2026年5月7日木曜日

愚痴

  私は46歳のとき、帝王切開で息子を産みました。ありがたいことに息子はすくすくと成長しました。が、今学期、成績「1」がついたら学校を放り出されるかどうかの瀬戸際にいます。

 2年生のときに「1」がついた数学については、個別塾に通わせています。同じく「1」がついた国語については、私が横について漢字練習をさせたり、一緒に教科書を読んだりしています。

 私は社会活動として、息子の学校のPTA活動に参加し、地元の絵本読み聞かせサークルで活動、そのほか、がんのお母さんたちの集いの場を月1回主催しています。

 PTA活動は、ぐんと若いママさんと一緒です。息子の学校とかかわりたいと願って活動をしていますが、若いママさんたちのエネルギーに圧倒されています。

 連日、連絡手段の「Band」というチャットに、30件から40件のメッセージが届きます。情けないことに、フォローするだけで精いっぱいです。「主体的にかかわってください」と言われますが、とても無理。

 夫に、「あのスピードとパワーにはついていけないかも」と愚痴ると、「僕らはもう定年の年齢なんだよ。ついていけなくて当然だよ」と”引退”を勧めます。でも、したくない。引退をすると、学校やママさんたちとのつながりがなくなります。

 でも、もう、つながることを諦めようかな、と思い始めました。研究でも、PTA活動でも、読み聞かせでも、若い人と活動をするのは、楽しいですが、ついていけないことも多い。で、今日、息子に言い渡しました。

「ママ、君を46歳で産んだんだよ。君も生まれたくて生まれてきたわけじゃないーと言いたいかもしれないけど、一応は、生まれてきたことに感謝してほしんだよね。学校を放り出されるようなことは、避けてほしいの」

「うん、分かっているよ」

「ぜんぜん、分かっていない。ママ、君の友人たちのママたちより軽く15歳ぐらい年取っているんだよね。下手したら、20歳ぐらい違うの。で、君の友人たちのママのように、宿題やテスト範囲なんかをこまめに把握するのは、もう、絶対無理」

「うん、分かっているよ」

 宿題などを子どもたちがチェックする「グーグルクラスルーム」は、アクセスするのにパスワードがいるのですが、他のママたちは「子どもたちから無理やり聞きだした」などと嬉しそうに語っていますが、私なんて、息子にもう10回以上は聞いています。毎回、「グーグルクラスルームのパスワード、他のママ知っているんだよ。ママに教えて」と言うと、「ママ、それ、前教えたんだけど…」と呆れられながら、また、教えてもらいます。その繰り返しです。

「もう、『1』は勘弁してほしい。ママもダディも年だから、君に新しい学校を探す体力・気力はないから」

「うん、分かっている」

 身長178㌢の中3の息子の横に座って、漢字の練習をさせるのはなかなかに辛い。「今が頑張りどき」と思いつつ、「息子が小学校のときに、もっと何とかすればよかった」と大反省してしまいますし、そもそも私は子どもに勉強を教えるのがうまくない。

 息子よ、君を大事に育てたつもりだけど、勉強をみるのは、もうできない。少しずつでもいいから、何とか、自力でやってほしい。よろしく。


 

2026年5月5日火曜日

こいのぼり

 軽井沢に来る前に5月人形を飾ろうと思っていたのに、出来ずにこちらに来てしまいました。雛人形はどんなに忙しくても飾っているのですが、やっぱり男子はつい「まぁ、いいか」と手を抜いてしまうんですよね。

 すると、昨日夫が玄関の前にこいのぼりを飾ってくれました。これは息子が赤ちゃんのころに、こちらのスーパーかどこかで買ったもの。押し入れの中に仕舞っていたのを覚えていたのですね。

 こいのぼりをバックに、3人で記念撮影をしました。中3の息子の身長は178㌢で、私の身長をはるかに超えてしまいました。いつか、娘の身長(183㌢)を超す日が来るかもしれません。いや、超さないかも…。

2026年5月4日月曜日

幸せなひととき

  5月2日午後、軽井沢に来ました。夫はひと足先に車で来ていましたので、私と息子が新幹線で向かいました。

 ゴールデンウイークとあって、東京駅は多くの人でごった返していました。乗車券を買うのも長蛇の列でしたが、幸運なことに自由席に座ることができました。

 新幹線の中での昼食は、私は冷蔵庫の残り物を詰めたお弁当でしたが、息子は毎回楽しみにしている「駅弁」。この日は、いろいろ迷って牛丼を選びました。

 昨日は夫と息子が薪割りをし、私は家の片付け。子どもたちが使ったおもちゃや着た洋服を置いてある屋根裏部屋で、幸せな時間を過ごしました。

 屋根裏部屋にいると、子どもたちが小さなころのことを思い出します。これを使って娘とお買い物ごっこしたなぁ、息子は寝る前にこの小さなフィギュアで戦闘ごっこしていたなぁ、とか。袋の中に入れてあった、義母から娘へのプレゼントだったお人形を取り出し、洋服を着替えさせ、セーターが汚れていたので手洗いをして外に干しました。


屋根裏部屋の「ドールハウス」。右のお人形は義母から娘へのプレゼント

 パズルや絵本を飾ってある小部屋には、娘が作った「Candy Machine」を置きました。この工作を置いたのは、娘が幼稚園児のころ、お絵かきや粘土遊びをしたテーブルです。

 買ったときは4、5千円だっと思いますが、昨年、塗り替えなどで修理に出したら、何と2万円。でも、その価値はあります。こうして、子どもたちが使ったものが、今まさに使っているかのように息を吹き返すのですから。

 この部屋の前には幅2㍍ほどのスペースがあり、三角屋根の中央部分幅50㌢の部分だけ、夫が立つことができます。私はその左右20㌢ぐらいまで立つことができるのですが、傾斜部分はかがんで移動します。

 ですので、屋根裏部屋で過ごすのは私だけ。子どもの物は何もかも捨てられない私のために、屋根裏部屋のリフォームをしてくれた夫に感謝です。

 息子がトイレトレーニングを終えときに残った数枚のおむつ。これも取ってあり、息子に見せると、「ママぁ、おもちゃを取っておいてくれるのは有り難いけど、さすがにこれは…」と苦笑していました。そうだよねえ。でもね、あれも、これも、愛おしくて、捨てられないのよね。



 

2026年5月3日日曜日

今週の1冊_無人島のふたり

  自分で闘病記は書きましたが、他の方の闘病記は読むと辛くなるので読まないことにしています。ですが、先日、尊敬するがんのママさんがフェイスブックで紹介していたので、図書館で借りて読んでみました。

 作家・山本文緒さんの「無人島のふたりー120日以上生きなくちゃ日記」です。山本さんは2021年、膵臓がんのため58歳で亡くなりました。この本では診断1ヶ月後から、亡くなる9日前までの約4ヶ月間の日々をつづっています。

 日記は山本さんの夫が東京のワンルームマンションを引き払うシーンから始まります。山本さんは軽井沢に住んでいて、仕事のときなど東京のマンションを使っていました。「できることなら自分で全部後始末したかったのだが…」と、体調が悪く、ままならない残念な気持ちを正直に書いています。

 日記の中には抗がん剤治療の後に髪が抜けるシーンも描かれています。バサバサと抜けるのでいっそ、と自分で引っ張って抜くのですが、人間の髪は想像しているより多く、全部は抜けない。そうしているうちに、疲れ切ってしまう。あぁ、分かるなぁと、私の経験と重なりました。

 山本さんは余命宣告を受けますが、「もう一度、自分の本が出版されるのが見たい」と力を振り絞って、短編集を作ります。一方で、軽自動車や鞄など、自分が楽しんできたものを手放していきます。でも、本来なら好きなものを買って、好きなことをして過ごしてもいいはずなのに、セールになったパジャマを買ったり、税理士に送る領収書を準備したり、ということをしてしまう自分に苦笑します。それが、読んでいる側には切ない。

 そして、体力が落ちつつある中、医師に「会いたい人に会い、やり残したことをした方がいい」と助言されます。山本さんはそれに対し、「ティーバッグのお茶が普通においしければいい」とつづり、一方で、「別れの言葉って、言っても言っても言い足りない」とも書きます。

 読んでいて辛くなるのですが、読後は重い感情は残りませんでした。山本さんの文章のうまさだと思います。本は「明日また書けましたら、明日」という一文で締められています。なんと、軽やかな終わり方。

 

 

2026年5月2日土曜日

食の探究

  冷蔵庫を開けると、奇妙な形の物体が入っていました。濃いピンク色でところどころに突起があります。


「これ、なあに?気持ち悪いんだけど、、、」

「あっ、それ、ドラゴンフルーツ。ダディに買ってもらった」

「そうなんだ。でも、見ているとなんだかザワザワするから、早く食べてくれる?」

「分かった。もう少ししたら、スムージー作るよ」

 こうして邪険にしてしまったドラゴンフルーツ。息子の手によりスムージーとして生まれ変わると、これが美味しいのなんの。

 濃いピンク色も鮮やかで、見た目も爽やか。息子によると、フローズンマンゴーとキウイを入れたそうで、スムージーの決め手となる酸味もバッチリ👌でした。

 飽くなき食への探究心。いいぞ、息子!

2026年5月1日金曜日

辞令交付式

  今日から、東大での勤務が始まりました。5月1日に勤務をスタートする研究員への辞令交付式があり、61歳の私にもこうして正式に辞令をいただけるのだなぁと胸がいっぱいになりました。

 私の記憶に鮮明に残っている辞令交付式は、新聞社に入社した20代のときのものです。地方勤務を希望していた私は、初任地として「室蘭報道部」を命ぜられ、期待に胸を膨らませ記者生活をスタートさせました。あのときの高揚感とは少し違いますが、静かな喜びに浸ったひとときでした。

 こういう形式的なものを嫌う人もいるかもしれませんが、私にとっては感謝しかありません。50代後半の医療者でもない私に医学系研究科博士課程で学ぶ機会を与えてくれ、還暦を過ぎて博士論文を提出した人間を評価し、博士号を授与し、こうして1年間の期限付きではありますが研究者としての機会を与えれてくれた東大に、心から感謝をしたい。そして、私をずっと支えてくれた家族や友人たちにも、心からありがとうを言いたい。

 仕事を終え帰宅したら、キッチンに真っ赤なバラが置いてありました。ひと足先に軽井沢に向かった夫からでした。カードにはこう記してありました。

 「博士号の取得と研究員としての仕事の開始、心からおめでとう。

 博士課程で何年間も苦しみながらも、辞めずに、たゆまぬ努力で目標を達成した君を

 心から誇りに思う。そして、家族全員が君が成し遂げたことを誇りに思っているよ」

 ありがたいなぁとしみじみとした気持ちになりました。

 これからも、家族を大切にし、そして仕事も一生懸命頑張ります!

2026年4月30日木曜日

ボタン付け

  中2の息子が、リビングにあるソーイングセットを開けて、針に黒い糸を通し始めました。ポロシャツのボタンが取れたので、縫うと言います。


「ママがやってあげようか?」

「大丈夫。自分で出来るから」

 あら、残念。息子は本当に手がかからないんです。先日も、トレーナーの上下を洗ったら、ズボンのほころびを縫ってあるのを発見。「自分で縫ったんだ、やるじゃない」と思う半面、「ママ、縫ってくれる?」なんて頼まれたら、喜んでやってあげるのになぁとも思ってしまいました。

 息子は小学校のころから縫い物が得意でした。4年生のときには学校代表で、タオル掛けを区の展示会に出品したほど。料理もお菓子作りも出来ますので、”家庭科男子”ですね。

 勉強が嫌いな”困ったちゃん”の一面もありますが、生活面での自立は早そうです。でも、なんとなく寂しいものですね。