2025年1月20日月曜日

きょうだいがいて良かった

  日曜日の朝、起きてきた息子に「朝ご飯どうする? うどん? そうめん? そういえば、昨日コストコで買ったコーンフレークもあるよ」と聞きました。

 息子は「自分で作るよ」と冷蔵庫を開け、「あっ、ママ、鏡餅食べなきゃね」と言い玄関に行って持ってきました。お餅を包丁で切り始めた息子がぼそっと言いました。

「ママ、きょうだいがいて良かった」

「あらっ、いつそう思ったの?」

「昨日、ドラッグストアにおねぇねぇと買い物に行ったじゃん。おねぇねぇが一円玉落としたから、僕がそれを取ろうとしてバランスを崩して、ころんじゃったんだ。で、二人で大笑いしたんだ。すごく楽しくて…。そんな小さなことで笑える、きょうだいっていいなって思った」

「そうだよね。親とも笑うけど、些細な、何気ないことで大笑いするってあんまりないよね。そういう何気ないことで大笑いするのは、きょうだいだからだと思うよ」

「ママ、一人っ子じゃん。そういう笑いあった?」

「ないよ。だから、小さいころ、きょうだいがいたらどんなに良いだろうって思っていた」

「ママ、ありがとう」

「いえいえ、どういたしまして。こちらこそ、生まれてきてくれてありがとう」

 娘は常々、きょうだいがいて良かったと言っています。私は娘の双子の弟を死産し、何年も娘のきょうだいを無事産んであげられなかったことを悔いていました。そして、私がきょうだいがいればどれほど良かったかと思いながら育ったこと、そして大病を患い自分は長くはないと思っていたことから、何としても娘にきょうだいを作ることが体の弱い私にとっての使命だと考えました。

 私の友人でも一人っ子、異性のきょうだいがいる人、同性のきょうだいがいる人、きょうだいが一人いる人二人いる人と様々です。一人っ子で良かったと感じる人もいればそうでない人もいる。きょうだいがいて良かったと言う人もいればきょうだいなんていないほうが良かったと言う人もいます。きょうだいに関しての考え方も様々です。

 私の場合、神様への祈りが叶い、息子を産むことが出来たのは46歳のとき。息子は元気に育ち、成人しましたがまだ子どものような娘と、とても仲良くしています。頑張って、息子を産んで良かったとつくづく思う日々です。

 さて、昨日きょうだいでドラッグストアに行ったのは、息子のシャンプーを買うためでした。「シャンプーあるじゃない? 何で、あれ使わないの?」と息子に聞くと、「僕は何でもいいんだ。でも、おねぇねぇがそれが嫌だって言うんだよ」と言います。

 私は夫と息子にオーガニックのシャンプーを買い、私は美容室で買ったシャンプー(エイジング対策用)を使っています。夫はそのシャンプーをとても気に入っているのですが、娘はその匂いが嫌いだというのです。

「でも、関係ないでしょう? 自分が使うんじゃないんだから」。 私は娘には、娘が好きだという香りの良いシャンプーを別に買っています。

 娘は言います。「私は、弟をハグするときに、あのシャンプーの匂いを嗅いでしまうのが嫌なの」と言います。娘はいつも息子をハグして可愛がっていますので、自分の好きな匂いを嗅ぎたいということなんでしょう。相変わらず発言がユニークで、オーガニックのシャンプーの香りも私は良いと思うので娘の言うことが良く分かりませんが、二人で仲良くシャンプーを買いに行くということなので、お金を渡しました。

 徒歩10分ぐらいで行ける店ですが、ずいぶん時間がかかりましたので、じゃれ合いながら、笑いころげながら、歩いていたのでしょう。それで、昨日朝の息子のいう「きょうだいがいて、良かった」という発言につながったようです。 

 何はともあれ、きょうだいが仲良く、いつも大笑いしているのを見るのは良いものです。

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