昨日は父の命日でした。研究室に行く前に、納骨堂に寄りお線香を上げてきました。
納骨堂の前にある、手水 |
父の納骨堂は仏壇式で、遺骨を納める場所の上に仏壇があり、そこに仏具を置き、花を飾り、お供えをすることも出来ます。昨日は、遺影を入れた写真立てを持っていき、その仏壇の中に入れました。
父の遺影は2012年の3月にハワイに一緒に行ったときの写真を使いました。とてもいい表情で笑っていて、私の大好きな写真です。我が家に置いてある遺影もその写真です。
その1年後の3月24日に父は亡くなりました。父の写真を探しているときに、父が亡くなった日の写真も見てみました。忘れもしない、桜が満開の日で、私は夫と娘、息子と花見に行っていたのです。母から電話がかかってきたのは、その夜でした。
写真の中の私はカツラを被っていて、顔も薬の副作用でむくんでいました。”本来の自分ではない自分”の顔が嫌いでしたので、写真の中の私の笑顔も心なしか引きつっています。
当時は全部抜けた髪が生えてきてまだ1,2㌢ぐらいでしたので、カツラなしでは外出できませんでした。でも、お通夜やお葬式では気持ちも動転しており、カツラを被りもしませんでした。髪なんてどうでも良かった。参列してくれた親戚も私の髪を見て、ぎょっとしただろうな、と思います。
当時のことを振り返るのは、やはり辛い。だから、当時のことは思い出さずに、亡くなる1年前の楽しそうな父の遺影を見ながら、”仏様になった”父に話しかけるほうがずっといいなと改めて思いました。
納骨堂の仏壇で父の遺影を見ながら話をし、先日の13回忌法要のときにお供えした和菓子をお下がりし、食べました。「お父さん、また来るからね」と言うと、お線香の煙が大きく揺れました。窓から入ってくる風によってでしょうが、もしかしたら、父が喜んでいてくれて、お線香の煙を揺らしてくれたのかなぁと想像しました。そう考えると、私も笑顔になれました。
0 件のコメント:
コメントを投稿