天国に召されたママ友Pちゃんにさよなら出来たのは、深い悲しみの中、子どもの幼稚園時代のママたちにつながる人に「妻に最期のお別れを」と連絡をくれたご主人のお陰でした。
改めて、自分に何かあったときの連絡先などを家族に伝えておく大切さを実感しました。というのも、月曜日に開かれたがんのママたちの集いで、まさにその話題が出て、家族に何も伝えずに亡くなっていくママさんの話になったからでした。
幾人ものがんのママを見送ってきた主宰者のFさんによると、「エンディングノート」を準備しているのに、中に何も書いていない人が少なくないということでした。
エンディングノートとは自分自身の万が一のときに備えて、自分自身に関する様々な情報を書いておくノートです。書き留める内容は、医療や介護の希望、パソコンや携帯電話のパスワード、通帳やキャッシュカードの置き場、訃報の連絡をしてほしい人、葬儀に呼んでほしい人など、などです。
ノートを準備しているのに何も書いていないー。このことに、集いの参加者は深く共感しました。がんのママは3,4,50代とまだまだ若い。自分の周囲には病気を患う人は少なく、また、自分も若いことから自分には奇跡が起こると信じている。いや、信じなければ、子供のことを心配しながらの厳しい治療は乗り越えられません。だから、エンディングノートを書くという作業が、自分の死を受け入れるということ=諦めること=につながると考えるのです。
医師に余命宣告されても、ホスピスに行っても、たとえコンマ1%でも、自分には奇跡が起こると信じていたい。子どもが小さければ尚更です。エンディングノートを書くことは、そう信じることとは真逆の行為なのです。
かくいう私は30代でがんを罹患したときは子どももいなく、自分のことだけ考えれば良かったですし、心配事がなければ案外割り切れるものですので、必要事項を英語と日本語の両方で記したノートを夫に残しました。
が、その後、子どもが2人出来、病気が続いて忙しくなり、かつ自分の万が一のときの家族の心配事が多過ぎて、そのノートの更新は出来ていません。
一昨日に旅立ったPちゃんはご主人に、幼稚園ママにつながる人の連絡先を残したのでしょうか? 自身の葬儀のことについてご主人と話し合ったのでしょうか? 一つ言えることは、私たちはPちゃんの清らかで美しい顔を見て、話しかけ、思い出話をし、ご主人に亡くなるまでのPちゃんの様子を伺うことで、信じられなかったPちゃんの死を受け入れることが出来たのです。そして、Pちゃんにさようならとありがとうを言えた。
そうさせてくれたPちゃんと、ご主人にとても感謝をしています。そして、改めて、自分もエンディングノートを作り始めなければ、と思ったのでした。
0 件のコメント:
コメントを投稿