2020年12月31日木曜日

2020年 私の挑戦 下

  今、日本酒「久保田」を飲みながら、このブログを書いています。あと1時間で2021年です。2020年を振り返ると、私が挑戦したもう一つのことは、ブログをたくさん書くことでした。そして昨日、2015年にこのブログを開設して以来初めて、年間100本を達成しました。 


 単純計算で、4日に1度は書いていたことになります。話題の中心はコロナ、子ども、そして大学院のことでした。3月は連日コロナ関連の話題を書きました。

 でもやはり、子どものことを書くのが一番楽しい。子どもは日々成長します。その年齢でしか言わない面白い言葉、可愛らしいコメントがたくさんあります。それらの言葉は本当に愛おしくて、楽しい。50代半ばで孫の話ではなく、子どもの話をブログに書ける自分は幸せだなとつくづく思います。

 さて、来年早々、修士論文のテーマを探すべく、リサーチを始める予定です。来年はもがき苦しみながら論文に取り組んでいる様子を書くと思います。そのときは、「去年苦しんだ生物統計学なんて、苦しみのうちに入らないと気付いた」などと言っているかもしれません。

 来年も私、成長します。皆さまにとっても2021年が素晴らしい一年となりますよう。 


 

2020年 私の挑戦 上

  2020年もあと4時間で終わろうとしています。午後7時のNHKニュースでは、東京都の新型コロナウイルス感染者が初の1000人超の1337人、全国でも過去最多の4515人となったと報道されていました。感染拡大の勢いは止まりそうにありません。

 ウイルス感染防止のため、今春は子どもたちの学校が長い間休校になり、私の通う大学院ではほとんどの授業がオンラインに切り替わりました。私自身、過去に血液がん「悪性リンパ腫」を2度再発させ、また、自己免疫がうまく働かず自分の体の細胞を攻撃する自己免疫疾患を2つ患ったことがありますので、かなり感染には気をつけました。ですので、子どもの送迎や学校・塾関係での外出、必要な買い物以外の外出は極力避けてきました。取材もすべてオンラインでした。

 行動が大幅に制限される中、例年のように新しいことに挑戦することはなかなできませんでしたが、一つ、大きな挑戦をしました。決して得意ではない生物統計学の授業を1学期、2学期ともに受講したことです。1学期の生物統計学1(必修科目)、生物統計学演習1(選択科目)は努力の甲斐があり2つともAを取りました。

 特に苦労したプログラミングの授業については、このブログでも書いています。泣きそうになりながら(実際に泣いたこともあります)取り組んで、Aを取れたことは大きな自信になりました。

http://ar50-mom.blogspot.com/2020/08/blog-post.html

 2学期の受講課目はずいぶん悩みましたが、引き続き生物統計学2(選択科目)を受講しました。本当に難しく、最後のほうでは講義を聞いてもチンプンカンプンでした。ズーム授業の翌日録画したものがアップされてから、何時間もかけて聞き直しました。英語ですので講義を聞いてもテキストを読んでも時間がかかります。苦労しましたが、先日、最後の課題を出し終えました。

 私と同じ時期にこの課目を取っていた40代の女性は、「今、生物統計学から逃げると、一生逃げそうな気がするので、頑張ります!」と言っていました。彼女は製薬会社でフルタイムで働くキャリアウーマン。化学で博士号を持つ才媛です。その彼女が覚悟して挑んでいたこの課目。私のような50代半ばで理系ではない人間が挑戦するには無理があったと思いますが、何とか頑張りました。

 ユーチューブは本当に頼りになりました。世界中の統計学者が分かりやすく解説してくれているのです。また、忘れていた高校の数学もユーチューブで復習しました。お陰で、先日高1の娘に数学の問題を聞かれたとき、すんなりと答えることが出来ました。

 何歳になっても勉強は出来るといいますが、自分の能力をはるかに超える新しい勉強に挑戦するのは勇気も要りますし、苦しいものです。「私、今頃何やっているんだろう?」と思うこともあります。それでも、苦しんで取り組んだ後はすがすがしい気持ちになります。

 生物統計学。大学院の課目の中で一番苦しみましたが、挑戦して良かったと心から思っています。

我が家の年越し準備

  今年はコロナで開け、コロナで終わった年でした。それでも、我が家では誰も感染することなく無事年を越せそうです。今日も感染者の治療と看護に当ってくださる医療従事者の方々に心から感謝。

 もう午後3時ですが、まだ「うま煮」の下煮段階です。パソコンをキッチンカウンターに置いて、煮物の様子をチェックしながらこのブログを書いています。母がいつも「うま煮」と言っていたので、私もうま煮と言いますが、今だ「煮しめ」と「筑前煮」との違いがはっきり分かりません。で、グーグルで検索してみました。

 どれも味付けは、醤油、砂糖、みりん、酒と同じなのですが、筑前煮は煮る前に油で炒めるのが特徴だそうです。煮しめは煮汁がなくなるまで煮るからそのような名前になったとか。我が家の場合、具材を別々に下煮をして、最後に一緒に煮ますが、汁は残っています。夫は私と結婚してもう19年もなり、かつ、毎年私がこのうま煮を作っているのに、今だ名前を憶えてくれません。「ベジタブルスープ」です。本当に、こういうのって寂しいなと思います。ベジタブルスープですよ!鍋の中をのぞいて、「ジュースがなくなっているよ、大丈夫?」 ジュースじゃなくって、汁です。

31日午後3時で、この段階です


 

息子が里芋洗いを手伝ってくれました

 昨日は、お正月には必ず買う、新潟県・朝日酒造の純米大吟醸「久保田 萬壽」というお酒を購入しました。昨年同様、コストコ川崎倉庫店で購入。でも、なんと、先日同じお酒を買った高島屋玉川店と価格が同じであることを発見。来年はわざわざ往復1時間かけてコストコへは行かないで、息子の水泳教室の合間に行ける高島屋で買うことにします。コストコは安いと思って買うと、近所のスーパーと変わらないことも多いのです。


 
 コストコで私が久保田を手に取っているとき、息子がこう聞きました。「ママ、このお酒美味しいの?」「メチャクチャ美味しい」と私。すると、後ろにいたおばあちゃんがにこにこして、「久保田は美味しいですよねぇ」。そのおばあちゃんは私ぐらいの年代の息子さんと買い物に来ていて、ちょうど同じように久保田をカートに入れるところだったのでした。

 さて、私と子どもたちがコストコに行っている間に、夫は近所のスーパーへ。カニとボタンエビとイクラを仕入れてきてくれました。夫いわく「ボタンエビは最後のひとパックで、ラッキーだった」。まぁ、こういう良いところもあるので、ベジタブルスープは許してあげることにしました、今年も。そうして許してあげているうちに19年です。 
夫が買ってきたカニとイクラとボタンエビ。カニがいい感じです
 そして、今年復活したのが、豆きんとん。29日に豆を購入し、一晩水につけて30日に煮込みました。とにかく、ヘラでずっとかき混ぜていたので、疲れましたが、なかなかの仕上がりでした。豆きんとんは母が小さいころからお正月の口取りにつけていたものだそう。私も小さいころ、毎年、豆きんとんをつけるたびに、母から「私は豆きんとん係だったの。何よりも楽しみだった」という話を聞きました。今回も母の話を思い出しながら、作りました。

豆きんとんづくりは結構時間がかかりました。鍋にはふきこぼれた跡も

 ヘラで混ぜている間、豆が手にはねてしまったとき(熱いのです)、母がおはぎのあんを作るときに軍手をして混ぜていたのを思い出しました。で、私も軍手をはめてこねながら、今は天国にいる叔母たちが母のおはぎが大好きだったことを懐かしく思い出しました。父も母のおはぎが好きでした。

父母は栗きんとんより豆きんとんが好きでした。私もです
 
 こうして少し焦りながら料理をしていると、北海道伊達市に住むいとこからラインがありました。料理上手なジュンちゃんは完璧なおせち料理を作っていて、感動しました。送ってくれた写真の美しいこと。姉のように慕うジュンちゃんのおせち料理を見て、家族のために美味しそうな料理をこんなにたくさん作るジュンちゃんって素敵だなと気持ちがほんわかと温かくなりました。

 今、午後4時半です。ようやく、うま煮が出来上がりました。まだ、味がしみ込んでいませんが、まぁ、子どもたちは食べないので、良しとしましょう。我が家の子どもたちはおせち料理が嫌いなので、昨年から手巻き寿司にしています。これから準備をします。ちょっぴり残念ですが、家族が無事年越しできることに感謝しながら、手巻き寿司をほおばる子どもたちと楽しく過ごしたいと思います。

2020年12月30日水曜日

小3息子、冬期講習へ

  地元公立小に通う小3の息子が、クリスマスの翌日26日から塾の冬期講習に行っています。毎日1教科ずつ、理科・社会・国語・算数の順に学び30日の今日はテストです。

 午前11時から午後1時半までで、毎日お弁当を持っていきました。息子は普段給食で、お弁当を持っていくのは久しぶりですので、心を込めて作りました。初日のおかずは鶏のから揚げと卵焼きと枝豆。帰宅した息子が「隣の席の女の子と全く同じおかずだったんだよ。僕は玄米で、隣の女の子は白いご飯だったけど」と報告してくれました。おかずは大体、そんな感じですよね。

 昨日のおかずはレンコンのはさみ揚げでした。薄く切ったレンコンの間に、鶏ひき肉を挟んで揚げたもの。お肉の中には椎茸と小葱のみじん切りとすった人参を入れて、醤油、ごま油、砂糖で味付けします。子どもたちが大好きなおかずです。ご飯は息子のリクエストで、具の入っていない「塩おにぎり」にしました。

 卵焼きは4切れのうち2切れを息子のお弁当に、2切れを娘の朝食に。娘が喜ぶのでハート型にしましたが、さすがに息子にはハート型は入れるのをやめました。

 11月は2つの入塾テストに落ちて焦りましたが、1つの塾に合格できて冬期講習にも通うことが出来て、本当に良かったです。塾は来年2月にスタートします。 

2020年12月27日日曜日

心落ち着けて、縫い物

  25日に学校の今学期最期の課題を出し終え、クリスマスも終わり、ようやく心落ち着けて家のことが出来るようになりました。まず、取り組んだのは縫い物です。

 ダイニングチェアの座布団カバーの紐が取れていたのですが、もう何ヶ月もほったらかしにしていました。10分もあれば出来るのに、いつも「To Do List 」の一番下で、ついつい先延ばしにしていたのです。

 ようやく今日、3枚分を直すことができました。この座布団は、新型コロナの影響でこの春経営破たんしたイギリスのブランドLaura Ashleyのもの。私はこのブランドが大好きで、寝具やカーテン、食器、タオルなど随分買っていました。このニュースを聞いたときは本当にショックでしたが、しばらくしてから米国の会社がライセンスを取得し、日本でもワールドというアパレルメーカーが来春に店舗やオンラインで販売を再開するというニュースを読み、ほっとしました。

 最初にLaura Ashleyの座布団カバーを買ったのはもう15年は前のことだと思います。その後4回買い替えたのですが、今回のは次の座布団カバーが買えるまで、大事に使っていこうと思っています。

 次に、息子の水泳キャップにバッジを縫い付け、ほつれを直しました。このバッジは先日、テストに合格してもらったもの。クロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライのそれぞれで一定のタイムが出るとバッジがもらえる仕組みで、息子はブロンズを4つ、シルバーも3つもらっていたのですが、最後の平泳ぎがなかなか受からず、ようやく先日合格したのでした。今度はゴールドに挑戦です。

 ほつれを直したり、袋などちょっとした縫い物をすると気持ちが落ち着くので大好きなのですが、慌ただしい日々を送っているとなかなか出来ません。ひと針ひと針縫いながら、「やっぱり、こういう時間は大切だなぁ」と思ったのでした。

2020年12月26日土曜日

世界のどこかで

  私がブログを書いているBloggerではどこの国で読まれているか統計を示してくれます。時折これを見るのを楽しみにしています。日本から遠く離れた国の人も読んでくれていて、驚くこともあります。日本語は特殊な言語ですので、現地に住む日本人が読んでくれているのだろうと予想します。日本語を勉強している人もいるかもしれませんね。

 日本以外ではアメリカ、チェコは毎回表示されているので、きっと継続的に読んでくださっている方がいるのだろうと嬉しく思います。どんな方なのだろう? どんな風に日々暮らしていらっしゃるのだろう?と想像するのは楽しい。


 先日は、ずいぶん多かったのでびっくりしました。日本、アメリカ、チェコのほかポルトガル、ドイツ、イギリス、ロシア、カナダ、パキスタン。以前、アラブ首長国連邦も表示されてたこともあり、ワクワク・ドキドキでした。皆さん、読んでくれてありがとう!これを励みに今後も書き続けます!

2020年12月25日金曜日

大学院 すべての課題を提出!

 12月25日午後4時4分、大学院の最後の課題を提出しました。今学期がようやく終わりました。締め切りは午後5時で、息子を英語教室に車で送る時間が午後4時過ぎでしたので、ギリギリ間に合いました。提出したのは、今年一番苦しんだ、そして一番学んだBiostatistics(生物統計学)の課題。今、スパークリングワインを飲みながら、このブログを書いています。

 先週まで、プレゼンテーションやテストに追われ、かつ、息子や娘の塾対応も重なり、てんやわんやでした。自分の勉強に追われ、子どもの勉強への目配りがおろそかになってしまったことを思い知ったこの1カ月でした。一昨日23日は、Health Behavioral Science(健康行動学)という課目のリポートを提出。昨日24日午前は夫と一緒に子どもたちへのクリスマスプレゼントを買いに行き、午後はスーパーへ。夫がクリスマスディナーにチキンとポテト料理を作り、私は子どもたちが大好きなアップルケーキを焼きました。夜は、子どもたちが私たちと私の母からのプレゼントを開け、大喜び。

 今日25日の朝、目覚めた子どもたちの枕元にはサンタさんからのプレゼントが届いていました。息子にはスケートボード、娘には空を眺める女の子の絵です。この女の子が娘にそっくりで、娘は「まるで、私」と目に涙を浮かべていました。「16歳になってしまったから、もうプレゼントもらえないかと思っていた」と言いながら。


 25日は息子の学校の最終日で、息子が学校に行った後、娘を真ん中にベッドに寝そべってのんびりしました。娘は「ママとダディと一緒に寝るの久しぶり」と言い、嬉しそうでした。そして、サンタさんからプレゼントが届いたことをそれは喜んでいました。

 午後は、シカゴの義父母とズームで話をしました。義父母が船便で送ってくれたプレゼントを開けて、子どもたちが喜ぶ様子を義父母に見せることができました。義父母は毎年、私にも素敵なプレゼントをくれます。本当にありがたいです。娘はバイオリンでクリスマスソングを演奏。義父母もとても喜んでくれました。


 クリスマスイベントが終わった後、夕方は家族で河川敷でのんびりとバレーボールを楽しみました。


 明日は先日ようやく決まった息子の塾での冬期講習が始まります。息子を塾に送り届けた後は、個別指導塾で数学を勉強している娘と一緒に、参考書選びをする予定です。

 本当に慌ただしいですが、夫も子どもも義父母も私の母も、皆健康でコロナに感染することなくクリスマスを過ごすことが出来ました。年末年始もこのまま何事もなく迎えられればと心から願っています。 


2020年12月22日火曜日

クリスマスツリーと紅葉

 娘と私の誕生日が終わってひと段落した11日、クリスマスツリーを飾りました。後ろの窓から見える我が家の紅葉とのコントラストが素敵だったので、写真に収めました。一昨日の日曜、ズームでシカゴ在住の義父母と話したときも、後ろに大きくて豪華なクリスマスツリーが見えました。が、その華やかなツリーとは対照的に、義母の表情は暗く、疲れが見えました。

 米国ではワクチン接種が始まり、救急病院の看護師長としてコロナ患者を受け入れる最前線で働く義弟も、1回目のワクチンを打ったと義母が教えてくれました。が、米国では感染者は増え続け、21日現在累計感染者数は約1,780万人、31万7千人が亡くなっています。義父母が住むイリノイ州は全米で4番目に多い感染者数で累計90万人、死者は1万6千人を超えています。

 「仲良くしているご夫婦が感染したの」と義母。ご夫婦ともに慎重な性格で義父母のようにほとんど外出せず、スーパーとドラッグストア、ファストフードの持ち帰りという生活に必要な最低限の外出しかしていなかったと言います。マスクも必ず着用しており、「どこで感染したか分からない」そう。奥さんの容態が悪く、「もしかしたらメールを送れるのも最後かもしれない、今までありがとう」というメールが来たと義母は落ち込んでいます。

 さらに、「家族で過ごせないクリスマスは寂しすぎる。教会にクリスマスイブの礼拝にも行けない。もう50年以上も毎年欠かさず行っていたのに」と目に涙を浮かべます。米国人の中には手洗いやマスク着用などの基本的なウイルス対策が出来ていない人も多く、また、当初対策も緩かったことから、感染が急速に拡大して、普通に真面目に暮らしている義父母のような国民が長い間辛く不便な暮らしを強いられている状態なのです。

 数週間前は、そんな義父母を励まそうと、テキサス州に住む長男、東京に住む次男の夫、シカゴに住む三男と四男がズームミーティングを企画し、彼らの嫁やガールフレンド、孫たちも加わっておしゃべりを楽しんだのでした。

 あと数日でクリスマスです。義父母は数カ月かかる船便で子供たちにクリスマスプレゼントを送ってくれ、それが先日無事到着しました。夫と私からは、インターネットで地元の店からロブスターとお肉がセットになった食材を贈りました。気持ちが沈んでいる義父母が少しでも明るい気持ちでクリスマスを迎えられるよう、ズームでまたおしゃべりをしようと計画しています。

2020年12月17日木曜日

ようやく決まった、息子の塾

  これほど大変だと思いませんでした。息子の出来がこれほど悪いとは知りませんでした。小3の息子が先日、中学受験向けの塾の「入塾テスト」にやっと合格したのでした。2つ落ちて、3つめの塾で何とか合格をもらえたいわゆる”3度目の正直”でした。

 折しも、私は大学院の期末試験の勉強や課題に追われていた時期。「自分の勉強をしている場合ではない」とは承知していたのですが、目の前の課題に時間を割いているうちに、息子の塾の情報収集は遅れ気味に。この時期に数人のママ友と会い、まず、あることに気が付きました。賢い親は、すでに子どもを塾に入れていることを。

 中学受験に向け、本格的に勉強が始まるのは3年生の3学期の2月から。この時期の3年生を塾の業界用語で”新4年生”と言います。それに向けて、10月、11月に一斉に入塾テストが行われます。相変わらずのスタートの遅さで、10月ごろから情報収集を始めた私。最初にテストの申込をしたのは、1学年十数クラスはある大手の塾です。

 隣駅にあるこの塾には息子の学校からたくさんの子どもが通っています。で、そこで受けた算数と国語のテストで、息子は合格点まであと5点というところで、不合格。愕然としました。「えっ?うちの息子、こんなに頭悪かった?」と。受験で希望の中学校に入れないことぐらいは覚悟していましたが、それに向けて準備する塾にも入れないなんて、想像もしていませんでした。学校でも勉強が遅れているとは一度も感じたことはありません。

 まず思ったのは、「公文教室に通わせた3年は何だったの?」ということ。息子は小1から通っていましたので、基礎は出来ていると思っていました。いえいえ、公文のせいにしてはいけません。小1、小2と大切な時期に、息子の横に座って毎日しっかりと基礎を教えていなかった私がいけなかったのです。でも、とっても苦手なんです。子どもの横に座って、勉強を辛抱強く教えることが、、、。だから、公文に通わせていたのです。

 気を取り直して、次にテストの申し込みをしたのが、この塾に次いで人数が多い塾です。ここでは、合格点には遠く及ばず、不合格。慌てて、娘が通い始めた個別指導塾に相談に行きました。そこで、娘の入塾時に話を聞いた担当者に事情を説明しました。その担当者は開口一番こう言いました。

「お母さま、入塾テストに向けご準備されていましたか?」

 えっ?入塾テストに向けての準備?してません、だって、息子は公文に通っていましたし、、、。

「入塾テストに向けて、こちらで勉強されているお子さんもいらっしゃいます。公文とは出題の仕方がまったく違うのです」

 その帰り、書店に寄って、ドリルを買いました。その夜、テーブルにドリルを広げて息子と勉強しました。息子がそのドリルの表紙を見て、こう言います。

「『学ぶ楽しさ』かぁ。こういうドリルの表紙には、必ず、『学ぶ楽しさ』みたいなこと書いてあるんだよね。公文の教室だってさ、『やった!100点取った!』って笑顔で万歳している子どものポスター貼ってあるし。学ぶ楽しさなんて感じない、勉強しても。『学ぶつまならさ』は感じるけど」

 これって屁理屈? もしかしたら本質を突いている? いやいや、先日読んだ東大卒の脳科学者・中野信子さんとニューヨーク州弁護士の山口真由さんが書いた「『超』勉強力」を読むと、勉強が楽しいという人がこの世に確実に存在していることは確か。あぁ、小3にして勉強嫌いな子どもを育ててしまった私の責任です。娘を育てているときもいつも”ダメ親”だと実感していましたが、息子でも”ダメ親”になってしまった、、、。

 で、また気を取り直して、3つめの塾のテストの申し込みをしました。この塾には、娘と幼稚園が一緒だった聡明な女の子が3年間通い、希望の学校に入ったことは聞いていました。ですので、何とか息子がテストで引っかかってくれますようにと願いました。

 当日、息子がテストを受けている間、保護者向けの説明会がありました。塾の指導方針の説明の後、「今日一日だけ、明日分かる結果にかかわらず入塾できます」という説明がありましたので、迷わず、その場で入塾手続きをしました。

 翌日、塾のホームページ上で、翌々日は封書で結果が届きました。何とか、一番下のクラスの基準点を満たしていました。息子のテスト結果は3教科400点満点中246点(平均点267点)、国算の2教科で300点満点中179点(平均点194点)。

息子の入塾テストの結果

 その一番下のクラスの合格点は3教科で196点と、出来の悪い息子より50点も低い。きっと、全員入れたのだろうと推測しました。成績の良い子も悪い子もとにかく引き受けようということなのでしょう。本当に助かります、こういう塾は。

 とにかく、塾に入れないことには受験に向けての準備が出来ませんので、ほっとしています。娘はとても遅れているので集団塾すら入れませんが、息子は何とか集団塾には滑り込みました。受験まであと3年。長くて険しい道のりになりそうな予感がしています。

 

 

2020年12月14日月曜日

今年もたくさん アサガオの種 

  この週末、息子と一緒にアサガオの種を採りました。夏の間、ずっと綺麗な花を咲かせてくれたアサガオの茎はあちこちに伸びて、本当にたくさんの種を付けてくれました。

鈴なりのアサガオの種

 故郷札幌では庭の冬囲いが終わり、雪もちらほら降るこの時期。東京はまだ本格的な冬になってはいないとはいえ、ずっと前から種を採らなきゃと気にかかっていました。やっと昨日時間が出来て、二人で取り掛かりました。

 息子は「茶色くなった種をこうやって割るんだよ」と教えてくれます。「茎は一番最後のところを探して、そこから外していくんだ」。学校で毎年、アサガオを植えているので、すっかり”プロ”です。

アサガオの種を採る息子の表情は真剣

 「種を全部採るのに、1時間ぐらいかかるかもね」と息子。「来年は花壇中アサガオを植えようか?」と私。種は小さなミントの缶いっぱいに採れました。


虫眼鏡で種を観察

 いい雰囲気に乾いた茎を丁寧に外して、くるくると巻いて、細い紐で縛って、リースを作りました。この作り方も息子が教えてくれました。「次は公園で松ぼっくり探しだね」と息子。松ぼっくりやどんぐりを探してきて、飾り付けをする楽しみが出来ました。

素敵に仕上がったアサガオの茎のリース

 息子が小学校1年のときに学校からもらってきたアサガオの種。それが、毎年綺麗な花を咲かせて、種を作り、翌年も同じように楽しめることをとても嬉しく思っています。そして、「子どもと過ごすこの時間が一番楽しい」と幸せを感じながら、時間を過ごせることをとてもありがたく思ったのでした。

2020年12月12日土曜日

娘が16歳に

  娘が16歳になりました。身長179㌢(健康診断で179.1㌢と判明)と体がとても大きいので、つい先日まで15歳だったとは思えませんが、年齢がようやく身長に追いついてきたという感じです。

 娘からのケーキのリクエストは、例年同様「ママのアップルパイとダディのチーズケーキ」。ですので、私たちは張り切って作りました。 

 
 

 息子からのプレゼントは、おこづかいを貯めて買った「鬼滅の刃」のコミックと、鬼滅の刃の登場人物が着ている着物の柄を描いた、手作りの飾り。そして、駄菓子屋さんで買ったお菓子。息子の姉への愛情がとても感じられたプレゼントでした。

 

 私からはルビーのネックレス(私が若いころつけていたもの)と娘が大好きなアニメ「ハイキュー!!」のコミックと本。夫からは「化石」と「隕石」。夫は地質学を学んできたので、石が大好きで、子どもたちに毎回プレゼントするのです。子どもたちもこれを一番楽しみにしています。 

 娘ももう16歳。だんだん子どもではなくなってきて寂しいですが、素直に育ってくれています。それが一番大事と感じる今日このごろです。

2020年12月11日金曜日

娘の塾選び

  息子の中学受験の塾選びに加えて、娘の塾選びをしていました。娘が「日本の大学に行きたい」と気持ちを定め、「私、塾に行きたい!」と自分から言い出したからです。娘には「勉強しなさい」とはほとんど言ったことがありませんが、高1になって、ようやく自覚が出てきたようなのです。

 最初は四谷学院という塾に行ってきました。インターネットで「大学受験 塾」という検索文字と地名を入れたら、そこが一番上に出てきたからです。四谷学院の担当者は丁寧に教えてくれました。娘はインターナショナルスクールという特殊な学習環境にあり、大学受験に向けて一律に指導するそこの塾では指導は難しいことを。

 それでも、その担当者は英語が母語の娘が「帰国子女枠」「推薦枠」などではなく、普通の入試の方法で日本の大学を狙う場合の学校選びの仕方、狙える学校などを親身になって教えてくれました。

 次に行ったのはトーマスという個別対応塾です。担当者の男性は開口一番「お嬢さん、綺麗ですね。モデルみたいですね」。その言葉を聞いたとき、「軽いな」とがっかりしました。しかし、それは導入部分だけ。さすが、新規の客の窓口役になっている人です。あっという間に「この人を信頼してもいいいかも」と思えるようになりました。

 ずっと黙っていた娘が、その担当者にこう言いました。

「私はバイオリンが弾けるし、絵も描けるけど、天才じゃないんです。私はバイオリンや絵を仕事にできるほど、才能はない。だから、今一生懸命勉強して、大学に行って、普通の仕事をするーそれしか生きていく方法はないって気が付いたんです。だから、お母さんに塾に行きたいってお願いしたんです」

 娘は涙を浮かべていました。私もじんときました。娘には音楽や絵の才能があると思い、そちらの方面で存分に力を発揮してほしいと親として出来るだけのサポートはしてきました。とりたてて才能もなく、大学に行って就職をして…という普通の人生しか選ばなかった私の考え方で娘を育てると間違ってしまうかもしれないと思い、行儀作法など以外はあえて娘には何も言いませんでした。

 バイオリニストや画家になってくれたらいいな、オーケストラのメンバーやイラストレーターなんかも良いな…と勝手に娘の将来を思い描いていましたので、少し残念でしたが、娘は自分で自分の将来について考えてくれた。娘は成長しているな、と嬉しくなりました。

 担当者は私に向かってこう言いました。

「お母さん、お嬢さんは綺麗だし、モデルのようです。さらにバイオリンも弾けるといいます。だから、将来はそのうちの何かで生きていける。でも、いま本人がやりたいと言ったことをぜひ、尊重してあげてください」

 娘の数学の習熟度をざっとテストしてみると、ずいぶん遅れているようです。さらに娘の通うインターナショナルスクールの数学の進度は日本の高校に比べて1年ほど遅れていることも判明しました。さっそく、週2回そこに通わせることにしました。

 さて、インターナショナルスクールに加えて、個別対応塾の月謝もとなると、家計がさらに大変になります。息子も習い事をいくつもしており、これから塾も加わります。でも、夫との話し合いで「一番お金をかけるべきは教育。とにかく、初めてやる気を出してくれた娘を応援しよう」ということで考えを一致させました。「でも、老後はどうしよう? 教育にお金使い過ぎて、何も残らないかもね」とも。でも、それはもう少し後に考えることにしました。

 娘に週2回塾に行っても良いと伝えました。娘は、「ママ、ごめんね。インターナショナルスクールに行ってたくさんのお金を使わせているのに、さらに塾にお金がかかって」と申し訳なさそうにしていましたが、「でも、頑張るからね!」と言ってくれました。まぁ、この気持ちがいつまで続くか分かりませんが、今はとにかくサポートしましょう。

 娘はそれから週2回、元気に塾に通っています。たまに自習をしにも行っています。2年後の大学受験までの道のりはどうなるのでしょうか? 私は情報収集をしっかりしなければ、と気を引き締めたのでした。

2020年12月3日木曜日

親子3代で、葉加瀬太郎コンサートへ

 娘の16歳の誕生日祝いに、ヴァイオリニスト葉加瀬太郎さんのコンサートに行ってきました。コロナ禍、なかなか外出が出来ない母も誘いました。私自身気持ちが晴れない日々が続いていましたので、久しぶりに素晴らしい音楽を堪能し、気持ちが明るくなりました。

 感染対策として、入場前の体温チェックと自宅住所・電話番号の記載を求められました。座席は1席ずつ開けて指定されています。マスク着用とアルコールでの手指消毒も徹底されていました。

 その一つ一つに感心しながら、会場へ。間もなくステージに現れた葉加瀬さんはあの豪快なヘアスタイルに鮮やかなブルーのスーツを着て、存在感たっぷりです。美しいヴァイオリンの音色とともに軽快なトークで会場を沸かせました。

 葉加瀬さんによると、今回のバンドメンバーの平均年齢は56.4歳。一番若い人で47歳、一番年上のギタリストは64歳だそうです。第1幕が終わり、15分の休憩の後、ステージに戻った葉加瀬さんは観客に向かってこう言いました。

「休憩時間はたいへんでしたよ。皆、ぐったり疲れて。午前中の整骨院です」

 観客は大笑いです。この冗談が通じるのは一定の年齢以上でしょうが、かしこまった雰囲気になりがちなヴァイオリン・コンサートではなくて、こういう笑いのあるステージはいいなぁと思いました。やはり、今聴きたいのは気持ちが晴れる音楽と笑えるトークなのです。

 ヴァイオリンを10年近く習っている娘によると、「葉加瀬さんの弓の使い方がすごい。音が全く途切れないの。これはとても難しいんだよ」。残念ながら、「私も一生懸命練習しよう」などという”やる気”にはつながらなかったようですが、楽しんでくれて良かった。母もとても喜んでくれました。

 母が住んでいた札幌では新型コロナウイルスの感染者が増えており、そのニュースを見るたびに「去年、思い切って母を東京に迎えて良かった」とつくづく思います。この状況ですと、母のことが心配でも、私も基礎疾患がありますので様子を見に行くことも出来なかったでしょう。

 感染を避けながらの窮屈な生活は続きますが、こうして親子3代で楽しいひとときを過ごせて良かったなと思ったのでした。

2020年11月26日木曜日

忘れ物チェック 

「ママ、忘れ物チェックお願いします!」

 朝、息子がランドセルを開いて、私に中身を見せました。普段は自分でチェックしていくのですが、昨日、連絡帳に担任の先生から私にメッセージがあったからです。

「頑張っているのですが、最近忘れ物が続いているので、お知らせさせていただきました」

 子どもたちの表現を使うと、「ヤバッ」というところでしょうか。私は子どもの勉強を継続して見てあげる、忘れ物がないか日々一緒に点検するなどという細やかなことが苦手。というより忘れてしまうので、子どもに任せてしまいこういうことがたびたび起こるのです。

「ママ、読書カードが見当たらないんだ。今日持っていかないと、先生に叱られる」

「読書カード? 昨日、持って行ったじゃない?」

「あれとは違う、お母さんと一緒に読んだ本を書く紙。こんな感じの薄い紙」と近くにあった紙を手に取り見せる息子。「うーん、見なかったなあ」と私。

 で、学校からのお便りやらテストやらプリントやらを積んでいる場所を探しました。下のほうまで丁寧に探すと、ありました。ほっとしましたが、「とりあえず」と何でも積んでしまう自分は"ダメ母"だと、また反省。

 慌てて、息子が寝る前に読み聞かせる絵本を寝室から持ってきて、タイトルと著者名を書かせました。最近読み聞かせた4冊分を書き終え、残りの1冊をどうしようかと迷ったので、まだ読み聞かせていない本を開いてみました。タイトルは「わたしが障害者じゃなくなる日」。図書館で読んでみて良い内容だったので、改めて買った本です。 


 良い機会だと思い、最初の10ページを読んで聞かせました。著者の海老原宏美さんは難病を患い車いすに乗って人工呼吸器をしていますが、一人暮らしをし、障害者の相談に乗る仕事をしています。この本の第1章「わたしは障害者なの?」は海老原さんと子どもたちとの対話で始まります。

「…この中で、障害者を見たことがある人はいますか?」

「はーい!」

中略

「…じゃあ、わたしはどうですか? 海老原宏美が障害者だと思う人は?」

(パラパラと手が上がる)

「…では、わたしが障害者じゃないと思う人は?」

(さっきより多く手が上がる)

「なぜ、障碍者じゃないと思うのかな?」

「そうだんにのったりしているほうだから」

「目も見えるし、耳も聞こえるし、しゃべれるから」

 読み進めると、海老原さんは車いすに乗っている人は段差があると前に進めないこと、段差をなくすためのスロープが必要なことなど、分かりやすい言葉で説明しています。

 息子が言いました。「スロープ見たことあるよ。お店の前の玄関に入る横とかについているよね。でも、ないところもある」

「よく気付いたね。海老原さんはね、車いすの人が階段しかない建物に入れないのは、車いすに乗っている人のせいだという考え方は古くて、階段しかない建物のせいだというのが新しい考え方だと言っているよ」

「そうだよね。スロープがあれば、建物の中に入れるんだものね」

 さわりの10ページを読んだだけでしたが、息子は読書カードにある本の評価欄に5冊の中で一番多い5つ星をつけました。3つある☆の横に☆2つを足した高得点です。

 息子の忘れ物というきっかけがなければ、積んだ本の中にまぎれて、読んであげることがなかったかもしれません。このような何気ないきっかけが思わぬ良い展開になることがあるのだと実感した朝でした。

2020年11月14日土曜日

姉と弟 ショートメールでの会話

 娘がお友達の誕生日プレゼントを買いに、モールに一人で買い物に行きました。娘が出掛けた後、息子が私に聞きました。

「おねぇねぇ、どこに行ったの?」

「モールに、ゆみちゃんの誕生日プレゼント買いに行ったの」

「僕、下敷きをおねぇねぇに貸してあげたら、返してもらえないんだけど。新しい下敷き買ってもらってもいい?」

「いいけど、返してもらったら?」

「おねぇねぇにそんなこと言えない」

「あら、そう。仕方ないね。買ってあげる。ちょうどおねぇねぇ文房具も買いに行くみたいだから、ショートメールで頼んだら?」

「オッケー」

 息子はさっそく、私の携帯から娘にショートメールを送りました。返ってきたメールを読み、息子は真顔で言います。「おねぇねぇって、本当に面白い…」

 息子が見せてくれた画面を見て、私は思わず吹き出しました。まるで、あの「おかんメール」(母親からの面白いメールを集めた本)です。 


 インターナショナルスクール10年生(高1)の娘と、公立小3年生の息子の会話は全くかみ合っていません。娘はきっと、下敷の「敷」が読めなかったんですね。

 我が家では、独特の個性がある娘はインターで英語による教育を受けさせ、普通の日本人の感覚を持つ息子は日本の学校で高校まで学ばせる予定です。二人の会話は6、7割は日本語。時にこのようなトンチンカンなやり取りになります。でも、息子は気にする様子もなく、この画面のやり取りの後、娘に「下敷をなくした」と伝えています。

 娘からは即、「私のバッグに入っているよ。間違えて学校に持ってっちゃったの」と返ってきました。これで、一件落着。息子は貸した下敷を返してもらえることになったようです。

 子どもたちは学校や習い事で忙しく、私も慌ただしい日々を送っています。子どもたちのこういう何気ない会話、癒されるなぁと思ったのでした。 

2020年11月5日木曜日

駄菓子屋さんに行くときは…

 「うちに遊びに来てくるとき、いつも駄菓子屋さんで買ったジュースを2本買ってきてくれるの。お小遣いで買ってくれるのかな?」

 ママ友からそんなラインが来ました。息子がお友達の家に遊びに行くときはお菓子を持たせるのですが、ジュースも持っていっているんだと買い物する息子の姿を想像して楽しい気分になりました。

 我が家では子どもたちにお小遣いはあげていません。家の仕事を手伝ったら、お金をもらえることになっています。娘は夕食の食器洗いで毎日100円、それを10日行って1000円もらえます。

 息子はお皿洗いがまだ上手ではないので、もっぱら”重労働“”の外の仕事。庭の落ち葉拾いは300円。玄関前と駐車エリアのタイル洗いはブラシを使うので力も使うし範囲も広いので500円。

 息子がお小遣いを使うのは、駄菓子屋さんだけです。ママ友からラインがあったその日の夕方、ジュースを買って行ってお金がなくなったらしく、「ママ、明日は習い事がない日だから仕事したい」と言ってきました。「じゃあ、タイル洗いと落ち葉拾いしてもらおうかな」と私。さらに、家の周りの雑草取り200円の仕事もあげました。

 翌日、息子は帰宅後さっそく作業に取り掛かりました。拾った庭の落ち葉と取った雑草は45㍑のゴミ袋2袋分。タイル洗いにも集中して取り組みました。息子はとにかく仕事が早い。1時間ぐらいでベランダの窓の外から、「ママ、終わったよ。チェックお願いします!」。

息子が拾った落ち葉や取った雑草

誰もやらない雑草取り。でもおこづかいのためなら…

 なかなか、綺麗だぞ。でも「そこの雑草、まだ取れていないよ」と厳しく指摘する私。実は家の周りの雑草取りは私も夫も、そして娘もやりたくない仕事なのです。それを息子は難なくこなしました。おこづかいをもらえるなら、これくらい何の!という感じでしょうか。

 チェックを終え、「お疲れ様。ありがとう」と500円玉2個を渡しました。息子はひと仕事終えたというすがすがしい表情をして、500円玉2つをつかんで「駄菓子屋さんに行ってくる」と張り切って出て行きました。

 息子は気前が良いので、自分が駄菓子屋さんに行くときはいつも私に1個11円のキャラメル2個、夫には同様に1個11円のガムを2個ずつ買ってきてくれます。大好きなおねえねえには奮発して、43円のポテトチップスです。

 駄菓子屋さんに行くというとき、「ママが買ってあげる」と言うのですが、「いや、自分のお金で買う」と言ってききません。今回もせっかく汗を流して得た1000円を使わせるのは忍びない気持ちがして、「今日は頑張ったから、100円あげる」と言いましたが、「いらない」と断ってきました。

「自分で働いたお金で駄菓子屋さんで買い物したほうが楽しいし、お菓子も美味しんだ」

 そうか、そうなんだね。私は財布から出そうとした100円玉をまた戻しました。息子はいつものように、家族全員にお土産を買ってきてくれました。今日もありがたくご馳走になりましょう。 

2020年11月1日日曜日

ポシブルな道

 地元の公立小学校に通う3年生の息子が11月1日、初めて進学塾入塾に向けての「テスト」を受けます。娘はインターナショナルスクールに通っていますが、息子は高校まで日本の学校に行かせる予定です。東京では中学受験に向けて塾に入るのは3年生の3学期なのだそうで、さっそくテストを受けさせることにしたのです。

 東京にはたくさんの中高一貫校がありますので、地方出身の私はそもそもどんな学校があるのか、それらのレベルはどうなのかも分かりません。でも、これから決めて目標を作らなければなりません。昨日、朝食を取っているときに息子に聞いてみました。

「どんな中学校がいいのだろうね。スポーツが盛んな学校が良いね」

「わかんない」

「一緒に学校見学に行く?」 息子と中学校見学をする楽しい時間を想像しました。

「ママ、受験まであと3年あるんでしょ。そういうのを決めるのって5年生になってからでよいと思うよ」

 小3なのに大人びた言葉使いをする息子。でも、なるほどなと思います。息子は妙に現実的で、普通の子のように「将来はサッカーの選手になりたい」「お医者さんになりたい」などと決して言いません。何を聞いても答えが「お医者さんは血を見るから嫌」「サッカーは好きだけど、ボールを取りに行くと押されたり、邪魔されたりするから嫌」と否定的なので、アドバイスをしたこともあります。

「もう少し、将来に対してポジティブ(肯定的)な言葉使ったらどう?」

「僕はポジティブでいるより、ポシブル(可能)な仕事を目指したい」

 一瞬、息子の言葉のセンスに感心しました。が、待てよ…。3年生からこんなに現実的で良いのでしょうか。将来はこんな風になりたいと夢見るより、現実的に可能な道を目指すなんて…。

 でも、これも子どもの個性なのでしょうね。少し寂しい気もしますが、ポシブルな道を行く息子を見守っていくことにしましょう。

「ポシブルな道」を歩む息子。ランドセルがいつの間に小さく…

まずは今日の入塾テスト、しっかりとついていきます。

2020年10月27日火曜日

日経新聞コラム最終回掲載

 日経新聞に掲載されたコラムの最終回が10月19日に掲載されました。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO65083490W0A011C2945M00/

 新聞に記事を書いたのは、16年ぶりです。「ここに来るまで、長い道のりだったなぁ」と感慨深い思いに浸っています。

 私がやりがいを感じていた新聞記者の仕事を辞めたのは2004年、39歳のときです。がん治療後の妊娠、双子、高齢出産という3つの要素が重なったため、苦渋の決断をしました。

 がん治療後でなければ双子をその年齢で授かっても会社を辞めなかったと思いますし、がん治療後だったとしても単胎児だったら辞めなかったと思います。

 後に一人を死産し、会社を辞めた決断は間違っていたのではと後悔しました。会社を辞めなければ巡り合わせが違って死産となった男の子は生きていたかもしれないーと考えたからです。さらに、退社後は「出産後にフリーの医療ジャーナリストとして仕事を続けたい」という思いから医療関係者やジャーナリストらが参加する医療問題研究会に週1回参加していました。仕事を続けたいという気持ちが死産につながったのだーと自分を責め続けてきました。

 私が今回原稿依頼をいただいたのは、その医療問題研究会に参加していた日経新聞の記者でした。そこに参加したことを後にどれほど後悔したか分からない場所。でも、その場所から実は現在まで細い糸がつながっていて、私の闘病体験を世の中に伝える場になりました。記事を読んだという読者から「病を患っていますが、何のこれしきと思えました」など書かれたハガキやメールをいただきました。それらを読んで、やっと私はどなたかの役に立っているのだ、と実感できました。

 当時の私の決断や行動が死産の原因ではなかったと思えるようにまではなりませんが、少なくとも、私は人生に「YES」と言ってもらえているような気がします。

 本当の意味での再スタートの地点にようやく着けました。今の自分に何ができるか、を考え続けていきたいです。

 

2020年10月24日土曜日

ランチは娘の手料理で

高1の娘が昼ご飯を作ってくれました。中間試験が終わった後、1週間の休みに入った娘はお友達と映画を見に行ったほかは家にいて、時間を持て余しています。私はまさに今中間試験中。「ご飯作って!」と頼むと機嫌良く、「いいよ!」と言ってくれました。

娘が作ってくれたのは、トリの挽肉で作ったミートソースパスタ。みじん切りしたニンニクと玉ねぎを炒めてから挽肉を入れてさらに炒め、缶入りトマトを加えて、固形スープと塩コショウ、トマトペーストで味付けし、イタリアンパセリを加えたもの。出来上がったソースを見てみると、挽肉がきちんとばらけていて、美味しそうです。

「力を込めて作ったの」と自慢げな娘。

「心じゃなくて、力なの?」

「心ももちろん込めたんだけど、力は使った。腕の筋肉が痛いもの。挽肉が細かくばらけるまでヘラで何度もつぶしたから」

そうなんです。挽肉は適当に炒めると固まりやすい。アートが好きな娘は、料理の見た目の美しさも大切にしていて、娘が作ってくれるお菓子や料理は出来が綺麗なのです。

娘が作ってくれたランチ

デザートに、水ようかんを食べやすい大きさにカットして付けてくれています。黒文字を添えているところが、細部までこだわる娘らしい。

この日は、ズーム会議の予定が詰まっていた夫が会社に行って仕事をしてくれたので(終日会議だと、夫の声がうるさくて私は勉強に集中できないのです)、娘と二人でした。久しぶりの娘とのランチ。美味しく、楽しくいただきました。


2020年10月22日木曜日

一石二鳥 娘の部屋の片付け

 15歳の娘は片付けが苦手です。物を捨てられない母親に育てられてしまったからです。こんな母親に育てられて申し訳ないと思うので、時折「一緒に片付けよう!」と声を掛けます。これまでは娘はいつでも「うん!」と笑顔で答えてくれて、一緒に片付けました。でも、最近は断わるようになってきました。「私は、片付いていない状態が良いの」と。

 先日も同じようなやり取りをして、片付いていない状態が居心地良くなる子に育ててしまった、と私は母親としての不甲斐なさに落ち込みました。さらに、娘に拒絶されたようで、目からは涙がこぼれてきます。そんな私を見て、娘は「本当にママったら・・・」とため息をつき、「ちょっとだけだよ」と言いながら一緒に片付けをしてくれました。

 そんなとき、息子が「僕も手伝う!」と入ってきました。息子にとって娘の部屋は宝の宝庫。娘がその存在すら忘れている、楽しいおもちゃや小物がたくさんあるからです。で、息子が見つけたのはクローゼットの天袋に積んであった「JENGA」。高く積み重ねられた木製のブロックです。

 さっそく、おねえねえに貸してもらいました。こんなに物が溢れているのに娘は弟に「あげる」のではなくて、「貸してあげる」のですね。親の私は「もう使わないんだから、弟にあげれば良いのに」と思うのですが、息子の方もあくまでも「おねえねえに貸してもらい、大事に使わせてもらう」という低姿勢な態度を崩さない。自分の立場をわきまえているんですね。一人っ子の私は、こういう不思議な姉弟関係というか、主従関係をいつも面白がって見ています。

 翌日から連日、息子とJENGAで遊んでいます。JENGAは、ブロックを順番に1本ずつ抜き取って上に積み重ね、倒れたら負けという遊びです。朝、起きたら息子と一緒に遊び、学校から帰宅後も一緒に。

 「ここだけ、台風が通った?」という状態だった娘の部屋が「積み重ねられた物の山がいくつかある」状態にまで改善し、息子と楽しく遊べるおもちゃも見つけられた。娘の部屋の片付けの手伝いは、一石二鳥だったのでした。

2020年10月21日水曜日

日経新聞コラム3回目掲載 読者からのハガキ②

 日経新聞に書かせていただいたコラムの3回目が10月5日に掲載されました。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO64580910S0A001C2945M00/

 拙著を読んでくださった東京都内の30代の医師から、ハガキが届きました。

「長い闘病生活、本当にお疲れ様でした。どんな状況でも諦めずに、妊娠・出産し、子を育てるという村上さんの強い意志は多くの女性に強い希望を与えるものと感じました。まだまだ、保守的な意見の多い分野ではありますが、期待する女性に選択肢をあげられる医療体制が早く整ってくれることを祈っています」

 この方は乳がん患者を専門にみる医師です。がんになった若い患者が子どもを持つことを諦めなければならない現状に心を痛めていて、医師として何とか変えていこうとしていらっしゃいます。

 国立がん研究センターの集計によると、若年成人(Adolescent and Young Adult, AYA世代)のがん患者は2016年と2017年の2年間で全国で約5万9千人。若くしてがんになった方々が、当たり前に仕事を続け、子どもを持てる社会になることを切に願っています。




 

2020年10月12日月曜日

ベンチウォーマー

  身長180㌢の娘がハマっているのは、バレーボールです。娘が小さいころに習わせたバレエは結局、好きにならないままやめてしまいましたが、バレーは自分で「やろう」と決め、クラブに入ったのが良かったようです。週3回の放課後練習と土曜日の友人との”自主練”に励んでいます。

 先日、他校との試合がありました。ユニフォームをリュックサックに詰め、出かける娘を最寄り駅まで送りました。 

娘のユニフォーム。これを着た娘は結構格好良い

「私、ベンチウォーマーなの」と笑う娘。Bench Warmer とは、ベンチを温める人という意味。つまり、補欠です。でも、そう報告する娘はとても嬉しそうです。

「あら、残念ね」

「ううん、始めたばかりだから当然」

 と、全く気にしていません。ネガティブな感情が少ないところが、娘の良いところです。

 帰宅後、試合に出た親友レイちゃんの活躍ぶりを自分のことのように誇らしげに報告してくれました。

「ママ、今日バナナを2本持っていったの。レイがずっと試合に出ていて、何も食べ物を持ってきてなかったから、1本あげたんだよ。美味しそうに食べてた」

 そして、ユーチューブにアップされた試合の様子を楽しそうに私に見せてくれました。こういう娘の素朴なところが私は大好きなのです。動画を見せてもらいながら、「練習を重ねて、いつか娘も試合に出られますように」と願ったのでした。

2020年10月11日日曜日

息子の笑顔と、カフェでのひととき

  先日、地元小学校に通う息子がバスに乗って「社会科見学」に行きました。準備から当日の見送りまで、しっかり付き合いました。息子の成長を感じるとともに、まだ幼さも残してくれていて、親も楽しませてもらったイベントでした。

 「ママ、エチケット袋必要なんだけど、買ってくれる?」 まず、2週間ほど前に息子に聞かれたのが、酔ったときに使う袋のことです。「ママ、僕バスに酔うかな」。「酔わないよ。おねぇねぇはよく吐いたけど」。「そうだよね。僕、具合が悪くなった記憶がないもん。でも、エチケット袋が持ち物リストに入っているんだ」

 息子によると、先生から説明を受けた「エチケット袋」は、吐いたものが袋の中で固まって匂いもしない作りなのだそうです。私は、飛行機の座席のポケットに入っている袋を想像していましたが、もっと進化しているようです。

 息子と一緒に地元のドラッグストアに行きました。息子が店員さんに聞きます。「エチケット袋ありますか?」「エチケット袋?」「はい、車で酔ったときに吐いたものを入れる袋です」「あぁ、ちょっと待ってくださいね」

 店員さんはしばし店内を探してくれましたが、申し訳なさそうな顔で戻ってきました。「すみません、以前は置いていたのですが、今はないようです」

 他のドラッグストアへ。そこには置いてありました。店員さんが「これ、すごくいいんですよ!」と力説しながら、手渡してくれました。

 3日前になると、息子は自分の部屋からリュックサックを持ってきて、リストを見ながらお弁当など当日入れるもの以外のものを詰めました。レジャーシートはどれを持っていくか、など話し合いながら「お弁当のおかず、何がいい?」と聞くと、息子は間髪を入れず「粉チキン」と答えました。子どもたちは私が味付けする「トリ肉のから揚げ」より、日清の「から揚げ粉」をまぶしたものを好みます。それを「粉チキン」と呼んでいます。ちょっぴり残念ですが、まぁ、そんなものでしょう。

 そして、当日。「粉チキン」を心を込めて揚げて、お弁当箱に詰めました。このお弁当箱は息子が幼稚園のときに毎日持っていった「オラフ」のお弁当箱。これを機会に「新しいお弁当箱を買ってあげる」と言いましたが、「お弁当はたまにしか持っていかないから、もったいないよ。オラフで大丈夫」と言います。息子とお弁当箱を選びに行く楽しいひとときを想像していましたが、「あら、そう」と受け止めました。まぁ、こんなものでしょう。

 荷物の点検を終えてリュックサックを背負った息子を、いつものように玄関前の通りで姿が見えなくなるまで見送りました。

 で、考えました。「息子の社会科見学は、一生のうちで今日しかないんだ。嫌がられてもいい。見送ろう」。自宅に戻って、マスクをして、学校に向かいました。まだ、登校時間中なので、生徒たちが次々と校舎に入っていきます。私は校門前で目立たないように立っていましたが、先生たちが次々と私に会釈してくれます。子どもの心配をしている母親というオーラが出ていたのでしょうか。

 校門の前では、一年生の黄色の帽子を被った男の子が「ママ~」と泣いています。校長先生が子どもを抱いて、説得しています。お母さんが何か子どもに言い聞かせながら、きびすを返して校門から離れていきます。「いいなぁ。こんなに求められて」と羨ましく思いながらも、「お母さん、大丈夫ですよ。もう少ししたら、ちゃんと登校できますから」と声を掛けたい気持ちになりました。

 そこで待つこと約20分。少しずつ不安になり、作業をしていた先生に「3年生の社会科見学の見送りに来ました。生徒たちが出てくるのはこの門ですか?」と聞いてみました。先生はにこやかに「ちょっと待ってください」と答え、校舎の中に入り戻ってきてこう言いました。「東門から出てくるようです」。

 慌てて、東門へ。まもなく、息子が元気よく出てきました。先頭の担任の先生が私に気付き、にっこりとほほ笑んで会釈してくれました。息子も笑顔で私に手を振ってくれました。子どもたちを見送ったのは、私と小さな子連れのお母さんの2人だけ。バス停まで歩く息子を見守りながら、「息子はまだ私に笑顔で手を振ってくれるんだ」と嬉しくなりました。生徒たちはこの日、区内の海苔博物館や羽田飛行場などを見学しに行きました。

 見送りが終わり、すぐ帰るのも何となく寂しいので、朝早くから開いている駅近くのカフェに行くことにしました。カフェには人はあまりいず、2階には誰もいませんでした。窓際のテーブルに座り、淹れ立てのコーヒーとイチジクのマフィンを味わいながら、久しぶりに朝のゆったりとした時間を過ごしました。

広々としたカフェでの朝のひとときは最高でした

 

息子に愛されている?オラフのお弁当箱

 息子の笑顔を思い出しながら過ごすカフェでのひととき。ほんわかとした幸せを感じた朝でした。

2020年10月10日土曜日

日経コラム2回目掲載 読者からのハガキ

 日経新聞のコラムの2回目が9月28日掲載されました。https://www.nikkei.com/article/DGXMZO64236200V20C20A9945M00/ 記事を読んだという読者から、ハガキが届きました。

「私は現在、54歳。これまでも特に病気もせず、家族にも、仕事にもめぐまれ暮らしています。その中でも、自分なりにこれまでの生き方を考えるときをむかえており、つまり、これからどう生きたいか考える中、日経の村上さんの記事を拝見し、本を購入しました。葛とうの内容は全く比になりませんが、どう生きたいかを求める私に与えられた本だと思い、一気に読みました。すでにあるものを大切に、愛情を持って生きたいと思いが強くなりました」

 

読者からのハガキは私にとって宝物です

 10月1日に書いたブログにたまたま、「50代半ばになると、来し方行く末をしみじみと考えることが多くなります」と書いたばかり。この方の職業は「会社役員」とありましたので、日々責任の重い仕事に取り組みながら、一方で定年を見据え、これからどう生き方をシフトしていこうか考えているのだろうと推察しました。

 私は体調が安定しないときが10年ほど続きましたが、現在は健康になり、フリーランスで記事を書く仕事をし、大学院で学んでいます。大学院は3年コースを選びましたので、再来年春に修了予定です。でも、いま娘はまだ高1、息子は小3です。来年からは、娘の大学受験と息子の中学受験に向けてのサポートをしっかりできるよう、生活時間の配分を子どもたちによりシフトしなければ、と考えています。

 若いころは仕事だけしていれば良かった。また、1つのことに全力投球すれば、成果は出ます。でも、今は家事・育児と仕事と、健康維持のための努力と親の世話など「しなければならないこと」「したいこと」はどれも大切なものばかり。一つでもおろそかにすれば、他に大きな影響が出るほどの事態になるでしょう。

 さらに、いずれは巣立つであろう子どもたちと楽しく過ごす時間を大切にし、また、今取り組まなければ間に合わない自身のための学びや、60代を充実して過ごすための準備にも時間を使いたい。

 抱えているものをバランスよくこなしていく。それしか方法がないような気がします。多くの人にとって、50代はそういう年代なのでしょう。読者からのハガキを読みながら、そんなことを考えました。

 

2020年10月1日木曜日

室蘭に行きたい

 50代半ばになると、来し方行く末をしみじみと考えることが多くなります。さらにコロナ禍、行動が長らく制限されて環境も変わり、前向きに生活し続けるのも難しくなってきています。そんな中、私が今一番思いを寄せているのは室蘭です。

 以前勤めていた新聞社の初任地で、20代後半の3年間を過ごした場所です。右も左も分からず、ただただ走り回るだけの若者を、室蘭の人たちはとてもあたたかく受け入れてくれました。

 室蘭には新日本製鉄(現・日本製鉄)の高炉があり、赴任して一番最初に上司に連れて行ってもらったのが工場でした。その後、「工場で事故」という連絡が会社に入り、取材に行きました。そのとき私が着ていたのはサーモンピンクのコート。ピンクのコートにヘルメットを被り、カメラを肩から下げたチンプンカンプンな格好の新人記者に工場の担当者は丁寧に応対してくれました。

 厳寒期、タクシーで取材現場に向かう途中、高速道路の渋滞車両が衝突事故を起こした場面に遭遇しました。「まずは写真を」とタクシーを降りた瞬間、硬く凍った氷の上で滑って転んでしまいました。高速道路のど真ん中での転倒で慌てましたが、運転手さんに助けられました。その「金星ハイヤー」の運転手さんたちには、町の情報もたくさんもらいました。

 娯楽が少ない町でしたが、文化活動は盛んでした。伝統工芸品の職人たちが町おこしのグループを立ち上げたり、高校の先生が劇団を率いて定期的に舞台を開いたり。その方たちに話を聞くのが、何より楽しかった。

 地元には室蘭民報という新聞社があります。そこに、私と同い年の優秀な女性記者がいました。なおみちゃんといいます。先輩に「なおみちゃんを見倣うように」とアドバイスされるほどの存在でした。私がいた会社の室蘭支社の記者はすべて男性。だから、なおみちゃんの存在はとてもありがたかった。

 なおみちゃんは室蘭民報を退社後、結婚して女の子をもうけました。そして、再び「タウン記者」として室蘭民報に記事を書いています。

 なおみちゃんとは今も手紙やメールで近況を報告し合っています。先日、手紙と一緒に葉書を送ってくれました。室蘭港をまたぐ、美しいつり橋「白鳥大橋」が写っている葉書です。私の机の前に飾りました。これを時折見ながら、市内にある「測量山」から白鳥大橋を眺めたいという思いを募らせています。

室蘭の友達が送ってくれた絵葉書

 「測量山」は私が住んでいた賃貸アパートの裏側にありました。仕事がうまくいかないとき、先輩記者にいじめられて辛いときは、そこまで車で登って誰も来ない中腹に車を停めて大泣きしました。その車は同僚記者から10万円で譲り受けた日産車。その小さな車の中でハンドルに頭をゴンゴンぶつけながら大声で泣き叫んだのも、週末に気分転換しに一人あちこちに行ったのも、今となっては懐かしい思い出です。

 なおみちゃんは9月1日、「がん征圧月間」に合わせて私の本のことを紙面で紹介してくれました。記事の横に「タウン記者」からのコメントを書く欄があり、そこにこう記していました。 

 「彼女とは同い年で、30年前、共に記者として取材に走り、悩み、時に恋バナもして20代を過ごした良き友人である。本を読み、涙が止まらなかった。どれだけの苦痛と悲しみに耐え抜いてきたのだろう。母の愛は強い。多くの人に読んでもらいたい」

友達が私の本について書いてくれた「室蘭民報」の紙面

 コメントを読んで、私も涙が止まらなかった。お互いに年を取り過ぎないうちに、なおみちゃんに会ってたくさんおしゃべりしようー。そう心に決めました。

2020年9月21日月曜日

日経新聞にコラムが掲載されました

 今朝、日経新聞にコラムが掲載されました。毎週月曜日、今日を含めて4回の連載です。今回のコラム執筆には、不思議なご縁がありました。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63996540X10C20A9TCC000/

 今年の春の出来事でした。大学院の医療経済学の先生が、ズームでの授業中「先日取材を受けた記事が、日経に載りました」と言います。学生がすかさず「先生、URL教えてください」と言うと、先生はチャット欄に記事のURLを添付。それを開いて読み進めると、知っている記者名が目に飛び込んできました。

 私が新聞社で働いていたころ、記者クラブで一緒だった記者です。よく取材の合間に話をしました。私はその後、退社して長らく闘病生活を送り、彼のことは記憶の彼方に。

 本当に久しぶりに名前を見て懐かしさがこみ上げました。日経新聞のデジタル版で彼の名前を検索欄に入力してみると、プロフィルと顔写真が出てきました。当時のままの彼でした。思い切って、会社に手紙を送りました。数日後、早速連絡が来て、お茶を飲むことに。そこから、コラム執筆の話が決まりました。

 このコラムに付けた顔写真の私は、天国の息子の遺骨が入っているネックレスを身に着けています。このことについては闘病記の中で触れており、彼が写真を見て気付いてくれて、ネックレスが入るように画像の大きさを調整してくれました。

 そんな気遣いをしてくれる人です。いま、日経新聞で社会保障分野の専門記者として記事を書いています。

 昔、接点のあった人とこのような形で再会することもあるのだなと感慨深い気持ちになるとともに、書く機会をもらえたことをとてもありがたく感じたのでした。

2020年9月18日金曜日

青いアサガオ

  自宅の庭で、青いアサガオが咲きました。去年咲いたのは薄紫色だけで、今年もそうなのかな?と思っていたら、見事に咲いてくれました。葉の形やつるの伸ばし方も薄紫色のとは違い、自宅の小さな庭がにぎやかになっています。

庭に咲いたアサガオは薄紫と青色

 このアサガオは小3の息子が1年生のときに学校から苗と種をもらってきて、植えたもの。そのときは薄紫色と青色の花が咲きました。その秋にたくさんの種が採れたので、小さな缶に入れて保管。昨年は息子と一緒にその缶の中から6つの種を選び、植えました。咲いたのは薄紫色だけでした

 そして、今年。同じく息子と一緒に6つ種を選んだら、なんと、青いアサガオが咲いたのです。葉が大振りでハートの形をしたそのアサガオは、つるを横にはわせて、ランタン型の照明に巻き付いています。それが、何とも言えず優雅なのです。

青いアサガオはハート型の葉をはわします

 青い花を見て思い出すのは、ノンフィクション作家・最相葉月さんの「青いバラ」。遺伝子組み換えで、それまで不可能とされてきた青いバラができるというニュースに違和感を持った最相さんが、緻密で幅広い取材を重ねて3年間かけて仕上げた作品です。

 当時、新聞記者をしていた私は最相さんのこの作品を紙面で紹介したいと考え、インタビューをしました。知的で美しい方でした。

 私は「青い花」に縁があるらしく、昨年お会いした出版社「小さい書房」の代表の女性から、その出版社の絵本「青のない国」をいただきました。青い花を育てる男性の話です。代表の女性は民放テレビの元記者で、私と経歴が似ていることから、連絡を取り会いに行きました。この方も素敵な方でした。

 その本は、小さい書房が最初に出した本で、代表の方にとっても思い入れのある本だということが、本の作りを見ても分かります。深く考えさせれる本でした。私は息子の小学校で絵本の読み聞かせをしているので、今度、高学年の子たちに読んであげたいと思っています。

「青いバラ」を書いた最相さんのインタビュー記事と小さい書房の「青のない国」

 毎朝、新聞をポストに取りに行った後、小さな庭の手入れをします。心が癒されるひとときです。息子と一緒に植えたアサガオが元気に咲いているのを見ると、「今日も一日頑張ろう!」と思えるのでした。

2020年9月10日木曜日

てるてる坊主

 「ママ、今日、ルイ君が遊びに来てくれるんだよ。一緒にプールに入るんだ」

 学校から帰るや否や、息子が興奮気味に報告してくれました。「家にプールあるんだよ。遊びに来ない?」と誘ったらしいのです。コロナ禍、お友達と遊べない期間が長く続きましたが、最近は以前のように遊べるようになってきました。

 連日、東京では天気が続きますが、時折、スコールのような雨が降ります。で、息子は「ルイ君が来る間、雨が降りませんように」とてるてる坊主を作って玄関に飾りました。そんな息子を見ながら、娘もよく楽しみなイベントがあるときはてるてる坊主を作ったっけ、と懐かしく思い出しました。 

息子が玄関に飾ったてるてる坊主
   
 息子はトレーを2つ用意してダイニングテーブルに載せ、その上にお菓子を1個ずつとお茶を入れるコップを並べました。おやつは娘と息子に「1日2個」と決めてジップロックに入れてある、小袋に入ったお菓子です。その2つを自分とルイ君で1個ずつ分けようと思いついたのでしょう。
息子がお友達のために用意したおやつ

 ルイ君が来て、2人は水着に着替えてザブン。水鉄砲を飛ばし合ったり、風船を使って遊んだり、と大はしゃぎ。見ている私も嬉しくなり、写真を撮ったり、ビデオを撮ったり。しばらくするとプールから上がって、仲良くおやつを食べて、またプールにザブン。2人を見ながら、「こういう子どもらしい時間がなるべく長く続きますように」と願いました。

 息子の同級生の中には中学受験に向けての塾に通い始めたり、夏期講習に行ったりという子もちらほら出てきました。息子もルイ君も中学校受験をする予定で、おそらく来春には塾に通うようになります。親の私も一生懸命になってしまいそうですが、子どもが子どもらしくいられるよう、気持ちに余裕を持ち続けなければと思ったのでした。

2020年9月9日水曜日

「さくら組」

  息子が通う公立小学校では、3年生から算数のクラスが3つに分かれます。息子は算数に自信がある子どもたちがいる「さくら組」。

 ときどきテストがあり、その出来により自分がどのクラスに行きたいか決めます。この決定で良いか親のサインも要ります。先生が決めるのではなく、あくまでも子ども自身に決めさせるのが、民主的ですね。息子はいつも「さくら組」を選びます。

クラス移動のときに使う「算数バッグ」。息子が幼稚園の時に買った布で手作りしました

 そんな息子に素直に「いいなぁ、私なんて一番下のクラスだった」と話すのはインターナショナルスクール10年生(日本の高1)の娘。小学校4年生まで息子と同じ公立小学校に行っていた娘は3年生のときは「ちゅうかめん」というクラスでした。算数が得意ではない子どもたちに、先生が丁寧に教えてくれるクラスです。多くの子どもが一番出来る「そば」や真ん中の「うどん」を選ぶので、「ちゅうかめん」をあえて選ぶのは少人数。ですので、先生の目が届くというメリットがありました。

 一生懸命頑張って、時折、真ん中の「うどん」に変わったことがあります。でも、うどんに留まることはできず、行ったり来たりを繰り返していました。そのたびに、私も喜んだり、心配したり。そういえば、「そば」で学んでいたお友達の何人かは有名中学校に合格しました。やはり基礎が出来ているというのは強いのですね。

 今でもクラスの名前を憶えているということは、娘だけでなく、私も一生懸命だったんだろうなと思います。息子の場合、「さくら」は覚えていますが、他の2つは分かりませんので、娘のことは息子よりもずっと心配し、気にかけていたのでしょう。

 娘は息子に「ちゃんと勉強しなくちゃ、おねぇねぇみたいになるよ」と言い、息子を叱咤激励して勉強させます。親がしっかりしない分、お姉ちゃんがその役割を担ってくれるのです。弟が自分より賢くても、すねることなく、勉強に付き合ってあげる娘は良い子だなあ、と我が子ながら思います。

「ちゅうかめん」で頑張った娘は最近、数学で90点以上の良い点を取ってくるようになりました。自分が行きたい大学の学部の受験科目に数学が入っているので、自覚が出てきたのでしょう。

 娘の外国人の友人で、日本でいう「九九」が出来ていない子がいます。その子はずいぶん苦労をしているようで、娘はしみじみと「九九って大切なんだって、Aちゃんを見て思う」と言っていました。「ちゅうかめん」のクラスで、そのときは「自分は算数が苦手なんだ」と思っていた娘は、実はそこで基礎が出来たのでしょう。長い間低迷していましたが、ここにきてぐんと成績が伸びてきました。

 要領が悪いけど真面目に取り組む娘、頭はいいけどすぐさぼる息子。一長一短で、どちらも心配で、でも、いとおしいものです。

2020年9月6日日曜日

覚えられない

「むっちゃん、明日、学校あるよ~」
金曜の夜、ママ友からラインが来ました。土曜日は久しぶりに息子の学校があったのです。

 この不定期の土曜日登校、これまで何度か忘れました。
 息子が2年生のときは、担任の先生から電話がかかってきました。うっかり忘れていたら、9時過ぎに。「お母さん、今日は学校あります」と。

 恥ずかしながら、覚えてられません。学校からスケジュール表は配布されますが、冷蔵庫の前に貼ってあっても、忘れます。一日何回も冷蔵庫を開けるのに、です。だから、子どもたちには常日頃、言い聞かせてあります。「自分の学校のスケジュールは自分で覚えておいてね」と。でも、子どもですから、忘れます。そのたびに、「私ももう少し、しっかりしないと」と自身を戒めるのですが、本当にうっかり忘れるのです。

 ここで、頼りになるのはママ友です。皆、知っています。私が忘れっぽいというか、そもそも覚えていられないことを。昨日ラインをくれたのは私より7歳若いママです。こういう友達って本当にありがたい。私が仲良くしてもらっているママ友は一番若くて、17歳下!です。皆、親切で、さりげない心遣いのできる、気持ちの良い人ばかり。こうして、至らない私を助けてくれるのです。

 さて、土曜日の朝。息子がプリントを持ってきました。
「ママ、このプリントにサインがいるんだって。この前持って帰ったけど、提出していないからって、先生がもう一回くれたの。サインしてください」

 個人情報保護の関係で、ホームページに子どもの写真を載せて良いか保護者に承諾を得るというプリント。どこかに積んですっかり、忘れていました。もう、どこに積んだかも分かりません。先生も慣れたもので、改めてくれるというところが嬉しい。

 さて、「写真を使って良いです」に丸をつけ、次は子どものクラスと親の名前を記入するところでペンが止まりました。息子に聞きました。

「今何組だっけ?」 
「ママ、もうそろそろ覚えてくれる? 2組だよ」
「そうだったよね、3年2組だよね」

 2学期になっても、息子のクラスを覚えていられないなんて・・・。このエピソードを土曜日に学校があることを教えてくれたママ友にラインすると、こんなメッセージが返ってきました。

「分かるわ~。私も2番目の息子のクラスと番号が覚えられないの。何回も聞くものだから、もう覚えてよ~って言われたわ。むっちゃん、一緒に頑張ろうね」

 彼女は、3人の息子をきちんと育てているしっかり者。でも、忘れっぽい友達にこんな優しいメッセージをくれるんです。「一緒に頑張ろう」って、なんて、さりげなくて素敵な言葉なんだろうと、気持ちが癒されました。

 息子は3年2組に在籍しています。今日、こうしてブログに書くことでしっかり覚えました…と思います。

2020年9月5日土曜日

猛暑日続きで家庭用プール購入

 8月24日、地元公立小学校に通う息子とインターナショナルスクールに通う娘の新学期がスタートしました。娘は半年ぶりの学校です。子どもたちが元気に学校に通う普通の暮らしが戻ってきて、ほっとしています。

 夫は引き続き在宅勤務。週1回だけ会社に行きますが、それ以外は寝室でパソコンに向かっています。夫の同い年の同僚が先月大病で緊急入院したため、「そろそろ、真剣に健康に気をつけなければ」と考えたらしく、ジョギングを始めました。あっという間に体重が落ち、6キロ減に。毎日約1時間半ほど走っており、帰宅すると帽子まで汗だくです。それを私が洗濯するのですが、洗濯機で多めの洗剤を入れて洗うぐらいでは汗臭さが取れない。ですので、最近は洗濯機で2度洗った後に、天日干ししています。

 東京は9月に入っても猛暑日が続いています。ご時世、毎夏行っていた公営プールにも行けないため、大きめな家庭用プールを買いました。横2.2㍍縦1.5㍍深さ60㌢で、我が家のデッキに収まるサイズでしたので、思い切りました。実は子どもが3人いるお隣さんのプールを見て、「これはいい!」と真似をしたのでした。

 息子は大喜びで、学校から帰るや否や飛び込んでいます。ジョギングから帰り、汗だくの夫もザブン。年頃の娘は最初あまり興味を示しませんでしたが、それでも、息子と一緒に入っています。私は息子と連日、水鉄砲遊びです。

 コロナ禍、以前とは暮らしも遊び方も変わりましたが、ちょっとした工夫で楽しくなるんですね。ヒントをくれたお隣さんに感謝。

2020年8月18日火曜日

軽井沢の山荘から~

  母と食事に出かけた翌日の14日、軽井沢に来ました。新幹線を降り改札口に向かうと、息子が手を振ってくれています。小走りで駆け寄り、思いっきりハグしました。1週間、山荘に滞在した娘のお友達レイちゃんも一緒。私と入れ違いで東京に戻ります。皆で駅近くの古くて感じの良いレストランで昼食を取り、レイちゃんを見送りました。

 私が東京で原稿書きをしている間、子どもたちの世話をしてくれた夫は少々疲れ気味。これからは私が家事を引き受ける番です。夫は連日バーベキューをしてくれ、子どもたちは普段東京では食べられない豪快な食事を満喫したよう。でも、嬉しいことに「ママのご飯が食べたい」と言ってくれたので、早速夜は子どもたちがリクエストしてくれた餃子と納豆巻きと豆腐のお味噌汁を作りました。

 その日から掃除に明け暮れています。夫は家の掃除どころではなかったらしく、家中に物が散乱し、ほこりや汚れが溜まっていました。家を開けて1週間も経つのにカビ臭く、湿気がこもっています。まずは家中掃除機をかけ、水回りを綺麗にし、フロアリングの床や畳を水ぶき。一日中除湿機をかけっぱなしにし、居間や寝室、バスルームなど順番に置きます。5,6時間で満水になり、その水をジャーッとシンクに流すときの気分の良いことと言ったら。

 昼は布団を干し、寝具や衣類など山荘に置いてあるものを順番に洗っていきます。本当はお日様の下に干したいのですが、湿気があるのですっきり乾きません。で、乾燥機をフル稼働させます。全自動洗濯乾燥機ではとても間に合いませんので、我が家は洗濯機の他に乾燥機も設置しています。”避暑地”というぐらいですから暑さは避けられるのですが、湿気とともに生活しなければならないのです。家中に置いてある除湿剤も交換しました。

 このように、家の維持は大変ですが、喧噪を離れた山荘での休日は何にも代えがたいほど楽しい。朝、鳥や虫の鳴き声で目を覚まし、デッキで食事をし、本を読みます。子どもたちは虫取りに行ったり、外でバトミントンを楽しんだり。夕方涼しくなってから散歩し、夜は空の星をながめながら、花火をします。

 今回、お隣の加藤さんも来ていました。私たちがこの家を譲り受けたご夫婦と長年交流のあったご夫婦です。昨年は一年間お見かけしなかったので、体調を崩されたのかと心配していましたが、ご夫婦ともに元気でほっとしました。私と同世代の娘さんも一緒に来ていて、連日布団をデッキに干していました。きっと、家の手入れが大変なので手伝いに来ていたのですね。

 独り暮らしをこよなく愛する(ように見える)、通りの角に住む合田さんも訪れていて、家の外回りのリフォームに余念がありません。数年かけて取り組んでいる歩道やデッキも出来上がりつつあるようです。

 例年と変わらない軽井沢の夏。のんびりとゆったりと、時間は流れています。

軽井沢の山荘のデッキ



2020年8月14日金曜日

お盆は母と二人で

 盆の入りの8月13日は、母と過ごしました。昨年の夏の終わりに東京に引っ越してきた母にとって、東京で迎える初めてのお盆です。

 毎年、父の遺骨を納めてあるお寺にお参りに行っていたのですが、今年は出来ません。お盆にはご先祖様が帰ってくると言います。父は迷わず、こちらに来てくれるかな。札幌の自宅に間違って戻り、「あれっ、今年は誰もいないな?」と寂しがっていないかな、と心配になりました。父に「今年は東京で待ってるよ」と伝えるため、母の寝室にある仏壇のりんをいつもより大きく鳴らしました。

 「お昼ご飯、お寿司とる? それとも出掛ける?」と聞くと、母は「ずっと出掛けていないから、たまに外で食べたい」と言います。新型コロナウイルス感染を防ぐため、スーパーや病院に行く以外はずっと家にいた母。たまに外食をしたい気分になったようです。

 隣駅の商店街にある、老舗のお蕎麦屋さんに行くことにしました。おしゃれなノースリーブのワンピースに着替えた母は、「そうそう、帽子をかぶろう。これ、あちこちで褒められるんだよ」と言い、クローゼットから見覚えのある麦わら帽子を取り出してきました。

「お母さん、これ、あの麦わら帽子だね。旅行に行く前に買った帽子。行けなくて残念だったけど」と私。

 3年前、夫と私は母の傘寿のお祝いにオーストリア・ハンガリー旅行を計画していました。が、直前に母が体調を崩して、キャンセルになったのです。(参照:「母の麦わら帽子」http://ar50-mom.blogspot.com/2017/09/blog-post.html

 その麦わら帽子を被った母と商店街を歩きました。他愛のないおしゃべりをしながら、お蕎麦屋さんで「天ぷら蕎麦」を、おしゃれなケーキ屋さんで「桃のタルト」を食べました。

 「ほら、見てごらん。みんなこの桃のタルト食べてるよ。一番美味しそうだったからね」と母は周りを見渡しながら、嬉しそうです。カントリー調の店内は明るく、ゆったりとしたつくりです。そして、そのタルトの美味しかったこと。

 私にとって切ない思い出をまとっていた母の麦わら帽子。でも、昨日の外出で、母と、美味しいお蕎麦と桃のタルトを食べて、おしゃべりを楽しんだ暑い夏の日をの思い起こさせるものになりそうです。

お気に入りの麦わら帽子を被って歩く母

 サングラスの飾りがついた麦わら帽子は、母によく似合っていました。

 

 

2020年8月12日水曜日

娘が友達と見た景色

 「ママ、景色がとってもきれいなの」ー。軽井沢にいる娘からそんな電話がありました。ビデオ通話の背景には青い空。すがすがしい景色が広がっていました。子どもたちと娘の友人レイちゃんは、夫と一緒に浅間山に山登りに行ったようです。

 娘は15歳(日本の高1)で、この秋からインターナショナルスクールの10年生になります。インターと聞くと派手めな女子を思い浮かべるかもしれませんが、娘はとても素朴な子です。仲良しのレイちゃんも素直で素朴な子で、娘とよく似ています。

 そういえば、、、。山登りを楽しむ娘とレイちゃんを見て、3年前のことを思い出しました。中1だった娘はレイちゃんと一緒に学校の屋根に上って、先生に怒られたのです。あのとき、娘は目を輝かせて「世界中が見えた」と感想を語ってくれました(参照:http://ar50-mom.blogspot.com/2017/06/blog-post_18.html)。子どもにとって、学校の屋根から見える風景は「広い世界」に見えたのでしょう 今回の景色はあのときよりずっと広く見えたに違いありません。山の上から見た風景の写真が、娘からメールで送られてきました。

娘が送ってくれた、山の上から見た風景の写真

 友達と屋根に上って、そこから見える風景を楽しんだ娘は成長して、その友達と一緒に山登りをして景色を楽しんでる。そんな娘を微笑ましく思います。

 翌日、夫から写真が送られてきました。青空の下散歩をするレイちゃんと娘の写真です。

軽井沢の野原を散歩する娘とお友達

 仲良しの2人ののんびりとした時間が、これからも続けば良いなと願っています。