昨日、親しくしているがんのママさんからラインがありました。「むつみさん、18日Eさんが旅立ったそうです。同じマンションのママ友から連絡がありました」
事実だけを伝える簡潔な文章から、そのママさんの深い悲しみが伝わってきました。そのママさんは最後までEさんを精神的に支えていました。ママさんに電話をしました。
Eさんは中学生のお子さんを残して旅立たれました。ママさんは高校生、私も中学生の子供がおりますので、まだまだ世話をしたい、成長を見守りたい子供を残して逝くのは、どれほど無念だっただろうと語り合いました。
Eさんは血液のがんで、骨髄移植という大変な治療をした後も再発・再々発し、最後は治療法がなく緩和ケアの病院に行かれたそうです。私は何度も、今回連絡をいただいたママさんが主宰するがんのママの集いでEさんとご一緒しました。小柄で可愛らしい、そしてお話好きな方でした。種類は違いますが、私も血液のがんを患っていたこと、高齢で出産したことと共通点もあり、いろいろお話もさせていただきました。
骨髄移植で再発・再々発をしたということは、完治を望めるはずのこの治療法で、がんの勢いを止められなかったということ。骨髄移植の治療中は免疫が低下しますので、無菌室というところに入らなければなりません。この期間は長く、面会も禁止されます。ですので、Eさんも長い間、お子さんと離れて入院されていたそうです。子供との幸せな暮らしに戻ることを願って、辛い治療も耐えてきたEさんが、結局は天に召されてしまった。人生は酷です。
私もEさんのように、血液がんが再発・再々発しました。再々発時は完治を目指し「造血幹細胞移植(骨髄移植、末梢血幹細胞移植、臍帯血移植の3種類の方法がある)」を主治医に勧められ、またセカンドオピニオンでも移植を勧められました。セカンドオピニオンを伺った医師からは「造血幹細胞移植をしなければ、娘さんが成人するまでは生きられない」とも言われました。
私は当時43歳だったため、妊娠を諦められず、化学療法(抗がん剤治療)より強い治療である、造血幹細胞移植を選びたくなかった。この治療は治療が強力である分、副作用・合併症が多い。病院で同室の患者さんが、この治療を受けて別人のようになり、合併症を治すためにあちこちの病院にかかっていました。その様子を見て、私もこの治療を受けたら副作用・合併症の治療に時間がかかり、妊娠を望めない年齢になってしまうだろうと予想しました。
主治医も私の意向を尊重してくれ、初発時に使った薬は使えないなど制限がある中、通常とは違う治療を選んでくれました。私はその治療法で寛解し、現在に至ります。今年、娘の成人式を一緒にお祝いすることもできました。寛解後にセカンドオピニオンを伺った医師に報告し、医師からは治療法を聞かれました。説明すると、その医師は「そうきたか…」とつぶやきました。このような結果から、どの治療が完治を望め、どの治療がそうでないのかーは最終的には、人智の及ぶところではないのではーと考えます。
ママさんは、Eさんのご主人に落ち着いたころに連絡を取り、Eさんと交流のあったがんのママたちからメッセージとお花を贈っていいかを伺ってくれるそうです。電話は、お互い治してもらった体を大切に生きようねーと言い合いながら、終えました。
Eさん、長い間お疲れ様でした。お子さんを残して旅立つのはどれほど心残りだったでしょう。どうぞ、天国からお子さんを見守っていてくださいね。
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