私が最初にローラアシュレイの店に行ったのはもう二十数年前のことです。当時、新聞記者として働いていた私は1カ月の有給休暇を取得し、イギリスの地方紙で研修を受けていました。研修の内容は町を取材し、新聞に記事を書かせてもらうこと。休みには散策したり、骨とう品店や古本屋さんをのぞいたりしました。そのときに初めてローラアシュレイの店に行ったのです。
店の中の生活雑貨はため息が出るほど素敵でした。深い緑色のビロードの生地で作られたクッションに目が留まりました。購入したかったのですが、かさばるために断念。帰国後もそのクッションが忘れられず、いつごろか忘れましたが、ローラアシュレイの商品を少しずつ買い始めたのです。
イギリスのカントリーライフに憧れていた私は、家中をローラアシュレイの美しい花柄の生活雑貨で揃えることを夢見ました。ボーナスが入ると、タオルやバスマットを買いました。次にベッドカバーやシーツ、クッションを揃えました。結婚して娘が生まれてから中古の家を買ったときは、居間や寝室用にカーテンをオーダーしました。娘の部屋は勉強机と本棚、ベッドカバーとシーツ、カーテンまですべてローラアシュレイで揃えました。写真立て、ランチマット、コースター、クリスマスの飾りなどの生活雑貨もそろえました。そして息子の出産時にいただいたお祝いのお返しもローラアシュレイのタオルにしたほど、このブランドが好きでした。
2018年にローラアシュレイとライセンス契約を結んでいたイオンが契約を終了し、日本から突然店舗がなくなったときは、とてもショックでした。が、イギリスにあるので、いずれ、また戻ってくると期待していました。
今日、母を交えて家族でランチを食べるために駅で待ち合わせしたときは、開口一番、この話をしました。母も朝のニュースを見ていました。
「あの花柄に固執し過ぎて、時代のニーズに合っていなかったという話だよ。お揃いのポーチ、大事にしなきゃって思ったわ」と母。
私は経営破綻にショックを受けてセンチメンタルな気分になり、理由など考えませんでした。さすが、情報通の母です。母が数年前、私にプレゼントしてくれたお揃いのポーチをそれぞれのバッグから取り出し、記念に写真を写しました。
「本当にショックだね」と言いつつ、気を取り直して向かったのは、もちろん「北海道ラーメン」店です。日々、憂鬱なことショックなことなどいろいろありますが、沈んでばかりいられません。美味しいものを食べて、元気を出さなきゃ、です。何せ、この新型コロナウイルス感染がいつ終息するのか見通しが立たないのですから。
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店の壁に掛けられたメニュー。「函館って塩だった?」と母としばらくラーメン談義 |
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右下と向かいが札幌味噌ラーメン、左が母が注文した旭川醤油ラーメン |
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