一昨日の22日、都内のお寺で開かれた当事者の会に参加しました。何の当事者かは、まだこのブログで書く心の準備が出来ていませんので、当事者の会とだけ書かせていただきます。
曹洞宗のお寺でしたが、会にいらした十数人のお坊さんは宗派を超えて集まっていました。参加者は女性16人男性1人の合計17人でした。最初にお坊さんの法話があり、この日のテーマは「あの世に行くとどうなるのか」でした。昨年、参加者からそのテーマで法話を聞きたいという要望があり、それから各宗派のお坊さんがそれぞれの宗派での考え方を話しているそうです。
一昨日は日蓮宗のお坊さんでした。日蓮宗では、人はあの世で生まれ変わりを繰り返して仏になるという考え方なのだそうです。
法話の後は、5つのグループに分かれて話しました。
私のグループは女性が4人。最初は誰も話をせず、ただ、黙っていました。でも、一人が話し始めると、皆、じっと話に聞き入りました。私も泣いて話をしました。
私は当事者の会には20年前に初めて参加しました。流産・死産・新生児死の親の集まりです。双子の出産・死産でしたので、「天国で一人でいるあの子が可愛そう。娘に申し訳ないけど、死にたい」と訴えました。すると、お子さんを亡くした方が、「私も何度、病院の窓から飛び降りようと思ったか分からない」と一緒に泣いてくれました。そこには何度も足を運び、自分の思いを聞いてもらいました。
当事者の会の良いところは、やはり、同じ経験をした人が話を聞いてくれ、共感してくれるところです。話を遮ることも、的の外れた助言もない。ただただ、黙って聞いてくれる。
私は時々、がんのお母さんたちの集まりにも参加することがあります。子育て真っ最中の、がんを患うお母さんには特有の困りごとがあります。それらを共感を持って聞いてもらえることは、治療と向き合いながら生きていく上での支えになります。私はがんを克服しましたので、聞き役となっていますが、自分が役に立てることはないかーと常に考えます。
同じがんでも、治るという希望を持って治療に向かうときに出てくる悩みと、残された日々をどう生きるかというときに出てくる悩みは違います。それでも、治療法がもうないーという事態はがんになった人なら人ごとではなく、自分ごとして考えられます。
もし、このブログを読んでいる方で、一人で悩んでいる方がいらしたら、当事者の会に参加してみることをお勧めします。話すことが出来なくても、他の方々の話を聞いているだけで、物事を少し違う視点で見てみる、受け止め方を変えてみる、などのヒントがもらえるかもしれません。
一昨日の当事者の会が終わった後、お坊さんたちに挨拶をして会場を後にした参加者たち。皆さん、一人で前を向いてお寺の門を出て行かれました。いろいろ抱えながらも、真っ直ぐに生きる。そんな姿勢を、その方々の背中を見ながら感じ取りました。
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