2026年9月26日土曜日

娘@メルボルンからの報告_誰もいない寮で

  昨日、お昼休みに娘からフェイスタイムで連絡が来ました。お弁当を食べ終わった丁度いいタイミングでしたので、ゆっくり話すために携帯電話を持って廊下に出て、エレベーター前のソファに座りました。

「ねぇねぇ、ママ。今日からテスト後の1週間のお休みでね、寮にほとんど人がいないの。皆、ブリズベンに行くとか、シドニーに行くとか、ちょっとした旅行をしているみたい」

「そうなんだね」。娘もどこかに旅行に行きたいのかなぁ、寮でぽつんと一人で寂しいのかなぁ、と思いました。すると…。

「キッチンに行っても人がいなくて、もうサイコー」

それは嬉しそうな表情です。予想外の反応でしたが、これが娘の良いところだと改めて思いました。人がこうしているから自分も…という発想が、娘にはないのです、昔から。そして、人が多いのも苦手。これは父親似です。

「でね、昨日、大学で週1回配布される食材を並んでもらったんだけど、何だったと思う?」

「野菜?」

「違う。何と、お米!それにトマト缶とバナナ」

大学で配布されたお米を炊く娘。親指を立てて「グッド!」

「お米はいいね。そうかぁ、オーストラリアの大学で学生にお米を配布するって、日本人としては嬉しいね」

「うん。でねっ、その前はファストフードが配布されたんだけど、4種類のうち、何とヴィーガン用が2種類、ベジタリアン用が1種類、そして普通のが1種類だったの。もう、嬉しくて」

 ヴィーガンは肉や魚だけでなく、卵や乳製品も口にしません。チキンエキスの入ったコンソメや鰹だしが入った味噌なども避け、タンパク質は豆腐と豆類から摂取します。ですので、外食やファストフードでは選択肢がかなり限られます。ベジタリアンは卵・乳製品は食べて良いので、まだ、楽なのです。ですので、そのヴィーガン用の食べ物を配布するとは、大学側も配慮が行き届いています。

 また、寮でも週に1度、野菜を無料で配布しているといい、娘もそこで玉ねぎやじゃがいもなどをもらってきています。

 娘はほとんどの食事を自炊しています。まとめて作って冷凍し、それを解凍して食べているよう。似たような食事になると思いますが、飽きずに食べています。スーパーで食材を買い、大学や寮で配布される食材をもらって、工夫しながら楽しく自炊している娘を頼もしく思います。

 

2026年9月23日水曜日

沖縄で、まさかの年齢制限

  学位記授与式の翌日の20日から夫と息子と一緒に、沖縄に行ってきました。2泊3日の”卒業旅行”です。

 今回、旅の計画をしていたら、年齢制限にぶつかり仰天しました。海面や水中が青く光る名所「青の洞窟」のシュノーケリングに行きたかったのですが、ほとんどのアクティビティ業者が59歳までに限定。

 あれこれ調べて、ようやく70歳まで可能という業者を見つけましたが、60歳以上は”シニア追加料金”で1000円増し。還暦を過ぎると、シュノーケリングのようなちょっとしたアクティビティが、制限されるのですね。

 結局、天候不順で青の洞窟には行けず、普通の海でのシュノーケリングに変更になりました。これはこれで楽しかったのですが、改めて思ったのは、もっと子どもと遊ぼうということ。

 大好きなスキーはこれからも息子と一緒にニセコの山のてっぺんからガンガン滑ることを目標にしていましたが、海での遊びも目標に入れました。

 年齢は変えられないけど、体力はつけられる。というわけで、卒業旅行から帰ってきて、ジムでの筋トレに力を入れることを決意しました。

 まだまだ、息子と一緒に遊ぶぞぉ。

 

夫と息子とシュノーケリング。真ん中が私

 

2026年9月18日金曜日

学位記授与式に出席

 今日、東京大学の学位記授与式・卒業式が安田講堂で行われました。私も晴れがましい気持ちで、角帽を被り、ローブを着て、出席しました。長かった博士課程の4年間、こうして節目の式に出られたことをとても嬉しく思います。

 学位記授与式・卒業式は春と秋に行われ、秋の式には4月から9月まで学位を授与された学生が出席でき、英語で行われます。式には夫と息子が休みを取って、来てくれました。

 まずは東大の管弦楽団による演奏、次に、各研究科を代表する博士号取得者、修士号取得者に藤井輝夫総長から学位記が渡されます。

 次に、藤井総長の告辞。地震、AI、科学について話しているのは断片的に単語を拾い何となく分かりましたが、全体の内容は理解できず。最後の「心からおめでとう」だけは分かり、有り難くその言葉を受け取りました。

 その後、修了生・卒業生の答辞があり、東大の歌を歌い、式は終了。終了後、学生たちは友人らと一緒にステージの前で写真を撮り、にぎやかです。私も男子学生に頼んで、写真を撮ってもらいました。

 その学生はニコニコして、私のローブを直してくれて、何枚も撮ってくれました。私も撮ってあげ、お互い英語で話し、「おめでとうございます」と言い合いましたが、雰囲気から日本人だったかもしれません。

 ステージの近くに行き、ここでも撮ろうかなぁと思っていると、女子学生が「撮りましょうか?」と言ってくれ、何枚も撮ってくれました。「すごくいい写真だと思う」とニッコリ。

 講堂の外では夫と息子が待っていてくれました。夫は花束を持ってきてくれ、3人で講堂をバックに写真撮影。そこには答辞を述べた超優秀な学生が家族と一緒にいて、「撮りましょうか?」とこれまた素敵な笑顔で言ってくれました。私たち家族は有り難く、撮ってもらったのでした。

 すると、式を終えて出てきた学生たちの様子を撮影していた学内メディアの学生たちが寄ってきて、「一言いいですか?」。

 ええっ、私みたいなオバサンが、、、と思いましたが、夫と息子と写真撮影をしている私を、見守ってくれている人が何人もいたので、多様性があっていい(なにせ、多様性の時代ですので)、と思ってくれたのかもしれません。

聞かれたのは「一番、達成感があったことは何ですか?」

間髪を入れず、「博論を提出したことです」と答えました。ええ。それしか、ありません。

 そして、指と指を合わせて「こういう形を作ってください」と言われ、その形を作ってカメラの前に差し出しました。あれは何だったのでしょう? 皆の輪?つながる?まぁ、よく分かりませんでしたが、若々しい気分になったことは確かです。

 ランチは、キャンパス内のフレンチレストランで。娘からも「ママを誇りに思う」というメッセージが送られてきました。こうして、支えてくれてる家族に感謝した一日でした。

学位記授与式・卒業式

安田講堂

式次第
キャンパス内のフレンチレストランで

夫が準備してくれたお花とシャンパン

2026年9月17日木曜日

雨が続く朝に

  連日の雨で、洗濯物が大変です。私は外干しが基本ですが、仕方なく乾燥機を回しています。我が家は洗濯物が多いので、洗濯乾燥機ではなく、洗濯機と乾燥機を別々に使っています。ですので、最近は朝、晩、両方がフル稼働しています。

 乾燥機を使うとタオルはフワフワになるのですが、吸水性が悪くなるのが難点。天日に干したタオルはゴワゴワですが、一瞬で水を吸い取る。これが気持ちが良いのです。それに、Tシャツだって、外の風に当てると、パリッとなりますしね。

 今朝も「あーあ、また雨かぁ」と残念に思いながら、洗濯物を乾燥機に入れました。息子のお弁当を作り終わり、朝食を食べさせ、送り出して、外にゴミ出し。すると、なんと、アサガオがいっぱい咲いているではありませんか。

 DIYで夫・私・息子で組み立てたフェンスにつるが絡み、その間に小振りな花があちこちに可愛らしい顔を見せています。今年最初に咲いたのは、堂々とした大輪でしたが、その後は1回だけ大きな花が咲き、その後に咲いたのは今朝のような小さな花。でも、こんなに沢山咲いたのは今年初めてです。

 何となく、気持ちが浮かない雨の日ですが、こういうささやかな喜びがあると、一日を気持ち良くスタートできます。





 

 

2026年9月15日火曜日

娘@メルボルンからの報告_自分の生き方について②

  先日、このブログで紹介した娘との対話には続きがあります。娘が自分の生き方について語ってくれたその対話では、娘は生き方の指針には4つあり、1つ目と2つ目は娘が小さい頃から持っている「誠実さ」と「人への共感」、そして3つ目はこれから身に付けたい「謙虚さ」、そして最後が「知性と判断力」だと言います。

「4番目の、知性と判断力。これはね、単に頭が良いというのではなく、物事をよく考えて、自分の価値観を壊さないように生きるということなの。どうしたら本当に良い結果につながるか、考える知性。たとえば、暗い道を歩いていると、誰かが怒られているのを見かけるとする」

「うん」

「でね、私の性格に基づく行動は、助けに行くーだよね。でも、私の目指す3番目の「謙虚さ」があれば、自分がそこに行って救えるのか?自分にはその人を救う力があるのか?と一旦考える。そして、その次の知性・判断力で、自分も引きずりこまれるかもしれないーという結果も見通すよね。でも、その怒られている人を見過ごすと、自分の持っている資質である誠実であること、共感できること、には反する。で、知性と判断力で、その間を取る行動は何か?と考える。たとえば、警察を呼ぶ。そうすると、自分では解決できないことを警察官が解決してくれるかもしれない。そして、自分も大変な目に遭わない」

「なるほど」

「賢さがなければ、その人も救えないし、自分も痛い目にあい、あまりいい結果にならないかもしれないと思ったの。でね、遠い過去を思い出したの。私が小学校のころの話。いじめられている友達を救おうとして、自分もいじめられた話。これをママとダディに伝えたら、全く違う答えが返ってきたの」

 最初、そのことは思い出せませんでした。

「ママはこう言ったの。『ママも小学校のころ、同じようなことをしたよ。クラス全員に仲間はずれにされている友達を救おうとしたら、ママも仲間外れにされたの。あなたは、自分が盾になって優しいね』って」

 少しずつ、思い出してきました。

「でもね、ダディには『その行動は良くないよ。君が入る必要はない。ヒーローになろうとして自分を犠牲にする必要はない』と言われたの。それでママとダディがケンカになったの。子どもをどう育てるか、で対立したのね。でね、その後、ママとダディが話し合ったらしく、結論は『自分で解決しようとしないで、先生に言おうね』だった」

 夫と私は時々、娘の育て方で対立し、大げんかになることがあります。一番大きかったのは大学進学についてでした。

 夫は娘の高校時代、進路についていろいろアドバイスをしていました。一番のアドバイスは「将来食べていける学科を選びなさい」でした。ですので、娘の得意な絵では食べられないから、デザインや建築にしたらどうか、と。それは自分の経験に基づきます。自分は地質学という就職先がある学科を選んだが、弟たちは「政治学」「音楽」を選び、結局はつながる仕事が見つからず、30代40代に大学院に行き大きくキャリア変更したという経験です。

 私は逆に一切、アドバイスはしませんでした。なぜかというと、私たちが大学生だったころとは時代は大きく変わり、変化の速度も速い。親が自分の経験から子どもにアドバイスするなんてもってのほか、親自身の経験から来る考え自体が古いと謙虚になるべきだと思ったのです。ですので、若者は自分の感性で進路を選ぶべきだと。

 そして、これについて夫婦で大げんかをしています。そして、夫は自分が信じているようにアドバイスをし、私は自分が信じているようにアドバイスをしなかった。

 そして、娘は素直に夫のアドバイスに従い、海外のあちこちの建築学科に出願しましたが、自分の希望する大学に受からず、結果的に日本の大学で英語で授業を教える教養学部のようなところに入学しました。そこから私が前面に出て、「得意な絵を専攻したほうがいい。20代、30代なんていくらでも失敗できる。まずは、自分の好きな道を目指すべき」とアドバイスし、出願期間が北米や欧州よりも半年ほど遅かったオーストラリアの大学の美術専攻で出願。目指した大学全部から合格通知が届きました。入学した日本の大学を退学することについても、「後ろめたさを感じる必要はないし、将来の後悔にもつながらない」と伝えました。そして、娘は自分が好きな道を歩むため、オーストラリアに向かいました。

 ここで言いたいのは、私の助言が正しかったということではありません。結果オーライでしたが、娘にはぽつりと、「ママ、このアドバイス、私が高校のときにしてほしかった」と言われましたし、夫に建築学科を勧められ、高3の夏休みにイギリスのサマースクールに参加し、2週間建築について学んだことが今とても役に立っていると振り返っています。

 娘が自分の生き方を考えるにあたって、過去の私と夫の子育てのエピソードまで遡り、ブログの話題も広がりましたが、この話の軸は大学生の娘の模索と、その娘を育てた我々夫婦の直球の子育てでしょうか。

 娘が自分の生き方を模索していたら、その根っこに、自分の小さなころからの気質だけではなく、父と母から受け取った相反する価値観まで見えてきた。さらに、どちらの親が正しかったということでもなく、娘自身が親から受け取ったものを自分なりに解釈し、再構成しているという話です。 

 一昨日は息子についてのブログを書きましたが、2番目になると我々も年を重ね、まぁ、いいか、になってしまいます。まぁ、それはそれで、息子もそこから何かを感じ取り、成長していくのだろうと考えています。

 あっ、成長してくれれば、と願っています。

2026年9月12日土曜日

息子の”やる気”についての考察

 今日、中3の息子の学校で文化祭があり、生徒たちの発表がありました。

 息子の選んだテーマはスポーツ観戦。なぜ、人々はスポーツ観戦が好きなのか?を掘り下げていました。スライドには、日本語で要点を書き、日本語の下に英語で詳細な説明が書いてありました。口頭説明は日本語でした。

 他の生徒たちはご両親が日本人のため、スライドも発表も日本語で。息子は母親が日本人、父親がアメリカ人のため、日本語と英語を併記しており、息子なりに考えたのだな、と思いました。

 それにしても、パソコンに貼ってあるステッカー、皆にバッチリ見えましたよ。まるで、息子のために作られたステッカーのよう。

「やる気、品切れ中。入荷の見込みはありません」

…。いえいえ、その商品、最初からありませんでしたよ。

 それにしても、2番目の子は、こんな風に育つものでしょうか? いや、生まれた順番より、環境でしょうか。

 父親は仕事と料理をしている以外はベッドに寝転がり、ずっとパソコンでテレビドラマを見ている。時折、思い出したように、ゲームは終わりだ!と息子を威嚇する。

 母親は自分の人生に対して常に戦闘態勢で、やる気過剰。息子にあなたの夢は何?目標は何?と事あるごとに聞いてきて、暑苦しい。

 7歳年上の姉は身長183センチ。息子は中3で179センチまで伸びたのに、まだ勝てない。加えて、姉は弟と平等であることを何よりも重んじているため、食べ物の量についてうるさい。だから、息子は自分の立場をわきまえ、自ら少ない量の皿を取る。以上のことから、一生姉に頭が上がらないかもしれないと思い始めている。

 こういう環境で育つと、やる気のない子が育ってしまうのかもしれません。

 でも、息子は毎日きちんと道具とお弁当をバッグに入れ、朝食を取り、「いってきます」と学校に行き、授業中は寝て、友達と仲良くし、部活も真面目に参加し、夕食前・夕食後にお腹がすけばさっさと自分で何か作り、お弁当箱を洗い、週1回の数学塾・英語塾・スイミングスクール、月に2度のヴァイオリンのレッスンにも粛々と通い、寝る直前までゲームをし、時折、料理に関するユーチューブを見て料理やお菓子作りをし、親に文句を言うことも、反抗することもありません。

 自分にあてがわれた屋根裏部屋(息子が生まれる前に家を購入したため息子の部屋がなく、屋根裏部屋をリフォームしました)は狭いため、今でも夫と寝ています。娘がいたころは、ソファに寝ていました。理由は「こっちのほうが寝やすいから」で、気にしている風もありません。

 何というか、自分の環境をまるごと、あっそう、と受け入れ、その中で自分が生きやすいように、ポジショニングしている感じです。

 息子を見ていると、きっとこういう風に、マイペースでゆるーく生きていくのかなぁ、と想像します。まぁ、やる気の入荷予定がなくても、良しとしますか。 

2026年9月10日木曜日

娘@メルボルンからの報告_自分の生き方について

 オーストラリアの大学に留学する娘(大学3年生)とのフェイスタイムでの会話は、私にとってとても幸せな時間であるとともに、癒やしの時間でもあります。娘は聞き上手で、私の話を楽しそうに、そして、共感しながら聞いてくれるので、つい、話し過ぎてしまいます。が、先日は娘が最近考えていることをじっくり聞くことができました。

「最近ね、自分がどう生きたいかを深く考えているの」

「そうなんだね。考えはまとまった?」

「うーん、途中かな。でも、2つは固まったの。単語で言うと、Empathy とIntegrity。この2つはたぶん小さいころから自分の性格の中にあって、中学生や高校生のころは、これがあることで周囲との関係がうまくいかなかったり、自分が傷ついたりしたことも多かったの。でも、日本を離れて、違う国の人たちの中に身を置いて、一人でじっくり考えて、やっぱり私はこの2つを大切に生きていきたいということは決まったの」

「Empathyは人の気持ちに共感することだよね。それはあなたのとても良い点で、ママもダディもばあち(私の母)も、あなたと話すことでとても癒やされている」

「うん。これは小さいころからあったんだ。人の気持ちとか苦しさに寄り添うことは自然に出来たと思う。ただ寄り添うだけではなく、上から目線でもなく、相手には相手の人生があることを理解した上で共感することは大切だと思うの」

「とても大切なことだし、あなたはそれが十分出来ていると思うよ。2番目のIntegrity は誠実さ、だよね。これHonesty とは違うの?」

「うん。Honestyは正直であることでしょう。例えば、カップルがいたとして、男性が浮気をする。パートナーが『私に嘘をついたわね』と責める。でも、男性が『嘘はついていない。言わなかっただけだ』と反論する。この男性にとって嘘はついていないというのは真実なんだよね。そういう意味で正直だとも言える。だから、私はHonestyではなくって、Integrity  なの。日本語で言うと、、、真っ直ぐに生きる、かな」

「なるほど。それもあなたらしい」

「Integrity。誠実さと信念を持って生きること、自分が何を正しいと思うか自分で考えること、何を正しいと思って何を正しく思っていないかを自分の行動に反映させること。他人に褒められたいとかではなくて、誰が見ていなくても正しいことをすること。でもね、ここに課題があるの」

「課題?」

「うん。自分が正しいと思うことに沿って生きることは大事。でも、自分の考えが絶対正しいわけではなくて、自分が正しいと思わなくても他人がそれは正しい・良いことだと思うことを尊重したい。そこがまだ、自分には出来ていないと思うんだ」

「そうかなぁ、十分出来ていると思うけど」

「でね、3つ目の生き方はHumility。謙虚であること。これが出来ていないの、私。私はねじ曲がった生き方はしていないと思う。高校時代は自分より出来る人、頭が良い人、自分より頑張れる人、自分より行動力がある人に接すると、自分が劣っているという気持ちがあったの。でも、EmpathyとIntegrityが自分の生き方なんだと決めたら、劣っているという気持ちはなくなった。一方でね、信念がない人、人に共感できない人、人に冷たい人を見ると、私はこんな風に人を見下すような生き方はしたくないなと思うの。でもね、そう思うこと自体、謙虚さに欠けていると気付いたの。ねじ曲がった考え方になっていることに気付いたの」

「うーん、そういう謙虚さは、ママみたいに年齢を重ねてもなかなか持てるものではないと思う。ママ、本当に感心する。ママが大学生のころはあなたみたいに深く考えなかったよ」

「えへっ、照れるなぁ。でね、謙虚さについてなんだけど。罪を犯して刑務所にいる人を例にするね。その人を見ると、自分は悪いことをしていないから、刑務所には入らない。自分のほうが、その人より良い生き方をしていると思ってしまうでしょ?それ自体が間違っていると思うの。もし、その人の立場だったら、と考え、見下さないことが大事なの。私はとても恵まれて育った。教育も十分受けている。お金の心配もいらない。もし、私がその人の立場だったら、その人の育った環境で育っていたら、私もその人と同じくらいに間違ったことをしてしまう人間かもしれない、と思うことが大切だと思うの」

「そのことに気付いたこと自体が素晴らしいと思うよ」

「自分の長所を認めながら、自分の生き方がより良いと思わないこと。その両立は難しい。でも、その難しいことを、この1、2年で身に付けたいと思っているの」

 娘の刑務所の例で思い出したのは、永山則夫元死刑囚のことです。彼は極貧の家庭に生まれ、幼少期に親に捨てられ、十分な教育も受けられず、周囲からの援助も得られず、19歳のときに4人を殺害しました。その後、獄中で本を読み、思索を重ね、1997年に死刑が執行されるまで「無知の涙」など多くの作品を残しました。

 もちろん、人を殺したことは許されることではありません。しかし、「自分がもし彼の育った環境で育ったなら」と思いを馳せることの大切さ、その人を見下さないことの大切さに、大学3年の娘が気付いたことを、私は親として誇りに思います。

 永山則夫元死刑囚については、私の尊敬する元同僚のジャーナリストが取材し、本にまとめています。

 娘との話を終え、元同僚に電話をしてみました。その話はまたの機会に。