2020年3月30日月曜日

季節外れの雪 

  昨日、東京は季節外れの雪が降りました。新型コロナウイルス対策のため3月はほぼ自宅にいて、外に出る機会が少なかった子どもたちは大喜び。雪だるまを作ったり、雪合戦をしたり、普段は出来ない遊びをしました。私も童心に返って、子どもたちと束の間の雪遊びを楽しみました。

 朝、窓の外の雪を見るや否や、息子は外に飛び出していきました。雪がうっすらと積もると早速雪だるまづくりに着手。次は「ママ、メイプルシロップ持ってきて!」と言い、普段はパンケーキにかけるメイプルシロップを丸く固めた雪にかけて食べました。
 
雪だるまを作る息子

固めた雪にメイプルシロップをかけました
 
娘と息子が作った雪だるま。左は娘が作りました
私は雪国札幌で生まれ育ちましたので、雪のある風景を見ると気持ちが落ち着きます。そして、子どもたちが雪で遊ぶ姿を見るのも、とても嬉しいのです。

2020年3月29日日曜日

花見の代わりに

 首都圏で不要不急の外出自粛が要請された28日、近くに住む母が「ご飯を食べにおいで」と誘ってくれました。在宅勤務と在宅学習に飽きてきた夫と子供たちは大喜び。母のマンションに向かう道にはところどころに桜の木があり、散歩がてらちょっとした”花見”も楽しめました。

 82歳の母は新型コロナウイルスへの感染を避けるため、病院やスーパー以外は外出を控えて家にいます。最近は病院から「感染したら大変ですので、なるべく病院には来ないでください。薬は多めに処方します」と言われ、ことの重大さを実感したよう。でも、昨日はお寿司やお肉料理、煮物などご馳走を用意して、もてなしてくれました。

 家族で食卓を囲みながら、「昨年、思い切って母をこちらに連れてきて良かった」とつくづく思いました。新型コロナウイルスは最初、北海道で広がりましたので、もし今も母が札幌にいたら気が気でなかったと思います。

 母も「高齢者が感染すると重症化するみたいだから、一人暮らしだったら不安だった。あんたや孫の側に来てよかった。何かあってもすぐ来てもらえる」と言います。去年の引っ越しはそれは大変でしたし(下記のブログに書いています)、母がこちらに来てからも互いのペースがつかめず喧嘩もしましたが、やはり決断して良かったと思います。

https://ar50-mom.blogspot.com/2019/08/

https://ar50-mom.blogspot.com/2019/09/blog-post.html

https://ar50-mom.blogspot.com/2019/09/blog-post_9.html

https://ar50-mom.blogspot.com/2019/09/blog-post_29.html

 さて、母の趣味はお茶です。遊びに行くと必ず立ててくれます。子供たちも小さいころから母に入れてもらっていますので、お茶が大好き。昨日は、桜をかたどったお干菓子をお土産に持っていきました。母はサツマイモの和菓子を作っていてくれました。


 お茶を飲み終わった後、息子が「ママ、携帯電話貸して!桜の写真を撮ってきたいの」と言います。しばらくしてから戻ってきた息子が見せてくれた写真はなかなか良く撮れていました。マンションの敷地内にある桜です。


 今年は上野公園や目黒川など桜の名所での花見も自粛となっています。豪華な桜は見られませんが、こういうささやかな花見も良いなと思った一日でした。

2020年3月28日土曜日

コロナ対策 インターナショナルスクールの決断

 娘の通うインターナショナルスクールの校長先生から27日、保護者宛てに衝撃的なメールが送られてきました。新型コロナウイルスの感染リスクを下げるため、今年度の授業はすべてオンラインで行うというのです。つまり、年度が終わる6月中旬まで学校はなしということ。休校は3月2日からですので、3か月半の在宅学習となります。加えて夏休みが8月末までありますので、子どもたちはほぼ半年間、家にいることになるのです。

 メールの後、同学年のお母さんたちのグループラインがざわつきました。ラインにあふれたのは、血の気が引いた表情や涙を流す顔のスタンプ。皆、他のインターナショナルスクールの動向を気にしており、集まった情報によると、こんな大胆な決断をした学校はまだないようです。

 娘は9年生(日本の中3)ですので、オンラインでの在宅学習はできます。が、やはり、子供は特別な事情がない限り、毎日学校に行って学ぶほうが良いに決まっています。かつ、テストはどうするのか、体育など在宅では難しい科目はどうするか、成績はどうつけるのか、遅れはどう取り戻すのかなど心配は尽きません。感染リスクがありますので、気晴らしの外出もできず、旅行もできません。

 同じくメールを見た夫も、「欧米や中国に比べて日本は感染者がずっと少ないのに、何で今決めるんだ?」と憤っていました。小池百合子東京都知事は今を「感染拡大の重大局面」とし、今週末の外出自粛を都民に要請。都内の新規感染者数は昨日まで3日連続で40人台となりましたが、それでもやはり、学校を6月まで休校にするほどの危機的状況ではない気がするのです。

 厚生労働省によると国内の感染者数は28日12時時点で1499人(クルーズ船を除く)で、10万人を超えた米国や8万人超のイタリア・中国に比べて、格段に少ない。娘の学校では海外から来ている人も多いのですが、日本は欧米やアジアの国々と比べて感染者が少ないですので、日本にいるほうが安心という考えすらあるぐらいです。

 また、文部科学省は2月末全国の小中高校に対して一斉休校を要請していましたが、4月の新学期から原則再開することとしています。それに向け、マスク着用や換気の徹底などの感染防止対策を盛り込んだ指針を公表しています。このような中、なぜ、娘の学校は独自の判断をしたのでしょうか。

 まず、考えられるのは、米国の流れに準じたということ。たとえば、シカゴに住む姪たちの学校はすでに6月の年度末まで在宅学習に切り替わっています。イリノイ州は感染者数が少ないほうですが、それでも年度末まで休校です。

 そうこうするうちに28日の夜、東京都が新たに63人の感染者を確認したと発表しました。そのうち29人が、前日までに40人の感染が確認された台東区の病院の関係者です。1つの施設で爆発的に感染者が増えています。

 新規感染者63人のうち2人は、私が通院する国立がん研究センター中央病院の看護師でした。病院は同じ病棟で働く看護師らを自宅待機にし、入院患者や医師など150人にウイルス検査をするそうです。

 これらの情報を伝えると、夫は「学校の決断は正しいのか、正しくないのか判断できないなぁ」とつぶやきました。娘の同級生のお母さんたちは「うちの学校だけよ。年度末までオンライン学習なんて」という人がいる一方、「たぶん、他のインターも続くと思うわ」というお母さんなど意見はさまざまでした。 

 来週、新型コロナウイルスの対策について話し合う政府の専門家会議が開かれ、学校再開に向けての対策について検討することになっています。その動きを注視し、娘の学校の判断について見極めたいと思います。

 
 

2020年3月26日木曜日

外出自粛の東京 スーパーで品切れ続出

 小池百合子東京都知事が、新型コロナウイルス感染拡大防止のため都民に週末と夜間の外出自粛を呼び掛けた翌日の26日、都内のスーパーでは食料品を買い急ぐ人が多く見られたようです。我が家の最寄りのスーパーも同じ。棚から商品が消え、「お詫び」の紙が貼られていました。

 私がスーパーに行くことを思い立ったのは夕方。息子を近所の駄菓子屋さんに連れていったときでした。店主のおじさんにこんなことを言われたからです。
 「うちの家内がさっきスーパーに行ったら、すごく混んでいて、全然物がなかったみたいだよ」

 少し前の「トイレットペーパー騒動」と同様、私はまた出遅れてしまったようでした。お米やパスタは買い置きがあり、明日は生協から野菜や果物は届きますので大丈夫なのですが、切れそうな食品がいくつかあります。いつものスーパーに向かいました。まず、驚いたのは入り口にカートがほとんどないことでした。

 店内に入ると普段よりずっと人が多く、棚からは多くの商品がなくなっていました。

卵コーナー
パスタコーナー
ラーメン・ソバコーナー
納豆コーナー
お肉コーナー
パンコーナー
 2018年9月、北海道胆振東部地震で震度6弱の地震に見舞われた札幌に、母の様子を見に行ったときのことを思い出しました。あのときも、スーパーの棚にはほとんど物がありませんでした。残り僅かとなっていたお米を1袋かごに入れたのに、母に「私は無洗米しか食べないからいらない」と言われ、泣く泣く棚に戻したことを思い出しました。ペットボトルの水も「お茶の買い置きがあるからいらない」と言われ、戻しましたっけ。

 実はあのときの母の判断は正しく、物流はすぐ正常に戻ったのです。その経験から、 「たぶん、明日には商品がまた入ってくるから大丈夫」と思いつつも、乳製品を多めに、普段は食べないインスタントラーメンも「念のため」に買いました。食べ盛りの子どもが2人いますので、やはり、4、5日分の食料品は確保しておきたいのです。

 スーパーでは知り合いのお母さん2人に会いました。2人とも、「普通に明日の朝のパンを買いにきたのに、パン屋さんにもスーパーにもなくて困った」「あっちのスーパーは朝から行列だったらしい」などと困惑気味でした。

 週末に食べるお肉がないので、夫と娘に車で「イオン」に行ってもらうことにしました。夫から早速電話があり、「ほとんどなくなっているけど、鶏のひき肉ともも肉2パックずつ、むね肉は1パック買えた」とのこと。娘から携帯電話に写真が送られてきました。

イオンのお肉コーナー
夜のニュースでは都民に対して「在庫は十分にあるので、落ち着いた行動を」と呼び掛けていました。確かにそうなのでしょうが、外出自粛と在宅勤務を要請しながら、食料品は買い急がなくても大丈夫と言われても…というのが正直な感想。トイレットペーパーも「在庫は十分ある」と言われて久しいですが、まだ、人々はドラッグストアの前に開店前から並んでいます。感染者が増え、終息の兆しが見えない中、人々は少しでも不安を減らすため物を多めに確保しようと考えているように思います。

2020年3月25日水曜日

父への報告 

 3月24日は父の命日です。父が大好きだった和菓子を遺影の前にお供えし、桜の切り花を添えました。あの日も桜が満開でした。私はその日父が亡くなることなど全く予想もせず、また、予感もなく、家族と一緒に桜の名所で花見をしていました。新千歳空港行きの最終便には間に合いませんでした。

 私にはあまり関心がないように感じられた父でしたが、お通夜のとき、従妹から私は父の自慢の娘だったと聞かされました。「仕事の出来る人」と評価されていた父は、あちこちに頭をぶつけながらも懸命に仕事をしていた私を密かに応援してくれていたのかもしれません。

  昨年、父の7回忌の日、私は闘病記を出版しました。私のすべてを注いだこの本の発行日は父の命日にしようと決めていました。


 出版後、1年が経ちました。1年間で880冊の本が、旅立って行きました。父に昨日、その報告をしました。「どなたかの役に立っていればいいな」と、父もあの世で喜んでくれていると思います。

2020年3月19日木曜日

インターンシップの面接

  新型コロナウイルスへの感染を防ぐため、自宅にこもり運動不足が心配になりつつあった母を連れ出した18日。一緒に「北海道ラーメン」を食べたその足で、私は築地の国立がん研究センターに向かいました。再発の有無をチェックする、3カ月に1度の血液検査のためではありません。「インターンシップ」の面接のためです。
 
国立がん研究センター中央病院。この後ろに研究棟がある
インターンシップは、学生が企業で行う職業体験のこと。私は50代ですので、この体験を就職につなげるという目的ではありません。2003年に血液がんを発病し、その後2回の再発を経て大学院に通うまで健康になった今、同センターで行われている研究について知りたいと考えたためです。つてを辿って自分が興味のあるテーマについて研究している先生に会い、インターンシップが可能かどうか聞き、その話を持ち帰って大学院の指導教員に相談し、昨日の面接に至りました。

 日比谷線の築地駅には長い階段があります。もうずいぶん前にエレベーターができましたが、私が治療を始めた2003年にはありませんでした。体調が悪かった私には長過ぎる階段で、エレベーターが出来るまでは手すりにつかまりながら、休み休み、一歩一歩上っていました。

日比谷線築地駅の階段。以前はとてつもなく長く
感じた
昨日、その階段を久しぶりに上ってみました。いつもはエレベーターを利用するのですが、昨日はもう一度上ってみようと思ったのです。スタスタと苦労なく上れました。健康を取り戻し、がん研究センターにがん患者としてではなく、研究生として行こうとしていることに、しみじみとした思いを抱きながら、同センターに向かう道を歩きました。

 私が17年間築地に通っている間に、街並みも変わりました。活気のあった築地市場は解体され、かつて市場があった場所はがらんとし、場外市場のみ残っています。新しいマンションやビルも建ちました。一方で、芥川賞・直木賞の選考が行われる料亭「新喜楽」は昔のまま、そこにあります。そして、がん研究センターも。

 この築地は、私にとって闘いの場であり、かつ、再生の場でもあります。2度の再発と治療、2つの自己免疫疾患の発病と治療。いつのときも私はがん研究センター中央病院で入院治療し、治療のメドが立ってから、退院することができました。幾人もの同室患者が治療が効かず、もしくは治療法がなくなり、「緩和治療を行っている病院」への転院を勧められる中、私は何とかここにつながり続けることが出来ています。がん専門病院に通えるということは、治療法がまだあるということなのです。

 さて、インターンシップの面談は、30分間でした。質問は研究テーマから私の闘病の話まで多岐に渡りました。「自殺を考えたことがありますか?」という質問も受けました。治療により外見が変わったり、将来を悲観したがん患者の自殺も大きなテーマなのだそうです。その質問にはきっぱりと「ありません」と答えました。次から次への襲ってくる病気と闘いながら娘を育てていたときは、とにかく一杯一杯で、逆に「死」は遠かったように思います。

 IT関連企業の「サイバーエージェント」の藤田晋社長が最近、朝日新聞のコラムでこのインターンシップについて書いていました。「インターンシップや内定後のアルバイトで職場を体験する人が増えている」「ネットとインターンの広がりが、入社時点での差を広げている」と。私が若かったころは、新入社員は会社に入ってからみっちり育ててもらったものです。数週間の泊りがけの研修で、記事の書き方、写真の撮り方、フイルムの現像の仕方(!)までしっかり教えてもらったあのころ。私は幸運な世代なのでしょう。

 担当の先生から今日、インターンシップは週1回4月中旬からという連絡がありました。50代の職業体験はどんな感じになるでしょうか? どんなことを学べるのでしょうか。若い学生たちが就職前に経験するというインターンシップとはどんなものなのでしょうか。楽しみです。

2020年3月18日水曜日

ショック! 英「ローラアシュレイ」経営破綻

 ファッション・生活雑貨を手掛けるイギリスの「ローラアシュレイ」が経営破綻したことが18日、報じられました。以前からの経営悪化に加えて、新型コロナウイルスの感染拡大による販売環境の悪化が追い打ちをかけたそうです。一つの時代が終わったと思えるほど、私にとってはショックでした。

 私が最初にローラアシュレイの店に行ったのはもう二十数年前のことです。当時、新聞記者として働いていた私は1カ月の有給休暇を取得し、イギリスの地方紙で研修を受けていました。研修の内容は町を取材し、新聞に記事を書かせてもらうこと。休みには散策したり、骨とう品店や古本屋さんをのぞいたりしました。そのときに初めてローラアシュレイの店に行ったのです。

 店の中の生活雑貨はため息が出るほど素敵でした。深い緑色のビロードの生地で作られたクッションに目が留まりました。購入したかったのですが、かさばるために断念。帰国後もそのクッションが忘れられず、いつごろか忘れましたが、ローラアシュレイの商品を少しずつ買い始めたのです。

 イギリスのカントリーライフに憧れていた私は、家中をローラアシュレイの美しい花柄の生活雑貨で揃えることを夢見ました。ボーナスが入ると、タオルやバスマットを買いました。次にベッドカバーやシーツ、クッションを揃えました。結婚して娘が生まれてから中古の家を買ったときは、居間や寝室用にカーテンをオーダーしました。娘の部屋は勉強机と本棚、ベッドカバーとシーツ、カーテンまですべてローラアシュレイで揃えました。写真立て、ランチマット、コースター、クリスマスの飾りなどの生活雑貨もそろえました。そして息子の出産時にいただいたお祝いのお返しもローラアシュレイのタオルにしたほど、このブランドが好きでした。

 2018年にローラアシュレイとライセンス契約を結んでいたイオンが契約を終了し、日本から突然店舗がなくなったときは、とてもショックでした。が、イギリスにあるので、いずれ、また戻ってくると期待していました。

 今日、母を交えて家族でランチを食べるために駅で待ち合わせしたときは、開口一番、この話をしました。母も朝のニュースを見ていました。
「あの花柄に固執し過ぎて、時代のニーズに合っていなかったという話だよ。お揃いのポーチ、大事にしなきゃって思ったわ」と母。

 私は経営破綻にショックを受けてセンチメンタルな気分になり、理由など考えませんでした。さすが、情報通の母です。母が数年前、私にプレゼントしてくれたお揃いのポーチをそれぞれのバッグから取り出し、記念に写真を写しました。


 「本当にショックだね」と言いつつ、気を取り直して向かったのは、もちろん「北海道ラーメン」店です。日々、憂鬱なことショックなことなどいろいろありますが、沈んでばかりいられません。美味しいものを食べて、元気を出さなきゃ、です。何せ、この新型コロナウイルス感染がいつ終息するのか見通しが立たないのですから。

店の壁に掛けられたメニュー。「函館って塩だった?」と母としばらくラーメン談義
私と夫、子供たちは厚さ1センチの特製チャーシュー付き「札幌味噌ラーメン」、母はあっさりとした「旭川醤油ラーメン」を頼みました。「美味しいね」を連発しながら、食べました。

右下と向かいが札幌味噌ラーメン、左が母が注文した旭川醤油ラーメン
さて、夕方のニュースで日本での独占輸入販売権とライセンス権を持つ伊藤忠商事が日本でローラアシュレイのブランドを引き続き展開していくこと、アパレル大手のワールドも今夏から東京などに出店していくことが報じられました。経営破綻した会社のライセンスをどうして外国で展開できるのか、など仕組みが分かりませんでしたが、とりあえず夏まで待ってみようと思ったのでした。

2020年3月17日火曜日

校庭開放スタート

 子供たちの学校の臨時休校が3週目に入った16日月曜日、息子の通う公立小で校庭開放が始まりました。午前9時15分から10時15分までの1時間です。息子は水筒と縄跳びを準備して、朝から張り切っています。私も嬉しくて息子について行ってしまいました。

 息子とおしゃべりしながら歩いて学校の近くになると、校門の前に「学校」と書かれた黄色い旗がはためいているのが目に入りました。新型コロナウイルスという得体の知れないウイルスに振り回され、学校に通って学び遊ぶという子供たちの日常が突然奪われてしまったこの2週間。その旗を見て、改めて子供が毎日元気に学校に行けることのありがたさを実感しました。


 校庭にはすでに、息子のお友達が何人も来ていました。息子は走ってお友達のところに行きます。しばらくしてから、私のところに戻ってきました。
「たけし君のところに遊びに行っていい?皆、遊びに行くみたいなんだ」
「いいわよ。でも、マスク忘れたから家に一旦戻ってつけていってね。お菓子も準備しておくから」
「うん!」
 息子も私もあまりに嬉しくて、肝心のマスクを忘れたのです。

 お昼近くにママ友だちとのグループラインにメッセージが入ります。
「うちの息子帰宅しないんですけど、どこかにお邪魔していますか?」
「うちの息子、縄跳びを間違えて持ち帰ったみたいなんですけど・・・」

 2週間ぶりのママ友だちからのラインです。2月28日に臨時休校が決まってから、ぱったりとラインもメールもなくなりました。皆、自粛をしていて連絡をしなかったのですね。ラインの復活で、いつもの生活に戻りました。

 息子はちゃっかりお昼ご飯までご馳走になり、夕方帰宅しました。2週間ぶりにお友達と遊べて、楽しかったようです。非常事態であることには変わりないのですが、1日1時間でも子どもに学校生活が戻って、ほっとしました。
 

2020年3月16日月曜日

シカゴピザの店へ

 学校が一斉休校になって2週目の週末、夫がお気に入りのレストランに連れて行ってくれました。新型コロナウイルスの感染が世界中で広がっているため、子どもたちを連れての「不要不急の外出」を嫌がっていた夫ですが、やはり家にいてばかりは…と考えたのでしょう。

 隣駅にあるシカゴピザの専門店で、シカゴ出身の夫が半年ほど前に見つけた場所です。夫と子どもたちは2度行ったことがあるのですが、私はまだ行ったことがありませんでした。その駅周辺には私の好きな札幌ラーメンが食べられる店もありますので、選択権が私にある場合はラーメンを選んでいたからです。お互い50代になると、”ふるさとの味”が恋しくなります。シカゴ、札幌と故郷から離れて暮らす我々ですが、こうして、郷土料理を楽しめるのはラッキーだなとつくづく思います。

 シカゴピザの店はユニークで、お昼どきを外した午後2時開店です。お腹を空かせて開店時間に行きました。すでに3組のお客さんがいたのですが、それからどんどんテーブルは埋まっていき、30分後には店内のテーブルが全部埋まりました。見渡すと10組のお客さんの中で外国人を含んだグループは5組。夫がお気に入りというだけあり、やはり、外国人に好まれる店なのでしょう。

 フライドポテトとポテトサラダ、そしてアメリカ風サラミ「ペパロニ」のピザ、夫はビール、私はアップルサイダーをオーダーしました。このペパロニは日本ではなかなか手に入りにくく、かつ、夫がとても懐かしがる食べ物なのです。シカゴピザはクラストがパンのように厚いのが特徴。Lサイズ1枚を4人で分けて、お腹一杯になりました。



厚いクラストが特徴のシカゴピザ
店内のテレビでは、ひと昔前のバスケットボール試合の映像が流れていました。シカゴを本拠地とするブルズと、ロサンゼルスを本拠地とするレイカーズの試合です。シカゴブルズのスター、マイケル・ジョーダンは夫が崇拝していた選手。高校生時代にバスケットボールをしていた夫にとって、マイケル・ジョーダンは神様のような人だったに違いありません。夫は懐かしそうにテレビを見ます。

 映像を見ながら娘が言います。
「バスケットボール、つまんないよね」
「そうでしょう。ダディがママを誘った最初のデートが、シカゴブルズの試合を大学の寮のテレビで見ることだったの」
「げっ、それ、辛いね。ママ」
「うん。ママ、心の中で、”何で、バスケットボールの試合なんて見なくちゃならないの?”と思った」
「私も同じ立場だったら、そう思うよ」

 画面にマイケル・ジョーダンの身長・体重が出ます。198㌢、89㌔だそうです。
「ダディ、195センチだよね」
「いや、193.5㌢。1.5㌢縮まった」
憧れのマイケル・ジョーダンとの差は約5㌢。でも、マイケル・ジョーダンも年を取っていますので、少し縮まり、昔と同じ3㌢差でしょうか。そんな話で盛り上がりました。
 
 帰りは、この街で人気のチーズケーキを購入。帰宅後、夫と私、息子はすぐ食べましたが、娘は「ピザのカロリーが高いから、明日にする」と言い、冷蔵庫に入れました。在宅学習が始まってから、きちんと勉強に取り組んだり、おやつを翌日まで我慢したりなど、娘の少し成長した様子が見られて、ちょっぴり嬉しかったです。

チーズケーキの店の前には長い行列が出来ていました
 
この日は品切れが続いていた日用品が、ドラッグストの店頭に戻ってきた日でした。朝、夫が隣駅のドラッグストアでトイレットペーパーとマスク、キッチンペーパー(もちろん、1人1個です)を購入。私もイオンでキッチンペーパーを買うことが出来ました。日用品の在庫が少し出来て、日課となっていたドラッグストア巡りをしばらくはしなくても済むようになりました。

 夕方は、娘と一緒にジョギングに行きました。途中、息が切れた私の手を取り、私のペースで一緒に走ってくれました。日がすっかり暮れたころ、娘が大好きだという景色を川の土手に座りながら眺めました。とても素敵でした。このような娘との時間がいつまでも続きますようにと願いました。

娘と一緒に見た夜景
本当に新型コロナウイルスには振り回されていますが、家族と過ごせて良かったと思っています。そして、こうして家族が無事にいられることに感謝です。

 医療機関や介護施設ではマスク不足が続いているようです。ニュースでは1週間も同じマスクをしているという看護師さんの話も紹介されていました。1日も早く十分なマスクが全国の医療機関や介護施設に行き渡るように願います。

2020年3月15日日曜日

新型コロナ・休校2週目終了 在宅学習と在宅勤務 両立可能?

公立小2年とインターナショナルスクール9年生(日本では中3)の娘が、新型コロナウイルス対策により在宅学習になり2週間が終わりました。夫も2週目から在宅勤務となり、家族4人が家にいるようになりました。この1週間を、在宅学習と在宅勤務の両立は可能かという視点で振り返りたいと思います。

結論から言うと、両立はしません。なぜか。子どもの学びを優先すれば、親の仕事の効率は下がり、親の仕事を優先すれば、子どもはすぐ遊んでしまうからです。それが顕著に現れるのは、子どもが低学年の場合だと思います。もしかしたら、3、4年生もそうかもしれません。

「テレワーク」と呼ばれる在宅勤務が今注目されていますが、これが可能なのは独身か、子どもがいない夫婦か、もしくは子どもがある程度大きな人に限られるような気がします。

我が家の場合、小2の息子はまだ一人で課題に集中して取り組むということが出来ません。ですので、親の目の届くところで勉強させ、頻繁にチェックしなければなりません。1週目は私が息子の横に座りましたが、2週目は夫と私が息子の横に交互に座るか、同じくダイニングテーブルで勉強している娘にチェックしてもらいながら、乗り切りました。

先日、NHKのニュース番組で、お母さんが自宅で仕事をし小学生の子ども2人の世話をしている様子が報道されていました。低学年の子どもが「ここが、分からないの」などとお母さんに話し掛けています。お母さんはそのたびに仕事が中断し、「集中できないんです」と苦笑していましたが、それと同じ状況が我が家でも連日、繰り広げられています。

加えて、たとえば国語も算数も、学校から配られた課題ドリルをやらせて、それをチェックし、間違ったところを直させる。漢字でしたら、繰り返し練習させるー。そういう手間がかかります。加えて、息子はちゃっかりしていますので、ちょっと目を離すと「終わったよ~」などと言いながら、その場を離れます。チェックしてみたら全くやっていないことも多々あります。5枚つづりの宿題の最初の1ページだけやり、次のページからやっていないという大胆なこともやりますので、全く油断できません。普段はこれらのチェックを先生がしてくれるのですから、学校ってありがたい、と痛感しました。ホームスクーリングをしていらっしゃる方々には本当に頭が下がります。

子どもの勉強を見る余裕はないーという方々も多いと思います。シングルマザー・ファザーで子育てしていらっしゃる方々はどれほど大変でしょう。先日、シングルマザーの友人から「旦那さんがいて、恵まれているね」と言われましたが、本当に今回のような場合は共働きや専業主婦の家庭は夫婦で分担できるので、一人で子育てしている人よりずっと経済的にも精神的にも負担が軽いと思います。

一方、インター9年生の娘のほうは全く手がかかりませんでした。在宅学習が始まった3月2日朝からダイニングテーブルに座り、パソコンを開いてインターネットに接続し、普通に勉強し始めました。遅れないように慌てて着替えて、朝ごはんを食べる風景も普段と同じです(通学時間が節約できますので、起床は1時間遅いですが…)。お味噌汁と納豆巻きを用意していたのに始業時間に間に合わず、パソコンの横に置いたままになり、お味噌汁が冷めてしまったことも。

毎日、テレビ会議のようなシステムで学習が進み、先生が画面を通して子どもたちに指導します。子どもたちはパソコン画面の両脇に全員が映っており、考えたり、書いたり、質問に答えたりしている様子が全部分かるのです。もちろん、学校のほうが先生やお友達と直に話せますので、学びとしての環境は良いですが、現在のような”有事”には、親としてはありがたいです。

娘はとりたてて勉強ができるわけではないのですが、真面目に取り組んでくれます。親としてはこれで十分過ぎるぐらいです。逆に今回のことで、普段は「大丈夫かな?」などと心配な娘の意外な一面も見られて良かったです。


「体育」の時間に一緒に走る子どもたち

2020年3月14日土曜日

新型コロナ・休校12日目 トイレットペーパー欠品、米国でも

新型コロナウイルスの感染拡大により衛生商品が品薄になってから、日課となっていたドラッグストアのチェック。トイレットペーパーはどこにもなくて困っていたのですが、最寄りの店に行くとありました。いつも私が購入していたメーカーのものが。ピンク色の太線の中に「SCOTTIE」と書いてありますので、遠くからでも目立ちます。最後の1つだったのでラッキーと手に取り、レジに向かうと…。そこで、はっと目が覚めました。

なんと、夢を見ていたのです。50年以上生きてきて、トイレットペーパーを買う夢は初めてです。品切れしている棚を見続けていると、こんな夢を見てしまうのですね。子どもたちは臨時休校、夫も在宅勤務。普段は平日の夕方まで家にいない家族が皆家にいるのです。問題となっているマスクの品切れも大変ですが、家にいるときは使いませんので、在庫が心配なのはやはりトイレットペーパー。調達しなければ、と考えているとそれが小さなストレスとなっていたのですね。

朝この夢を見たあと、夫がシカゴの両親にテレビ電話をしました。アメリカでも感染が拡大しています。画面上の両親はいたって元気そうです。夫が言います。
「こっちはトイレットペーパーが品切れしていて大変なんだ」
「こっちもそうよ。コストコに行ったけど、棚には一つもなかった。うちは、たくさん買ってあるから大丈夫だけど」とおおらかに笑う義父母。

そうなんです。義父母の家には地下に広い収納エリアがあり、そこにたくさんの食料品と日用品が保管されているのです。その量たるや、災害があったらご近所にも配れるほど。新聞に入っているクーポンを切り取り、食料品や日用品を買いに行くのが義父の仕事で、義父はそれを何よりも楽しんでいるのです。トイレットペーパーは3パッケージ(1パッケージ12個入り?)あるので当面大丈夫とのこと。私の母も前日様子を見に行ったときは、十分な食料品と日用品がありましたので、用意周到な父母を持つ夫も私も心配がいらず、本当に助かっています。

義母は言います。
「エバ(義母の友人)がいる介護施設には感染防止のため1カ月、家族や友人が入れなくなったの。だから、電話をして励ましているのだけれど・・・」
介護施設や医療施設での感染拡大が懸念され、面会が出来なくなっているのは日本も同じです。

「とにかく、外出しないで、家にいてくれ」と夫。
「分かった。私たちは大丈夫だから心配しないで」と義母。

この後、1時間目が終わり”休み時間”になった子どもたちが義父母と話をして、この日のテレビ電話が終わりました。

さて、金曜日は生協の商品が届く日です。いつも午前中に届きます。私が体調をくずして、スーパーなどでの買い物が出来なくなった十数年前に始めて、その後、体調が回復してもずっと続けています。この日は普段より多めに食料品を買いました。配達員さんが食品を私に手渡すときに言います。

「新型コロナウイルスで学校が休校になってから注文が増えているんです」
「そうですか」
「お子さんが家にいるので、皆さん家で食事を作ることが多くなっているからみたいです。うちとしては嬉しい悲鳴です」
「そうですよね。3食作らなければならないですからね。どんなものが売れるんですか?」
「冷凍食品とかカップラーメンとか、簡単に作れて保存できるものが売れます。今回はパスタが欠品になりました」
「欠品!」
「そうなんですよ。パスタは注文が多くて。そういえば、トイレットペーパーやマスクは抽選で買えるんですよ」
「えっ? 抽選?」
「ええ、今日僕が配達した家は3件ありました。ドラッグストアはどこも品切れだけど、生協は確率が高いって喜んでもらえました」

なるほど。その手があったのですね。生協のカタログは食品しか見ないので、見落としていました。さっそく、トイレットペーパーも注文しました。

さて、子どもたちの臨時休校がスタートして12日目のこの日は3食自宅でした。家族全員が料理しました。朝ごはんは息子が作ったホットケーキ、昼食は私と娘が作ったマカロニチーズ、夕食は夫のスパイシーチキンとクスクスでした。




洋食ばかりでは辛いので、夜は自分にだけ、かつお節をかけたナスのお浸しを付けました。マイヤー家で一人だけ生粋の日本人の私は、こうした小さな工夫で”食”の問題を乗り切っています。

2020年3月13日金曜日

新型コロナ・休校11日目 1週間ぶり家族で外食 

新型コロナウイルスへの感染防止策として全国の小中学校が一斉休校になって11日目になる12日、我が家は2回目の外食をしました。どこでウイルスに感染するか分からないので夫が嫌がっていたのですが、外出していない子どもたちが可愛そうになり、外食することに決めました。

夫も今週は9日の月曜日からずっと在宅勤務です。朝昼晩食事を作るのも大変ですので、前日はナン付きのインドカレーを持ち帰りで買い、自宅で食べました。で、この日は近くのモスバーガーへ。店に入るとアルコールスプレーが置いてありますのでまず、それで全員が手を消毒。12日現在、東京都の感染者は75人(全国では1387人)ですのでそれほど神経質にならなくても良いと思いましたし、お店側もきちんと消毒はしていると思いましたが、一応テーブルもアルコールスプレーをかけたナプキンでひと拭きしました。

息子はチキン、娘はチーズバーガー、夫はホットドッグ、そして私はもちろん海鮮かき揚げライスバーガーを注文しました。子どもたちにはフライドポテトも付けて。モスバーガーは出来立てをくれるので、2人ども大喜びでした。

帰りはスーパーで食料品を買い、母のマンションへ。母のところには私や子どもたち、夫がそれぞれ様子を見に行ったり、差し入れしたりするために立ち寄っていますが、4人一緒に行くのはお正月以来です。

母の住まいは私たちのところよりずっと便利でスーパーやドラッグストア、お花屋さん、郵便局、美容室、区役所支所、母がマッサージに通う整形外科など暮らしに必要な場所はすべて徒歩数分以内にあります。警察署は目と鼻の先にあり、セキュリティーも万全。首の痛みを抱える母は、昨年8月にこちらに引っ越ししたときは大変でしたが、今はすっかり慣れたようです。

最近は壁に絵を飾ったり、お部屋に花を生けたり、すっかりこのマンションが”我が家”になっています。母はとても自立した人ですから、食料品も日用品もきちんと在庫をしていて、全く心配なし。この日、飾っていたのはピンクのカサブランカ。暮らしを楽しんでいる様子が見受けられました。



「こんなご時世、家にいるのが一番。食べ物もあるしトイレットペーパーもたくさん買い置きがあるから心配いらないよ。私は家にいるのが好きだからね」

しばらくおしゃべりして、いつものようにあずきアイスバーをご馳走になり、帰宅しました。

さて、夕方は切れかけているキッチンペーパーを買いにドラッグストアへ行きました。先週、やっとトイレットペーパーを入手しましたが、キッチンペーパーは優先順位が低いのか、連日ドラッグストアをのぞいていますが、どこにもありません。代用できるティッシュも今は貴重ですので、真剣に探すことにしました。

自転車であちこち回り、4件目でようやく残り2つになっていたペーパータオルを手に入れました。店員さんによると「キッチンペーパーとしても使えますよ」とのこと。もちろん、「おひとり様、1点」ですので、それと洗剤や漂白剤なども一緒に購入しました。家が狭く収納が限られているので普段は買い置きはあまりしないのですが、そうも言ってられません。


お店でペーパータオルを見たときはほっとしました。連日のドラッグストア通いの努力が実り、ハンドソープやティッシュなどの在庫が少しですが出来てきました。それらを日用品のストッカーではなく、小テーブルの上に置いています。一家の主婦はこれで安心して週末を迎えられるのです。

2020年3月12日木曜日

新型コロナ・休校10日目 担任の先生から電話

新型コロナウイルス対策により全国の小中高校が一斉休校になってから10日目の11日、小2の息子に担任の先生から電話がかかってきました。息子は地元の公立小に通っています。休校は今月24日まで続きますので、先生からの”中間”中間チェック”です。

まずは、私が話をしました。先生が聞きます。
「どうですか。元気にしていますか?」
「はい。元気にしております。熱も毎日測っていますが、大丈夫です。勉強のほうは持ち帰った国語のプリントや算数ドリルを毎日やっています。時間が余りますので、子どもが好きな”うんこドリル”をやらせています。生活の時間は部屋の片付けや料理をしたりしています。体育は縄跳びやドッチボール、道徳の時間はおばあちゃんの家に遊びに行きました」
「それは、いいですね」

勉強の報告が終わってから、私はずっと気になっていたことを聞いてみました。
「休校になってから、お友達と一度も遊んでいないんです。お母さんたちからも一切連絡なくて。不思議なくらいなんです」

一斉休校になった日から、私のラインやメールには息子のお友達のお母さんから連絡が一度もありません。「元気?子どもたち暇もてあましているよね」とか「もう、子どもが勉強しなくて大変」とか、「家にばかりいるから、ストレスたまっているみたいで」などと連絡が来そうなものですが、ゼロです。

普段なら、「遊びに来ない?」「公園に行きましょう」「ピクニックしよう」などとお誘いがあるのに、一切ないのです。理由は分かっていますが、それにしても、とちょっと気になっていました。「連絡来ないのは、もしかしたら、うちだけ?」などと気になり出していました。

すると、先生は答えました。
「そうですか。お電話をしたら、2年生は皆ちゃんと約束を守っているみたいで・・・」
「先生、休みに入る前、生徒たちに指導されたんですか?」
「ええ、人がたくさん集まるところには行かないようにということと、お友達とは家の中でなるべく遊ばないようにと言いました」

驚きました。子どもたちはちゃんと先生の言ったことを守っているのです。2年生でも「普段と違う」ことを先生の口調から理解したのでしょう。なんか、偉いなぁ子どもたち、と胸がキュンとしました。

お母さんたちは、メールやラインでメッセージを送って、「じゃあ、遊ぼうか」となることを心配しているのかもしれません。休校前にお母さんたちと話をする機会がありましたが、皆、自分の子どもが感染源になることを最も恐れていましたので、自分からは連絡をしないと決めたのでしょう。私もしてません。したのは、学校からの連絡メールが届かなかったため、息子と同じクラスの子のお母さんに聞いてみた1回だけ。そのときも、「元気?」「うちは元気にしているよ」の後は用件のみでした。自粛と言われるとちゃんと自粛するんですね。世の中のお母さんたちは。皆、若いのに偉いなぁと感心する私。

さて、次は息子が先生と話をする番です。電話を代わった息子は少し照れた表情で言います。
「先生、僕、熱が高いの」
「高くないでしょ!!」と焦る私。
息子は私の慌てた表情を見て、言い直します。
「ほら、コロナウイルスは37・5度でしょ。僕、毎日37.4度なの」と得意げです。


息子が毎日書いている「健康・学習カード」。「元気」の文字が並んでいます
厚生労働省が示した受診の目安は「37.5度以上の発熱が4日以上」。何度かこの話をしたので、息子は記憶していたのですね。息子は休み中「健康・学習カード」を記しています。この1週間、37.4度の日が4日間もあります。本人は基準の37.5度にもう1歩というところが嬉しいらしいのですが…。

子どもの平熱は高いし、本人は元気なので、心配はありません。でも、37.4度が4日って微妙な数字だなぁと息子の話を聞きながらふと思ったのでした。

2020年3月11日水曜日

東日本大震災9年 

 死者・行方不明者、関連死を含め2万2167人が犠牲となった東日本大震災から今日3月11日で9年になります。少し前、この地震で甚大な被害を受けた宮城県石巻市と南三陸町、女川町を取材しました。まちの復興は進んでいましたが、津波の破壊力を伝える「震災遺構」を目の当たりにすると、胸が締め付けられる思いがしました。

 児童74人が犠牲となった石巻市立大川小学校では、当時6年生だった次女を亡くした佐藤敏郎さん(56)が小学校を案内してくれました。校舎のすぐ横には山がありました。なだらかな山道を登りながら、ここなら子どもたちは簡単に駆け登れると思いました。私の小2の息子なら、数十秒もかからず登るだろうと思いました。


津波の後、残った大川小の校舎の一部。裏山はすぐ近くにある
ここに逃げていたら・・・とやり場のない怒りと深い悲しみを抱えて生きていかなければならないご遺族の気持ちを思うと、涙が止まりませんでした。犠牲になった74人のうち4人がまだ行方不明です。お母さん、お父さんたちが今も我が子を探し続けています。

 佐藤さんは震災の「語り部」として、この日のことを伝えています。それを記事にしました。読んでいただければ嬉しいです。

https://bee-media.co.jp/archives/3221

2020年3月10日火曜日

新型コロナ感染拡大 レジ袋の問題も

新型コロナウイルス感染拡大防止のため、個人も企業も様々な努力をしています。が、小さな子どもがいる家庭はなかなか大変です。学校が休校になり子供の世話をしなければならないし、子供を遊ばせたくても外出は控えなければならないし、マスクやウエットティッシュなど様々な衛生商品は手に入りにくいし・・・。でも、文句なんて言ってられません。粛々とやるべきことをしようと思っていたところ、昨日はスーパーで新たな問題に遭遇したのです。レジ袋を開けるための、濡れ布巾が消えてしまったのです。

「何のこと?」といぶかしがる方もいらっしゃることと思います。この問題は40代後半ぐらいにならなければ分からないことでしょう。何が問題か。加齢により指が乾燥して、スーパーのレジ袋が開けられないのです。開けるためには指を濡らす必要があります。濡らすために利用していたのが、カウンターに置いてあった濡れ布巾。それが衛生上の問題で、なくなってしまったのです。

レジ袋を開けるのが大変になってきたのはもう7、8年も前のことでしょうか。食料品を買い、レジで袋をもらったけれども開けようとしても開けられない。こすってもこすっても開けられない。結局は指をなめて、ようやく開けられました。子どもたちが一緒のときは、子供たちに開けてもらいました。子どもたちの指は適度な湿り気を帯びているので、すぐ開けられるのです。

そして、しばらくは指をなめてレジ袋を開けていました。が、あるとき、同世代の人がそれをしているのを目の当たりにして、気が付いたのです。「かなり、格好悪い」と。その姿はオバサンそのものだったのです。まぁ、オバサンなので開きなおれば良いのですが、私が子供と一緒に遊んでもらうママ友は軽く10~15歳は若い。皆、輝くばかりの肌と、細いウエストと、当然しっとりとした手をしています。皆優しいので、シミ皺だらけの肌で、ウエストがもたついた、カサカサに乾燥した手の私を仲間に入れてくれます。が、皆が行くスーパーで私が指をなめてレジ袋を開けているのを見られるのはちょっとなぁ、と思ったのです。

でも、レジ袋は何とか開けなければなりません。ラッキーなら、指にゴムサックをした店員さんが親切にも袋を開けてくれることもあります。が、アンラッキーだと自分で開けなければなりません。で、よくよく周囲を観察していて、また、新たな気付きがありました。会計を済ませた後の食料品を詰めるカウンターに濡れ布巾が何枚も置いてあり、お年寄りがそれを使っていることを。レジ袋が簡単に開けられていたころ、濡れ布巾はカウンターに付いた汚れを取るためのものだと思っていましたが、実は違ったのですね。

そのことに気が付いてから、私は指をなめることなく、その布巾で指をさっと濡らしてからレジ袋を開けてきました。ところが、です。この新型コロナウイルス騒動で、私が行くスーパーからその濡れ布巾が消えてしまったのです。これには衝撃を受けました。昨日は、何度も何度もこすって、やっと開けられました。

加齢により指が乾燥し、開けるのが難しくなったレジ袋
環境保護の観点からレジ袋を有料にするスーパーも増え、それに伴いマイバッグを持ってきている人も増えています。もうそろそろ、マイバッグを持っていこうかな、でも、うちのごみ箱にはあのレジ袋がぴったりだしなぁ。スーパーからの帰り道、そんなことをぐるぐると考えたのでした。

2020年3月9日月曜日

夫も私も確定申告

新型コロナウイルス対策の一環として、国税庁が2月27日、令和元年分の所得税の申告期限延長を決めました。3月16日だった期限が1カ月延長されて4月16日になったのです。ほっとしている人も多いのではないでしょうか。でも、いずれはしなければならない確定申告です。夫が昨日、取り組みました。

実は、夫の確定申告は2年前まで私がやっていました。日本語で書かれた書類なので、夫は初めからやる気なし。税理士さんに頼むと費用がかかるので、結局は私がやっていたのです。「夫が外国人だから仕方ない」と割り切っていましたが、昨年は初めて夫にしてもらうことに成功しました。もちろん、喧嘩になりましたけど。

夫はキレながら、数字と格闘。出来上がった書類を税務署に持参したところ、担当者にそれは親切に教えてもらったらしく、申告を終えて機嫌を直して帰ってきました。こうして自信をつけた夫は今年も自分でやることに。私は一つ仕事が減って、ラッキーです。

でも、やはり昨日は朝から不機嫌な表情でダイニングテーブルに書類を広げ、騒ぐ子どもたちに「うるさい!」と一喝。子どもたちも「触らぬ神に祟りなし」で、さーっとダイニングルームから消えました。一人静かに集中して作業をし、数時間で終わったようです。夫の集中力にはいつも感心します。仕事も家事も整理整頓も、すごい集中力で短時間で終わらせるのです。その書類を今日、税務署に持って行き、夫の確定申告は今年も無事終わりました。

確定申告の書類を広げ、電卓をたたく夫。後ろから見ても、不機嫌なのが分かります
さて、私のほうは法人税の確定申告です。昨年、本を出版したときに思い切って会社を作ってしまいましたので、決算をしなければなりません。法人税申告を自力でやるなんて無謀らしいですが、税理士さんに頼むと20万円ぐらいかかるというので、私は自分でやりました。

法人税申告をするには決算書を作らなければなりません。貸借対照表や損益計算書などです。簿記の知識はゼロでしたので、まずは、自力で法人税申告をした人のブログを読み、その人たちが推薦する本を3冊購入。それらを読み込み、取り掛かりました。

これに取り組む前に、私は家計簿のように出入金を記録したものを作っていましたが、それでは全く駄目なんですね。当然ですが。その出入金の記録を、会計の手法に即して、より厳密に記録する「仕訳帳」というものをまず作成しなければなりません。それに取り組み始めたときは「こんなことなら、税理士さんに頼めば良かった」とどれだけ後悔したことか。でも、約50時間を費やした当たりで、ようやく遠い向こうに出口(といういうより、光ですね)が見えてきました。

途中、区の無料相談の税理士さんに相談しに行きましたが、私の状態を見て「とても、無理でしょう。20万円は安いと思いますよ」とバッサリ。うなだれて帰りました。でも、20万円なんて払えません。で、次は東京都中小企業振興公社の無料相談に行きました。ここは週5日、毎日午前か午後に税理士さんがいてくれて、1日当たり1時間相談できるのです。分からないことがあったり、チェックしてもらいたいときはここに行きました。担当は日によって違いますが、皆さん本当に親切でした。若い女性の税理士さんなんか、天使に見えました。で、コツコツとやること90時間。やっと決算書が出来上がりました。

その書類を持って締め切りの数日前に税務署へ。そこでも相談員の方に申告書の記入方法を丁寧に教えてもらいました。そして、書類の記入を終えて締め切り当日の2月28日、無事に申告を終えました。やればできるのですね。20万円節約できました。申告書づくりも含めるとかかった時間は約100時間。20万円を単純に100時間で割れば、時給2000円です。知識ゼロでも時給2000円もらえたと考えると得した気分になりました。

赤字ですので、法人税はなし。東京都に事業税のみ7万円弱支払いました。一つ一つ数字を会計ソフトに入れながら、「何で、会社にしちゃったんだろう」と後悔しました。昨日は、出版社社長の友人に相談してしまいました。シングルマザーとして子育てしながら会社を経営してきた友人と話をすることで、気持ちの整理が出来ました。会社といっても私1人ですので、人に迷惑は掛けません。今のところは、人生長いので会社をつくる経験も良いだろうと前向きに考えることにしたのでした。

2020年3月8日日曜日

新型コロナ・休校第1週終了 マスク届く

臨時休校第1週がやっと終わりました。娘のお陰で規律ある毎日が送れました。でも、新型コロナウイルスの感染拡大で、習い事も全部キャンセルとなり、友だちとも遊べず、子どもたちは1週間ほとんど家にいました。ちょっぴりかわいそうでした。

家にいるのも飽きたのでしょう。7日土曜日は子どもたちだけで外出することになりました。行き先は横浜。自分たちのお小遣いを使うと言います。2人は家事を手伝ってお小遣いをもらっています。娘はお皿洗い、息子は風呂場掃除でそれぞれ1回100円。それに加えて、娘は息子を習い事などに連れていくと500円もらえるので、それを貯めたものを使うようです。

娘が言います。
「コロナのせいで、お友達とご飯食べに行けなくて残念だったけど、逆にお金が貯まったの」
娘は時折、金曜日の夕方、お友達とご飯を食べに行きます。今回、お友達も皆外出を自粛しているので、お金を使う機会もありませんでした。マスクをさせ、ウェットティッシュを持たせて、駅まで送りました。2人は元気に電車に乗って出かけました。

自宅に戻ると、夫も外出の準備をしています。最近壊れてしまったコーヒーメーカーとプリンターの修理を家電量販店に頼みに行くのです。保証書を持って店員さんに事情を説明するのは、夫にとっては、高度な会話。ですので、最初は「僕は出来ない。一緒に行こう」と難色を示していました。でも、もう、19年も日本に住んでいるのですから、それくらいの日本語を覚えてもらわないと私も困ります。店員さんも、一生懸命日本語を話そうとする外国人を邪険に扱わず、それなりの応対をしてくれるでしょう。

日本語でのやり取りが必要なものは普段私が担っているのですが、今後のことを考え、夫に行ってもらうことにしました。夫はしぶしぶ、家を出ました。しばらくしてから、夫から電話がありました。家電量販店に着き、店員さんと話をしたといいます。

「この保証書では1万3千円しか修理費を保証しないから、それ以上かかった分は僕らが負担するらしいんだ。それでも、いいかな?修理が終わったら、メーカーから直接送ってくれるらしい」
「差額分の費用の支払いはどうするの?請求書を送ってくれるのかな?」
これらを日本語で説明するのは、簡単ではないでしょう。電話口の夫は不機嫌になってきました。でも、こう言い切りました。
「店員さんと話して、対処するよ」

そうこうするうちに、お昼時間に。子どもたちは外食、夫も家電量販店が入っているモールで食べてくるでしょう。私も自分の食べたいものを作ることにしました。子どもたちが絶対食べないもので、冷蔵庫の残り物を整理できるものです。生卵をかけたご飯、ホウレンソウと油揚げのお味噌汁、ピーマンとニラ、キャベツの炒め物。いたってシンプルですが、これが今私の一番食べたいものなのです。


娘からもメールが来ました。メキシカンレストランに行ったようです。美味しそうな「エンチェラーダ」の写真が送られてきました。


そうこうしているうちに、宅配便が届きました。夫宛てです。厚みがあって、軽い。無事定員さんとの会話を成功させ、フードコートで大好物の中華料理を食べたと言って機嫌良く帰ってきた夫が封を開けました。なんと、中国在住の夫の友達から、マスクが1パック送られてきたのです。その友人はドイツ出身で、一時帰国したときに大量のマスクを買って帰り、その1パックをありがたいことにマスク不足を嘆く夫に送ってくれたのです。私も、1週間ほど前に家の整理整頓に取り組み、引き出しの奥からマスクを5袋見つけたばかり。これでしばらくは大丈夫でしょう。

左が夫の友人が送ってくれたマスク。右の6袋が私が見つけたマスク
この友人には中国人の妻がいて、上海に住んでいます。とても面白い人で、今回の新型コロナウイルスの騒動でも、あまり神経質になっていません。自分で撮った写真や、ニュースサイトで見つけた面白い写真を夫に送ってくれます。私も見ますが、どれも思わずくすりと笑ってしまうものばかり。写真の中の皆さんはそれぞれに工夫をして、真剣なのですが、どこか笑えるのです。送ってもらった何枚かを紹介しますと・・・。

苦肉の策。ブラジャーをマスク代わりに付けた人
全身を袋で覆った人


自分もベビーカーもビニールで覆った人
人目を気にする傾向が強い日本人にはなかなか出来ないでしょう。中国人ってたくましくて、いいですね。

さて、娘から時折来るメールによると、メキシカンを食べた後はサーティワンのアイスクリームを食べ、その後100円ショップ、最後はファストフードが軒を連ねるフードコートに行ったらしいです。楽しみだった「カップヌードルミュージアム」は15日まで閉館だとか。娘からは張り紙の写真が送られてきました。



本当に今週は子どもたちにとって、踏んだり蹴ったりでした。でも、娘は7歳年下の弟との外出を楽しんだようです。そんな話を娘から聞くと、気持ちが和らぎます。娘は双子で、弟は死産でした。娘が成長するにつれ、「一緒に遊べる弟を無事産んであげたかった」とどれだけ悔やんだか分かりません。何とか娘にきょうだいをと願い、46歳で息子を産みました。2人が仲良くしている姿を見ると、産んでよかったとつくづく思うのでした。

2020年3月7日土曜日

新型コロナ・休校5日目 夫と喧嘩

「君、ストレスが溜まっているみたいだから、ランチでも行かないか? 夕食でもいいよ」。子どもたちの臨時休校5日目の3月6日金曜日の朝、夫が私を食事に誘ってくれました。どうも、在宅勤務のようです。でも、私の頭には大きなクエスチョンマークがともりました。連日、新型コロナウイルスの感染拡大がニュースで報告されているのに、2人で外食?

「子どもたちは在宅学習をしているんだよ。勉強も運動もさせないといけないし、ランチも作らなけばならないの。今日、家で仕事をするなら、子どもたちを見てほしい」と返しました。子どもたちと一緒にいるのは楽しいですが、様々なことがはかどりません。気を遣ってくれるなら、外食ではなく、時間が欲しい。

夫がキレました。
「君は僕の質問に答えていない。食事に誘ったのに、君の答えは子どもたちを見てくれということだ。もういいよ」
「どうして、怒るの? 子どもたちは毎日家にいるのよ。コロナで、お友達とも遊べない。人がたくさんいるところにだって行けない。行けるところは風通しの良い公園ぐらい。ランチに行くなら、家族で行きたい。子どもたちを連れて」

夫の怒りは収まりません。「何で、僕が安倍さんに振り回されなければならないんだ? 彼が最初にきちんと対策を打てば、全国一斉の休校になんてならなかったんだよ。いったい、どれだけの親が迷惑していると思っているんだ!」
 
こうなったら、終わりです。夫婦の喧嘩に政治の話題が入ってくると、言い合いは収拾がつかなくなるのです。私は安倍首相を特に支持はしてませんが、外国人に文句は言われたくありません。互いの国の「内政不干渉」。このルールを守らなければ、国際結婚は成り立ちません。私はその場を離れ、子どもたちが勉強するダイニングに戻りました。娘が言います。

「なんで、ママ、ダディとランチ行かないの?せっかく誘ってくれたのに」
「この時期に子どもたちを置いて外食なんかしたくないの」
「ママ。私9年生なんだよ。弟だって小2なの。ちゃんと留守番できるよ」
「行くのなら、家族で行きたい」
「ママ~」

娘に諭されましたが、気持ちはダウンしたまま。それは夫も同じでしょう。夫はそのまま寝室で電話会議、私も2階の仕事場へ。子どもたちはいつになく静かに1階のダイニングで勉強を始めました。2時間目に、息子が2階に上がってきました。

「ママ、2時間目は生活だよ。どうしたらいい?」
息子のこういう真っすぐさが救いです。
「お部屋片付けたら? クローゼットの中はどう? ごちゃごちゃと物が一杯詰まっているから」
「あそこはごちゃごちゃがいいんだ」
「じゃあ、ちょっとだけでも片付けなさい」
「わかった、ちょっとね」
そう言って、息子は屋根裏部屋に消えていきました。

しばらくしてから息子が持ってきたのは砂の塊。中に恐竜の骨のレプリカが入っていて、それを掘る遊びです。プレゼントでもらって途中まで掘って、クローゼットに仕舞い忘れていたのでしょう。「生活」の時間は何とかこれで、つぶせそうです。息子は私の机の横でトントンと骨を掘り始めました。

さて、2時間目が終わって、息子と一緒に下に降りていくとちょうど夫が娘と話しているところでした。
「ランチどうする? 皆で食べに行こう」
「私、担々麺」と娘。
「えっ、あの中華料理屋さん、空気がこもっているから駄目だよ。北海道ラーメンにしよう」と私。
「僕も担々麺がいい」と息子。
「ママとこの前、北海道ラーメン食べたらとても美味しかったから、今度子どもたちを連れて来ようと話していたんだ。行ってみないか?」と夫。
いつものように、あっという間に機嫌が直っています。後に引かないところが、夫の良いところです。

時間割通りに勉強する娘は、お昼とその後の休み時間を合わせて1時間10分しかないというので、急いで隣駅の「北海道らーめん」店に向かいました。店の前には2人しか並んでいないので、間に合いそうです。注文したのは、前回と同じく厚さ1センチのチャーシューが入った「札幌ラーメン」。ずるずると麺をすすりながら、家族の会話も弾みます。

「この麺がいいんだよ」と夫。
「僕はスープが好き」と息子。
「このチャーシュー、めっちゃ美味しい!」と娘。
「やっぱり、ラーメンは札幌ラーメンだよ」と私。


帰宅後、息子が初めてインターネットを使った授業に参加しました。週に1度行っている英語学校が、教室に行かないで学ぶ方法を取り入れてくれたのです。事前に親にメールがあり、授業が始まる前にパソコンでセッティングするように指示がありました。息子は授業の15分も前からパソコンの前に座って、待っています。”おねぇねぇ”と同じように、パソコンで勉強することに気持ちがワクワクしているのでしょう。


授業が始まりのぞいてみると、先生やお友達が画面でお話しし、息子もちゃんと発言しています。英語学校は2時間。こういうのは本当に助かります。

そうこうするうちに夕方になりました。娘が一人でジョギングへ。夫は夕食の準備をしてくれています。しばらくすると、娘から綺麗な写真がメールで送られてきました。近くにある川まで走っていったようです。


この日の夕食のメニューは、つくね、焼き鳥、焼き野菜とニラ入り卵焼きという私の大好きな”居酒屋風メニュー”でした。朝は大げんかになりましたが、夜は美味しい料理を食べながら、楽しく過ごせました。夫なりの方法で、私に気を遣ってくれたのですね。

2020年3月6日金曜日

臨時休校4日目 義母との電話、話題は新型コロナ

  新型コロナウイルス対策で全国の小中高校が一斉休校となった4日目の3月5日、自宅で仕事をして子どもを見てくれる予定だった夫が、「集中できない」という理由で出社することになりました。私も抱えている原稿があり、集中したいのですが、仕方がありません。「1日で5件の電話会議がある」とスマホの予定表を見せられては、諦めるしかありません。原稿書きは夜でも出来るのですから。

 前日、NHKのニュースで日本航空の職員の男性が在宅勤務に切り替え、小学校低学年の子どもの世話をするという報道を見たばかりでした。その方の奥さんが会社に出社しなければならないため、在宅での仕事が可能なその男性が家にいることになったというのです。今回は多くの親がやり繰りに苦心しているに違いありません。気持ちを切り替えて、家事と子どもたちの世話(主に息子の勉強を見ること)をしていると、夫からメールが来ました。

 「アーリングトンハイツでコロナ患者が3人出たらしい。ママに電話してくれないか?患者が出た病院にママが3週間前に入院していたんだ」

 アーリングトンハイツは、夫の両親が住むシカゴの郊外の街です。義母は3週間前に出血をして、その病院に数日間入院したのです。「離れて過ごしたのは何十年ぶり。改めてお互いの大切さを実感した」などという、胸がキュンとするような感想を義父から聞いたばかりでした。今度はコロナウイルス騒動です。きっと、不安に違いありません。

 何度か電話をして、ようやく義母につながりました。いたって元気でした。
「私が退院してから随分経つから大丈夫よ。でも、驚いたわ」と言います。「病院から連絡がありましたか?」と聞くと、「来ないわ。でも、何かあれば連絡が来るでしょう」と鷹揚に答えます。義母の心配は自分ではなく、孫にありました。「ゾーイ(夫の弟の娘)が4月にイタリアに行く予定なの。高校のオーケストラの活動で。イタリアは感染者が多いから心配。キャンセルになってくれれば良いけど」と言います。

 義母は続けます。「マスクを頼んだんだけど、時間がかかるみたい。ごめんなさいね」。先週、夫が「マスクがない」と義母に訴え、看護師をしている夫の一番下の弟(夫は4人兄弟の2番目です)に頼んでくれたみたいなのです。が、やはり、アメリカでも品薄で医療関係者でも手に入りにくくなっているのだそう。私は先日、家の整理整頓をしてマスクを5袋ほど発見したばかり。「この前、掃除をしていたら、引き出しの後ろに落ちていたのを見つけたんです。しばらくは大丈夫です」と言うと、義母はおおらかに笑ってくれました。10分ほどの電話の話題はコロナ。日本でもアメリカでも、このウイルスの正体がいま一つ分からず、国民が困惑しているのです。

 電話を終え、夫にメールをしました。
「ありがとう。僕も夜電話するよ」との返事。夫は本当にマメな人で、両親へは頻繁に電話をしたり、メールをしたりしています。大丈夫とはいえ、地球の反対側の両親のことが心配に違いありません。私の母は昨夏、札幌から東京に転居しました。我が家から自転車で数分の賃貸マンションに住んでいます。北海道はコロナウイルスの感染者が全国で一番多く、知事が「緊急事態宣言」を出しましたので、もし今も母が札幌にいたら、私も気が気でないに違いありません。改めて、母にこちらに来てもらって良かったと思いました。

 さて、子どもたちです。娘の1時間目は「宗教」、2時間目は「数学」。娘は勉強に集中しています。息子は「国語」と「生活」。国語は先生から「宿題は一気にやらないで、毎日少しずつやってください」と指示を受けているらしいので、ドリル1枚と漢字テスト1枚、それと公文をやらせました。公文教室もお休みで、親が宿題を取りに行っています。それでも時間が余ったので、「うんこ漢字ドリル」を数枚やらせました。これは子どもたちに大人気のドリルで、問題のすべての文章に「うんこ」が入っているので、楽しく勉強できるようなのです。たとえば、「体育の先生は、空中で回てんしながらうんこをして見せた」の場合は、回てんの「てん」を漢字にするという具合です。

 2時間目の「生活」は、「自分の部屋を片付けること」を指示しました。初めは言われて通りに散らかっていたおもちゃを片付けていたのですが、途中で「隠れ家づくり」に切り替えたらしく、布団カバーを使って部屋の一部を囲ってしまいました。こっそり、パソコンでアニメ映画を見るためらしいのです。娘から古いパソコンを譲ってもらってからは、勝手にグーグル検索をして、ちゃっかり映画を見つけてしまうので、本当に目が離せません。さらに、画用紙で、「隠れ家」に入るために必要な「IDカード」を家族分作って、そこに入る場合はそのIDカードを息子に見せなければならないというルールまで作ってしまいました。子どもはどんな状況でも、遊びを見出すのですね。面白いです。
 
「生活」の時間、最初は言われた通りにおもちゃを片付ける息子

しばらくたって部屋をのぞくと、「隠れ家」を作っていました
我が家は8年前、老人ホームに移った103歳のおばあさんがお手伝いさんと暮らしていた中古の家を買い、全面リフォームをした家です。購入前の10年間は私の体調が余りにも悪く、住んでいた賃貸マンションが悪いのかもしれないと引っ越しを決め、買った物件です。新築は高過ぎて買えないため、中古を購入。長生きしたおばあさんが住んでいた家だから、縁起が良い家に違いないと購入を決めました。当時は娘しかいませんでしたし、私は体調が悪い上に40代でしたので、予算内に収めるため、当然3人家族用の家を探しました。ですので、余分な部屋もなく、引っ越ししたその年に生まれた息子が小学生になったときに、苦肉の策として屋根裏を改築して部屋を造ったのです。今回、息子が作った「隠れ家」のコンセプトは、部屋の作りにぴったり合いました。

 3時間目は娘が「物理」、息子が「体育」。物理は先生がパソコンの画面に出ていて、生徒それぞれに質問をして、生徒が答えるという形で授業が進められています。時折のぞいてみると、生徒が真面目に授業に参加しており、感心するばかり。質問に答える娘の声も、普段家で出すような大声ではなく、蚊の鳴くような小さな声です。このような授業が自宅でも出来るなんて、インターネットは便利だな、と改めて思いました。

 息子が聞きます。
「ママ、体育どうしたらいい?」
「外で縄跳び。はやぶさ練習してね!」
はやぶさは、あや跳びと二重跳びが混じった高度な跳び方で、小学2年の息子が今一番熱中している跳び方なのです。息子は運動が大好きですので、嬉しそうに外に行きます。しばらくして、息子が戻ってきました。
「ママ、天気が良いから、ピクニックしようよ」
娘に聞くと、「行きたーい!」と賛成してくれましたので、気分転換にお昼は公園で食べることにしました。

 子どもたちが好きな納豆巻きを作り、冷凍食品の枝豆と一緒にお弁当箱に詰めて、前日作ったイチゴムースも小さな容器に入れ、お茶とテーブルクロスと一緒にバッグに詰めました。おかずを作るのは面倒なので、お惣菜が充実している近くのスーパーで買うことに。娘は「ハッシュドポテト」と「チキンナゲット」を選び、息子は「コロッケ」と「トリの唐揚げ」を選びました。それらを持って近所の公園へ。娘は早速ベンチに座ってパソコンを開け、勉強します。私は外での仕事用に携帯用のWiFiを使っているのですが、それが今回役立ちました。

公園に着くや否やパソコンを開いて勉強をする娘

ピクニックは家にあるものと市販の惣菜を組み合わせて
サッカーや野球ができるグラウンドがある公園は、小学生がたくさん遊んでいました。顔見知りの子も幾人かいました。臨時休校になってからは、いつもは頻繁に遊んでいる子どもや親から一切連絡がありません。臨時休校になる前にお母さんたちと話をする機会があったのですが、そのとき皆が異口同音に言っていたのは、「自分の子どもが感染源になることが一番恐ろしい」ということ。ですので、皆、お友達を誘うのを自粛しているのに違いありません。きっと、家にいることが飽きた子どもたちが遊びに来ているのでしょう。中には、マスクをした父親と息子がキャッチボールをしている姿も見られました。自宅で仕事をすることになったお父さんが子どもを連れ出しているのでしょう。私たちも食事の後は、鬼ごっこをして遊びました。息子が3人の影を、スマホで撮影。意外にも素敵な写真になりました。



 さて、その日の授業が終わった4時過ぎ、夫が帰宅しました。子どもたちをジョギングに連れ出してくれ、夕ご飯も作ってくれましたので、私は仕事をすることが出来ました。夜8時過ぎ、東京都足立区で10歳未満の小学生と保育園児、その母親の感染が確認されたというニュースが飛び込んできました。この3人は3月3日に検査で陽性の診断が出た祖母から感染したらしいのです。症状が出た後も4日間登園・登校したということ。小さな子どもを持つ親が最も心配している「自分の子どもが感染源になり、同級生に広めること」が現実になりつつあります。

 そのほか東京都では20代から90代までの5人の感染が確認され、この日確認された感染者は合わせて8人となりました。日本の感染者の合計はクルーズ船の乗員・乗客を含めて1056人。じわじわと感染が広がっています。
 

2020年3月5日木曜日

新型コロナ・休校3日目 トイレットペーパーをゲット

新型コロナウイルス対策で全国の小中高校が一斉休校となった3日目の3月4日の朝、私は子どもたちを家に置いて、ドラッグストアに向かいました。トイレットペーパーを買うためです。マスクやトイレットペーパー、消毒用のアルコール、ウェットティッシュ、ハンドソープなどの様々な日用品の品切れが続く中、私の日課はドラッグストアをのぞくこと。自宅で学ぶ2児の母親として、何としても買わなければならなかったのは、あと4ロールしかなくなったトイレットペーパーです。そして、ようやく昨日、買うことが出来ました。

トイレットペーパーが最寄りのドラッグストアやスーパーから消えたことを知ったのは先月28日。そのことについては、29日にアップしたブログにも書きました。その後は毎日、あちこちの店をのぞいていたのですが、どこも品切れ。で、最寄りのドラッグストアの店員さんに窮状を訴えました。店員さんは、申し訳なさそうな表情で答えます。

「メーカーの在庫はあるんですが、物流の問題なんです。メディアでも、消費者の方々に心配しないようにと呼び掛けてくれていますが、皆さんやはり不安らしくて・・・。毎朝、入荷してくるんですが、すぐなくなるんです」
「毎朝ですか? 明日の朝も?」
「はい」
「皆、開店前から並んでいますか?」
「はい。ですので、開店と同時になくなります」

で、行きました。私。午前10時オープンのドラッグストアへ、9時55分に。もう少し早く行きたかったのですが、もたついているうちに5分前の到着でした。店はすで開いていて、すでに客らはトイレットペーパーを手に、レジ前に長い列を作っていました。私が手にしたのは、残り数個というところでしたので、ラッキーでした。

開店前にトイレットペーパーを手に入れ、レジに並ぶ人たち
レジで会計を済ませてまずは、夫にメール。すぐに返信がきました。
「Wow! Great!」
と親指を立てている絵文字が添えてありました。

娘にもメール。娘からもすぐ返信が。
「おーーーーーっ、やった!ありがとう!」

私の会計の番が回ってきました。店員さんがバーコードを”ピピッ”と鳴らしながら、言いました。
「本当はナプキンも入荷予定だったのですが、入ってこなかったんですよ」
「そうですよね、私もさっき棚を見ました。全部売り切れていましたね」

私が見たのは、もちろん私用ではなくて、娘用です。私はがんの2回目の再発のとき、初回の抗がん剤を打った後、ピタリと生理が止まり、それから戻りませんでした。43歳での閉経でした。ですので、店員さんとの何気ない会話が嬉しかった。私はまだ、生理がある年齢だと思ってくれたのかなぁと。トイレットペーパーをゲットできたことと、店員さんとの会話で、私はとてもハッピーな気持ちで帰宅しました。

家では、娘と息子がちゃんと勉強していました。娘は英語、息子は国語のドリルと公文の問題を解いていました。息子が言います。
「ママ、次の時間道徳なんだけど、どうしたらいい?」
「うーん、どうしようかな。あっ、そうだ、ばあち(おばあちゃんのことを子どもたちはこう呼んでいます)のところにダディのお土産持って行って!」
お年寄りを敬い、優しくする気持ちを養うー。これも道徳ということで良いでしょう。お土産は夫が月・火と1泊2日で行った京都出張で買ってきたもの。あの、京都を代表する和菓子「八ツ橋」です。

「シカゴには行かないよ!」と息子が冗談を言います。シカゴは夫の両親が住んでいるところです。
「その冗談、面白くないなぁ」と私。
「本当。全然面白くない。もっと気の利いた冗談言えないの?」と娘が追い打ちをかけます。これらの”暴言”に慣れている息子は、気にもせず、八つ橋が入った袋を持って、玄関に。「ヘルメット被ってね。車に気を付けて」と私。息子は自転車に乗って、母の元に向かいます。母のところに行くと、アイスクリームをくれるので、子どもたちは”ばあち”のところに行くのが大好きなのです。

ちなみに、43歳で閉経した私が46歳で息子を出産できたのは、進歩した医療のおかげです。本当にありがたいですね。頑張って産んで良かったです。

さて、お使いを終えて息子が帰ってくると、ランチの時間です。娘と息子が今日も作ってくれると言います。薄切りの豚肉は解凍してありました。2人は相談して、「シンプルポーク」と娘が名付けた、塩コショウだけで味付けする豚肉と、ジャガイモの料理にすることにしたようです。ジャガイモは薄くスライスしてオーブンで焼くことに。

スライスしたジャガイモを並べる息子
「ママ、ご飯できたよ!」と呼ばれました。豚肉はちゃんと焼けています。なぜか、ジャガイモには片栗粉がまぶしてあり、粉っぽい感じでしたが、美味しかったです。片栗粉をまぶす場合は油で焼き目を付けたほうがいいのですが、まぁ、良しとしましょう。娘は「うーん、片栗粉ないほうが良かったかも。まぁ、いいや。失敗に学んで、次に活かそう」と前向きです。
子どもたちが作ってくれランチ。美味しかったです
さて、この日の授業が終わった後は、イチゴムースを作りました。1パック298円にまで下がりましたので、今年初めてのイチゴムースです。このデザートは子どもたちの大好物なのですが、イチゴを2パックを使うので、お手頃価格まで下がらないと作れないのです。材料はイチゴと生クリーム、牛乳、砂糖、ゼラチンです。ゼラチンをふやかす役と、イチゴのヘタを取るのは息子の役割。娘はイチゴを切り、生クリームを泡立てる役。イチゴをつぶすのと、材料を混ぜるのは2人でやります。息子はお菓子作りをするときは、必ず、娘から引き継いだ「シェフの帽子」を被ります。娘が被っていたときは、それは可愛かったのですが、息子が被ると笑えます。それが、また、楽しいのです。
イチゴのヘタを取るのは息子、切るのは娘の役割
 
冷蔵庫で冷やしたイチゴムースは2時間ほどで固まり、残りのイチゴを飾って出来上がり。

出来上がったムースにイチゴを並べます


美味しそうに出来上がりました
夫が帰宅したので、4人で美味しく食べました。やはり、旬のものを食べるのはいいですね。こうして、自宅学習3日目も無事終わったのでした。