先週の金曜日(24日)に、がんのママ2人とランチをしました。今春、がんを患うママたちの集いの場を開くための打ち合わせ会です。それぞれが、マイコプラズマ肺炎やインフルエンザなど感染症を患ったり、年末年始で忙しかったりと日程が合わず、3カ月ぶりでした。
まずは近況報告をして、それぞれの体調についての話に。ママさんたちは、腫瘍マーカーが上がったこと、手術の後遺症が厳しく日常生活にも影響が出ていることなど、心配ごとを共有してくれました。がんを患う仲間は、部位は違えども互いの体調の話を遠慮なくでき、かつ、自分事として聞けるところが良いところです。
それぞれに家族・仕事・社会活動があり、体調管理はとても重要です。無理せずに、家事・育児、仕事や社会活動とバランスの取りながら、日々を過ごしたい。でも、それがなかなか難しいこともある…。
そんな話をしながら、ママさんの一人がとても難しい問題提起をしてくれました。問題があまりに切実なため、自分ならどうすると気軽には言えないほどの問題で、でも、自分たちもいずれは直面するかもしれないことです。
ママさんの知り合いの男性が、がんで亡くなりました。40代で奥さんと子ども二人がいます。その男性は一人っ子で、お母さんがいますが、お父さんは早くにがんで亡くなっています。
男性のお母さんにとって、その男性は残された最後の家族です。ですので、亡くなるまで病院に毎日訪れ、献身的に息子の看病をしていたそうです。でもその男性の奥さんは「家族4人の時間がほしい」とずっと嘆いていたそうです。ですが、家族4人になることはめったになく、いつも男性のお母さんがいたそうです。
その男性のお母さんの立場になってみると、夫ががんで亡くなり、40代の一人息子がたった一人の残された家族。当然、毎日、息子の側に行くでしょう。私もその立場だったら、そうします。息子はお嫁さんと孫たちの4人だけで過ごしたいかもしれないーと重々承知しながらも、自分にとってたった一人の息子の看病を一日でも欠かしたら、後々後悔するだろうと思うでしょうし、そんなこと考える間もなく、ただただ息子の側にいたいと足が病院に向くでしょう。
でも、奥さんの立場だったら、私も夫と子どもたちだけの時間がほしいーと切実に思うに違いありません。義母のいないところで、私と夫と子どもたちだけで話をしたい。夫の手をさすりながら、思い出話をしたり、聞きにくいことではあるけれど、夫に言い残したことはないか、子どもたちへ伝えたいことはないか、聞きたい。でも、やはり、義母には「私たちだけの時間がほしいんです」とは決して言えません。仕方ないと自分を納得させるでしょう。
自分がその男性の立場だったらどうでしょうか? やはり、私は母を受け入れるでしょう。親より先にこの世を去らなければならない。そして、父はすでに他界し、自分にはきょうだいもいない。「お母さん、ごめんね、先に行くことになって」と申し訳ない気持ちのまま、自分の家族の気持ちは重々承知しながら、母親を病室に受け入れるでしょう。
先日、がんの夫を見送ったママ友が、夫が旅出つ前の数カ月間を毎日家族で過ごせたことがとても良かったと語ってくれました。ママ友のご主人のご両親はご存命ですが、東京からは交通の便の良くない場所に住んでいたため、ご主人が亡くなるまで、家族だけの時間を持てたそうです。遠方に住んでいた娘さんを「お父さんと過ごせるのは今しかないから」と呼び寄せて良かった、と語っていました。まだまだ若いご主人を亡くすことはとても不幸ですが、残された時間の過ごし方という視点で考えると、とても幸せなケースなのだと改めて思いました。
子育て中の人ががんになること。そして早くしてあの世に旅立つことには、様々な課題があります。皆、それに一生懸命対峙しているー。深く考えさせられる話でした。
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