2026年3月30日月曜日

メルボルンからの報告_1

  28日土曜日夜に成田空港を出発し、娘が留学するオーストラリアに向かいました。約9時間半のフライトで翌29日朝6時にメルボルン空港に到着。税関もスムーズでした。

メルボルン空港の到着ロビー

 大学3年生の娘は、不安症、パニック障害、軽度のうつ病の診断を受けており、服薬をしています。心配なことも多く、私一人で様子を見に来ることにしました。夫が春休み中の息子(中2)の世話をしてくれています。

 娘が空港まで迎えに来てくれることになっていましたが、到着ロビーにはいません。朝、早いからまだ、起きていないかもしれないなぁと思っていると、娘から電話が。「ごめんね!これから迎えに行くから!」とのことでしたが、電話を切った後、夫から電話が。「朝、起きられなくて、空港に君を迎えに行けなくてパニックになっているから、ウーバー手配して、寮まで一人で行ってくれないか?」

 えっ、心の準備のないまま、いきなりメルボルン空港でウーバーを手配して、娘の寮まで行く。一瞬、「このまま、飛行機に乗って東京に戻りたい」という気持ちになりました。が、「大丈夫、何とかなる」と自身に言い聞かせ、ウーバーのアプリを開いて、娘の寮の住所を入力すると、ピコッという音を立てて、車が手配になったという連絡がありました。「ターミナル2のゾーン2」という指定です。

携帯電話に送信されたウーバーの案内

 このウーバーのアプリは日本でダウンロードしたのか、以前、メルボルンに訪れたときにダウンロードしたのか、もはや覚えていません。でも、画面は日本語で、便利なことに、到着ロビーからウーバー乗り場までの行き方を、写真入りで説明してくれます。いやぁ、便利な世の中です。

 思い出されたのが、私がアメリカに留学していたときのこと。両親に遊びに来ない?と誘ってみましたが、「何かあったら、対応できないから」と一度も来ませんでした。当時の両親より、今の私のほうが年代が上ですが、勇気というより、その国の言葉を話せるかどうか、が一番の問題のような気がします。

 メルボルンのタクシー事情は、日本の空港のようにタクシー乗り場があって、そこに並んでいれば良いという仕組みではないらしく、なんだか難しいなぁと思いました。指定されたゾーンBに行くと乗用車が並んでいます。で、送られてきた6桁の番号をどこで確認したら良いか迷っていると、そこに立っていた案内の人が「あそこ、あそこ」と指示します。

 「でも、この番号が指定されているから、、、」と言っても、「あそこ、あそこ」と前方を指さします。で、言われるがままに行くと、一番前の車から、インド人と思われる人が降りてきて、強いアクセントで、「この車です」と言います。「あの、この番号なんですけど…」と携帯の画面を見せると、「この車です」と繰り返します。そして、娘の寮の通り名を言います。そこで、この車だ、と分かりました。

 荷物をトランクに入れて、後部座席に乗り込みます。数分走って、荷物が一つない!と気づきました。で、運転手さんに「トランクに荷物をいくつ積みましたか?」と聞くと、「1つだと思いますよ。確認しましょうか?」と車を寄せてくれました。

 運転手さんと共に車を降り、トランクを開けるとスーツケースと大きなバッグが1つずつ入っていました。でも、手に持っていた黒いバッグがない!と焦って座席に戻り、「運転手さんに空港に戻ってもらわなければ…」と座席をまさぐっていると、なんと、横の座席の足下に転がっていたことが判明。胸をなで下ろしました。慣れないことに対処しなければならず、緊張していたのですね。

 しばらくしてから、記憶の中にあるメルボルン市内の景色が目に入ってきました。ここら辺りで緊張が解けました。約30分で無事、娘の寮に着きました。金額は約6千円でした。

 娘に電話をして、到着したことを知らせました。娘が9階の部屋から降りてきて、玄関でハグ。娘は元気です。ほっとしました。

 部屋に荷物を運び、シャワーを浴びて、身支度を整え、外へ。娘がお友達と行ったというカフェに連れて行ってもらいました。メルボルンはカフェ・ラテが美味しいと有名なので、注文し、カフェの雰囲気と一緒に味わいました。


娘と行ったカフェ

メルボルンはカフェ・ラテが有名です

 そのまま大学に行き、娘は授業の課題に、私は論文の修正に取り組みました。ランチはギリシャ料理のお店で、夜は娘の寮の屋上で、娘の作り置きのお豆腐料理とチリスープを食べました。娘が元気なこと、ちゃんと自炊をしていることに、安堵した初日でした。

 
ランチはギリシャ料理のお店で
 
大学の図書館で、一緒に勉強

娘の寮の屋上で食べた、娘の作り置き料理

 
娘の寮の屋上から見える景色

2026年3月27日金曜日

時が止まった家

  研究所での最後の日を無事に終え、翌日の25日、軽井沢に来ました。中2の息子は春休みに入り、夫は年度末の有給休暇消化期間。3人の予定がちょうど合ったので、まだ軽井沢は寒いですが、思い切りました。

 軽井沢の家は冬期間水道の水落としをしています。春になり、開栓する場合は水が凍らないぐらいの気温にならなければダメなのですが、夜の気温が0度を下回ることはなくなったため、開栓をしても大丈夫と判断しました。

 あいにくの雨で気温も低く、コートを着込んで行きました。別荘地はしんと静かで、私たちの家のある山の頂上付近には誰も来ていないようです。家に車を寄せると、玄関の前の階段は枯葉に覆われていました。

 玄関の前のカバーを取り、家の中へ。迎えてくれたのは、コート掛けにかかった子ども用のジャンパー3枚です。これは娘や息子が幼稚園、小学校のときに着たもの。最後にこれを着たのはもう10年以上前でしょうか。本来なら、この玄関のコート掛けに今着ているコートを掛けるのですが、私たちはそのまま家に入り、椅子の背もたれに掛けたり、寝室に掛けたりします。そう、この家は時が止まっているのです。

 

子どもたちが小さい頃に着たジャンパー。今も玄関のコート掛けに掛かっています

 このコートは何度か仕舞おうとしたのですが、子どもたちが小さかったころが思い出されて、そのままにしています。リフォーム会社の大工さんも「この家には小さな子どもがいるんだな」と思ったそうです。

 玄関の靴箱の上には、松ぼっくりや栗も置いてあります。これも子どもたちが小さなころ一緒に散歩して拾ったもの。靴箱の上には、娘が小学生のころに夫と一緒に木の枝を使って作った弓も置いてあります。

子どもたちと拾った松ぼっくりと栗

 

娘が夫と一緒に作った、木の枝を使った弓

 極めつけは娘が乗ったベビーカーでしょうか。その横には虫採り網が置いてあります。どれも、これら、愛おしく、ずっとそのままに。軽井沢の家に来ると幸せな気持ちになるのは、このような想い出の物たちが迎えてくれるからだと思います。

娘が乗ったベビーカーと、子どもたちが使った虫取り網


2026年3月26日木曜日

やっと終わった…

  24日は研究所の最後の日でした。ありがたいことに所属する部の職員たちが、今月末で退職する指導教員と研究チームのリーダーと一緒に、会議の後に送別会を開いてくれました。

 送別会の後、ささやかではありますが、お菓子と紅茶を持って皆さんの席に行き、ご挨拶をしました。指導教員と研究チームのメンバーにも挨拶しました。

 貸与されたパソコンと入所するときに必要なバッジを返し、研究所を出ました。やっと終わったと思いました。4年間、辛いことばかりだったなぁ、でも、堪えたなぁ、と。

 最近、鏡を見て思うのは、ずいぶん老けたなぁということ。年齢的なこともありますが、ここ1年のストレスの大きさに比例して、ずいぶん、顔も変わりました。こんなに辛い思いをするくらいなら辞めればいいのですが、私の性格上、それは出来なくて、在籍期間が終わるまで全うしました。とにかく、何事もきちんと終わらせることが大切と思っていますので。

 今は開放感でいっぱいというより、脱力感でいっぱいです。ただ、研究所の研究員の方々が関わっている論文の投稿が残っており、これを完成させるのにまたかなりの労力が必要なので、もうひと頑張りしなければ。でも、もう、研究所に行かなくてもいいと考えるだけで、気持ちが少しは安定します。

 人は人生の要所要所で頑張りは必要ですが、その頑張りは度が過ぎると、その人自身を壊してしまうこともあります。私は精神的にはかなり強いほうではありますが、この4年間のうちに胃がんを患うなど、体に影響が出ていました。これ以上堪えると、精神的に壊れてしまうかもしれないという危機感は常にありました。

 とにかく、終わって、心から安堵しました。

 

2026年3月21日土曜日

父の納骨堂へ

  昨日はお彼岸でしたので、亡父の遺骨を納めてある新宿区の納骨堂にお参りに行ってきました。母、夫、息子と一緒に行きました。

 父の遺骨は一昨年、札幌の納骨堂からこちらに移しました。母と一緒に、父の遺骨をボストンバッグに入れ、飛行機でこちらに連れてきました。あれから同窓会などで札幌に行く機会があると、札幌の納骨堂にお参りに行けなくなったことを寂しく思いました。が、東京ではお盆やお彼岸、父の命日にお参りに行けますので、やはりこちらに移してよかったのだと思います。

 夫も、「札幌の納骨堂は見晴らしのよい場所にあって、とても良かったけど、お参りに行くとなるとなかなか大変だから、やっぱりこちらに移して良かったね」と話していました。

 母は相変わらずシャキシャキとしていましたが、「本当に年を取るって大変なの。動きが緩慢になっているから、外出するとなると準備に何時間もかかる。今日もズボンを取りに寝室に行ったら、何を取りに行ったか忘れてしまって、また、元のダイニングテーブルまで戻ったの」と言います。さらに「ボケるのが一番怖い。こういう風に忘れることが多くなると、ボケが心配で…」。

「お母さん、大丈夫。何を取りに行ったか忘れるなんて、私でもあるから。物を取りに行ったこと自体を忘れると大変なんだけど、お母さんはまだ何かを取りに行ったということは覚えているから大丈夫だよ」

「そう」

「もっと分かりやすい例で言うと、お昼ご飯に何を食べたか忘れることはよくあることで、お昼ご飯を食べたこと自体を忘れると問題らしい」

「なら、大丈夫だ。食べたことは覚えているから」

 最近、会う度に「ボケるのが怖い」と言います。母のお友達が70代のときは問題なかったのに、80代になってから徐々に電話での話がかみ合わなくなったことを、母はとても悲しく思っているのです。昨日もしきりにその話をしていましたので、友人たちがだんだん衰えていくのが堪えているのだと思います。

 母は父の好きなあんパンやビール、缶コーヒー、果物をお供えしていました。私も近所の和菓子店で買った、最中や落雁をお供えしました。そしてお供えした和菓子を皆でいただきました。

 皆でお参りに行ったので、父も喜んでいたと思います。父が亡くなって、24日でちょうど13年になります。

2026年3月20日金曜日

娘@メルボルンからの報告_親ガチャ一等賞

  オーストラリアに留学する娘には一ヶ月に一、二度絵はがきを送っています。そのほか、折々に娘の好きなお菓子を詰めたパッケージも送ります。昨日、娘から「ママ、届いたよ!」と弾んだ声で連絡がありました。

 今回はひな祭りのチョコレート、娘の大好きな「じゃがりこ」、そしてグミ数種類(娘によると日本のグミは最高らしい)、クッキー、そしてバター醤油味のポップコーンを詰めました。ひな祭りのチョコレート以外は二百円未満で、全部合わせても送料のほうが高いのですが(こういう軽い物でも二千円ぐらい)、娘が喜ぶのでせっせと送っています。

 娘が言います。「ほら、最近、親は選べないという言葉が使われるでしょう?」「親ガチャね」。「それ、ネガティブな意味で使われることが多いと思うんだけど、私、本当にラッキーだったと思う。親ガチャ一等賞、大当たりだった!」

 目頭が熱くなりました。私は博士課程の指導教員との関係や超優秀な研究者がそろう研究所で辛い思いをしましたので、家族にはこうして私という存在を認めてもらっていると感じられることが何より嬉しい。人はどこかに居場所を求めているものだと思いますが、私はがん治療後社会復帰をしようと何年間も努力をしても社会に居場所がなかったので、こうした家族や友人たちの思いやりのある言葉が胸にしみるのです。

 娘はそのパッケージを友人たちに見せたと言います。「じゃがりこは知っている人もいて、少しわけてあげたら、喜んでいたよ。でも、私が食べたいから、1人1本しかあげなかったけど」とのこと。

 私こそ、娘も息子も大当たりでした。ありがたいなぁとしみじみ思ったのでした。

 

 

2026年3月19日木曜日

娘@メルボルンからの報告_娘の成長

  メルボルン大学に通う娘とのフェイスタイムでの会話は、私にとって癒やしのひととき。この2月から3年生になった娘は(オーストラリアの大学は2月が新学期)着実に成長しており、頼もしい限りです。

 最近、娘は動物について興味を持っているようです。大学の講義で、人間と動物の共生の難しさについて学んでおり、娘は将来動物を救うような仕事をしたいと考えているようです。海に捨てられたプラスチック製品で身動き出来なくなったカメの写真などを私に見せながら、「こういうメッセージ性のある画像はデザイナーが作っているの。私もこういう仕事がしたい」と娘は語ります。

 そして、最近読んでいるという動物に関する厚い本を私に見せてくれ、「この本に共感するところがたくさんあって、この著者の名前、どこかで見たことあるなぁと思っていたら、何と去年書いたレポートで引用した論文の著者がこの人だったの!」と興奮気味に語ってくれました。

 娘自慢になりますが、娘はとても聡明な子に育ってくれました。今21歳ですが、自分の考えをしっかり持っており、私が娘の年齢だったときより、ずっと思慮深い。海外の大学にいても、心配がありません。

 今、我が家では勉強嫌いな息子について心配が尽きないのですが、娘の心配がなく本当に助かります。今月末、娘の様子を見にメルボルンに行きます。とても楽しみです。

2026年3月17日火曜日

息子が友人の別荘へ

  中2の息子が、バスケ部のお友達の別荘に招待され、2泊3日で軽井沢に行きました。先ほど帰宅した息子は「すごい立派でビックリした」といろいろ話してくれました。

 今回招待されたのは息子と1年生2人。そのお友達は他の部員も招待していたようですが、今回参加できたのは3人でした。息子いわく「12人泊まれる家なんだよね」とのこと。まぁ、すごいお金持ちもいるものです。

 息子はお友達と東京駅で待ち合わせをして、新幹線で軽井沢へ。車で現地に行っていたパパさんが迎えに来てくれたようです。息子によると、その別荘の管理人が住む棟があり、部屋の掃除も全部その管理人さんがしてくれるのだそう。

 翌日は軽井沢プリンスホテル併設のスキー場でスキーを楽しみ、夜はボーリングに行ったそう。スキー場のリフト券とレンタルスキー代1万5千円はカードで払い、プラス現金2万円を持たせ、パスに1万円をチャージし持たせましたが、ほとんど使って帰ってきました。お金持ちのお友達がいると大変だ、と私立の中高一貫校に子どもを通わせる何人ものママ友に聞いてきましたが、本当にそうだと今回実感しました。

 息子いわく、「何でも高いんだよ。でも、そういうことを気にしないでお金を使うんだよね。歩いて行けるような場所でもタクシー使うし、ランチや夕食もすごい高いところを選ぶんだ」。息子の友人はクレジットカードを持っていて何でも買えるそうです。いやぁ、住む世界が違いますね。

 ちなみにそのお友達のご両親はお医者さんだそうです。なんだか、そういう金銭感覚のお友達を持つとなかなかに大変だなぁと思いました。

 息子が軽井沢に行っている間、夫は息子の成績が悪いとキレまくっていました。あんなに成績が悪いのに、なんでご褒美のような旅行をさせるのかーと。確かに…。でも、お友達から誘われるって、それはそれで大切なことなんですよね。 

 今回は親子で社会勉強をさせてもらいました。でも、ああいう世界に慣れてもらっても困るなぁと思ったのでした。