2024年9月22日日曜日

熱海温泉へ

  敬老の日、86歳の母を熱海の日帰り温泉に連れていきました。母は「いつもテレビで見ていて、行きたいなぁと思っていた。嬉しい!」と思いのほか喜んでくれ、ランチを含めて半日の滞在でしたが、夫や中1の息子も楽しんだ良い日となりました。

 母は新型コロナウイルスの感染者が国内で初めて確認された半年前の2019年夏に東京に引っ越してきました。当時81歳だった母にとって、住み慣れた土地を離れるのは大きな決断だったと思います。

 東京での暮らしに少し慣れたころにウイルスの感染が拡大し、不要不急の外出が制限されました。私は、母をこちらに呼んで正解だったと胸を撫でおろしました。息子も小学生でしたし、私の病気の一つがウイルスにより再燃する恐れがあり飛行機による移動での感染が心配だったことから、札幌への帰省は難しかったからです。

 コロナ禍が収まりつつあった2022年8月、母が東京に引っ越して3年後に札幌の家を手放しました。この間の3年間、母もいろいろと考えたと思います。が、私と一緒に日帰りで札幌に戻り、家の売却手続きをしたときはもう、札幌や自分の家への未練は一切ありませんでした。とにかく、自分がまだ元気なうちに、片付けられるものは自分の手で片付けることが出来て良かったという安堵感に満ちていました。

 その1年半後の今年3月末、再び日帰りで一緒に札幌に行きました。父の遺骨を納めていた納骨堂をお寺に返し、遺骨を東京に持ってくるためです。すべての手続きを終え、母の気がかりだったことはすべて片付け、骨壺を大きなバッグに入れて母が大好きだった「かに本家」というかに専門店で食事をしたときは、母は晴れ晴れとした表情をしていました。

 そんな母の持ち物は2DKの賃貸マンションにすっきりと収まり、母は娘家族の家から徒歩5分のその住まいを“終の棲家”として、快適に暮らしています。体のあちこちに不具合がありますが、「年だから仕方ない」と割り切っているようです。

 さて、熱海の温泉です。海と一対化したような露天風呂につかりながら、母は思い出話をたくさん聞かせてくれました。ほとんどが、お姉さん6人とあちこちを旅行した思い出です。母たちは道内だけでなく、九州や沖縄、ハワイにも足を延ばしています。熱海にも来たそうです。

 母と伯母たちは1カ月に一度、それぞれの家に集まる「姉妹会」を開いていました。7人分の料理を準備するのは大変だったと思いますが、母にとっても伯母たちにとっても月に一度集まり、それぞれが腕によりをかけて作ったお料理を食べながら夕方までおしゃべりをするのは何よりの楽しみだったと思います。その姉妹会のときに旅行代として一人5千円を積み立てたそうです。お金の管理はしっかり者のフミコ伯母の担当。旅行の計画は一番若い母の担当だったそうです。

 「皆、すごいお金持ちでも、貧しくもなくて、同じぐらいの暮らしぶりだった。当時のひと月5千円の積み立ては結構な額だったけど、皆がそれを出来て、お金が貯まったら旅行に行けて幸せだった」と母。

 ツアーに参加し、他のツアー客も一緒の夕食会で7人が揃って挨拶したときは皆に驚かれたといいます。一番上のトシコ伯母が「私が一番上です」とあいさつ。そして順番に一言ずつ挨拶し、姉妹であちこちを旅行していると話をすると、皆から大きな拍手が起こったそう。そんな話を嬉しそうに母は語ります。

 赤ちゃんのころ養女に出されたもう一人の姉が何度か参加し「私も皆と一緒に育てられたかった」と大泣きしたこと、姉たちが少しずつ記憶力が落ちてきて「指輪がない!」と大騒ぎになって敷いたばかりの布団を皆でひっくり返して探したこと、一番上の姉からだんだん歩くことが難しくなっていったこと…。そんな切ない話にもなり、「皆、死んでしまって…。思い出話をする人もいなくなってしまった」と母は涙ぐみます。「まぁ、私が一番下だからね。仕方ないんだけど」とも。

 母の話を聞きながら、人の晩年は、人生で何を成しえたか、何を所有したかではなく、どれだけ楽しかった思い出を持てたかが大切になるのだなぁと思いました。母には、今回の熱海の日帰り温泉も楽しかった思い出として折々に振り返ってほしい。改めて、母が元気なうちに、こうした思い出をこれからも作っていきたいと思ったのでした。

温泉の休憩所から見える風景




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