私は現在、博士課程3年目です。医学系の研究科なので、修了に必要な規定年数は4年。ですので、来年度が最終学年となり、順調にいけば博士論文を提出します。
あと2カ月で3年目も終わりますが、博士課程でのこの3年間は、辛いことが多かった。考え方を変える、視点を変える、などして「辛い」という受け止めを変えるよう努力をしてきましたが、定期的に「もう精神的に限界かもしれない」というときがあります。現在抱える問題とは別の問題が重なるときです。別の問題はそれだけを見ると対処可能に見えますが、積み重なっている頭と心の疲労にそれが加わると、頭と心がシャットダウンしそうになるのです。
その状態は、治療などでギリギリまで持ち堪えますが、それ以上の苦痛になると「もうこれ以上は無理」と病と闘う気力が一気になくなり、「もういい」と諦めてしまう感覚に似ています。
昨年12月もそうでした。「もう、限界かもしれない」と思うときがありました。気持ちが塞ぎ、どうにもできないときは、札幌の親友に電話をし話を聞いてもらいますが、そのときは私にとっての最後の砦である、親友に電話をすることが出来なかった。だから、スーツケースにとりあえずの荷物を詰め、ホテルを予約しました。
今、振り返ると荷物をまとめホテルを予約するというアクションが取れていますので、本当の意味での限界ではなかったのですが、それ以上耐えるとベッドから起き上がれなかったり普段できていることが急にできなくなるかもしれないーという危機感というか恐怖心を抱いた。だから、今いる環境から離れようと考えたのです。娘は大学生、息子は中1で自分のことは自分で出来る年齢ですので、まずは子どもについての心配はないと判断しました。
そこに至るまで、当然、本も毎日読んでいます。何らかのヒントを得るために、精神科医の本、僧侶の本、ビジネス書、小説などベッドの横に常に10冊ぐらい積み、携帯電話にはkindleのアプリを入れて、読んでいます。運動をして気分転換もしています。子どもたちと過ごし頭の中から問題を追い出します。でも、やはり、それらを終えるとまたむくむくと頭の中が抱えている問題でいっぱいになる。
突破口が見いだせず、さらに自分を何とかなだめすかして問題をやり過ごすために用いる考え方「ネガティブ・ケイパビリティ(どうにも答えの出ない、対処しようのない問題に耐える能力・イギリスの詩人ジョン・キーツがその概念を作り、イギリス人の精神科医が臨床心理の場で広めたとされる)」で耐え抜くにも限界があるーと考えてしまうと、自分自身がシャットダウンするかもしれないーという予感がするのです。
”家出”を取りやめ、精神的な危機を脱し、何とか持ち堪えようという状態までに心が落ち着いたところで、ふと、人に相談することをもう一度してみようと思い立ちました。私の問題は小さなころの家庭問題、その後の病気、出産にまつわること、そして博士課程での問題と、それぞれを独立させて受け止めるもしくは解決するべき問題が実は絡み合っていることをある時点で認識しましたので、それからは心許す人に話はしますが、意見を求めるなど相談はしないようにしています。
でも、別の視点がほしくなりました。問題を解決するための助言ではなく、その問題を別の視点で見る、別の観点で捉えたほうが良いと思いました。私は読書によりたくさんのことを学びましたが、やはり自分が選ぶ本・もしくは書評で選ばれた本・識者が勧める本では限界があるのではと思い至ったのです。
まずは、先月で退職し、海外の研究所に行った研究員に年末に相談しました。彼女は外国人なので別の視点から見てもらえると期待しました。彼女からは「研究室は狭い世界なので、大学に行ったほうが良い」と勧められました。大学は若い学生たちがたくさんいて、エネルギーを感じられる。パソコンを持って行き、論文は図書館で書くなど試したらどうか、と。そして、大学の相談所のカウンセラーと話をすることを勧められました。そこでは学業や人間関係に関する相談を受け付けるそうなのです。
先週の金曜日(1月10日)にその相談所の予約を入れました。大学に行くのは数カ月ぶりで、すがすがしい気持ちでキャンパス内を歩きました。相談所はキャンパスの奥まったところにありました。カウンセラーは40代ぐらいの経験を積んでいそうな女性。約1時間話をしました。自分はかなりメンタルが強いほうだと思いますが、過去を振り返り、思わず涙がこぼれてしまった場面もありました。これから、2週間に1度30分間、カウンセリングをしてもらうことにしました。
大学の相談所の入り口 |
問題を解決していくのは自分で、問題を解決する方法を考えるのも自分です。でも、別の視点で捉えてみたら、こんな方法もあるのだーという気付きがほしい。私は以前、がん患者専門のベテラン精神科医に8回のカウンセリングを受け、「先生には私の問題を理解していただけなかった。ですので、自分で何とか生きていきます」と啖呵を切って診察室を出たほどの面倒な人間です。
ですので、大学の相談所のカウンセラーの方との対話で、自分の問題が解決できるかどうかは分かりません。でも、話を聞いてもらうことに遠慮はいらないと思いました。友人の貴重な時間を使ってしまうこととは違います。カウンセラーの方は給料が支払われる仕事として私に向き合い、大学側も学生たちのメンタルのサポートをするために予算を配分している。私は大学に授業料を払っています。国立ですので税金も投入されている。ですので、ここは遠慮なく、話を聞いてもらうことにしました。
久しぶりの大学のキャンパスで見上げた空は青く澄んでいて、気持ちが晴れました。学食で学生たちに交じって、お昼ご飯を食べました。大盛りのご飯の上にキャベツの千切りが載り、その上に鶏の唐揚げが載り、たれとマヨネーズがたっぷりとかかっている、若者用のカロリー高めな丼ものです。ワカメとお豆腐のお味噌汁も付けました。食後はコーヒーを買い、ベンチに座って飲み、図書館に向かいました。
学食で食べた昼食 |
相談所から図書館に向かう間にある安田講堂。近くのベンチでコーヒーを飲みました |
図書館の机でパソコンと資料を広げ、作業をしました。珍しく、眠気を感じ、気が付いたら、机に突っ伏して寝ていました。オバサンが医学図書館で、若い精鋭たちに交じって、机に座り、パソコンのキーボードを打っているうちに、途中で机に突っ伏して寝だしたー。そんな滑稽な自分に、心の中で苦笑した私でした。
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