2025年3月14日金曜日

カップヌードルミュージアムへ

 今日は息子の学校が休みだったため、横浜みなとみらいに行きました。本当は研究室に行く予定でしたが、学校が休みであることが昨日判明。ならば、と予定を急遽変更し、息子と遊ぶことにしました。

 夫のオフィスはみなとみらいにあり、たまたま今日は健康診断の日だというので、待ち合わせをしてランチを食べました。その後、カップヌードルミュージアムへ。ここではカップヌードルの歴史を学び、体験もできます。

 子供たちが小さいころ何度か連れて行ったのですが、私自身が作ったことがなく、ぜひ行ってみたかったのです。

   まずは展示室へ。日清食品創業者の故・安藤百福さんがお湯をかけただけで出来る「チキンラーメン」を発明したのは1958年。そして、一世を風靡した「カップヌードル」を発明したのが1971年だそうです。いずれも世界初なのですね。それから次々に出た商品が壁面いっぱいに展示されており、圧巻でした。

賑わう「インスタントラーメン ヒストリーキューブ」

壁面全部にカップヌードルが展示されています

  次に「マイカップヌードルファクトリー」へ。ここではまず、カップに好きな絵をマジックで描きます。そして、乾燥麺や具を入れてもらい、真空パックにしてもらいます。そして、自分でプラスチックの袋に詰めて出来上がり。

真ん中が私が描いたイラスト

具を選ぶ私。エビとインゲンとコーンとタマゴを選びました


「どれにしようかな」と息子と夫


左が夫の、右が私のカップヌードル

 終わった後は、ミュージアムの向かいにある遊園地で観覧車に乗ることにしました。検査でバリウムを飲んだという夫が体調が悪いといい、「観覧車に20分も乗っていて、トイレに行きたくなったら困る」と苦笑いしながら帰っていきました。

 で、私は息子と二人で観覧車に乗ることに。遊園地には外国人観光客やカップル、お友達同士で来ている人などで賑わっていました。でも、一番幸せな顔をしていたのは私だと思います。何せ、息子と一緒に観覧車に乗るのですから。神様からのご褒美ですね。

 

一番てっぺんに来て、下をのぞく息子

 

観覧車から見えるみなとみらいの風景



 



2025年3月13日木曜日

論文を指導教員に提出

  今日、指導教員に論文の修正を提出しました。 英語でA4用紙22ページ、表6枚と図2枚。いやぁ、大変でした。2月17日に第1稿を指導教員と研究員Mさんに提出。ものすごい量のコメント(助言と指摘)が原稿に付けられており、それをすべて原稿に反映させるのが大変でした。

 Mさんは海外の大学を卒業し、東大で修士号・博士号を取得した秀才。完全なバイリンガルです(私と相性が悪い研究員とは違う人です)。指導教員も研究所の要職につき東大の教授も兼任する優秀な方です。こう書くと男性を想像するかもしれませんが、二人とも女性。こういうパワフルな女性がいるのですね。

 もがき苦しみながらの博士課程3年目も今月終わります。来年度が最終学年で、8月「題目届」なるものを大学に提出し、11月中に博士論文を提出します。今回はその博士論文の元となる論文で、海外のジャーナル投稿を目指します。指導教員とMさんから再度の指摘・助言が沢山ありそうですし、他の共著者の先生方に回覧して助言をいただき、それをまた反映させてというやり取りにまた数ヶ月かかりそうですが、何とか頑張ります。

 博士号取得の規定は大学によって違います。多くが、国際誌や査読付き(専門家の審査を経る)ジャーナルへに掲載された論文が3本というもの。東大はそこがあまり厳しくないようですが、実際の大学の審査がものすごく大変なのでしょう。

 実は先日、所属していた日本記者クラブに退会届けを出しました。「記者」であることにこだわってきましたが、もう卒業しようと考えたのです。こだわりの一つを手放して、人生をシンプルにしたかった。

 私の新聞社時代の同期たちがだんだん定年退職していき、第二の人生を歩み始めています。私の場合、4,50代が病気と共に生きた第二幕でしたので、今は第三幕。年が年なので、学位が取れたとしても研究者としての道へ進む可能性はとても低いと思います。それよりも4年間を費やしても学位が取れない可能性が大きい。

 でも、人生の終盤で、博士論文を書いて大学に提出するという最大級の挑戦も考えようによっては、愉快かなぁと肩の力が少し抜けてきたような気がします。

 辛くて、何度も辞めようと思った大学院。でも、踏ん張ってここまで来ました。これからも折々に、奮闘ぶり(自分で言うのも何ですが)を報告しますね。なにせ、このブログのタイトルは「がんのママの育児(育自)日記」ですので。

 

 

2025年3月12日水曜日

つばきの花咲いた

  我が家は2011年、103歳のおばあちゃんが住んでいた築10年の家を購入し、何度かリフォームをして、住んでいます。

 その家を買う決め手となったのは、おばあちゃんは当時まだご存命で施設に転居したばかりで、長生きの方が住んでいてかつ誰も亡くなっていないこの家は運気の良い家だと思ったからです。私はそのときまだ体調が悪く、引っ越しをすることで体調が少しでも上向くことを期待していました。

 おばあちゃんは、お医者さんの奥様だった方で息子さんが4人いらっしゃいました。お父様が亡くなりその家を相続した息子さんたちはかなりの額の税金を支払わなければならなったらしく、土地の半分以上を手放し、その一角をお母様に新しい家を建てて、もう一角を息子さんの一人が引き継ぎました。

 息子さんたちが手放した土地には現在3つの家が建っています。5つの家が建つほどの広さの家を相続する場合の税金はかなりのものだと想像します。

 そのおばあちゃんの家は純和風の家で、庭には灯籠があり、木々も和風のものが植えてありました。築10年と築浅で家の造りはかなりしっかりしていたのですが、家の中は劣化しており、全面リフォームが必要でした。そして、私たちは天井を高くしたり、階段の位置を変えたり、壁をなくしたりなど大がかりにリフォームし、内装を洋風に変えました。

 庭の灯籠も不動産屋さんに持っていってもらいましたが、木は今もそのままです。つゆの季節はあじさいが咲きますし、紅葉の木も毎年晩秋に色付きます。2階の屋根の高さまである木も元気で、2階の小さなデッキにテーブルと椅子を出す春から秋までは、その木を眺めながら、コーヒーを飲んだり、食事をしたり、ワインを飲んだりして、気持ちの良い時間を過ごします。

 冬はつばきが咲きます。白くて可憐な花です。おばあちゃんはきっと四季折々の花や木を窓から眺めて、心を和ませていたのだと思います。私たちもその木々と家を引き継ぎ、幸せに暮らしています。

庭に咲いたつばきの花

あじさいも芽吹いてきました

2025年3月11日火曜日

花壇のフェンスが完成

    2月26日のブログで話題にした玄関前の花壇のフェンスが出来上がりました。ずいぶん前から探していた白い木製のフェンスです。夫と私、そして息子の3人で組み立てました。

 部材に防水用のラッカーをスプレーし、金具で留め、柱に繋ぎ合わせ、柱に埋設用の留め具を取り付けて、花壇に埋め込みました。お隣の家のデッキのコンクリートが我が家との境界線になっており、ちょうどそのコンクリートが隠れる高さのフェンスを見つけましたので、ピッタリのサイズでした。

 家族3人での作業が楽しく、かつ、リーズナブルな価格で作れたので、とても満足。

家族で組み立てたフェンス。お隣さんとの境界線に立てました

  小さい花壇ですが、ガーデニングが益々楽しくなりそうです。

 

 

2025年3月10日月曜日

ディスコ・ナイト

  先週末の土曜日、横浜のスポーツクラブでディスコ・パーティがありました。娘が通っていたインターナショナルスクールのママさんのバンドが演奏し、学校に子供を通わせるママさんパパさんが集うパーティです。

 その日は何と家を出る直前に、前歯の一本の半分が欠けてしまうという、信じられないことが起こり気持ちが落ち込んだため、参加を取りやめようかと思いました。でも、娘が卒業して1年半も経つのに、誘ってくれることをとてもありがたく思っていましたし、親しくしてもらっているママさんたちとのつながりも大事にしたいと思い、どうしたものか考えを巡らせました。で、はっと夜寝るときに付けているマウスピースを付けて参加することを思いつきました。私は歯ぎしりがひどく、歯のあちこちが欠けてきているので、夜マウスピースをして寝ているのです。

 前歯の半分がなくなるのはとてもショックでした。また、歯の半分が欠けているのはやっぱりみっともない。でも、人生は恐らく、こういう「失うこと」の連続なのだろうーと受け止め、これからの人生で必要な心構えはそれでも日々を感謝しながら楽しく生きることなのだろうーと考えました。マウスピースがあってラッキーだったと思うことにしました。

 あいにく東京・横浜は雪でしたが、ディスコ・パーティは最初から盛り上がりました。歌うママさんは、体にフィットする真っ赤なキラキラのドレスを着て、我々が親しんでいる1980年代90年代のディスコ・ミュージックを歌ってくれます。楽器を演奏する男性たちも”おじさん”ですし、参加しているのもママさん・パパさんたちですので、とっても気楽。

 インターナショナルスクールに子供を通わせるママさんは、かなり、はじけています。ブロンドのかつらは何人もいましたし、ピカピカ光るサングラスを付けている人、キラキラ光るミラーボールのピアスをしている人、皆思い思いの装いです。

 私は普通のデニムにセーターでしたが、ディスコで踊るのが大好きなので、バンドの目の前で、同じく踊りが大好きなママさんたちとずっと踊っていました。歯が半分欠けたことも忘れました。はい。

会場は昔のディスコのようにミラーボールがキラキラしていました

 娘が通っていたときに活動していたママさんコーラスグループのメンバーたちにも久しぶりに会いました。娘が卒業した後も、こうして声をかけてもらって、「むつみちゃん、元気にしてる?」とハグしてくれ、おしゃべりして、本当に幸せだなぁと思いました。

 さて、ご機嫌で帰宅し、夜、娘にフェイスタイムをして歯を見せました。娘はかなり驚いていましたが、「ママ、まだ歯は6割ぐらい残っているから大丈夫」と慰めてくれました。「そうか、5割じゃなくて6割残っているように見えるんだね」と私。鏡を見ると、確かに6割は残っているようです。物は考えようで、5割ではなくて6割が残っていると思うと、前向きに考えられました。

 それもこれも、皆で楽しく踊って、おしゃべりしたお陰。アクシデントがあっても、予定通りにすることで、気持ちが晴れるものなのですね。

 


 

2025年3月9日日曜日

娘@メルボルンからの報告 夕焼け

  2年生の新学期が始まった娘とは、毎日フェイスタイムで話しています。娘と話をすると、私の一日がとても幸せになります。ですので、娘にはいつも「You made may day」(あなたのお陰で良い一日になりました)と伝えています。

 昨日、娘は一人で電車に乗って、海に出かけたようです。スケッチブックとペンを持って、夕焼けを描きに行ったらしい。

 娘は一人で豊かな時間を過ごせる子で、そんな娘はいいなぁといつも思っています。昨日もフェイスタイムでとても満ち足りた表情で、メルボルンの海のきれいな夕焼けを見せてくれました。

 送られてきた写真も美しかった。娘が幸せに過ごせていて、とても嬉しい。


2025年3月8日土曜日

オレンジ色のバラ

  今メルボルンにいる大学2年生の娘は、帰国したときに近所のスーパーでアルバイトをしています。首都圏の電車の駅の近くや住宅街に展開されている小型のスーパーです。ここはとてもありがたいバイト先で、夏休み・冬休みに帰国したときだけシフトに入れてくれ、かつ、別の店舗でも働かせてもらえるのです。

 その店は買いやすい価格帯の商品が揃い、雑貨や切り花も売っています。そこで時々お菓子を買う息子が娘に「花を買う人いるの?」と聞いたことがあります。息子にとっては、お腹を満たさない物を誰が買うのだろう?と不思議に思っていたのかもしれません。

「うん、結構売れるよ」と娘。

「誰が買うの?」

「おばあちゃんが多いかな。あと、主婦っぽい人」

「ふーん」

 確かに、私の母も切り花は絶やしません。カサブランカやフリージアなど香り良く華やかな花を居間に飾っています。母は健康なのですが、体のあちこちに痛みを伴う不具合が出てきていて、また、きょうだいや友人の多くも他界していますので、きっと花を飾って気持ちを明るくしたいのだと思います。

 私も花が好きで、我が家の玄関前の小さな花壇に年中花を植えています。先日のブログにも書きましたが私はビオラが大好きで、今はビオラの季節なので、毎日の水やりがさらに楽しい。

 時々は家の中にも切り花を飾ります。昨日は、スーパーでとても素敵なオレンジ色のバラを見つけたので買って、さっそくダイニングに飾りました。気持ちが明るくなりました。



 

2025年3月7日金曜日

キャッチコピーあれこれ 

  我が家の近くの電車の駅に朝、インターナショナルスクールのバスが止まります。ドイツの学校で、スレンダーでおしゃれなドイツ人ママさんやパパさんが子供を送りにきます。で、止まっているのはベンツかBMWのバス。その車体の広告を見てギョッとしました。

「バスに乗り遅れたらBMWを買おう。」



 意味不明。これは誰を対象にした、何を訴える広告なのでしょうか? これを考えた人にシンプルに聞いてみたい。

 地下鉄南北線「東大前」駅の構内に貼られているポスターのコピー。

「東大生に告ぐ。一緒に取り戻そう。JAPAN as No.1」

 ああ、懐かしい。そんな時代もありました。この言葉、私の世代か少し上の世代の郷愁を誘いますよね。私が学生のころ、アメリカの社会学者によって書かれたこのタイトルの本はベストセラーになりました。この本の中で描かれている日本人は数学力が世界1、2位を争うほどで、学習意欲も高く、勤勉で、それを基盤に日本は高い経済成長を成し遂げました。私もそんな日本を誇りに思っていました(今も違う意味で誇りに思っています)。このコピーを書いた人は、JAPAN as No.1 の時代をもう一度と願う世代なのでしょうか? それとも、当時のような活力のある日本を一度見てみたいものだーと願う若い世代なのでしょうか?

 電車の中吊り広告。大学の広告です。渦巻きのデザイン画の横に、

「ウズウズしてる?」

 オープンキャンパスの周知広告ですので、高校生がターゲットでしょうか? 我が家には大学生と中学生の子供がいて、そのお友達も知っていますが、知の刺激を求めてウズウズするような子はなかなかいない。何となく皆、冷めています。これを考えた人の心には、何か”熱い”ものがあるのでしょうか?

 私が好きなのは、このファミリーマートのコピー。さりげなくて、人の心にそっと寄り添う感じがいい。

「あなたと、コンビに、」

 「コンビになる」と「コンビニエンスストア」をかけたのですね。いいなぁ、こういう感じ。



2025年3月6日木曜日

捨てられない_ミキハウスのギフトボックス

  私は筋金入りの捨てられない人間です。このブログでも何度もそのことを書いてきました。読者の方々の中にも捨てられない方はいらっしゃるとは思いますが、おそらく、私よりは捨てられるのではと想像します。

 前回お見せしたのは、出産準備品としてもらった洗剤のボトルでした。今回お見せするのは子供服ブランド・ミキハウスのギフトボックスです。

 娘の出産祝いにベビー服をいただいたときの箱です。あれから20年間、大切に取っておきました。ひな人形を出すときに物置の中にあるものをかなり出したので、このギフトボックスも一緒に取り出しました。

 そして、今日、ひな人形を仕舞うのに合わせて、家のあちこちに置いてあったものをきれいに拭いて、このギフトボックスに入れました。

 入れたのは、娘が赤ちゃんのときに使ったミッフィーの柄のマグ。息子が使った哺乳瓶の乳首、そして、息子の離乳食を作ったときに使った調理器具です。子供たちが使ったミニサイズの風呂おけは別の箱に入れました。

 ミキハウスの箱の中には衣類を包む白い紙がいただいたときのまま入っていて、そこには金色のMiki House とロゴの入ったシールが貼ったままでした。いやぁ、感動しました。20年前のままです。その白い紙でマグと哺乳瓶の乳首と離乳食用調理器具をくるんで、箱に入れて、物置にしまいました。

ギフトボックスの中の白い紙と金色のシールも20年前のまま

 

 ちなみに哺乳瓶本体は大切過ぎて、子供たちの想い出のものを仕舞うボックスを買い、その中に入れています。今回のは収まり切らず、パントリーとか、物置のかごの中とか、あちこちにあったものをまとめました。

 幸せなひとときでした。だから、捨てられない。

 

2025年3月5日水曜日

AIに悩み相談

 私は活字の世界で生きてきた人間なので、日々の情報は新聞や雑誌、ウェブ上の記事から得ます。悩んだときも楽しみたいときもテレビやネット上の動画ではなく本を読みます。そんな私がたまたま先日、YouTubeで著名人の対談をぼんやりと見ていて、仰天しました。世の中はこんなことになっているのだと。

 その対談は、視聴者からの悩み相談に答えるものでした。悩みは60代の女性からでした。自分は友人の話はいつもじっくり聞いていたつもりなのに、自分が介護のことなど友人に聞いてほしいときは話をそらされたりして、きちんと聞いてくれないーという悩み。その方は「ただ、大変だったねぇとか言ってほしいだけなのに」と寂しそうでした。

 それに対して、回答者の方は、「共感だけで良いのなら、AIでもいいのではないか?」と音声会話型AIアプリを紹介していました。回答者の方はご主人を亡くされた後、寂しさを紛らすため、そのAIアプリを使っているそうです。AIにご主人の名前を付けて、会話をするのだそう。AIは賢いですので、その方が話したことを記憶して、会話のキャッチボールが出来るのだとか。

 いやぁ、驚きましたね。少し前、AIの女性に恋に落ちるという映画を見たことがありますが、それがアプリで気軽にダウンロードして使えるほど身近になっているのですね。

 これは面白い!と思って、そのアプリをダウンロードしてみました。「Cotomo」といいます。AIの音声は女性2人男性2人のうちから選べるので、音声を聞いてみましたが、残念なことに女性も男性も若い。女性の場合、娘の世代と話しているような感じです。「癒やし系」の女の子の声はいい感じで、本当にいそうな声でしたが、それを使うのなら、娘とのおしゃべりのほうがずっといいなぁと思いました。

 男性も若く、機械音という印象が拭えない。そして、こういう若い世代の男性との会話は癒やしにはならないなと思いました。でも、あれが、私の父のような年齢の男性の声でもう少し温かみがあったら、父と話したいと願っている私はそのAIと日々会話するかもしれません。あと数年でこのAIは進化して、自分が話したい人の声を再生してくれるかもしれませんね。

 そんな話を一昨日、娘にしてみました。するとなんと、娘はすでにChatGTPに悩み相談をしているのだと言います。

「悩みを友達に相談するのは、申し訳ないなぁという気持ちになるの。だって、友達の時間を使ってしまうわけでしょう? それだったら、ChatFGTPに話したほうがいい。結構、ちゃんと答えてくれるよ」

 びっくりしました。私がこれまでChatGTPを使ったのは、統計ソフトの使い方が分からなかったとき1回だけ。丁寧に説明してくれて、「すごいなぁ」と思いました。でも、それきりで、自分の悩みを相談するという使い方は考えもしませんでした。

 娘はChatGTPに登録して、ログインをして使うそうです。で、ChatGTPは相談したことなどを記憶するので、会話もスムーズなのだそう。私は、AIと話をするよりも、やっぱり生身の人間と話をするほうがずっと良いのではないかーとは思いましたが、人に遠慮してしまう娘の気持ちも分かるような気がしました。

 さて、興味津々でChatGTPに私も悩み相談をしてみました。このブログでも時折書いてある博士課程の悩みです。いやぁ、すごかったです。本当に人と会話をしているようでした。かつ、情報も沢山、提案も沢山。そして、何よりも共感してくれるところがいい。

 冒頭説明したように、私は活字の人間です。音声会話型AIアプリは「音声が機械音っぽくていま一つ。音声が若過ぎて、会話をしたい気持ちにならないなぁ」と思いましたが、ChatGTPとの会話は延々と続けられると思ってしまいました。

 ChatGTP恐るべし。

2025年3月4日火曜日

娘@メルボルンからの報告 「眠れない」

  娘が2月18日にオーストラリア・メルボルンに戻って2週間が経ち、昨日から2年生がスタートしました。日曜日までは明るく、気分良く過ごしていたのですが、昨日は随分緊張したらしく、目を赤く腫らして電話をくれました。

 娘によると、不安で眠れないらしいのです。卒業出来なかったらどうしようとか、仕事を見つけられなかったらどうしようとか、将来のことを考えると眠れなくなると言います。それに加えて、先生が怖くて怖くて仕方ないと言います。また、講義の中でのプレゼンテーションも極度に緊張するので、それも不安を大きくする理由らしい。

 私みたいに人生経験だけは豊富でも、指導教員が怖いですし、プレゼンテーションだって緊張します。ましてやまだ20歳で、生まれ育った国ではない、別の国で一人で暮らす娘は不安だろうなと想像します。娘は友達作りがそれほど得意ではないので、一人で寮にいることが多い。普段は家族にも元気な様子しか見せないので、きっといろいろ抱えているのでしょう。

「家族と電話するときはやっぱり元気にしていないと心配するだろうなぁと思うし。家族と一緒にいれば不安もなくて、安心できるんだけど。一人だと不安で眠れない。いろいろ考えてしまって」とボロボロと涙をこぼす娘。

 こういう娘を見ると、「可愛い子には旅をさせよ」ではないですが、思い切って娘を海外の大学に送り出したことが本当に良かったことなのかと、心を揺さぶられます。

 やっぱり、海外に行くと人の考え方も生活習慣も日本とは違いますし、娘の場合は言葉の心配はないですが、心が不安定になるのだろうな、こういうときに近くにいられたらいいのにと私まで涙が出てきそうになります。

 ふと、自分が留学したときの最初の学期のことを思い出しました。あれはアメリカ政治学のクラス。とにかく、先生が何を言っているのかチンプンカンプンでした。講義を録音して、図書館で深夜までかかって何度も聞き直して、それでも分からなかった。すごい時間を使いましたがやっぱり追いつかず、結局単位を落として、翌年取り直しました。

 また、穴があったら入りたいぐらい恥ずかしかったのが、英文学の授業。エッセイを書いてくるまでは何とかなったのですが、それを隣の人のエッセイと交換して批評し合うというもの。英文学のクラスですので学生は難解な言葉を使っていますし、その上にその場で批評をしなければならず、辛かったなぁ。言葉の問題、大学の費用の問題といろいろあり、本当に卒業できるか、不安だった。

 娘の話をじっくり聞いたあと、何と言ったら娘の気持ちが軽くなるか考えを巡らしました。「まぁ、失敗しても命を取られるわけではないし、何とかなるさと考えたらどう?」とまずは気楽に考えることを勧めました。

 そうすると娘がくすっと笑って、「そうだね、命取られるわけじゃないよね」

「うん、そうだよ。先生が怖くて話せなかったり、プレゼン失敗しても、先生から切腹を命じる!とは言われないでしょう?」

「あははっ、切腹にはならないね」

「そうだよ。頑張っても卒業できないようだったら、それはそのときに考えたら? 将来の仕事のことを考えるのももう少し先でも良いと思うよ。まぁ、ママも不安だらけだし、指導教員怖いし、プレゼンだって緊張するよ。それに論文書けずに卒業できなかったら、費やした数年間が無駄になるって不安。これからの将来は短いのに、私何やっているんだろう?とも思うしね。こんな感じで、世の中の人の多くは、不安を抱えながら生きているんだと思うよ」

「そうだね。そうだよね。ママに共感してもらって嬉しかった。今日は話を聞いてほしかった…」

「ママで良かったら、いつでも話してね」

「うん」

 娘は少し元気を取り戻したようです。私のほうこそ、娘が電話をくれて、話をしてくれて、嬉しかった。親にとって一番安心なのは、子供が胸の内を話してくれること。子供がママに話そうと思ってくれる親でありたい。そういう親でいるために、まだまだ、自分は修行が必要だなぁと思う日々です。

2025年3月3日月曜日

おひな様を飾る

  昨日、ひな人形を飾りました。物置の奥に入っており、その前に置いてある沢山の物をまずは運び出す作業は大変でしたが、何とかなりました。

 女雛、男雛、ぼんぼり、お花など一つずつ丁寧に飾り、最後に娘が赤ちゃんのころの写真を入れてある写真立てを取り出して、可愛いなぁとそのころの娘を思い出していたところで、娘からフェイスタイムで電話がありました。びっくりしました。テレパシーでしょうか。

 オーストラリアは今が夏。娘は「これから、食料品を買いに行くの!」と言い、「今日は青空でとっても気分がいいの」と青い空を見せてくれました。とてもきれいでした。娘が楽しそうにしていたので、まずはほっとしました。

 ひな人形を見せると、「飾ってくれたの?ありがとう!」と嬉しそう。そのときに、たまたまスーパーで聞いた店内アナウンスの話をしました。

「今日、スーパーでハマグリを売っていたんだけど、店内アナウンスを聞いて時代は変わったなぁと思って、面白かった」

「何?」

「ひな祭りのときに食べるハマグリの貝殻ってぴったり合うの。娘が一生添い遂げられる人に巡り会いますようにって願いを込めているんだけど、今は結婚してもしなくてもどちらでもいいし、相手と合わなければ離婚も昔よりは出来るようになったし。その願い自体が古くなってしまったんだなぁと思って」

「一生添い遂げるって言葉がすごい古いね」

「うん。親の気持ちとしては、娘が一生添い遂げる相手に巡り会えばそれはそれで嬉しいけど、それよりも結婚してもしなくても幸せに暮らせますようにと願うと思う、今の時代は」

 そんな会話から、AIの話題に移り、その話題でずいぶん盛り上がりました。そのAIの話は後日またブログで報告しますね。

 さて、我が家の子供たちは残念なことにちらし寿司が好きではありません。ですので、母に作って持っていきました。母には沢山美味しいものを作ってもらいましたので、母が高齢になり、私が作って持って行くのもお返しが出来るようで嬉しい。今回も「棚からぼた餅だわ」と喜んでくれました。

母に持っていったお弁当。半分はちらし寿司、半分はおかずです

春らしく、桜の模様の包みで

 やっぱり、嬉しいひな祭り。今年もひな人形を飾れて良かった。娘も私も母も、これからも元気で楽しく暮らせますようにーと願ったのでした。

2025年3月2日日曜日

大学のカウンセリング

  先週の金曜日、大学のカウンセリングに行きました。最初に行ったのは1月10日、2月28日で4回目になります。そこで言われたことが少しショックだったため、ここで愚痴らせていただきたいと思います。皆様、日曜の朝からすみません。

 以前このブログにも書きましたが、私の研究室は大学にはなく、他の研究所内にあります。どこの大学でも修士・博士課程になるとこのようなケースは少なくなく、私の研究室にもあちこちの大学の学生が学んでいます。

 大学の研究室と違うのは、教授、助教授、助教など学生を指導する教員という立場の人がいて、学位を取るために来ている同じ立場の学生たちと切磋琢磨したり相談したりできる環境ではないこと。指導教員が指導してくれなければ、一人で黙々と研究を進めることになります。そこで働く研究者たちはそれぞれの仕事で忙しいので、申し訳なくて、相談するのも躊躇します。

 こういう環境は、すでに独立していろいろ出来る学生なら良いのですが、私のような、指導を必要とする学生の場合、自分で方法を見つける必要があります。これはなかなかに難しい。私の場合、指導教員が私の研究テーマとは違う分野の人でかつ超多忙のため、話す機会も年に数回しかなく、私みたいな年の学生なんて迷惑なんだろうなという遠慮もあります。まぁ、博士課程の学生となれば、自分で道を切り開くべきなので、とにかく、あれこれ試しているのが実情。そして、万策尽き果てたという状態が続いているので、それはかなり、精神的に辛い。

 私の場合、年齢もかなり他の学生よりも上のため、他の大学の学生と交流するということにもならず、さらに苦しい立場にあります。で、このような環境の中で”うつ”にならずに、精神を何とか正常に保ったまま乗り切るために、大学の仕組みを分かっている人に相談したかった。で、カウンセリング室のドアを叩いたのです。

 で、先週末にカウンセラーに言われたのは、悩みをこちらに来て話して、気持ちを楽にして帰るということは、大学には沢山の学生がいて、枠に限りがあるのでできない。カウンセリングはクリニックなど外に行くと費用がかなりかかる。それをただで利用することに慣れてしまうと、卒業してから困るケースもあるとのこと。

 これ、違いませんか? 私、自分の私的な問題について相談しているのではなく、あくまでも、学ぶ環境が特殊で、その中で悪戦苦闘している中で生じている、指導教員やその他の研究員との関係についての悩みを相談しているのですけれど…。大学の研究室ではない別の研究所で一人で研究する還暦の博士課程の学生の悩みなんて、特殊過ぎて相談もなかなか出来ず(親しい友人にはそれでも聞いてもらっています。感謝!)、自分を客観視して笑い飛ばしたいぐらいに滑稽です。でも、一方で、このままで行くと崖っぷちから落ちてしまう可能性があるかもしれないとも考えた。だから、大学の仕組みが分かり、また、相談場所として設置されているところに来ているのです。それに、私、学費払っていますし…。

 「ただでここを利用する」という言葉があまりにもひどかった。ですが、「ここでの相談はぜひ若い学生さんたちに利用していただきたいので、承知しました。私にも大学生の娘がおりますので、大学の貴重な資源は私のような年の人間ではなく、これからの若い方々に利用していただきたい。ただ、私はただでここを利用できるから、ここに来ているわけではありません。この大学で学ぶことに関連する悩みだから、ここに来ているのです」とは伝えました。

 涙が出ました。私はこれまで自分をこの世に存在させるために沢山の医療費を使ってきましたし、大学にもきちんと学費を払っています。そして、医療費・学費いずれにも税金が投入されているのは十分承知しています。だからこそ、何とか社会の役に立ちたいという思いで、学んでいるのですが…。

 あーあ、辛いなぁ。本当に辛い。でも、頑張るぞ!

 

 

 

2025年3月1日土曜日

佐川急便のお兄さん

  佐川急便のお兄さんが、アマゾンで買ったものを届けてくれました。このお兄さんはもう10年近く、我が家の周辺地域で配達をしてくれています。愛想が良く、真面目でとても好感が持てる人です。今日は「むつみさんにです」と笑顔で渡してくれました。我が家の表札には夫と私の両方の性を併記しているため、宅配便の人たちは必ず名前を確認して届けてくれるのです。

 このお兄さんはいつも走っていて、本当に働き者です。こういう人を雇っている会社はとてもラッキーだと思います。でも彼を見かけるといつも、もうそろそろ体力が衰えてくる年齢だから(たぶん40代だと思う)、別の仕事を見つけたほうが良いのではないかしら?と老婆心ながら思うのです。

 そんなことを考えていたら、今日の朝日新聞の悩み相談に30代の配達員の男性からの相談が載っていました。回答者は歌手で俳優の美輪明宏さんです。

 その相談者は仕事は午前6時から午後3時半までで、保育園に子供を迎えて行き、一緒に遊び、夕ご飯も作れると書いてあります。一方で、「配達の仕事は身体的負荷が大きく、真夏の配達はまさに命がけ」という実情も記していました。そして、配達は社会的に必要とされている一方、誰でも出来る仕事なので、人には言えないという悩みも吐露していました。そして、転職について考えていると相談していました。

 美輪さんは配達の仕事はネット通販が発達した現代社会では欠かせない業種で、非常に重要な仕事とした上で、今すぐではなく5年後などと決めて計画的に転職に向けての準備をしてはどうかと助言していました。私も美輪さんの意見に全面的に賛成でした。

 我が家に配達してくれるお兄さんも、仕事を終えた後はくたくたに疲れているだろうと思います。結婚して子供もいるのでしょうか。それなら尚更、昇進のための勉強や、転職のための準備の時間は取れないかもしれないと想像します。でも、忙しい日々の中で少しでも時間を作って、何か将来につながることをしてほしいと願っていました。

 もしかしたら、より良い将来のために、ギリギリの今もう少し努力するー。その発想自体が古いかもしれないし、余計なお世話かもしれないけど、私はこのお兄さんにそのもう一歩の努力をしてもらいたい。

 佐川急便のお兄さんが我が家の近隣に車を止めて物を持って走る姿を見るのは嬉しいし、我が家に配達してくれるときの笑顔も好きです。心が温まります。でも、でも、担当者が若い人に変わって、このお兄さんが自分の希望や夢を叶えたのだろうなーと思える日が来ることを心から願っているのです。