東京から下北半島にある霊場・恐山に向かう道のりは長かった。東京から新幹線で八戸に向かい、八戸から「青い森鉄道」で「野辺地」駅へ。そこで陸奥湾沿いを走るJR大湊線に乗り換え本州最北端の駅「下北」へ向かいました。
大湊線の終着駅は「大湊」なのですが、その一つ前の下北より僅かに南に位置しているため、下北が本州最北端の駅なのだそうです。その大湊線は一両のワンマンカーでした。窓から海が見えてくると、この海は北海道へつながっているんだと感慨深く、東京からずいぶん遠くに来たという気持ちになります。
地図では下北半島に向こうに「函館」の文字が見えます。札幌から南の函館に向かうときは暖かくてお洒落なまちに行くワクワク感があるのに、東京から北の下北に向かうときは賑やかな都会から逃れるような寒々とした感覚になる。自分のいる場所から南へ向かうのと北へ向かうのでは、これほど感覚が違うのだと改めて思います。東京から下北へ行くのは、札幌から北海道の最北端「稚内」に向かうような感覚でしょうか。
そんなことを考えているうちに窓の外に海が見えてきました。昨日は天候が曇り/雨だったことから海はグレー色で、朝から何も食べていないことからお腹もキリキリと痛み、気持ちは更に沈んでいきました。
一両の車両に乗っていたのは7,8人でしょうか。前方に立つのは白いセーターを着た若い女性で小さなハンドバック一つと軽装です。ドアの近くに立っているのは紺色の帽子を深々と被った30代ぐらいの男性。私の斜め前の座席の窓側にはスーツを着た中年男性が座り、横にリュックを置いています。通路を挟んで横の席にはブランド物のハンドバッグと小さなボストンバッグを横に置いた中年女性。その斜め向かいには黒いスーツを着た中年男性。私の前には40代ぐらいの女性が座っており、カバーのかかった分厚い本を横に置いています。忙しなく携帯電話を見ることもせず、ただ、じっと窓の外を眺めています。ボッボーと汽笛がなりました。
乗客は皆、一人でした。それぞれが本州最北端の駅に向かう列車に乗って、目的地へと向かっています。平日のこの時間に皆、どこに行くのだろう、と想像が膨らみます。かくいう私は、父と息子の供養を目的に、死者の霊が集まると言われている霊場・恐山に向かっています。
そうこうするうちに下北駅に着きました。列車の乗り換えもここで終わりで、無事下北駅にたどり着いたことにまず、安堵しました。乗り換え時間が短かったことから食べ物を買うことも出来ず、お腹が極度に空いていました。駅舎を出ると大きな道路を挟んで向こう側にローソンが見えました。時間がないため、そこで空腹を満たす食べ物を買うことは出来ませんが、見慣れた店があるだけで、気持ちがほっとしました。実は、下北に着くまで、不安で不安で仕方なかったのです。
駅の前にバス停があり、そこに「恐山」行きのバスが泊まっていました。目的地行きのバスがちゃんとそこにあるのは安心材料のはずなのに、この「恐山」という文字は本当に気持ちをざわつかせる字で、緊張感はさらに増します。
大湊線から一緒に降りてきた紺色の帽子の男性、スーツを着た中年男性が、このバスに乗り込みました。運転手さんがバスの外で乗客が来るのを待っていて、私にも話しかけてくれました。「今日は一日雨なんですよ。晴れていたら、〇〇山が見えるんですが」と申し訳なさそうに…。
バスに乗ったのは私を入れて全部で6人。バスが発車し、まちの中を縫うように走ると、車窓からから見えたのは、北海道でもよく見かける風景です。立派な家と古い家が混在していて、古い食堂や少しさびれた写真館、美容室、なぜか建物は立派な銀行、ずっとそこにあるような洋服屋さん、古い看板がかかった酒屋さん…が道路沿いにぽつんぽつんと建っている、見慣れた風景です。途中視界が広がり、広場が見えてきました。「野菜とりたて市」の看板がかかっていて、「あぁ、ほっとするなぁ」と思います。
「むつ郵便局」でスーツ姿の男性が降りました。そうか、大湊線に乗っていた男性は郵便局に用事があったんだ(違うかもしれませんが)とぼんやりと考えます。その後、観光バスのように女性の音声による案内が流れてきて、恐山の由来などを説明してくれます。恐山は日本三大零場の一つで、天台宗の僧侶が開いたとされているそうです。昔はそこに向かうのは大変険しい道を行かなければならなかったらしい。
「賽の河原」では、幼くして亡くなった子どもが「お母さん」「お父さん」と呼びながら、愛おしい父母を探します。でも、お父さんもお母さんもそこにはいません。そして、子どもたちは昼間、河原で小石を積んでいく。でも、夕方になると地獄から鬼が出てきて、子どもがせっかく積んだ小石を崩してしまう。何とも切ない話です。アナウンスは、子どもたちの供養のために、賽の河原では小石を出来るだけ多く、出来るだけ高く積んでください、と呼び掛けます。
そうこうしているうちに恐山に着きました。左手に海、右手に大きな駐車場とその向こうに菩提寺の門。駐車場には十数台の車が止まっていました。人がひしめき合う東京駅から満席の新幹線で八戸へ。そこから、どんどん人が少なくなる電車に2度乗り換え、小雨が降る中、たった6人(途中で1人下車)が乗る、死者の魂が集まると言われる恐山行きのバスに乗って、終点に着いたときに目の前に見えた何台もの乗用車と人。
ああ、ここにいるのは私だけではないという安堵感で、高まっていた緊張感が一気にやわらぎました。バスを降りるとき、運転手さんがニコニコと話しかけてきました。「今日はここに泊まるの?」「はい、今日はここでゆっくりします」。バスを降りて、湖を眺め、てくてく歩いて、あの世とこの世の間の「三途の川」にかかる橋を見てきました。橋を見終えて、恐山の駐車場のほうに戻ります。菩提寺の総門の横で入山料を払います。そこのおじさんが聞きます。
「入山料は700円だよ。わざわざ一人でここに来たの?」
「はい、東京から着ました」
「それは、遠くから。わしらは死んだらここに来られるから、わざわざ行かないよ。お祭りのときは行くけどね」
この地方の人は死んだら恐山に行くと信じているそうです。死は特別なものではなく、今の延長にある。死んでいく場所も、普段暮らしている土地の近く。なんか、こういうのっていいなぁと思いながら、門をくぐりました。
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