2026年8月2日日曜日

ベアを洗う

  明日、息子がニュージーランドから帰国します。2週間の滞在期間中、電話をくれたのは1回だけ。そのほかは、短いメッセージだけでした。やっぱり男子ですね。

 でも、お友達と一緒の写真を送ってくれました。山の上のベンチに座って、お友達4人とオークランドの街を見下ろす一枚。青春そのものという感じの、良い写真でした。

 今日は、息子が今でも一緒に寝ているクマのぬいぐるみ「ベア」と「ベアジュニア」を洗って干しました。ふんわりと良い匂いになって、息子を待っています。

 あぁ、私もベアになりたいなぁ。



2026年8月1日土曜日

がんのママの集いで

  今日、私が主宰するがんのママさんとAYA世代女性の集いがありました。5人のママさんと3人のお子さんたちが参加し、賑やかな会となりました。

 乳がん4人、胃がん1人が参加してくれました。このうち3人が、がんのあった臓器・部位を全摘出されていました。  

 今日の話題の一つは、がんになる前の自分に戻れないことによる気持ちの落ち込みをどう切り替えていくかーでした。

 手術や抗がん剤治療後、以前のように働けない、眠れない、動けない、食べられないー。症状は徐々に改善しても、体調は元には戻らず、外見も変わります。さらに、再発への不安も抱えながら生きていくことは、決して簡単なことではありません。

 あるママさんは、精神科医のカウンセリングを受けながら、「かつての自分に戻りたい、でも戻れない」と落ち込むたびに自分を客観視する方法を実践していました。

 別のママさんは、ある会合で教えてもらった気持ちを切り替えるための”名言”を心に留め、折に触れてそれを自分に言い聞かせているそうです。

 また、「失った臓器は戻らないし、外見も変わり、前のように出来ずに気持ちは落ち込んだ」と振り返りながらも、「”New"な自分を受け入れることで前向きに生きられるようになった」と話してくれるママさんもいました。

 今回の参加者で一番若い30代の女性は、「自分の中で、がんになったことを”格下げ”しているんです」と話してくれました。
「がんにならなくても、『あのときああすれば良かった』と後悔する自分がいたかもしれない」と考えることで、「失ったものはあるけど、その”新しい自分”として生きていく」覚悟を決めたと言います。

 かつての自分に戻ることができないー。

 このことについては私もずいぶん苦しみました。仕事=経済的自立=という、自分のアイデンティティの核だっただったものを手放さなければならかったことを長く引きずり、10年ほど続いた病気に次ぐ病気という悪循環で日常生活もままならない中で、この”喪失”に苦しみました。
 
 腫瘍精神科医のカウンセリングも受け、「生きていることに感謝すること」の大切さを説かれました。8回のカウンセリングを終えましたが、「先生は私の苦しみも悲しみも全く理解していない。だから、私はまた自力で元気になるしかない」と言い切り、目をぬらしながら診察室を出ました。頼ったはずの医師を突っぱねるほど、当時の私は、自分に折り合いをつけられずにいました。
 
「キャンサーギフト」という美しい言葉も折々にがん患者から聞きますが、本当にそうなのでしょうか? 将来への夢や希望が持てるAYA世代、働き盛り、そして、子育て真っ最中の世代ががんになり、「がんになって良かった」と前向きに受け止め、前進し続けることが出来るものなのでしょうか?

 そんな問いに対する答えを、30代の女性がきっぱりと言い切ってくれました。「がんになったことは良かったとは思わないけど、気づけたことはあった」。

 この言葉に、彼女より年上の私たちは深くうなずきました。おそらく、これが本当のところなのではないでしょうか。

 一度は死を覚悟しながらも、こうして生きていることに感謝をしている。でも、ときどき、かつての自分を思い出しては落ち込む。そして、そのたびに、自分を鼓舞したり、なだめたりしながら、何とか気持ちを切り替える。

 皆、こんな風に生きている。それを実感した一日でした。

 

2026年7月29日水曜日

秋色のバッグ

 娘は人との関わりがあまり得意ではなく、混雑した場所も苦手です。そのため、オーストラリアで1人で過ごす時間は、部屋でずっと編み物をしているそうです。

今回、ウールのバッグをお土産として持ってきてくれました。さらに、日本に滞在している間には、コットンのバッグと、鍋敷きを編んでくれました。コットンのバッグは赤を基調に、茶色とベージュをアクセントにした、秋の色合いで編んでくれました。ショールダーも肩にすっぽりとはまり、体に馴染んで良い感じです。

夏が終わり、長袖を着る季節にこのバッグを持って出かけるのが楽しみです。

娘が編んでくれたバッグ


鍋敷き(左)とコースター



2026年7月28日火曜日

娘がオーストラリアへ

  昨日、娘がオーストラリアに戻りました。日曜日夜の便の予定でしたが、機体整備のため出発が翌朝に変更になりました。当初は空港まで送る予定でしたが、夫も私も仕事がありましたので、羽田空港行きのバス乗り場まで見送りました。

羽田空港行きのバス停でハグ

  羽田空港では、同じく帰国中の親友レイちゃんが見送ってくれたそう。レイちゃんは今回、10日間ほど我が家に滞在しました。娘とディズニーランドやディズニーシー、カラオケ、買い物などに行き、娘はそれは楽しそうで、私たちも嬉しかった。

 娘はシドニー経由でメルボルンに向かう予定で、シドニーではホテルに一泊することになっていました。しかし、シドニー空港に着いたのは午後11時に近く。宿泊先を手配してくれるはずのカンタス航空の職員が見つからないと連絡があり、私たちも慌てました。

 娘は現地で携帯電話のSIMカードを入れ替えたため、何度電話をかけてもつながりません。私はネットでシドニー空港近くのホテルを探して、あとはカード番号を入力するだけの状態にして娘からの連絡を待ちました。気が気ではありませんでした。

 ようやく娘からフェイスタイムで連絡がありました。ホテルを手配してもらったこと、空港からホテルまでの送迎バスは終了していたため、タクシーでホテルに向かうことになったとのことでした。ほっとしました。

ホテルに着いたのは午前0時近くでしたが、「綺麗な部屋だよ!明日は午前4時に出なきゃならないから、4時間しかいられないけど」と、疲れた表情を見せながらも、元気そうに話してくれました。

 娘が初めて海外に行ったのは高校2年生のとき。イギリスへの夏期留学でした。フィンランド空港経由で行きましたが、カードを持たせていなかったため(当時の日本は現金があれば何とかなるという認識でした)、喉が渇いてもキャッシュレス決済のみ店では飲み物すら買えず、かわいそうな思いをさせてしまいました。留学先では、現地でできた友人にカードで立て替えてもらい、その場で現金を渡すことで何とか乗り切ったそうです。

 あれから娘は何度も一人でオーストラリアを往復しています。英語も出来ますので、大抵のトラブルには自分で対応できるようになりました。

 私も若い頃、留学先のアメリカから帰国するとき、飛行機の遅延で乗り継ぎ地に一泊せざるを得なくなったことがあります。ホテル代を払えるほどの現金も持っておらず、途方に暮れて航空会社のカウンターの前で、思わず涙がこぼれました。すると、周りにいたアメリカ人の方々が何人も駆け寄り、「このお嬢さんが可愛そうだ。ホテルを用意してあげて」と職員に訴えてくれたのです。おかげでホテルを手配してもらい、本当に助かりました。

 異国の地でトラブルに遭遇し、何とか対処していくのも、後に振り帰れば良い経験です。今回の出来事で、娘はまた少したくましくなったのではないでしょうか。

 とは言うものの、親としてはついつい「備えあれば憂いなし」の対応を子どもにしてしまうもの。今回ニュージーランドに短期留学した中3の息子には、念のため2枚のデビッドカードを持たせました。14歳なのでクレジットカードは作れませんが、1枚はMastercard、もう1枚はVisacard対応の店で使えるカードです。案の定、1枚は使えず、もう1枚が役に立ちました。まぁ、まだ中学生ですから、これくらいの備えは親がするべきでしょう。

 さて、娘から先ほど連絡があり、無事、メルボルン行きの便に乗ったそうです。朝4時に起きて、ホテルの送迎バスで空港に向かったとのこと。娘は成長がゆっくりで、すいぶん心配もしてきたので、今でも「ちゃんと起きられるかな」と思ってしまいます。でも、もう大丈夫ですね。

2026年7月26日日曜日

娘を連れてニセコへ

  23日(木)から2泊3日で、帰国中の娘と夫と一緒に北海道・ニセコ町へ行ってきました。

 札幌生まれ札幌育ちの私にとって、ニセコは冬はスキー、夏はラフティングを友人たちと楽しんだ思い出の場所です。2001年に北海道を離れてから長い間行っていませんでしたが、3年前に息子をスキーに連れて行って以来、翌年は夫と息子とスキーに、そして昨年は夏のニセコを満喫し、すっかり家族のお気に入りの場所になりました。今回は、初めて娘を連れて行きました。

 「ニセコは外国人の街になってしまった」と嘆く人も多いですが、夫にとってはどこに行っても英語が通じ、かつ、レストランのメニューも英語なので快適そうです。

 初日は「ツリートレッキング」に挑戦しました。森の中で木と木との間に張り巡らされた吊り橋やジップライン、ロープの網などを3時間かけて巡るアクティビティです。初級・中級・上級の3段階あり、上級にはバンジージャンプもあります。

ツリートレッキングでジップラインに挑戦する私

 そのバンジージャンプは命綱をつけて、地上8㍍の高さから飛び降ります。足がすくみましたが、思い切って飛びました!

バンジージャンプに挑戦する娘

 翌日は尻別川でラフティングです。こちらも2時間ほどかけて川を下る途中、4㍍ほどの崖から川へ飛び込む場面もあり、これも、怖かった。午後はのんびりと18ホールのパークゴルフを楽しみました。

のんびりとパークゴルフも

 最終日はゴンドラに乗って山を上がり、美しい羊蹄山を眺めながら、爽やかな空気を満喫しました。帰りは支笏湖に寄り、新千歳空港へ。当初は21時10分発の便でしたが、雷の影響で大幅な遅れが予想されたため、18時半発に変更してもらい、無事羽田空港に着いたのでした。

ゴンドラからの眺めも綺麗でした

娘がヴィーガンなので、食事を心配していましたが、なんと、レストランにはヴィーガンメニューがあり、コンビニエンスストアにもカップヌードルが売られており、思ったほど困りませんでした。外国人が多いニセコならではなのでしょうね。

娘が注文したヴィーガン用の担々麺

 やっぱりニセコは冬も夏も楽しい。冬は息子と一緒にニセコ・ヒラフスキー場のてっぺんからスキーでがんがん滑りたいし、夏も子どもたちとラフティングやツリートレッキングを楽しみたい。そのために体を鍛えよう!と、改めて心に誓ったのでした。

 

2026年7月20日月曜日

息子がニュージーランドへ

  今日、中3の息子がニュージーランドに旅立ちました。2週間の日程で、オークランドに短期留学します。

 息子の通う中高一貫校では、積極的に海外への短期留学を勧めており、アメリカ、カナダ、マレーシアなど夏休み・春休み・冬休みを利用した2、3週間のプログラムが用意されています。息子が選んだのはニュージーランド。息子いわく、「のんびりしていて、景色が綺麗そうだから」だそう。

 息子は同じクラスの男子と一緒にホームステイをします。午前中は学校に行き、午後はオークランド大学を訪れたり、スポーツをしたり、など様々なプログラムが準備されています。

 夫と一緒に成田空港まで送りました。「いってらっしゃい」と送り出した後、出国手続きをする息子は一度もこちらを振り返りませんでした。私がアメリカの大学に留学したときも、一度も両親のほうを振り帰らなかったと後から母から聞かされましたが、そんなものです。子どもや若者の目には、前に広がる明るい未来しか映っていませんので。

 今回の短期留学に参加したのは7人。中学校3年生が4人と2年生3人。他の3年生のママさんも「全くこっちを振り帰らなかった」と苦笑していました。ママさんの一人がご自身が中学生のころ短期留学をした経験があるそうで、「ホストファミリーによって、食事が違うの。私は持たされたランチが毎日同じで薄いサンドウイッチとチートス(スナック菓子)と生のニンジン。ニンジンはトラウマになった」と笑いながら話してくれました。

 息子を送り出した後夫にその話をすると、「それ、僕が母親に持たされたランチと同じだよ。アメリカ人は君のように手の込んだお弁当は作らないんだよ」とのこと。さて、息子はどんなランチを持たしてくれるのでしょうか?洗濯は自分でするのかな? どんな経験も、息子を成長させてくれるでしょう。

 ニュージーランドには夫の家族も私の家族も誰も足を踏み入れたことがなく、息子が両方の家族にとって初めてです。2週間、沢山の経験をしてきてほしいです。



2026年7月17日金曜日

アップルパイ

  娘は私が作るアップルパイが大好きで、11月の誕生日には毎年、市販のケーキではなく私のアップルパイをリクエストしてくれました。

 ところが、ヴィーガンになった今はバターや卵を食べられないため、これまでのレシピでは作れません。

 そこで、アップルパイを何としても食べたい娘は、卵なしのパイ生地と、リンゴの煮込みと混ぜるスポンジケーキを卵の代わりにひよこ豆の汁を使って作り、準備をしてくれました。

 昨夜は私がリンゴを煮込みました。その煮込みに娘が焼いた卵なしのスポンジケーキをちぎって入れ、粗く刻んだクルミを入れました。リンゴの煮込みだけだと物足りないのですが、スポンジケーキを入れると煮汁が染みこんでちょうど良い甘さになり、美味しいのです。

 そして、娘が作ったパイ生地の上に載せ、ブラウンシュガーと小麦粉を豆乳バターと混ぜたトッピングをまぶして、焼きました。

 リンゴはアップルパイに最適な紅玉ではないので、酸味が効いたシャープな味にはなりませんでしたが、そこそこの出来でした。何より、娘が喜んでくれて、嬉しかったです。



 それにしても、ひよこ豆の汁で作ったスポンジケーキ。味は、やっぱり少し違うのですよね。後味が独特なのです。以前、ヴィーガン向けのパン屋さんで枝豆で作った餡を挟んだパンを見かけ、「こういう工夫をするんだ」と驚きましたが、それと同じことですね。

 娘が大好きなアップルパイを諦めず、知恵を絞ってくれたことは、胸にじんときました。私も工夫をして、娘の好きな食べものを作ろうと改めて思った日でした。

 

 

2026年7月14日火曜日

お弁当5つ

  昨日は息子の学校の運動会でした。我が家に泊まりに来ている、娘の親友レイちゃんも一緒に応援に行きました。

 中高6学年24クラスが青、黄、緑、紫の4つのグループに分かれて、競いました。息子のクラスは紫団。事前にママさんたちと一緒に作った「必勝」「紫団」などの文字を付けた横断幕を応援席の前に掲げ、紫色のポンポンを手に持って応援しました。

 息子の学校の運動会は、絨毯に生徒一人が乗り、その絨毯を4人の生徒が引っ張ってポールを何回か回って速さを競ったり、部活動対抗のリレーを行ったり、とユニーク。部活動対抗リレーは調理部の生徒がフライパンを、軽音楽部の生徒がギターを持って走ったりする「エンジョイ部門」、バレー部や公式テニス部など運動部の選手が競う「本気部門」に分かれています。息子はバスケ部代表として走りました。やはり、陸上部は面目躍如。断トツの走りを見せてくれました。

 一番盛り上がるのが「全員リレー」です。4グループが競います。4グループは学年がバラけており、人数が足りないグループでは2度走る生徒もいます。走る順番は各グループが決めますので、男女が一緒に走る場面も多い。保護者の応援にも熱が入り、「青団、頑張れ!」「行け行け!紫!」など、歓声が場内に響きます。

 娘もレイちゃんも日本の学校のダイナミックな運動会を観戦したのは初めて。二人ともインターナショナルスクール育ちで、各学年が数十人という規模でしたので、運動会は競うというより、各競技を楽しむという感じでした。ですので、息子の学校の生徒が真剣に、でも楽しみながら、競っている姿を見て、感動したようでした。

 お昼は5人分のお弁当を作りました。3合炊きの炊飯器で2回ご飯を炊き、好みのおにぎりの具も違うので、鮭、ヒジキ、梅、ゆかりの4種類を用意。おかずの量も多く、私一人では手が回らないので、夫に鶏の唐揚げを揚げてもらいました。

5人分のお弁当。ご飯は2回炊きました

 息子の中学校最後の運動会。私も母親としてママさんたちと一緒に横断幕を作り、声を張り上げて応援するなど、思い切り楽しむことができました。運動会も残すは高校の3回だけ。そう思うとすでに寂しい気持ちになります。子どもと関われる期間は、本当に短いものですね。

2026年7月11日土曜日

近所の洋食屋さん

 我が家から徒歩3分ほどのところに、古い洋食屋さんがあります。通りから奥まったところにあり、我が家から駅までの道のりにはないため、今度行こうと思いつつずっと行けずにいました。

 ママ友たちに聞いてみると、何人もそこに行っていました。「美味しいよ!でも、かなり待つかも」というのが評価。その「待つかも」が引っかかり、躊躇していました。そして、この家に引っ越してから15年、家族と一緒に最寄り駅や隣駅などにある、あちこちのレストランに行きましたが、ここだけは、なぜか行っていなかったのです。

 先日、昼食時間に夫と二人だったため、ふと思い付いて、行ってみました。待たなくても良いように、開店時間の12時に行きました。通りには看板とメニューが出ており、その看板が古くて、歴史を感じさせます。

 奥に進むと、おそらく、昔はメニューのサンプルが並んでいただろう古いショーケースの中には、これまた古いコーヒーカップやヤシの実のようなものが並んでいます。ドアを開けようとすると、開店時間なのに閉まっています。すると、白いコックコートを着た年配の女性がやってきました。おそらく70代、もしくは、80代かもしれません。この方がシェフなのでしょう。

 「ああ、すみませんね。もう少しで開けますから、あちらに座ってお待ちください」

 外に置いてある椅子に座り、待つこと10分。ようやく、店内に入ることができました。壁には古い絵やポスターが貼られており、カウンターにはピンク色の大きなダイヤル式の電話機が置いてあります。博物館に飾っても良いような昔の電話機です。

 二人がけのテーブルに座り、メニューを開くと、ビーフステーキ、カツレツ、ピラフ、オムライス、カレーなど美味しそうなものが並んでいます。オーダーを取りに着たシェフに、夫はステーキ、私は海老のオムライスを注文しました。シェフが厨房に戻り、冷蔵庫を開け、食材を取り出し料理を始めました。お年を召していらっしゃるので、大丈夫かしらとちょっと心配になりました。

 しばらくすると、白いコックコートを着た年配の男性が入ってきました。この方は腰が曲がっています。その男性は玄関周りを整えて、私たちに笑顔で「いらっしゃいませ」と言い、厨房に入っていき、シェフの手伝いを始めました。テーブルから厨房を見ますと、シェフはテキパキと料理をされています。そして、お野菜とメインメニューが運ばれてきました。

 オムライスは卵がふわふわしていて、中のご飯もしっかりとした海老が入り、とても美味しい。夫のステーキも厚くて、本格的。夫も「すごく柔らかかくて、美味しい」と満足そうです。とても美味しいので、「15年間、ここに来なかったのが悔やまれるね」と語り合いながら、食べました。


 シェフに「何年、このレストランを開いていらっしゃるのですか?」と聞くと、「53年」とちょっぴり誇らしげに答えました。「53年も!すごいですね」「あっ、57年だったかな?」とシェフは苦笑しました。それだけ長い年月になると、ご本人にとっては53年も57年も、大きな違いはないのでしょう。50年以上も続けてきたということは、沢山の方に愛されてきたということだと思います。

 私たちの後に、次々とお客さんが来て、皆、のんびりとお料理を待っています。中には常連さんもいて、テーブルに座る前にシェフに「ハヤシライスね」と声がけ。おおっ、メニューを見ずに注文。すっ、すごい。そして、なんと1時になるとテーブルはすべて埋まり、訪れたお客さんを「すみません、1時オーダーストップなんです。また、よろしくお願いします!」と断るほど。12時に開店、1時にオーダーストップとは…。

 そして、あの、博物館級のピンク電話が鳴りました。ええっ、あれ、ディスプレーじゃないの?シェフが受話器を取り、話し始めます。あの電話、機能しているんだ、と驚くばかり。

 最後にコーヒーが運ばれました。男性がカウンターの上に並べたコーヒーカップにインスタントコーヒーの粉を入れ、お湯を注ぎます。「えっ、インスタントコーヒー?」と思いましたが、運ばれてきて飲むと普通に美味しい。これも、おそらく、長い時間をかけて、選んだ粉なのでしょう。なんか、すべてがあっぱれ。

 動物由来の食品を一切口にしない娘の食べるメニューは残念ながらありませんでしたが、息子を今度連れて来ようと思いました。自宅から徒歩3分の場所なのに、15年間も行かなかったことが悔やまれました。どうぞ、ご夫婦が元気で、これからも長く続けていただけますように。

2026年7月9日木曜日

娘の幸せ

  オーストラリアから帰国中の娘に会いに、親友のレイちゃんが昨日、我が家に来ました。10日間、滞在します。

 レイちゃんは娘が通ったインターナショナルスクールのころからの友人で、現在、カナダの大学に留学しています。前回来たときは耳に10個ぐらいピアスが付いていて、今回は金髪になっていました。娘も髪にハイライトを入れてきましたので、女子はこの時期は会う度に雰囲気が変わるものですね。

 娘は留学先でメンタルが落ち込み、私たち夫婦とも連絡が取れなくなった時期がありました。レイちゃんも、海外での生活の中で精神的に追い込まれ、数ヶ月間、娘からのラインに返信をしなかった時期がありました。

 その間も娘は辛抱強く、レイちゃんに負担のかからないような内容のメッセージを送り続けていました。

 私は娘が深く傷つくことを心配し、「もう、レイちゃんに連絡するのはやめたら?」と話したことがありました。でも娘は、「レイは私にとって、唯一の親友。今、レイとの友情が終わってしまったら、中学校・高校の大切な思い出まで失ってしまう。私には何も残らなくなってしまう。それは嫌なの。それに、レイは今とても大変なのかもしれない。だから、待っていたいの」と言い、何ヶ月も待ち続けました。

 そしてある日、レイちゃんから娘に連絡がありました。留学先での生活が落ち着き、ようやく娘に連絡できるようになったそうです。その後、何度か、また連絡が取れなくなったことがありましたが、今は、元のように頻繁に連絡を取り合う仲良しに戻りました。

 今回、こうして再び我が家に遊びに来てくれて、娘は本当に楽しそうです。その笑顔を見ていると、私のほっとしています。

 レイちゃんはインターナショナルスクール時代から、いつも周りに人が集まる人気者でした。そんなレイちゃんと親友でいられる娘は幸せです。でも私は、友達を信じてずっと待ち続ける、辛抱強い優しい娘とお友達でいられるレイちゃんも幸せだな、と親バカですが、思うのでした。

 

2026年7月7日火曜日

七夕の願い_2

  私が主宰する、がんのお母さんたちの集いのチラシを置いていただくため、昭和医科大学病院に行きました。そこでも七夕の笹が飾られ、短冊にたくさんの願い事が書かれていました。

「ばあばのこしと足がよくなりますように」

「丈士くん(亡父と同じ名前でした)が病院にくることが減りますように」

「もうママが入院しませんように」

「じいじがよくなりますように」

「お父さんが元気になりますように」

 子どもらしい願いもありました。「おねしょがなおりますように」「身長があと1.5㌢伸びますように」ー。

 真ん中に隠れるように結ばれていた短冊を読み、思わず目頭が熱くなりました。

「じゆうになれますように」ー。このお子さんは、入院していて、おうちに帰りたいのでしょうか。どうか、皆さんの願いが叶いますように。


2026年7月4日土曜日

七夕の願い

  私は月に一度、がんを発病した子育て中のママさんと、AYA世代の女性を対象に地元の施設でお話し会を開いています。私自身、悪性リンパ腫と胃がんの2つのがんを経験し、悪性リンパ腫は2度再発しました。また、がん治療前に妊孕性温存をし、保存した受精卵を用いて子供を出産しました。ですので、同じような立場の方々が悩みを分かち合える場になればという願いから、このお話し会を続けています。

 お話し会で利用しているのは、最寄り駅近くの区の施設です。今日、9月分の施設利用料を支払いに行った際、館内に七夕の短冊が飾られているのを見かけました。たくさんの願いがありました。

「アンパンマンになれますように」

娘が小さいころ、アンパンマンが大好きだったことを思い出し、顔がほころびました。

「テストで良い点が取れますように」。

うーん、わかる、わかる。

そして、一枚の短冊に目が留まりました。

「パパのがんがなおりますように」

 その短冊の右には「左の人の願いが叶いますように」、左には「右の人の願いが叶いますように」、そして、上には「下の人の願いが叶いますように」という短冊が結ばれていました。

 見ず知らずの人の願いが叶うよう、祈る方々の優しさに胸を打たれました。どうぞ、このお子さんの願いが叶いますように。皆さんも一緒に願っていただけたら、嬉しいです。





2026年7月2日木曜日

お弁当4つ

  今朝はお弁当を4つ作りました。中3の息子には毎日作っており、朝食の準備を含めると1時間かかりますが、今日は頑張って1時間半かけました。

 息子と夫と私にはハンバーグときんぴらゴボウ、夫には鱈の西京漬けも入れました。娘のお弁当には、娘が作り冷凍していたお豆腐の料理を入れました。それに加えて、ハッシュドポテトやピクルス、枝豆、ミニトマト、ブロッコリーなど、それぞれの好みに合わせて詰めました。口直しにブドウとゼリーも。

 ハンバーグは娘の大好物だったのになぁ、とまたまた寂しい気持ちになりましたが、気を取り直して、ヴィーガンになってから娘が好きになったひじきのおにぎりを握りました。

 食べるものが変わっても、「美味しい!」と思ってもらいたいという気持ちは変わりません。娘がそのときに食べたいもの、好きなものを詰めて喜んでもらえたら、それで十分ですよね。



2026年6月29日月曜日

ヴィーガンレストラン

  動物由来の食材を一切食べない娘の食事は、なかなかに大変です。娘は料理好きなので、お豆腐など食べられる食材を使っていろいろ作り、冷凍をしてくれます。でも、久しぶりに帰国した娘に、これまで娘が大好きだった料理を作れないのは、とても寂しい。

 それでもポテトグラタンのルーを牛乳の代わりに豆乳にしたり、餃子の種を豚挽肉の代わりに豆腐にしたり、といろいろ工夫をしています。ママ友から教えてもらった(有り難いですね)ヴィーガンレストランにも行ってきました。

 ヴィーガンレストランなんて、娘がそうでなければ絶対行かない場所。でも、教えてもらった隣駅のレストランは2回行きましたが、いつも満席。すごいですね。需要があるんですね。昨日は、8人以上のグループが2組もいて、大変な賑わいでした。

 さて、お料理のメニューはバラエティに富んでいました。1回目に娘と二人で行ったときに注文したのは、私がカツカレー、娘が担々麺。2回目に家族4人で行ったときに注文したのが私が和風ハンバーグ、夫がカツカレー、娘が油淋鶏(ユーリンチー)、息子が担々麺。どの料理も、お肉の食感と味を出しています。

ヴィーガン・カツカレー

ヴィーガン・担々麺

ヴィーガン・和風ハンバーグ

 いやぁ、驚きました。カツカレーも担々麺も、油淋鶏も言われなければ肉を使っていないことは分かりません。さすがにハンバーガーは和風で薄味だったため、違いは分かりましたが、それでもよく出来ていました。

 娘がこれまで大好きだったお肉、チーズなど沢山の食材を食べなくなり、寂しいですが、そこは臨機応変に対応して、家族で食事を楽しみたいと思っています。

2026年6月27日土曜日

シアトルからの招待状

  シアトルに住む甥っ子から、結婚式の招待状が届きました。結婚式は10月末に市内のレストランで開かれるようです。招待状の真ん中の写真には、海岸を歩く甥っ子とパートナーがお互いを見つめ合いながら歩く姿が映し出されていました。髪をジョン・レノンのように伸ばし、ひげを生やした甥っ子は、とても穏やかで幸せそうな表情をしています。

 招待状の裏面には、林の中で大笑いする甥っ子とパートナーの写真が載っていました。あぁ、自然体でいいなぁと思いました。

 甥っ子のパートナーは同性です。義母は4人の息子たちが子どものころ「黒人の女性だけは駄目」と言っていたと言いますから、その息子の一人がアジア人(私)と結婚し、もう一人が男性と結婚するのを受け入れるのはずいぶん難しかったのではと想像します。

 でも、今は、孫の一人が黒人と結婚し、今回招待状をくれた甥っ子ら二人が同性と結婚予定です。日本はまだまだLGBTQの生きづらさについて報道されますが、夫の家族を見ていると、米国では家族に当たり前に受け入れられ、幸せな人生を歩む人たちもいるのだと思います。

 今回、招待状をくれた甥っ子がありのままの姿をオープンに出来るのは、叔父が同性パートナーと堂々と結婚式を挙げ、皆にお祝いしてもらうーという真っ直ぐな生き方をしたからだと思います。

 愛し合う二人が将来をずっと共に生きようと決意し、こうして家族に報告するのはなんと素晴らしいことなんでしょう。

 この招待状をもらい、私は心があたたかくなったのでした。

 

2026年6月24日水曜日

息子が小さく見える

  父の日にイタリアンレストランで食事をした後、久しぶりに上野動物園に行きました。中3の息子と大学3年の娘は手をつないで歩いて、羨ましい限り。

 一緒に歩く姿を後ろから見ましたが、身長178㌢の息子が小さく見えるから不思議。まだまだ、娘は姉としての威厳は保っているよう。息子が娘の身長を超す日が来るのでしょうか。超さないと、一生あたまが上がらないかも。



2026年6月23日火曜日

2026父の日

  今年の父の日は、娘と息子それぞれが夫にケーキを作ってくれました。ヴィーガンの娘は卵やバターを使わないピーカンナッツ・タルトを、息子は卵をたっぷり使ったふわふわのシフォンケーキです。

 私は、研究者としての初給料!でランチをご馳走しました。肉・魚・乳製品・卵など動物由来の食材を一切口にしない娘が食べられる料理は限られていましたが、問い合わせをしたレストラン何件目かで、メニューのうち1品だけをヴィーガン対応に出来るとのことで、行くことにしました。

 神谷町のイタリアンレストランでした。娘が注文したのは、トマトソースとキノコのピザ。ピザの生地にも卵は入っていなかったのですが、アンチョビは入っていたので、それを除いてもらいました。まずは、家族でレストランで楽しく食事が出来たことに、安堵した日でした。  

こちらはチーズたっぷりの普通のピザ。娘はヴィーガン用のピザを注文

 

2026年6月22日月曜日

手作りのお土産

  娘は最近、編み物にハマっています。絵を描いたり勉強をしたりする以外の時間は、コツコツと針を動かしているようです。メンタルが不安定だったので心配をしていましたが、今は編み物を通して心穏やかな時間を過ごしているようでほっとしています。

 今回、「ママにお土産!」と素敵なバッグを作ってきてくれました。一生の宝物です。



 

2026年6月21日日曜日

娘が帰国!

  娘がオーストラリアから帰国しました。19日の夜は皆で羽田空港に迎えに行きました。娘が到着ロビーに出てくるのを今か今かと待ち構え、娘が荷物を引っ張って出てきた瞬間、ほっとした気持ちに包まれました。

 息子、夫、私の順にぎゅっとハグ。私は春に娘に会いに行きましたが、夫と息子はお正月から半年ぶりです。やっぱり家族が揃うのは嬉しい。

 東京に住んでいると、ほとんどのママ友の子どもが東京の大学に進学するので、子どもは引き続き家で暮らします。でも、我が家の場合は夫がアメリカ人ということもあり、子どもの海外の大学進学は最初から視野に入っています。ですので、18歳で家を離れてしまうのです。

 親としては寂しいですが、子どもの自立が早いという良い点もあります。娘は精神的に不安定な面もありますが、自分で食事を作るなど、生活に必要なことは一通り出来ており、これはこれで良かったかなぁと思います。

 ともあれ、娘が帰ってくると、家の中が一気に明るくなります。普通、お母さんが家の太陽なのでしょうが、我が家は娘が太陽。娘がいると、笑い声が響き、会話も増えます。家族4人が揃うって、皆がこんなに幸せな気持ちになるんだ、と改めて感じるのです。


 


2026年6月19日金曜日

ママの料理_ヴィーガンアレンジ

  娘からメッセージが送られてきました。娘が大好きだった私のお料理を、ヴィーガン用にアレンジしたリストです。親元から離れた子どもが帰省するとき、大好きだった料理をたくさん作るのは母親としての楽しみですが、娘から送られたリストを見て、やっぱり切なくなりました。

・ラザーニア→トマトソースの鶏ひき肉はレギューム(豆類)で代用。チーズは豆乳チーズに。粉チーズは代用ないからパン粉多めに

・鶏そぼろご飯→鶏ひき肉は石豆腐。卵は私た持ち帰る嘘卵の粉

・餃子→石豆腐かレギューム+キャベツ+ニラの組み合わせ

・キャラメルウォルナットタルト→バターを豆乳バターで代用(ちゃんとキャラメルになるかな?)

・アップルパイ→バターは豆乳バター。卵は私が持ち帰る嘘卵の粉。スポンジケーキは買わずに一から作る。パイ生地も手作り

・マカロニチーズ→豆乳チーズと豆乳バターでいけるかも??

・カレー→豆腐カレー

【どう頑張っても食べられないもの】

・焼き肉

・ハンバーグ

・お鍋

・ミートパイ

・ステーキ

・卵焼き

・グミ

・じゃがりこ

・北海道チーズケーキ

・サワークリームオニオンのポテチ

【逆にまだ食べられるもの】

・アサリパスタ(貝は神経がないため、痛みを感じないので良いらしいです)

・肉やチーズ不使用のパスタ

・肉なし貝だけのパエリア

 今晩、娘が帰ってきます。夕方、スーパーに行き、石豆腐や納豆、豆、トマト、アサリを買ってきました。娘が大好きだったラーメンもラベルを見ると豚肉のエキスが入っていて食べられないことが判明しましたので断念しました。

 寂しいけど、動物が悲しく痛い思いをするのが堪えられないという娘をサポートしたい。今晩はニラと揚げ豆腐を具にした餃子を試してみます。

2026年6月17日水曜日

梅仕事

 「むっちゃん、梅仕事してる?」

 どこからともなく声が聞こえました。大好きなママ友、ゆきちゃんの声です。

 毎年、この時期になったらゆきちゃんからラインが来て、”梅仕事”の進み具合を聞かれました。ゆきちゃんも私も梅が大好きで、毎年梅酒や梅酢、梅シロップを仕込み、翌年までシロップを楽しめるよう、何パックも梅を冷凍をしていました。

 先週まで、米国から訪れた姪っ子とそのお友達が我が家に2週間滞在しており何かと忙しく、梅を買いに行く気持ちの余裕がありませんでした。でも、ゆきちゃんの声が聞こえて、慌てて、夜スーパーへ。一昨日は2キロ買って洗って乾かし、昨日へたを取って半分を梅酒に、残りを冷凍しました。そして昨日もう一度スーパーに行ってさらに2キロ購入、先ほど半分を梅酢にし、残りを冷凍しました。しっかり凍ったらシロップにします。

「ゆきちゃん、梅仕事終わったよ!」

 空に向かってゆきちゃんにお礼を言いました。

 ゆきちゃんは昨夏、肺がんで亡くなりました。45歳でした。息子の幼稚園時代のママ友で、卒園後もずっと仲良くしてもらっていました。私よりずっと年下でしたが、とても気が合い、幼稚園時代はハンドベルサークルで一緒に活動し、卒園後も近所でお茶をしたり、ランチをしたり、ピクニックしたり、たくさんの時間を一緒に過ごしました。

 駅前のパン屋さん、カフェ、スターバックス…。ゆきちゃんとおしゃべりした場所を通るたび、ゆきちゃんのことを思い出し、切なくなります。私でさえ、これほど寂しいのですから、ご家族のお気持ちはいかばかりかと思います。

 ゆきちゃん、天国からのリマインド、本当にありがとう。今年も梅仕事、無事に終えたよ。来年も私、忘れそうだから、またよろしくね。

 

2026年6月14日日曜日

がんのママのお話し会

昨日、私が主宰するがんのママとAYA世代の方のお話し会を地元の施設で開きました。30代の独身の女性と、40代のママさんが参加してくれました。

30代の女性は乳がんで、片方の乳房を全摘し、再建手術をしています。職場にも復帰され、とにかく前向きで明るい方です。

40代の方も、小さなお子さんを育てている最中に乳がんを発症されました。手術後は仕事に復帰し、職場で啓発活動をしています。
お二人に共通していたのは、診断当時、身近に同世代の若い患者さんがおらず、インターネットを活用して情報を集めたことでした。
お二人とも、最初から大きな病院に行くと検査・診断に時間がかかるため、まず最寄りのクリニックを探しました。

クリニックを探す際には、大きな病院へのスムーズな紹介を見据え、クリニックの院長の出身大学などもチェックしたそうです。そして、その大学病院の乳がんの治療実績や手術の技術の評判、妊孕性温存治療実施の有無などを確認し、そのクリニックから大学病院に迅速につないでもらえるよう、自ら道筋を考えて行動していました。
がん治療も、まさに情報戦だな、とお二人のお話を伺ってつくづく思いました。ネット上に溢れる情報を取捨選択し、自分が納得できる治療を受けられるよう行動する。がん治療は手術や化学療法などのがん治療そのものの決断だけでなく、治療後の人生を見据えた選択が重要であることを多くの患者さんが気付いて病院選びをする時代になったと改めて感じました。
自分たちの経験を共有する中で話が及んだのは、地方在住の方々の治療の難しさです。地方ではがん治療ができる病院が限られています。さらに、治療を受ける病院では妊孕性温存をしてもらえず、別のクリニックを自分で探さなければならないこともある。そこが県外である場合もある。がん治療そのものも心身共に負担が大きい中での、さらなる負担で、諦める方もいるのでは、と容易に想像できました。
私も二十数年前に、がん治療を始める前に受精卵を凍結しました。診断時は故郷・札幌に戻り両親の側で治療することも選択肢の一つとして勧められましたが、私は東京のがん専門病院を選びました。そして自分の判断でがん治療を遅らせて不妊治療専門クリニックを受診し、受精卵を凍結しました。あのとき故郷に戻る決断をしていたら、今中3の息子はこの世には存在しなかったと確信しています。
最適な医療情報にたどり着くこと、その情報収集力を駆使して適切な病院選びをすること。治療による外見の変化や後遺症に備え、将来を見据えて妊孕性温存を目指すことは、治療後の人生に大きな違いをもたらします。
お二人は、乳がん患者の生存率が上がり、がん治療後の人生は長く続くことを認識していらして、必要な情報を集め、ご自身が納得して治療を受けていました。そしてその治療結果にとても満足していました。
この知識や経験をぜひ、これからがんになる(ならないでほしいけど…)”妹たち”に伝えてほしいと願いました。そうお話しすると、30代の方はインスタグラムで、40代の方は乳がん患者さんのSNSグループを通じて情報発信をしていました。

さっそく、私もお二人に若い方々の情報収集の仕方について教わりました。頼もしい限りです。



2026年6月11日木曜日

姪っ子が帰国

  今日、姪っ子とお友達が2週間の日本滞在を終え、ミシガン州へ戻りました。朝夕食を作り、洗濯をし、家を綺麗に保つのは大変だったけど、二人とも日本のファンになってくれました。

 姪っ子は小さなころからベジタリアンでしたが、日本に来たからには、と魚を食べてくれました。お寿司はもちろんのこと、シシャモ、イワシ、イクラ、タラコも食べました。昨日はホッキのフライとホッキカレー(おすすめです)も「美味しい!」と喜んでくれました。

 私と一緒に料理を楽しみ、作った料理はすべてノートにつけて行きました。帰ったら家族に作るそうです。姪っ子のお友達は日本の大学への留学計画についても話してくれました。

 息子と夫によると、「楽しかったけど、バスルームとトイレが大変だった」とのこと。女子は夜のシャワーと朝の身支度の時間が長く、我が家の男子たちは遠慮をして、女子たちが使わない”隙間時間”を使って用を足していたようです。こういうことも、きっと楽しい思い出になるに違いありません。

 姪っ子は「今度来るときは、伯父さんと伯母さんがいつも行く日本酒の店に行きたい!温泉にも行きたい(今回は恥ずかしくて行けなかった)!」と語ってくれました。

 姪っ子たちが帰国した後、寝室などに詰め込んでいた物を元の場所に戻しました。また、いつもの我が家に戻り、寂しいような、ほっとしたような…。

姪っ子とお友達が昨日「ありがとう!」と贈ってくれたお花


 

2026年6月7日日曜日

アジサイ

  アジサイが綺麗な季節になりました。我が家のアジサイも、今年も元気に咲いてくれました。家から最寄り駅までの10分ほどの道のりにも、各家の玄関前や路地に面した小さな花壇に青や紫、ピンクの花々がさりげなく咲いています。

 慌ただしい通勤の朝、夕ご飯の献立を考えながらの帰宅途中、休日のぶらぶら散歩のとき。アジサイの前でふと足を止めて見入るのが、小さな楽しみの一つです。

我が家のアジサイ
我が家のアジサイ全体像

お向かいの家のアジサイ











2026年6月6日土曜日

学位記を取りに行く

  昨日は大学に学位記を受け取りに行きました。4月末に事務担当から博士号授与の連絡がメールで来て、その後に「事務室まで取りに来てください。学生証と引き換えにお渡しします」との連絡。5月1日から特任研究員としての仕事が始まり、慌ただしくしており、受け取りが昨日になりました。

 博士課程の4年間は途中で指導教員が代わる、自分の専門ではない指導教員の下で研究を進めるなど苦労も多く、あまりの理不尽さにトイレに駆け込み泣いたことも数知れず(アラ還でも涙をこらえれないこともある)。一度始めたことはよほどのことがないと辞めてはいけないと思い込む昭和な気質と、困難が降りかかるほどにパワーが湧き出るという厄介な性分から、学位取得まで粘りました。

 そんなことを思い出しながら、仕事を終えた後に医学系研究科の事務室に行き、学生証を渡して、学位記を受け取りました。内容を確認し、受け取りのサインを台帳にしました。そこには何人もの名前と受け取り日が記されており、5月に取りに来た人もいれば、私のように6月になっている人もいる。代理人が取りに来た人もいました。

 博士号取得は皆が一斉に卒業する大学のような晴れがましいことではなく、連続する日常の延長、そして紆余曲折・悪戦苦闘の末の穏やかな一区切りなんだな、と改めて思いました。この学位記を受け取りに来た人の大半の心情は”安堵”だったのでは、と想像しました。

 私の職場では教育学研究科で学位を取得した人もいて、その人は研究科長から学位記を渡されたそうです。ローブを着用して、写真を撮ったとか。彼女は修了式などという大がかりなものではなく、それほど簡易なものなんだ、というエピソードとして語ってくれたのですが、少なくとも私にはそのような喜ばしい一コマもありませんでした。

 でも、学位記を渡してくれた事務担当の人がアクリル板で仕切られた窓口の向こうから「おめでとうございます」と深々と礼をしてくれことが、嬉しかった。

 学位記をもらった後は、それを持って研究科の建物の前で自撮り。そして、まぁ、記念に安田講堂前で撮ろうか、とテクテク歩きました。私が左手に学位記を抱えて、右手にスマホを持っての自撮りに難儀していると、男子学生が「撮りましょうか?」と声をかけてくれました。「ありがとうございます!お願いします!」とスマホを渡しました。

 数枚、パチパチと撮してくれた学生がスマホをこちらに手渡しながら、ニコニコして「おめでとうございます!」とお祝いの言葉を言ってくれました。心がほんわかと温かくなりました。

 学位記をエコバッグに入れて自宅に戻った後は、いつものように夕ご飯づくりです。前日まで姪っ子と友人が泊まっており世話に忙しかったので、昨夜は冷蔵庫の残り物を使ってのご飯で、中3の無口な息子と夫と3人の静かな夕食でした。そして、片付けをした後は疲れて寝ました。

 さて、今朝起きて、エコバッグに入れたまま、椅子に置いてある学位記をどうしたものかーと考えました。このまま仕舞うのもなぁ。そうだ、娘が夏、留学先から帰ってくるから記念写真を撮ろうと思いつきました。これまでは子どもの入学、卒業に合わせて記念写真を撮ってきました。でも、今回はママが真ん中に座って、子どもたちと夫が私を囲むポーズ。そんなことを想像すると、嬉しくなり、一人にんまりとしたのでした。

2026年6月4日木曜日

姪っ子が大阪へ

  先週金曜日から我が家に滞在していた姪っ子とお友達が今日、新幹線で大阪に向かいました。6日間、狭い我が家に女子2人を迎え入れるのは、楽しかった半面、なかなか大変でした。

 一番大変だったのはバスルームの問題でした。我が家はトイレとお風呂、洗面台が一緒です。ですので、誰がが使うとそこを使うことができません。

 女子二人は夜お風呂に入ってくれたのですが、30分は入っているので、その間トイレはいけません。朝もお化粧や髪でそれぞれ30分以上かかりますので、とにかく、朝起きたら彼女たちが使う前にトイレに行き、シャワーを5分ぐらいですませます。

 昨日の朝、私も息子も朝トイレに行きたくて我慢をしていたのですが、なかなか出てこないので、もう我慢できずにノックし「ごめんね、トイレ使っていいかしら?」と聞いてみると、なんと念入りな化粧の次に、三つ編みを丁寧に編んでいるところでした。

 姪っ子は3人姉妹で、家にはバスルームが3つあり、3人はそれぞれ部屋があります。そして、姪っ子とそのすぐ上の姉が2人でバスルームをシェアしている贅沢さ。もちろん、義弟夫婦は自分たちのバスルームがあります。だから、バスルームをゆっくり使う習慣があるのですね。

 次に大変だったのは食事です。姪っ子がベジタリアンで、日本に来たからには魚を食べるーというのですが、美味しく食べてもらうにはどうしたら良いか、本当に悩みました。姪っ子のお友達は逆にお肉も食べるというので、姪っ子用のおかずの他にお友達にはお肉を別に作ったりもしました。

 たとえば、昨日のメニューは焼いたぎんなん、ごま豆腐、ビーンズディップと野菜、味噌ラーメン(姪っ子はもやしのみ、お友達にはチャーシュー付き)、餃子です。餃子の具は姪っ子には豆腐とニラ、姪っ子のお友達には豚挽き肉とニラ、という具合です。

 朝ご飯もうどん、おにぎりとお味噌汁、または、パンに卵やポテト、などとバラエティに富んだものに。おにぎりの具も鮭がいいのか、梅がいいのか、ひじきも食べられるのかーと一つ一つ悩みました。

 服は一日着たら上から下まで全部洗います。日本人のようにジーンズやスカートを何日か着たりはしませんので、せっせと洗濯もしました。

 今朝、大阪に向かった二人。夜はまた3人の静かな時間に戻りました。「楽しかったけど、なんかほっとするなぁ」と夫。「そうだね、今日明日は残り物でいい?」と私。

 二人に、日本での滞在を楽しかったと思ってもらいたい一心で頑張りました。二人は5日間を大阪で過ごし、来週我が家に戻ってきて、二泊して帰国します。

 あと2日間、むつみ伯母さんは頑張ります。

2026年6月3日水曜日

娘が2度目の献血

 娘から、2度目の献血をしたと報告がありました。女子は、最初の献血が400㎖以上の場合、次の献血は16週間後と決められているそうです。娘は4月2日に最初の献血(470㎖)をしましたが、帰国が今月末ですので16週間という期間に満たない。そこで「血漿成分献血」をすることにしたというのです。

 これは、血液中の液体成分(血漿)のみを採取し、赤血球などの他の成分を体内に戻す方法で、体への負担が少ないそうです。

 私が自己免疫疾患を患ったときは、ヘモグロビンや血小板などの輸血を何度もしました。ヘモグロビンが体に入ると、一気に呼吸が楽になったことを今も鮮明に覚えています。献血の袋の中に少しだけ残った血がもったいなくて、看護師さんが点滴をはずそうとしたとき、思わず「もったいないから、最後まで入れてください!」とお願いしたほどでした。

 血小板輸血もしました。自己免疫が血小板を壊してしまい、体のあちこちに内出血の赤い斑点が出来たときのことです。血小板は黄色い液体だったことも、忘れられません。

 娘の最初の献血は、事故に遭った方への輸血に使われたと報告があったそうです。

 私は多くの輸血を受けたので、もう献血は出来ません。でも、娘がこうして誰かの役に立とうと行動してくれることを、とても嬉しく誇らしく思っています。血漿成分献血は2週間空ければ、また、献血できるそうです。娘は「帰国前にもう一回献血する!」と張り切っています。




 

2026年6月2日火曜日

中学校最後の試合

  5月31日、息子にとって中学校最後のバスケットボール大会がありました。息子は右足首の捻挫で週一回リハビリに通っており、今回は両足首にサポーターをつけて試合に臨みました。

 息子の学校は体育館が小さく、週3回しか練習ができません。ですので、他校に比べて練習量が限られます。それでも前回の大会では何と一勝しました。

 今回は残念ながら、一回戦で敗退。でも、息子はチーム30得点中18点を決めました。高校生になってもバスケを続けるそうです。

 私も夫も観戦を毎回楽しみにしており、今回は姪っ子と友人も応援に来てくれました。あと3年間は親としての楽しみが続くので、とても嬉しく思っています。


2026年5月31日日曜日

  金曜夜に、ミシガン州在住の姪っ子が高校卒業旅行にお友達と一緒に日本に来ました。2人は今週水曜日まで滞在し、大阪に向かいます。 

「むつみ伯母さんと料理をしたい!」という可愛いリクエストをくれた姪っ子。今日は天ぷらを一緒に作りました。具材はさつまいも、まいたけ、かぼちゃ、なす、玉ねぎ・にんじん・海老のかき揚げ。

「レストランで食べる料理はほとんど家で再現できるんだけど、天ぷらだけは難しいの。カラッと揚げるために、具材につける粉の量と、油の量も重要」と説明すると、姪っ子は汗をかきながら、一つ一つ丁寧に揚げてくれました。

 天ぷらと一緒に食べるのは冷たいお蕎麦。「お蕎麦はパスタと同じゆで加減。アルデンテなの」と伝えると、お蕎麦担当の姪っ子のお友達は、お蕎麦を一本お湯から取り出し水で冷やして味見し、親指を立てて「グッド!」。

 それにしても、姪っ子は明るく、礼儀正しく、所作が美しく、家事も出来て、気遣いもできる。義妹はきちんと育てたのだなぁとつくづく思ったのでした。




2026年5月28日木曜日

論文再投稿

  今日、論文をジャーナルに再投稿しました。やっとです。それにしても大変な作業でした。いろいろ重なり、頭には10円玉ぐらいの円形脱毛が…。

 明日はアメリカから姪が友人と日本に来ます。我が家に1週間ほど泊まるのですが、その準備が全く追いつきません。先ほどやっと、お布団の準備が終わりました。

 姪はベジタリアンで、姪の友人は”グルテンフリー”だそうです。さらに和食を食べたことがない人たちですので、何を作っていいのか、分かりません。野菜の天ぷらでしょうか? あっ、それもグルテン。鍋?でも肉が食べられませんので、野菜だけですと美味しくありません。無難にコロッケ?ブルドックソースにチキンエキス入っていなかったっけ?

 家がぐちゃぐちゃのまま、二人を迎えます。でも、もういいかっと思い始めています。

 

 

2026年5月25日月曜日

春の花

  東京は初夏といっていいほどの暖かさです。自宅から最寄り駅まで、各家の花壇に花が咲き乱れています。東京は家が狭いですので、どの家も道路沿いの20㌢~30㌢ほどの狭い花壇に花を植えています。その花が、通勤・通学・散歩途中の住民の心を和ませてくれるのです。

 我が家から駅までの10分間に見られる道路沿いの各家の花壇の花をご紹介します。