2025年2月4日火曜日

海老天重を食べながら…

  先週(29日)に築地の国立がん研究センター中央病院を受診しました。一昨年末に胃がんの手術をしてから、初めての胃カメラ検査です。

 その日のうちに結果が出て、悪性リンパ腫、胃がんともに所見なしでした。昨年10月には約20年間服用し続けた自己免疫疾患の薬も終わり、本当の意味で健康になった気がします。

 わたしはいつもこの病院を「わたしの居場所」と思ってきました。多くの患者さんが治療が効かずにこの病院を去っていく中、私は30代に罹患し2度再発した悪性リンパ腫も、治癒に時間のかかった2つの自己免疫疾患も、病気を忘れたころに罹患した胃がんも、全て治してもらいました。

 ここは闘いの場であり、治療が本当に大変なときもありましたが、なぜかここに来るとほっとする。主治医や他の医師、看護師の方々に良い治療をしていただいたとともに、「私は見捨てられていない」と信頼感を持ち続けられた。医療スタッフの方々、そして病院の運営を支える事務の方々には、感謝の気持ちでいっぱいです。

 夫も母も、がん専門のこの病院でなければ、わたしは生きていなかったと断言します。わたしもそう思います。病院を何件受診しても体調不良の原因を発見してもらえず、ようやく悪性リンパ腫の診断を下してくれた都内の総合病院の血液内科医師・藤枝先生。藤枝先生が「あなたの病気は、チームで治療をしてもらったほうが良い。どこでも紹介状を書きます」と仰ってくれ、当時の国立がんセンター中央病院血液内科長の飛内先生につなげていただき、今に至ります(飛内先生は定年退職されました)。

 飛内先生には悪性リンパ腫だけでなく、国指定難病の2つの自己免疫疾患も治していただきました。他の病気で別の病院を受診し、私の病歴に関心を持った熟練の医師から治療法を尋ねられ答えると、「そうきたか…」とつぶやいたのを今も鮮明に覚えています。それほどに、私は良い治療をしていただきました。

 同じ敷地内の、病院の隣の隣に、がん専門の研究所があります。たくさんの優秀な研究者らが癌撲滅を目指ししのぎを削っています。私もそこに博士課程研究者として所属しています。

 幸運にも良い治療を受け、生き残った者として、役に立ちたいという思いで研究の道に入りましたが、私は研究者に向いていないらしいとつくづく思います。研究とは直接関係ないところで辛い思いをすることが多く、つい先日も耐えきれずにトイレに駆け込み、泣きました。この年になっても、あるんですね。耐えられずに泣いてしまうことが。

 「あなたはここでは不用な人間です」と言われているような気がしてならない。「あなたの居場所はここではない。隣の病院に戻ってください」と。

 さて、30日は鎮静剤を使い、寝ている間に胃カメラ検査をしてもらいました。私は20代のころから胃潰瘍を患い、これまで数え切れないほど胃カメラ検査をしていて体が胃カメラを受け付けず、鎮静剤なしでは検査が出来ません。

 鎮静剤を使うと、検査後も1時間以上は目が覚めません。その日も目が覚めたときには、すでに飲食禁止の時間は過ぎていて、食事が出来る時間になっていました。当然のことながら、前日夜8時以降は何も食べていないためお腹がすいていたので、19階の眺めの良いレストランに行きました。

 かつて、築地市場が病院の前にあったときは、大きな海老フライが定番メニューであり時折食べていました。母も夫もこの海老フライが大好きでした。がんと闘う娘・妻の見舞いに来るという気の重い時間、母と夫は美味しい食事をすることで気晴らしをしていたと思います。

 残念ながら、その海老フライがなくなって久しい。海老フライがなくなってからは、普通のランチメニューを食べていましたが、今回はなぜかあの大きな海老フライを思い出したので、代わりに海老天重をオーダーしてみました。そして、つらつらとこれまでを振り返りました。

国立がん研究センター中央病院の19階レストランで食べた海老天重

 この病院には20年以上3ヶ月以上開けることなく、通っています。入院も何度もしました。でも、おそらく今回の検査結果を受け、昨年には薬も終了したことから、通院の間隔が開きそうな気がします。親元からなかなか自立できない子供のようですが、私はこの病院(この敷地)から離れ、社会のどこかに自分の居場所を真剣に探す必要がありそうです。

 ここで食事をするのも、もう最後にしたいー。美味しい海老天重を食べながら、初めてそう思いました。いつまでもずるずるとここに居座る私に、神様が「おまえの居場所はここじゃないぞ」と言っているような気がしてきました。

 

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