2025年1月14日火曜日

大きいね

  昨日成人式に参列した娘は、身長がとても高く、それが娘のコンプレックスになっています。私も、私の友人たちも「背が高くて、格好いい」と褒めているのですが、本人は「背が高くて目立つのが嫌」といつも否定的です。

 去年、背が高いことがコンプレックスになっている理由を踏み込んで聞いてみて、なるほどと納得しました。娘いわく、「これまで生きてきて、日本で初対面の人に『背高いね』『大きいね』と言われなかったことがないの。いつも、いつも、そう言われる。その人にとっては私と会うのが初めてだから、そう言うんだけど、私にとっては、何十回、何百回でしょう。言われなくても、自分が背が高いことは十分わかっていますって思う。道を歩いても、電車に乗っていても、必ず『デカッ』という目で見る人がいる。じろじろというのではなく、驚いたという目で」

 そんな娘がオーストラリアに留学し、伸び伸びと暮らしています。娘は「誰も私を見ないし、初対面の人に一度も背が高いねと言われたことがない。村人A(たくさんいる人の中の一人という意味)になれるのがいい」とオーストラリアの暮らしやすさを表現します。今回、私も行って、娘が目立たない理由がよく分かりました。

 あちらでは背がすごく高い人もいますし、すごく太っている人もいる。目鼻立ちも肌の色も、白人、黒人、アジア人、ヒスパニック、中東の人など、皆かなり違う。体のあちこちに入れ墨が入っている人もたくさんいる。洋服だって人それぞれで、清楚な服を着た人は稀で、皆カジュアルで、私から見てカジュアル過ぎる服、露出度が高すぎる服を着ている人もたくさんいて、少しぐらいの個性では全く目立たない。長い髪の背の高い、普通のカジュアルな服を着た娘は、全く目立たないのです。娘のいう「村人A」の意味が良く分かりました。

 それに、おそらく、「背が高いですね」と初対面の人にいうことは、「太っていますね」「肌の色が黒いですね」「入れ墨入れてますね」ということと同義なのでは、他民族と暮らしていくためにそういう発言は控えるべきという認識がオーストラリア人の中にあるのでは、と想像しました。

 娘に背が高いことを嫌がる深い理由を聞いてから、娘と歩いているときに、娘の言うことを私も意識するようになりました。確かに、日本では娘を見て、「えっ」という表情をする人がたくさんいます。娘の言うようにそれは気分の良いものではなく、「あぁ、娘はこれまでずっとこういう思いをしてきたのだ」と可哀想な気持ちになります。

 最近もこんなことがありました。道端で、娘が幼稚園の時に一緒だった女の子のお母さんとすれ違いました。そのお母さんが娘と会うのは本当に久しぶり。で、第一声が「大きいね」でした。しばらく、私と世間話をした後、もう一度娘を見て「大きいね」。2回目の念押しの言葉で、娘の表情が引きつってはいないかと心配し、娘を見ると、娘はニコニコしていました。

 そのお母さんの娘さんは小柄で可愛らしい女の子。だから、つい比較して言ってしまったのでしょう。でも、大柄な娘を持つ私としては、「大きいね」じゃなくて、せめて「大きくなったね」と言ってほしかった。「背が高くて、素敵だね」「すっかり、いいお姉さんになって」など、久しぶりに会った子にかける言葉は、いくらでも別の表現があります。私も久しぶりに昔知っていた女の子や男の子に会ったときは、「素敵だね」「格好良いね」など褒めるようにしていますので、そのお母さんの言葉をとても残念に思いました。

 後から娘にそのお母さんのコメントについて聞いてみました。娘は「『大きいね』って、ポジティブな言葉じゃないよね。『大きくなったね』は分かるんだ。小さなころと比較して、大きくなったねというポジティブな意味だから。でも、『大きいね』はネガティブな印象だよね。まぁ、いつものことだけど」と諦め顔で言います。

 昨日の成人式では、さらに、無作法なコメントを言われたそうです。会場で、娘が小学校4年生の終わりまでいた地元公立小学校で一緒だった女の子にばったり会ったとき。その子は同じ小学校の女の子3人と一緒だったそう。

 で、その3人のうち、娘を覚えていなかった子が娘に「女の人?」と聞いたそうです。つまり、娘を見て振袖を着た男性?と疑問に思い、その疑問を直接、娘に聞いたということです。娘は背が高いですが、決して男性には見えません。あまりにひどい、と思いました。成人なんだから、もう大人なんだから、言っていいことと悪いことをどうしてわきまえないのだろう、と腹立たしく思いました。

 性別は今、最もセンシティブな話題です。生まれてきた身体とは違う性別の心を持った人たちの苦しみを最近、メディアなどを通じて、ようやく私たちは知ることが出来ています。アンケートの調査票にも、性別の欄には「男性」「女性」に加えて、「答えたくない」も入っています。なのに、どうしてこういうコメントを、その人に直接言うのでしょう? 自分の心にわいた疑問を自分の心の中に仕舞っておけないのなら、せめて、せめて、娘がその場を去った後に、お友達に「あの子、女性?」と聞くぐらいの常識は持っていてほしかった。成人式という、お祝いの場では尚更です。

 娘は、「実はそう言われたのは初めてじゃないの」と言いました。そうか、娘が背が高いことを嫌がる理由は、私を含め娘を知る人間が「背が高くて素敵じゃない」という単純な表現で慰めるよりも、もっと深いのだと知りました。

 成人式が終わり、自宅に戻りました。知っているお友達がいないため式には一人で参列した娘は、友達と来ている新成人たちを羨ましく思ったでしょうし、せっかく会った唯一の知り合いの友達に「女の人?」と疑問を投げかけられ傷ついたでしょう。でも、娘は、そんなことも忘れたように、「楽しかったぁ」と終始ご機嫌でした。また、「ママ、今日はいろいろありがとう」という言葉も言ってくれました。

 朝が早く、長い時間体を締め付けていましたので、娘は着物を脱いだらすぐにベッドにもぐり、寝ました。私は娘が寝た後、娘が成人式で言われたコメントを思い出し、傷ついた娘の気持ちを考え、しくしくと泣いてしまいました。

 たまたま側に来た息子が「ママ、どうして泣いているの?」と聞いてきました。息子に説明すると、「それはひどいね。でもさ、おねぇねぇ、きっともう忘れているよ。ぐーぐー寝てるじゃん。夜、イタリアンに行くんだよね。ピザ食べたら、もう、絶対忘れるって」と慰めてくれました。慰められなければならないのは、私ではないのですが、息子に甘えて、しばらくの間、ぐちゅぐちゅと泣かせてもらいました。

 夜、成人式のお祝いに娘と息子が大好きなイタリアンレストランに行きました。娘はいつものように終始ニコニコし、嬉しそうに、美味しそうに、お料理をほおばりました。「成人式、おめでとう!」のデザートプレートもとても喜んでくれました。

娘の成人式のお祝いに行ったイタリアンレストランのピザ

 娘のおおらかさに、救われた日でした。

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