2026年8月29日土曜日

アサガオ咲いた!

  昨日、やっとアサガオが咲いてくれました。葉ばかり青々として、まったく花が咲かないので、夜間の玄関前ポーチのライトを消したら、3日後に咲きました。

 アサガオは夜の暗い時間を必要とします。昨年も夜間のライトを消したら咲きましたので、今年も同じ理由だったようです。

 咲いたのは一輪だけで、ほかにつぼみも見当たりません。でも、一輪でも咲いたので、良しとしましょう。青色で、とっても綺麗でした。 


2026年8月28日金曜日

科研費申請

  25日に、大学に「科学研究費助成事業(科研費)」を提出しました。科研費は、研究者が自分のしたい研究について研究計画を書き、そのために必要な費用を申請する制度です。専門家による審査を通れば、研究費が支給されます。助成団体は日本学術振興会で、書類は所属する研究機関のチェックを経て、同会に申請します。

 今回私が申請したのは「若手研究」。博士号取得後8年未満の研究者が申請できる助成金で、有り難いことに年齢制限がありません。博士号取得して間もなければ「若手」。いい響きですよね。

 研究計画書には研究の背景や着想に至った経緯、学術的な問い、研究の目的と学術的独自性・創造性、国内外の動向、研究遂行能力と研究環境、人権保護への対応などを書きます。A4用紙7枚です。

 毎夜コツコツと書き、締め切りの前々日にようやく完成しました。そして、締め切りの前日に申請画面のに必要事項を入力して、「次へ」と進もうとすると、どこかでつっかえる。あれこれ確認して、ようやく前に進んだかと思ったら、また、別の所で止まる。で、事務の人に連絡をしてみましたが、そこでも分からず、また、一つ一つ確認しながら進め、結局提出できたのは締め切り当日でした。

 今回は時間に余裕を持って申請しようと心に誓っていて、少なくとも前日に提出を試みたので、何とかなりました。

 私は研究者として雇われていますが、実際の仕事は自分の研究とは違うフィールドの仕事です。仕事は楽しいのですが、せっかく学位を取ったのだから、自分の目指すテーマを研究し続けたい。今回の科研費申請はそのための一歩でした。。

 本当にこういうことは、一つ一つに時間がかかりますが、でも一歩一歩前に進んでいるような気がして、嬉しいです。審査結果の発表は来年2月です。

 取れるといいなぁ。

2026年8月27日木曜日

ジムのお作法

「今年、結婚25周年だよ」。先日、夫にそう言われました。9月の結婚記念日はもちろん忘れませんが、今年25周年だということをすっかり忘れていました。これって、銀婚式? ですよね。

 私たちが結婚式をハワイで挙げたのは2001年9月。その2ヶ月後の11月に、夫が日本に移り住みました。夫はそれから日本、特に、沢山の人がひしめき合う東京でのマナーを少しずつ身に付けました。たとえば、朝、電車を待つマナーです。

 日比谷線の始発駅の中目黒駅では通勤時間の朝、4列の「先発」の電車を待つ人の列があり、その横に「後発」の4列があります。電車が来て、先発の4列の人たちが乗ると、その「後発」の4列がそのまま、列を乱さず「先発」の列にスライドし、数分後に来る次の電車を待ちます。

 日本人の私たちは、この作法を静かに守りますが、たまに、この列を乱すような形で待つような人がいます。きちんと整列していないとか、前の人との距離が妙に広いとか。夫は、こういう人に、とっても怒るのです(実際に、その人に怒るわけではないですが…)。

「狭い日本でお互いにストレスを感じずに暮らしていくには、こういうルールを守らなきゃ駄目なんだ」と。そういう人は外国人であることも多く、おそらく、まだこの独特のルールが分かっていないのだと思います。

 あちこちで見られる、この暗黙のルール。実は私が通うジムにもあります。自分が使った後、トレーニングマシーンを丁寧に拭くことです。先日、たまたま珍しく黒人男性が来ました。「この人どうかな?」とチラリと見ると、ちゃんと自分が使った後、マシーンを拭いていました。それも、受け付けの横にあった除菌スプレーまで持ってきて、振りかけて、備え付けのタオルでしっかりと拭いていました。で、その後来た白人男性。その人も、腹筋をするための台を、使用後ちゃんと拭いていました。

 いやぁ、こういうのって本当に気持ちが良いです。一方、夫が怒ったのは(もちろん、相手に怒ったわけでなく、私に報告してくる)、トレーニングマシーンを占有する日本人でした。夫と私は別々の時間帯に行きますが、お互いにジムでの小さなエピソードを報告し合うのです。

「10回ぐらい使ったら、携帯を長々と見て、また、10回ぐらい使う。そして、また長々と携帯を見ててさ、使いたい人がたくさんいるのに、と思ったよ」

「あっ、その人分かる。比較的若い男の人でしょう?」

「そう。あれ、迷惑だよなぁ」

「実はね、あのマシーンの横に張り紙が貼ってあって、『人気のあるマシーンですので、ご配慮をお願いします』って書いてあるの。たぶん、スタッフも言いづらいのかもね」

 夫も広いアメリカに住んでいたら、こんなことに目くじらは立てなかっただろうな、とちょっとおかしくなったのでした。

 

2026年8月25日火曜日

息子の料理

  今日は仕事の休みの日でしたが、研究費の助成金申請の締め切りのため、朝からパソコンに向かっていました。夏休み中の息子の昼ご飯に、鶏肉のハンバーグとチャーハンを作ろうと考えていたら、息子が「僕、作るよ」と言います。

「ありがとう!じゃあ、お願いね。鶏の挽肉だから、ミートソースでも作る?」

「うん、そうする」

 トマト缶2つ、パスタ、鶏挽肉をキッチンのカウンターに置いて、「楽しみにしてるよ!」と言い、私は助成金申請に戻りました。息子はパントリーから玉ねぎとニンニクを持ってきて、みじん切りを始めました。

 30~40分ほどしてから、「ママ、できたよ!」と息子の声。ダイニングに行くと、ランチョンマットの上に、美味しそうなパスタが置いてありました。冷蔵庫から、私が事前に作っていた野菜サラダを持ってきて、添えます。


「いただきます!」

 パスタ、めっちゃ美味しかったです。数日前に、息子は夕ご飯にバターチキンカレーを作ってくれましたが、これもとっても美味しかった。

息子はやっぱり料理男子です。

2026年8月22日土曜日

プレゼンテーションを終えて

  昨日、職場で研究発表をしました。参加者は東大のダイバーシティ関連の教員・研究員たち約10人。当日、画面共有がうまくいかず、自分のパソコンではメモ付きの画面が見えて、相手側には全画面が見えるという仕組みが使えず残念でしたが、事前にメモをワードに落とし込んでプリントアウトしていたので、乗り切れました。

 私は5月から特任研究員として働いており、今回が博士号取得後の初めての発表でした。発表後に質問を受けて答えるのは苦手なのですが、昨日は普通に答えられました。つくづく思ったのが、国立がん研究センターの研究室で博士課程時代に行った、いくつものプレゼンテーションが役に立ったな、ということ。

 海外を勝負の場とする同センターの研究者たちはそれは優秀で、質問も鋭い。答えられず、「後ほど調べてご連絡します」と答えた場面数知れず。その渦中にいるときは、それは辛かったのですが、乗り越えてみると、自分の糧になっていた。改めてそう思いました。

 私が61歳までの人生で、雇用されて就いた仕事は4つ。最初はサントリー株式会社札幌支店の事務職、次は札幌の英会話学校の講師、次は北海道新聞社の記者職、そして人生最後の職(年齢からして、たぶんそうだと思う)は東大の特任研究員です。

 この道のりを「キャリア」という視点でみると、バラバラです。特に記者職から研究員までの道のりが長く、多難で、大きな方向転換でした。まぁ、よくぞここまでたどり着いたものだ、と思います。

 この茨の道を振り帰ると、要所要所に、病気により社会から離れた私をもう一度社会へ引き戻してくれた人たちがいます。その人たちは、家族や友人のように人生の中での長く付き合ってきた人たちではなく、ピンポイントで現れます。

 たとえば、病気の寛解後、社会復帰のきっかけとなったWebニュースサイト。元テレビ記者と元新聞記者が作ったサイトで、たまたま、元新聞記者の市民講座を受講していた私に声がかかり、サイトのメンバーになりました。ここでの経験は取材・執筆という基本の動作を取り戻すのに大変役に立ちました。

 そして大学院修士課程では、良き指導教員に恵まれ、無事修了。博士課程では、私を受け入れた指導教員が大変なハラスメントをする人でしたが、1年もたたないうちに別の大学へ移りました。今振り返ると、その指導教員は私をこの大学に入れるという役割を担ってくれた人だったように思います。

 そして、その指導教員に代わって私を引き受けた指導教員からは理不尽な扱いを受け、最後は決裂しました。が、彼女が私の人生で担ってくれた役割は、私を博士号取得まで導くことだったと考えています。実際、決裂後に私は無事、博士課程を修了することが出来ました。

 こうした人たちは、私の人生の節目の局面で現れ、ほどなく私の人生から消えていきます。不思議なものだな、と思います。

 皆さんの人生にも、ある局面で現れ、次の場所へとつないでくれた後、いつのまにかいなくなった人はいますでしょうか? もしかしたら、自分が誰かの人生で、その役割を担っているかもしれませんね。そう考えると、人生は面白いですね。

 まぁ、「あの人は嫌な人だったけど」と思い出されるのも何ですが…(笑)。

2026年8月17日月曜日

ゆきちゃんの命日に

  昨日は大好きなママ友のゆきちゃんの命日でした。昨年、肺がんで亡くなりました。45歳でした。

 息子の幼稚園時代のママ友で、卒園後もずっと親しくしていました。昨日は、仲の良かったママ友3人、そしてハンドベルサークルのママさん1人と一緒に、お宅に伺いました。

 居間にはゆきちゃんの美しい写真が、飾ってありました。遺骨もその横にありました。ゆきちゃんが何よりも大切にしていた家族と、今もずっと一緒でした。

 娘さんが我が家の息子と同い年の中3。毎朝5時に起きて、高3のお兄ちゃんと自分のお弁当を作っているそうです。パパも夕方5時には帰宅して、夕ご飯を作り、家族で一緒に食べているそうです。

 ゆきちゃんは家族に健康的な、美味しい食事を作ることを大切にしていました。そして、とてもお料理上手でした。それがちゃんと子どもにもご主人にも引き継がれていました。

 だけど、きっと天国のゆきちゃんは、娘が朝5時に起きてお弁当作りをしていること、パパが早く帰ってきて夕ご飯を作っていることに安堵しながらも、子どもたちにご飯を作ってあげられないことが何よりも無念だろうな、と思いました。

 キッチンには梅シロップの瓶がありました。ご主人によると、ゆきちゃんが昨年冷凍した梅で作ったそうです。我が家も梅酒、梅シロップ、梅酢を作り、キッチンに置いています。梅の時期になると毎年、ゆきちゃんから来た「むっちゃん、梅仕事してる?」というラインを思い出し切なくなりました。

 ゆきちゃん。パパも子どもたちも、食事をとても大事にしていたよ。ゆきちゃんが去年丁寧に冷凍した梅も、シロップにしていて、美味しそうだった。お弁当作りやお食事、梅仕事、ゆきちゃんが天国に行った後も家族が引き継いでくれて、良かったね。安心してね。

 皆、ゆきちゃんを恋しがっていたよ。私も、いつも、いつも、そう思っている。

2026年8月16日日曜日

スパイダーマン

  昨日、息子と夫と一緒に映画館に「スパイダーマン」を観に行きました。IMAXという大画面スクリーンで、迫力がありました。

 はっきり言って、スパイダーマンはあまり興味がありません。でも、息子とコミュニケーションを図るため、興味のない映画も行きます。

 予想に反して、スパイダーマンは面白かった。主人公のピーター・パーカーの葛藤や心の動きが丁寧に描かれていて、思いのほか引き込まれました。

 帰りは息子が内容について、いろいろ補足説明をしてくれました。ポップコーンを頬張り、コカコーラを飲みながら、大画面の映像に見入るー。最近はめっきり口数が少なくなった息子と一緒に映画を観られるのはあと何回だろう?一回一回を大切にしよう。