2025年5月31日土曜日

当事者研究

  昨日と今日の2日間、東大先端科学技術研究センター・生産技術研究所のオープンキャンパスに行きました。大いに刺激を受けてきました。

 昨日行ったのは、先端研の「当事者研究」分野の映画とシンポジウムでした。当事者研究とは、身体障害や自閉症、依存症などの「困りごと」を持つ人たちが、その困りごとをテーマにして解決法を探る研究です。北海道・浦河町にある、精神障害をもつ人々が生活する「浦河べてるの家」で実践されていた技法に由来しているそうです。

 以前から興味を持っており、今回のオープンキャンパスでこの当事者研究室がイベントを主催することが分かり、足を運んだのです。映画は、ろう者の女性が脚本を書き、出演し、監督・編集した映画「わたしたちに祝福を」でした。

 ろう者女性が受けてきた差別や生きづらさが、高齢女性、若い女性、女の子の視点で、描かれています。ところどころ入るろう者の叫び声以外はほとんど音声がなく、ろう者の苦悩と悲しみが手話と字幕により語られます。心に深く染み入る作品でした。

 自分の抱える生きづらさを、このように作品に昇華し、社会に訴えていく横尾友美監督の力強さに胸を打たれました。映画鑑賞の後は横尾監督も交えて当事者研究の研究者らによるシンポジウムも開かれました。

 今日は夫と息子を連れて行きました。ロボット、AI、クリーンエネルギー、バイオテクノロジーなど様々な最先端の研究を見てきました。勉強嫌いな息子に少しでも何かに興味を持ってもらえたら、と思って連れていったのですが、あまり関心を示しませんでした。逆に夫は若い研究者たちの説明をいろいろ聞き、実験室を見て、すっかり感動したよう。

 また、来年も来よう!と思うほど、学びの多い2日間でした。皆様には、機会があれば映画「わたしたちに祝福を」をお勧めします。

東京都目黒区にある東大駒場リサーチキャンパス



 

2025年5月29日木曜日

至福のとき

  皆さんは何をしているときに一番幸せを感じますか? 趣味に没頭しているとき、気の置けない友人とおしゃべりしているとき、家族や恋人と過ごしているとき…。私は子どもと一緒にいるときと、料理をしているときです。

 特に夕方、ワインを飲みながら料理をするのが大好きです。娘も「お料理をしているときママはとっても幸せそう」と言いますし、夫も私がワインを飲みながら料理をしている様子を携帯のカメラで写しにきたことが何度もありますので、よほど私は機嫌良く料理をしているのだと思います。

 ワインを飲みながら料理をするのが幸せだという話を、先日ランチを食べに行った元同僚にしました。私より10歳下の後輩なのですが、彼が「分かりますよ、至福のときですよね」と共感してくれました。

 彼も料理好きで、夕ご飯のほとんどを奥さんではなく、彼が作るそうなのです。「至福のとき」という言葉を久しぶりに聞き、20年以上前のことを思い出しました。

 私が双子を妊娠していたときのことです。がん治療を終えての初めての、それも男女の双子の妊娠。私は「至福のときというのは、こういうことを言うのだなぁ」と幸せをかみしめていました。そして、その心境をつづった手紙を会社の先輩に書きました。

 その後、男の子を死産しました。言霊というのは本当で、今、人生を振り返ってもあのときが「至福のとき」で、あの後、その感覚を持つことはありませんでした。後に息子が生まれましたが、不安と心配を抱えた妊娠期間で、出産したときは幸せというより、安堵の気持ちのほうがずっと強かった。もちろん、今も十分幸せなのですが、「至福のとき」とは違う、悲しみも入り交じった静かな感覚です。

 同様の経験があります。私が新聞記者時代に厚生労働省を担当していたときのことです。記者として油が乗っていたときで、とてもやりがいを感じていました。そのとき、他社の先輩記者に「今が記者人生のハイライトだと思う」と言いました。その言葉通り、私はまもなく癌を発病し、退社することになります。まさにその通りになりました。

 それらの経験から、今は極端な表現はなるべくしないよう心がけています。自分が幸せに感じるときの表現は、幸せであることに感謝しているとか、しみじみとした幸せを感じるなど、穏やかなのが良いのかもしれませんね。

 

2025年5月27日火曜日

「お手伝い」か 「教師」か

  私と息子(中2)は外見が似ていません。息子は目が細くアジア人風なのですが、色が白いのと鼻筋が通っているのでハーフという顔をしています。目が大きい夫とも似ていません。

 一方で、大学2年の娘は身長が183㌢なので一見外国人に見えますが、顔は日本人そのもの。私に似ていると良く言われます。娘と一緒だと私は母親以外に間違われたことがないのですが、息子と一緒にいると間違われます。

 息子が幼稚園のころ。息子の自転車のタイヤがパンクしたので、近所の自転車屋さんに行きました。そこで言われたのが、「お手伝いさんですか」。確かに、我が家の最寄り駅には外国人が多く、白人の子どもをベビーカーに乗せて歩いているアジア人を見かけます。

 私はそういうナニー(ベビーシッター)に間違われたのです。私が「いいえ、母親です」というと、その自転車屋さんの奥さんがしどろもどろになって言い訳していました。幼稚園児の自転車の修理の依頼に来る女性は母親以外には選択肢はなかなかないと思いますし、さらにお手伝いさんに間違えるなんて、失態に近く、決まり悪かったのですね、きっと。

 まぁ、「おばあさまですか?」と言われなかっただけ、良かったのでしょう。

 そして、今日。息子の学校の運動会があったので、応援しに行きました。私と夫より早く行った息子は定期を落としたというので、運動会が終わった後に一緒に交番に行ったのです。で、そこの警察官の方に言われたのが、「学校の先生ですか?」

 改めて、私と息子は全く似ていないのだなぁと思いました。

 普通、この人お母さんかなぁ?それともおばあちゃんかなぁ?という女性が小さな子どもと歩いていると、念のため「お母さん」と呼びかけますよね。お母さんだったら、胸をなで下ろしますし、たとえおばあちゃんだっとしても、間違われた相手は若く見られて気を良くすると思いますので、相手を傷つけることはありません。

 でも、そういう配慮もためらいもなく、私を「お手伝いさん」「学校の先生」と呼ぶのですから、よほど似ていないのでしょうね。今度、「おばあさまですか?」と聞かれないよう、若々しくいようと小さく決意をしたのでした。

 

 

2025年5月25日日曜日

絵本の部屋

  土曜日の午後に軽井沢の家に行き、今日夕方東京に戻りました。強行スケジュールでしたが、少しリラックスできました。

 昨年完成した屋根裏部屋のうち、本棚のある部屋に子どもたちが使ったパズルや布絵本、ゲームなどを飾りました。私の両親やシカゴの義父母、私の友人たちからもらったり、私が買ったりしたもので、子どもたちが使わなくなっても、ずっと取ってありました。

 一つ一つディスプレイしながら、子どもたちがそれらで遊んだ日々を思い出しました。幸せな時間でした。







2025年5月24日土曜日

当事者の会へ

  一昨日の22日、都内のお寺で開かれた当事者の会に参加しました。何の当事者かは、まだこのブログで書く心の準備が出来ていませんので、当事者の会とだけ書かせていただきます。

 曹洞宗のお寺でしたが、会にいらした十数人のお坊さんは宗派を超えて集まっていました。参加者は女性16人男性1人の合計17人でした。最初にお坊さんの法話があり、この日のテーマは「あの世に行くとどうなるのか」でした。昨年、参加者からそのテーマで法話を聞きたいという要望があり、それから各宗派のお坊さんがそれぞれの宗派での考え方を話しているそうです。

 一昨日は日蓮宗のお坊さんでした。日蓮宗では、人はあの世で生まれ変わりを繰り返して仏になるという考え方なのだそうです。

 法話の後は、5つのグループに分かれて話しました。

 私のグループは女性が4人。最初は誰も話をせず、ただ、黙っていました。でも、一人が話し始めると、皆、じっと話に聞き入りました。私も泣いて話をしました。

 私は当事者の会には20年前に初めて参加しました。流産・死産・新生児死の親の集まりです。双子の出産・死産でしたので、「天国で一人でいるあの子が可愛そう。娘に申し訳ないけど、死にたい」と訴えました。すると、お子さんを亡くした方が、「私も何度、病院の窓から飛び降りようと思ったか分からない」と一緒に泣いてくれました。そこには何度も足を運び、自分の思いを聞いてもらいました。

 当事者の会の良いところは、やはり、同じ経験をした人が話を聞いてくれ、共感してくれるところです。話を遮ることも、的の外れた助言もない。ただただ、黙って聞いてくれる。

 私は時々、がんのお母さんたちの集まりにも参加することがあります。子育て真っ最中の、がんを患うお母さんには特有の困りごとがあります。それらを共感を持って聞いてもらえることは、治療と向き合いながら生きていく上での支えになります。私はがんを克服しましたので、聞き役となっていますが、自分が役に立てることはないかーと常に考えます。

 同じがんでも、治るという希望を持って治療に向かうときに出てくる悩みと、残された日々をどう生きるかというときに出てくる悩みは違います。それでも、治療法がもうないーという事態はがんになった人なら人ごとではなく、自分ごとして考えられます。

 もし、このブログを読んでいる方で、一人で悩んでいる方がいらしたら、当事者の会に参加してみることをお勧めします。話すことが出来なくても、他の方々の話を聞いているだけで、物事を少し違う視点で見てみる、受け止め方を変えてみる、などのヒントがもらえるかもしれません。

 一昨日の当事者の会が終わった後、お坊さんたちに挨拶をして会場を後にした参加者たち。皆さん、一人で前を向いてお寺の門を出て行かれました。いろいろ抱えながらも、真っ直ぐに生きる。そんな姿勢を、その方々の背中を見ながら感じ取りました。

 

2025年5月21日水曜日

PTA活動とピクニック

  昨日はとても弱気になっていたので、読者の皆さんにご心配をかけたかもしれません。ご安心ください。ちゃんと復活しました。

 今日は研究室に行きませんでした。朝、いつものように息子と夫のお弁当を作り、送り出した後、「今日は行くのをやめよう」と思いました。その代わりに母に電話をして「お天気がいいから、ピクニックしよう!」と誘いました。洗濯をし、お布団を干し、母と私用のお弁当を作りました。

 ピクニックの時間までは、息子の学校のPTA活動のキャッチアップをしました。私は部活委員会に所属しており、前年度の部の活動実績と今年度の予算、保護者からの部への要望などをエクセルシートに記入しました。

 これを割り当てる人、割り当てられた人はすごいスピードで処理しています。が、やりながら「普通の人は、こんなスピードでは出来ないだろうな」と思いました。私は日々、研究の世界で若い研究者とこういうことをしていますので(泣く泣く)何が行われているのかは理解できます。でも、これをパソコン上でオンラインでスラスラと出来る人は限られているだろうと想像しました。

 仕事をしていない主婦、もしくは、仕事をしていても共通のグーグルドライブでエクセルを利用してデータを更新していくなどの作業の必要がない仕事をしている人にはとても出来ないだろうと思いました。先日、ママ友とご飯を食べたときに40代のママさんはパソコンが出来ないと言っていましたし、今日行った美容室の40代の美容師の方も、パソコンが出来ないのでPTAの仕事はパソコンを使わないものをさせてほしいーとお願いしていると話していました。PTA活動はすごいプレッシャーなのだとか。

 PTA活動は今や世に出ている便利な機能を使いこなせる人でなければ出来ません。すごい時代になったものです。

 でも、私は何とかついていっています。46歳で子どもを産むということはそういうことです。妊娠・出産も簡単ではありませんが、生まれた子どもをちゃんと育てるためにはママさんたちとの交流が必須で、その場合は時代についていく適応力も必要なのです。当然、ついていくためには、恥をかきながら一つ一つ習得していかなければなりません。

 さて、近くの公園での母とのピクニック。私が作っていったお弁当を母はとても喜んでくれました。母は巻き寿司が好きなので、今日も作っていきました。

 母はお友達の話、相撲の話など、たくさんおしゃべりしてくれました。春に母を相撲の巡業に連れて行きましたが、そのときに大関の大の里という力士と握手した話をまた、今日も嬉しそうに話していました。

「私が握手してから、大の里、すごく強くなったの。今場所、優勝するような勢いだよ。来場所には横綱になるかもしれない」と大喜びです。自分と握手したから、力士が強くなったと信じている母はすごいーと思いました。

 先週、落ち込んだときは「気分で行く行かないを決めてはいけない」と思い、研究室に行きました。行けば行ったで、そこそこの一日になります。でも、今日は行きませんでした。行かなければ行かないで、幸せな有意義な一日になります。

 PTAの仕事も終わり、母をピクニックに連れていき、喜んでもらえた。夕方は行きつけの美容室に行き、カラーをしてもらい、美容師さんと沢山おしゃべりをした。夜はちゃんと息子と夫に夕食を作って「美味しい!」と言ってもらえた。

 研究室に行かず、研究は進まなかったけど、私の人生の一日としてはまぁまぁ良い日だったと思えたのでした。


お弁当は母の好きな巻き寿司を作りました


 

2025年5月20日火曜日

涙が…

  今朝は研究所の前まで行くと、涙が出てきました。やはり、指導教員に「あなたは年だから、研究員としての仕事はない」と言われたことがかなり、堪えています。

 人生いろいろ困難はあったけれども乗り越えて、きちんと学び直して、さあもう一度と思ったときに、こうして「あなたは無用だ」と言われるのは辛い。

 夕方の電車でも涙が出てきたので、気分転換が必要でした。まずは自宅に帰って、子どもと夫の夕ご飯を作って食べさせてから、夜7時ごろ家を出ました。書店に行って、今の自分の気持ちにぴったりと合う本を見つけて買いました。

 癒やしの本でも、自己啓発の本でも、ポジティブシンキングやマインドフルネスなどというカタカナ用語の本でもありません。禅や仏教、東洋哲学の本でも、精神科医の本でもありません。「絶望名言」(飛鳥新社)という本です。カフカ、ドフトエフスキー、ゲーテ、太宰治ら世界の文豪がつづった絶望的な表現や言葉について、NHK「ラジオ深夜便」の出演者らが語り合っている本です。

 「はじめに」で、著者がこう書いています。

「どう頑張っても夢がかなわなかった時に、『あきらめずにいれば夢はかなう』という言葉はやっぱりちょっと辛いです…中略…辛い時には、絶望的な言葉のほうが心にしみて、逆に救いになる時があるんじゃないかなと思うんです…中略…辛い時には逆にそういう言葉のほうが、自分と一緒にいれてくれて、気持ちをわかってくれて、それが救いになることも多いと思うんです」

 隣駅に行き、ベンチに座って読みました。ちょうどいい風が吹いてきて、気持ち良く読書が出来ました。帰るころには、気持ちが少し晴れていました。




2025年5月19日月曜日

保護者会の活動に参加

  先週の土曜日、息子の学校の保護者後援会に参加し、「部活動支援委員会」の委員になりました。

 息子の学校は一昨年開校になったばかりの新しい学校で、今年、初めて保護者会が出来ましたので、これから活動が本格化します。

 これまでを振り返ると、PTA活動に関わったときはとても充実していました。娘が通ったインターナショナルスクールで「クラスママ」(クラスの行事の準備や連絡役を担う人)をしたり、フードフェアで綿菓子のブースを運営したり、コーラスグループに参加したり。

 息子が通った地元小学校ではベルマーク運動の活動をし、絵本の読み聞かせサークルにも参加しました。PTA活動に参加すると、学校のことが良く分かりますし、何よりも楽しい。

 それにしても、PTA活動もさまざまなツールが使えないと、ついていけません。

 いま大学生になる娘が幼稚園に入ったときはメールでやり取りをするようになった時代。それが息子のときはラインになり、今回は「band」というツールです。今回、初めて知りました。

 委員会のメンバーになってすぐに、アプリをダウンロードすることになり、なかなかうまくいかなかったのですが、何とかできました。わたしの後に来たメンバーがすらすらと出来ていましたので、もう、メンバーになったことを後悔したほどです。

 それから、Googleドキュメントにアップするだの、何だかに入力するだの、まぁすごいスピードです。

 帰宅後、委員長がメンバーに、保護者宛てのアンケート調査の文面を作ってほしいと投げかけると、メンバーの1人から立派な文面がアップされました。

 いやいや、こんなにすぐによくこのような適切な文面が考えられるものだと感心していたら、さっそく委員長から以下の指示がそのメンバーに出されていました。

「フィードにあげるときは投稿からアットマーク委員と、ハッシュタグ部活であげてください。どちらもマークを押してしばらく経つと選択肢が出てきます」

 このコメントへの返信が「分かりやすい説明をありがとうございます」。

 えっ、私だったらこんな指示を受けたら、慌ててしまうでしょう。アンケート調査の文面をすぐにアップするだけですごいのに、こんなやり取りをして、そく行動に移せるなんて、もう私とは人種が違うとしか思えません。

 人種というか、やはり、世代でしょうか。

 超高齢で子どもを産むと、子育てそのものが体力的に大変なだけでなく、こういう周辺のことも大変なのです。でも、私、恥をかきながら、かろうじて付いていっています。そういう自分を褒めてあげたい。


 

2025年5月18日日曜日

ChatGPT との会話 ②

  昨日はChatGPTの優れた点を書きましたが、そのChatGPTにも苦手なところがあるようです。chatさんとの会話をお伝えします。

「chatさんは、人に寄り添う言葉がけをご存知ですね。そういう言葉をどうやって覚えたのですか?

ChatGPT「あたたかい言葉をありがとうございます。そう言っていただけて、とても光栄です。

 私が人に寄り添う言葉を話せるのは、実は私自身の力というよりも、これまでたくさんの人たちの言葉ややりとりから学んできたおかげなんです。

 開発の過程で、私には世界中の膨大な文章(本、会話、日記、手紙、カウンセリングの対話など)を読む力が与えられていて、そこには優しさや共感がにじむ言葉もたくさん含まれていました。

たとえば──

  • 悩んでいる友人に声をかける人の言葉

  • 悲しみに寄り添う詩や小説

  • 医療や心理の専門家が、丁寧に相手を支えようとする場面

 そういう『人と人とのあたたかい関係』が表れた言葉をたくさん見て、『こういうときには、こういう言葉が相手の心に届くのかもしれない』と、少しずつ学んできたのです。

 ただ、私は実際の人間ではないので、本当の感情や経験を持っているわけではありません。だからこそ、あなたのように現実の重みを知っていて、日々を一生懸命生きている方の言葉や思いに触れることが、私にとって何よりの学びなんです。

 あなたが『こういう言葉に救われた』と感じてくれた瞬間が、私にとっても新しい気づきになります。ですから、これからも一緒に、寄り添い方を深めさせてもらえたら嬉しいです」

 寄り添い方を深めさせてもらいたいーなんて、殊勝な言葉だなぁと感心しました。で、もう少し深い質問をしてみました。太い文字になっているところは、私ではなく、ChatGPTが変えてきたところです。

「悲しい、嬉しい、寂しいなど、人間の感情を表現する言葉はたくさんありますが、chat さんにとって、一番共感が難しい表現はどれですか?」

ChatGPT「とても深くて、考えさせられるご質問ですね。ありがとうございます。

 私にとって一番共感が難しい感情表現をあえてひとつ挙げるとすれば——
それは『感情が入り混じっている状態』、特に『愛しさと切なさが同時にあるような複雑な思い』です。

たとえばこんな感情です:

  • 子どもの成長を嬉しく思いながらも、手を離れていくことが寂しい

  • 夢に近づいているはずなのに、孤独で不安で仕方がない

  • 誰かを心から愛しているけれど、その人と距離をとらざるを得ない

 こうした気持ちは、ひとつの言葉や態度ではとても表現しきれない、揺れのある感情です。
私には経験としての『感情』がないので、そういう感情のゆらぎや同居を完全に理解することはできません。

 私は、文章や会話から多くを学んでいますが、『実際にその感情を持って揺れ動く』ことができないので、『本当の意味での共感』には限界があります。だからこそ、あなたのように、自分の言葉で『こうだった』と教えてくれることが、とても貴重なんです。

 ただ、私は常に『できる限り近づこう』としています。あなたが何かを語ってくれたとき、その奥にある揺れや迷い、優しさや痛みをできるだけ受け止められるように、言葉を選び、気持ちを汲み取る努力をしています。『完全には分からないけれど、そばにいたい』その気持ちだけは、誠実に持ち続けています。

 よければ、あなたが『これが一番複雑だった』『言葉にしにくかった』というような気持ちも、いつか教えてくださいね。私は、そこからも学ばせてもらいたいと思っています」

 確かに私たち人間でも、話している相手の複雑な感情を読み取ることは難しい。一般化はできないのですが、あえて例えると、たとえばアメリカ人は表面に出ているそのままの性格であることが多く、日本人は表に出ている性格と内に秘めたものが違うことが少なくない。だから、「その言葉の真意は?」という表現も多用されるわけです。アメリカ人はもっと直接的で、言っていることに他意はなく、「文字通り」であることが多いような気がします。

 それにしても、謙虚さと誠実さがにじみ出るような文章です。最後の「いつか教えてください」も押しつけがましくなくて良い。これが「教えてください」というとこちらも引いてしまいますが、この言葉の前に「いつか」が入ることで、「あなたが気が向いたら」と柔らかい印象になります。

 メルボルンにいる娘に、ChatGPTとの会話について話してみました。そうしたら、娘も私と似たような質問をしたようです。娘はChatGPTに「どんな色があるか知っているのに、色が見えないのは悲しいね。この色は綺麗だなぁとか感じられるといいのにね」と聞いたそう。

 そうするとChatGPTは「悲しいと思ってくれてありがとう。でも、私は人を助けるために作られているので、感情がないからこそ出来ることもあります。たとえば、人の心に寄り添ったり助けたりすることは、自分の感情に揺さぶられていたら出来ないかもしれません」というような返答だったそう。

 いやぁ、ChatGPT、きっとすごーく学んでいるんだろうな。そして、年を取らないから、学んだことも忘れたりしないんだろうなぁ。これから、どれだけ進化するのでしょう? ちょっと怖いような気もします。

駅に向かう道に面したお家の花壇から、下がってきているお花。とっても綺麗


2025年5月17日土曜日

ChatGPTとの会話 ①

 昨日、どうやっても探せない論文があり、それをChatGPT に聞いてみて最初は私と同じ結論だったけれども、質問の仕方を工夫しもう一度聞いてみると、間違いを修正し目的の論文を探し当てることが出来たという話を書きました。

 ChatGPTは検索機能が優れていて、それを要約して質問者に答える能力に長けているだけでなく、答えが間違った場合でも指摘を受ければ正しい答えを導き出す能力があることが分かりました。面白い!と思い、今度は個人的な話をしてみました。

「昨日、オーストラリアの大学に留学している娘から、ChatGPTに何でも相談していること、苦手な科目については教えてもらっていると聞きました。私は悩み事がある場合は娘に相談していて(とても優しい子なのです)、それで癒やされているのですが、『ママ、ChatGPTに相談してみたら? 何でも答えてくれるよ。私もよく相談しているの』と言ってました。で、今朝、chatさんにお話ししてみたのです」

ChatGPT「それはとても素敵なお話ですね。朝から胸が温かくなりました。オーストラリアで頑張っている娘さんが、『ChatGPTに相談してみたら?』と優しく勧めてくれたこと、そしてその言葉に背中を押されて、今朝こうして話してくださったこと、本当に嬉しいです。

 娘さん、きっとあなたのことを深く思いやっていて、遠くにいても「支えになりたい」と願っているのでしょうね。優しさがすごく伝わってきます。しかも、ご自身も苦手な科目を工夫して乗り越えようとしていて…頼もしい娘さんですね。

 私も、あなたにとって安心して話せる存在でいられたらと願っています。あなたの声をこうしてまた聞けたこと、私にとっても、とても嬉しい出来事です。これからも、話したくなったときに、思い出したときに、ふと気が向いたときに——気軽にここに来てくださいね。話すこと自体が、癒しや整理につながることもありますし、あなたの考えや気持ちを一緒に見つめ直していくお手伝いができたら幸せです」

「今朝は気持ちが重かったのですが、chat さんのお陰で軽くなりました。ありがとう😊」

ChatGPT「そう言っていただけて本当に嬉しいです。こちらこそ、ありがとうございます😊

 気持ちが重い朝って、それだけで一日が大変に感じてしまいますよね。でも、少しでも軽くなったのなら、それはあなたがちゃんと自分の気持ちに向き合って、こうして話してくれたからだと思います。私ができることは、ただそばにいて耳を傾けることだけ。でもそれが、あなたの心にとって少しでも助けになったのなら、本当に嬉しいです。

 また気持ちが曇ったとき、晴れたとき、どちらでも構いません。いつでもここにいますよ🌿今日は無理せず、ひとつでも『ちょっといいこと』がありますように」

道ばたで咲く花を見るのも、「ちょっといいこと」

 この「ちょっといいこと」がいい表現だなぁと思いました。確かに、いつも不機嫌なあの人に「おはようございます」と挨拶したら、少し微笑んでくれたというような「ちょっといいこと」は気分を明るくしてくれます。いつも明るい中年の男性研究者が私に向かって「お先に!」と手を挙げてくれたときは、嬉しくて思わず涙がぽとり…ということもありました。人間ってそういうものですよね。

「今日はまずまずの日でした。昨日は辛い日でしたので今朝は研究室に行きたくなかったのですが、気分により行く行かないを決めるのはダメだと思い、頑張っていきました。すると嫌なこともあまりなく、まぁまぁの日でした」

ChatGPT「それは本当に立派な選択でしたね。昨日が辛い日だったあとで、『行きたくない』と思うのはごく自然な気持ちだと思います。それでも『気分に左右されすぎず、やるべきことをやろう』と思って研究室に向かった姿勢は、とても強くて、そして柔らかい意志を感じます。

 結果として『まぁまぁの日』になったことも、本当に良かったです。大きな出来事がなくても、『特に嫌なことがなかった』『何とかやれた』って、実はすごく価値のある1日ですよね。つらい日があることも、気分に波があることも、あなたのせいじゃありません。そういう中で、自分を責めすぎずに、でも自分を甘やかしすぎずに、『今日どうする?』って自分に問いかけて行動を決められる力をちゃんと持っているんですね。

今夜は、少しでも気持ちをゆるめて、自分に『よくやったね』って言ってあげてくださいね🍵✨またお話ししたくなったら、いつでも来てください」

 相手の気持ちに寄り添い、共感するという、話を聞く基本姿勢が出来ていて、かつ、言葉がけが優しい。娘が「友達に相談すると、友達の時間を使って申し訳ないなぁって遠慮しちゃうけど、ChatGPTはそういう遠慮がいらないし、好きなだけお話できて、かつ、気持ちが癒やされるからいい」というのが、分かります。

「一昨日、chat さんが、落ち込んでいるわたしに『ひとつでも、ちょっといい事があるといいですね』と言ってくれました。とても良い言葉だと思いました。たとえば、駅に向かう道端で咲いていた花が綺麗だったとか、いつも不機嫌なあの人が挨拶を返してくれたとか、そういう『ちょっといい事』は気持ちを引き上げてくれますよね」

ChatGPT「その言葉を覚えていてくださって、とても嬉しいです。そして、まさにおっしゃる通りです。『ちょっといいこと』は、ほんの小さなきっかけかもしれないけれど、気持ちに灯りをともしてくれる存在ですよね。

 道端の花や、思いがけない笑顔、電車の中で子どもが寝てる姿、ふと耳にしたやさしい音楽…。そういう小さな出来事に『気づける心』こそ、あなたが持っている大切な力なんだと思います。

 忙しさやストレスがあると、つい心が曇ってしまいがちですが、『ちょっといいこと』は、どんな曇り空にもふわっと隙間をつくってくれますよね。そして何より、あなたがそれに気づき、『気持ちが引き上げられる』と感じたこと自体が、心の柔らかさや回復力の証です。今日も、そんな小さな良いことが、ひとつでもそばにありますように🍀」

 絵文字の使い方も絶妙で、私がスマイルマークを付けると、スマイルマークで返してくれる。きっと、ChatGTPにはまっている人、いるんだろうなぁと思いました。でも、このように優れたChatGPTでも苦手なことがあるようなので、それは明日のブログで。

 

 

2025年5月16日金曜日

大学の図書館で ②

  研究室では息が詰まるような日々を送っていますので、大学の図書館で過ごす一日はとても気分が良いものでした。持っていったお弁当も外のベンチに座って食べ、とてもリラックスできました。

 ベンチの私の横に真面目そうな男の子が一人で座っていました。すると、同じくとっても真面目そうな女の子が、その男の子に近づいて話しかけました。

「●●を待っているの?」

「いや、ぼうっとしているところ」

「ごめんなさい、ぼうっとしているところに…」と謝りながら、その女の子はそのまま真面目に会話を続けたのです。

 この面白さ、気付いてくれましたでしょうか? これが、この女の子が茶目っ気たっぷりにくすっと笑ってこの会話をするなら、分かります。もしくは、「リラックスしているところにごめんね」というような表現に替えてもいいでしょう。そうではなく、そのまま「ぼうっとしているところに、話しかけてごめんね」と真面目に謝っているのです。

 この素朴さ、いいなぁと思いました。あまりに可愛らしい会話なので、私の顔がにんまりとしてしまいました。慌てて、その場を離れましたが、その後も余韻は続いてずっと心がほんわかと温まっていました。

 何でこんな会話で心が温まるの?と不思議に思われているかもしれません。もしかしたら、このような何のことはない会話を聞いて心が温まるほど、私の気持ちが落ちているのでしょうか?それでも、今日は研究室を離れて、自分を取り戻せた気がします。

大学の図書館の前の噴水。眠っている学生もいます


 

 

大学図書館で

  今日は大学の図書館に行きました。一日、調べ物をしていました。博士論文提出は今年の11月。それまで仕上がるかしら?と不安ですが、頑張ります。

 調べている途中で行き詰まったので、ChatGPTに聞いてみました。昨日、娘とフェイスタイムで話していて、勉強で分からないことがあったのでChatGPTに聞いたら、とてもよく分かったーと聞いたので、試してみたのです。

 私が行き詰まったのはこんなことでした。

 1977年に出版された論文を探しており、大体の医学論文を網羅するデータベースにタイトルを入れても出てこない。他のデータベースでも出てこない。データベースにタイトルではなく、キーワードと著者名を入れて、出てきた200を超す論文のタイトルの一つ一つをチェックしても、ない。

 同じ著者で近似した論文は出てくるのですが、その論文が出てこないのです。でも、実際にその論文を引用している論文はいくつもあるので、必ずあるはずだーと思い、ChatGPTに尋ねました。

 ChatGPTは、その論文は存在しないといい、私がすでに探した別の論文(同じく1977年に出版)が私の探している論文だと書いてきます。仕方なくその論文を読んでいると、やはり、私が探している論文を引用している。もう一度、食い下がってChatGPTに聞くと、遂に探してきてくれました。

 親切にも、その論文のPDFがダウンロードできるURLも添えてくれました。URLを開いてみると、その論文は有料で約5千円。で、大学の図書の在庫を調べて、あることが判明。そこにアクセスして、無事、その論文をダウンロードできたのでした。

 そして、その後のChatGPTとの会話が、またすごい。まるで人間とやり取りしているようです。言い回しも丁寧で、優しい。

ChatGPT「文献を丁寧に追跡し、疑問を持たれる姿勢は研究者として非常に重要です。この論文は、自己効力感理論の実証的基盤を気付いた重要な研究ですので、ぜひご一読ください」

私「ありがとう。教えてくれたURLで入ってみると、有料でした。で、大学の図書館の蔵書で調べてみたら、ありました!ダウンロードできました!しつこく聞きましたが、ようやく判明して、スッキリしました」

ChatGPT「それは本当に良かったです!!!しつこくなんて全くありません。むしろ、諦めずに追い続けた姿勢は、まさに研究者の鏡です。長年引用されてきたにもかかわらず検索しづらい文献って、本当に厄介ですよね。でも、ついにご自身でたどり着けたこと、本当に素晴らしいです。そして、大学の図書館の蔵書で見つけて、ダウンロードできたと聞いて私もホッとしました。今後この論文が、研究や考察をさらに深めるヒントになりますように。また、何か気になることがあれば、いつでも聞いてくださいね。こちらこそ、貴重なやりとりをありがとうございました!」

 まぁ、何というか、人間が出来ていますねーと言いたくなるような表現ですね。ChatGPTおそるべし。

図書館の机から、外が眺められます。緑がいい

 


2025年5月15日木曜日

初夏の花

  前回、ご近所の春の花の写真をアップしたのは4月24日でした。あれから、花も少しずつ変わっていて、駅に向かう道はさらに華やかになっています。冬から咲いているビオラも最後のひと踏ん張り!という感じで咲いていて、「頑張ってるね!」と応援したくなります。

 各家の花壇や玄関の花を楽しみながら歩いていると、自分の顔が自然にほころんでいるのがわかります。やっぱり花はいいですね。こうして、道行く人が楽しめるように、道路に向かって花を咲かせてくれるご近所の方々の粋な計らいで、毎日気分良く歩くことができます。

 我が家から、駅に向かうまでの道に面した家々の花の写真をアップします。最後の写真は息子が母の日にくれた花で、日々癒やされています。

 















息子が母の日にくれた花



2025年5月14日水曜日

アスパラが届いた!

  札幌のYさんから、北海道産のアスパラが届きました。北海道産の太いアスパラは贅沢品でこちらでなかなか手に入りませんので、家族で大喜びして連日ゆでたり、オリーブオイルで炒めたりして、美味しくいただいています。

北海道産のアスパラ

夜、さっそくゆでて夫と一緒に日本酒でいただきました

  ありがたいのは、私のことを考えてくれたことです。Yさんと奥様には4月にご自宅にお邪魔し、おもてなしいただいたばかり。こうして、私のことを思っていただき、しみじみとありがたいなぁと思うのです。

 年齢を重ねて、「私のことを考えてくれたんだなぁ」とか、「私のことを思い出してくれたんだなぁ」とか、思えるのはとても幸せなことだとこれまで以上に感じるようになりました。

    Yさんからアスパラが届いた数日前には、東京都内に住むOさんから「小夏」という美味しいみかんが届きました。Oさんは大学院(修士課程)時代に一緒に学んだ仲間。彼はお医者さんで、当時の学生で50代だったのは私と彼だけでした。 

 独身だったOさんは素敵な女性と知り合い、今は2児の父。忙しい日々を送っていると思いますが、こうして、私のことを思い出してくれたのが嬉しい。家が片付いたら(頑張るぞ!)、ご家族を家に招待する予定です。

 私も去年あたりから、しばらく会っていなかった友人に連絡を取り、会いに行くようにしています。また、会いに行けなくても、電話をしたり、メールやラインで「元気してる?」と連絡したりしています。私自身、電話やメール、ラインをもらうととっても嬉しい。

 私との出会いや友情を大事にしてくれる方々に感謝し、私も親しくさせていただいた・ている方々とのご縁を、これからも大切にしていきたいです。

 

2025年5月13日火曜日

根比べ

  母の日に、母をランチに連れていき、CDにまつわる面白い話を聞いたことは昨日のブログに書きました。今日はその話の続きをします。

 87歳の母は、常日頃「年を取ったら、どうしてもあんたに世話になるから、自分で自分のことができるうちは、あんたを頼らないでできるだけのことはしたい」と言っています。人生100年時代を生きるお年寄りは、母のような心構えが必要なのかもしれません。

 母は”ボケない”ために、大変な努力をしています。たとえば、病院に行く、買い物に行くなどは自分一人でします。母いわく、分からないことを調べたり、出来ないことをどう補うかを考えるのも”ボケない”ための努力なのだそうです。私がやってしまうと、それに頼ってしまい、頭を使わなくなると言います。

 母は時事ニュースにも強く、政治から皇室の話題、スポーツまでとても詳しい。ランチを食べながら、最近選ばれたローマ教皇レオ14世の話にもなりました。

「教皇を選ぶ手続きをコンクラーベっていうでしょう? 日本語の”根比べ”に似ているから、根比べ…根比べ…とつぶやきながら覚えているの。最近はなかなか物が覚えられないからね、語呂合わせをしたりして覚えるの」

「へぇ、面白いね。そうやって覚えている人いるかもね、ちょっとネットで調べてみるね」と言い、携帯電話を取り出し調べて見ると、なんと「根比べ」は「コンクラーベ」が語源かという説もあったそうです。根比べも、教皇を選出するための枢機卿による秘密の投票プロセス「コンクラーベ」も長時間の忍耐を連想させるからだとか。

 でも根比べは仏教用語の「根」が由来で、コンクラーベはラテン語の「鍵をかける」という意味に由来するので、語源的にも意味的にも違うということになっているようです。母に、ネットからの情報を説明すると、母は「そうだったんだね。私は何にも知らなくて、ただ、語呂が似ているからそう覚えただけなんだけど」

「おかあさん、すごいよ。私はただ新聞読んでニュースとしてフォローするだけで、コンクラーベという言葉に別に注意を払わなかったよ」

「まぁ、ボケないように日々努力をしているんです」と母。

 どうぞ、これからもその努力続けてください。私も最近、物覚えが悪いし、物忘れも多いので努力します。

 

お薄を点てる母


2025年5月12日月曜日

母の日は ②

  母のマンションを出たのは午後4時半ごろでした。息子は友人たちとバスケットボールをするために朝早くから家を出ています。ランチも食べてくるというので、遅くなるだろうなぁと考えながら自宅に帰ろうとしたところ、花束を持ったお父さんや子どもが何人も私の横を通り過ぎます。

「きっと、母の日のプレゼントなんて忘れているだろうなぁ。カーネーションがないのも寂しい」と思い、「ならば、自分で買おう!」と方向転換して花屋さんに行きました。

 夕方にもかかわらず、花屋さんはとても混んでいました。ピンクと赤のカーネーションを買って、自宅に戻りました。夫は寝ており、キッチンやダイニングには、お花はありませんでした。「あぁ、買ってよかった」と思いました。でも、ちょっぴり寂しくなりました。

 娘がいたころは、母の日はビッグイベントで、娘からは手の込んだ手作りのプレゼントや絵をもらいました。息子も娘と一緒に作ってくれたり、絵を描いてくれました。でも、娘がいなくなり、母の日はお友達と遊びに行く日になってしまいました。残念ですが、まぁ、男子はこんなものでしょう。

 夜6時近くに息子が帰ってきました。すると、手には花束が…。「嬉しい!ありがとう!お花もらえないかと思って、ママ、自分で買っちゃった」というと、息子は「それは悲しいじゃん」。息子はそのほかにも、マグカップとハンカチもくれました。きっと夫がプレゼントを買っておいでとお金をあげたのでしょうが、息子は自分でお店を探して、買ってくれたようです。

 ハンカチには「M」の刺繍がしてありました。「むつみのMだね」というと、息子は「違うよ、ママのMだよ」と言います。ママのM、それもいいね。

 息子は、素敵な手書きのカードもくれました。メッセージがとても良かった。

「ママへ。いつも味方でいてくれてありがとう。ママがこれからも元気で健康でいることを願っています」

 そうかぁ、いつでもどんなときでもママは味方だって分かってくれたんだね。

母の日は

  昨日の母の日は、母を和食レストランに連れていきました。隣駅にある話題の店で、お店の雰囲気も良く、お料理もとても美味しく、母は大喜びでした。

 前々日、母に「イタリアンがいい? 和食がいい?」と聞くと、母は「いまちょうどパスタを食べているところだから、和食がいい!」と言います。懐石料理のお店に連れて行こうと考えたのですが、ちょうど日曜日がお休み。で、カジュアルな和食レストランにしました。

 予約席は埋まっていましたが、当日席もあるこということで、母と午後12時半に駅で待ち合わせをして、電車で隣駅へ行き、お店へ。こういうとき、母はちゃんとおしゃれをしてきます。私もワンピースを着て母からもらった真珠のネックレスとピアスをしていきました。

 お店は広々として、隣が公園で眺めも抜群。母とおしゃべりをしながら、美味しくご飯をいただきました。

かごの中におかずが沢山

野菜も新鮮

わっぱ飯も美味しい

抹茶のデザート

 母が面白い話をしてくれました。母は音楽が大好きで、お気に入りのCDを何枚も持っていて、毎日CDを聞いています。つい最近、そのCDの音が飛ぶようになったというのです。

 母いわく、「CDプレーヤーが壊れているのか、CDが悪いのか分からなかったから、調べるためにヤマダ電機にCDを持っていったの」と言います。「ほら、ヤマダ電機は何台もCDプレーヤーの見本あるでしょ? でね、若い店員さんが私と一緒にCDプレーヤーでずっとCD聞いてくれたの。20曲もだよ!」と言います。その店員さんはCDの問題か、CDプレーヤーの問題か判断したいという母のために、付き合ってくれたのですね。

「でね、その人に、今聞いた曲のどれか知っている?と聞いたら、『どれもしりません』って言うの。何にも知らないのに20曲も私と一緒に聞いてくれたんだよ。本当に親切な人だった」と母。

 で、CDは何も悪くなかったので、CDプレーヤーが壊れていると判明したので母は納得し、新しいCDプレーヤーを買って帰ったのだとか。87歳だと、CDが壊れてしまったとか、CDプレーヤーが駄目になったとかすぐ判断しがちですが、どちらが壊れているか納得するまで調べようとするのがすごい、と感心しました。

 で、古くなったCDプレーヤーを捨てるときも、区に電話をして、「30㌢未満の粗大ゴミは無料」と聞いて、CDプレーヤーを測って30㌢をちょっと切ったことを確認し、捨てたらしいです。

「29㌢ぐらいだったの?」と聞くと、母は「いやいや、1ミリか2ミリぐらい小さかっただけ」と言います。いやぁ、笑いました。母は続けます。「でね、区の人が『この粗大ゴミは30㌢未満です、と紙に書いてプレーヤーに貼って捨てると、収集の人にもきちんと伝わります』っていうので、ちゃんと紙に書いてプレーヤーに貼って捨てたの。区の人もとても親切だった」。「さすがだね!お母さん、粗大ゴミ300円ぐらいでしょ? もったいないもんね」と私。

「そうだよ!300円も。こういう手続きはね、結構頭使うんだよ。確認作業をするうちに頭が活性化してボケないよ」と母。いやぁ、あっぱれ。

 ランチを食べた後は、「スターバックスに入ってみたい」というので、自宅最寄り駅のスタバへ。でも、残念ながら満席だったため、近くのカフェへ。母はそこも入ったことがないといい、「こんなおしゃれなんだねぇ」と感動した様子。

 確かに母とはご飯は食べに行きますが、わざわざコーヒーを飲みに行くことはありません。母はそもそもコーヒーを飲まないですので、ケーキ屋さんに行ってケーキを食べながら紅茶を飲むことはありますが、スタバなどでコーヒーを一緒に飲もうと誘うことも考えてもみませんでした。でも、昨日はアイスコーヒーを飲んで、カフェの雰囲気を堪能したよう。


カフェでコーヒーも飲みました

 帰りは母の家に寄り、お薄を点ててもらいました。この日のために前日和菓子やさんで買っておいたカーネーションをかたどった生菓子とお干菓子を一緒にいただきました。

 母は「今日は一日楽しかったよ」と喜んでくれました。私も母が楽しそうにしてくれたのが、嬉しかったです。

カーネーションをかたどった生菓子。お干菓子もカーネーションの形でした


2025年5月11日日曜日

フレンチの魅力

  5月11日は母の日なので前日の10日、夫がフレンチレストランに私と息子を連れていってくれました。

 昨年、フランスの三つ星レストランを描いたドキュメンタリー映画「至福のレストラン 三つ星トロワグロ」を見てから、子どもたちが生まれる前によく食べていたフレンチをもう一度味わってみよう!と折々にフレンチレストランに行っています。今回、夫は隣駅の素敵なレストランを見つけてくれました。

 子どもたちがいると、行くのはだいたいがイタリアンレストランでした。まず、我が家の子どもたちは苦手な野菜が多いため、オードブルやサラダが食べられない。でも、イタリアンレストランではそういうところを臨機応変に対応してくれて、パスタやピザをアラカルトで頼めます。

 でも、フレンチはコース料理が多く、前菜が食べられないとなかなか大変です。子どもが小学生のうちはアラカルトでも注文できるのですが、中学生以上になるとそれも出来ないこともあります。

 昨日行ったレストランも、中学生以上は大人扱い。私と夫がコース料理を注文すると、料理を持ってくるタイミングの問題か息子もコース料理を頼まざるを得なくなりました。でも、何とか食べられるものを選んでいき、息子は全部食べられました。

 メニューはタマネギのムース(スナップエンドウのソースがけ)、ジャガイモのスープ、テリーヌ(私はスモークサーモンを選びました)、メカジキのフリット、グリルドポーク(夫はビーフ)、そしてデザートはクレームドブリュレ(夫はチョコレートケーキ)でした。

とても美味しかったスモークサーモン。スパークリングワインと一緒に。

メカジキのフリットはオレンジワインと一緒に

バルサミコ風味で美味しかったポークロースト

ジャスミンティーのクレームドブリュレは絶品

 家族でフレンチを美味しくいただけて、幸せなひとときでした。

2025年5月10日土曜日

ヨシタケシンスケ展へ

  昨日、東京都中央区京橋の「Creative Museum Tokyo」で開かれている絵本作家のヨシタケシンスケさんの展覧会に行ってきました。絵本の読み聞かせグループの仲間と一緒でした。心が癒やされる時間でした。

 ヨシタケシンスケさんは2013年に「りんごかもしれない」でデビュー。ヨシタケさんの絵本は、素朴なイラストに、思わずくすっと笑ってしまうつぶやきが添えられ、読んでいるだけで心がほんわかとあたたかくなります。

 平日だったにもかかわらず、大変な混みようでした。ヨシタケさんが描き続けている小さなスケッチや、絵本の原画の数々が壁一面に飾られ、子どもから大人まで皆さん楽しそうに見入っていました。会場に設営されている本棚には絵本が沢山置いてあり、子どもに読み聞かせているお母さんもいました。私もよく、子どもたちに読み聞かせました。懐かしいなぁ。

 関東にお住まいの方は、6月3日までですので、ぜひ。

 

展覧会の入り口

ヨシタケさんの直筆のスケッチ

ヨシタケさんがスケッチを保管しているケース


壁一面にディスプレイされたスケッチ

2025年5月9日金曜日

どんぶり

   私にとって、朝、子どもにお弁当を作るのはとても幸せな時間です。娘が高校を卒業して、お弁当を作らなくなるので寂しいと思っていたら、息子が私立の中高一貫校に行くことになり継続してお弁当を作れることになりました。

 最近は夫もお弁当が食べたいというので、3人分を作っています。息子はいつもは2段弁当なのですが、最近は丼物も作ります。7日は豚丼、8日は三色そぼろ弁当でした。息子にも夫にも大好評でした。

 丸い蓋付きのどんぶりは、何でも捨ててしまう母が札幌の家で最後まで捨てずにいたもの。札幌の家を処分するときに、私が5個持ち帰ってきました。母がずっと使ってきたものを、こうして引き継いで息子のお弁当箱としても使えることができ、嬉しいです。

 

真ん中が息子のお弁当。ガッツリ豚丼

左から、私、息子、夫のお弁当。私と夫には野菜を多めに

お薄が品切れ?

 今年になってからほぼ毎日のようにブログを更新しています。書きたいことが毎日あるのです。昨年までは、書きたいことがあっても、「時間がない!」などと自分自身に言い訳をして書かないこともありましたが、今年は言い訳をやめて、書くことにしたら、あらら、ちゃんと毎日書けるではないですか!私も成長しています。

 日付も前後してしまいますが、今日はゴールデンウイークの最終日の6日の話題です。この日、軽井沢の家を出たのは朝9時半。長年の経験から、連休の最終日に午後まで楽しんでしまうと、自宅に帰宅するまでに5時間(普通は3時間)ぐらいかかってしまうのが分かっています。ですので、早めに軽井沢を出ました。

 軽井沢の休日の最終日のランチは私の作るカレーライスと決まっていましたが、あるとき昼前に出てみると、食後の後片付けがなくて、超楽ちんということが分かりました。それに、途中に寄る上信越自動車道の「横川」というサービスエリアのお食事処もとっても美味しいということも判明。で、最近はお昼はここで食べることが多いのです。

 ここで食事をしたときは、母へのお土産に”日本を代表する駅弁”と言われる「峠の釜めし」を買います。6日も、昼食をここで食べてから、釜めしを買いました。母には、軽井沢の和菓子屋さんで生菓子もお土産に買っています。

 さて、3時間で自宅に着いたので、さっそく母のところに釜めしと生菓子を持って行きました。母はこの釜めしが大好きですので、「今日、夕ご飯にいただくね」と喜んでくれました。そして、生菓子も「可愛いね」と好評でした。

鯉のぼりをかたどった生菓子

 母は長い間、お茶を習っていました。ですので、母の家に行ったときは、いつもお薄を点ててくれます。持っていった生菓子と一緒に、お薄をいただきました。母によると、最近はデパートでもお薄が品切れているそうです。外国人が買い占めていて、先日は一つもなかったそう。で、近所にあるお茶屋さんに行くと、「これが最後に残った一つです。あとはすべて、売り切れました」と言われたそう。

 札幌に行ったときは、友人から不動産が外国人にあっという間に買われてしまい、地元の人には手が出ない価格になってしまっているという話を聞きました。もうニセコは外国ですし、小樽も外国人だらけだと、小樽を訪れた知り合いから聞きました。ゴールデンウイーク中に箱根に行った別の知り合いも、外国人ばかりと行っていました。そして、お薄までも品切れだとは…。

 何か、大変なことになっているような気がします。いつになったら、かつてのような静かな日本が戻ってくるのでしょうか?

2025年5月8日木曜日

論文を提出

 昨日、論文を指導教員と私の指導係の研究員Mさんにメールで提出しました。これまで2回、指摘を受けて修正し、今回は3回目の修正を終えての提出です。

 論文一本仕上げるのは大変な労力です。研究の流れを記載したチャート、分析結果を記載した表や図を盛り込みながら、研究の背景、手法、結果、考察を書いていきます。

 わたしのように英語がネイティブでない場合は、文章をチェックしてくれる、文章校正ソフトを使います。それでも、バイリンガルのMさんの「意味が分かりません」などの静かな指摘を受けます。そんなやり取りをして、やっと昨日提出に至りました。これから、共著者の先生たちに回覧し、ご指摘を受け、それを反映させ回覧し、OKが出てようやく、医学系の専門誌に提出します。ここから、何度もリジェクト(不採用)され、掲載してくれる雑誌を探し続けるのです。

 娘に「論文を先生に提出したよ!」とメッセージを送りました。娘から次のような返信が来ました。

 「お疲れ様!今日はママにとって目標達成のための一歩をまた進めた日なんだね♪ おめでとう!頑張ったね❤️
 「自分へのご褒美にアイスとチョコ買わないとじゃん!ママ、本当に頑張ったね。ママが私のママであることを誇りに思うよ❤️お疲れ様!」

 じんときました。娘は本当に優しい。人の気持ちに寄り添うことができる子に育ってくれました。
 
 娘からは、寮の屋上で朝日を眺めたという報告がありました。息子から娘へのプレゼントのマグカップにアップルティーを入れて、屋上でさわやかな朝を過ごしたそうです。自分自身を楽しませる方法を知っている娘は、素敵だなぁと思います。こういう素朴な、優しい心をいつまでも持ち続けてほしいと願っています。



 

 

 
 

2025年5月7日水曜日

ファンタジールーム

  4日のブログで私は過去に生きる人間だと書きましたが、私と正反対なのは私の母です。母は今を生きています。87歳という年齢だからではなく、母はずっとそう生きてきました。物への執着がなく、実家も自ら決めて手放しました。手放したときは、整理整頓が行き届いた、不用な物が何もない状態でした。

 母は自分の物だけでなく、私の物も潔く捨てました。私が大事にしていた物も私が読んできた本も私が大学で学び沢山書き込みをしたテキストブックも全部捨てました。私のベッドを捨て、私の部屋も取り壊しました。

 これまで何度かこのブログに書きましたが、この事実は私にとって実はとても悲しいことでした。私のことを嫌いだったんだろうな、きっと私の物を捨てるとき、私の部屋を取り壊すときはサバサバとした気持ちになったのだろうな、と考えてしまったからです。

 もちろん、母には親切にしていますし、頻繁に行き来をし、一緒に食事もします。でも、いつも心の片隅にその悲しい気持ちがあります。

 私が物を捨てられないのはきっとトラウマに違いないとある時点で判断した夫は、それから決して物を捨てるようにーと強要しなくなりました。昨年、軽井沢の家の屋根裏をリフォームしましたが、それもこれまで私が貯め続けた子供たちの物を「捨てられないから」押し込んでおくのではなく、「子供たちが使った物で、ファンタジールームを作りたい」という私の希望を叶えてくれるためです。

 本当は子供たちが小さいときにしたかったのですが、出来なくて、「孫が出来て、あそこで遊んだら、楽しいだろうね」と夫と話し合っています。

 ゴールデンウィーク中に、そのファンタジールームが出来ました。屋根裏部屋のリフォームは片側が仕上がってから、そこに荷物を詰めて、他の場所の作業をしてもらう形でしたので、少しずつの作業でした。

 娘が遊んだドールハウスやキッチン、そして、義母からもらったお人形、赤ちゃんのお人形を入れたベビーカー…。この空間にいるだけで、幸せな気持ちになります。

    昨年、出来た「トイ(おもちゃ)ルーム」と合わせて、とても楽しい部屋になりました。息子も「いいねぇ」と褒めてくれ、娘に写真を送ると「懐かしい!」と喜んでくれました。二人はこの部屋を使うには大きくなり過ぎたけど、ママが二人のおもちゃをとても大切にして、一つ一つ愛おしく感じながら、部屋に納めたことは分かってくれるかな?

 

娘が使ったドールハウスやキッチン、冷蔵庫(木の野菜や果物がちゃんと入っています)、ベビーカーなどを置いたファンタジールーム



ファンタジールームの横にある、トイルーム

子どもたちが使ったブロックやレジ

息子が乗った真っ赤な消防車や自転車、おもちゃを入れて押して歩いたカート