娘が2月18日にオーストラリア・メルボルンに戻って2週間が経ち、昨日から2年生がスタートしました。日曜日までは明るく、気分良く過ごしていたのですが、昨日は随分緊張したらしく、目を赤く腫らして電話をくれました。
娘によると、不安で眠れないらしいのです。卒業出来なかったらどうしようとか、仕事を見つけられなかったらどうしようとか、将来のことを考えると眠れなくなると言います。それに加えて、先生が怖くて怖くて仕方ないと言います。また、講義の中でのプレゼンテーションも極度に緊張するので、それも不安を大きくする理由らしい。
私みたいに人生経験だけは豊富でも、指導教員が怖いですし、プレゼンテーションだって緊張します。ましてやまだ20歳で、生まれ育った国ではない、別の国で一人で暮らす娘は不安だろうなと想像します。娘は友達作りがそれほど得意ではないので、一人で寮にいることが多い。普段は家族にも元気な様子しか見せないので、きっといろいろ抱えているのでしょう。
「家族と電話するときはやっぱり元気にしていないと心配するだろうなぁと思うし。家族と一緒にいれば不安もなくて、安心できるんだけど。一人だと不安で眠れない。いろいろ考えてしまって」とボロボロと涙をこぼす娘。
こういう娘を見ると、「可愛い子には旅をさせよ」ではないですが、思い切って娘を海外の大学に送り出したことが本当に良かったことなのかと、心を揺さぶられます。
やっぱり、海外に行くと人の考え方も生活習慣も日本とは違いますし、娘の場合は言葉の心配はないですが、心が不安定になるのだろうな、こういうときに近くにいられたらいいのにと私まで涙が出てきそうになります。
ふと、自分が留学したときの最初の学期のことを思い出しました。あれはアメリカ政治学のクラス。とにかく、先生が何を言っているのかチンプンカンプンでした。講義を録音して、図書館で深夜までかかって何度も聞き直して、それでも分からなかった。すごい時間を使いましたがやっぱり追いつかず、結局単位を落として、翌年取り直しました。
また、穴があったら入りたいぐらい恥ずかしかったのが、英文学の授業。エッセイを書いてくるまでは何とかなったのですが、それを隣の人のエッセイと交換して批評し合うというもの。英文学のクラスですので学生は難解な言葉を使っていますし、その上にその場で批評をしなければならず、辛かったなぁ。言葉の問題、大学の費用の問題といろいろあり、本当に卒業できるか、不安だった。
娘の話をじっくり聞いたあと、何と言ったら娘の気持ちが軽くなるか考えを巡らしました。「まぁ、失敗しても命を取られるわけではないし、何とかなるさと考えたらどう?」とまずは気楽に考えることを勧めました。
そうすると娘がくすっと笑って、「そうだね、命取られるわけじゃないよね」
「うん、そうだよ。先生が怖くて話せなかったり、プレゼン失敗しても、先生から切腹を命じる!とは言われないでしょう?」
「あははっ、切腹にはならないね」
「そうだよ。頑張っても卒業できないようだったら、それはそのときに考えたら? 将来の仕事のことを考えるのももう少し先でも良いと思うよ。まぁ、ママも不安だらけだし、指導教員怖いし、プレゼンだって緊張するよ。それに論文書けずに卒業できなかったら、費やした数年間が無駄になるって不安。これからの将来は短いのに、私何やっているんだろう?とも思うしね。こんな感じで、世の中の人の多くは、不安を抱えながら生きているんだと思うよ」
「そうだね。そうだよね。ママに共感してもらって嬉しかった。今日は話を聞いてほしかった…」
「ママで良かったら、いつでも話してね」
「うん」
娘は少し元気を取り戻したようです。私のほうこそ、娘が電話をくれて、話をしてくれて、嬉しかった。親にとって一番安心なのは、子供が胸の内を話してくれること。子供がママに話そうと思ってくれる親でありたい。そういう親でいるために、まだまだ、自分は修行が必要だなぁと思う日々です。
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