2026年4月30日木曜日

ボタン付け

  中2の息子が、リビングにあるソーイングセットを開けて、針に黒い糸を通し始めました。ポロシャツのボタンが取れたので、縫うと言います。


「ママがやってあげようか?」

「大丈夫。自分で出来るから」

 あら、残念。息子は本当に手がかからないんです。先日も、トレーナーの上下を洗ったら、ズボンのほころびを縫ってあるのを発見。「自分で縫ったんだ、やるじゃない」と思う半面、「ママ、縫ってくれる?」なんて頼まれたら、喜んでやってあげるのになぁとも思ってしまいました。

 息子は小学校のころから縫い物が得意でした。4年生のときには学校代表で、タオル掛けを区の展示会に出品したほど。料理もお菓子作りも出来ますので、”家庭科男子”ですね。

 勉強が嫌いな”困ったちゃん”の一面もありますが、生活面での自立は早そうです。でも、なんとなく寂しいものですね。

 

2026年4月29日水曜日

精神科医の資質

  オーストラリアの大学に留学中の娘からフェイスタイムで連絡がありました。昨日の話題は娘がかかっている精神科医のことでした。

「ママ、私、オーストラリアで3人の精神科医にかかったでしょう。3人とも白人のオーストラリア人なんだけど、何というか、深みが足りない感じがするんだよね」

「どういう意味?」

 娘はパニック症、不安症、そして軽度のうつ病という3つの診断が下り、大学内のクリニックで初診時、再診時、そして担当医が不在のときの代診と3人の精神科医にかかりました。その3人について話しています。

「ほら、私、先生みたいに”権威のある人”と接するとドキドキしてうまく話せなくなったり、泣きたくなったりするじゃない? でも、精神科医は、"教員と学生は対等なんだから…”というスタンスなんだよね」

「そうなんだ」

「うん。オーストラリアやアメリカでは若い人も高齢者も対等に話す文化の中で子どもたちは育つでしょう? 逆に日本は、子どもは先生たちの言うことをきくものーみたいな上下関係の中で育つ。子どもの性格が形づくられるとき、そういう違いって結構大きいと思うんだよね。そういう文化の違いみたいのを、分かっていない気がする」

「確かに、そうかもね。ママも医療について海外の論文を読むけど、欧米の研究ばかりだと、偏っているなと思うこともあるよ。父権主義的な背景を持つアジアの研究が入らないと、考察が物足りないなぁと感じたりする」

「あっ、それ分かる。だから、精神科医のアドバイスを聞いていても、『分かっていないなぁ』と思ってしまうこともあるんだよね」

「おおっ、なかなか鋭いね」

「うん。だからといって薬をやめるわけでもないんだけどね」

 海外に出たことで、娘は初めて、日本人の特性について深く考えるようになったようです。その特性は日本で生まれ育った娘の中にしっかりと根付いていて、時にプラスに、時にマイナスに作用するようです。

 異なる文化の中で戸惑いながらも、自分の感じた違和感に目をつぶらず、しっかりと考える娘。成長しているなぁと頼もしく思ったのでした。


2026年4月28日火曜日

マカロン

  中2の息子がマカロンを作りました。とても良く出来たのですが、本人は不満足なようで、クリームを入れて完成させることは断念しました。

「綺麗に焼いてあるし、とっても美味しいけど、なんでダメなの?」

「前、1個買って食べたことがあるんだ。それと全然違う。ベタベタしている。前食べたのはもっとサクッとしていた」とのこと。でも、友人たちには食べてもらうといい、翌日、学校に持っていきました。

 洋菓子屋さんに行って、お小遣いで1個だけ買って食べたなんて、息子も可愛いことをするなぁと思いました。私はケーキ屋さんではショートケーキなど普通のケーキを買うので、マカロンは買ったことがありません。ですので、息子に言われて初めて、息子に食べさせたことがないのだーと気づきました。

 昨日、早速ケーキ屋さんに寄り、フランボワーズ味とピスタチオ味を一つずつ買って帰りました。息子と一緒に、一口ずつ食べました。「やっぱり、さくっとしているね」と私。「うん。それに表面がベタベタしていない」とうなずく息子。

 息子はまた、マカロン作りに挑戦するそうです。きっと次は成功するはず。楽しみです。

 

 

2026年4月27日月曜日

カツが食べたい

   乳製品を含む動物由来の食べ物を口にしないヴィーガンになった娘から、「ママに相談したいことがあるの」とフェイスタイムで連絡がありました。

 「ママ、私、カツが食べたいんだけど、肉を使わないで出来る?」

「お肉の代わりに木綿豆腐の水を切って、つぶしてミンチのようにするのはどう?その他に、玉ねぎとキノコ類のみじん切り、すりおろしたニンジンも一緒にサラダ油で炒めて、まぜるの」

「そうだね。でも、小麦粉を付けても、その上からパン粉が付かないかなぁ」

「小麦粉を付けた後に、溶いた卵を付けるでしょう?」

「私、卵食べないから」

「あっ、そうか。卵も食べないんだね」

「うん。あっ、そうだ!小麦粉使わないのはどう? 玉ねぎとかサラダ油で炒めているから、そのままパン粉がつくかも」

「それ、いい案だね」

「じゃぁ、やってみるね」

 しばらくしてから、娘から美味しそうなサンドウィッチの写真が送られてきました。スーパーで大豆などを使って肉の味がするように仕上げた「植物由来の肉」を見つけたそうで、パンとホウレンソウ、トマトのスライスと一緒に挟めたそう。サンドウィッチはキッチンペーパーで包んで、真ん中から半分に切ったら、おしゃれなランチとなったようです。




 それにしても、ヴィーガンは大変です。ベジタリアンでしたら、乳製品と卵は食べるのでまだ、選択肢は広いですが、ヴィーガンだと卵をつなぎに使うことも、チキンコンソメなども使えません。私は親ですから、娘のためにいろいろしますが、他人だったら戸惑うこともあるだろうな、とも思います。

 一昨年、義弟家族が来たときは大変でした。義弟と三人娘の真ん中は肉でも何でも食べますが、奥さんと長女、三番目の娘はベジタリアン。我が家に2日泊まり3食を共にし、その他の日も夕食を何日間か食べに来ましたので、本当に大変でした。

 義弟と真ん中の娘は「日本に来たからには、お寿司、霜降り牛肉、焼き鳥も食べたい」と言うし、他の娘はスープの中のベーコンやソースの中に入っている肉のエキスもダメだというし…。あのときは、義弟と真ん中の娘には寿司やステーキ、他の3人には野菜天ぷら、コロッケなどそれぞれに準備しました。

 しかし、息子がお好み焼きを作ったときは、お好み焼きソースのラベルを見て、「チキンエキスが入っているから食べない」と言い、違う場面では焼き鳥を一口だけ食べて残し(食べてみたかったのかもしれません)たり…。いろいろ配慮をしてもてなした側としては、正直なところ悲しい気持ちになりました。

 そういえば、私も病気で肉を控えていたときがありましたが、そのときは食事に招待されても、肉を食べないとは言いませんでした。ビーフシチューとかが出された場合は、夫に肉を食べてもらい、私はシチューだけいただきました。このように、自身の食のスタイルは一旦横に置き、もてなしてくれる側への配慮は工夫次第でできるものだと思います。

 娘には誰かと食事をするときは、肉・魚を食べないことは言っていいけど、材料の中に入っている卵や乳製品については、追及せずに食べてねと注意をしています。娘も「分かっているよ。一応、自分はヴィーガンだとは言うけど、ヴィーガン用のメニューないところでは、フライドポテトとか食べるから」。

 そうそう、その調子。動物愛護の気持ちはとても大事だけど、臨機応変にね。

2026年4月26日日曜日

ガーベラ

  昨日、従姉妹のジュンちゃんから、博士号取得のお祝いにと花束が届きました。

 その数日前も長電話でおしゃべりに花を咲かせていたジュンちゃん。お礼の電話をすると、「むっちゃん、ガーベラ好きだって言っていたでしょう? 博士号取ったら、贈ろうと思っていたの」と言ってくれました。私の一番好きな花を覚えていてくれたのです。

 「もう嬉しくて、嬉しくて、お友達とのグループラインで報告して、むっちゃんのこと自慢しちゃった」と言い、「鈴木家(母の旧姓)から博士が出たのは初めてだよ!」と心から喜んでくれました。

 ジュンちゃんは、小さいころから姉のように慕っている従姉妹。お互いの母同士が姉妹でとても仲が良く、その娘の私たちも小さいころから行き来をして仲良しだったのです。そんな”姉”に、自分のことのように喜んでもらえるのは、本当に嬉しい。

 私は昔から自分に自信が持てず、「まだ足りない」と思ってしまう癖があります。50代後半で博士過程に進んだのも、研究の道に進みたいという思いに加えて、ウェブメディアで記事を書く中で、「自分は読者からの信頼に足る発信者だろうか」と自分の足りなさを自覚したためです。

 しかし、博士課程の4年間はかなり大変で、他者の都合に左右される時間も多く、研究所内での立場が弱かったことから常に周囲の顔色をうかがいながら過ごす日々でした。

 あの時間があったら、もっと執筆活動が出来たのにーとも思いますが、元来途中で何かを手放すことがなかなか出来ない性分のため、自分なりの区切りとして博士論文の提出を目標にここまで来ました。博士号の授与は大学の判断に委ねられるものですから、あくまでも提出までを目標にしていましたが、今回、授与の決定を受けて、ほっとしました。

 そんな私ですが、亡父のお通夜で、父方の従姉妹から「叔父さんにとって、むっちゃんは自慢の娘だった」というエピソードを交えた話を聞き、今はそれを支えに生きているほど、救われた経験があります。

 お花とともに届いたジュンちゃんの思いやりのある言葉。大切に心にしまって、落ち込んだとき、気持ちが塞いだときに取り出して、前向きに生きる励みにしたいと思います。

 

 

2026年4月24日金曜日

相撲の地方巡業へ

  母を相撲の地方巡業に連れていきました。去年に続いて2回目です。本当は国技館で開かれる本場所に連れて行きたかったのですが、チケットが取れず断念。その代わり、昨年同様、東京都内で開かれる地方巡業のチケットが取れたので、連れて行きました。

 母は大の相撲好き。亡き祖父が相撲が大好きで、独身時代に役場に勤めていた母の帰りを待って、一緒に観たというのが母にとっての大切な想い出です。昨年、初めて地方巡業に連れて行ったときの母の喜びようは大変なもので、西の横綱「大の里」(そのときはまだ大関)の体に触れることが出来て、大変満足していました。

 大の里が横綱に昇進したのは、母が触れたからだーと固く信じて(自信家の母らしい)おり、「推し」のパワーとはこういうことかーと、感心しました。

 今年は夫も一緒に行きました。相撲は外国人にも大変な人気で、今回の席は前も後ろも外国人でした。取り組みが拮抗し、行司の審判に疑義を唱える「物言い」があると、外国人の方々は「オー、モノイイ」と喜んでおり、そうかぁ、こういう風に興味を持ってもらえると嬉しいなぁと感じました。

 お昼は会場の外のキッチンカーで買ったアジフライ弁当。お茶付きで千円という有り難い価格で、母、夫、私の三人で相撲を見ながら美味しくいただきました。

 何より、母が身を乗り出して観ていたのが嬉しかった。また、来年も3人で行きたいです。



身を乗り出して観る母(右)


 

 

 

2026年4月22日水曜日

やっと…

  東京大学大学院からメールがあり、本日付けで医学博士号を取得しました。

「課程博士の学位授与につきまして、422日の本研究科委員会にて承認されましたので、お知らせいたします。令和8422日付け学位取得となります。誠におめでとうございます」

 そう書かれていました。

 やっとです。ほっとしました。4年間、苦しかったですが、諦めずに、やり遂げてよかった。

 5月1日から、東大で特任研究員として働きます。還暦を過ぎて、研究者として大学での初めての勤務です。

 20~30代は新聞記者として働き、40~50代はがんの治療、出産・育児、執筆活動、大学院と目まぐるしい日々を送りました。60代は研究者として再出発します。平行して、執筆にも積極的に取り組みます。

 年齢を重ねても自分の可能性を信じ、諦めずに挑戦し続けることはやっぱり意味のあることなのだとつくづく思います。これからも頑張ります。読者の皆さま、応援してくださいね。


2026年4月21日火曜日

お天気の良い日は…

  昨日はお天気が良く気持ちの良い日でしたので、母を昼食に招きました。歯の調子が悪い母は最近固いものが食べられず、かみ切ることができません。ですので、なるべく柔らかいものを準備しました。

 おにぎりはのりを付けず、焼いたナスは皮をむいて。お魚は口の中で溶けるほど柔らかい銀だらの西京漬け。鶏肉は食べやすくそぼろにしました。

 残念ながらデコポンとひよこ豆のディップを付けた薄切りのキュウリは食べられませんでした。でも、凍らせてあった梅で作ったシロップにソーダを入れたら、「すっきりして、美味しい!」と喜んでもらえました。

 体のあちこちが痛いという米寿の母ですが、我が家までちゃんと歩いてきました。何のことはない、こんなお昼ご飯をこれからもお互い元気で一緒に食べたいです。


 

2026年4月20日月曜日

夫の通院に付き添う

  4月16、17日と夫の通院に付き添ってきました。

 「デュピュイトラン拘縮」という、手の皮下組織が硬く縮み、指が曲がって伸ばせなくなる病気です。この病気は遺伝で、義祖父、義母、義兄に症状が出ています。夫は10年ほど前に右手の中指にできて手術をし、今回は左手の薬指にできたため、手の外科専門のクリニックを受診しました。

 薬指には結婚指輪をはめているので、夫は指輪を切るのを嫌がり、どうにか切らない方法を模索していました。しかし、やはり指輪を切らなければならないことが分かりました。そして、来月手術をすることに。

 全身麻酔の大がかりな手術で、なんと入院が1週間になるそうです。特殊な手術で皮膚をジグザグに切るため、経過観察が必要で長くなるのです。

 医師に勧められ、消防署に行きました。指輪を切るのを消防署が対応してくれるのですね。初めて知りました。消防隊員は皆さんとても親切で、指輪の内側に書いてある文字の部分を外して、切ってくれました。


 ところが、指輪を切っても、切断部がなかなか広がらない。「プラチナは硬いんですよ。今、力の強いのを連れてきます」と、胸板の厚い、マッチョな隊員をわざわざ呼んでくれました。

 その隊員が一瞬で指輪を広げたので、「おぉ!」と皆がどよめきました。その人が「なんで、こんなことが出来ないんだ?」という怪訝な顔をしたので、皆が大笑いとなり、その場がなごみました。

 市民を助ける仕事をする救急隊員は、本当に親切です。結婚指輪を切り、手の手術、それも1週間も入院ということで、気持ちが沈んでいた夫も、隊員たちに親切に対応してもらい、気分良く消防署を出ることが出来ました。

 切った指輪はジュエリーショップに持って行き、つないでもらう予定です。私の指輪もきつくなっているので、ついでに一緒に伸ばしてもらおうかなと思っています。

 

 

2026年4月19日日曜日

信じるか、信じないか

  メルボルン滞在中に娘とたくさん話をしましたが、一番考えさせられたのは宗教の話でした。

 娘は生まれて間もなく、クリスチャンの夫と一緒に教会に行き始めました。娘が生まれる前に、夫から娘をクリスチャンにしたいと言われました。宗教を持たない私は「子どもが大きくなってから、子ども自身に決めさせたほうがいい」と主張しましたが、夫は譲らず、結局は無宗教の私が受け入れた形でした。

 毎週日曜、家族の用事があるとき以外は、夫は娘を連れて教会に行きました。息子が生まれてからも、当たり前のように息子を教会に連れていきました。そして二人とも洗礼を受けました。

 ところがです。娘は「もう、神様は信じていないの」と言うのです。娘が不安症やパニック症などの心の病で苦しんでいるときに、キリスト教の神様は全く救いにならなかったと。夫に悩みを相談し、聖書を読むよう勧められて読んだけれども、全く心に響かなかったと。でも、「そんなことを言ったらダディが可愛そうだから、言わないの」と娘は言います。

 そして、息子もずいぶん前からクリスチャンではないというのです。息子は今も日曜は夫と一緒に教会に行っていますので、そのことを伝えるつもりはないのでしょう。子どもたちが夫に反抗できないのではなく、夫にそのことを言うと悲しむだろうな、と思って黙って教会について行っているのです。

 私がキリスト教の神様について、しっくりこないのは、「日々一生懸命生き、良い行いしてきた人は、神様を信じなくても救われるべきではないのか」という問いに、キリスト教徒は答えられないからです。若いころ、米国や日本の教会の牧師さん何人にも聞きましたが、この点について明確な答えは得られませんでした。だから、私は今でもキリスト教を信じません。

 でも、私は夫が子どもたちをクリスチャンにしようとしたことには異議はなく、今まで夫が子どもたちを教会に連れていくのをいつも快く「いってらっしゃい!」と送りだしてきました。結果的には、私が夫に伝えた通りに、子どもは自分で考え、自分で決めていったのだと思います。

 神を信じるか否か。いや、どの神を信じるのか。この問いの答えは、与えられるものではなく、自分で考え抜くことでしか得られないものなのかもしれません。

 

 

 

 

 

2026年4月18日土曜日

クロワッサン

  お菓子やパン作りが好きな中3の息子がクロワッサンに挑戦しました。参考にしたのはレシピブックではなく、アメリカ人の料理人のユーチューブ番組です。

 勉強嫌いの困った君ですが、料理やお菓子・パン作りの腕は確かです。生地をこねるのも、寝かすのも、形を作るのも、一つ一つの作業がとても丁寧。

 出来上がったクロワッサンは形も良く、そして、とっても美味しかった。翌日、友人たちにあげるのだと言い、形が崩れないようにプラスチックのフードケースに入れて持っていきました。皆から「美味しい!」と褒められたそうです。


冷蔵庫で寝かせていた生地をのばす息子

三角形にカットします

卵を塗ります

こんがり、美味しそうに焼けました

2026年4月17日金曜日

夫の協力

  私が13日間メルボルンに行っている間、夫が中3の息子の世話をしてくれていました。外食やファストフードに頼らず、食事はほぼ手作り。洗濯もきちんとしていたようです。最後のほうには、「同じ料理が重ならないよう日々気を付けてきたけど、もうネタ切れだよ」と苦笑していましたが、本当にありがたかった。

「毎日、何かが切れるんだ。サラダ油とか洗剤とか、コンソメとか…。普段、それらのことをは気にしたことがなかったけど、君がいつも切れないように買い足してくれているんだ、と改めて分かった」

 そんな気づきもあったようで。こちらこそ、2週間も中3の息子を置いていけたのは、夫がきちんと世話をしてくれるからこそ、です。

 息子の学校も始まり、夫が作ってくれたお弁当は2日分。私が作るのと同じように2段弁当や丼弁当にし、果物もちゃんと添えてくれました。息子とは映画を観たり、トランプをしたりして、楽しく過ごしたようです。

 夫が協力してくれるということは、本当にありがたいことなのだと、改めて感じたメルボルン滞在だったのでした。

 

夫が作った息子用のお弁当。おかずは鶏肉のハンバーグと、豆腐屋さんで買ったひじき揚げと豆腐ハンバーグ

夫が作った息子用のお弁当2日目。ザ・豚丼


2026年4月16日木曜日

メルボルンからの報告_13日目(4/10)

 メルボルン最後の日も娘が準備してくれたフルーツヨーグルトで一日をスタートさせました。娘はヨーグルトにチアシードを混ぜ、フルーツを丁寧にカットし、きれいに盛り付けてくれます。このヨーグルトを食べると、とても幸せな気分になります。

赤いキーウィとバナナのヨーグルト。チアシードを入れて
 
 この日は最後の日なので寮に置いてあった画材をアトリエに持っていくことにしました。アトリエを少し片付けてから、キャンパス内のカフェへ。ラテを飲んで、また、おしゃべり。娘と13日間ずっと一緒にいましたが、話が尽きないのです。こんな風に母親と一緒に時間を過ごしてくれる娘がいて、私は幸せ者だなぁとしみじみ思います。


 寮に戻ってから、娘がキッチンに行き、作り置きのお料理を解凍し、温めてくれました。メニューはビーンズスープ、お豆腐の料理、シェパードパイ、玄米とキヌアの炊き込み、スライストマトです。寮の屋上でいただきました。

娘の作り置き料理
 夜はヤラ川沿いのレストランへ。私はムール貝、娘はジャガイモの料理を注文しました。ムール貝についていたのは「Shokupan」、つまり、食パン。日本語がそのまま使われていて、嬉しかった。

 
最後の夜はヤラ川沿いのレストランへ

 
レストランお勧めの大きなチョコレートクッキーとアイスクリーム

 精神面で心配だった娘はメルボルンでしっかり学び、自炊もしており、安心しました。昨年9月に夫が様子を見に来たときは、服薬を始めたばかりで不安定でしたが、今は薬も効いているようです。こんなに若いのに服薬なんてと思いますが、まずは娘の気持ちが安定し、しっかり日々を送れることが重要です。娘と過ごした13日間で、「娘は大丈夫」と思うことができました。

夜のヤラ川

 娘は6月、「冬休み」で日本に戻ってきます。あと2ヶ月すれば、また、家族で過ごせます。それまで、絵に、学びに、しっかり取り組んでほしい。

 


2026年4月15日水曜日

メルボルンからの報告_12日目(4/9)

  メルボルン12日目の4月9日は、寮のキッチンでカレーを大量に作りました。作ったカレーは3パック分。前日、娘が寮から無料でもらってきた玉ねぎ3個、スーパーで購入した「石豆腐」を使って作りました。

 ビーガンの娘は肉・魚・卵・乳製品を食べませんので、豆腐と豆が大切なタンパク源です。この日も石豆腐をちぎってオーブンに入れて焼きました

大きな鍋に作った3パック分のカレー。右下はちぎってオーブンで焼いた石豆腐

 作っている間、娘が冷凍庫の作り置きを見せてくれました。たくさん作って冷凍し、料理をしたくない日はそれらを解凍し温めて食べていることは知っていましたが、こんなに頑張っていたとは…。子どもが親元から離れて一番心配なのは食事。きちんと作っているので、安心しました。

冷凍庫を学生たちでシェアしています。この大型冷凍庫は10台以上はあるでしょうか


冷蔵庫には食材をいれたケースに鍵をかけています
娘の作り置きを見せてもらいました。頑張っているなぁと感心しました

ビーンズスープ

タコス

豆腐のお料理

ポテト料理


ポテト料理2

シェパードパイ。上にマッシュドポテト、下はお豆などの料理

玄米とキヌアを炊いたもの

凍らしてあったビーンズスープをシリコン製の型から取り出します

出来あがったカレーをシリコンケースに入れます

キッチンでランチ。娘はカレーを、私は前日の残りを。学生たちが料理をしています

2026年4月14日火曜日

メルボルンからの報告_11日目②

  朝気球に乗った日は、クラシックなトラムに乗ってメルボルン市内を回り、寮に戻ってひと眠りしてご飯を食べ、夜は日本のアイスクリーム店に行きました。

 メルボルンでは日本の抹茶が大変なブームで、抹茶カフェが何店もあり、若者の間で抹茶ラテなどがとても人気です。そして、娘の寮の近くのアイスクリーム店もいつも行列が出来ています。

にぎわうアイスクリーム店(左)とカフェ

 お店に入ると、おにぎりやお弁当が売っています。おにぎりが600円、お弁当が2800円と、高くて仰天しました。これを買う人が本当にいるのでしょうか?

1個600円のおにぎり。高い!

このお弁当は2800円。信じられない…

 アイスは日本で販売しているロッテの「雪見だいふく」に似ていました。アイスを薄いおもちでまくスタイル。アイスの味は抹茶、ほうじ茶、きなこ、ごまなどがあります。

店員さんがアイスをおもちで巻いてくれます

 娘はほうじ茶味、私はごま味を注文。このごま味がとても美味しかったです。どうして、日本で販売していないのでしょう?  私が知らないだけ?


娘はほうじ茶味のアイス(左)を、私はごま味を注文

お店の前にある公園のベンチに座って食べました。噴水が綺麗でした

 

2026年4月12日日曜日

メルボルンからの報告_11日目(4/8)

 メルボルン10日目は行列ができるカフェやレストランが期待外れだった話を書きました。でも、翌日の4月8日はとてもエキサイティングな経験をしました。

 娘の寮の窓から見える、朝日に照らされ空に浮かぶ気球。いつか乗ってみたいと思っていました。前回メルボルンに来たのは冬で、雨が多い日が続き、断念しました。で、今回こそと天気予報をチェックして、予約を入れました。

 この日は午前3時に起床、支度をして4時に寮を出ました。集合場所はウインザーホテル。娘によると寮から歩いて25分で着くといいます。でも、集合場所は合っているか、時間は合っているか、と何度確認しても不安なもの。頼りは娘の携帯でチェックするグーグルマップです。

 娘と手をつないでテクテク歩いて行くと(今も手をつないで歩いてくれて、幸せです)、暗闇にギリシャ神殿風の美しいビルが浮かび上がりました。ビクトリア州議事堂です。ウインザーホテルはその斜め向かいなので、無事着いたようです。

ビクトリア州議事堂

 ホテルの前には3台のマイクロバスが止まっていました。「Liverty」という私たちが乗る気球の会社のロゴのTシャツを着た人たちが出たり入ったりしており、「あぁ、ここであっていた」とようやく安心できました。

 ホテル内に入ると、私たちは2番目に着いたグループのよう。その後続々と参加者が到着し、全部で30人ぐらいはいたでしょうか? 名前を呼ばれて、10人が1グループとなり、マイクロバスに乗り込みました。辺りはまだまだ暗い。約15分走って広い運動場に着くと、スタッフが車から外に出て風向きをチェックします。そして、「風向きが朝とは変わったので、別の場所に移動します」とのこと。そこから20分ほど走って、広いサッカー場に着きました。

 スタッフらがトラックから気球を降ろします。グラウンドに気球を広げると、10人の中で背が一番高かった娘と白人男性が「手伝ってください!」とスタッフに呼ばれます。娘と男性は気球の両端に立って、気球を広げます。その中に大型扇風機で空気が入ります。膨らんだら、今度はバーナーで空気を温めます。


気球の中に空気を入れるのを手伝う娘

バーナーで気球の中の空気をあたためます

 そして、気球は持ち上がり、下に設置されたバスケットに10人が乗り込みます。

準備が整った気球

 空へ、どんどん上がっていきます。最初は足がすくむのですが、次第に慣れてきて、目の前に広がるメルボルンの景色を楽しめるようになります。メルボルンは熱気球飛行が楽しめる世界最大の都市なのだそうです。


空に浮かぶ気球

朝焼けが綺麗

 空から観るメルボルンは本当に美しい。読者の皆さん、もしオーストラリアに旅行する計画があるのでしたら、ぜひ、メルボルンまで足を伸ばして、気球に乗ってみてください。