2025年3月13日木曜日

論文を指導教員に提出

  今日、指導教員に論文の修正を提出しました。 英語でA4用紙22ページ、表6枚と図2枚。いやぁ、大変でした。2月17日に第1稿を指導教員と研究員Mさんに提出。ものすごい量のコメント(助言と指摘)が原稿に付けられており、それをすべて原稿に反映させるのが大変でした。

 Mさんは海外の大学を卒業し、東大で修士号・博士号を取得した秀才。完全なバイリンガルです(私と相性が悪い研究員とは違う人です)。指導教員も研究所の要職につき東大の教授も兼任する優秀な方です。こう書くと男性を想像するかもしれませんが、二人とも女性。こういうパワフルな女性がいるのですね。

 もがき苦しみながらの博士課程3年目も今月終わります。来年度が最終学年で、8月「題目届」なるものを大学に提出し、11月中に博士論文を提出します。今回はその博士論文の元となる論文で、海外のジャーナル投稿を目指します。指導教員とMさんから再度の指摘・助言が沢山ありそうですし、他の共著者の先生方に回覧して助言をいただき、それをまた反映させてというやり取りにまた数ヶ月かかりそうですが、何とか頑張ります。

 博士号取得の規定は大学によって違います。多くが、国際誌や査読付き(専門家の審査を経る)ジャーナルへに掲載された論文が3本というもの。東大はそこがあまり厳しくないようですが、実際の大学の審査がものすごく大変なのでしょう。

 実は先日、所属していた日本記者クラブに退会届けを出しました。「記者」であることにこだわってきましたが、もう卒業しようと考えたのです。こだわりの一つを手放して、人生をシンプルにしたかった。

 私の新聞社時代の同期たちがだんだん定年退職していき、第二の人生を歩み始めています。私の場合、4,50代が病気と共に生きた第二幕でしたので、今は第三幕。年が年なので、学位が取れたとしても研究者としての道へ進む可能性はとても低いと思います。それよりも4年間を費やしても学位が取れない可能性が大きい。

 でも、人生の終盤で、博士論文を書いて大学に提出するという最大級の挑戦も考えようによっては、愉快かなぁと肩の力が少し抜けてきたような気がします。

 辛くて、何度も辞めようと思った大学院。でも、踏ん張ってここまで来ました。これからも折々に、奮闘ぶり(自分で言うのも何ですが)を報告しますね。なにせ、このブログのタイトルは「がんのママの育児(育自)日記」ですので。

 

 

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