2025年2月8日土曜日

今週の一冊_「幸せについて」

 先週の土曜日(1日)夕方に定期券を失くし、もう諦めていた一昨日、警視庁遺失物センターから届いていると連絡があり、昨日引き取りに行きました。

 これまで2回定期券を失くしたことがあり2度とも戻ってきましたが、今回は定期券で利用する2つの鉄道会社に問い合わせしても届いていなかったため、早々に諦めました。普段ですと次の手段である、その2つの鉄道がつながる別の鉄道会社に問い合わせするのですが、今回はあえてしませんでした。

 ネットで、定期券を失くすという意味を調べ、自分がいつも通う場所から離れるタイミングという意味もあると書いてあったので、そうかもしれない、と納得。本当にそうなのかどうかは別として、そう思うことが必要でした。研究所のことでずっと悩んできましたので、あと2ヶ月半分残っている、自宅最寄り駅から研究所最寄り駅までの定期券と定期入れに入っていた2千円を厄祓いにして、気持ちを切り替えようと思ったのです。

 気持ちの切り替えの手段として、すでに週4回は行っていた研究所への回数を減らし週2回にし、1回を大学の図書館にし、残り1日を在宅にすることに決め、2週間前から実行していました(平日週1回は友人とランチをするなど、全く研究をしない日にしました)。

 そうして今通う研究所への精神的な縛りを手放そうとしたところ、一昨日の電話でした。愛着のある、クマさんの顔の形をした使い古した定期入れを失くしたことを残念に思っていましたし、一日往復800円は痛いなぁとも思っていましたので、有り難く引き取りに行ったのです。

 飯田橋駅近くにある警視庁遺失物センター。駅の出口を出て、携帯電話の地図を見ながらキョロキョロしていると、「お困りですか?」と中年の女性が声をかけてくれました。有り難く、遺失物センターへの道筋を聞くと、とても親切に教えてくれました。

 そして、同センターでも担当者の方がとても親切にこの定期入れを渡してくれました。誰が拾ってくれたか聞いたところ、その方は「JRの職員です」と言い、「ですので、お礼はいりませんよ」とにっこり。「そうでしたか。大変助かりました。ありがとうございます」とお礼を言い、同センターを出ました。

警視庁遺失物センターの前で。戻ってきたクマさんの定期入れ

 私は定期券で使う鉄道会社2社には問い合わせていましたが、JRは乗りませんので、問い合わせていませんでした。JRも乗り換え出来る駅でしたので、誰か親切な方が拾って窓口に届けて下さったか、職員さんが拾って警察署まで届けて下さったのでしょう。

 いずれにしても、拾った定期入れを最寄りの駅の窓口に届けてくれる、正直で親切な人がいる(大多数だと思います)、そして道に迷っている人を助けようと声がけしてくれる親切な人がいる、日本に住む私は何て幸せなのだろうとしみじみと思いました。

 ふと、そこに来るまでの電車の中で読んでいた本のことを思い出しました。「幸せについて」(谷川俊太郎、ナナロク社)です。谷川さんが幸せについて、考えたことを綴っています。昨日は大学に行く日で、たまたま寄った構内の書店でこの本を見つけて買い、大学最寄り駅から飯田橋駅までの電車の中でその本を読み始めていました。

故・谷川俊太郎さんの「幸せについて」

 谷川さんの言葉を心の中で反芻しながら、自分にとっての幸せについて考えを巡らせていましたので、親切な人が住む日本に住んでいることを幸せだなぁと感じられたのだと思います。私自身の中でぼんやりとは分かっていつつも、明確には分かっていなかったことを、谷川さんはこの本の中で言語化してくれています。その一節を引用します。

「幸せが自分の外にあるように思うのはアホ、外にあるのは幸せそのものではなくて、幸せの理由だけ、お金とか、友達とか、地位とか、広々した自然とか、可愛い子犬とか、幸せを感じる理由は身近にいっぱいあるけど、幸せそのものはひとりひとりのヒトのカラダとココロに湧く感情の一種、それもいわゆる喜怒哀楽の感情の次元を超えた〈感動〉だから、自分のココロとカラダから湧いてくるのを信じるしかない。」

 この本を夜、寝る前にもう一度読み返しました。そこには、英語では「ラッキー」(幸運)と「ハッピー」(幸せ)は意味は違うけど、日本語では同じ字を使うために、混同してしまう人がいると書いてありました。

 確かに、私が昨日しみじみと感じたのは「幸運」以上の感情、「幸せ」だったなぁと振り返りました。以前2度、落とした定期券をどなたかが窓口に届けて下さったときは「幸運」だと思い、届けてくれた方に感謝の気持ちは持ちましたが、「幸せ」とは少し違う感情だったように思います。

 落とした定期券と谷川さんの本で、幸せについて深く考えさせられた一日でした。 

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