温泉に入って体も温まった午後5時50分ころ、「お食事の時間です。皆さん、お集りください」という館内アナウンスが入りました。朝から何も食べていないため、「やっと、ご飯が食べられる」と有難い思いでお食事処に行きました。
とても広い部屋にテーブルが長く3列に並び、テーブルの上に赤いお膳が整然と並んでいました。全員の椅子が入口の方に向いていましたので、皆が前を向いて、会話をせず、食事に集中するようです。
前回のブログでご説明したスリッパと同様の、何といいますか、食事をする場の温かみなどは一切排除された、初めてその光景を見る者を圧倒するような雰囲気です。各部屋から集まってきた宿泊客は皆、静かに席に着きました。
その日は宿泊客が少なかったようで、真ん中の列と後ろの列2列にお膳が準備されていました。それぞれのお膳の前には名前が書かれた札が立てられています。真ん中の列が2人客で、6組。かなり高齢の母と娘の1組を除いて、中高年のご夫婦(だと思う)でした。私は後ろの列で全員一人客、7人でした。
夫婦や親子でここに来る理由は何となく分かります。旅行で来る人、大切な家族の供養に来る人、それぞれ理由があって相談してここに来たのでしょう。でも、一人でここに来る人は供養が目的ではない場合、かなりの強者かあるいは酔狂な人に違いありません。
後ろの席に座っていたのは、一番左が中年の男性、その右におそらく40代ぐらいの女性、私、その右に若い男性、その右に中高年の男性が3人座っていました。右の若者は一人旅が好きな男性という感じで理解できたのですが、平日にここに一人でいらした中高年男性はどのような理由だったのでしょうか?
左の女性も、ここに一人で来るには私のように然るべく理由があるはずです。だって、おひとり様の旅なら、日本中たくさん素敵な場所がありますし、あちこち行ったのでたまには違った場所にというほどその女性はお年ではありませんでした。あえて、恐山に、それもお寺の宿坊に泊まるのは何らかの理由があるかもしれないーと想像しました。いや、「日本3大霊場を巡る一人旅」を自ら計画し、ブログに記事をアップしている明るい”大人女子”の可能性もあります。
そんなことを考えていると、お坊さんが前にお立ちになりました。お食事の前に、「五観の偈(ごかんのげ)」を唱えましょうというご指示でした。宿泊客が全員前を向いているのは、お坊さんがいらっしゃるからなんですね。皆が、お膳の横に置いてある紙を開いて、それを見ながら、お坊さんと一緒に唱えます。
一には功の多少を計り、彼の来所を量る。
二には己の徳行の、全欠を忖って供に応ず。
三には心を防ぎ過を離るることは、貪等を宗とす。
四には将に良薬を事とするは、形枯を療ぜんがためなり。
五には成道のためのゆえに、いま此の食を受く。
(1・このお米は大変な苦労を重ねて出来たもので、食膳に上がるまでに沢山の人の手を経て今いただけることに感謝する。2・私は今この食事をいただけるほど日夜精進努力しているかどうか反省する。3・お腹がへると過ちを犯しがちなもの。そうかといって美味しいから沢山食べたり、嫌いだから少しでやめたりはしない。4・食事をすることは薬をいただくのと同様で、やせ細ったり命が絶えたりしないためにいただくのである。5・自分自身の本分を全うし、よりよき人間として素晴らしく生き続けるために今この食事をいただきます。)
そして最後に、「いただきます」を唱和します。ようやく、食事が許されました。
食事は精進料理で、野菜の天ぷら、煮物、ゴマ豆腐、酢の物などとても美味しかったです。あまりの空腹で、胃がキリキリと痛んでいたため、ゆっくり十分噛んでいただきました。
ゆっくりと食べていたので、お坊さんが再びいらしたときはまだ食べ終えていませんでした。が、皆と一緒に「食後の偈」を唱え、「ごちそうさまでした」と唱和しました。
午後6時30分過ぎに食べ終えました。お腹も一杯でしたが、「五観の偈」を唱えた後でしたので、残すのもはばかられ、何とか全部食べ終えました。まさに、食べる修業でした。私が食べ終わる前に、片付けの方々が来てお膳を下げていましたので、やはり遅かったのでしょう。
部屋に戻りました。胃が全く働いていないことを、食べている途中から感じていました。でも、午後7時からお堂で菩提寺院代の南直哉さんの法話が行われます。ご著書を何冊も読み、感銘を受けていましたので、お目にかかる機会を逃すわけにはいきません。でも、胃の調子が悪くなってきました。
私は若いころから胃が悪く、20代で胃潰瘍で血を吐き入院治療。30代で血液がん・悪性リンパ腫を患い、それも胃から始まるがんでした。40代で2回再発した悪性リンパ腫も胃から。そして50代で胃がんを罹患し、手術をしました。長く自分の胃とつきあっていますので、たぶん消化しないだろうな、と分かっていました。大きなストレスがかかると、まずは胃からダメになっていくのです。
まもなく、吐き気をもよおしました。そして、トイレに行き、何回かに分けて、夕ご飯を全部吐きました。
6時間かけ、列車やバスを乗り継いで緊張しながらここにたどり着いたこと。朝、準備していた昼食や果物を夫に捨てられてしまい夕食まで何も胃に食べ物を入れられなかったことがずいぶん堪えたこと。恐山のお寺の宿坊は全くの非日常の世界だったこと。そして死者の霊が集まると言われる場所に一人でいるという不安。で、私の体で一番弱い胃がシャットダウンしてしまったのだと思います。
でも、吐いてしまうと胃の調子は間もなく良くなり、気持ちもすっきり。歯を磨き、水を少し飲み、身支度を整えて、南さんの本と手帳・ペンを持って、お堂に向かいました。長い長い薄暗い木の廊下を足早に歩いていくと、薄暗いお堂で南さんが高座に座り、その周りを宿泊客が車座になっているのが見えました。午後7時に間に合いました。私はその輪の一番後ろに座りました。
風が強く、静かで薄暗いお堂にガタガタという音が響きました。本当に、どこまでも”恐山”です。