2023年11月9日木曜日

息子の中学受験問題

  息子が今月から、塾の理科・社会の授業を受けるのをやめました。塾の基本授業は月、水、金の3日間で、土曜日に復習テストがあります。このうち、理社を学ぶ水曜日のクラスをやめて、その代わりに、半年間やめていた「かけっこ教室」を復活させることにしました。

 中高一貫校は基本的に国算理社の4科目受験ですので、理社をやめるということは、ほとんどの中高一貫校を諦めるということ。受験をあと3ヶ月後に控えた段階で、この決断はとても難しかったし、勇気のいることでした。でも、中学受験での合否よりも、中学受験での取り組みや親としての対応が、長期的に息子に影響を与えてしまうのではないだろうかという不安のほう大きくなっていました。で、中学受験そのものをやめるのではなく、理社をやめるという決断をしました。

 息子は英検準1級を持っていますが帰国子女ではないため、多くの学校が設けている「帰国子女枠」は使えず、この枠も最初からありません。ですので、受けられるは英語・国語・算数の3科目試験を設けているいくつかの学校になります。それでも、ここまで一応は勉強を続けてきたので、途中で投げ出さずに続けて、受験をしたという自信を持ってほしいと考えました。

 受けられる数校のうち、算数は英語で出題する学校があることを知りました。たまたま、日程が合い、その学校の体験授業を受けさせたところ、息子が「算数の問題の意味が分からない」と言い出しました。つまり、息子は算数を日本語で勉強していますので計算は出来るのですが、「直径」「半径」「円すい」「台形」などの言葉が問題に出てくると、分からないのです。

 息子の通う英語塾に相談したところ、英語の算数のクラスがたまたまあることを知り、急きょ6回受講させました。このように、方針転換は息子への新たな負担を強いることにはなりましたが、算数の基礎は出来ているので、英語で言葉の意味を覚えるのは、理社を勉強し続けるよりはずっと負担は少ないだろうーと判断しました。

 息子は他の多くの子どもたちと同様、3年生の3学期から塾通いをしています。大手の集団塾に通いつつ、個別指導塾にも通いました。その間、好きな水泳とかけっこ教室は続け、6年生になってからかけっこ教室はやめさせました。塾の日程が増え、もうやり繰りが出来なくなったのです。しかし、塾での勉強の時間が増えても、息子の成績とやる気は下がるばかりで、親として「自分の考えは間違っていたのだろうか?」と自問自答する日々でした。

 息子は要領がよく、宿題の多さに押しつぶされることもなく、「勉強しなさい」と毎日親に言われても聞き流し、適当に勉強をこなして点数が悪くても全く気にしないという性格です。先日は塾のテストで、社会が3100人中、3960番という記録的な数字をたたき出しました。「これって、すごくない?」と聞いても、しらっとした顔で、「あと40人も下にいるから、いいじゃん」。

 このような感じですので、中学受験でありがちな追い詰められるということではありません。逆に、無気力な子になってきていたのです。「受験を辞めたい」という意志もなく、ただただ、日々をこなすのです。唯一の楽しみは、アメリカの若いユーチューバーによるゲーム攻略動画を見ること。

 得意のスポーツも得意でなくなってきました。小学校の体力テストもずっとAだったのに、「B」。「スポーツ得意だったのに、普通のBになっちゃったね。何か不得意なものあった?」と聞いても、「●●に失敗しちゃったんだ」と言い訳することもなく、「ママさぁ、いつも『普通は●●でしょう?』っていうじゃん。普通だからいいじゃん」とゲーム攻略動画に戻ります。

 「Oh, My God!」と叫ぶだけの、ゲーム攻略動画のどこが良いのかさっぱり分かりませんが、世界中に何万人ものフォロアーがいるらしく、息子もその一人。数年前に人気ナンバーワンだった青年はがんで亡くなったらしく、そんな背景ストーリーはちゃんと把握しています。世界中にフォロワーがいたその青年が亡くなる数時間前に残した動画を、彼のお父さんが泣きながらアップしたーという、がんサバイバーの私としては胸が苦しくなるような話も、淡々と事実として説明する我が息子。

 「ゲーム攻略いいじゃない? 皆がうなるようなゲームを作ったらどう?」と別の視点から息子を支援してみよう!と気持ちを切り替えて接しても、「ゲーム作るのって難しいんだよ。僕には無理、無理」。

 自分の経験から子どもの将来を規定してはいけない、自分の知らない世界が世の中にはたくさんあり、子どもは無限の可能性があるから、それをつぶしてはいけないーと自制していたつもりでした。でも、もしかしたら、努力すれば報われる、目標に向かって進むーという凝り固まった考えが私の根底にあり、それが言葉となって出てしまい、息子の気持ちに良くない影響を与えていたのかもしれません。

ママは人生をフルで生きようとする努力人間だけど、僕は”よろけ人間”なので…」。これは、息子を励ますような言葉をかけたときに、返ってきた言葉です。目標を持って努力を重ねれば、達成することができると自分自身を鼓舞しながら生きてきた私は、”昭和”な人間なのかもしれません。人生に目標を持つ、やりたいことに頑張って取り組むということ自体古い考えで、私はそのカビの生えた経験値で息子に接していたのかもしれません。もう、これは無意識レベルなので、意識的に変えなければなりません。 

 自省し、子どもの良いところを見よう、出来たところを褒めようと息子の良いところを褒めても、「無理して褒めなくても大丈夫だよ。ママ」とさらりと言います。見透かされています。何かを褒めたら、にこにこして「嬉しい!」と言ってくれた娘とは違い、息子は一筋縄ではいきません。

 そんな息子が先月、ポツンと「ママ、僕頭悪くてごめんね。僕なんて生まれてこなければ良かった」と言ったのです。息子の中学受験問題で私自身いろいろ悩んで、息子と”対話”をしてきたつもりが、こんな言葉を息子に言わせてしまいました。私は親として失格だと思いました。無気力になってきていた息子をどうしたものかずっと悩んできましたが、こんな究極の言葉を息子に言わせてしまったと、涙が目から噴き出しました。息子を抱き締めて、謝りました。「ごめんね、ママが悪かったの。ごめんね。せっかく生まれてきてくれたのに。こんなに元気に、素敵な子に育ってくれたのに」と、何度も謝りました。息子は私を抱き締め返してくれました。

 息子は頭もよく、性格も穏やかで、スポーツも出来て、お友達とも仲良くでき、料理も好きでーと可能性がいっぱいあった子でした。だから、親として息子の良いところを伸ばしてあげたいとずっと思ってきました。そのための選択肢を考えてきたつもりです。インターナショナルスクールではなく、日本の私立の中高一貫校は、運動が好きで、ハーフだけど日本人のお友達と仲良くできるという、息子の良いところを伸ばす選択肢のはずだった。でも、私はどこで間違ったのでしょうか?

 娘は絵が大好きで、飽きずに何時間も描いており、また、才能もあった。ヴァイオリンも上手だった。だから、「勉強しなさい」ということもなく、そちらの方を全面的にサポートしました。もちろん、勉強はしなければならないので、適性を考え、小5でインターナショナルスクールに転校させました。それは、結果的に娘には良かったと思います。

 でも、振り返ってみれば、娘のときも一つ一つの決断でずいぶん悩みました。今回、塾の理社をやめるときに、息子に「火、水、木と放課後何もなくなるよ。水曜日はかけっこ教室があるけど、行く?」と聞いてみると、珍しく、息子が「うん!行く!」と子供らしい返事をくれました。すぐに、かけっこ教室の先生に連絡をし、11月から通わせることにしました。

 水曜日、息子は帰宅後、嬉しそうにかけっこ教室に向かいました。中学校受験の3カ月前のこの時点で、塾を1日減らし、運動を再開させるのは”合格”からさらに遠くなる決断であることは十分承知しています。でも、息子の”今”のほうがもっと大切なんだ、息子の今を大切にすることが、息子の将来につながる道なのだと自分に言い聞かせています。

 

 



0 件のコメント: