上にゆず蜂蜜をぐるりとかけます。ブロッコリーをゆで、昨夜の残りの豚汁が1人分残っているので、それを温めます。

 それぞれが作った朝食が出来上がりました。息子の作ったぶっかけうどんはなかなか美味しそうでした。

2023年12月10日日曜日

幸せな朝

  今朝7時ごろ、早起きした息子に「ママ、ジョギングに行こう!」と誘われました。残念ながらしばらくの間はジョギングは控えるように言われているため、「ウォーキングなら、一緒に行けるよ」と提案。私が歩いて、息子がジョギングをしてまた私のところに戻ってきて、一緒に公園まで歩くーという行程にしました。

 昨日、購入した靴を履いて、息子は張り切って走っていきました。そんな息子の後ろ姿を見守りながら、私はのんびりとウオーキング。しばらくして、坂道を息子がはぁはぁ息をしながら登ってきました。「あーぁ、疲れた。ウォーキングに切り替える」と息子。「オッケー、じゃあ公園まで行こう」と息子と腕を組んで、のんびりと歩きました。

 公園に着いた後は、私はベンチの手すりを使っての腕立て伏せ、柵を使ってのストレッチ、スクワットなどいつものルーティンの体操。息子も私に付き合ってくれます。ひと通り体操が終わったら、また、公園内を散歩しました。

 すると息子が「あっ、これ、社会で習ったムラサキシキブだ」と紫色の実をつけた木を指差しました。なんて綺麗なんでしょう。私はムラサキシキブ(紫式部)という名の木があることを知りませんでした。

息子が発見した、公園内の「ムラサキシキブ(紫式部)」

 こんな素敵な木を知ることが出来て、今日もまたラッキーデー。それも息子と一緒です。ムラサキシキブを背景に息子と自撮り写真を何枚も写しました。元気に朝を迎えられ、こんな幸せなひとときを過ごすことができ、生きているってありがたいなぁと思えた日でした。




 

2023年12月9日土曜日

息子の靴を買いに

  今日は息子の小学校の音楽会でした。息子は鍵盤ハーモニカの担当で、毎日自宅で練習していましたので、自信を持って弾けたようです。また、歌も良かった。すっかり大きくなった息子を見て、小学校最後の年なんだなぁ、こんなイベントももうなくなるんだなぁと少し寂しい気持ちになりました。

 帰宅後、夫が昼食を作ってくれました。息子は学校で給食を食べてくるので(公立小は本当に有難い)、夫婦2人での土曜日の昼食。夫は料理が得意なので、冷蔵庫の中で今週使い切れなかったマイタケ、ニンジン、ニンニク、ニラをフードプロセッサーで荒く刻んで、鶏の挽肉と一緒にざっくりと炒めて、あっという間にパスタソースを作ります。ショートパスタは夫の分はアルデンテに、私の分は夫のパスタより数分長く、柔らかくゆでました。

 私は栄養士さんから「消化の良いものを、ゆっくり、よく噛んで食べること」と指導を受けてきましたので、いつもの倍の時間をかけて食べました。改めて、以前は私は早食いだったなぁと反省しきり。

 息子が帰宅してからは、夫は娘担当、私は息子担当で用事を足しました。夫は娘とズームでオーストラリアのビザの手続きを一緒に。私は息子を連れて、スポーツ店へ。来週16日の駅伝に向け、ランニングシューズを新調しました。

 息子の今のランニングシューズは9月初旬に母が息子の誕生日祝いとして買ってくれたもの。それがなんと、3ヶ月でボロボロになってしまったのです。駅伝の指導の先生に「新しい靴を買ってもらってください」と言われたそう。以前は、靴底に穴が開いたこともありました。男子の靴の傷め方はすさまじいのです。

 9月に買ったときは26.5㌢、そして今回は27.5㌢とサイズが1センチ大きくなりました。娘は28㌢ですので、もうすぐ足のサイズが追い付きます。息子の身長は160㌢とまだ小さいのですが、これからぐんと伸びるかもしれません。

 店員さんに足のサイズを測ってもらったときに、「息子さん、偏平足気味ですね。今足の骨格が出来あがる時期ですので、土踏まずの部分のアーチがしっかりとしているインソールをお勧めします」とアドバイスをもらいました。

 偏平足。なんて久しぶりに聞く言葉でしょう。家族の中で、偏平足は私の父だけ。父の足が息子に隔世遺伝するなんて、嬉しい。息子の足を見ながら、心がほんわかと温かくなったのでした。そういえば、娘の”団子鼻”は私の母方の祖父似。娘にとって最大のコンプレックスなのだそうですが、私にとっては、チャーミングな愛すべき鼻なのです。

2023年12月8日金曜日

退院

    今日、退院しました。夫が迎えに来てくれるというので、お会計を済ませた後、病院の近くのスターバックスでドリンクを買って、待ちました。自分へのご褒美に、ちょっと贅沢をして「メルティホワイト ピスタチオモカ」をオーダーしました。

甘くておいしかったピスタチオモカ

 本当はコーヒーを飲みたかったのですが、昨日栄養士さんからの指導で、食べ物や飲み物をいろいろと制限された中にコーヒーが入っていたので、断念。当面はワインも炭酸飲料も、揚げ物も、酢の物も、辛い物も、柑橘類も控えなければなりません。でも、元気に退院できたので、感謝です。

 夫が迎えに来てくれ、自宅にほど近い場所にあるビストロでランチ。本当ならスパークリングワインで乾杯したいところですが、ぐっと我慢してジュースで乾杯しました。帰宅したら、今日は4時間授業だったという息子がすでに帰ってきていました。息子が「おかえり、ママ」とハグをしてくれ、嬉しかった。「ベア・ジュニアと海ちゃんをありがとう」とぬいぐるみを返しました。この2つのぬいぐるみを枕の両側に置いていたので、良く寝られました。母が「退院祝いに」と綺麗なお花を持ってきてくれました。やっぱり家はいいなぁと思いました。娘には電話で退院報告しました。

 その後は、クリーニング店へ衣類を持っていき、スーパーとドラッグストアで買い物をし、夜は息子の大好物の鶏そぼろご飯と胃に優しいブロッコリースープを作りました。

 昨日、仕事と家事と子どもに関する様々な用事で忙しい夫に「君が必要だ」と言われ、この忙しいときに入院・手術なんてことになり本当に申し訳ないと思っていましたので、フル稼働です。家事が終わり、息子も夫も寝たので、23時45分の今、今日中にブログをアップしようとパソコンのキーボードをカタカタ叩いています。

 明日は、息子の小学校の音楽会です。予定より1日早く退院できたのは、「息子の音楽会をぜひ観たいので、1日早く退院させてください」と主治医に訴え、許可が出たため。明日が楽しみです。その前に、朝8時半から家のリフォームの業者さんが来るので、玄関周りや業者さんが入る部屋を少し綺麗にしなければ。あぁ、忙しい。

 

2023年12月7日木曜日

5分がゆ

  昨日から、食事が解禁になりました。五分がゆと柔らかく煮た野菜や魚・肉料理です。3日ぶりの食事はそれはおいしく、胃の痛みは少しありましたが、朝・昼・夕食と完食しました。

 国立がん研究センター中央病院の食事は美味しい。これは私がこれまで病室で話した患者さんの誰もが言っていることです。昨日の五分がゆと柔らかく煮たおかずも、絶妙の味付けで丁寧に作られていて、とても美味しかったです。胃が痛むので食べるときは休み休みですが、やはり、おいしい食事を食べられるのは本当にありがたいことです。

7日の昼食。おかずは柔らかく煮た白身魚とカリフラワー、青菜のお浸し、お味噌汁、パイナップル

 食事は相変わらずおいしいですが、今回の入院で13年前の前回の入院といくつか違った点がありました。まず、お見舞いが禁止されています。そして、病室では終日カーテンを閉め切るよう推奨されていることです。いずれも新型コロナウイルス感染対策が続いているためですが、私は入院するたびに大部屋の患者たちと食事中などおしゃべりをして、楽しかった記憶がありますので、今回は同室患者と話す機会がなくとても残念でした。

 以前でしたら、入院したときはまず、自己紹介代わりに病歴とこれからの治療について説明します。そして、皆でワイワイと治療情報を共有し合いました。この病院には状態が悪く他の病院から転院してきた患者や、通常の治療が効かずに治験を受けに来た患者が多いので、患者はそれぞれに不安を抱えています。それでなくても、がんに立ち向かうのは心が塞ぐもの。同じくがんを患う仲間との気軽なおしゃべりや情報交換が出来れば、随分心も軽くなるのにーと残念に思いました。

 それでも、同室患者の様子は医師や看護師との会話などから、少しは様子は分かります。私は4人部屋で、向かいにいるのは86歳のおばあちゃん。4日間絶食で、先生に「おなかすいた!」と訴えていました。私より1日前に五分がゆの食事が解禁となり、ずずっと元気な音を立てて食べています。私の母と同年代のおばあちゃんに親近感を覚えながら、早期回復を祈りました。

 斜め向かいの女性は、話し方と声の感じ、歩く様子から40代だと思います。治療薬の他、痛み止めや睡眠薬を処方してもらっており、調子が良くないようです。隣の女性はおそらく50代でしょう。私も飲み、副作用に苦しんだステロイド剤「プレドニン」を服用するようです。彼女の服用する量から、1か月後の顔のむくみが想像できました。急激に変わった自分の顔に、辛い思いをするのだろうなーと気の毒に思いました。

 私は今回は内視鏡手術だけですので、本当にラッキーだったと思います。自分が30代、40代にした治療はできるなら遠慮したい。悪性リンパ腫の3度目の再発だけは勘弁してほしいと思います。

 適度な運動とバランスの取れた食事には気をつけてきたつもりですので、これから気を付けるとしたら、ストレスや甘いもの、また、夕食時の1、2杯のワインでしょうか。でも、社会生活を営めば(私の場合、今の年齢で不必要な大学院生活)ストレスはありますし、甘いものが大好きなので、これをやめるのは本当に辛い。また、夕食時のワインは人生の楽しみですので、これもやめるのも残念。まぁ、これまでと同じ生活を続けることになりそうです。大学院については、少し、考え方を変える必要があるかもしれません。

 さて、今回、入院するにあたり、私が持ってきた本は2冊です。一つは「歎異抄」(梅原猛全訳注)。歎異抄は親鸞の弟子・唯円によって書かれた本です。自分が抱えていることへの答えを得たくて、様々な本を乱読し、精神腫瘍科医のカウンセリングも受けましたが、納得する答えが得られませんでした。で、仏教を学べば、求めている答えが得られるのではないかーと考え、「歎異抄」を選びました。

 歎異抄について書かれた本を以前読み、「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人おや」(善人ですら極楽浄土へ行くことができる、まして悪人は、極楽浄土へ行くのは当然ではないか」という言葉がずっと頭に残っていました。この本は、西田幾太郎や遠藤周作の思想に影響を与えたと言いますし、司馬遼太郎が「無人島に1冊本を持っていくとしたら『歎異抄』だ」と言ったともいいます。

 でも、やはりなかなか進みません。なぜか、入院したとき読みたくなるヘルマン・ヘッセの本も今回はなぜか、心に響きません。で、Kindleに入っている、作家で精神科医の帚木蓬生さんの「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力」を再読しています。これは昨年、私が大学院の指導教員のアカデミックハラスメント(だと私は思っている)に悩んだときに読んだ本です。この本を読んで、解決策が見つからないこの状態を耐える力こそ今自分が蓄えるべきだーと考えることが出来ました。そして、じっと耐えていたら、思わぬところから解決策が提示されました。ですので、難しい局面に対峙するときは、この「ネガティブ・ケイパビリティ」を心構えとして持つようにしようと考えるようになりました。

 今回は早期発見・早期治療ができたとはいえ、1つ目のがんが2回再発し寛解状態にある状態での2つめのがん罹患です。これは、天からの警告かもしれないと受け止めています。自分の生活で何に問題があったかーを考えました。おそらく問題は昨年の大学院での辛い日々だったのではないかと考えています。私に能力があれば、もしくは気持ちの割り切りが出来きていれば、状況は違っていたかもしれません。今、状況は改善してきていますが、ままならないことも多い。ここは、ネガティブ・ケイパビリティの力で持ちこたえつつ、でも天からの警告は真摯に受け止めて無理はしないよう気をつけながら、努力していきたいと考えています。


7日の夕食。鶏肉の和風ハンバーグとじゃがいもの煮つけ、なすのお浸し、大根のお味噌汁、プリンも

2023年12月5日火曜日

手術成功

  昨日、内視鏡による手術を受けました。腫瘍は2センチのみだったようで、それを取り切ってもらいました。今日は水が解禁となりました。今、窓に向かってベッドテーブルを移動し、こうしてブログを書いています。

   入院してたった3日ですが、内視鏡とはいえ手術をし、絶食をすれば、ベッドに起きているのが億劫になります。ブログ執筆も休み休みです。夫から頻繁にメールがあり、娘が合格をいただいた大学への入学金の支払いや、リフォーム業者とのやり取りなど、次々と用事を済ませている報告があります。日本語が得意ではない夫も、私が不在ならば自分でするしかなく、文句を言いながらも、やってくれます。感謝するとともに、健康で日々の用事を足せる夫を羨ましくも思います。

 病気と共に生きるということは、健康であれば出来るはずのことも出来ないもどかしさ、病気により失ってしまった時間を惜しむ気持ちにも折り合いをつけながら生きるということです。私は30代から40代までをいくつかの病気で何度も入院治療し、回復に時間がかかったため、「人生で最も充実し、かつ再スタートも切れるその時期に」と残念に思う気持ちを強く抱いてきました。でも、50代は健康でしたし、今回は短い入院です。また、すぐに普通の生活に戻れることに感謝です。

 今回、息子が「ママが安全に手術を受けられますように」と、寝るときにいつも一緒にいるぬいぐるみを2つ貸してくれました。

 一つは「ベア・ジュニア」です。このクマのぬいぐるみは、息子の出産祝いにと関西に住む友人からいただだいたものと同じぬいぐるみです。「ベア」と名付けた最初のぬいぐるみがいないと息子が寝なく、また、どこにでも連れていくので、なくしたら大変なことになるーと1、2年後に同じぬいぐるみを買いました。

 ところが、息子は「ベア・ジュニア」と名付けられたこのぬいぐるみには見向きもせず、私は長い間、心を痛めていました。ノーベル賞作家のカズオ・イシグロが「わたしを離さないで」という作品で、人に臓器を提供する目的で育てられている子供たちの世界を描いていますが、たとえぬいぐるみであっても、私がベア・ジュニアにしたことはこれと同じことなのではないかーと思い、ベアの代わりを買ったことを随分後悔していました。

 そのため、ベア・ジュニアのことはいつも気にして、息子のベッドから落ちていても、必ず、ベッドに戻していましたし、時々抱き締めてましたし、家族に「私が急に入院ということになったら、このベア・ジュニアを持ってきてね」と伝えていました。

 ところが、息子が10歳になったころ、急にこのベア・ジュニアも一緒に可愛がり始めたのです。寝るときはこの2つのぬいぐるみと一緒に寝るようになりました。「ベア・ジュニア良かったね」と、私も救われた気持ちになりました。

 今回、「ママにベアを貸してあげる」と言ったときに、最初に渡してくれたのは「ベア」でした。で、「ありがとう。でも、本当にベアでいいの?」と聞くと、ベアとベア・ジュニアを抱いて、納得して貸してくれたのがベア・ジュニア。いずれにしても、息子が大事なぬいぐるみを貸してくれて、嬉しかった。

 もう一つのぬいぐるみは「海ちゃん」です。海ちゃんは、昨年、娘と息子と一緒に行った水族館で買ってあげたもの。これも息子が大事にしているぬいぐるみです。

息子が貸してくれたベア・ジュニアと海ちゃん

 この2つのぬいぐるみを枕の横に置いて、私は癒されながら寝ています。

 

2023年12月4日月曜日

入院

  昨日、東京都・築地にある国立がん研究センター中央病院に入院しました。ここに最初に入院したのが悪性リンパ腫を治療した2003年の9月で、最後に入院したのが、関連疾患の特発性血小板減少性紫斑病を治療した2010年の5月。胃がんの治療をする今回は、13年ぶりの入院となりました。

 13階A棟に病室があり、4人部屋の窓側のベッドです。今回は胃外科での治療です。以前は血液内科での治療で11階B棟。B棟は海側で見晴らしも良かったのですが、今回はビル群が立ち並ぶ眺め。でも、13階なので見通しも良く、気分が晴れやかになります。

 前回入院したときは追加料金はなく、窓側になるか廊下側になるかは運次第(?)だったのですが、今回は窓側だと6,600円の追加料金がかかるように変更されました。気分が少しでも晴れるよう、窓側を選びました。

 夫がついて来てくれたのですが、コロナ禍での対応が続いているようで、面会者は病室には入れないことになっています。夫とはナースステーションの前で別れました。

 病室内は相変わらず清潔で、ナースステーション横に設置されているポットも同じ場所にありました。病室内も何一つ変わらず、安どしました。そして、私が大好きだった場所、非常階段横のスペースにも、以前と変わらず患者が外を眺めるためのパイプ椅子が置いてありました。その窓から眺める景色は、相変わらずきれいでしたが、築地市場がなくなっていて、ちょっぴり寂しかった。

病院の窓から眺める風景。左下にはかつて、築地市場があった


外を眺められる場所。変わらずパイプ椅子が置いてある
 
 ここは夜、寝られないときに外の景色を眺めに来ました。築地市場が見下ろせ、午前2時、3時にはすでにトラックや人の出入りが見られ、元気をもらえていたのです。築地市場があった場所は更地になって当時の活気はもうありません。寂しい気持ちになりましたが、世の中が移り変わっても、私は元気でいることに、感謝ですね。

 築地市場が閉場するときにWebメディア に書いた記事がありますので、よろしければ読んでみてください。

 https://bee-media.co.jp/archives/2710


 

2023年12月3日日曜日

息子と朝顔の種を採る

  今年も私たち家族を楽しませてくれた朝顔の花が終わり、つるや種も茶色く乾燥し、”収穫時期”になりました。朝、登校前の息子と一緒に、種を採りました。

朝顔の種を採る息子と、この日収穫した種

  朝顔の種を採り、乾燥させて空き箱に詰める。それを翌年の初夏に玄関前の花壇に植え、花を楽しみ、また、晩秋に種を採るー。これは息子が小学校1年生のときから、毎年行っている行事です。種を採った後のつるは丁寧に支柱から取り外し、息子と一緒にリースを作ります。

 息子が朝顔の種植えと種採りを嫌がらずに一緒にしてくれるのを、とても嬉しく思っています。来年は中学生になりますが、また、一緒にしてくれるでしょうか?

 

 

2023年12月1日金曜日

母を連れて、娘の大学へ。19歳のお祝いも

  京都・大阪の旅の3日目は、娘の大学を訪れました。前夜、大学近くのホテルに泊まった私と母を朝、娘が迎えに来てくれて学校へ。まずは、食堂で朝ごはんを食べました。

 食堂には学生向けの「100円朝食」を食べにきている男子学生が結構いました。ご飯にお味噌汁、小鉢が2つついて100円という、栄養も考えられた朝ごはんを食べられる学生は幸せです。料理が得意でない学生の親も、きっと安心しているに違いありません。

 一般の人たちにも安価で提供されており、母も納豆、オクラ、ポーチドエッグ、豆腐、きんぴらごぼうを選び、「美味しいね。孫の大学の食堂で朝ごはん食べられるなんて、嬉しいよ」と言いつつ、ご飯もお味噌汁もすべて平らげました。

娘の大学の食堂で食べた朝食

 お腹が一杯になった後は、娘の寮を見学。新しく、清潔な寮内を見て、母はとても感激したよう。特に共同キッチンの良さには「すごいねぇ、こんなに綺麗なキッチンで料理できるなんて」と驚いていました。私も前回、娘の寮を訪れてこのキッチンを見たときは、「ここで寮生活を送れる学生は幸せだなぁ」と思いました。

 部屋に入ると、娘はお茶を入れてくれて、3人でおしゃべりも弾みます。娘は冷凍庫にある作り置きのカレー、ミートソース、ハンバーグ、カボチャのスープも見せてくれました。しっかりと自炊しています。娘が巣立ったときは心配もしましたが、こうして食材を買い、週末に作り置きをし、きちんと栄養のある食事をしているので、安心しました。

作り置きの料理を見せてくれる娘

 寮内を見学した後は、大学近くのモールへ。フードコートで昼食をとり、娘の誕生日祝いのケーキを食べました。ロウソクも準備してきたので、いつものようにお祝いできました。娘は19歳になりました。



  

2023年11月28日火曜日

娘に会いに母を連れて、京都・大阪へ

  この週末、家族で娘に会いに行ってきました。「もう一度京都に行ってみたい」「孫の大学を見てみたい」と願っていた母を連れて行きました。

 土曜日の朝一番の飛行機で大阪伊丹空港へ。空港からバスで一時間ほどで京都駅に着きました。駅では娘が待っていてくれました。夫も私も母も、娘をそれは可愛がっていますので、久しぶりのハグはとっても嬉しかった。息子もおねぇねぇに会えて元気いっぱいです。

 初日は京都市内を巡りました。母が希望した伏見稲荷大社と清水寺、紅葉が綺麗で有名な南禅寺。鮮やかな紅葉がそれは美しかった。日暮れ直前に行ったのは息子が希望した銀閣寺でした。静謐な空気に満ちていて、清らかな気持ちになりました。

伏見稲荷神社

清水寺

美しい南禅寺の紅葉

銀閣寺

 日曜日はユニバーサル・スタジオ・ジャパンへ。事前に、待ち時間を短縮できるファストパスを4アトラクション分購入していました。母はジェットコースターはさすがに「遠慮する」と言いましたが、巨大なサメに襲われるボートツアー「ジョーズ」は娘と一緒に体験。3Dで「ミニオン」の冒険を体験する乗り物、大迫力の乗り物「スパイダーマン」、箒に乗って空を旋回するような体験を出来る「ハリー・ポッター」の乗り物も乗りました。


 これらも、かなり動きが激しかったのですが、母は頑張りました。乗っている間、「お母さん、大丈夫?」と声をかけても母は無言で、もしかしたら全身むち打ち状態になるのでは?と心配しましたが、無事乗り終えました。

 乗り物を降りるときは家族とスタッフに支えられ、ようやくという状態でしたが、母は「最高!」と満面の笑顔。「85年生きてきて、こんな乗り物は初めて体験したよ。楽しいねぇ。長生きするもんだねぇ」とそれは嬉しそうでした。長い間、骨粗しょう症の治療をしていますので、骨も丈夫になっているのかもしれません。

 娘も息子も大喜びでした。息子は月曜日に学校と塾がありますので、夫と一緒に新幹線の最終便で東京に戻りました。私と母は娘の大学のある茨木市へ向かいました。

2023年11月19日日曜日

11月の花

  昨日、友人から電話がありました。病気の報告をしたブログを読んで仰天したという電話でした。

 その友人は前の会社の同期で、お互いに退社した後も連絡を取り合い、時折ご飯を食べておしゃべりする仲。昨日も電話で、お互いの抱えていることについて語り合い、笑い飛ばしました。下がり気味だった私の気持ちもぐんとアップしました。

 彼女がその後ラインに、「去年か今年、私たち入社30年でしたよね…」というメッセージに自宅で咲いたという青いアサガオの花の写真を添えて送ってくれました。癒されました。

 実は私の家の小さな庭でも、今年、青いアサガオが咲きました。ピンクと青のアサガオは息子が小学校1年のときに学校から持ち帰ったもので、秋に種を採り、毎年植えているのです。その年によって、青い花が咲かないときもありますが、今年は咲いて、家族で喜んでいたのです。

 11月に入りぐんと寒くなったのですが、先日も最後の力を振り絞ってくれて、小さくはありましたが、咲いてくれました。そのときは、この夏買ったハイビスカスも綺麗に咲いてくれました。花は心を癒してくれますよね。

 


 


2023年11月16日木曜日

息子が駅伝選手に

  今日、息子から携帯電話に電話がありました。「ママ、駅伝の選手に選ばれたよ!」。声が弾んでいました。息子が学校代表の選手になったようなのです。

 選ばれたのは6年生約100人中8人で、男子4人女子4人。息子は今月から、塾の理科社会をやめて、かけっこ教室に戻ったばかり。受験を3ヶ月後に控えての決断は勇気が要りましたが、息子の明るい声を聞いて、あの決断は良かったんだと思えました。

 今日は息子に別の良い知らせがありました。数カ月前に学校見学に行ったインターナショナルスクールから、来年秋入学に向け、息子の出願を待っているというメールでした。息子は高校生向けの学校見学に行ったのですが、息子の受け答えがしっかりとしていたことを評価してくれたらしく、今回メールをいただいたようです。もちろん英語と算数の2教科の受験の結果によりますが、ともかく親として、どこかの学校が息子に「welcome」な態度で接してくれたことがうれしい。

 息子に良かれと進めていた、日本の中高一貫校。でも、息子の成績は一向に上がらず、無気力になり、どうしたものかと考えに考えて理科社会をやめることを決めました。4科目受験が必要なほとんどの中高一貫校の受験を諦めなければなりませんでしたが、息子の心のほうが大切でした。

 私は毎朝ジョギング・ウォーキングをしており、息子に「一緒に走ろう」と誘っていました。いつも、「起きられない」と断ってきましたが、今日は「ママ、明日、僕も一緒にジョギング行く」と自発的に言ってくれました。

 息子が少しずつ、息子らしくなってきています。

 

 

2023年11月15日水曜日

夜の甘辛チキン弁当

  一昨日、落ち込む出来事がありました。自分の身に降りかかることは何とか対処できると思うのですが、社会や組織の中での関わりなどについては、すぐ考え込んでしまいます。一昨日は心が乱れ、帰宅後ベッドに横になり大泣きしました。

 息子は塾に行っており、夫も自室にこもってました。ひとしきり泣き続けたら、お腹が空いてきました。その夜は夫が夕ご飯の担当で、ラム肉のパイを用意していました。私はラム肉が苦手なので、遠慮すると伝えていました。

 「あの唐揚げ弁当が食べたい」と急に思い立ちました。2つ隣の駅近にある、お弁当屋さんです。ここは息子の英語塾の近くにあり、以前、息子の塾の帰りにいつも寄るレストランが満席だったので、仕方なくこのお弁当屋さんで買って公園で食べたら、思いのほか美味しくて、息子も私も大満足だったのです。そのお弁当屋さんの名物”甘辛チキン”が食べたくなりました。

 寒かったのですが、コートを羽織ってマフラーをぐるぐる首に巻いて、自転車で駅に向かいました。駅の駐輪場に停めて、電車に乗り込みました。次の次の駅で降り、そのお弁当屋さんへ。開いているか調べもせず行ったのですが、開いていました。お客さんが何人も並んでいました。私の前のお客さんは男性で、唐揚げ弁当を4つ注文していました。残業組の買い出しでしょうか? 同僚と夜、他愛のない会話をしながら唐揚げ弁当を食べるー。そういうのっていいなって勝手に想像しました。いずれにせよ、皆、このお弁当のファンなのですね。

 甘辛チキン弁当を買い、近くの公園に行きました。ベンチに座りました。電車に乗っている最中、札幌の親友にラインをしていました。

「わたし、ちょっと落ち込んでいるの。なんだか、辛い。2つ目のがんというより、人生について。私は間違っていたのかな?と考えてる。病気の後、社会復帰しようと頑張ってきたけど、疲れたし、悲しい。ごめんね、愚痴で」

「むっちゃん、やっぱり落ち込んでいるんだね。胃がんは内視鏡手術で取り除けること、本当に良かった。むっちゃんの人生、何も間違ってなんかいないと思うよ」

 親友に、お弁当屋さんとお弁当の写真を送りました。暗い公園でお弁当をパクパクと食べました。会社帰りでしょうか? 沢山の人が公園の前の道路を通り過ぎていきます。「このおばさん、夜一人で公園のベンチでお弁当食べてる。寂しそう」と思われるかな?とちょっぴりおかしくなりました。もう、そんなことも気にしません。それよりも、一筋縄ではいかない人生でつまずいている状態を、少しでも気分を軽くして乗り切るほうが大切。夜、一人公園で唐揚げ弁当を食べる。そんな自分を笑う。そういうことが必要でした。




 がん治療がうまくいかないときは、混雑した渋谷のスクランブル交差点を見下ろせるカフェに行き、雑踏を見ながら、自分の抱えていることなんて小さいーと思うようにしました。年齢を重ね、もう、渋谷のカフェに行くパワーもないので、駅の近くの公園で、お弁当をパクつくのです。

「自分なりに一生懸命生きてきたし、いろいろあったけど、頑張ってきたつもり。でも、社会からは拒否されるし、頑張った結果がまた、がんか…と思ったら、やりきれなかった」

 お弁当を食べている間、親友がこんな重たいラインの会話に付き合ってくれました。一人で公園のベンチに座っていましたが、一人ではありませんでした。友達ってありがたいなぁとしみじみ思いました。

 お弁当を半分ほど食べて、お腹が一杯になると、生きる元気が出てきました。親友に「いつも、ありがとう。話を聞いてもらって、気持ちが落ち着いたよ」とラインを送り、電車に乗りました。自宅に着くころには、少し、気持ちが軽くなっていました。もう、涙も出ませんでした。

 

2023年11月14日火曜日

寒くなると…

  週末はぐんと冷え込んだので、夕ご飯はおでんにしました。ちょうどおでんを好まない夫と娘がいないので、母を招いて息子と3人で食べました。

 母が実家で使っていて、昨年実家を売却するときに「いらない」と言ったけど、もったいなくて段ボールに詰めて持ち帰ってきた皿を使いました。あのときは段ボール箱7箱ぐらいこちらに送り、収納エリアがギチギチになる原因になってしまいました。でも、やはり持ってきて良かったと思います。

「あらっ、あの皿だね」

「うん。あのときこっちに送ってきた皿だよ。どう?おでんが映えるでしょ」

「そうだね。おでんにピッタリだね」

母が実家で使っていた皿におでんを盛り付けました。紫色の箸は母用

 母も息子も「美味しい」と食べてくれたので、良かった。私自身も、ようやく大好きなおでんを自宅で作れるようになって、嬉しい。おでんは冬になると一人分をコンビニエンスストアで買って食べていましたが、やはり家族や友人など人と一緒に食べるのがいいなと思ったのでした。

2023年11月12日日曜日

確定診断

 国立がん研究センター中央病院で11月8日、胃がんの確定診断を受けました。その日からいろいろ考えを巡らせていたため、報告が遅れました。このブログの前の2つ「3世代で回転ずしへ」「冬支度」は診断の後のことですので、報告の順番が前後しました。

 診断は10月26日のブログでお伝えしたように、胃の「印環細胞がん」で病期は1期でした。腫瘍の大きさは1.2㌢で、内視鏡手術で取ることができるようです。ただ、顕微鏡で確認し、予想より腫瘍が大きければ、外科手術となるでしょうということでした。先生は「内視鏡の検査を定期的にしていたので、早期に発見できました」と言い、完治を狙えると前向きな発言をしてくれました。

 原因について聞くと、ピロリ菌か以前行った放射線治療かもしれないとのこと。胃の印環細胞がんは予後が悪く、術後2年以内の再発は約50%、5年生存率は約30%と言われています。早期発見といえども、油断はできないなというのが本音です。ただ、治療できる段階で見つかったのは本当にありがたいことです。

 親しい友人から「悪性リンパ腫の再発より、ずっといいと思う」と言われ、本当にそうだなと思いました。悪性リンパ腫が今度再発したら、かなり厳しい治療になるのは必至ですので、内視鏡手術で取り切れることに感謝です。

 私が13年前に再々発の診断を受けたときは看護師さんが待合室に来て、入院の説明をしてくれました。が、今回は8階の相談支援センターというところで、説明してもらいました。

 相談支援センターは広々としていて、7,8人の相談員の方がいました。「今回初めての入院ですね」と担当者の女性。「いいえ、もう何度も入院しています」というと、「えっ?」と驚いてコンピューターを見ます。「最後に入院したのはいつですか?」「13年前です」「そうですか。3年以上経っていると、もう一度説明させていただくんです」とのこと。私もすっかり忘れていますので、ありがたいです。

 まずは入院中のスケジュールなどについて10分間のビデオを見ました。次に書類の記入。部屋は4人の患者がいる大部屋の窓側か通路側、そして4つランクがある個室のうち第1希望と第2希望を書くことになっています。一番高い最上階の個室は一泊の追加金額が11万円(税込み)します。もちろん、私は大部屋。大部屋は患者同士でおしゃべりができて、楽しいのです。以前は運が良ければ窓側になることがありました。今は追加料金が一泊6,600円もかかります。ちょっと高いですが、1週間ですし、気持ちが明るくなるよう窓側を選びました。

 私が入院していたときはパジャマ持参でしたが、病衣を選べるようになりました。実はこれは、私が要望書をご意見箱に入れて後、すぐ導入されたもの。家族がいない患者さんは体調が悪い中、コインランドリーで洗濯をするのがとても大変なので病衣を取り入れてほしいと書きました。何だか嬉しくて、「病衣は10数年前、私が要望書を書いて導入されたんですよ」と心の中で、ちょっぴり自慢げにつぶやきました。いま、ここにいる職員の方々はおそらく、そのころはこの病院にいなかったでしょう。私はもう20年もここに通っている、古参の患者なのです。

 付き添ってくれた夫が、窓から外を見ます。「築地市場、なくなっちゃったね。君を見舞った帰り、お母さんとあそこに行ってお寿司を食べたんだよ」。長い年月の間に、築地も変わりました。

 看護師さんからも説明を受けました。一定金額以上の治療費については健康保険組合が負担してくれる高額療養費制度の説明もありました。この制度は知らない人も多く、説明してくれない病院もあるらしく、やはりがん研究センターはしっかりしているなと思いました。

 看護師さんからは「今回、先生からどのような説明を受けましたか?」「分からないことはありましか?」と聞かれました。患者がどれぐらい理解できているのか、確認しているのですね。気が動転して、大切なことを聞き逃した患者さんもいると思いますので、こういう対話は重要だなと改めて思いました。

 このようにいろいろチェックして、患者感覚をアップデートしました。私はがん患者さんへの情報発信についての研究をしていますので、最新の患者感覚を持つのはとても大切です。今回は新しいがんを罹患し、情報収集もたくさんしましたので、新たにがんと診断された患者さんが病院やインターネットでどれくらい情報収集できるのか、確認できてよかったです。

 朝9時の診察でしたが、お会計を済ませると11時半になっていました。その日は午後から講義があったので私は大学へ。夫は会社に向かいました。

 夜は月2,3回は夫と一緒にいく近所のバーに行き、「とりあえず、早くに見つかって手術も内視鏡でできるから、よかった」と乾杯しました。マスターに事情を説明すると、驚いたようでしたが、「早期発見良かったです。これは私のおごりです」とスパークリングワインを1杯ごちそうしてくれました。

 がんを甘く見てはいけないですが、落ち込んでいいことはありません。ポジティブに対処していくつもりです。

2023年11月11日土曜日

3世代で回転ずしへ

  一昨日の木曜日の午後、軽井沢に行く夫を見送り、翌日の夜は夫がいないからおでんにしよう(夫はあまり好き出ないので)と考えていると、「そうだ!母を招こう!」と思い付きました。翌日は息子の塾があるので、今晩一緒に食べようと早速、母に電話をしました。

 電話をしたのは夕方5時半ごろ。「お母さん、夕ご飯準備した? 良かったら家に来ない? これから作るんだけど、おでんを一緒に食べよう」と夫が軽井沢に行ったことを話して夕食に誘うと母は、「じゃあ、せっかくだから食べに行こう!」と言います。「私がおごるから!」とも。「あんたたちの好きなもの、何でもご馳走してあげる」と声が弾んでいます。「そう? じゃあ、ご馳走になるね」と息子と相談して、母のマンションの近くにある回転寿司に行くことにしました。

 夜は混むので、電話を切ってすぐ、母の家へ。母は85歳になりますが、こんな急な誘いにもすぐ乗ってくれます。母のマンションに寄って、そのまま、回転寿司へ。

 「何でも食べていいよ!」と母。私は大好物のいくら、シメサバ、ホタテ、アジ、茶わん蒸しを注文。母はエビとシメサバ、マグロ、カンパチとアサリのお味噌汁。息子は納豆巻きとフライドポテト、フライドチキンに3色団子。3世代がそれぞれ好きなものを注文できる回転寿司は”最強”です。

 回転寿司の帰り、母が言いました。「寒くなってきたら、札幌を思い出すよ。雪かきが本当に大変だったから。こっちに移ってきて良かった」。

「お母さん、家を手離して寂しくない?」

 母は昨年、50年近く住んだ札幌の家を手離しました。今は実家は取り壊され、新しい住宅が建っていることでしょう。母は言います。

「全然! こっちに来てから(母は新型コロナが流行する半年前にこちらに転居してきました)毎年業者さんに頼んで雪かきしてもらっていたから、業者さんに電話したり、契約したり、本当に大変だった。だから、そういう面倒なことなくてすっきり」

 あんなに大好きだった自宅を手離しても、全く、落ち込まない母。「わたしは、あの家を何回もリフォームして、自分の住みやすいようにして暮らしたの。皆に素敵だねって褒められた。だから、全く悔いがない」といいます。

 そうなんだな、そういう考えもあるんだなと思います。わたしなら、家族との思い出が詰まった家を手離すのは心が切り裂かれるように辛いと思いますが、そういう執着があると、それはそれで辛いもの。母のようにさっぱりと手離し、今を生きるという考えが、年を重ねても前向きに暮らせる生き方なのでしょう。

 母のマンションまで送りました。母は息子をハグし、「電話ありがとう!楽しかったよ」と喜んでいました。「こちらこそ、ご馳走様。じゃあ、おやすみ」。

 帰りは息子と手を繋いで帰りました。楽しい一日でした。


2023年11月10日金曜日

冬支度

  昨日、息子の小学校で絵本の読み聞かせをしました。私の担当は2年生。読んだのはこの時期になると低学年に読む「ふゆじたくのおみせ」です。

 仲良しのヤマネくんとクマさんは、開店した森のお店に行きます。そこには素敵な品物がたくさん売っており、どんぐり50個などと値段がついています。ヤマネくんはクマさんに、クマさんはヤマネくんにプレゼントをあげようと思い、互いにそのことは内緒で一緒に森にどんぐりを拾いに行きます。そして、残り1個で品物が買える数になったところで、森でやっと見つけたどんぐりの取り合いになり、、、というあらすじ。

 この本は息子が幼稚園生のときに書い、何度も大切に読み聞かせていた本です。やはり、好きな本は何年経っても、好きなんですね。昨日も、子どもたちのかわいらしい顔を見ながら、読ませてもらいました。息子も何年か前までは、こんなに小さかったんだなぁと懐かしく思いながら。


 木曜日は週に一度の平日休みの日。読み聞かせを終えて家に帰り、家の片付けをし、前夜作った焼豚を使って、夫と一緒に焼豚丼のランチを食べました。いつもはラーメンに入れるのですが、ご飯の上に載せて煮汁をかけたら、結構美味しくできました。夫も「これ、君の作るご飯のかなり上位に入るよ」と喜んでくれました。穏やかなランチタイムでした。

 午後、夫は一人で軽井沢の家に向かいました。デッキを囲ったり、薪を割ったり、と冬支度をする必要があるためです。

 夕方、夫から写真とメールが届きました。「景色が綺麗で、空気がさわやかだよ」といい、軽井沢の家で、静かな夜を楽しんでいるようでした。

 


 この数週間、私の病気のことや子供達の進路などでかなりのストレスを抱えていた夫。自然の中でリラックスしてほしいです。


2023年11月9日木曜日

息子の中学受験問題

  息子が今月から、塾の理科・社会の授業を受けるのをやめました。塾の基本授業は月、水、金の3日間で、土曜日に復習テストがあります。このうち、理社を学ぶ水曜日のクラスをやめて、その代わりに、半年間やめていた「かけっこ教室」を復活させることにしました。

 中高一貫校は基本的に国算理社の4科目受験ですので、理社をやめるということは、ほとんどの中高一貫校を諦めるということ。受験をあと3ヶ月後に控えた段階で、この決断はとても難しかったし、勇気のいることでした。でも、中学受験での合否よりも、中学受験での取り組みや親としての対応が、長期的に息子に影響を与えてしまうのではないだろうかという不安のほう大きくなっていました。で、中学受験そのものをやめるのではなく、理社をやめるという決断をしました。

 息子は英検準1級を持っていますが帰国子女ではないため、多くの学校が設けている「帰国子女枠」は使えず、この枠も最初からありません。ですので、受けられるは英語・国語・算数の3科目試験を設けているいくつかの学校になります。それでも、ここまで一応は勉強を続けてきたので、途中で投げ出さずに続けて、受験をしたという自信を持ってほしいと考えました。

 受けられる数校のうち、算数は英語で出題する学校があることを知りました。たまたま、日程が合い、その学校の体験授業を受けさせたところ、息子が「算数の問題の意味が分からない」と言い出しました。つまり、息子は算数を日本語で勉強していますので計算は出来るのですが、「直径」「半径」「円すい」「台形」などの言葉が問題に出てくると、分からないのです。

 息子の通う英語塾に相談したところ、英語の算数のクラスがたまたまあることを知り、急きょ6回受講させました。このように、方針転換は息子への新たな負担を強いることにはなりましたが、算数の基礎は出来ているので、英語で言葉の意味を覚えるのは、理社を勉強し続けるよりはずっと負担は少ないだろうーと判断しました。

 息子は他の多くの子どもたちと同様、3年生の3学期から塾通いをしています。大手の集団塾に通いつつ、個別指導塾にも通いました。その間、好きな水泳とかけっこ教室は続け、6年生になってからかけっこ教室はやめさせました。塾の日程が増え、もうやり繰りが出来なくなったのです。しかし、塾での勉強の時間が増えても、息子の成績とやる気は下がるばかりで、親として「自分の考えは間違っていたのだろうか?」と自問自答する日々でした。

 息子は要領がよく、宿題の多さに押しつぶされることもなく、「勉強しなさい」と毎日親に言われても聞き流し、適当に勉強をこなして点数が悪くても全く気にしないという性格です。先日は塾のテストで、社会が3100人中、3960番という記録的な数字をたたき出しました。「これって、すごくない?」と聞いても、しらっとした顔で、「あと40人も下にいるから、いいじゃん」。

 このような感じですので、中学受験でありがちな追い詰められるということではありません。逆に、無気力な子になってきていたのです。「受験を辞めたい」という意志もなく、ただただ、日々をこなすのです。唯一の楽しみは、アメリカの若いユーチューバーによるゲーム攻略動画を見ること。

 得意のスポーツも得意でなくなってきました。小学校の体力テストもずっとAだったのに、「B」。「スポーツ得意だったのに、普通のBになっちゃったね。何か不得意なものあった?」と聞いても、「●●に失敗しちゃったんだ」と言い訳することもなく、「ママさぁ、いつも『普通は●●でしょう?』っていうじゃん。普通だからいいじゃん」とゲーム攻略動画に戻ります。

 「Oh, My God!」と叫ぶだけの、ゲーム攻略動画のどこが良いのかさっぱり分かりませんが、世界中に何万人ものフォロアーがいるらしく、息子もその一人。数年前に人気ナンバーワンだった青年はがんで亡くなったらしく、そんな背景ストーリーはちゃんと把握しています。世界中にフォロワーがいたその青年が亡くなる数時間前に残した動画を、彼のお父さんが泣きながらアップしたーという、がんサバイバーの私としては胸が苦しくなるような話も、淡々と事実として説明する我が息子。

 「ゲーム攻略いいじゃない? 皆がうなるようなゲームを作ったらどう?」と別の視点から息子を支援してみよう!と気持ちを切り替えて接しても、「ゲーム作るのって難しいんだよ。僕には無理、無理」。

 自分の経験から子どもの将来を規定してはいけない、自分の知らない世界が世の中にはたくさんあり、子どもは無限の可能性があるから、それをつぶしてはいけないーと自制していたつもりでした。でも、もしかしたら、努力すれば報われる、目標に向かって進むーという凝り固まった考えが私の根底にあり、それが言葉となって出てしまい、息子の気持ちに良くない影響を与えていたのかもしれません。

ママは人生をフルで生きようとする努力人間だけど、僕は”よろけ人間”なので…」。これは、息子を励ますような言葉をかけたときに、返ってきた言葉です。目標を持って努力を重ねれば、達成することができると自分自身を鼓舞しながら生きてきた私は、”昭和”な人間なのかもしれません。人生に目標を持つ、やりたいことに頑張って取り組むということ自体古い考えで、私はそのカビの生えた経験値で息子に接していたのかもしれません。もう、これは無意識レベルなので、意識的に変えなければなりません。 

 自省し、子どもの良いところを見よう、出来たところを褒めようと息子の良いところを褒めても、「無理して褒めなくても大丈夫だよ。ママ」とさらりと言います。見透かされています。何かを褒めたら、にこにこして「嬉しい!」と言ってくれた娘とは違い、息子は一筋縄ではいきません。

 そんな息子が先月、ポツンと「ママ、僕頭悪くてごめんね。僕なんて生まれてこなければ良かった」と言ったのです。息子の中学受験問題で私自身いろいろ悩んで、息子と”対話”をしてきたつもりが、こんな言葉を息子に言わせてしまいました。私は親として失格だと思いました。無気力になってきていた息子をどうしたものかずっと悩んできましたが、こんな究極の言葉を息子に言わせてしまったと、涙が目から噴き出しました。息子を抱き締めて、謝りました。「ごめんね、ママが悪かったの。ごめんね。せっかく生まれてきてくれたのに。こんなに元気に、素敵な子に育ってくれたのに」と、何度も謝りました。息子は私を抱き締め返してくれました。

 息子は頭もよく、性格も穏やかで、スポーツも出来て、お友達とも仲良くでき、料理も好きでーと可能性がいっぱいあった子でした。だから、親として息子の良いところを伸ばしてあげたいとずっと思ってきました。そのための選択肢を考えてきたつもりです。インターナショナルスクールではなく、日本の私立の中高一貫校は、運動が好きで、ハーフだけど日本人のお友達と仲良くできるという、息子の良いところを伸ばす選択肢のはずだった。でも、私はどこで間違ったのでしょうか?

 娘は絵が大好きで、飽きずに何時間も描いており、また、才能もあった。ヴァイオリンも上手だった。だから、「勉強しなさい」ということもなく、そちらの方を全面的にサポートしました。もちろん、勉強はしなければならないので、適性を考え、小5でインターナショナルスクールに転校させました。それは、結果的に娘には良かったと思います。

 でも、振り返ってみれば、娘のときも一つ一つの決断でずいぶん悩みました。今回、塾の理社をやめるときに、息子に「火、水、木と放課後何もなくなるよ。水曜日はかけっこ教室があるけど、行く?」と聞いてみると、珍しく、息子が「うん!行く!」と子供らしい返事をくれました。すぐに、かけっこ教室の先生に連絡をし、11月から通わせることにしました。

 水曜日、息子は帰宅後、嬉しそうにかけっこ教室に向かいました。中学校受験の3カ月前のこの時点で、塾を1日減らし、運動を再開させるのは”合格”からさらに遠くなる決断であることは十分承知しています。でも、息子の”今”のほうがもっと大切なんだ、息子の今を大切にすることが、息子の将来につながる道なのだと自分に言い聞かせています。

 

 



2023年11月6日月曜日

胃がんを報告 母の場合

  私が胃がんの診断を受けたことについて、母に報告をしたのは10月26日の午後、娘に話をした後でした。

 電話で伝えました。母は少し驚いたようですが、「今は2人に1人ががんになる時代だから」と相変わらず、前向きです。「私に何か出来ることがあったら、言ってね」とも。もちろん母のことですから、その気持ちは十分あるとは思うのですが、体のあちこちが弱ってきている85歳です。気持ちだけ、ありがたく受け取りました。母は一人で食料品や日用品の買い出しをし、病院に行き、料理をし、1日3食をきちんと食べています。家の中もいつ行っても整理整頓と掃除がなされています。高齢の親がこのように自立していてくれるのは、子どもにとって何よりも有難いことなのです。

「ありがとう、お母さん。私は、お母さんが自立して一人で何でもしてくれているのを本当に有難いと思っているの。今お母さんに倒れられたら、お世話は十分できないと思う。だから、とにかく元気でいてほしい」

「分かった。あんたは病気がちだし、子どもを遅く産んだからまだまだ手がかかるときだから、私は自分のことは自分で何とかすると常日頃思っているの。私は大丈夫だから、まずはしっかり治してね」

「うん、ありがとう」

 私が38歳で初めて血液がんを罹患したとき、母はまだ60代でした。当時、父も健在で2人で札幌の実家に住んでいました。母は私が病院で診断を受けた日も、飛行機で来てくれましたし、治療のときもずっと東京の私たちの賃貸マンションに泊まって家事をしてくれ、毎日のように私を見舞ってくれました。当時は子どももいず、夫だけだったので何とかなったのですが、父母としては居ても立ってもいられなかったのだと思います。

 娘が生まれた後、がんの再発、再々発、そして、2つの自己免疫疾患、心臓疾患の入院治療中はすべて、こちらに来て幼稚園の送迎など娘の世話と家事をしてくれました。私の体調が急に悪化して入院となったり、救急車で病院に運ばれたりすると、動転した夫はすぐに母に電話をし「お母さん、睦美さんダメです」と言うらしいのです。夫は片言の日本語しか出来ないので、何が駄目なのかも分からなかったらしいですが、母はその言葉を聞くと、取る物も取りあえず、飛行機に乗ってこちらに来てくれました。

 父は脳梗塞の後遺症で右半身が不自由(右手が使えなかった)だったため、父をどうするかも考えなければならず、苦労も多かったと思います。施設に一時的に入ってもらおうとしても、父が「俺は行かない」というのでほとほと困ったーと母が後に涙ながらに語ってくれたことがあります。父も父で、恐らく、食事は外食やお弁当でいいので、自宅にいたいという気持ちだったとは思いますが、母としては「娘の緊急時ぐらい、協力してほしい」という気持ちだったのでしょう。結局、このとき父も母に説得されて、私の入院中は施設に入ってくれました。父にも不便を掛けたと申し訳なく思います。

 このように母のお陰で、私は自分の治療に専念できました。母はよく、「あんたが無事退院して家に戻って、私とお父さんが札幌に帰るとき、駅まで送ってくれたでしょ。手を振りながら、これが生きている睦美を見るのは最後かもしれないと何度思ったことか」と当時の話をします。一方で、私が入院先のベッドで起き上がることも出来ないでいるときも、私の顔を覗き込み、「大丈夫、あんたは不死身だから。後は私に任せて」と言って励ましてくれました。ひどい状態の娘を明るく励ますのは、なかなか大変だと思いますが(私も子どもがいるので、その大変さは想像できます)、母はそうやって私を鼓舞してくれたのです。

 報告した2日後、母は私の大好物のあんドーナツを手土産に、家に寄ってくれました。「早期発見で、何よりだった」と話し、大学生になった娘の話、息子の受験の話、自分の病院の話などいろいろおしゃべりし、「手伝えることがあったら、言ってね」と言い、帰っていきました。

 最後の自己免疫疾患の入院治療から13年も寛解状態が続いていたので、私としてはこのまま健康で長生きできるかもと期待していました。母としても、自分に何かあっても娘は近くにいるし、病気も治まっているから大丈夫と安心していたと思います。あーあとため息も出ますが、とりあえずこの新たながんに立ち向かいます。完治を目指して、母を安心させたいと願っています。

 

2023年11月4日土曜日

胃がんを報告 娘の場合

  この2週間、いろいろなことがあり、ブログでの報告の順番が逆になりますが、関西の大学に通う娘に胃がんの報告をしたときのことをお伝えしたいと思います。

 娘に話をしたのは10月26日午後、国立がん研究センター中央病院の主治医から前週の内視鏡検査の結果について電話があった4日後でした。26日は娘の大学入試のズームでの面接日。この前に知らせて動揺して影響すると困るので、夫と相談し面接が終わってから報告することにしていたのです。

 がんのお母さんたちの会に参加すると、「子どもにどう伝えていいか分からない」というお母さんもいらっしゃいます。そのように子どもの心を気遣うお母さんに育てられた子どもなら大丈夫だとは思うのですが、話すタイミングについてはその子の性格により考える必要があるかもしれません。

 私の場合、主治医から電話で報告があった直後に、夫と息子に話しました。聞いた瞬間息子は泣きましたが、すぐ、ケロリとしましたし、その日のうちに「勉強しなさい!」「ユーチューブ見るの、もういい加減にしなさい!」と私に叱られる行動パターンに戻りました。息子は大丈夫だと思っていましたので、自然に話すことが出来ました。

 でも、娘の場合は繊細で物事を深く考える子なので、重要な面接は普通の精神状態で臨んでほしいと思いましたので、報告を4日間待ったのです。

 フェイスタイムで話しました。早期発見であること、腫瘍が小さければ内視鏡で取れること、最悪でも胃を3分の2切除だけで大丈夫であることを伝えました。娘は「何で別のがんになるの?」と涙をボロボロとこぼし、私の話を聞いていました。娘の心の在り様に影響しては困るので、「ママは大丈夫だからね。とにかく自分の夢に向かって進んでね。それがママにとって一番嬉しいことだから」と念を押しました。さらに、明るい見通しについて話しました。

「月曜日に先生から電話があったときは仰天したけど、昨日診察があって、胃外科と内視鏡科の先生とも話して、早期発見だという話を聞いて安心したの。この勝負、勝てるなと思ったよ」

「ママ、そういう受け止めは駄目だと思う。ママは、ネガティブにならなくてもいいところでネガティブになって、ネガティブに捉えて慎重にならなければならいところでポジティブになる性格だから。たとえ早期発見でも、がんだし、ママたくさん病気もしているから、慎重に受け止めて行動したほうがいいよ」

 娘にたしなめられました。

 確かに、「病院に入る前までは元気で、冗談を飛ばしていたのに」という話はよく聞きます。以前、入院していたとき「別荘に行ってくるわって、皆に言ってきたのよ」と強気だった女性が、大変な治療であちこちの臓器にも影響が出て、入院してきたときの美しさが治療でここまでになるのかーという外見に変わり、私もとても辛く悲しかったことを思い出します。

 で、病気に対する強気な態度を引っ込め、この新しいがんに対し、謙虚に対処することにしました。

 娘は小さいころから、体調の悪い私を見てきました。幼稚園のときは、ベッドに寝て点滴をする私の手を握り、側についていてくれました。小学生のときは、体調が急に悪化した私を見て「119」に電話をし「来ます!来ます!」と叫ぶだけの夫から(夫は、来てくださいと言いたかったのだと思います)受話器を取り、「ママが具合が悪くなって、動けないんです。うちの住所は……」と冷静に対応してくれました。床に横になったまま、娘の姿を見て、「これで、何かあっても大丈夫」と安心したものです。

 様々な経験を経て、娘は新しい病気には謙虚に対処すべきと母親を諭すほどに成長しました。あれこれと娘を心配した日々は、懐かしい思い出になりつつあります。

 

2023年11月1日水曜日

杉田さんのこと

  そこに行くと馴染みの人がいて、安心して仕事をお任せできるー。私はそのような人とのつながりを年を追うごとに大切に思うようになってきています。昨日10月31日、20年近く通っているガソリンスタンドの店長さんが辞めると聞き、とても寂しく感じるとともに、その店長さんがいることで私は安心してその店を利用していたのだなぁと改めて感じました。

 その人は杉田さんと言います。昨朝、車の洗車をしてもらいに、そのガソリンスタンドに行きました。火曜日は研究室に行く日なのですが、前日の月曜日に内視鏡検査で胃がんの深さと広がりを調べるために広範囲に組織を採ったこと、造影剤を用いたCT検査も行ったことで、体調がすぐれず、家で作業をすることにしました。体調が悪いと、気持ちも塞ぐもの。で、気持ちを切り替えるため、汚れが気になっていた車の洗車に行くことにしたのです。

 実は前日、夫に洗車を頼んでいたのですが、夫が行ったのは夕方。その日の作業はもう終わっていたらしく、「明日以降に改めて行くから」と言われていたのです。で、私がたまたま在宅だったので、行くことにしました。

 杉田さんはいつものように、「手洗い洗車ですね。今回は車内の掃除はどうしますか?」と聞き、テキパキと応対してくれました。そして、数時間後、仕上がったという連絡があり、行ってお会計をしようとしたところ、「村上さん、僕、今日で会社を辞めるんです。ご挨拶したいと思っていたのですが、なかなかお会いできなくて。でも、お会いできて良かったです」と言います。

 突然の退社のお話で、私はびっくり。「えっ?そうなんですか? 寂しくなります。でも、良かった。お会いできて。たまたま今日こちらに来たんです。転職するんですか?」

「はい、今の仕事とは全く関係ない、内装の仕事なんです。39歳になるのでいろいろ考えて、転職するなら今しかないと思いまして」

「そう、ずっとお世話になっていたから、寂しいです」

「村上さんには、もう20年近くお世話になっています。まだ、ここがセルフになる前で、僕、ガソリン入れさせてもらっていましたよね」

「そうですね、長い間お世話になっていて、杉田さんにお任せすれば安心だったから、残念です」

 私は杉田さんの若いころ、そして、副店長に、そして店長にと順調に昇進していったのをずっと見てきました。丁寧な仕事をする人で、礼儀正しく、信頼のおける人なのです。

「僕のあとに、あの細い●●が店長になって、体格のよい●●が副店長になります。どうぞ、今後ともよろしくお願いします。村上さんがこちらに初めていらしたときはまだ独身でいらっしゃっいましたよね」

「たぶん、結婚して間もなくのころでした」

「変わらず、お綺麗です。僕はすっかり年取っちゃいましたけど」

 たとえ、お世辞でも、この言葉、ありがたく受け取りました。先週は気持ちが塞ぐこともあったので、ほんわかと心が温かくなりました。

「あらっ、嬉しい。ありがとう。杉田さん、39歳なんてまだまだ若いじゃないですか」

「いいえ、転職するのにはギリギリだと思っています。でも、会社と喧嘩して辞めるわけではありませんし、近くに住んでいますので、また、お会いするかもしれませんね」

「そうですね。また、お会いするのを楽しみにします」

「ありがとうございます。ご主人とお子さんたちにもよろしくお伝えください。お子さんたちは赤ちゃんのころから知っていますので、大きくなりましたよね」

「はい、娘なんて本当に大きいです。杉田さん、新しい職場でも頑張ってくださいね」

そういって、握手をしました。そして、名残惜しい気持ちになりながら、車に乗り込みました。

 杉田さんはいつものように車を道路のほうまでしっかりと誘導してくれました。バックミラーで後ろを見ると、いつものように姿勢正しく立ち、私の車のほうに深々と礼をしてくれました。

 別れは、たとえ、それがその人にとっての新しい門出であっても、寂しいものです。でも、杉田さんの明るい将来を祈りつつ、お送りしたいと思いました。仕事に誇りを持って、真摯に取り組んできた杉田さんなら、新職場でもまたしっかりとした仕事をして職場の人からもお客さんからも信頼される人になるに違いありません。

 私は杉田さんの仕事の最終日にご挨拶することができました。私が洗車に行こうと考えなければ、もし、前日、夫が洗車することが出来たら、また、私が火曜日体調が良くいつものように研究室に行っていれば、お会いすることはなかった。

 少し大げさな表現になりますが、私は杉田さんの職場での最後の日にお話しできる巡り合わせで、また、杉田さんも20年来の客である私に、最後の挨拶が出来る巡り合わせだったのでしょう。

 私は父の死に目に会えなかったことをずいぶん長い間後悔してきました。この世を去る前の父に会えなかった、話せなかった自分の運命について後悔の気持ちを持ち続けてきました。でも、あるときから、私だけでなく、父もこの世を去る前にひとり娘である私に会うことが出来ない、私と話すことができない運命だったのだーとも思うようになりました。

 父は血液がんを発病した私に、病院への行き来が楽になるようにと車を買ってくれました。その車を父の形見だと思い、今でも大切に乗り続けています。その車を安心して預けることが出来た杉田さん。杉田さんの幸せと新職場での成功を祈りながら、様々なことを考えた一日でした。

2023年10月31日火曜日

2023 Halloween

  今年もマイヤー家では、パンプキンカービングをしました。いつもの年と違うのは、ハロウイーンが大好きな娘がいないこと。寂しかったけれど、息子と夫と3人で楽しみました。娘は夜、大学の同級生とイベントに参加するそう。仮装した娘と息子を連れて、最寄り駅の商店街を「trick or treat」と言いながら、歩いたころが懐かしい。

今年は家族3人でハロウイーンを楽しみました



2023年10月30日月曜日

学会発表 無事終わった!

  昨日、学会発表がありました。国立がん研究センターがん対策研究所の研究者Oさんと一緒にそれぞれ20分ずつ。先週は胃がんの診断を受けて仰天しましたが、気持ちを切り替えてスライド作りをし、発表の練習をしていました。無事終わって、ほっとしています。

 先週の1週間はジェットコースターに乗っているような毎日でした。私の人生そのものもジェットコースターに乗っているように、急降下あり、急回転ありと、結構大変なのですが、今回は暗闇の中を走る「スペース・マウンテン」ではないところがまだ良かった。

 先週を振り返ると、まず月曜日の朝はジョギングと公園での腕立て伏せやスクワットなどをして健康的な一日をスタートさせた矢先に、国立がん研究センター中央病院の血液腫瘍科の主治医から電話で、胃がんという報告を受けました。動揺しましたが、6日後に迫った学会発表に向け準備。火曜日はがん対策所内にある研究室でスライド作りをし、先輩の研究者の方々に発表の事前練習に付き合ってもらい、様々な助言をもらいました。夜は夫は飲み会でしたので、夕食は息子の大好物のオムライス。

夫がいない夕食は、息子の大好物のオムライス

 水曜日は気持ちを立て直し朝のジョギングを再開。朝9時半に主治医、そして10時半に胃外科の先生の診察。診察が終わったのが午前11時過ぎで、そのまま同じ敷地内にあるがん対策研究所内の研究室へ。その日在宅勤務のOさんとズームミーティングをし、前日いただいた他の研究者の方々からの助言を反映させてスライドの微調整をしました。そして、次の診察時間の直前の午後1時57分に論文の共著の先生方にスライドをメールで送りました。

 そのまま急ぎ足で、同じ敷地内の病院へ。午後2時から内視鏡科の診察でしたので、受付に行き、順番を待ちました。その日、内視鏡科は大変混んでいて、先生とお会いできたのは午後4時を過ぎていました。でも、早期の発見であること、手術で取り切ることが出来ることを聞き、気持ちが落ち着きました。追加の胃カメラ検査やCTの予約をしてもらい、そのまま手術に向けてのレントゲンなどのいくつかの検査をして、帰宅しました。

 木曜日は週に1度の在宅の日。朝は息子の小学校で絵本の読み聞かせをし、帰宅後は「まりん書房」の仕事。同じく在宅勤務の夫に誘われて、近くのビストロでランチ。午後も仕事。金曜日は再び研究室で発表に向けて、様々な質問に答えられるように準備を念入りにしました。そして、夜はバレエのレッスンへ。

夫とビストロでランチ

 土曜日の朝は夫に頼まれたキッシュを作り、午前は発表の練習。午後は、息子に頼まれたパンプキンパイづくりと、夕方のハロウイーンのイベントで子供たちに配るお菓子の袋詰めをしました。家に寄ってくれた母と1時間ほどお茶を飲みながらおしゃべりし、夕方息子と一緒に商店街のハロウイーンイベントへ。息子の友達とママたちと一緒に、商店街を回りました。

夫が好きなキッシュ

 

朝食は外で。でも寒くてすぐ中に入りました

 

息子のリクエストのパンプキンパイ。娘にも送りました

商店街でのハロウイーンイベントに参加

 そして、日曜日午前は学会発表で、発表後はすぐ電車に乗り、自宅へ。夫がお弁当を買い、息子を連れて近くの公園に行っていましたので、そこで合流。楽しくお弁当を食べました。

 この1週間も娘と毎日フェイスタイムでお話ししました。

 この目まぐるしい1週間を過ごしてつくづく思ったのは、私にとって、子どもたちの好きなお菓子を焼くことも、母や娘とおしゃべりすることも、大学院の研究も、夫とランチをすることも、ピクニックに行くことも、子どものイベントに参加することも、ボランティア活動をすることも、ブログを書くことも、全部同じぐらいに大切だということ。若ければ何かのために、別のことを犠牲にすることもあったかもしれませんが、今はできない。

 母は高齢なので元気なうちに一緒に過ごしたい。子どもはあっという間に成長するので今を大事にしたい。家族が好きな料理も作りたい。友達とランチやおしゃべりもしたい。でも、大学院で学ぶことは年を取れば取るほど難しくなるので、今頑張れるうちに頑張りたい。どれもこれも大事で、何一つ削ることができない。まぁ、家の中が乱雑になっていることには目をつむっていますが。

 そんなこんなで、私は元気です。先週前半は少し落ち込みましたが、気持ちは前向きです。30代でがん発病、40代で再発と再々発、50代で2つ目のがんの発病は結構珍しい方だと思いますので、きっと私にもこの世で何らかの役割があるからに違いないと受け止めています。役割が何かはまだ分かりませんが、まずは皆さんにその悲喜こもごもの日々を正直にお伝えしていきます。


2023年10月26日木曜日

胃がん 幸運だった早期発見

  昨日、国立がん研究センター中央病院に行き、血液腫瘍科、胃外科、内視鏡科の先生と話をしました。早期の胃がん(印環細胞がん)という診断で、来週月曜日に胃カメラ検査を再び実施し、広い範囲で細胞を採って検査をし、11月8日に診断が確定します。

 3人の医師と話をし、「このがんとの闘いには勝てるかもしれない」と思え、気持ちはぐんと明るくなりました。3人とも、悪性リンパ腫のための年に1度の胃カメラ検査で、他のがんを早期に発見できたのは幸運だったと受け止めたほうが良いーとの見解。

 先週の胃カメラ検査で、内視鏡科の先生が胃の壁に退色して微細な血管模様があるのを見て、そこから細胞を採り、それによりがんが見つかりました。その先生が見落としていたら、発見は確実に1年は遅れていたでしょう。2つめのがんの罹患はアンラッキーですが、早期発見は本当にラッキーでした。治療は手術で、がんが小さければ内視鏡手術、最悪でも胃を3分の2切除する手術。全摘ということにはならないでしょうとのこと。手術の日程は検査結果次第ですが、11月末から12月初旬にかけてのようです。

 手術に向け、昨日は血液検査、レントゲン、心電図、呼吸機能の検査をしました。全ての検査が終わったのが5時過ぎでしたが、見通しが立ったので、気持ちはとても前向きでした。皆さんにはご心配をおかけしました。また、報告します。

 

2023年10月24日火曜日

娘からの贈り物

  今日、帰宅すると娘から私宛てに荷物が届いていました。宛名に我が家の住所と私の名前が書いてあり、名前の後ろに(まま)と書いてあります。娘から私に荷物が届いたのは初めてです。そうなんだ、これまでは娘と同じ住所だったのに、違う所に住んでいるんだなぁと思いました。

 袋を開けてみると、沢山の贈り物が入っていました。可愛らしい赤のミルクパンとミッフィ柄のポーチ、携帯ストラップ、ハロウイーンの飾り、そしてお餅と団子でした。


 手紙も入っていました。

「大好きなままへ

 お元気ですか? 私はとっても元気です。素敵な贈り物、ありがとう♥今もこの手紙を書きながらマロンの紅茶とパンプキンパイを味わって食べています。

 さっき電話したからもうサプライズじゃないけど、赤いパンあってよかった~。かわいいからすぐなくなっちゃったんじゃないか心配していた…。

 あと、茶色いバッグに入っているのはままと私のお揃い携帯ストラップだよぉ~。水色か紫色か迷ったんだけど、私もままも紫っぽいからこっちにしたよ。喜んでもらえるといいぁ~。

 それとね、入学前に『いままで大切に育ててくれてありがとう』プレゼントを渡そうと思っていたんだけど置いた場所忘れちゃって結局渡しそびれちゃったもの入れておいたよ。タイミング間違えちゃったからインパクトないけど使ってくれると嬉しいなぁ~。

 それとおまけにおはぎとおもちを入れておいたよ!買ったのは今日(23日)だけど、悪くなっちゃうみたいだから、早めに食べてね。

 あっそうだ。ハロウィーンのかわいいのがあったから入れておいたよ♥

 いつもありがとう♥

 大大大大大大大大大大大大大大大大大大好きだよ!」

 涙が止まりませんでした。いい子に育ったなぁとしみじみと思いました。先日、ハロウイーンのバスケットにお菓子や紅茶を入れて、手作りパンプキンパイも一緒に送ったのをとても喜んでくれて、こんな素敵なプレゼントを送ってくれました。

 昨日は胃がんの診断を受け、気持ちが少し塞いでいましたので、気持ちがほんわかと温かくなりました。

2023年10月23日月曜日

胃がんの診断

  今朝午前9時過ぎ、珍しく自宅の電話が鳴りました。誰だろう?と不思議に思いながら出てみると、国立がん研究センター中央病院の主治医からでした。

「先日の胃カメラの検査結果が出ました。予約した次回の診察日より少し早く来ていただくことは出来ますか?」

「あっ、はい」

「今週はいかがですか? 水曜日の午前中は?」

「何時でも大丈夫です」

「では、9時半はいかがでしょう?」

「はい。大丈夫です。先生、それまで待つのも気になりますので、検査結果を教えていただけますか?」

「先日、胃の細胞を採って検査した結果、胃がんの結果が出ました。これまでの悪性リンパ腫ではない、がんです」

「そうですか。分かりました。では、水曜日によろしくお願いします。夫も同席したほうがいいですか?」

「いいえ、今回はお一人でまずはお越しになるのが良いと思います」

 2つ目のがんの診断でした。私は2009年に再々発した血液がん「悪性リンパ腫」の治療を終え、その後14年間再発はしていませんでした。患っていた2つの自己免疫疾患も寛解状態で、この病気を抑える微量の薬を飲んでいるだけで、今は健康な人と変わらない生活をしています。突然の胃がん宣告に虚を突かれました。

 22日の運動会の振り替え休日で、息子は自宅にいました。夫も在宅勤務で、私は2階の仕事場で来週末の学会で発表するスライド作りをしていました。階段を降りると、息子が夫と一緒に英語の勉強をしていたところでした。

「勉強しているところごめんね、今、先生から電話があって、胃がんの診断だったの」

「胃がん?」

 夫がびっくりした表情で聞き返します。先週水曜日に悪性リンパ腫(私のリンパ腫は胃が原発)の年に1度の胃カメラの検査を終えたばかり。主治医からは今回、組織が盛り上がっていて、それは肝臓機能低下による何たらかんたらという説明を受けて、とりあえずは異常なしと受け止めていた矢先の胃がんの宣告でした。

「水曜日に詳細を聞くから、まずは、それを待っていろいろ考えようと思う」と夫に伝え、私は10時半から始まる同僚研究者Oさんとのズームミーティングに備えてスライドのチェックに戻り、夫は息子との勉強に戻りました。

 Oさんは40代前半の博士号を持つ研究者で、まだまだ実力不足の私を全面的にサポートしてくれています。Oさんは国立がん研究センターの公式ウェブサイトを改訂するにあたっての研究のメインの研究者で私はその下で働いています。29日の学会でOさんは研究の全体像について発表、私はそのうちの1つの研究についての発表をすることになっています。ですので、20分間の発表のスライド作りは今まさに完成に向けての作業に入っていました。2つ目のがんの診断によるもろもろのことはさておいて、スライドを完成する必要がありました。

 粛々とスライド作りを進め、Oさんとのズームミーティング。Oさんはとても親切な人で私のスライドの一枚一枚を確認し、適切なアドバイスをくれます。あと数枚で終わりというところで、夫が「昼ご飯にしないか?」と下から声をかけてきました。12時30分を過ぎていました。Oさんには息子が食事を一緒に取るのを待っていることを告げて、一旦はミーティングを終了しました。Oさんも2人の子どもの子育て真っ最中で、その辺のところはよく分かってくれるのです。

 下に降りていくと、夫がダイニングテーブルにランチマットやカトラリーを準備し、キッチンに戻って準備していたミートソースを温め直している最中でした。マイヤー家は全員が料理好きですので、手の空いた人が食事を作るようになっており、私が忙しいため夫と息子がミートソースを作っていたのです。

「今、終わったよ。作ってくれてありがとう!さぁ食べよう!」と言うと、ミートソースをかき混ぜていた夫が私の肩を抱いた後、急に床に倒れ込みました。

「It's too much, too much」ーと肩を震わせて嗚咽する夫に、驚いた息子が駆け寄り肩を抱き締めます。夫の言葉を日本語に訳すと、「もう十分だ」「これ以上はもう無理だ」というような意味でしょうか。私も申し訳ない気持ちが一杯で、「ごめんね、本当にごめんね」と謝りました。

 申し訳ない、本当に申し訳ないと思いました。これまで散々病気をした私に、別のがんの診断。夫は一生懸命家族を支えてくれているのに、また、いろいろ迷惑を掛けてしまう。神様は人が背負えない荷物は与えないらしいけど、私はまだまだ荷物を背負えるということなんだな、と解釈しました。

 3人でミートソースパスタを美味しくいただきました。「ママ、セロリを細かく切って、椎茸も入れたよ」と息子。息子と夫が作ってくれたミートソースはそれは美味しかった。いつも、家族で一緒にいられる幸せをかみしめてはいますが、今日はさらにその気持ちが強くなりました。

 食卓ではほとんど無言でした。でも、今日は娘が合格をいただいたシドニー大学へ授業料と入学金を支払わなければなりません。他の大学の結果を待っていたら間に合わなくなるので、夫と一緒に昼休み中に行くことにしました。

 銀行の担当者とやり取りをし、全ての確認作業を終えてから夫を銀行に残して帰宅しました。息子に「今日の塾の宿題をしなさいよ~」と言いながら、Oさんとのミーティングを再開。4時30分に終了し、夫と一緒に車で息子を塾に送りました。

 夫に車で待ってもらい、スーパーで食材の買い物をしました。今日は自分に花を買いたくなり、スーパーの店頭で売っているバラ2輪を買いました。その足でドラッグストアに行きました。行き慣れているドラッグストアでしたが、考え事をしているせいか買うはずだった洗剤をうまく探せず、店内をぐるぐる回りました。洗剤の棚を眺めていると、涙が勝手に流れてきました。優先順位を付け直して取り組まなければならないこと、時間のやりくりをどうするかで頭がパンクしそうでした。

 娘は出願しているもう一つの大学の面接試験を木曜日に控えているので、その後に伝えることにしよう。娘にはとにかく自分の夢を追うことを最優先にするよう説得しよう。

 母は元気だが、ひとり娘が2つめのがんを発病したことを伝えるとかなり堪えるに違いない。伝えるタイミングを考えなければ。手術や抗がん剤治療になれば外見に影響が出るので言わずにはいられないが、そうでなければ黙っていよう。

 息子の中学校受験は2月。その間に治療になったら、どうしよう。日本語が出来ない夫には対応は無理で、娘は関西にいて2月には海外に行くかもしれない。母は85歳。このまま日本の中高一貫校を目指していいのだろうか? 私に何かあったら、日本語の読み書きができず会話も限定的な夫には日本の学校とのやり取りや大学受験などの対応は無理だろう。中高一貫校ならまだしも、受験に失敗して地元の公立校に行くとなると、私の体調では高校受験のサポートは無理かもしれない。熟考して決めよう。

 いま、取り組んでいる研究は何とかやり抜きたい。博士課程はあと2年あるが、研究を進めて博士論文を書く気力と体力と知力を持ち続けられるだろうか? 

 2冊目の出版の準備を進めているひとり出版社「まりん書房」はどうしたらよいだろう?2冊目を出版する体力・気力はがん治療後にどれくらい残っているだろうか?

 母に、父の遺骨を札幌の納骨堂から、東京のお寺を探して移動したいと相談を受けている。資料などを取り寄せていたけど、急いだほうがいいかもしれない。母と一緒に納骨堂の見学に行き、契約をして、札幌の納骨堂を解約して、父の遺骨をこちらに持ってくれば母も安心するだろう。早く手続きをして母を安心させなければ。

 家の中の膨大な物の処分を進めなければ。娘や息子にプレゼントする予定のアルバムづくりだけは完成させよう。icloud に膨大な写真や動画を保存していて、私が管理しているけど、このことを家族に引き継がなければ…。

 To Do List が頭の中を駆け巡りました。いろいろ考えることはありますが、きっとなるようになると思うようにしました。

 このブログで、2つ目のがんを診断されたママの育児(育自)の日々をつづっていきます。皆さん、どうぞ今後もお付き合いください。

 

2023年10月22日日曜日

最後の運動会

  昨日、小6の息子が通う地元小学校で4年ぶりに運動会が開かれました。昨年までの3年間は新型コロナウイルス感染対策により各学年ごとの実技発表しかなかったため、今年は6学年がそろった賑やかな運動会となりました。

 残念ながらレジャーシートを敷いて、家族でお弁当を食べることはなくなりましたが、息子の80㍍走も、騎馬戦も、パフォーマンスも見ることが出来ました。楽しみだった運動会観戦も今年で終わりなんだなぁと、少し寂しい気持ちになりながら、息子の”雄姿”を観て、ビデオに収めました。

 母も招待しました。母は娘がこの学校に通っていたころも運動会を観に札幌から来ており、「やっぱり楽しいね~」と言いながら、観戦。4年ぶりとあってか、おじいちゃん、おばあちゃんも沢山訪れており、学校が用意してくれた「優先席」はすぐ埋まってしまい、母を案内することは出来ませんでした。が、運動会好きな母は優先席は必要なく、ママさんパパさんたちに交じって最前列で観戦。直射日光が当たって暑くなれば、すぐにグラウンドを見渡せる日陰を見つけて、そこで4時間近く観戦していたのでした。あっぱれ、85歳。

 娘はこの学校に1年生から4年生まで通っていました。毎年、母が札幌から来てくれ、朝は母と2人で鶏肉の唐揚げや太巻き、厚焼き玉子などを作って重箱に詰めました。夫は場所取りに朝早くから学校へ。ある年はシンガポールの出張から早朝帰宅してその足で場所取りに行き、そのままレジャーシートで寝ていたということもありました。

 娘はどんな遠くにいても観戦している私たちの方を向いて背伸びをしてニコニコしながら手を振ってくれましたが、息子はそんなことはしてくれません。でも、男子のそっけなさは、どの家も同じらしく「男子と女子はやっぱり違うなぁ」と実感します。

 でも、息子が座っている椅子の近くに行って息子に声をかけるとこちらを見てピースをしてくれました。お友達とふざけ合って楽しそうな様子をカメラで写すことが出来ました。そんな息子の姿を後ろから眺めながら、「この学校に6年間通わせることが出来てよかった」としみじみと思いました。

 夫も常々、「いい学校だよなぁ」と言っており、息子が6年間通えていること、そして来年春には卒業し、この小学校の卒業生になれることを親として改めて嬉しく思いました。清々しい青空の下、幸せを感じた一日だったのでした。

2023年10月17日火曜日

合格通知

  昨日、オーストラリアのシドニー大学から、娘に合格通知が来ました。娘が希望していたアートの専攻です。

 昨年から、親子共々、迷い悩みながらの大学出願でしたが、娘の希望の大学から合格をいただけて本当に良かった。

 夫と話し合い、出願時期が遅いオーストラリアの大学の結果を待たないで、皆と同じ9月(欧米の大学や一部の日本の大学)に大学生活をスタートさせることが大切だと、関西の大学に入学させました。

 娘はオーストラリアの他の大学にも願書を出していますので、全ての結果が出てから、どうするか決める予定です。今の大学は講義も面白く、お友達も何人も出来て、寮生活も快適で…と言うことなしなので、決断が難しそう。

 合格結果をフェイスタイムで知らせてくれた娘の表情はそれは明るく、生き生きとしていました。「ママ、これまで、ずっとサポートしてくれてありがとう」と娘。自分の夢に向かって努力し、それを支えた人に感謝を伝えられる子に育ったことに、私は母親として合格通知と同じぐらい嬉しかった。

 娘はさらに遠くに行ってしまうかもしれません。思い出されるのが、インターナショナルスクールに行っていたときのこと。私が学校に行くのをそれは喜んでくれた娘。いつもにこにこしていた娘。ママ~とハグしてくれた娘。娘がいない家はしんとして、どれほど私たちが娘に癒されていたか、実感する日々です。

 そう考えるとまた涙が出てきますが、娘が夢に向かって一歩踏み出したことを喜ぼうと思います。


2023年10月12日木曜日

秋を拾う

  夏の終わりごろから、朝ウォーキングをしています。我が家のほど近いところに見晴らしの良い公園があるので、そこまで走って公園内を歩きます。最近はどんぐりも見かけるようになり、拾って家に持ち帰り、洗って乾燥させてから飾ります。

 今朝は、大きな栗を拾いました。こんなに大きな、きれいな栗を拾うのは初めて。手の平に載せて歩くとチクチク痛かったですが、大切に持ち帰り玄関に飾りました。

 玄関は先日、夏用を仕舞い、ハロウイーンの飾り付けをしたばかり。栗を加えると随分秋らしくなりました。

 

どんぐりを飾った玄関。ハロウイーンの飾りも

息子の工作を飾った夏の玄関


息子が作ったサメ


2023年10月11日水曜日

作り置き

  9日の祝日、東京はあいにくの雨でしたが、母を招いて昼ご飯を一緒に食べました。メニューは夫が作るジャンバラヤ、私の豚汁でした。

 ジャンバラヤはシーフードとソーセージ、ベーコンを使った米国ルイジアナ州の郷土料理。豚汁はお馴染みの和食の定番。マッチングはしませんが、夫も私も自分の得意料理を作ったほうが美味しいので、そうしました。

 昼でしたが、母と私にはスパークリングワインを一杯ずつ、夫はビール。息子にも奮発して、ブラッドオレンジジュースを付けました。母もとても喜んで、おしゃべりも弾みます。そんな中、夫が娘にフェイスタイム(ビデオ通話)をしました。娘もちょうど、ひとりランチの最中でした。

 娘が見せてくれたランチは栄養のバランスの取れた、美味しそうなメニューでした。前日煮込んだというミートソースを使ったパスタ、生姜焼き肉にトマト。

 娘が言います。「ママ、私、昨日今週の分たくさんお料理したんだよ。鶏の挽肉を使ったミートソースと、カレーライスと、カボチャを使ったクリームシチュー。豚の挽肉のハンバーグも作ったの」。「すごいね。大学生になったばかりで作り置きが出来るなんて、さすが!」「うん、平日は講義があるから、お料理が面倒になるからね。お友達はカップラーメンとか、冷凍食品とか食べているんだけど、手作りのほうが美味しいよね」。

9日昼の娘の「ひとりランチ」。手作りのミートソースパスタに生姜焼き
  
 
9日昼の我が家のランチ。ジャンバラヤと豚汁

 18歳での巣立ちは心配もありましたが、大丈夫でした。娘は自分で食材を買いに行き、料理をし、きちんと食事をしています。今、食べている最中のお料理の写真と、作り置き料理を入れた冷蔵庫の写真を送ってもらいました。
 
作り置きの料理が入った娘の冷蔵庫

 「ママに買ってもらったディズニーの容器に入れると匂いが付いちゃうから、安い容器を買ってきたの。でもね、3つあるのに蓋が1枚しか付いていなかったの。で、サランラップでカバーしているの」と娘。 
 「あっ、それね。蓋をもう一度見てみて。重なっているから」
 「えっ?そうなの。見てみる」
 
 娘は蓋が3枚重なっていることが分かり、それをはがして、それぞれの容器にきちんと蓋をすることが出来たようでした。

 翌日も娘から写真が送られてきました。ランチは、クリームシチューとハンバーグにトマト、キーウイ。夜はタコライスにりんご、そして豆乳でした。これも栄養のバランスが取れた、良いメニューでした。

10日昼の娘の手作りランチ。カボチャのクリームシチューとハンバーグ


10日夜の娘の手作りディナーのタコライス。りんごと豆乳を添えて

 それらの写真を夫に見せました。「私たちの娘、ちゃんと育ったね」。夫も「心配はいらなかったね。ちゃんと育った」と嬉しそうでした。

2023年10月9日月曜日

Yさんのこと

  人との出会いは、人生を豊かにします。私にとって、学生時代に出会った友人やかつての職場の同僚・先輩、仕事を通じて出会った人たちはとても大切な存在で、大病をした後はそれまで以上にその方々との友情を大事にしていきたいと思うようになりました。

 先日、私が心から信頼し、慕っている先輩と1年ぶりに会いました。私の新聞社時代の上司Yさんです。初任地・室蘭の報道部でデスク(記者たちの原稿をチェックする責任者)だった方です。

 Yさんは、駆け出し記者の私を日々丁寧に指導してくれ、お正月にはご自宅にも招いてくれました。奥様がたくさんの手料理を準備してくださり、3人で楽しくお話ししたのはとても良い思い出です。Yさんは、私が赴任してから1年足らずで転勤してしまいましたが、その後も、折々に励ましのメールをくれました。

 Yさんと頻繁にメールのやり取りをするようになったのは、私が退社し、Yさんが私と同じ病気を患った後でした。Yさんが私の病気のことを知り、同僚を通じて、再度連絡してくれたのです。

 それからは、育児をしながら、社会に復帰しようと奮闘する私をいつも励ましてくれました。奥様の絵の展覧会が東京であるときは一緒にいらして、時間を作って私に会いに来てくれました。お会いするのは、私の自宅最寄り駅の隣駅にある和食店。お料理を食べ、お酒を酌み交わしながら、時事問題や会社の近況、社会復帰への険しい道のりのこと、泣き笑いの育児エピソードなど、Yさんとお話しするのが私にとってとても楽しみな時間でした。また、一昨年には娘と一緒に札幌のご自宅にお邪魔し、奥様の美味しい手料理をいただきながら、たくさんお話しさせていただきました。

 私が自分のことを包み隠さず話し、それでも自分は受け入れてもらえるんだとYさんに対して思えるのは、Yさんへの信頼感のほかに、良い紙面を作るという同じ目標に向かっていた、さらに同じ病気と闘ったという連帯感を持っているからだと思います。

 病気の後、職場を辞めてから私がしみじみと感じたのは、私は社会のどこかに自分の居場所を必要とする人間だということでした。職場で仲間と一緒に仕事をし、帰りは居酒屋に寄ってワイワイと仕事の話をしたことを、とても懐かしく感じていました。フリーランスの仕事ではそれを得られず、大学院でも基本的には一人です。習い事もしていますが、やはりそこも私の居場所ではありません。子どもたちの学校でPTA活動もしましたが、自分はアウトサイダーであるという感覚はいつも持っています。

 社会に居場所を見つけることの難しさを痛感しているからこそ、かつての仲間たちとのつながりを大切にしたい。互いに信頼し合う友人とのかけがえのない時間を大切にしたいと思っています。

 今回は、最近夫とよく行く、日本酒が美味しい店にYさんをお連れしました。いつもご馳走になっているので、今回は私がーと考えていましたが、Yさんは「そんなことは許されません。私はあなたの元上司なのですから」ときっぱりと仰り、またご馳走になってしまいました。

 Yさんも私も、定期的に検査を受ける身ですが、このように楽しい時間をこれからも持てることを願ってやみません。

Yさんと一緒に飲んだサッポロビール