一昨日、がんのママの集いに参加し、その集いを主宰するFさんと集いの後にお昼ご飯を食べながら語り合いました。
Fさんは40代、私は30代と働き盛りでがんになり、また、子供を死産しており境遇が似ていることから、お互いに親近感を持ち、折々に会ってはお話しします。Fさんは慈愛に満ちた人で、がんを罹患して悩み苦しむママさんたちや、子供を死産した人を支える活動をしています。皆に慕われ、敬われる、素晴らしい人です。
一昨日は、しみじみと子供を死産することについて語りました。私もFさんも死産後にもう一度出産したのですが、実は、死産後に子供を持つことを諦める人は少なくありません。赤ちゃんをお腹の中で大事に育てながら、また死産する結果になるかもしれないという不安を抱え、長い妊娠期間を送ることに耐えられないと考えるためです。
Fさんが親のような世代の人に、お嫁さんが死産後もう子供は産みませんと断言して結局孫は出来なかったという打ち明け話をされたと話してくれました。「皆があなたのように次の子供の妊娠・出産が出来るほど精神的に強いわけではない」と言われたとも。
私も息子の妊娠中は生きた心地がしませんでしたし、もう一度、あの死産という悪夢が現実になるのではと想像しない日はなかった。Fさんもそうだったと言い、そのお嫁さんの気持ちがとても良く分かると言います。
その期間を耐えられるかどうかは、自分がそれを耐えられるぐらいに精神的に強いかどうかをまず見極めるところから始まるのだと思います。いや、耐えられるかどうかよりも、Fさんも私も、気が狂うほどの心配で不安な期間を経ても、赤ちゃんを産みたいと願ったのだと思います。さらに言うと、もう一度、死産という結果に終わったとしても、産むという決断をしないで後悔するよりはまだ良い、という究極の判断をしたとも言えます。
Fさんとはその後、「執着」についての話になりました。私が大学院で苦しんでいることを話すと、Fさんは「むつみさん、それは、きっと一度始めたことは最後までやり切るべきだという、むつみさん自身の信条に対する執着ではないだろうか」と言います。
確かに、そうです。私は諦めないことを信条としていますし、常に目標を掲げて、それに向かって努力したい人間です。そして、途中で諦めることがなかなか出来ない。でも、最近、そういう自分の性分に疲れてきているのも事実です。
Fさんは天国にいる娘さんの元に行くためには身軽にならなければならないーと信じているそうです。この世での様々な執着を手放さないままあの世に行ったら、重すぎて娘さんのところに辿り着けないと苦笑します。
「あっちであの子を育てたいから。この世で身軽になってあの世に行かなきゃ。だからね、考え方も含めていろいろなものを手放すようにしているの。ほら、私たちいつまで元気か分からないじゃん。手放すのも精神的なパワーいるから、それも元気なうちだよ」
そうだね、私たちの子供がこの世に生まれる前にあの世に行ってしまったということは、この世で修業しなくてもいいほど徳が高い子どもたちなんだよね、天国の中でもかなり高いところにいるよねーと互いに天国の子に思いを馳せました。
Fさんからはいつも、とても大切な気づきをもらえます。自分の信条への執着ー。本当だなぁとつくづく思ったのでした。
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