2023年12月31日日曜日

2023年 私の挑戦

  今年は、新しいことに挑戦し続ける自分に、疲れを感じた年でした。でも、年齢は重ねても、性分はなかなか変えられません。今年も、何だかんだ言いながらも、新しいことに挑戦しました。1つはバレエの発表会に出たこと、そして2つ目は学会での発表でした。

 2015年にこのブログを書き始めて、毎年年末にその年自分が挑戦したことを書き続けてきました。体調が回復途中だった2015年は、1日に複数の用事を足したことを報告していました。当時は食料品を買いにいったついでにドラッグストアに寄るーなどと複数の用事を足すと、体調に響いてしまっていました。ですので、複数の用事を足すことが、私にとって、挑戦でもあったのです。

 でも、その後、体調はぐんぐんと回復し、毎年、新しいことに挑戦する体力がついてきました。この9年を振り返ると、一番の挑戦は大学院博士課程に出願し、入学したこと。そして二番目は本を出版したことでしょうか?

 今年のバレエの発表会に出るという挑戦は、なかなか勇気の要ることでした。私にとってバレエは好きだけれども、得意ではないこと。いつまで経っても上手にならないですし、踊る姿も美しくありませんので、発表会に出ることはずっと躊躇してきました。でも、上手になるのを待っていたら、年を取り過ぎてしまうため、今年、挑戦してみたのです。

 ステージで踊ったのは、5分程度。何度も練習を重ね、先生にたくさん注意を受けて恥ずかしい思いをしながら練習したため、少なくとも失敗はしなかった。優雅に踊ることは出来ませんでしたが、このおばさん、楽しんでいるなぁぐらいの雰囲気は出せたと思います。

 課題は太いウエストでしょうか? こればっかりは、先日、胃がんの内視鏡手術を受けて、絶食+五分がゆの回復食でも全く痩せませんでしたので、難しい。でも、次回は細いウエストで軽やかに踊ってみたいです。

 もう一つの挑戦は学会での発表です。現在、取り組んでいる研究についてですが、本当に緊張しました。何度も何度も練習したので、普段のおどおどとした雰囲気は出なかったとは思いますが、いつかは、堂々と発表してみたい。

 ということで、今年も挑戦し続けた私でした。新しいことに挑戦する自分に疲れ、「こういう性分って疲れる!」とほとほと自分が嫌になった年ではありましたが、性分はなかなか変えられませんので、このまま、来年も頑張ります。

 皆さま、今年も「がんのママの育児(育自)日記」(旧アラフィフママの育児日記)を読んでくださり、ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

2023年 息子の挑戦

 今年、息子は頑張りました。駅伝の学校代表選手に選ばれたのです。

 5,6年生の男女12人で構成される駅伝選手。昨年は予選で結果が出ず、出場はかないませんでした。今年はリベンジでの挑戦。ギリギリのタイムで選ばれたようです。

 今年のお正月、初めて箱根駅伝を見に行ったので、きっと刺激になったのでしょう。私も夫も、息子が自信を持って何かに取り組んでくれることを願っていましたので、息子が「駅伝選手に選ばれたよ」と声を弾ませながら報告してくれたときは、本当に嬉しかった。

 朝練にも毎朝、真面目に通いました。息子の体操着にゼッケンを縫ったときは、私も誇らしくて、胸がいっぱいになりました。

 応援にも力が入りました。私と夫、娘が息子の小学校名が印刷されたお揃いのTシャツを着て、スタンドから大きな声援を送りました。私の母も来てくれました。1位でタスキを受け取った息子は4位でタスキを引き継いでしまい、不本意だったようですが、全力を出し切りました。

 息子の走る姿を見守りながら、勉強嫌いな息子に何とかスポーツで自分の道を見つけてくれないかなぁ?と願ったのでした。

 

2023年 娘の挑戦

  今年は娘にとって、変化の年でした。インターナショナルスクール最終学年で必死に勉強して国際バカロレア資格を取得。そして、関西の大学へ入学し、大学で学びながらアート専攻を目指しオーストラリアの大学に出願しました。

 娘が高校在学中に出願したのは、イギリスやカナダの大学の建築学部。夫が「アートでは食べられない」と勧めたこの学部ではご縁をいただけず、日本の大学の教養学部に合格をいただきました。

 現在通っている大学はとても良い大学で寮生活も快適で、娘も夫も私も満足していたのですが、私が「あなたにはアートの才能がある。アート専攻で挑戦すべきだ」と背中を押しました。出願時期がイギリスやアメリカ、カナダなどより半年遅いオーストラリアの大学に照準を定めました。難易度の高いシドニー大学やメルボルン大学にも挑戦。ここでは、高校時代に描いた作品のポートフォリオの提出を求められました。

 娘は油絵、アクリル画、水彩画、デッサン、写真などバカロレアのアートのプログラムで手掛けた作品を提出。シドニー大学は10作品、さらに厳しいメルボルン大学では20作品の提出を求められ、苦しみながらも仕上げました。面接試験を経て、両方の大学に合格をいただきました。

 私は、子供たちに若いうちは夢と可能性を追いかけてほしいーと常々考えています。現状を受け入れ、前向きに生きることはとても大切ですが、人生は長い。失敗してもいい、結果が出なくてもいい、とにかく自分がやりたいことに挑戦することが大切だと考えています。ですので、娘の背中を押しました。

 娘がいると家族に笑いが広がりますし、娘は家にいることが大好きです。そして、何と言っても、私は娘に癒されています。娘が側にいてくれると、幸せです。でも、その気持ちを心の中に押し込んで、娘に家から出ることを勧めました。世界は広い。娘には世界に出て、自分の力を試してほしい。

 2024年は娘にとって、新しい場所で、新しいことへの挑戦が続く年になります。私もワクワクしながら、娘の挑戦を見守りたいと思っています。

 

2023年12月29日金曜日

塾からの電話

  昨夜午後9時ごろ、息子の通う塾の先生から電話がありました。2月1日から始まる中学受験まであと1カ月と迫った今、まったくやる気を見せない息子について頭を抱えていたところでした。塾の先生は早速本題に入りました。

「お母さま、息子さんが全部の学校を落ちたときの準備はされていますでしょうか?」

「えっ、はい。一応、1月にインターの受験も考えてはおります。が、インターはこのタイミングは一斉試験はありませんので、欠員があれば個別の試験、ということになります。で、2つの学校にコンタクトは取りましたが、1つは試験は受けられますが、欠員はないので大変難しい状況だと言われています。ですので、インターも厳しい状況です」

「そうですか。1月受験は考えていますか?千葉県、埼玉県の学校です」

「いいえ」

「このままですと、息子さんの希望する学校への合格はかなり厳しいです」

息子は3校の出願を考えていました。そのうち1校は比較的入りやすいと言われている学校です。息子は11月に、理科社会をあきらめていますので、受験は英語・国語・算数の3教科、もしくは国語・算数の2教科の試験を設けている学校です。さらに息子は多くの学校が特別枠を設けている帰国子女ではありませんので、受験できる学校は限られています。

「そうは思っておりましたが、私もどうしてよいものか、考えあぐねておりまして。理社をあきらめた時点で、この受験は大変厳しいものとなることは覚悟はしておりましたが…」

「全部落ちた場合、近くの公立中をお考えのことと思います。ですが、この3年間受験に向け勉強してきて、全部落ちたら、仕切り直してすぐ高校受験へとは大人が考えるようには子供は簡単には切り替えができません。そして、公立中に入れば、中学校受験をしなかった子供たちが3年後の高校受験を目指して、一斉に塾に通い始めます。そして、首都圏では中高一貫校が増えていますので、受けられる高校は少ない。高校受験は大変厳しいものになります」

「そうですか。近くの公立中学校は良い学校と聞いておりましたので、そこでも良いかとは考えていましたが」

「もう少し、枠を広げて、息子さんが合格をいただける学校を受験し、そこに行かれることを考えてはいかがでしょうか。お母さまが考えるように、中学校受験で思うような結果が出なかった場合、気持ちを切り替えて高校受験で良い結果を出すーということがうまくいけば良いですが、そうはならないお子さんもいらっしゃる。息子さんがそうならなかった場合のことも想定して、今、できることをしてあげることをお勧めします」

「でも、息子は勉強が嫌いで…」

「はい。息子さんは勉強が大嫌いだと私にも言っていました。嫌いで嫌いで仕方ないと。そんな息子さんは、公立中学校に行った途端に、勉強が好きになるでしょうか? 公立中学校に行って、勉強が嫌いなままで、やる気がないままだとどうされますか? 反抗期も重なります。今よりもずっと対応が難しくなります。親の言うことはもっと聞かなくなるでしょう」

「確かにそうですね。では、先生、具体的にどこかおすすめの学校などはありますか?」

「九州の学校で東京で試験を受けられる学校があります。ここなら、息子さんも合格をいただけるでしょう。まずは、ここで実際に試験を受けて、合格をいただいて、自信をつけてあげてください」

「九州?」

「はい。●●大学の付属校です」

 事態は、私が想像していたよりずっと厳しいようです。

「分かりました。そこを受けさせます。息子はあと1か月というこの時期でも全くやる気を見せません。そして、焦りもしない。先日もきつく叱ったばかりです」

「お母さま、今の段階では叱っては駄目です。とにかく、良いところを見つけてほめてあげてください」

「…。勉強以外では、良い子なんです、とても。でも、勉強では褒めるところがないんです」

「分かります。でも、そこは何とかほめてあげてください。勉強を全くしないーそこをスタートとして、少しでも取り組んだ、少しでも良い点数を取ったーというところでほめてあげてください」

「息子を勉強嫌いにしてしまいました。先生、私はどこかで間違ったのですね。娘はほめて育てました。成長が遅かったので、何かできたらほめるーそうして育てました。中学受験でしのぎを削る激戦区の公立校ではとてもついていけなかった。だから、早々にインターに移しました。娘が大きく成長したのは高校に入ってからでした。それまでは親として待ち続ける日々でした。でも、息子は頭が良かった。他の日本人の子のように、息子は中学受験に挑めると考えた。でも、頭は悪くないのに、努力が嫌いなんです。そうしているうちに、一生懸命努力する子供たちからぐんぐん引き離されていったんです」

「男の子の成長は、女の子よりずっと遅いです。大学に行ってから伸びる子もいます。だから、息子さんの良いところを褒めて、待ちましょう」

 電話を切ってから、私は学校のリストとにらめっこしながら、いくつもの学校のウェブサイトにアクセスし、入学試験要綱をダウンロードし、息子にチャンスはないかどうか、探りました。そして、これまで全く考えなかった学校を数校付け加えて、出願締め切りや試験日程、合格発表日時を記載する「受験カレンダー」を作成し、今日夕方、塾に提出しました。


2023年12月26日火曜日

今年もサンタが来た

  今年もマイヤー家の19歳の娘と12歳の息子に、サンタさんがプレゼントを持ってきてくれました。

 昨日の朝、テーブルの上のプレゼントを見て19歳の娘が涙ぐみました。「サンタさん、来てくれた。今年はもう来てくれないと思っていたの。私、もう子どもじゃないから。でも、来てくれて嬉しい」。

 サンタさんが娘にくれたのは、深紅のジュエリーボックス。娘は私と夫がプレゼントしたり、私が若いころ身に付けていて娘に引き継いだジュエリー、自分のお小遣いで買ったイヤリングなどアクセサリーが増えていますので、ちょうど良いプレゼントでした。

 今年、12歳の息子は夫に「サンタさんって、ダディとママなの?友達がサンタさんはいないって言っていたんだけど」と聞いてきたそうです。でも、娘はこれまで一度もそのようなことを私や夫に聞いたことはありません。周囲がどう言おうと、サンタさんがいると信じ続けてきました。

 毎年、24日の夜はサンタさんに食べてもらうクッキーを焼き、トナカイさんが食べるニンジンもカットしてお皿に盛ります。今年もクリスマスイブに、息子と一緒にクッキーを焼いていました。

 自分はもうプレゼントはもらえないかもと思いつつ、クッキーを焼き、テーブルに置いておく(昨年まではベッドの横でした)娘を、可愛いなぁと思います。ジュエリーボックスを抱き締め、涙ぐんだ娘を、いつも以上に愛おしく感じました。

サンタさんは今年も子どもたちにプレゼントをくれました

 幼稚園のとき、「ヴァイオリンがほしい」とサンタさんに手紙を書き、朝起きてリコーダーが枕元に置いてあり、がっかりした娘。「サンタさんも、沢山、お手紙来ているから、全員にほしいものあげられないよね」と寂しそうにしていると、午後、カーテンの後ろにヴァイオリンが置いてあって、大喜びでした。

 ハリーポッターの魔法の杖を頼んで、素敵な杖をもらって、おまじないの言葉をつぶやきながら何度も何度も杖を振っていた娘。でも、何度試しても魔法が使えなくて、「来年は、サンタさんに杖の使い方を書いた本を頼んでみる」とつぶやいた娘。

 きっと、サンタさんも娘へのプレゼント選びは楽しかったに違いありません。来年は20歳になる娘。正真正銘の大人だから、サンタさんからはもう期待できないでしょう。でもピュアな心を持ち続けている娘のところには、もしかしたら、サンタさんも近所の子どもたちにプレゼントを届けたついでに、寄ってくれるかもしれません。

 

 

2023年12月20日水曜日

息子の成長

「ママ、作文書いたんだけど、サインしてくれる?」
息子がそう言って、紙を持ってきました。B4の紙には、「クラブによる成長」というタイトルで、文章が書かれてます。卒業アルバムに載せる文章で、親が読んでサインをすることになっているようです。

 導入部分には、クラブ活動の仕事を怠っていたけれども、後輩の5年生がクラブ活動の時間を過ぎていても仕事をしている様子を見て、反省したことが書かれていました。そして、なぜ自分が仕事を怠っていたのか考え、仕事が「分からない」からだと思っていたが、「分かろうとしなかったことに気付いた」と自己分析しています。自分なりに考えた後の行動についてはこう書いてありました。

「仕事を怠るくせから離れるのは大変だ。自分自身で考えるだけでは何もできないと感じたため、クラブの先生に相談すればよいのではないかと考えた。クラブ前に、担当の先生に相談し仕事の内容ややり方について知った後、一生懸命働くようになった。そして、先生から『役に立っているね』『仕事をするようになったね』といった言葉を頂いたことが心に残っている。」

 そして作文は次の文章で締めくくられていました。

「このクラブの経験により他の仕事にも挑戦するようになった。委員会では前期は副委員長、後期は委員長として数多くの業務に取り組むことができた。クラブでの出来事が私の自信をより増す契機となったと思う」

 国語が苦手で、特に長文読解は大嫌いな息子。でも、とても良い文章を書いていました。
「とても上手だよ。上手でびっくりした」と息子に感想を伝えると、息子は「これ、何週間もかけて書いたんだ」と教えてくれました。そうか、息子なりに頑張ったんだなと思いました。

「文章を書く才能あるよ。新聞記者になれるかも」と言うと、息子が「いや、いいっす」とあっさり。そうか、息子が大人になるころは新聞を読む人はもっと少なくなっていて、新聞そのものの存続も危ぶまれているかもしれないーと想像し、思わずこの職業を勧めてしまった自分に苦笑しました。

 いずれにせよ、息子がきちんとした日本語でしっかりとした文章を書いていたことが嬉しかった。子どもは知らないうちに、成長しているものなのですね。
 
 

2023年12月17日日曜日

駅伝

  今日は息子にとって、晴れがましい、でもちょっぴり悔しい思いもした一日でした。区の小学校駅伝大会に男女混合12名のチームの走者として出場したのです。

 区の駅伝大会の参加校は60校。30校ずつ、午前と午後に分かれて競いました。息子の学校は午後の部。5年男女各3名と6年男女各3名で構成する男女混合チームは、女子が650㍍、男子が850㍍走ります。6年生男女6人は生徒約100人の中から選出。息子は昨年は選ばれませんでしたが、今年はギリギリメンバーに入ることが出来たのです。

駅伝大会の開会式

 息子は5年生男子からタスキを受け取ることになっていました。参加30校中5、6番目でタスキを渡していたメンバーは5年生男子がじわじわと順位を上げ、9番走者で1位に。スタンド席の保護者や先生から大きな声援を受け、息子は一番でタスキを受け取りました。

 受け取ったタスキを体にかけた息子はスピードを上げ…と書きたいところですが、どうも遅い。「本気出して走れ~!!!」と叫びたくなるほどゆったりと走っています。そうしているうちに、後ろから追い上げてくる走者に次々と抜かされてしまいました。後から聞くと、一生懸命走っていたらしいのですが…。

 息子は順位を下げ4位でタスキを11番走者につなぎました。そして、最終走者は6位でゴール。息子が大きく順位を落としてしまったので、残念な結果になってしまいました。

 息子は肩を落としていましたが、閉会式後スタジアムの外に出たときは、皆に「頑張ったね」と言われ、気を取り直したよう。皆と一緒に記念写真を写したときは、嬉しそうな表情に変わっていました。

 息子にとっては不本意な走りだったかもしれませんが、学校の代表として駅伝大会に出られたことだけで、私は十分だと思っています。娘も息子の走りを観るために戻ってきましたし、母も連れて行き、家族全員が息子のお陰で小学校駅伝を楽しむことが出来ました。

 目標に向かって、毎日仲間と練習してきた息子。この経験が息子の自信になってくれれば、と願っています。

 

 

 

2023年12月16日土曜日

娘が帰ってきた

  今日の息子の「小学校駅伝」を観るため、娘が戻ってきました。昨日は夜の授業があったらしく最終便に乗ったようで、夫が娘を最寄り駅に迎えに行ったのは午前0時過ぎでした。

 私は11時ごろに寝てしまい、娘が居間で夫と話す声を聞いて、目が覚めました。居間に行くと、「ママ、ごめんねえ。起こしちゃった?」と言い、相変わらずのニコニコ笑顔です。愛おしくて、何度もハグしました。やはり、まだ19歳。娘がいるときは毎日ハグしていましたので、ハグできるときに娘が側にいるのは、いいものだなぁと思いました。

 娘のリクエストで、鶏そぼろご飯を準備していました。娘が「やっぱり、ママの鶏そぼろご飯最高!」と言って、食べてくれました。そして、娘を真ん中に、息子と川の字で寝ました。

 午前5時過ぎの今、外を見ると雨は降っていないよう。天気予報も晴れ時々曇りです。練習を頑張ってきた息子が、納得の走りができますように。そして、この経験が少しでも息子の自信につながりますようにと願う母なのでした。

2023年12月14日木曜日

研究室へ

  今日は10日ぶりに研究室に行きました。週末をのぞくと、8日ぶりです。研究者仲間数人に病気のことは知らせており、私が元気だったため、皆に驚かれました。

 私の研究室はがんを専門に研究している人の集まりですので、私の姿を見て、「やっぱり、早期発見は大事なんだね」と口々に言っていました。私もそう実感しています。

 指導教員と研究者仲間に今回の入院について言うかどうか、随分迷いました。1週間ですので、言わない選択も出来ました。でも、嘘をつくのもはばかられたので、伝えることにしました。指導教員はとても忙しい人なので機会をとらえて話しかけ、新たながんにり患したことを言いました。具体的な入院日程についてはメールで伝えました。

 退院した日にその旨と復帰の日についてもメールで伝えましたが、返信がありません。「手術がうまく行ってよかったですね」とか、「お大事にしてください」とか、簡単でもいいのでメールを待っていましたが、ありませんでした。

 私の現在の指導教員は、昨年の指導教員が異動したため、自身の専門外の研究をする私を引き受けてくれました。私の比較的得意な分野の研究に携わらせてくれ、また、研究者仲間もいい人たちばかりなので感謝しています。が、指導教員が他の学生たちに話しかけたり、激励している様子を見ると、やはり気持ちが沈みます。

 こういうときは、順天堂大学医学部の小林弘幸教授が書かれた本の中の一節をいつも思い出します。「この世の中で、一番苦労をしているのは、求められていない場所で必死に求めている人だ」。私は求められていない場所で必死に求めているんだなと思います。

  博士課程はあと2年数カ月あります。指導教員の専門外の研究を自力でし続けること、また、指導教員の言葉掛けもない中で、私は持ちこたえられるだろうか? 博士課程の単位は取っても、論文が通らず学位を取得できない場合もあります。そうした場合は費やした4年が無駄になってしまう。そうなった場合でも、自分の能力を遥かに超える目標に挑戦したこと、難しい環境の中で努力したことで、自分を納得させることが出来るだろうか? そんな自問自答を繰り返してます。

 気持ちが不安定になりますが、作家で精神科医の帚木蓬生氏が提唱する「ネガティブ・ケイパビリティ」=答えの出ない事態に耐える力=を今、私はつけている最中なのだーとわずかでも前向きに考えるようにします。最近、帚木氏の「生きる力 森田正馬の15の提言」も何度も読み返しています。これは20世紀の初頭、精神科医の森田正馬が創出した「森田療法」という治療法を紹介した本。帚木氏はこの本の中で、「森田療法は普通人においてこそ、より強力な効果を発揮する」と評価しています。  

 悩みはさておき、現時点の瞬間瞬間に、自分の一生をつぎ込んで進んでいくー。

 自分の気分には左右されず、目の前の小さなやるべき事柄に集中するー。

 日々を前向きに生き、不安に押しつぶせられないようにするため、これらの本から言葉を拾い上げ、胸に刻みつけています。

2023年12月13日水曜日

家庭科ボランティア

  忙しい日でした。朝9時から10時半までは、息子の小学校の卒業アルバムづくりのボランティア。10時45分から12時半までは、息子のクラスの家庭科の授業を手伝いました。

 息子は家庭科の授業で輝く子。料理や裁縫などが得意で、今春は、家庭科の授業で作ったタオルハンガーが、区の作品展に出展されました。学校では目立たない子ですが、家庭科の授業だけは、息子がキラキラして見える。だから、私は息子の生き生きとした姿を見られる家庭科ボランティアが大好きなのです。

 今日の授業はトートバッグ作り。私の役割は、子どもたちが先生の指示通りに縫っているか確認し、分からない子や遅れ気味の子の手伝いをすること。間違って縫ってしまった子の糸をほどいたりもします。

 子どもたちを手伝うのは、本当に楽しく、心が弾みます。ミシンで縫う作業一つでも、子どもたちの個性が出ます。あまり考えずにダダッと縫ってしまい失敗する子。面倒がって「先生、これ無理、無理」と大声で先生に訴える子。黙々と縫う子。几帳面で、糸の始末など細部まできちんとする子。

 息子は手際良く、そしてリズミカルにかつ丁寧に縫っています。普通の授業では全く存在感がありませんが、家庭科の授業では存在感バッチリ。あちこちから、「マイヤーッ」と声がかかり、教えに行ったり、手伝ったりもしています。

 そんな生き生きした息子の姿を見て、一昨日ユーチューブ視聴に熱中し宿題をしていないため、厳しく叱ってしまったことをちょっぴり反省。勉強は全く集中しないけど、好きな家庭科なら、こんなに集中して取り組み、楽しそうなんだ、そこを認めてあげないと反省したのでした。

 前回のミシンの授業の日は、帰宅して「ママ、余った布ない?」と聞いてきて、私が持っていた余り布で、テキパキと袋を縫ってくれました。娘と私におそろいで作ってくれ、娘には先日、その袋の中にお小遣いで買ったお菓子を一杯詰めて、誕生日プレゼントとしてあげていました。

息子がミシンで縫った袋。私と娘にお揃いで作ってくれました

 息子にはこんなにいい所がある。ここを見てあげなければーと自分に言い聞かせた日でした。

「家庭科授業で輝く男子」https://ar50-mom.blogspot.com/2022/07/blog-post_18.html

「家庭科の作品展」 https://ar50-mom.blogspot.com/2023/03/blog-post.html

夫が白内障の手術

  今日は夫の白内障の手術に付き添いました。昨年、左目の手術をし、視力がかなり良くなったものの、手術の不快感が記憶に残っているらしく、「手術は受けたくない」とずっと言っていたのです。ただ、もう片方の右目がかなり白濁し、「ほとんど見えない」と言っていましたので、今日は仕方なく手術を受けた形となりました。

 夫の兄は40代で両目とも白内障の手術をし、夫は50代で両目の手術。ですので、遺伝なのではと思います。今日、クリニックに手術に来ていた方々は6,70代という雰囲気でしたので、恐らく、夫は若い方なのでしょう。

医師が間違えないように「右眼」のシールが貼られている。着替えずにこのまま手術を受けていたのには、驚きました

 夫が手術を受けている間、私が処方箋を持って薬局に行き、薬を購入してきました。そして、クリニックに戻って間もなく手術が終わった夫が待合室に戻ってきましたので、白内障の手術は日帰りで出来るというのは本当なんだな、と分かりました。

 夫は、強い光が目に当てられる中、目を開けていなければならないのが辛かったとダウン気味。自宅への帰り道も口数が少なく、家でも、ずっと寝ていました。1週間はお酒も禁止されましたので、大好きなワインも飲めなくて、可哀想です。

 先週末まで私が入院しており、娘も関西にいるので、夫も不安だったに違いありません。私の入院が伸びず、夫の手術に付き添えて良かったと思っています。

 マイヤー家は今月、かなり慌ただしいです。

2023年12月11日月曜日

朝食づくり 息子と一緒に

  今日は土曜日の音楽会の振替休日のため、昨日に引き続き朝、息子とウォーキングをしました。「朝ご飯何食べたい? 選択肢はうどんかホットケーキだよ」と聞くと、息子が「ぶっかけうどん」と言います。

 ぶっかけうどんは、濃い目のつゆがかけてあるうどん。「上に1,2枚焼いた豚肉を載せたい」と息子の注文は具体的です。

「うーん、1,2枚の豚肉スライスのために全部を解凍するのももったいないなぁ」

「また、冷凍すればいいじゃん」

「一度、解凍したら、使い切らなきゃダメなの。もう一度冷凍はできない」

「えっ、何で?」

あーぁ、そういうものなの!と心の中で答えつつ、

「一回解凍したら、お肉の状態が悪くなってしまうの。そもそも、冷凍するってことは、食べなければならない時期を先延ばしにしているってことでしょう」

「なるほど」

「あっ、じゃあ、夜ご飯は生姜焼き肉にする?」

「いいね」

 そんな会話をしながら、帰宅しました。息子は冷凍庫からうどんと生姜焼き肉用の豚肉スライスを取り出します。まず、肉を電子レンジで解凍。お湯を沸騰させて、うどんを入れます。フライパンを取り出し、解凍した豚肉スライスを2枚入れます。「今日は油なしにする。豚肉の脂でやけるよね」と息子。

 肉が焼けた後は、ゆで上がったうどんをざるに取ります。お椀につゆと、うどんを入れます。その上に、キッチンバサミで切った豚肉を載せます。最後にバナナを切って、皿に盛り付け終了。

上は息子が作った朝食。下は私が作った朝食

 私はキーウイ1個とバナナ半分を切ってヨーグルトをかけます。その上にゆず蜂蜜をぐるりとかけます。ブロッコリーをゆで、昨夜の残りの豚汁が1人分残っているので、それを温めます。

 それぞれが作った朝食が出来上がりました。息子の作ったぶっかけうどんはなかなか美味しそうでした。

2023年12月10日日曜日

幸せな朝

  今朝7時ごろ、早起きした息子に「ママ、ジョギングに行こう!」と誘われました。残念ながらしばらくの間はジョギングは控えるように言われているため、「ウォーキングなら、一緒に行けるよ」と提案。私が歩いて、息子がジョギングをしてまた私のところに戻ってきて、一緒に公園まで歩くーという行程にしました。

 昨日、購入した靴を履いて、息子は張り切って走っていきました。そんな息子の後ろ姿を見守りながら、私はのんびりとウオーキング。しばらくして、坂道を息子がはぁはぁ息をしながら登ってきました。「あーぁ、疲れた。ウォーキングに切り替える」と息子。「オッケー、じゃあ公園まで行こう」と息子と腕を組んで、のんびりと歩きました。

 公園に着いた後は、私はベンチの手すりを使っての腕立て伏せ、柵を使ってのストレッチ、スクワットなどいつものルーティンの体操。息子も私に付き合ってくれます。ひと通り体操が終わったら、また、公園内を散歩しました。

 すると息子が「あっ、これ、社会で習ったムラサキシキブだ」と紫色の実をつけた木を指差しました。なんて綺麗なんでしょう。私はムラサキシキブ(紫式部)という名の木があることを知りませんでした。

息子が発見した、公園内の「ムラサキシキブ(紫式部)」

 こんな素敵な木を知ることが出来て、今日もまたラッキーデー。それも息子と一緒です。ムラサキシキブを背景に息子と自撮り写真を何枚も写しました。元気に朝を迎えられ、こんな幸せなひとときを過ごすことができ、生きているってありがたいなぁと思えた日でした。




 

2023年12月9日土曜日

息子の靴を買いに

  今日は息子の小学校の音楽会でした。息子は鍵盤ハーモニカの担当で、毎日自宅で練習していましたので、自信を持って弾けたようです。また、歌も良かった。すっかり大きくなった息子を見て、小学校最後の年なんだなぁ、こんなイベントももうなくなるんだなぁと少し寂しい気持ちになりました。

 帰宅後、夫が昼食を作ってくれました。息子は学校で給食を食べてくるので(公立小は本当に有難い)、夫婦2人での土曜日の昼食。夫は料理が得意なので、冷蔵庫の中で今週使い切れなかったマイタケ、ニンジン、ニンニク、ニラをフードプロセッサーで荒く刻んで、鶏の挽肉と一緒にざっくりと炒めて、あっという間にパスタソースを作ります。ショートパスタは夫の分はアルデンテに、私の分は夫のパスタより数分長く、柔らかくゆでました。

 私は栄養士さんから「消化の良いものを、ゆっくり、よく噛んで食べること」と指導を受けてきましたので、いつもの倍の時間をかけて食べました。改めて、以前は私は早食いだったなぁと反省しきり。

 息子が帰宅してからは、夫は娘担当、私は息子担当で用事を足しました。夫は娘とズームでオーストラリアのビザの手続きを一緒に。私は息子を連れて、スポーツ店へ。来週16日の駅伝に向け、ランニングシューズを新調しました。

 息子の今のランニングシューズは9月初旬に母が息子の誕生日祝いとして買ってくれたもの。それがなんと、3ヶ月でボロボロになってしまったのです。駅伝の指導の先生に「新しい靴を買ってもらってください」と言われたそう。以前は、靴底に穴が開いたこともありました。男子の靴の傷め方はすさまじいのです。

 9月に買ったときは26.5㌢、そして今回は27.5㌢とサイズが1センチ大きくなりました。娘は28㌢ですので、もうすぐ足のサイズが追い付きます。息子の身長は160㌢とまだ小さいのですが、これからぐんと伸びるかもしれません。

 店員さんに足のサイズを測ってもらったときに、「息子さん、偏平足気味ですね。今足の骨格が出来あがる時期ですので、土踏まずの部分のアーチがしっかりとしているインソールをお勧めします」とアドバイスをもらいました。

 偏平足。なんて久しぶりに聞く言葉でしょう。家族の中で、偏平足は私の父だけ。父の足が息子に隔世遺伝するなんて、嬉しい。息子の足を見ながら、心がほんわかと温かくなったのでした。そういえば、娘の”団子鼻”は私の母方の祖父似。娘にとって最大のコンプレックスなのだそうですが、私にとっては、チャーミングな愛すべき鼻なのです。

2023年12月8日金曜日

退院

    今日、退院しました。夫が迎えに来てくれるというので、お会計を済ませた後、病院の近くのスターバックスでドリンクを買って、待ちました。自分へのご褒美に、ちょっと贅沢をして「メルティホワイト ピスタチオモカ」をオーダーしました。

甘くておいしかったピスタチオモカ

 本当はコーヒーを飲みたかったのですが、昨日栄養士さんからの指導で、食べ物や飲み物をいろいろと制限された中にコーヒーが入っていたので、断念。当面はワインも炭酸飲料も、揚げ物も、酢の物も、辛い物も、柑橘類も控えなければなりません。でも、元気に退院できたので、感謝です。

 夫が迎えに来てくれ、自宅にほど近い場所にあるビストロでランチ。本当ならスパークリングワインで乾杯したいところですが、ぐっと我慢してジュースで乾杯しました。帰宅したら、今日は4時間授業だったという息子がすでに帰ってきていました。息子が「おかえり、ママ」とハグをしてくれ、嬉しかった。「ベア・ジュニアと海ちゃんをありがとう」とぬいぐるみを返しました。この2つのぬいぐるみを枕の両側に置いていたので、良く寝られました。母が「退院祝いに」と綺麗なお花を持ってきてくれました。やっぱり家はいいなぁと思いました。娘には電話で退院報告しました。

 その後は、クリーニング店へ衣類を持っていき、スーパーとドラッグストアで買い物をし、夜は息子の大好物の鶏そぼろご飯と胃に優しいブロッコリースープを作りました。

 昨日、仕事と家事と子どもに関する様々な用事で忙しい夫に「君が必要だ」と言われ、この忙しいときに入院・手術なんてことになり本当に申し訳ないと思っていましたので、フル稼働です。家事が終わり、息子も夫も寝たので、23時45分の今、今日中にブログをアップしようとパソコンのキーボードをカタカタ叩いています。

 明日は、息子の小学校の音楽会です。予定より1日早く退院できたのは、「息子の音楽会をぜひ観たいので、1日早く退院させてください」と主治医に訴え、許可が出たため。明日が楽しみです。その前に、朝8時半から家のリフォームの業者さんが来るので、玄関周りや業者さんが入る部屋を少し綺麗にしなければ。あぁ、忙しい。

 

2023年12月7日木曜日

5分がゆ

  昨日から、食事が解禁になりました。五分がゆと柔らかく煮た野菜や魚・肉料理です。3日ぶりの食事はそれはおいしく、胃の痛みは少しありましたが、朝・昼・夕食と完食しました。

 国立がん研究センター中央病院の食事は美味しい。これは私がこれまで病室で話した患者さんの誰もが言っていることです。昨日の五分がゆと柔らかく煮たおかずも、絶妙の味付けで丁寧に作られていて、とても美味しかったです。胃が痛むので食べるときは休み休みですが、やはり、おいしい食事を食べられるのは本当にありがたいことです。

7日の昼食。おかずは柔らかく煮た白身魚とカリフラワー、青菜のお浸し、お味噌汁、パイナップル

 食事は相変わらずおいしいですが、今回の入院で13年前の前回の入院といくつか違った点がありました。まず、お見舞いが禁止されています。そして、病室では終日カーテンを閉め切るよう推奨されていることです。いずれも新型コロナウイルス感染対策が続いているためですが、私は入院するたびに大部屋の患者たちと食事中などおしゃべりをして、楽しかった記憶がありますので、今回は同室患者と話す機会がなくとても残念でした。

 以前でしたら、入院したときはまず、自己紹介代わりに病歴とこれからの治療について説明します。そして、皆でワイワイと治療情報を共有し合いました。この病院には状態が悪く他の病院から転院してきた患者や、通常の治療が効かずに治験を受けに来た患者が多いので、患者はそれぞれに不安を抱えています。それでなくても、がんに立ち向かうのは心が塞ぐもの。同じくがんを患う仲間との気軽なおしゃべりや情報交換が出来れば、随分心も軽くなるのにーと残念に思いました。

 それでも、同室患者の様子は医師や看護師との会話などから、少しは様子は分かります。私は4人部屋で、向かいにいるのは86歳のおばあちゃん。4日間絶食で、先生に「おなかすいた!」と訴えていました。私より1日前に五分がゆの食事が解禁となり、ずずっと元気な音を立てて食べています。私の母と同年代のおばあちゃんに親近感を覚えながら、早期回復を祈りました。

 斜め向かいの女性は、話し方と声の感じ、歩く様子から40代だと思います。治療薬の他、痛み止めや睡眠薬を処方してもらっており、調子が良くないようです。隣の女性はおそらく50代でしょう。私も飲み、副作用に苦しんだステロイド剤「プレドニン」を服用するようです。彼女の服用する量から、1か月後の顔のむくみが想像できました。急激に変わった自分の顔に、辛い思いをするのだろうなーと気の毒に思いました。

 私は今回は内視鏡手術だけですので、本当にラッキーだったと思います。自分が30代、40代にした治療はできるなら遠慮したい。悪性リンパ腫の3度目の再発だけは勘弁してほしいと思います。

 適度な運動とバランスの取れた食事には気をつけてきたつもりですので、これから気を付けるとしたら、ストレスや甘いもの、また、夕食時の1、2杯のワインでしょうか。でも、社会生活を営めば(私の場合、今の年齢で不必要な大学院生活)ストレスはありますし、甘いものが大好きなので、これをやめるのは本当に辛い。また、夕食時のワインは人生の楽しみですので、これもやめるのも残念。まぁ、これまでと同じ生活を続けることになりそうです。大学院については、少し、考え方を変える必要があるかもしれません。

 さて、今回、入院するにあたり、私が持ってきた本は2冊です。一つは「歎異抄」(梅原猛全訳注)。歎異抄は親鸞の弟子・唯円によって書かれた本です。自分が抱えていることへの答えを得たくて、様々な本を乱読し、精神腫瘍科医のカウンセリングも受けましたが、納得する答えが得られませんでした。で、仏教を学べば、求めている答えが得られるのではないかーと考え、「歎異抄」を選びました。

 歎異抄について書かれた本を以前読み、「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人おや」(善人ですら極楽浄土へ行くことができる、まして悪人は、極楽浄土へ行くのは当然ではないか」という言葉がずっと頭に残っていました。この本は、西田幾太郎や遠藤周作の思想に影響を与えたと言いますし、司馬遼太郎が「無人島に1冊本を持っていくとしたら『歎異抄』だ」と言ったともいいます。

 でも、やはりなかなか進みません。なぜか、入院したとき読みたくなるヘルマン・ヘッセの本も今回はなぜか、心に響きません。で、Kindleに入っている、作家で精神科医の帚木蓬生さんの「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力」を再読しています。これは昨年、私が大学院の指導教員のアカデミックハラスメント(だと私は思っている)に悩んだときに読んだ本です。この本を読んで、解決策が見つからないこの状態を耐える力こそ今自分が蓄えるべきだーと考えることが出来ました。そして、じっと耐えていたら、思わぬところから解決策が提示されました。ですので、難しい局面に対峙するときは、この「ネガティブ・ケイパビリティ」を心構えとして持つようにしようと考えるようになりました。

 今回は早期発見・早期治療ができたとはいえ、1つ目のがんが2回再発し寛解状態にある状態での2つめのがん罹患です。これは、天からの警告かもしれないと受け止めています。自分の生活で何に問題があったかーを考えました。おそらく問題は昨年の大学院での辛い日々だったのではないかと考えています。私に能力があれば、もしくは気持ちの割り切りが出来きていれば、状況は違っていたかもしれません。今、状況は改善してきていますが、ままならないことも多い。ここは、ネガティブ・ケイパビリティの力で持ちこたえつつ、でも天からの警告は真摯に受け止めて無理はしないよう気をつけながら、努力していきたいと考えています。


7日の夕食。鶏肉の和風ハンバーグとじゃがいもの煮つけ、なすのお浸し、大根のお味噌汁、プリンも

2023年12月5日火曜日

手術成功

  昨日、内視鏡による手術を受けました。腫瘍は2センチのみだったようで、それを取り切ってもらいました。今日は水が解禁となりました。今、窓に向かってベッドテーブルを移動し、こうしてブログを書いています。

   入院してたった3日ですが、内視鏡とはいえ手術をし、絶食をすれば、ベッドに起きているのが億劫になります。ブログ執筆も休み休みです。夫から頻繁にメールがあり、娘が合格をいただいた大学への入学金の支払いや、リフォーム業者とのやり取りなど、次々と用事を済ませている報告があります。日本語が得意ではない夫も、私が不在ならば自分でするしかなく、文句を言いながらも、やってくれます。感謝するとともに、健康で日々の用事を足せる夫を羨ましくも思います。

 病気と共に生きるということは、健康であれば出来るはずのことも出来ないもどかしさ、病気により失ってしまった時間を惜しむ気持ちにも折り合いをつけながら生きるということです。私は30代から40代までをいくつかの病気で何度も入院治療し、回復に時間がかかったため、「人生で最も充実し、かつ再スタートも切れるその時期に」と残念に思う気持ちを強く抱いてきました。でも、50代は健康でしたし、今回は短い入院です。また、すぐに普通の生活に戻れることに感謝です。

 今回、息子が「ママが安全に手術を受けられますように」と、寝るときにいつも一緒にいるぬいぐるみを2つ貸してくれました。

 一つは「ベア・ジュニア」です。このクマのぬいぐるみは、息子の出産祝いにと関西に住む友人からいただだいたものと同じぬいぐるみです。「ベア」と名付けた最初のぬいぐるみがいないと息子が寝なく、また、どこにでも連れていくので、なくしたら大変なことになるーと1、2年後に同じぬいぐるみを買いました。

 ところが、息子は「ベア・ジュニア」と名付けられたこのぬいぐるみには見向きもせず、私は長い間、心を痛めていました。ノーベル賞作家のカズオ・イシグロが「わたしを離さないで」という作品で、人に臓器を提供する目的で育てられている子供たちの世界を描いていますが、たとえぬいぐるみであっても、私がベア・ジュニアにしたことはこれと同じことなのではないかーと思い、ベアの代わりを買ったことを随分後悔していました。

 そのため、ベア・ジュニアのことはいつも気にして、息子のベッドから落ちていても、必ず、ベッドに戻していましたし、時々抱き締めてましたし、家族に「私が急に入院ということになったら、このベア・ジュニアを持ってきてね」と伝えていました。

 ところが、息子が10歳になったころ、急にこのベア・ジュニアも一緒に可愛がり始めたのです。寝るときはこの2つのぬいぐるみと一緒に寝るようになりました。「ベア・ジュニア良かったね」と、私も救われた気持ちになりました。

 今回、「ママにベアを貸してあげる」と言ったときに、最初に渡してくれたのは「ベア」でした。で、「ありがとう。でも、本当にベアでいいの?」と聞くと、ベアとベア・ジュニアを抱いて、納得して貸してくれたのがベア・ジュニア。いずれにしても、息子が大事なぬいぐるみを貸してくれて、嬉しかった。

 もう一つのぬいぐるみは「海ちゃん」です。海ちゃんは、昨年、娘と息子と一緒に行った水族館で買ってあげたもの。これも息子が大事にしているぬいぐるみです。

息子が貸してくれたベア・ジュニアと海ちゃん

 この2つのぬいぐるみを枕の横に置いて、私は癒されながら寝ています。

 

2023年12月4日月曜日

入院

  昨日、東京都・築地にある国立がん研究センター中央病院に入院しました。ここに最初に入院したのが悪性リンパ腫を治療した2003年の9月で、最後に入院したのが、関連疾患の特発性血小板減少性紫斑病を治療した2010年の5月。胃がんの治療をする今回は、13年ぶりの入院となりました。

 13階A棟に病室があり、4人部屋の窓側のベッドです。今回は胃外科での治療です。以前は血液内科での治療で11階B棟。B棟は海側で見晴らしも良かったのですが、今回はビル群が立ち並ぶ眺め。でも、13階なので見通しも良く、気分が晴れやかになります。

 前回入院したときは追加料金はなく、窓側になるか廊下側になるかは運次第(?)だったのですが、今回は窓側だと6,600円の追加料金がかかるように変更されました。気分が少しでも晴れるよう、窓側を選びました。

 夫がついて来てくれたのですが、コロナ禍での対応が続いているようで、面会者は病室には入れないことになっています。夫とはナースステーションの前で別れました。

 病室内は相変わらず清潔で、ナースステーション横に設置されているポットも同じ場所にありました。病室内も何一つ変わらず、安どしました。そして、私が大好きだった場所、非常階段横のスペースにも、以前と変わらず患者が外を眺めるためのパイプ椅子が置いてありました。その窓から眺める景色は、相変わらずきれいでしたが、築地市場がなくなっていて、ちょっぴり寂しかった。

病院の窓から眺める風景。左下にはかつて、築地市場があった


外を眺められる場所。変わらずパイプ椅子が置いてある
 
 ここは夜、寝られないときに外の景色を眺めに来ました。築地市場が見下ろせ、午前2時、3時にはすでにトラックや人の出入りが見られ、元気をもらえていたのです。築地市場があった場所は更地になって当時の活気はもうありません。寂しい気持ちになりましたが、世の中が移り変わっても、私は元気でいることに、感謝ですね。

 築地市場が閉場するときにWebメディア に書いた記事がありますので、よろしければ読んでみてください。

 https://bee-media.co.jp/archives/2710


 

2023年12月3日日曜日

息子と朝顔の種を採る

  今年も私たち家族を楽しませてくれた朝顔の花が終わり、つるや種も茶色く乾燥し、”収穫時期”になりました。朝、登校前の息子と一緒に、種を採りました。

朝顔の種を採る息子と、この日収穫した種

  朝顔の種を採り、乾燥させて空き箱に詰める。それを翌年の初夏に玄関前の花壇に植え、花を楽しみ、また、晩秋に種を採るー。これは息子が小学校1年生のときから、毎年行っている行事です。種を採った後のつるは丁寧に支柱から取り外し、息子と一緒にリースを作ります。

 息子が朝顔の種植えと種採りを嫌がらずに一緒にしてくれるのを、とても嬉しく思っています。来年は中学生になりますが、また、一緒にしてくれるでしょうか?

 

 

2023年12月1日金曜日

母を連れて、娘の大学へ。19歳のお祝いも

  京都・大阪の旅の3日目は、娘の大学を訪れました。前夜、大学近くのホテルに泊まった私と母を朝、娘が迎えに来てくれて学校へ。まずは、食堂で朝ごはんを食べました。

 食堂には学生向けの「100円朝食」を食べにきている男子学生が結構いました。ご飯にお味噌汁、小鉢が2つついて100円という、栄養も考えられた朝ごはんを食べられる学生は幸せです。料理が得意でない学生の親も、きっと安心しているに違いありません。

 一般の人たちにも安価で提供されており、母も納豆、オクラ、ポーチドエッグ、豆腐、きんぴらごぼうを選び、「美味しいね。孫の大学の食堂で朝ごはん食べられるなんて、嬉しいよ」と言いつつ、ご飯もお味噌汁もすべて平らげました。

娘の大学の食堂で食べた朝食

 お腹が一杯になった後は、娘の寮を見学。新しく、清潔な寮内を見て、母はとても感激したよう。特に共同キッチンの良さには「すごいねぇ、こんなに綺麗なキッチンで料理できるなんて」と驚いていました。私も前回、娘の寮を訪れてこのキッチンを見たときは、「ここで寮生活を送れる学生は幸せだなぁ」と思いました。

 部屋に入ると、娘はお茶を入れてくれて、3人でおしゃべりも弾みます。娘は冷凍庫にある作り置きのカレー、ミートソース、ハンバーグ、カボチャのスープも見せてくれました。しっかりと自炊しています。娘が巣立ったときは心配もしましたが、こうして食材を買い、週末に作り置きをし、きちんと栄養のある食事をしているので、安心しました。

作り置きの料理を見せてくれる娘

 寮内を見学した後は、大学近くのモールへ。フードコートで昼食をとり、娘の誕生日祝いのケーキを食べました。ロウソクも準備してきたので、いつものようにお祝いできました。娘は19歳になりました。