2025年3月2日日曜日

大学のカウンセリング

  先週の金曜日、大学のカウンセリングに行きました。最初に行ったのは1月10日、2月28日で4回目になります。そこで言われたことが少しショックだったため、ここで愚痴らせていただきたいと思います。皆様、日曜の朝からすみません。

 以前このブログにも書きましたが、私の研究室は大学にはなく、他の研究所内にあります。どこの大学でも修士・博士課程になるとこのようなケースは少なくなく、私の研究室にもあちこちの大学の学生が学んでいます。

 大学の研究室と違うのは、教授、助教授、助教など学生を指導する教員という立場の人がいて、学位を取るために来ている同じ立場の学生たちと切磋琢磨したり相談したりできる環境ではないこと。指導教員が指導してくれなければ、一人で黙々と研究を進めることになります。そこで働く研究者たちはそれぞれの仕事で忙しいので、申し訳なくて、相談するのも躊躇します。

 こういう環境は、すでに独立していろいろ出来る学生なら良いのですが、私のような、指導を必要とする学生の場合、自分で方法を見つける必要があります。これはなかなかに難しい。私の場合、指導教員が私の研究テーマとは違う分野の人でかつ超多忙のため、話す機会も年に数回しかなく、私みたいな年の学生なんて迷惑なんだろうなという遠慮もあります。まぁ、博士課程の学生となれば、自分で道を切り開くべきなので、とにかく、あれこれ試しているのが実情。そして、万策尽き果てたという状態が続いているので、それはかなり、精神的に辛い。

 私の場合、年齢もかなり他の学生よりも上のため、他の大学の学生と交流するということにもならず、さらに苦しい立場にあります。で、このような環境の中で”うつ”にならずに、精神を何とか正常に保ったまま乗り切るために、大学の仕組みを分かっている人に相談したかった。で、カウンセリング室のドアを叩いたのです。

 で、先週末にカウンセラーに言われたのは、悩みをこちらに来て話して、気持ちを楽にして帰るということは、大学には沢山の学生がいて、枠に限りがあるのでできない。カウンセリングはクリニックなど外に行くと費用がかなりかかる。それをただで利用することに慣れてしまうと、卒業してから困るケースもあるとのこと。

 これ、違いませんか? 私、自分の私的な問題について相談しているのではなく、あくまでも、学ぶ環境が特殊で、その中で悪戦苦闘している中で生じている、指導教員やその他の研究員との関係についての悩みを相談しているのですけれど…。大学の研究室ではない別の研究所で一人で研究する還暦の博士課程の学生の悩みなんて、特殊過ぎて相談もなかなか出来ず(親しい友人にはそれでも聞いてもらっています。感謝!)、自分を客観視して笑い飛ばしたいぐらいに滑稽です。でも、一方で、このままで行くと崖っぷちから落ちてしまう可能性があるかもしれないとも考えた。だから、大学の仕組みが分かり、また、相談場所として設置されているところに来ているのです。それに、私、学費払っていますし…。

 「ただでここを利用する」という言葉があまりにもひどかった。ですが、「ここでの相談はぜひ若い学生さんたちに利用していただきたいので、承知しました。私にも大学生の娘がおりますので、大学の貴重な資源は私のような年の人間ではなく、これからの若い方々に利用していただきたい。ただ、私はただでここを利用できるから、ここに来ているわけではありません。この大学で学ぶことに関連する悩みだから、ここに来ているのです」とは伝えました。

 涙が出ました。私はこれまで自分をこの世に存在させるために沢山の医療費を使ってきましたし、大学にもきちんと学費を払っています。そして、医療費・学費いずれにも税金が投入されているのは十分承知しています。だからこそ、何とか社会の役に立ちたいという思いで、学んでいるのですが…。

 あーあ、辛いなぁ。本当に辛い。でも、頑張るぞ!

 

 

 

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