2026年6月23日火曜日

2026父の日

  今年の父の日は、娘と息子それぞれが夫にケーキを作ってくれました。ヴィーガンの娘は卵やバターを使わないピーカンナッツ・タルトを、息子は卵をたっぷり使ったふわふわのシフォンケーキです。

 私は、研究者としての初給料!でランチをご馳走しました。肉・魚・乳製品・卵など動物由来の食材を一切口にしない娘が食べられる料理は限られていましたが、問い合わせをしたレストラン何件目かで、メニューのうち1品だけをヴィーガン対応に出来るとのことで、行くことにしました。

 神谷町のイタリアンレストランでした。娘が注文したのは、トマトソースとキノコのピザ。ピザの生地にも卵は入っていなかったのですが、アンチョビは入っていたので、それを除いてもらいました。まずは、家族でレストランで楽しく食事が出来たことに、安堵した日でした。  

こちらはチーズたっぷりの普通のピザ。娘はヴィーガン用のピザを注文

 

2026年6月22日月曜日

手作りのお土産

  娘は最近、編み物にハマっています。絵を描いたり勉強をしたりする以外の時間は、コツコツと針を動かしているようです。メンタルが不安定だったので心配をしていましたが、今は編み物を通して心穏やかな時間を過ごしているようでほっとしています。

 今回、「ママにお土産!」と素敵なバッグを作ってきてくれました。一生の宝物です。



 

2026年6月21日日曜日

娘が帰国!

  娘がオーストラリアから帰国しました。19日の夜は皆で羽田空港に迎えに行きました。娘が到着ロビーに出てくるのを今か今かと待ち構え、娘が荷物を引っ張って出てきた瞬間、ほっとした気持ちに包まれました。

 息子、夫、私の順にぎゅっとハグ。私は春に娘に会いに行きましたが、夫と息子はお正月から半年ぶりです。やっぱり家族が揃うのは嬉しい。

 東京に住んでいると、ほとんどのママ友の子どもが東京の大学に進学するので、子どもは引き続き家で暮らします。でも、我が家の場合は夫がアメリカ人ということもあり、子どもの海外の大学進学は最初から視野に入っています。ですので、18歳で家を離れてしまうのです。

 親としては寂しいですが、子どもの自立が早いという良い点もあります。娘は精神的に不安定な面もありますが、自分で食事を作るなど、生活に必要なことは一通り出来ており、これはこれで良かったかなぁと思います。

 ともあれ、娘が帰ってくると、家の中が一気に明るくなります。普通、お母さんが家の太陽なのでしょうが、我が家は娘が太陽。娘がいると、笑い声が響き、会話も増えます。家族4人が揃うって、皆がこんなに幸せな気持ちになるんだ、と改めて感じるのです。


 


2026年6月19日金曜日

ママの料理_ヴィーガンアレンジ

  娘からメッセージが送られてきました。娘が大好きだった私のお料理を、ヴィーガン用にアレンジしたリストです。親元から離れた子どもが帰省するとき、大好きだった料理をたくさん作るのは母親としての楽しみですが、娘から送られたリストを見て、やっぱり切なくなりました。

・ラザーニア→トマトソースの鶏ひき肉はレギューム(豆類)で代用。チーズは豆乳チーズに。粉チーズは代用ないからパン粉多めに

・鶏そぼろご飯→鶏ひき肉は石豆腐。卵は私た持ち帰る嘘卵の粉

・餃子→石豆腐かレギューム+キャベツ+ニラの組み合わせ

・キャラメルウォルナットタルト→バターを豆乳バターで代用(ちゃんとキャラメルになるかな?)

・アップルパイ→バターは豆乳バター。卵は私が持ち帰る嘘卵の粉。スポンジケーキは買わずに一から作る。パイ生地も手作り

・マカロニチーズ→豆乳チーズと豆乳バターでいけるかも??

・カレー→豆腐カレー

【どう頑張っても食べられないもの】

・焼き肉

・ハンバーグ

・お鍋

・ミートパイ

・ステーキ

・卵焼き

・グミ

・じゃがりこ

・北海道チーズケーキ

・サワークリームオニオンのポテチ

【逆にまだ食べられるもの】

・アサリパスタ(貝は神経がないため、痛みを感じないので良いらしいです)

・肉やチーズ不使用のパスタ

・肉なし貝だけのパエリア

 今晩、娘が帰ってきます。夕方、スーパーに行き、石豆腐や納豆、豆、トマト、アサリを買ってきました。娘が大好きだったラーメンもラベルを見ると豚肉のエキスが入っていて食べられないことが判明しましたので断念しました。

 寂しいけど、動物が悲しく痛い思いをするのが堪えられないという娘をサポートしたい。今晩はニラと揚げ豆腐を具にした餃子を試してみます。

2026年6月17日水曜日

梅仕事

 「むっちゃん、梅仕事してる?」

 どこからともなく声が聞こえました。大好きなママ友、ゆきちゃんの声です。

 毎年、この時期になったらゆきちゃんからラインが来て、”梅仕事”の進み具合を聞かれました。ゆきちゃんも私も梅が大好きで、毎年梅酒や梅酢、梅シロップを仕込み、翌年までシロップを楽しめるよう、何パックも梅を冷凍をしていました。

 先週まで、米国から訪れた姪っ子とそのお友達が我が家に2週間滞在しており何かと忙しく、梅を買いに行く気持ちの余裕がありませんでした。でも、ゆきちゃんの声が聞こえて、慌てて、夜スーパーへ。一昨日は2キロ買って洗って乾かし、昨日へたを取って半分を梅酒に、残りを冷凍しました。そして昨日もう一度スーパーに行ってさらに2キロ購入、先ほど半分を梅酢にし、残りを冷凍しました。しっかり凍ったらシロップにします。

「ゆきちゃん、梅仕事終わったよ!」

 空に向かってゆきちゃんにお礼を言いました。

 ゆきちゃんは昨夏、肺がんで亡くなりました。45歳でした。息子の幼稚園時代のママ友で、卒園後もずっと仲良くしてもらっていました。私よりずっと年下でしたが、とても気が合い、幼稚園時代はハンドベルサークルで一緒に活動し、卒園後も近所でお茶をしたり、ランチをしたり、ピクニックしたり、たくさんの時間を一緒に過ごしました。

 駅前のパン屋さん、カフェ、スターバックス…。ゆきちゃんとおしゃべりした場所を通るたび、ゆきちゃんのことを思い出し、切なくなります。私でさえ、これほど寂しいのですから、ご家族のお気持ちはいかばかりかと思います。

 ゆきちゃん、天国からのリマインド、本当にありがとう。今年も梅仕事、無事に終えたよ。来年も私、忘れそうだから、またよろしくね。

 

2026年6月14日日曜日

がんのママのお話し会

昨日、私が主宰するがんのママとAYA世代の方のお話し会を地元の施設で開きました。30代の独身の女性と、40代のママさんが参加してくれました。

30代の女性は乳がんで、片方の乳房を全摘し、再建手術をしています。職場にも復帰され、とにかく前向きで明るい方です。

40代の方も、小さなお子さんを育てている最中に乳がんを発症されました。手術後は仕事に復帰し、職場で啓発活動をしています。
お二人に共通していたのは、診断当時、身近に同世代の若い患者さんがおらず、インターネットを活用して情報を集めたことでした。
お二人とも、最初から大きな病院に行くと検査・診断に時間がかかるため、まず最寄りのクリニックを探しました。

クリニックを探す際には、大きな病院へのスムーズな紹介を見据え、クリニックの院長の出身大学などもチェックしたそうです。そして、その大学病院の乳がんの治療実績や手術の技術の評判、妊孕性温存治療実施の有無などを確認し、そのクリニックから大学病院に迅速につないでもらえるよう、自ら道筋を考えて行動していました。
がん治療も、まさに情報戦だな、とお二人のお話を伺ってつくづく思いました。ネット上に溢れる情報を取捨選択し、自分が納得できる治療を受けられるよう行動する。がん治療は手術や化学療法などのがん治療そのものの決断だけでなく、治療後の人生を見据えた選択が重要であることを多くの患者さんが気付いて病院選びをする時代になったと改めて感じました。
自分たちの経験を共有する中で話が及んだのは、地方在住の方々の治療の難しさです。地方ではがん治療ができる病院が限られています。さらに、治療を受ける病院では妊孕性温存をしてもらえず、別のクリニックを自分で探さなければならないこともある。そこが県外である場合もある。がん治療そのものも心身共に負担が大きい中での、さらなる負担で、諦める方もいるのでは、と容易に想像できました。
私も二十数年前に、がん治療を始める前に受精卵を凍結しました。診断時は故郷・札幌に戻り両親の側で治療することも選択肢の一つとして勧められましたが、私は東京のがん専門病院を選びました。そして自分の判断でがん治療を遅らせて不妊治療専門クリニックを受診し、受精卵を凍結しました。あのとき故郷に戻る決断をしていたら、今中3の息子はこの世には存在しなかったと確信しています。
最適な医療情報にたどり着くこと、その情報収集力を駆使して適切な病院選びをすること。治療による外見の変化や後遺症に備え、将来を見据えて妊孕性温存を目指すことは、治療後の人生に大きな違いをもたらします。
お二人は、乳がん患者の生存率が上がり、がん治療後の人生は長く続くことを認識していらして、必要な情報を集め、ご自身が納得して治療を受けていました。そしてその治療結果にとても満足していました。
この知識や経験をぜひ、これからがんになる(ならないでほしいけど…)”妹たち”に伝えてほしいと願いました。そうお話しすると、30代の方はインスタグラムで、40代の方は乳がん患者さんのSNSグループを通じて情報発信をしていました。

さっそく、私もお二人に若い方々の情報収集の仕方について教わりました。頼もしい限りです。



2026年6月11日木曜日

姪っ子が帰国

  今日、姪っ子とお友達が2週間の日本滞在を終え、ミシガン州へ戻りました。朝夕食を作り、洗濯をし、家を綺麗に保つのは大変だったけど、二人とも日本のファンになってくれました。

 姪っ子は小さなころからベジタリアンでしたが、日本に来たからには、と魚を食べてくれました。お寿司はもちろんのこと、シシャモ、イワシ、イクラ、タラコも食べました。昨日はホッキのフライとホッキカレー(おすすめです)も「美味しい!」と喜んでくれました。

 私と一緒に料理を楽しみ、作った料理はすべてノートにつけて行きました。帰ったら家族に作るそうです。姪っ子のお友達は日本の大学への留学計画についても話してくれました。

 息子と夫によると、「楽しかったけど、バスルームとトイレが大変だった」とのこと。女子は夜のシャワーと朝の身支度の時間が長く、我が家の男子たちは遠慮をして、女子たちが使わない”隙間時間”を使って用を足していたようです。こういうことも、きっと楽しい思い出になるに違いありません。

 姪っ子は「今度来るときは、伯父さんと伯母さんがいつも行く日本酒の店に行きたい!温泉にも行きたい(今回は恥ずかしくて行けなかった)!」と語ってくれました。

 姪っ子たちが帰国した後、寝室などに詰め込んでいた物を元の場所に戻しました。また、いつもの我が家に戻り、寂しいような、ほっとしたような…。

姪っ子とお友達が昨日「ありがとう!」と贈ってくれたお花


 

2026年6月7日日曜日

アジサイ

  アジサイが綺麗な季節になりました。我が家のアジサイも、今年も元気に咲いてくれました。家から最寄り駅までの10分ほどの道のりにも、各家の玄関前や路地に面した小さな花壇に青や紫、ピンクの花々がさりげなく咲いています。

 慌ただしい通勤の朝、夕ご飯の献立を考えながらの帰宅途中、休日のぶらぶら散歩のとき。アジサイの前でふと足を止めて見入るのが、小さな楽しみの一つです。

我が家のアジサイ
我が家のアジサイ全体像

お向かいの家のアジサイ











2026年6月6日土曜日

学位記を取りに行く

  昨日は大学に学位記を受け取りに行きました。4月末に事務担当から博士号授与の連絡がメールで来て、その後に「事務室まで取りに来てください。学生証と引き換えにお渡しします」との連絡。5月1日から特任研究員としての仕事が始まり、慌ただしくしており、受け取りが昨日になりました。

 博士課程の4年間は途中で指導教員が代わる、自分の専門ではない指導教員の下で研究を進めるなど苦労も多く、あまりの理不尽さにトイレに駆け込み泣いたことも数知れず(アラ還でも涙をこらえれないこともある)。一度始めたことはよほどのことがないと辞めてはいけないと思い込む昭和な気質と、困難が降りかかるほどにパワーが湧き出るという厄介な性分から、学位取得まで粘りました。

 そんなことを思い出しながら、仕事を終えた後に医学系研究科の事務室に行き、学生証を渡して、学位記を受け取りました。内容を確認し、受け取りのサインを台帳にしました。そこには何人もの名前と受け取り日が記されており、5月に取りに来た人もいれば、私のように6月になっている人もいる。代理人が取りに来た人もいました。

 博士号取得は皆が一斉に卒業する大学のような晴れがましいことではなく、連続する日常の延長、そして紆余曲折・悪戦苦闘の末の穏やかな一区切りなんだな、と改めて思いました。この学位記を受け取りに来た人の大半の心情は”安堵”だったのでは、と想像しました。

 私の職場では教育学研究科で学位を取得した人もいて、その人は研究科長から学位記を渡されたそうです。ローブを着用して、写真を撮ったとか。彼女は修了式などという大がかりなものではなく、それほど簡易なものなんだ、というエピソードとして語ってくれたのですが、少なくとも私にはそのような喜ばしい一コマもありませんでした。

 でも、学位記を渡してくれた事務担当の人がアクリル板で仕切られた窓口の向こうから「おめでとうございます」と深々と礼をしてくれことが、嬉しかった。

 学位記をもらった後は、それを持って研究科の建物の前で自撮り。そして、まぁ、記念に安田講堂前で撮ろうか、とテクテク歩きました。私が左手に学位記を抱えて、右手にスマホを持っての自撮りに難儀していると、男子学生が「撮りましょうか?」と声をかけてくれました。「ありがとうございます!お願いします!」とスマホを渡しました。

 数枚、パチパチと撮してくれた学生がスマホをこちらに手渡しながら、ニコニコして「おめでとうございます!」とお祝いの言葉を言ってくれました。心がほんわかと温かくなりました。

 学位記をエコバッグに入れて自宅に戻った後は、いつものように夕ご飯づくりです。前日まで姪っ子と友人が泊まっており世話に忙しかったので、昨夜は冷蔵庫の残り物を使ってのご飯で、中3の無口な息子と夫と3人の静かな夕食でした。そして、片付けをした後は疲れて寝ました。

 さて、今朝起きて、エコバッグに入れたまま、椅子に置いてある学位記をどうしたものかーと考えました。このまま仕舞うのもなぁ。そうだ、娘が夏、留学先から帰ってくるから記念写真を撮ろうと思いつきました。これまでは子どもの入学、卒業に合わせて記念写真を撮ってきました。でも、今回はママが真ん中に座って、子どもたちと夫が私を囲むポーズ。そんなことを想像すると、嬉しくなり、一人にんまりとしたのでした。

2026年6月4日木曜日

姪っ子が大阪へ

  先週金曜日から我が家に滞在していた姪っ子とお友達が今日、新幹線で大阪に向かいました。6日間、狭い我が家に女子2人を迎え入れるのは、楽しかった半面、なかなか大変でした。

 一番大変だったのはバスルームの問題でした。我が家はトイレとお風呂、洗面台が一緒です。ですので、誰がが使うとそこを使うことができません。

 女子二人は夜お風呂に入ってくれたのですが、30分は入っているので、その間トイレはいけません。朝もお化粧や髪でそれぞれ30分以上かかりますので、とにかく、朝起きたら彼女たちが使う前にトイレに行き、シャワーを5分ぐらいですませます。

 昨日の朝、私も息子も朝トイレに行きたくて我慢をしていたのですが、なかなか出てこないので、もう我慢できずにノックし「ごめんね、トイレ使っていいかしら?」と聞いてみると、なんと念入りな化粧の次に、三つ編みを丁寧に編んでいるところでした。

 姪っ子は3人姉妹で、家にはバスルームが3つあり、3人はそれぞれ部屋があります。そして、姪っ子とそのすぐ上の姉が2人でバスルームをシェアしている贅沢さ。もちろん、義弟夫婦は自分たちのバスルームがあります。だから、バスルームをゆっくり使う習慣があるのですね。

 次に大変だったのは食事です。姪っ子がベジタリアンで、日本に来たからには魚を食べるーというのですが、美味しく食べてもらうにはどうしたら良いか、本当に悩みました。姪っ子のお友達は逆にお肉も食べるというので、姪っ子用のおかずの他にお友達にはお肉を別に作ったりもしました。

 たとえば、昨日のメニューは焼いたぎんなん、ごま豆腐、ビーンズディップと野菜、味噌ラーメン(姪っ子はもやしのみ、お友達にはチャーシュー付き)、餃子です。餃子の具は姪っ子には豆腐とニラ、姪っ子のお友達には豚挽き肉とニラ、という具合です。

 朝ご飯もうどん、おにぎりとお味噌汁、または、パンに卵やポテト、などとバラエティに富んだものに。おにぎりの具も鮭がいいのか、梅がいいのか、ひじきも食べられるのかーと一つ一つ悩みました。

 服は一日着たら上から下まで全部洗います。日本人のようにジーンズやスカートを何日か着たりはしませんので、せっせと洗濯もしました。

 今朝、大阪に向かった二人。夜はまた3人の静かな時間に戻りました。「楽しかったけど、なんかほっとするなぁ」と夫。「そうだね、今日明日は残り物でいい?」と私。

 二人に、日本での滞在を楽しかったと思ってもらいたい一心で頑張りました。二人は5日間を大阪で過ごし、来週我が家に戻ってきて、二泊して帰国します。

 あと2日間、むつみ伯母さんは頑張ります。

2026年6月3日水曜日

娘が2度目の献血

 娘から、2度目の献血をしたと報告がありました。女子は、最初の献血が400㎖以上の場合、次の献血は16週間後と決められているそうです。娘は4月2日に最初の献血(470㎖)をしましたが、帰国が今月末ですので16週間という期間に満たない。そこで「血漿成分献血」をすることにしたというのです。

 これは、血液中の液体成分(血漿)のみを採取し、赤血球などの他の成分を体内に戻す方法で、体への負担が少ないそうです。

 私が自己免疫疾患を患ったときは、ヘモグロビンや血小板などの輸血を何度もしました。ヘモグロビンが体に入ると、一気に呼吸が楽になったことを今も鮮明に覚えています。献血の袋の中に少しだけ残った血がもったいなくて、看護師さんが点滴をはずそうとしたとき、思わず「もったいないから、最後まで入れてください!」とお願いしたほどでした。

 血小板輸血もしました。自己免疫が血小板を壊してしまい、体のあちこちに内出血の赤い斑点が出来たときのことです。血小板は黄色い液体だったことも、忘れられません。

 娘の最初の献血は、事故に遭った方への輸血に使われたと報告があったそうです。

 私は多くの輸血を受けたので、もう献血は出来ません。でも、娘がこうして誰かの役に立とうと行動してくれることを、とても嬉しく誇らしく思っています。血漿成分献血は2週間空ければ、また、献血できるそうです。娘は「帰国前にもう一回献血する!」と張り切っています。




 

2026年6月2日火曜日

中学校最後の試合

  5月31日、息子にとって中学校最後のバスケットボール大会がありました。息子は右足首の捻挫で週一回リハビリに通っており、今回は両足首にサポーターをつけて試合に臨みました。

 息子の学校は体育館が小さく、週3回しか練習ができません。ですので、他校に比べて練習量が限られます。それでも前回の大会では何と一勝しました。

 今回は残念ながら、一回戦で敗退。でも、息子はチーム30得点中18点を決めました。高校生になってもバスケを続けるそうです。

 私も夫も観戦を毎回楽しみにしており、今回は姪っ子と友人も応援に来てくれました。あと3年間は親としての楽しみが続くので、とても嬉しく思っています。


2026年5月31日日曜日

  金曜夜に、ミシガン州在住の姪っ子が高校卒業旅行にお友達と一緒に日本に来ました。2人は今週水曜日まで滞在し、大阪に向かいます。 

「むつみ伯母さんと料理をしたい!」という可愛いリクエストをくれた姪っ子。今日は天ぷらを一緒に作りました。具材はさつまいも、まいたけ、かぼちゃ、なす、玉ねぎ・にんじん・海老のかき揚げ。

「レストランで食べる料理はほとんど家で再現できるんだけど、天ぷらだけは難しいの。カラッと揚げるために、具材につける粉の量と、油の量も重要」と説明すると、姪っ子は汗をかきながら、一つ一つ丁寧に揚げてくれました。

 天ぷらと一緒に食べるのは冷たいお蕎麦。「お蕎麦はパスタと同じゆで加減。アルデンテなの」と伝えると、お蕎麦担当の姪っ子のお友達は、お蕎麦を一本お湯から取り出し水で冷やして味見し、親指を立てて「グッド!」。

 それにしても、姪っ子は明るく、礼儀正しく、所作が美しく、家事も出来て、気遣いもできる。義妹はきちんと育てたのだなぁとつくづく思ったのでした。




2026年5月28日木曜日

論文再投稿

  今日、論文をジャーナルに再投稿しました。やっとです。それにしても大変な作業でした。いろいろ重なり、頭には10円玉ぐらいの円形脱毛が…。

 明日はアメリカから姪が友人と日本に来ます。我が家に1週間ほど泊まるのですが、その準備が全く追いつきません。先ほどやっと、お布団の準備が終わりました。

 姪はベジタリアンで、姪の友人は”グルテンフリー”だそうです。さらに和食を食べたことがない人たちですので、何を作っていいのか、分かりません。野菜の天ぷらでしょうか? あっ、それもグルテン。鍋?でも肉が食べられませんので、野菜だけですと美味しくありません。無難にコロッケ?ブルドックソースにチキンエキス入っていなかったっけ?

 家がぐちゃぐちゃのまま、二人を迎えます。でも、もういいかっと思い始めています。

 

 

2026年5月25日月曜日

春の花

  東京は初夏といっていいほどの暖かさです。自宅から最寄り駅まで、各家の花壇に花が咲き乱れています。東京は家が狭いですので、どの家も道路沿いの20㌢~30㌢ほどの狭い花壇に花を植えています。その花が、通勤・通学・散歩途中の住民の心を和ませてくれるのです。

 我が家から駅までの10分間に見られる道路沿いの各家の花壇の花をご紹介します。

 















2026年5月24日日曜日

がんのママ・AYA世代女性の集い

  今年1月から1ヶ月に一度、がんのママ・AYA世代女性の集いを地元の公共施設で開いています。昨日は30代の独身女性と、40代のママさんが参加してくれました。

 30代の女性は右胸を全摘し、再建手術をしたばかり。「いい感じの大きさに、再建してもらいました!」ととても明るく話してくれました。抗がん剤治療で頭髪が抜けたためウィッグを被っており、それがとても似合っています。

 素敵な人と出会って、将来子どもを持つことが彼女の夢。治療前に卵子も凍結しており、「がんにならなかったら、妊娠・出産のことは考えなかった。若いころの卵子を凍結できて良かった!」と前向きです。

 40代のママさんは看護師さんで、女性たちに検診を受けるよう呼びかける啓発活動をしています。勤めているクリニックで研修をしたり、勉強会に参加したりと、積極的に活動しています。

 二人の若い女性たちの前向きさと明るさに、元気をもらった日でした。


集いに持参した、息子が焼いてくれたブラウニーと私が焼いたクッキー


2026年5月22日金曜日

手術成功

 夫の手の手術が無事終わり、左手の薬指、中指のしこりを取ってもらいました。このしこりには神経や血管が巻き付いており、難しい手術だったため経験豊富な医師が手術をしてくださり、とても幸運でした。

 大変だったのは、術後でした。全身麻酔から覚めたばかりの夫がトイレに行くと言い張り、看護師さんを困らせたことです。起き上がってはダメと言われていたのですが、看護師さんに暴言を吐いて大変でしたので、仕方なく行かせました。

「生まれてこのかた、寝たまま用を足したことはない」と言い、ふらふらになりながらもトイレに行く夫を見て、笑ってしまいましたが、「こういうこだわりって、結構重要かもしれない」と妙に感心しました。

 ただ、担当の看護師さんではなく、その先輩の看護師さんが私をにらんで「何で止めてくれなかったんですか!」と怒ったことは残念でした。私としては、夫が若い看護師さんに暴言を吐くのは見ていられず、転んで骨を折っても自己責任と覚悟の上で行かせたのです。

 まぁ、管理上問題なのは分かりますが、止められない事情もあるということも、分かってほしかったです。夫は体も大きいですし、私たちのような小柄な日本人女性が簡単に止められるものでもないのですよね。

 今日は麻酔も覚め、落ち着いた夫。「ご飯が食べられない。ケンタッキーを買ってきてほしい」というメッセージがあったので、夕食に持っていきました。で、私が代わりに薄味の病院食を美味しくいただきました。

 面会は予約制で一回につき30分です。夕方以降は窓口に人がいないので、ロボットが案内してくれます。エレベーターまでちゃんと誘導してくれ、エレベーターも一緒に乗ります。そして病室のある階に着くと、ロボットはナースステーションに行き、私は病室へ。

 ロボットが何とも可愛くて、「ありがとう!」となでなでしたのでした。



2026年5月21日木曜日

バターチキンカレー

    息子が昨夜、バターチキンカレーを作りました。味見をさせてもらいましたが、これが、美味しいのなんの。「明日、お弁当に持っていくね」と息子。

 私にとって、お弁当作りは一日の中で最も幸せな時間なので、一瞬、あぁ残念だなぁと思いました。でも、考えを改め、中3の息子がちゃんと料理が出来るなんて有り難いと思うようにしました。

 カレーライスをお弁当に持っていくのは初めてです。とっても、美味しそうだぞ!



 


 

2026年5月20日水曜日

夫が入院

  今日、夫が入院しました。明日、左手の手術をします。デュピュイトラン拘縮という、指にしこりができ、指が伸ばしにくくなる病気です。

 義兄も義母も義祖父もなった病気で、イギリス人や北欧の人に多い病気だということ。夫は10年ほど前に右手の手術をしましたが、左手にもでき、今回手術を決めました。神経を巻き込むしこりで、手術は簡単ではないようで、全身麻酔となります。

 夫は個室に入り、「眺めもいいし、シャワー室も部屋についているし、快適だ」と喜んでいました。明日手術だけれど前日に快適な気分になれて良かったとは思いましたが、嬉しそうな表情を見て、「ここで言わねば、言う機会がないだろう」という気持ちになり、ずっと心に引っかかっていたことを言いました。

「私が2度のがんの再発を経て、46歳で息子を帝王切開で産んだのに、個室にしてくれなかったよね。私のママ友なんか、30代の出産でも2人目の赤ちゃんを帝王切開で産むんだからって個室にしてもらったんだよ。あなた、個室なんてもったいないと言ったよね。私、6人部屋だったんだよ」

 これ以上言うと夫は切れますので、言いませんでした。でも、心の中で言いました。

「6人部屋の私以外の5人は、20代30代の若いママたちだったんだよ。私が麻酔から覚めてゲーゲー吐いて、さらに、子宮の収縮と帝王切開の傷の痛みで、大変な思いをしているときに、自然分娩のママさんたち皆、産んだ後はすっきりしましたーとばかりにスタスタ歩いていたのよ。それを横目で見ながら、おぇおぇと吐きながら、数時間おきに母乳をあげるためにお腹の痛みを我慢しながら、点滴をずりずり引っ張りながら、息子の寝ている部屋に歩いていったんだよ。ああいうときに個室にしてほしかった」

 夫は不愉快そうな表情に変わり「あのときはお金がなかったからね」と弁明。ですが、こういうのを積年の恨みというんでしょうか。夫が個室を頼むのは全く異存はないのですが、思い出されるのですよ、あのときの残念な思いが。わたしは血小板の病気も併発しており、帝王切開で出血し血が止まらなくなると大事なので、直前まで血小板の数値を上げる治療もしていました。

 ということで、手術の前日に快適な個室に入り満足げな夫にチクリとひとこと。明日は午前9時に病院に行きます。で、八十八歳の母も行くと言うんです。

「お母さん、手の手術だから大丈夫」と言っても、「あんたががんの治療をしたときは、よくしてもらったからね。やっぱり行かななきゃ」。

 まぁ、行くというので、じゃあそうしてくださいーと言うしかありません。

 あーあ、母は歯が悪いし、肉も乳製品も食べられないので、お昼をどうしよう…。

 とにかく、明日、午前9時に行ってきます。手術時間は3時間だそうです。

 

2026年5月19日火曜日

外堀りを埋められる?

  息子の成績が芳しくなく、退学勧奨ということになるかもしれないー。そんな心配が尽きない今学期。一昨日は小学校時代の友人で超優秀な女子と東大の「五月祭」に行ったので、少しでも勉強のモチベーションがあがったかなと期待しました。

 しかし、息子はイベント案内をしていた東大生に「君たちのような頭の悪い子たちにも分かるようにしている」などと言われたそうで、親としては「やっぱり分かったか」と苦笑してしまいました。同僚の女性に話すと「あぁ、東大生あるあるですよね」と彼女もまた苦笑。娘にも「ママぁ、学園祭に行ったからって、モチベーションは上がらないよ」と笑われました。

 息子によると、学校では成績が悪くて問題行動が多い男子には、すでに「このまま問題行動が続けば退学していただきます」と伝えられているとか。息子も、授業中に携帯電話でゲームをしていて、私は担任の先生に呼び出されています。そのときは退学勧奨まではありませんでしたが、親としては気が気ではありません。。

 そのほか、体育の時間に他の男子のパンツをずり下ろすいたずらをした男子も、両親が呼ばれたとか。「”ずりパン”で親呼ばれるって、親も恥ずかしいよなぁ」と息子は言いますが、「授業中に携帯電話でゲームしていた君も似たようなものだ」とたしなめました。

 先生からの注意、親の呼び出し、そして「退学」を匂われる言い渡し…。あぁ、こうして外堀をじわじわと埋められるのかしら、と戦々恐々としています。

 先日、同じように「1」がつきそうな男子の両親と話をしたのですが、そのお父さんは「まぁ、1がついたら、ついたときで考えます」と実にのんびりしていました。気が小さい夫と私は、「学校を放り出されたら、行き場がない」と焦っています。夫などは、「2でいいんだよ、2で」と息子に言う始末。

 娘がインターナショナルスクールに通っていたときも、同級生の男子2人が退学となりました。いずれも成績が悪く、問題行動が多かったためでした。

 息子よ。学校を放り出されない程度には頑張ってほしい。成績もさることながら、問題行動も本当にやめてほしい。胃がんを患った母の胃が、最近キリキリしているぞ。

  

2026年5月18日月曜日

5月祭

  東大の学園祭「5月祭」に行ってきました。息子を誘ったのですが、お友達と行くということで、夫と一緒に行きました。あーあ、親と一緒に出かけてくれたあの可愛い息子はもういなくなりました。

 今年99回を迎えた5月祭。初日の16日は大学に爆破予告があったということで、午後はキャンセルとなりましたが、昨日は再開となり、沢山の人でにぎわっていました。

 長い人生、たくさんのお祭りに行きましたが、これほどの規模は初めてです。とにかくお店の数も、人もすごい。このブログを読んでくださっている皆さん、一度ぜひ行ってみてください。学園祭の印象が一変します。

 キャンパス内には何百という店が並んでおり、夫とビールを飲みながら、学生たちが作った、焼き鳥、肉巻き、春巻き、フライドポテトなどを食べました。東大は本当に良い気が流れている。楽しい一日でした。






 


2026年5月17日日曜日

軽井沢に日帰り

  昨日、軽井沢に一人で日帰りで行ってきました。午前6時半に家を出て、3時間車を飛ばし午前9時半に到着。午後3時半までずっと片付けをし、午後4時に家を閉めてまた車を飛ばして東京の家に着いたのは午後8時。強行スケジュールでしたが、すがすがしい気持ちになれた一日でした。

 今月末に夫の姪が友人と一緒に6泊の予定で遊びに来るため、東京の狭い家を何とかしようと、いろいろな物を軽井沢の家に移したのです。ほとんどが子どものものでした。

 今回は一人で行ったので、家族のご飯を作ったり、食後の皿洗いをしたりして作業が中断することがなかったので、6時間集中することができました。

 娘や息子が使ったおもちゃや本を丁寧に拭いて、虫干しし、屋根裏部屋にしまいました。浴衣など長年保管していたため、シミが出てきたものを洗って干しました。一つ一つを手に取り、当時を思い出しながら手入れをし、幸せな気分に浸った6時間でした。

 でも、それ以上いると現実の世界に戻れなくなりそうで、やはり、想い出に浸るのは1日6時間までかなぁと気付いたのでした。

娘が大好きだった「アナと雪の女王」の本など

グランマからは、アメリカで流行したアクセサリーグッズなどが送られてきて、娘が夢中になっていました


夫が子どもたちに読み聞かせた聖書など

息子と遊んだサッカーゲーム

浴衣は洗って、干しました

娘の浴衣の帯。可愛い

息子が幼稚園で被った麦わら帽子