2020年10月1日木曜日

室蘭に行きたい

 50代半ばになると、来し方行く末をしみじみと考えることが多くなります。さらにコロナ禍、行動が長らく制限されて環境も変わり、前向きに生活し続けるのも難しくなってきています。そんな中、私が今一番思いを寄せているのは室蘭です。

 以前勤めていた新聞社の初任地で、20代後半の3年間を過ごした場所です。右も左も分からず、ただただ走り回るだけの若者を、室蘭の人たちはとてもあたたかく受け入れてくれました。

 室蘭には新日本製鉄(現・日本製鉄)の高炉があり、赴任して一番最初に上司に連れて行ってもらったのが工場でした。その後、「工場で事故」という連絡が会社に入り、取材に行きました。そのとき私が着ていたのはサーモンピンクのコート。ピンクのコートにヘルメットを被り、カメラを肩から下げたチンプンカンプンな格好の新人記者に工場の担当者は丁寧に応対してくれました。

 厳寒期、タクシーで取材現場に向かう途中、高速道路の渋滞車両が衝突事故を起こした場面に遭遇しました。「まずは写真を」とタクシーを降りた瞬間、硬く凍った氷の上で滑って転んでしまいました。高速道路のど真ん中での転倒で慌てましたが、運転手さんに助けられました。その「金星ハイヤー」の運転手さんたちには、町の情報もたくさんもらいました。

 娯楽が少ない町でしたが、文化活動は盛んでした。伝統工芸品の職人たちが町おこしのグループを立ち上げたり、高校の先生が劇団を率いて定期的に舞台を開いたり。その方たちに話を聞くのが、何より楽しかった。

 地元には室蘭民報という新聞社があります。そこに、私と同い年の優秀な女性記者がいました。なおみちゃんといいます。先輩に「なおみちゃんを見倣うように」とアドバイスされるほどの存在でした。私がいた会社の室蘭支社の記者はすべて男性。だから、なおみちゃんの存在はとてもありがたかった。

 なおみちゃんは室蘭民報を退社後、結婚して女の子をもうけました。そして、再び「タウン記者」として室蘭民報に記事を書いています。

 なおみちゃんとは今も手紙やメールで近況を報告し合っています。先日、手紙と一緒に葉書を送ってくれました。室蘭港をまたぐ、美しいつり橋「白鳥大橋」が写っている葉書です。私の机の前に飾りました。これを時折見ながら、市内にある「測量山」から白鳥大橋を眺めたいという思いを募らせています。

室蘭の友達が送ってくれた絵葉書

 「測量山」は私が住んでいた賃貸アパートの裏側にありました。仕事がうまくいかないとき、先輩記者にいじめられて辛いときは、そこまで車で登って誰も来ない中腹に車を停めて大泣きしました。その車は同僚記者から10万円で譲り受けた日産車。その小さな車の中でハンドルに頭をゴンゴンぶつけながら大声で泣き叫んだのも、週末に気分転換しに一人あちこちに行ったのも、今となっては懐かしい思い出です。

 なおみちゃんは9月1日、「がん征圧月間」に合わせて私の本のことを紙面で紹介してくれました。記事の横に「タウン記者」からのコメントを書く欄があり、そこにこう記していました。 

 「彼女とは同い年で、30年前、共に記者として取材に走り、悩み、時に恋バナもして20代を過ごした良き友人である。本を読み、涙が止まらなかった。どれだけの苦痛と悲しみに耐え抜いてきたのだろう。母の愛は強い。多くの人に読んでもらいたい」

友達が私の本について書いてくれた「室蘭民報」の紙面

 コメントを読んで、私も涙が止まらなかった。お互いに年を取り過ぎないうちに、なおみちゃんに会ってたくさんおしゃべりしようー。そう心に決めました。

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