2026年9月18日金曜日

学位記授与式に出席

 今日、東京大学の学位記授与式・卒業式が安田講堂で行われました。私も晴れがましい気持ちで、角帽を被り、ローブを着て、出席しました。長かった博士課程の4年間、こうして節目の式に出られたことをとても嬉しく思います。

 学位記授与式・卒業式は春と秋に行われ、秋の式には4月から9月まで学位を授与された学生が出席でき、英語で行われます。式には夫と息子が休みを取って、来てくれました。

 まずは東大の管弦楽団による演奏、次に、各研究科を代表する博士号取得者、修士号取得者に藤井輝夫総長から学位記が渡されます。

 次に、藤井総長の告辞。地震、AI、科学について話しているのは断片的に単語を拾い何となく分かりましたが、全体の内容は理解できず。最後の「心からおめでとう」だけは分かり、有り難くその言葉を受け取りました。

 その後、修了生・卒業生の答辞があり、東大の歌を歌い、式は終了。終了後、学生たちは友人らと一緒にステージの前で写真を撮り、にぎやかです。私も男子学生に頼んで、写真を撮ってもらいました。

 その学生はニコニコして、私のローブを直してくれて、何枚も撮ってくれました。私も撮ってあげ、お互い英語で話し、「おめでとうございます」と言い合いましたが、雰囲気から日本人だったかもしれません。

 ステージの近くに行き、ここでも撮ろうかなぁと思っていると、女子学生が「撮りましょうか?」と言ってくれ、何枚も撮ってくれました。「すごくいい写真だと思う」とニッコリ。

 講堂の外では夫と息子が待っていてくれました。夫は花束を持ってきてくれ、3人で講堂をバックに写真撮影。そこには答辞を述べた超優秀な学生が家族と一緒にいて、「撮りましょうか?」とこれまた素敵な笑顔で言ってくれました。私たち家族は有り難く、撮ってもらったのでした。

 すると、式を終えて出てきた学生たちの様子を撮影していた学内メディアの学生たちが寄ってきて、「一言いいですか?」。

 ええっ、私みたいなオバサンが、、、と思いましたが、夫と息子と写真撮影をしている私を、見守ってくれている人が何人もいたので、多様性があっていい(なにせ、多様性の時代ですので)、と思ってくれたのかもしれません。

聞かれたのは「一番、達成感があったことは何ですか?」

間髪を入れず、「博論を提出したことです」と答えました。ええ。それしか、ありません。

 そして、指と指を合わせて「こういう形を作ってください」と言われ、その形を作ってカメラの前に差し出しました。あれは何だったのでしょう? 皆の輪?つながる?まぁ、よく分かりませんでしたが、若々しい気分になったことは確かです。

 ランチは、キャンパス内のフレンチレストランで。娘からも「ママを誇りに思う」というメッセージが送られてきました。こうして、支えてくれてる家族に感謝した一日でした。

学位記授与式・卒業式

安田講堂

式次第
キャンパス内のフレンチレストランで

夫が準備してくれたお花とシャンパン

2026年9月17日木曜日

雨が続く朝に

  連日の雨で、洗濯物が大変です。私は外干しが基本ですが、仕方なく乾燥機を回しています。我が家は洗濯物が多いので、洗濯乾燥機ではなく、洗濯機と乾燥機を別々に使っています。ですので、最近は朝、晩、両方がフル稼働しています。

 乾燥機を使うとタオルはフワフワになるのですが、吸水性が悪くなるのが難点。天日に干したタオルはゴワゴワですが、一瞬で水を吸い取る。これが気持ちが良いのです。それに、Tシャツだって、外の風に当てると、パリッとなりますしね。

 今朝も「あーあ、また雨かぁ」と残念に思いながら、洗濯物を乾燥機に入れました。息子のお弁当を作り終わり、朝食を食べさせ、送り出して、外にゴミ出し。すると、なんと、アサガオがいっぱい咲いているではありませんか。

 DIYで夫・私・息子で組み立てたフェンスにつるが絡み、その間に小振りな花があちこちに可愛らしい顔を見せています。今年最初に咲いたのは、堂々とした大輪でしたが、その後は1回だけ大きな花が咲き、その後に咲いたのは今朝のような小さな花。でも、こんなに沢山咲いたのは今年初めてです。

 何となく、気持ちが浮かない雨の日ですが、こういうささやかな喜びがあると、一日を気持ち良くスタートできます。





 

 

2026年9月15日火曜日

娘@メルボルンからの報告_自分の生き方について②

  先日、このブログで紹介した娘との対話には続きがあります。娘が自分の生き方について語ってくれたその対話では、娘は生き方の指針には4つあり、1つ目と2つ目は娘が小さい頃から持っている「誠実さ」と「人への共感」、そして3つ目はこれから身に付けたい「謙虚さ」、そして最後が「知性と判断力」だと言います。

「4番目の、知性と判断力。これはね、単に頭が良いというのではなく、物事をよく考えて、自分の価値観を壊さないように生きるということなの。どうしたら本当に良い結果につながるか、考える知性。たとえば、暗い道を歩いていると、誰かが怒られているのを見かけるとする」

「うん」

「でね、私の性格に基づく行動は、助けに行くーだよね。でも、私の目指す3番目の「謙虚さ」があれば、自分がそこに行って救えるのか?自分にはその人を救う力があるのか?と一旦考える。そして、その次の知性・判断力で、自分も引きずりこまれるかもしれないーという結果も見通すよね。でも、その怒られている人を見過ごすと、自分の持っている資質である誠実であること、共感できること、には反する。で、知性と判断力で、その間を取る行動は何か?と考える。たとえば、警察を呼ぶ。そうすると、自分では解決できないことを警察官が解決してくれるかもしれない。そして、自分も大変な目に遭わない」

「なるほど」

「賢さがなければ、その人も救えないし、自分も痛い目にあい、あまりいい結果にならないかもしれないと思ったの。でね、遠い過去を思い出したの。私が小学校のころの話。いじめられている友達を救おうとして、自分もいじめられた話。これをママとダディに伝えたら、全く違う答えが返ってきたの」

 最初、そのことは思い出せませんでした。

「ママはこう言ったの。『ママも小学校のころ、同じようなことをしたよ。クラス全員に仲間はずれにされている友達を救おうとしたら、ママも仲間外れにされたの。あなたは、自分が盾になって優しいね』って」

 少しずつ、思い出してきました。

「でもね、ダディには『その行動は良くないよ。君が入る必要はない。ヒーローになろうとして自分を犠牲にする必要はない』と言われたの。それでママとダディがケンカになったの。子どもをどう育てるか、で対立したのね。でね、その後、ママとダディが話し合ったらしく、結論は『自分で解決しようとしないで、先生に言おうね』だった」

 夫と私は時々、娘の育て方で対立し、大げんかになることがあります。一番大きかったのは大学進学についてでした。

 夫は娘の高校時代、進路についていろいろアドバイスをしていました。一番のアドバイスは「将来食べていける学科を選びなさい」でした。ですので、娘の得意な絵では食べられないから、デザインや建築にしたらどうか、と。それは自分の経験に基づきます。自分は地質学という就職先がある学科を選んだが、弟たちは「政治学」「音楽」を選び、結局はつながる仕事が見つからず、30代40代に大学院に行き大きくキャリア変更したという経験です。

 私は逆に一切、アドバイスはしませんでした。なぜかというと、私たちが大学生だったころとは時代は大きく変わり、変化の速度も速い。親が自分の経験から子どもにアドバイスするなんてもってのほか、親自身の経験から来る考え自体が古いと謙虚になるべきだと思ったのです。ですので、若者は自分の感性で進路を選ぶべきだと。

 そして、これについて夫婦で大げんかをしています。そして、夫は自分が信じているようにアドバイスをし、私は自分が信じているようにアドバイスをしなかった。

 そして、娘は素直に夫のアドバイスに従い、海外のあちこちの建築学科に出願しましたが、自分の希望する大学に受からず、結果的に日本の大学で英語で授業を教える教養学部のようなところに入学しました。そこから私が前面に出て、「得意な絵を専攻したほうがいい。20代、30代なんていくらでも失敗できる。まずは、自分の好きな道を目指すべき」とアドバイスし、出願期間が北米や欧州よりも半年ほど遅かったオーストラリアの大学の美術専攻で出願。目指した大学全部から合格通知が届きました。入学した日本の大学を退学することについても、「後ろめたさを感じる必要はないし、将来の後悔にもつながらない」と伝えました。そして、娘は自分が好きな道を歩むため、オーストラリアに向かいました。

 ここで言いたいのは、私の助言が正しかったということではありません。結果オーライでしたが、娘にはぽつりと、「ママ、このアドバイス、私が高校のときにしてほしかった」と言われましたし、夫に建築学科を勧められ、高3の夏休みにイギリスのサマースクールに参加し、2週間建築について学んだことが今とても役に立っていると振り返っています。

 娘が自分の生き方を考えるにあたって、過去の私と夫の子育てのエピソードまで遡り、ブログの話題も広がりましたが、この話の軸は大学生の娘の模索と、その娘を育てた我々夫婦の直球の子育てでしょうか。

 娘が自分の生き方を模索していたら、その根っこに、自分の小さなころからの気質だけではなく、父と母から受け取った相反する価値観まで見えてきた。さらに、どちらの親が正しかったということでもなく、娘自身が親から受け取ったものを自分なりに解釈し、再構成しているという話です。 

 一昨日は息子についてのブログを書きましたが、2番目になると我々も年を重ね、まぁ、いいか、になってしまいます。まぁ、それはそれで、息子もそこから何かを感じ取り、成長していくのだろうと考えています。

 あっ、成長してくれれば、と願っています。

2026年9月12日土曜日

息子の”やる気”についての考察

 今日、中3の息子の学校で文化祭があり、生徒たちの発表がありました。

 息子の選んだテーマはスポーツ観戦。なぜ、人々はスポーツ観戦が好きなのか?を掘り下げていました。スライドには、日本語で要点を書き、日本語の下に英語で詳細な説明が書いてありました。口頭説明は日本語でした。

 他の生徒たちはご両親が日本人のため、スライドも発表も日本語で。息子は母親が日本人、父親がアメリカ人のため、日本語と英語を併記しており、息子なりに考えたのだな、と思いました。

 それにしても、パソコンに貼ってあるステッカー、皆にバッチリ見えましたよ。まるで、息子のために作られたステッカーのよう。

やる気、品切れ中。入荷の見込みはありません

…。いえいえ、その商品、最初からありませんでしたよ。

 それにしても、2番目の子は、こんな風に育つものでしょうか? いや、生まれた順番より、環境でしょうか。

 父親は仕事と料理をしている以外はベッドに寝転がり、ずっとパソコンでテレビドラマを見ている。時折、思い出したように、ゲームは終わりだ!と息子を威嚇する。

 母親は自分の人生に対して常に戦闘態勢で、やる気過剰。息子にあなたの夢は何?目標は何?と事あるごとに聞いてきて、暑苦しい。

 7歳年上の姉は身長183センチ。息子は中3で179センチまで伸びたのに、まだ勝てない。加えて、姉は弟と平等であることを何よりも重んじているため、食べ物の量についてうるさい。だから、息子は自分の立場をわきまえ、自ら少ない量の皿を取る。以上のことから、一生姉に頭が上がらないかもしれないと思い始めている。

 こういう環境で育つと、やる気のない子が育ってしまうのかもしれません。

 でも、息子は毎日きちんと道具とお弁当をバッグに入れ、朝食を取り、「いってきます」と学校に行き、授業中は寝て、友達と仲良くし、部活も真面目に参加し、夕食前・夕食後にお腹がすけばさっさと自分で何か作り、お弁当箱を洗い、週1回の数学塾・英語塾・スイミングスクール、月に2度のヴァイオリンのレッスンにも粛々と通い、寝る直前までゲームをし、時折、料理に関するユーチューブを見て料理やお菓子作りをし、親に文句を言うことも、反抗することもありません。

 自分にあてがわれた屋根裏部屋(息子が生まれる前に家を購入したため息子の部屋がなく、屋根裏部屋をリフォームしました)は狭いため、今でも夫と寝ています。娘がいたころは、ソファに寝ていました。理由は「こっちのほうが寝やすいから」で、気にしている風もありません。

 何というか、自分の環境をまるごと、あっそう、と受け入れ、その中で自分が生きやすいように、ポジショニングしている感じです。

 息子を見ていると、きっとこういう風に、マイペースでゆるーく生きていくのかなぁ、と想像します。まぁ、やる気の入荷予定がなくても、良しとしますか。 

2026年9月10日木曜日

娘@メルボルンからの報告_自分の生き方について

 オーストラリアの大学に留学する娘(大学3年生)とのフェイスタイムでの会話は、私にとってとても幸せな時間であるとともに、癒やしの時間でもあります。娘は聞き上手で、私の話を楽しそうに、そして、共感しながら聞いてくれるので、つい、話し過ぎてしまいます。が、先日は娘が最近考えていることをじっくり聞くことができました。

「最近ね、自分がどう生きたいかを深く考えているの」

「そうなんだね。考えはまとまった?」

「うーん、途中かな。でも、2つは固まったの。単語で言うと、Empathy とIntegrity。この2つはたぶん小さいころから自分の性格の中にあって、中学生や高校生のころは、これがあることで周囲との関係がうまくいかなかったり、自分が傷ついたりしたことも多かったの。でも、日本を離れて、違う国の人たちの中に身を置いて、一人でじっくり考えて、やっぱり私はこの2つを大切に生きていきたいということは決まったの」

「Empathyは人の気持ちに共感することだよね。それはあなたのとても良い点で、ママもダディもばあち(私の母)も、あなたと話すことでとても癒やされている」

「うん。これは小さいころからあったんだ。人の気持ちとか苦しさに寄り添うことは自然に出来たと思う。ただ寄り添うだけではなく、上から目線でもなく、相手には相手の人生があることを理解した上で共感することは大切だと思うの」

「とても大切なことだし、あなたはそれが十分出来ていると思うよ。2番目のIntegrity は誠実さ、だよね。これHonesty とは違うの?」

「うん。Honestyは正直であることでしょう。例えば、カップルがいたとして、男性が浮気をする。パートナーが『私に嘘をついたわね』と責める。でも、男性が『嘘はついていない。言わなかっただけだ』と反論する。この男性にとって嘘はついていないというのは真実なんだよね。そういう意味で正直だとも言える。だから、私はHonestyではなくって、Integrity  なの。日本語で言うと、、、真っ直ぐに生きる、かな」

「なるほど。それもあなたらしい」

「Integrity。誠実さと信念を持って生きること、自分が何を正しいと思うか自分で考えること、何を正しいと思って何を正しく思っていないかを自分の行動に反映させること。他人に褒められたいとかではなくて、誰が見ていなくても正しいことをすること。でもね、ここに課題があるの」

「課題?」

「うん。自分が正しいと思うことに沿って生きることは大事。でも、自分の考えが絶対正しいわけではなくて、自分が正しいと思わなくても他人がそれは正しい・良いことだと思うことを尊重したい。そこがまだ、自分には出来ていないと思うんだ」

「そうかなぁ、十分出来ていると思うけど」

「でね、3つ目の生き方はHumility。謙虚であること。これが出来ていないの、私。私はねじ曲がった生き方はしていないと思う。高校時代は自分より出来る人、頭が良い人、自分より頑張れる人、自分より行動力がある人に接すると、自分が劣っているという気持ちがあったの。でも、EmpathyとIntegrityが自分の生き方なんだと決めたら、劣っているという気持ちはなくなった。一方でね、信念がない人、人に共感できない人、人に冷たい人を見ると、私はこんな風に人を見下すような生き方はしたくないなと思うの。でもね、そう思うこと自体、謙虚さに欠けていると気付いたの。ねじ曲がった考え方になっていることに気付いたの」

「うーん、そういう謙虚さは、ママみたいに年齢を重ねてもなかなか持てるものではないと思う。ママ、本当に感心する。ママが大学生のころはあなたみたいに深く考えなかったよ」

「えへっ、照れるなぁ。でね、謙虚さについてなんだけど。罪を犯して刑務所にいる人を例にするね。その人を見ると、自分は悪いことをしていないから、刑務所には入らない。自分のほうが、その人より良い生き方をしていると思ってしまうでしょ?それ自体が間違っていると思うの。もし、その人の立場だったら、と考え、見下さないことが大事なの。私はとても恵まれて育った。教育も十分受けている。お金の心配もいらない。もし、私がその人の立場だったら、その人の育った環境で育っていたら、私もその人と同じくらいに間違ったことをしてしまう人間かもしれない、と思うことが大切だと思うの」

「そのことに気付いたこと自体が素晴らしいと思うよ」

「自分の長所を認めながら、自分の生き方がより良いと思わないこと。その両立は難しい。でも、その難しいことを、この1、2年で身に付けたいと思っているの」

 娘の刑務所の例で思い出したのは、永山則夫元死刑囚のことです。彼は極貧の家庭に生まれ、幼少期に親に捨てられ、十分な教育も受けられず、周囲からの援助も得られず、19歳のときに4人を殺害しました。その後、獄中で本を読み、思索を重ね、1997年に死刑が執行されるまで「無知の涙」など多くの作品を残しました。

 もちろん、人を殺したことは許されることではありません。しかし、「自分がもし彼の育った環境で育ったなら」と思いを馳せることの大切さ、その人を見下さないことの大切さに、大学3年の娘が気付いたことを、私は親として誇りに思います。

 永山則夫元死刑囚については、私の尊敬する元同僚のジャーナリストが取材し、本にまとめています。

 娘との話を終え、元同僚に電話をしてみました。その話はまたの機会に。


2026年9月6日日曜日

久しぶりの軽井沢

  2ヶ月ぶりの軽井沢です。悲しいことに、中3の息子はもう来たがらないため、しばらく延期になっていました。でも、夫との会話で「行きたいか、行きたくないか、聞くから駄目なんだ。今週末は行くからと言えばいいんだ」ということになり、昨日土曜日の午後3時に東京の家を出たのでした。

 息子が来たがらないのは「面倒」だから。公立小学校に通っていたころと違い、土曜日午前中は毎週授業があります。ですので、東京の家を出るのは息子が帰宅し、昼食を食べさせた後。息子が帰宅するまでに、食材をクーラーボックスに詰め、持っていくものを準備します。

 今回は、6月に姪っ子とお友達、そして7月に娘のお友達のレイちゃんが泊まりに来たときに使った布団一組を軽井沢の家に戻す必要がありましたので、それも車のトランクに詰めました。さらに、軽井沢に行くたびに、子どもたちのおもちゃなどを少しずつ持って行っていますので、幼稚園のころに読んだ絵本を段ボール箱1箱に詰めました。

 当然、息子は登校前に準備はしてくれませんので、昼食後にせかしてリュックサックに着替えなどを詰めさせます。で、昨日は家を出たのが午後2時50分。

 それでも道路は空いていて、軽井沢の家に着いたのが午後5時半でした。家に入ってみると、二ヶ月間行っていなかったので、じめっとしており、かび臭さが気になりました。窓を全開にし、除湿機をかけます。夫は薪ストーブを焚きます。

「なんで薪ストーブなの?」

「家が湿っているから。除湿機では間に合わない」

「でも、薪ストーブ臭くなるじゃない…」という言葉を飲み込みます。そうなんです。薪ストーブは素敵ですが、服も何もかもに匂いがつくのです。でも、皆、それぞれのやり方がある。だから、粛々と作業をします。息子には畳を拭いてもらいました。私はベッドの枕カバー、シーツ、布団カバー、タオルケットを全部剥がして、順番に洗濯し、乾燥機に掛けます。こういうとき、乾燥機は本当に便利です。

 洗濯機のある場所の電球が切れていて、かつ、コーヒーも持ってきていなかったので、買い物へ行く必要が出てきました。夫は「もう運転はしたくない」と言いますので(でも、2時間半のうち1時間半は私が運転したのですけど…)、息子を連れて、買い物へ。コンビニ2件回っても電球がなく、結局はいつも行く大型スーパーへ。

 買い物を終え、家に戻ったのが午後7時。夫はバーベキューの炭を起こしてくれていましたので、野菜やお肉を焼いて、夕食の準備。娘がフェイスタイムで食事に参加してくれましたので、4人で会話をしながら、食事をしました。私たちはバーベキュー、娘は自炊したヴィーガン用の食事です。

 夕食の後は、4人でトランプをしました。やり方はフェイスタイムをパソコンの画面で表示するようにし、娘がそこにつなぎます。トランプのカードは4人分配り、娘の分は画面に向かって見せるようにし、娘が手を考えます。

 このような感じで約1時間、娘とトランプを楽しみました。娘がすぐ側にいるように感じられて、とても嬉しかった。

 バタバタと今日午後1時過ぎには軽井沢を出なければなりませんが(息子の水泳のレッスンが午後6時からあるため)、こうして、家の空気の入れ換えや掃除が出来たし、バーベキューは美味しかったし、娘とトランプも出来たし、幸せな週末でした。

子どもたちが小さいころに読んだ絵本。軽井沢の家の屋根裏部屋をリフォームして作った書棚に少しずつ収めています。一冊一冊丁寧に拭いて手入れをしていると、子どもたちとの時間が思い出されます


2026年9月3日木曜日

ジムでのルーティン

  週に2、3回行くジムでの私のルーティンは、ランニング・マシーン30分プラス腕を鍛えるトレーニング・マシーン3台をそれぞれ40回ずつです。これに加えて腹筋40回、最後に床にマットを敷いてストレッチをして完了です。

 そのランニング・マシーンの使い方は人それぞれ。いきなり走る人もいれば、歩いている人もいる。歩くプラス走るを組み合わせる人もいる。5台しかないので、1人の利用時間は30分と決められています。で、目の前の画面には、消費カロリーが出てきます。

 先日はオープン時間に行く事が出来ず、着いたのは9時20分ごろ。すでにその5台は埋まっていました。ホワイトボードに自分の番号を書きます。そして、トレーニングをして待ちました。真ん中3番のマシーンが空いたので、いつものコースを始めました。

 まずは、傾斜3%・5.5km/時をセット。歩き始めて、何気なく隣の2番のスクリーンを見ると、その人は終わりかけで、なんと、300カロリーも消費している!驚きました。走っていたのは、中年の女性でした。どうやったら、30分で300キロカロリーも消費できるのだろう?

 私の30分の組み合わせはスタート時の傾斜3%・5.5㎞/時。16分で100キロカロリー消費。次は傾斜を0にして(傾斜があると辛くて走れない)速さを8㎞/時に変更。6分走ると、150キロカロリーに。その時点で10㎞/時に変更して、4分で200キロカロリーに。ここが私の限界で、クールダウンをして30分終えます。だから、隣の女性は私より100キロカロリーも消費している!スゴすぎ!

 私の左のマシーンで走っているのはよく見かける中年男性。黙々と走り、黙々とトレーニングマシーンで鍛えている。きっと、自分の体型や体力に思うところがあるんだろうなぁ、と共感します。そういうストイックさ、メッチャいいです。頑張ってください!

 周囲の人に驚いたり、共感したりしながら、私もストイックに、額から汗をポタポタ流して、鍛えていきます。そして、自分に集中するのは気持ちが良いのですが、ちょっぴり辛いのは、ストレッチをするときに壁一面の鏡に映る自分の姿を見るとき。

 正真正銘のおばさんで、背中や腕、お腹周りにでっぷりとついた贅肉。マットレスの上で開脚をして、上半身と腕を前方に押し出すときの、あの、お腹周りの「浮き輪」。悲し過ぎる!

 中年女性を揶揄する、いや、中年女性が自虐的に語るこの「浮き輪」という言葉。ブルブルとした二の腕を表現する「振り袖」…。若いころは他人事でしたが、まさに自分事です。

 そんなことをつらつら考えながら、今日も体を鍛えます。

 

2026年9月1日火曜日

息子が15歳に

    息子が15歳になりました。

 前日、夫と一緒に、近くのモールにアイスクリームケーキを買いに行きました。そこは、息子が小さいころ良く行ったモールです。

 店内には、小さい子どもや赤ちゃんを連れた親御さんがたくさんいて、それは賑やかでした。息子が小さかったころのことを、懐かしく思い出しました。

 「赤ちゃん本舗」という店には、ベビー服を買いに行きましたし、「ボーネルンド」という遊び場では一緒にトランポリンをしたり、ボール遊びをしたり、しました。「サーティワンアイスクリーム」では、息子はいつも「ポッピングシャワー」を食べ、私は「キャラメルリボン」。

 手芸用品店では、息子の体操着袋などの材料も買いました。屋上でも、息子は走り回ったっけ。次々と思い出される息子との時間が懐かしく、そして、あの時間はもう戻らないんだという切ない気持ちになりました。

 そして、こういう気持ちはたくさんのお母さんやお父さんが抱くものなんだろうな、とも思いました。

 さて、息子からの誕生日の食事のリクエストは「マカロニチーズ」でした。ゆでたマカロニにチェダーチーズなどのチーズソースを絡めてオーブンで焼く、アメリカの家庭料理です。それに、骨付きの鶏モモ肉のソテーをつけました。

 夫からのプレゼントはバスケットボールシューズ、娘からはレゴやお菓子。私からは息子が大好きな「デンバー・ナゲッツ」という米国NBAのチームのロゴが付いたバスケットボールとキーホルダー、水着とラッシュガード。私の母と、義父母からは「好きなものを買って」と現金が贈られました。

 夕食、ケーキ、そしてプレゼントを開けるまで、娘もFaceTimeで参加しました。そして、息子が一番喜んでいたのは、娘がプレゼントしたレゴ。深夜まで、もくもくと作っていました。

 やっぱり、お姉ちゃんが一番ですね。



 

 

2026年8月29日土曜日

アサガオ咲いた!

  昨日、やっとアサガオが咲いてくれました。葉ばかり青々として、まったく花が咲かないので、夜間の玄関前ポーチのライトを消したら、3日後に咲きました。

 アサガオは夜の暗い時間を必要とします。昨年も夜間のライトを消したら咲きましたので、今年も同じ理由だったようです。

 咲いたのは一輪だけで、ほかにつぼみも見当たりません。でも、一輪でも咲いたので、良しとしましょう。青色で、とっても綺麗でした。 


2026年8月28日金曜日

科研費申請

  25日に、大学に「科学研究費助成事業(科研費)」を提出しました。科研費は、研究者が自分のしたい研究について研究計画を書き、そのために必要な費用を申請する制度です。専門家による審査を通れば、研究費が支給されます。助成団体は日本学術振興会で、書類は所属する研究機関のチェックを経て、同会に申請します。

 今回私が申請したのは「若手研究」。博士号取得後8年未満の研究者が申請できる助成金で、有り難いことに年齢制限がありません。博士号取得して間もなければ「若手」。いい響きですよね。

 研究計画書には研究の背景や着想に至った経緯、学術的な問い、研究の目的と学術的独自性・創造性、国内外の動向、研究遂行能力と研究環境、人権保護への対応などを書きます。A4用紙7枚です。

 毎夜コツコツと書き、締め切りの前々日にようやく完成しました。そして、締め切りの前日に申請画面のに必要事項を入力して、「次へ」と進もうとすると、どこかでつっかえる。あれこれ確認して、ようやく前に進んだかと思ったら、また、別の所で止まる。で、事務の人に連絡をしてみましたが、そこでも分からず、また、一つ一つ確認しながら進め、結局提出できたのは締め切り当日でした。

 今回は時間に余裕を持って申請しようと心に誓っていて、少なくとも前日に提出を試みたので、何とかなりました。

 私は研究者として雇われていますが、実際の仕事は自分の研究とは違うフィールドの仕事です。仕事は楽しいのですが、せっかく学位を取ったのだから、自分の目指すテーマを研究し続けたい。今回の科研費申請はそのための一歩でした。。

 本当にこういうことは、一つ一つに時間がかかりますが、でも一歩一歩前に進んでいるような気がして、嬉しいです。審査結果の発表は来年2月です。

 取れるといいなぁ。

2026年8月27日木曜日

ジムのお作法

「今年、結婚25周年だよ」。先日、夫にそう言われました。9月の結婚記念日はもちろん忘れませんが、今年25周年だということをすっかり忘れていました。これって、銀婚式? ですよね。

 私たちが結婚式をハワイで挙げたのは2001年9月。その2ヶ月後の11月に、夫が日本に移り住みました。夫はそれから日本、特に、沢山の人がひしめき合う東京でのマナーを少しずつ身に付けました。たとえば、朝、電車を待つマナーです。

 日比谷線の始発駅の中目黒駅では通勤時間の朝、4列の「先発」の電車を待つ人の列があり、その横に「後発」の4列があります。電車が来て、先発の4列の人たちが乗ると、その「後発」の4列がそのまま、列を乱さず「先発」の列にスライドし、数分後に来る次の電車を待ちます。

 日本人の私たちは、この作法を静かに守りますが、たまに、この列を乱すような形で待つような人がいます。きちんと整列していないとか、前の人との距離が妙に広いとか。夫は、こういう人に、とっても怒るのです(実際に、その人に怒るわけではないですが…)。

「狭い日本でお互いにストレスを感じずに暮らしていくには、こういうルールを守らなきゃ駄目なんだ」と。そういう人は外国人であることも多く、おそらく、まだこの独特のルールが分かっていないのだと思います。

 あちこちで見られる、この暗黙のルール。実は私が通うジムにもあります。自分が使った後、トレーニングマシーンを丁寧に拭くことです。先日、たまたま珍しく黒人男性が来ました。「この人どうかな?」とチラリと見ると、ちゃんと自分が使った後、マシーンを拭いていました。それも、受け付けの横にあった除菌スプレーまで持ってきて、振りかけて、備え付けのタオルでしっかりと拭いていました。で、その後来た白人男性。その人も、腹筋をするための台を、使用後ちゃんと拭いていました。

 いやぁ、こういうのって本当に気持ちが良いです。一方、夫が怒ったのは(もちろん、相手に怒ったわけでなく、私に報告してくる)、トレーニングマシーンを占有する日本人でした。夫と私は別々の時間帯に行きますが、お互いにジムでの小さなエピソードを報告し合うのです。

「10回ぐらい使ったら、携帯を長々と見て、また、10回ぐらい使う。そして、また長々と携帯を見ててさ、使いたい人がたくさんいるのに、と思ったよ」

「あっ、その人分かる。比較的若い男の人でしょう?」

「そう。あれ、迷惑だよなぁ」

「実はね、あのマシーンの横に張り紙が貼ってあって、『人気のあるマシーンですので、ご配慮をお願いします』って書いてあるの。たぶん、スタッフも言いづらいのかもね」

 夫も広いアメリカに住んでいたら、こんなことに目くじらは立てなかっただろうな、とちょっとおかしくなったのでした。

 

2026年8月25日火曜日

息子の料理

  今日は仕事の休みの日でしたが、研究費の助成金申請の締め切りのため、朝からパソコンに向かっていました。夏休み中の息子の昼ご飯に、鶏肉のハンバーグとチャーハンを作ろうと考えていたら、息子が「僕、作るよ」と言います。

「ありがとう!じゃあ、お願いね。鶏の挽肉だから、ミートソースでも作る?」

「うん、そうする」

 トマト缶2つ、パスタ、鶏挽肉をキッチンのカウンターに置いて、「楽しみにしてるよ!」と言い、私は助成金申請に戻りました。息子はパントリーから玉ねぎとニンニクを持ってきて、みじん切りを始めました。

 30~40分ほどしてから、「ママ、できたよ!」と息子の声。ダイニングに行くと、ランチョンマットの上に、美味しそうなパスタが置いてありました。冷蔵庫から、私が事前に作っていた野菜サラダを持ってきて、添えます。


「いただきます!」

 パスタ、めっちゃ美味しかったです。数日前に、息子は夕ご飯にバターチキンカレーを作ってくれましたが、これもとっても美味しかった。

息子はやっぱり料理男子です。

2026年8月22日土曜日

プレゼンテーションを終えて

  昨日、職場で研究発表をしました。参加者は東大のダイバーシティ関連の教員・研究員たち約10人。当日、画面共有がうまくいかず、自分のパソコンではメモ付きの画面が見えて、相手側には全画面が見えるという仕組みが使えず残念でしたが、事前にメモをワードに落とし込んでプリントアウトしていたので、乗り切れました。

 私は5月から特任研究員として働いており、今回が博士号取得後の初めての発表でした。発表後に質問を受けて答えるのは苦手なのですが、昨日は普通に答えられました。つくづく思ったのが、国立がん研究センターの研究室で博士課程時代に行った、いくつものプレゼンテーションが役に立ったな、ということ。

 海外を勝負の場とする同センターの研究者たちはそれは優秀で、質問も鋭い。答えられず、「後ほど調べてご連絡します」と答えた場面数知れず。その渦中にいるときは、それは辛かったのですが、乗り越えてみると、自分の糧になっていた。改めてそう思いました。

 私が61歳までの人生で、雇用されて就いた仕事は4つ。最初はサントリー株式会社札幌支店の事務職、次は札幌の英会話学校の講師、次は北海道新聞社の記者職、そして人生最後の職(年齢からして、たぶんそうだと思う)は東大の特任研究員です。

 この道のりを「キャリア」という視点でみると、バラバラです。特に記者職から研究員までの道のりが長く、多難で、大きな方向転換でした。まぁ、よくぞここまでたどり着いたものだ、と思います。

 この茨の道を振り帰ると、要所要所に、病気により社会から離れた私をもう一度社会へ引き戻してくれた人たちがいます。その人たちは、家族や友人のように人生の中での長く付き合ってきた人たちではなく、ピンポイントで現れます。

 たとえば、病気の寛解後、社会復帰のきっかけとなったWebニュースサイト。元テレビ記者と元新聞記者が作ったサイトで、たまたま、元新聞記者の市民講座を受講していた私に声がかかり、サイトのメンバーになりました。ここでの経験は取材・執筆という基本の動作を取り戻すのに大変役に立ちました。

 そして大学院修士課程では、良き指導教員に恵まれ、無事修了。博士課程では、私を受け入れた指導教員が大変なハラスメントをする人でしたが、1年もたたないうちに別の大学へ移りました。今振り返ると、その指導教員は私をこの大学に入れるという役割を担ってくれた人だったように思います。

 そして、その指導教員に代わって私を引き受けた指導教員からは理不尽な扱いを受け、最後は決裂しました。が、彼女が私の人生で担ってくれた役割は、私を博士号取得まで導くことだったと考えています。実際、決裂後に私は無事、博士課程を修了することが出来ました。

 こうした人たちは、私の人生の節目の局面で現れ、ほどなく私の人生から消えていきます。不思議なものだな、と思います。

 皆さんの人生にも、ある局面で現れ、次の場所へとつないでくれた後、いつのまにかいなくなった人はいますでしょうか? もしかしたら、自分が誰かの人生で、その役割を担っているかもしれませんね。そう考えると、人生は面白いですね。

 まぁ、「あの人は嫌な人だったけど」と思い出されるのも何ですが…(笑)。

2026年8月17日月曜日

ゆきちゃんの命日に

  昨日は大好きなママ友のゆきちゃんの命日でした。昨年、肺がんで亡くなりました。45歳でした。

 息子の幼稚園時代のママ友で、卒園後もずっと親しくしていました。昨日は、仲の良かったママ友3人、そしてハンドベルサークルのママさん1人と一緒に、お宅に伺いました。

 居間にはゆきちゃんの美しい写真が、飾ってありました。遺骨もその横にありました。ゆきちゃんが何よりも大切にしていた家族と、今もずっと一緒でした。

 娘さんが我が家の息子と同い年の中3。毎朝5時に起きて、高3のお兄ちゃんと自分のお弁当を作っているそうです。パパも夕方5時には帰宅して、夕ご飯を作り、家族で一緒に食べているそうです。

 ゆきちゃんは家族に健康的な、美味しい食事を作ることを大切にしていました。そして、とてもお料理上手でした。それがちゃんと子どもにもご主人にも引き継がれていました。

 だけど、きっと天国のゆきちゃんは、娘が朝5時に起きてお弁当作りをしていること、パパが早く帰ってきて夕ご飯を作っていることに安堵しながらも、子どもたちにご飯を作ってあげられないことが何よりも無念だろうな、と思いました。

 キッチンには梅シロップの瓶がありました。ご主人によると、ゆきちゃんが昨年冷凍した梅で作ったそうです。我が家も梅酒、梅シロップ、梅酢を作り、キッチンに置いています。梅の時期になると毎年、ゆきちゃんから来た「むっちゃん、梅仕事してる?」というラインを思い出し切なくなりました。

 ゆきちゃん。パパも子どもたちも、食事をとても大事にしていたよ。ゆきちゃんが去年丁寧に冷凍した梅も、シロップにしていて、美味しそうだった。お弁当作りやお食事、梅仕事、ゆきちゃんが天国に行った後も家族が引き継いでくれて、良かったね。安心してね。

 皆、ゆきちゃんを恋しがっていたよ。私も、いつも、いつも、そう思っている。

2026年8月16日日曜日

スパイダーマン

  昨日、息子と夫と一緒に映画館に「スパイダーマン」を観に行きました。IMAXという大画面スクリーンで、迫力がありました。

 はっきり言って、スパイダーマンはあまり興味がありません。でも、息子とコミュニケーションを図るため、興味のない映画も行きます。

 予想に反して、スパイダーマンは面白かった。主人公のピーター・パーカーの葛藤や心の動きが丁寧に描かれていて、思いのほか引き込まれました。

 帰りは息子が内容について、いろいろ補足説明をしてくれました。ポップコーンを頬張り、コカコーラを飲みながら、大画面の映像に見入るー。最近はめっきり口数が少なくなった息子と一緒に映画を観られるのはあと何回だろう?一回一回を大切にしよう。


 

2026年8月15日土曜日

ジムで

  我が家の近くに区のスポーツジムがあり、先月から週2、3回通って体を鍛えています。61歳でも息子はまだ中3なので、冬に息子と一緒にがんがんスキーを滑りたいので、今から体を鍛えようと通い始めました。この夏、娘とニセコに行き、ラフティングやツリートレッキングなどを楽しみ、「あと10年は子どもたちと遊ぶぞ!」と決意したのも大きな理由です。

 スポーツジムはできてまだ数年で、公園を見下ろす大きな窓の側にランニング・マシーンが設置されています。毎回、そこで30分ウォーキング・ランニングをし、その後はマシーンで腕や足を鍛えています。

 今朝はオープン直後の午前9時8分に着いたのですが、5台あるランニング・マシーンは全部埋まっていました。走っている人も、筋力トレーニングをしている人も皆、黙々と体を動かしており、こういうのっていいなぁと思いました。そして、腹筋をしていたら、汗がボタボタ落ちてきて、高校時代の部活動を思い出しました。

 思い出すのは、いつも同じシーンです。私はソフトボール部に所属しており、札幌は冬になるとグラウンドが雪で埋まるので、校舎内を何周も走り、廊下で腹筋や背筋などをして鍛え、夏に備えていました。今、再び腹筋をしている自分と、ひたすら筋力トレーニングをしていた当時の記憶と重なりました。あぁ、体を鍛えるって気持ちが良いなぁと思いました。

 50代、60代になったら、子どもの頃のことを思い出し、自分がかつて好きだったことをしよう、というアドバイスをよく聞きます。どう思い返しても、私は「絵ばかり描いていた」とか「編み物が好きだった」とか、好きなことに没頭した記憶はありません。かといって勉強をしたわけでもなく、唯一没頭したのはあの部活動でした。そして今日、ふと思い付いたのです。「そうだ!60代は高校時代のように、体を鍛えよう」と。

 さて、ランニング・マシーンの順番が回ってきました。今日はイヤフォンをつけて携帯電話に保存してある、娘が作ってくれた私の好みの曲のアルバムを聴きながら走りました。荒井由実の「中央フリーウェイ」、ポール・マッカートニー&ステーヴィー・ワンダーの「エボニー&アイボリー」、ビリー・ジョエルの「素顔のままで」、SMAPの「夜空ノムコウ」、アース・ウインド&ファイアーの「レッツ・グルーブ」、久保田利伸の「LA・LA・LA LOVE SONG」…。

 そして、「Isn't She Lovely」。娘の可愛らしい顔を思い出しました。この曲はスティーヴィー・ワンダーが娘の誕生の喜びを歌ったもの。でも、我が娘にぴったりの曲なのです。

 こうして音楽に聴き入りながら走っていると、隣に細身の素敵な女性が来て、軽やかに走り始めました。私は最初にウォーキングでウォームアップしてから走りますが、彼女はいきなり走り始めたのです。若い人かなぁと思ってふと横を見ると、なんと、顔に皺やシミがそれなりにあり、おそらく私ぐらいの年齢でしょう。

「おぬし、やるな!」とつい心の中でうなってしまいました。こういう同世代の女性が引き締まった体をして、軽やかに運動しているのを見るのは気持ちが良いものです。私も見習わなければ。


 

2026年8月13日木曜日

納骨堂へお参り

  今日は盆の入り。母と夫、息子と一緒に父の遺骨を納めてある都内のお寺の納骨堂にお参りに行きました。

 父の遺骨は以前、札幌市内の納骨堂に納めていましたが、母が東京に転居した後にこちらに移しました。

 もう3年になりますが、いまだに札幌のお寺が懐かしい。でも、こうして母と家族と一緒に命日やお盆、お彼岸にお参りに行けるのは良いことですよね。父も天国で喜んでいると思います。

 先月、父の妹のご主人が亡くなり、母はそれを父に報告。「お父さん、山田さんにもう会えた?」と聞いていて、何だか、本当に父があちらで叔父さんに会っているような気がして、父も知り合いが増えて楽しいかなぁと想像しました。

仏壇の前で手を合わせる母

 父が大好きだった和菓子をお供えしました。お参りの後、皆でそれをいただき、お寺を出た後は昨年と同じ中華料理店へ。母は食欲が落ちているようでしたが、それでも、天津あんかけを美味しそうに食べていました。

 また、来年のお盆もこうして家族でお参りをして、中華料理を食べられますように。

2026年8月12日水曜日

娘@メルボルンからの報告_スプリンクラー

  メルボルンにいる娘から、寮のスプリンクラーが作動して部屋の床が水浸しになったと連絡がありました。娘によると、同じ9階の男子学生が慌てて部屋から出てきて、そこから煙がもうもうと出ていたそう。

「きっと、タバコだと思う」と娘。火の出る可能性のあるキッチンは1階ですので、やはり、タバコかもしれません。

 床に置いてあったものが濡れてしまったようで、フェイスタイムで水浸しになった床と物を見せてくれました。「ちょうど2,3日前に床のものを片付けたところだったの。不幸中の幸い」との苦笑する娘に、「やっぱり片付けすると良いことがあるんだね」と私。

 娘は、「寮の空いている部屋に今晩、移ってって言われているの。綺麗になるまで数日かかるみたい。それでね、9階の住人にピザをオーダーしてくれたの。でね、私、ヴィーガンなんですけどって伝えたら、ヴィーガン用のを注文しますって言ってくれた」と嬉しそうでした。

 そして、約1時間後。再び、娘からフェイスタイムで連絡がありました。娘は目に涙を浮かべています。

「私、ピザを食べるのを楽しみに一生懸命片付けて、ようやく終わって取りに行ったらもうなかったの。悲しい…」。

「あら、かわいそうに。管理人さんに伝えた?」

「うん、でも、追加注文はできないって」

「それは残念だね。じゃあ、ピザ、買っておいで。ついでにアイスクリームも」

「うん、ありがとう。今日は遅いから、明日買うね」

 娘はよくこういうことがあります。一生懸命、真面目に取り組んでいるのに、なぜか最後にちょっと損をしてしまう。あぁ、またか、かわいそうにと思いつつ、でも、こういうところが娘らしくて、何とも愛おしいなぁと思うのです。

 今日はピザ買えたかな?とびっきり美味しいピザでありますように。

 

2026年8月10日月曜日

海へ

  8日(土)に学校との話し合いを終え、中3の息子が無事2学期からも学校に通える事を確認し、肩の荷が下りました。翌9日から一泊で千葉県御宿町に泳ぎに行ってきました。

 娘はオーストラリアの大学3年生、息子は東京の私立一貫校の3年生で、子どもたちと遊べる期間は限られているーと最近ひしひしと感じるので、「遊びに行こう!」と思い立ったら、すぐ計画を立てることにしています。

 今回も「海に行こう!」と思い立ち、海が綺麗だという千葉県に行くことにしました。宿泊先は6月にオープンしたばかりのカフェ併設のホテルを予約しました。

 御宿町のビーチはサーフィンで有名らしく、たくさんのサーファーたちが来ていました。台風が接近しているため、波も高く、泳ぐというより次々と打ち寄せる波に体を任せるのに精一杯。でも、「海水浴に来たぞ!」という雰囲気は十分に味わえました。

御宿のビーチ

 ホテルにチェックインをしシャワーを浴びた後は、街へ。バーベキューをしているカフェを見つけて夕食を取りました。夜はベッドに寝っ転がって「スパイダーマン」を観ました。

夕食を取ったカフェ


 

カフェ併設のホテル「Dear Mom」

 


 今朝はホテル併設のカフェで朝食。昨日はあまり泳げなかったので、車で20分ほどの守谷海水浴場へ行きました。ここは入り江になっているため波が穏やか。サーファーの姿もなく、海水浴に来た人たちがのんびりと過ごしていて、私たちもゆっくり楽しめました。

「Dear Mom」での朝食

穏やかだった守谷海水浴場

ただ、息子は昨日の日焼けで皮膚が真っ赤になり、今日は泳げなかったのが残念でした。

 学校のことが一段落ついた直後の小旅行。一緒に泳ぎ、カフェでご飯を食べ、ベッドに寝っ転がって映画を観るー。子どもたちが大きくなった今、こうして一緒に遊べることが何より嬉しい2日間でした。 

2026年8月8日土曜日

闘い終えて…

  一週間ぶりのブログです。今日は息子の学校と闘ってきました。息子がニュージーランドにいる間に学年主任の先生から電話があり、帰国後息子と私たちと学校に来るようにと言われたのです。

 詳しくは書けませんが、ある出来事の発端は息子で、息子の行動により、誰も予想していなかったことが展開してしまったのです。

 先生から電話があったのは7月30日、息子が帰国する5日前です。私と夫はすぐ息子に事情を聞き、私たちとの日本語と英語でのメッセージのやり取りと事の深刻さに息子は数日間寝られなかったらしいのです。

 私と夫で車で成田空港に迎えに行きましたが、元気がなく、荷物をトランクに入れて後部座席に座った途端、安心をしたのか自宅までの1時間半ずっと寝ていました。

 私は弁護士に電話相談したり(取り合ってもらえなかった)、AIに相談したり、インターネットで検索をしたりして、何日もかけて準備をし、今日に臨みました。

 夫は担任の先生(外国人)にメールで連絡し、事情を聞き、今日の面談に出席してもらうことにしました。担任の先生は息子の味方でいてくれ、我々としては心強かった。

 今朝は夫が「具合が悪い」と言うし、息子も起きてこないし、で困りました。でも、「腹が減っては戦が出来ぬ」ということわざがありますので、息子の好きなアサリのパスタを山盛りにして食べさせました。

 話し合いは2時間ほどでした。私が先生方に質問をし、答えに対して疑問を呈するという形で進みました。結果的には息子が今後気を付けることを約束し、終わりました。

 ずいぶん心配しましたが、収束しました。学校の帰りにカフェに寄り、夫とはスパークリングワインで「お疲れ様でした」。息子も元気を取り戻し、あれこれ沢山食べました。それにしても、男子の中2中3は大変だと聞いていましたが、本当でした。

 有り難かったのが担任の先生の存在。「男子は中3までが一番大変ですが、高校生になれば、落ち着きますよ」と笑っていたのが、救いでした。

 

2026年8月2日日曜日

ベアを洗う

  明日、息子がニュージーランドから帰国します。2週間の滞在期間中、電話をくれたのは1回だけ。そのほかは、短いメッセージだけでした。やっぱり男子ですね。

 でも、お友達と一緒の写真を送ってくれました。山の上のベンチに座って、お友達4人とオークランドの街を見下ろす一枚。青春そのものという感じの、良い写真でした。

 今日は、息子が今でも一緒に寝ているクマのぬいぐるみ「ベア」と「ベアジュニア」を洗って干しました。ふんわりと良い匂いになって、息子を待っています。

 あぁ、私もベアになりたいなぁ。



2026年8月1日土曜日

がんのママの集いで

  今日、私が主宰するがんのママさんとAYA世代女性の集いがありました。5人のママさんと3人のお子さんたちが参加し、賑やかな会となりました。

 乳がん4人、胃がん1人が参加してくれました。このうち3人が、がんのあった臓器・部位を全摘出されていました。  

 今日の話題の一つは、がんになる前の自分に戻れないことによる気持ちの落ち込みをどう切り替えていくかーでした。

 手術や抗がん剤治療後、以前のように働けない、眠れない、動けない、食べられないー。症状は徐々に改善しても、体調は元には戻らず、外見も変わります。さらに、再発への不安も抱えながら生きていくことは、決して簡単なことではありません。

 あるママさんは、精神科医のカウンセリングを受けながら、「かつての自分に戻りたい、でも戻れない」と落ち込むたびに自分を客観視する方法を実践していました。

 別のママさんは、ある会合で教えてもらった気持ちを切り替えるための”名言”を心に留め、折に触れてそれを自分に言い聞かせているそうです。

 また、「失った臓器は戻らないし、外見も変わり、前のように出来ずに気持ちは落ち込んだ」と振り返りながらも、「”New"な自分を受け入れることで前向きに生きられるようになった」と話してくれるママさんもいました。

 今回の参加者で一番若い30代の女性は、「自分の中で、がんになったことを”格下げ”しているんです」と話してくれました。
「がんにならなくても、『あのときああすれば良かった』と後悔する自分がいたかもしれない」と考えることで、「失ったものはあるけど、その”新しい自分”として生きていく」覚悟を決めたと言います。

 かつての自分に戻ることができないー。

 このことについては私もずいぶん苦しみました。仕事=経済的自立=という、自分のアイデンティティの核だっただったものを手放さなければならかったことを長く引きずり、10年ほど続いた病気に次ぐ病気という悪循環で日常生活もままならない中で、この”喪失”に苦しみました。
 
 腫瘍精神科医のカウンセリングも受け、「生きていることに感謝すること」の大切さを説かれました。8回のカウンセリングを終えましたが、「先生は私の苦しみも悲しみも全く理解していない。だから、私はまた自力で元気になるしかない」と言い切り、目をぬらしながら診察室を出ました。頼ったはずの医師を突っぱねるほど、当時の私は、自分に折り合いをつけられずにいました。
 
「キャンサーギフト」という美しい言葉も折々にがん患者から聞きますが、本当にそうなのでしょうか? 将来への夢や希望が持てるAYA世代、働き盛り、そして、子育て真っ最中の世代ががんになり、「がんになって良かった」と前向きに受け止め、前進し続けることが出来るものなのでしょうか?

 そんな問いに対する答えを、30代の女性がきっぱりと言い切ってくれました。「がんになったことは良かったとは思わないけど、気づけたことはあった」。

 この言葉に、彼女より年上の私たちは深くうなずきました。おそらく、これが本当のところなのではないでしょうか。

 一度は死を覚悟しながらも、こうして生きていることに感謝をしている。でも、ときどき、かつての自分を思い出しては落ち込む。そして、そのたびに、自分を鼓舞したり、なだめたりしながら、何とか気持ちを切り替える。

 皆、こんな風に生きている。それを実感した一日でした。

 

2026年7月29日水曜日

秋色のバッグ

 娘は人との関わりがあまり得意ではなく、混雑した場所も苦手です。そのため、オーストラリアで1人で過ごす時間は、部屋でずっと編み物をしているそうです。

今回、ウールのバッグをお土産として持ってきてくれました。さらに、日本に滞在している間には、コットンのバッグと、鍋敷きを編んでくれました。コットンのバッグは赤を基調に、茶色とベージュをアクセントにした、秋の色合いで編んでくれました。ショールダーも肩にすっぽりとはまり、体に馴染んで良い感じです。

夏が終わり、長袖を着る季節にこのバッグを持って出かけるのが楽しみです。

娘が編んでくれたバッグ


鍋敷き(左)とコースター



2026年7月28日火曜日

娘がオーストラリアへ

  昨日、娘がオーストラリアに戻りました。日曜日夜の便の予定でしたが、機体整備のため出発が翌朝に変更になりました。当初は空港まで送る予定でしたが、夫も私も仕事がありましたので、羽田空港行きのバス乗り場まで見送りました。

羽田空港行きのバス停でハグ

  羽田空港では、同じく帰国中の親友レイちゃんが見送ってくれたそう。レイちゃんは今回、10日間ほど我が家に滞在しました。娘とディズニーランドやディズニーシー、カラオケ、買い物などに行き、娘はそれは楽しそうで、私たちも嬉しかった。

 娘はシドニー経由でメルボルンに向かう予定で、シドニーではホテルに一泊することになっていました。しかし、シドニー空港に着いたのは午後11時に近く。宿泊先を手配してくれるはずのカンタス航空の職員が見つからないと連絡があり、私たちも慌てました。

 娘は現地で携帯電話のSIMカードを入れ替えたため、何度電話をかけてもつながりません。私はネットでシドニー空港近くのホテルを探して、あとはカード番号を入力するだけの状態にして娘からの連絡を待ちました。気が気ではありませんでした。

 ようやく娘からフェイスタイムで連絡がありました。ホテルを手配してもらったこと、空港からホテルまでの送迎バスは終了していたため、タクシーでホテルに向かうことになったとのことでした。ほっとしました。

ホテルに着いたのは午前0時近くでしたが、「綺麗な部屋だよ!明日は午前4時に出なきゃならないから、4時間しかいられないけど」と、疲れた表情を見せながらも、元気そうに話してくれました。

 娘が初めて海外に行ったのは高校2年生のとき。イギリスへの夏期留学でした。フィンランド空港経由で行きましたが、カードを持たせていなかったため(当時の日本は現金があれば何とかなるという認識でした)、喉が渇いてもキャッシュレス決済のみ店では飲み物すら買えず、かわいそうな思いをさせてしまいました。留学先では、現地でできた友人にカードで立て替えてもらい、その場で現金を渡すことで何とか乗り切ったそうです。

 あれから娘は何度も一人でオーストラリアを往復しています。英語も出来ますので、大抵のトラブルには自分で対応できるようになりました。

 私も若い頃、留学先のアメリカから帰国するとき、飛行機の遅延で乗り継ぎ地に一泊せざるを得なくなったことがあります。ホテル代を払えるほどの現金も持っておらず、途方に暮れて航空会社のカウンターの前で、思わず涙がこぼれました。すると、周りにいたアメリカ人の方々が何人も駆け寄り、「このお嬢さんが可愛そうだ。ホテルを用意してあげて」と職員に訴えてくれたのです。おかげでホテルを手配してもらい、本当に助かりました。

 異国の地でトラブルに遭遇し、何とか対処していくのも、後に振り帰れば良い経験です。今回の出来事で、娘はまた少したくましくなったのではないでしょうか。

 とは言うものの、親としてはついつい「備えあれば憂いなし」の対応を子どもにしてしまうもの。今回ニュージーランドに短期留学した中3の息子には、念のため2枚のデビッドカードを持たせました。14歳なのでクレジットカードは作れませんが、1枚はMastercard、もう1枚はVisacard対応の店で使えるカードです。案の定、1枚は使えず、もう1枚が役に立ちました。まぁ、まだ中学生ですから、これくらいの備えは親がするべきでしょう。

 さて、娘から先ほど連絡があり、無事、メルボルン行きの便に乗ったそうです。朝4時に起きて、ホテルの送迎バスで空港に向かったとのこと。娘は成長がゆっくりで、すいぶん心配もしてきたので、今でも「ちゃんと起きられるかな」と思ってしまいます。でも、もう大丈夫ですね。

2026年7月26日日曜日

娘を連れてニセコへ

  23日(木)から2泊3日で、帰国中の娘と夫と一緒に北海道・ニセコ町へ行ってきました。

 札幌生まれ札幌育ちの私にとって、ニセコは冬はスキー、夏はラフティングを友人たちと楽しんだ思い出の場所です。2001年に北海道を離れてから長い間行っていませんでしたが、3年前に息子をスキーに連れて行って以来、翌年は夫と息子とスキーに、そして昨年は夏のニセコを満喫し、すっかり家族のお気に入りの場所になりました。今回は、初めて娘を連れて行きました。

 「ニセコは外国人の街になってしまった」と嘆く人も多いですが、夫にとってはどこに行っても英語が通じ、かつ、レストランのメニューも英語なので快適そうです。

 初日は「ツリートレッキング」に挑戦しました。森の中で木と木との間に張り巡らされた吊り橋やジップライン、ロープの網などを3時間かけて巡るアクティビティです。初級・中級・上級の3段階あり、上級にはバンジージャンプもあります。

ツリートレッキングでジップラインに挑戦する私

 そのバンジージャンプは命綱をつけて、地上8㍍の高さから飛び降ります。足がすくみましたが、思い切って飛びました!

バンジージャンプに挑戦する娘

 翌日は尻別川でラフティングです。こちらも2時間ほどかけて川を下る途中、4㍍ほどの崖から川へ飛び込む場面もあり、これも、怖かった。午後はのんびりと18ホールのパークゴルフを楽しみました。

のんびりとパークゴルフも

 最終日はゴンドラに乗って山を上がり、美しい羊蹄山を眺めながら、爽やかな空気を満喫しました。帰りは支笏湖に寄り、新千歳空港へ。当初は21時10分発の便でしたが、雷の影響で大幅な遅れが予想されたため、18時半発に変更してもらい、無事羽田空港に着いたのでした。

ゴンドラからの眺めも綺麗でした

娘がヴィーガンなので、食事を心配していましたが、なんと、レストランにはヴィーガンメニューがあり、コンビニエンスストアにもカップヌードルが売られており、思ったほど困りませんでした。外国人が多いニセコならではなのでしょうね。

娘が注文したヴィーガン用の担々麺

 やっぱりニセコは冬も夏も楽しい。冬は息子と一緒にニセコ・ヒラフスキー場のてっぺんからスキーでがんがん滑りたいし、夏も子どもたちとラフティングやツリートレッキングを楽しみたい。そのために体を鍛えよう!と、改めて心に誓ったのでした。

 

2026年7月20日月曜日

息子がニュージーランドへ

  今日、中3の息子がニュージーランドに旅立ちました。2週間の日程で、オークランドに短期留学します。

 息子の通う中高一貫校では、積極的に海外への短期留学を勧めており、アメリカ、カナダ、マレーシアなど夏休み・春休み・冬休みを利用した2、3週間のプログラムが用意されています。息子が選んだのはニュージーランド。息子いわく、「のんびりしていて、景色が綺麗そうだから」だそう。

 息子は同じクラスの男子と一緒にホームステイをします。午前中は学校に行き、午後はオークランド大学を訪れたり、スポーツをしたり、など様々なプログラムが準備されています。

 夫と一緒に成田空港まで送りました。「いってらっしゃい」と送り出した後、出国手続きをする息子は一度もこちらを振り返りませんでした。私がアメリカの大学に留学したときも、一度も両親のほうを振り帰らなかったと後から母から聞かされましたが、そんなものです。子どもや若者の目には、前に広がる明るい未来しか映っていませんので。

 今回の短期留学に参加したのは7人。中学校3年生が4人と2年生3人。他の3年生のママさんも「全くこっちを振り帰らなかった」と苦笑していました。ママさんの一人がご自身が中学生のころ短期留学をした経験があるそうで、「ホストファミリーによって、食事が違うの。私は持たされたランチが毎日同じで薄いサンドウイッチとチートス(スナック菓子)と生のニンジン。ニンジンはトラウマになった」と笑いながら話してくれました。

 息子を送り出した後夫にその話をすると、「それ、僕が母親に持たされたランチと同じだよ。アメリカ人は君のように手の込んだお弁当は作らないんだよ」とのこと。さて、息子はどんなランチを持たしてくれるのでしょうか?洗濯は自分でするのかな? どんな経験も、息子を成長させてくれるでしょう。

 ニュージーランドには夫の家族も私の家族も誰も足を踏み入れたことがなく、息子が両方の家族にとって初めてです。2週間、沢山の経験をしてきてほしいです。



2026年7月17日金曜日

アップルパイ

  娘は私が作るアップルパイが大好きで、11月の誕生日には毎年、市販のケーキではなく私のアップルパイをリクエストしてくれました。

 ところが、ヴィーガンになった今はバターや卵を食べられないため、これまでのレシピでは作れません。

 そこで、アップルパイを何としても食べたい娘は、卵なしのパイ生地と、リンゴの煮込みと混ぜるスポンジケーキを卵の代わりにひよこ豆の汁を使って作り、準備をしてくれました。

 昨夜は私がリンゴを煮込みました。その煮込みに娘が焼いた卵なしのスポンジケーキをちぎって入れ、粗く刻んだクルミを入れました。リンゴの煮込みだけだと物足りないのですが、スポンジケーキを入れると煮汁が染みこんでちょうど良い甘さになり、美味しいのです。

 そして、娘が作ったパイ生地の上に載せ、ブラウンシュガーと小麦粉を豆乳バターと混ぜたトッピングをまぶして、焼きました。

 リンゴはアップルパイに最適な紅玉ではないので、酸味が効いたシャープな味にはなりませんでしたが、そこそこの出来でした。何より、娘が喜んでくれて、嬉しかったです。



 それにしても、ひよこ豆の汁で作ったスポンジケーキ。味は、やっぱり少し違うのですよね。後味が独特なのです。以前、ヴィーガン向けのパン屋さんで枝豆で作った餡を挟んだパンを見かけ、「こういう工夫をするんだ」と驚きましたが、それと同じことですね。

 娘が大好きなアップルパイを諦めず、知恵を絞ってくれたことは、胸にじんときました。私も工夫をして、娘の好きな食べものを作ろうと改めて思った日でした。

 

 

2026年7月14日火曜日

お弁当5つ

  昨日は息子の学校の運動会でした。我が家に泊まりに来ている、娘の親友レイちゃんも一緒に応援に行きました。

 中高6学年24クラスが青、黄、緑、紫の4つのグループに分かれて、競いました。息子のクラスは紫団。事前にママさんたちと一緒に作った「必勝」「紫団」などの文字を付けた横断幕を応援席の前に掲げ、紫色のポンポンを手に持って応援しました。

 息子の学校の運動会は、絨毯に生徒一人が乗り、その絨毯を4人の生徒が引っ張ってポールを何回か回って速さを競ったり、部活動対抗のリレーを行ったり、とユニーク。部活動対抗リレーは調理部の生徒がフライパンを、軽音楽部の生徒がギターを持って走ったりする「エンジョイ部門」、バレー部や公式テニス部など運動部の選手が競う「本気部門」に分かれています。息子はバスケ部代表として走りました。やはり、陸上部は面目躍如。断トツの走りを見せてくれました。

 一番盛り上がるのが「全員リレー」です。4グループが競います。4グループは学年がバラけており、人数が足りないグループでは2度走る生徒もいます。走る順番は各グループが決めますので、男女が一緒に走る場面も多い。保護者の応援にも熱が入り、「青団、頑張れ!」「行け行け!紫!」など、歓声が場内に響きます。

 娘もレイちゃんも日本の学校のダイナミックな運動会を観戦したのは初めて。二人ともインターナショナルスクール育ちで、各学年が数十人という規模でしたので、運動会は競うというより、各競技を楽しむという感じでした。ですので、息子の学校の生徒が真剣に、でも楽しみながら、競っている姿を見て、感動したようでした。

 お昼は5人分のお弁当を作りました。3合炊きの炊飯器で2回ご飯を炊き、好みのおにぎりの具も違うので、鮭、ヒジキ、梅、ゆかりの4種類を用意。おかずの量も多く、私一人では手が回らないので、夫に鶏の唐揚げを揚げてもらいました。

5人分のお弁当。ご飯は2回炊きました

 息子の中学校最後の運動会。私も母親としてママさんたちと一緒に横断幕を作り、声を張り上げて応援するなど、思い切り楽しむことができました。運動会も残すは高校の3回だけ。そう思うとすでに寂しい気持ちになります。子どもと関われる期間は、本当に短いものですね。

2026年7月11日土曜日

近所の洋食屋さん

 我が家から徒歩3分ほどのところに、古い洋食屋さんがあります。通りから奥まったところにあり、我が家から駅までの道のりにはないため、今度行こうと思いつつずっと行けずにいました。

 ママ友たちに聞いてみると、何人もそこに行っていました。「美味しいよ!でも、かなり待つかも」というのが評価。その「待つかも」が引っかかり、躊躇していました。そして、この家に引っ越してから15年、家族と一緒に最寄り駅や隣駅などにある、あちこちのレストランに行きましたが、ここだけは、なぜか行っていなかったのです。

 先日、昼食時間に夫と二人だったため、ふと思い付いて、行ってみました。待たなくても良いように、開店時間の12時に行きました。通りには看板とメニューが出ており、その看板が古くて、歴史を感じさせます。

 奥に進むと、おそらく、昔はメニューのサンプルが並んでいただろう古いショーケースの中には、これまた古いコーヒーカップやヤシの実のようなものが並んでいます。ドアを開けようとすると、開店時間なのに閉まっています。すると、白いコックコートを着た年配の女性がやってきました。おそらく70代、もしくは、80代かもしれません。この方がシェフなのでしょう。

 「ああ、すみませんね。もう少しで開けますから、あちらに座ってお待ちください」

 外に置いてある椅子に座り、待つこと10分。ようやく、店内に入ることができました。壁には古い絵やポスターが貼られており、カウンターにはピンク色の大きなダイヤル式の電話機が置いてあります。博物館に飾っても良いような昔の電話機です。

 二人がけのテーブルに座り、メニューを開くと、ビーフステーキ、カツレツ、ピラフ、オムライス、カレーなど美味しそうなものが並んでいます。オーダーを取りに着たシェフに、夫はステーキ、私は海老のオムライスを注文しました。シェフが厨房に戻り、冷蔵庫を開け、食材を取り出し料理を始めました。お年を召していらっしゃるので、大丈夫かしらとちょっと心配になりました。

 しばらくすると、白いコックコートを着た年配の男性が入ってきました。この方は腰が曲がっています。その男性は玄関周りを整えて、私たちに笑顔で「いらっしゃいませ」と言い、厨房に入っていき、シェフの手伝いを始めました。テーブルから厨房を見ますと、シェフはテキパキと料理をされています。そして、お野菜とメインメニューが運ばれてきました。

 オムライスは卵がふわふわしていて、中のご飯もしっかりとした海老が入り、とても美味しい。夫のステーキも厚くて、本格的。夫も「すごく柔らかかくて、美味しい」と満足そうです。とても美味しいので、「15年間、ここに来なかったのが悔やまれるね」と語り合いながら、食べました。


 シェフに「何年、このレストランを開いていらっしゃるのですか?」と聞くと、「53年」とちょっぴり誇らしげに答えました。「53年も!すごいですね」「あっ、57年だったかな?」とシェフは苦笑しました。それだけ長い年月になると、ご本人にとっては53年も57年も、大きな違いはないのでしょう。50年以上も続けてきたということは、沢山の方に愛されてきたということだと思います。

 私たちの後に、次々とお客さんが来て、皆、のんびりとお料理を待っています。中には常連さんもいて、テーブルに座る前にシェフに「ハヤシライスね」と声がけ。おおっ、メニューを見ずに注文。すっ、すごい。そして、なんと1時になるとテーブルはすべて埋まり、訪れたお客さんを「すみません、1時オーダーストップなんです。また、よろしくお願いします!」と断るほど。12時に開店、1時にオーダーストップとは…。

 そして、あの、博物館級のピンク電話が鳴りました。ええっ、あれ、ディスプレーじゃないの?シェフが受話器を取り、話し始めます。あの電話、機能しているんだ、と驚くばかり。

 最後にコーヒーが運ばれました。男性がカウンターの上に並べたコーヒーカップにインスタントコーヒーの粉を入れ、お湯を注ぎます。「えっ、インスタントコーヒー?」と思いましたが、運ばれてきて飲むと普通に美味しい。これも、おそらく、長い時間をかけて、選んだ粉なのでしょう。なんか、すべてがあっぱれ。

 動物由来の食品を一切口にしない娘の食べるメニューは残念ながらありませんでしたが、息子を今度連れて来ようと思いました。自宅から徒歩3分の場所なのに、15年間も行かなかったことが悔やまれました。どうぞ、ご夫婦が元気で、これからも長く続けていただけますように。

2026年7月9日木曜日

娘の幸せ

  オーストラリアから帰国中の娘に会いに、親友のレイちゃんが昨日、我が家に来ました。10日間、滞在します。

 レイちゃんは娘が通ったインターナショナルスクールのころからの友人で、現在、カナダの大学に留学しています。前回来たときは耳に10個ぐらいピアスが付いていて、今回は金髪になっていました。娘も髪にハイライトを入れてきましたので、女子はこの時期は会う度に雰囲気が変わるものですね。

 娘は留学先でメンタルが落ち込み、私たち夫婦とも連絡が取れなくなった時期がありました。レイちゃんも、海外での生活の中で精神的に追い込まれ、数ヶ月間、娘からのラインに返信をしなかった時期がありました。

 その間も娘は辛抱強く、レイちゃんに負担のかからないような内容のメッセージを送り続けていました。

 私は娘が深く傷つくことを心配し、「もう、レイちゃんに連絡するのはやめたら?」と話したことがありました。でも娘は、「レイは私にとって、唯一の親友。今、レイとの友情が終わってしまったら、中学校・高校の大切な思い出まで失ってしまう。私には何も残らなくなってしまう。それは嫌なの。それに、レイは今とても大変なのかもしれない。だから、待っていたいの」と言い、何ヶ月も待ち続けました。

 そしてある日、レイちゃんから娘に連絡がありました。留学先での生活が落ち着き、ようやく娘に連絡できるようになったそうです。その後、何度か、また連絡が取れなくなったことがありましたが、今は、元のように頻繁に連絡を取り合う仲良しに戻りました。

 今回、こうして再び我が家に遊びに来てくれて、娘は本当に楽しそうです。その笑顔を見ていると、私のほっとしています。

 レイちゃんはインターナショナルスクール時代から、いつも周りに人が集まる人気者でした。そんなレイちゃんと親友でいられる娘は幸せです。でも私は、友達を信じてずっと待ち続ける、辛抱強い優しい娘とお友達でいられるレイちゃんも幸せだな、と親バカですが、思うのでした。

 

2026年7月7日火曜日

七夕の願い_2

  私が主宰する、がんのお母さんたちの集いのチラシを置いていただくため、昭和医科大学病院に行きました。そこでも七夕の笹が飾られ、短冊にたくさんの願い事が書かれていました。

「ばあばのこしと足がよくなりますように」

「丈士くん(亡父と同じ名前でした)が病院にくることが減りますように」

「もうママが入院しませんように」

「じいじがよくなりますように」

「お父さんが元気になりますように」

 子どもらしい願いもありました。「おねしょがなおりますように」「身長があと1.5㌢伸びますように」ー。

 真ん中に隠れるように結ばれていた短冊を読み、思わず目頭が熱くなりました。

「じゆうになれますように」ー。このお子さんは、入院していて、おうちに帰りたいのでしょうか。どうか、皆さんの願いが叶いますように。


2026年7月4日土曜日

七夕の願い

  私は月に一度、がんを発病した子育て中のママさんと、AYA世代の女性を対象に地元の施設でお話し会を開いています。私自身、悪性リンパ腫と胃がんの2つのがんを経験し、悪性リンパ腫は2度再発しました。また、がん治療前に妊孕性温存をし、保存した受精卵を用いて子供を出産しました。ですので、同じような立場の方々が悩みを分かち合える場になればという願いから、このお話し会を続けています。

 お話し会で利用しているのは、最寄り駅近くの区の施設です。今日、9月分の施設利用料を支払いに行った際、館内に七夕の短冊が飾られているのを見かけました。たくさんの願いがありました。

「アンパンマンになれますように」

娘が小さいころ、アンパンマンが大好きだったことを思い出し、顔がほころびました。

「テストで良い点が取れますように」。

うーん、わかる、わかる。

そして、一枚の短冊に目が留まりました。

「パパのがんがなおりますように」

 その短冊の右には「左の人の願いが叶いますように」、左には「右の人の願いが叶いますように」、そして、上には「下の人の願いが叶いますように」という短冊が結ばれていました。

 見ず知らずの人の願いが叶うよう、祈る方々の優しさに胸を打たれました。どうぞ、このお子さんの願いが叶いますように。皆さんも一緒に願っていただけたら、嬉しいです。





2026年7月2日木曜日

お弁当4つ

  今朝はお弁当を4つ作りました。中3の息子には毎日作っており、朝食の準備を含めると1時間かかりますが、今日は頑張って1時間半かけました。

 息子と夫と私にはハンバーグときんぴらゴボウ、夫には鱈の西京漬けも入れました。娘のお弁当には、娘が作り冷凍していたお豆腐の料理を入れました。それに加えて、ハッシュドポテトやピクルス、枝豆、ミニトマト、ブロッコリーなど、それぞれの好みに合わせて詰めました。口直しにブドウとゼリーも。

 ハンバーグは娘の大好物だったのになぁ、とまたまた寂しい気持ちになりましたが、気を取り直して、ヴィーガンになってから娘が好きになったひじきのおにぎりを握りました。

 食べるものが変わっても、「美味しい!」と思ってもらいたいという気持ちは変わりません。娘がそのときに食べたいもの、好きなものを詰めて喜んでもらえたら、それで十分ですよね。



2026年6月29日月曜日

ヴィーガンレストラン

  動物由来の食材を一切食べない娘の食事は、なかなかに大変です。娘は料理好きなので、お豆腐など食べられる食材を使っていろいろ作り、冷凍をしてくれます。でも、久しぶりに帰国した娘に、これまで娘が大好きだった料理を作れないのは、とても寂しい。

 それでもポテトグラタンのルーを牛乳の代わりに豆乳にしたり、餃子の種を豚挽肉の代わりに豆腐にしたり、といろいろ工夫をしています。ママ友から教えてもらった(有り難いですね)ヴィーガンレストランにも行ってきました。

 ヴィーガンレストランなんて、娘がそうでなければ絶対行かない場所。でも、教えてもらった隣駅のレストランは2回行きましたが、いつも満席。すごいですね。需要があるんですね。昨日は、8人以上のグループが2組もいて、大変な賑わいでした。

 さて、お料理のメニューはバラエティに富んでいました。1回目に娘と二人で行ったときに注文したのは、私がカツカレー、娘が担々麺。2回目に家族4人で行ったときに注文したのが私が和風ハンバーグ、夫がカツカレー、娘が油淋鶏(ユーリンチー)、息子が担々麺。どの料理も、お肉の食感と味を出しています。

ヴィーガン・カツカレー

ヴィーガン・担々麺

ヴィーガン・和風ハンバーグ

 いやぁ、驚きました。カツカレーも担々麺も、油淋鶏も言われなければ肉を使っていないことは分かりません。さすがにハンバーガーは和風で薄味だったため、違いは分かりましたが、それでもよく出来ていました。

 娘がこれまで大好きだったお肉、チーズなど沢山の食材を食べなくなり、寂しいですが、そこは臨機応変に対応して、家族で食事を楽しみたいと思っています。

2026年6月27日土曜日

シアトルからの招待状

  シアトルに住む甥っ子から、結婚式の招待状が届きました。結婚式は10月末に市内のレストランで開かれるようです。招待状の真ん中の写真には、海岸を歩く甥っ子とパートナーがお互いを見つめ合いながら歩く姿が映し出されていました。髪をジョン・レノンのように伸ばし、ひげを生やした甥っ子は、とても穏やかで幸せそうな表情をしています。

 招待状の裏面には、林の中で大笑いする甥っ子とパートナーの写真が載っていました。あぁ、自然体でいいなぁと思いました。

 甥っ子のパートナーは同性です。義母は4人の息子たちが子どものころ「黒人の女性だけは駄目」と言っていたと言いますから、その息子の一人がアジア人(私)と結婚し、もう一人が男性と結婚するのを受け入れるのはずいぶん難しかったのではと想像します。

 でも、今は、孫の一人が黒人と結婚し、今回招待状をくれた甥っ子ら二人が同性と結婚予定です。日本はまだまだLGBTQの生きづらさについて報道されますが、夫の家族を見ていると、米国では家族に当たり前に受け入れられ、幸せな人生を歩む人たちもいるのだと思います。

 今回、招待状をくれた甥っ子がありのままの姿をオープンに出来るのは、叔父が同性パートナーと堂々と結婚式を挙げ、皆にお祝いしてもらうーという真っ直ぐな生き方をしたからだと思います。

 愛し合う二人が将来をずっと共に生きようと決意し、こうして家族に報告するのはなんと素晴らしいことなんでしょう。

 この招待状をもらい、私は心があたたかくなったのでした。

 

2026年6月24日水曜日

息子が小さく見える

  父の日にイタリアンレストランで食事をした後、久しぶりに上野動物園に行きました。中3の息子と大学3年の娘は手をつないで歩いて、羨ましい限り。

 一緒に歩く姿を後ろから見ましたが、身長178㌢の息子が小さく見えるから不思議。まだまだ、娘は姉としての威厳は保っているよう。息子が娘の身長を超す日が来るのでしょうか。超さないと、一生あたまが上がらないかも。



2026年6月23日火曜日

2026父の日

  今年の父の日は、娘と息子それぞれが夫にケーキを作ってくれました。ヴィーガンの娘は卵やバターを使わないピーカンナッツ・タルトを、息子は卵をたっぷり使ったふわふわのシフォンケーキです。

 私は、研究者としての初給料!でランチをご馳走しました。肉・魚・乳製品・卵など動物由来の食材を一切口にしない娘が食べられる料理は限られていましたが、問い合わせをしたレストラン何件目かで、メニューのうち1品だけをヴィーガン対応に出来るとのことで、行くことにしました。

 神谷町のイタリアンレストランでした。娘が注文したのは、トマトソースとキノコのピザ。ピザの生地にも卵は入っていなかったのですが、アンチョビは入っていたので、それを除いてもらいました。まずは、家族でレストランで楽しく食事が出来たことに、安堵した日でした。  

こちらはチーズたっぷりの普通のピザ。娘はヴィーガン用のピザを注文

 

2026年6月22日月曜日

手作りのお土産

  娘は最近、編み物にハマっています。絵を描いたり勉強をしたりする以外の時間は、コツコツと針を動かしているようです。メンタルが不安定だったので心配をしていましたが、今は編み物を通して心穏やかな時間を過ごしているようでほっとしています。

 今回、「ママにお土産!」と素敵なバッグを作ってきてくれました。一生の宝物です。