昨日は大学に学位記を受け取りに行きました。4月末に事務担当から博士号授与の連絡がメールで来て、その後に「事務室まで取りに来てください。学生証と引き換えにお渡しします」との連絡。5月1日から特任研究員としての仕事が始まり、慌ただしくしており、受け取りが昨日になりました。
博士課程の4年間は途中で指導教員が代わる、自分の専門ではない指導教員の下で研究を進めるなど苦労も多く、あまりの理不尽さにトイレに駆け込み泣いたことも数知れず(アラ還でも涙をこらえれないこともある)。一度始めたことはよほどのことがないと辞めてはいけないと思い込む昭和な気質と、困難が降りかかるほどにパワーが湧き出るという厄介な性分から、学位取得まで粘りました。
そんなことを思い出しながら、仕事を終えた後に医学系研究科の事務室に行き、学生証を渡して、学位記を受け取りました。内容を確認し、受け取りのサインを台帳にしました。そこには何人もの名前と受け取り日が記されており、5月に取りに来た人もいれば、私のように6月になっている人もいる。代理人が取りに来た人もいました。
博士号取得は皆が一斉に卒業する大学のような晴れがましいことではなく、連続する日常の延長、そして紆余曲折・悪戦苦闘の末の穏やかな一区切りなんだな、と改めて思いました。この学位記を受け取りに来た人の大半の心情は”安堵”だったのでは、と想像しました。
私の職場では教育学研究科で学位を取得した人もいて、その人は研究科長から学位記を渡されたそうです。ローブを着用して、写真を撮ったとか。彼女は修了式などという大がかりなものではなく、それほど簡易なものなんだ、というエピソードとして語ってくれたのですが、少なくとも私にはそのような喜ばしい一コマもありませんでした。
でも、学位記を渡してくれた事務担当の人がアクリル板で仕切られた窓口の向こうから「おめでとうございます」と深々と礼をしてくれことが、嬉しかった。
学位記をもらった後は、それを持って研究科の建物の前で自撮り。そして、まぁ、記念に安田講堂前で撮ろうか、とテクテク歩きました。私が左手に学位記を抱えて、右手にスマホを持っての自撮りに難儀していると、男子学生が「撮りましょうか?」と声をかけてくれました。「ありがとうございます!お願いします!」とスマホを渡しました。
数枚、パチパチと撮してくれた学生がスマホをこちらに手渡しながら、ニコニコして「おめでとうございます!」とお祝いの言葉を言ってくれました。心がほんわかと温かくなりました。
学位記をエコバッグに入れて自宅に戻った後は、いつものように夕ご飯づくりです。前日まで姪っ子と友人が泊まっており世話に忙しかったので、昨夜は冷蔵庫の残り物を使ってのご飯で、中3の無口な息子と夫と3人の静かな夕食でした。そして、片付けをした後は疲れて寝ました。
さて、今朝起きて、エコバッグに入れたまま、椅子に置いてある学位記をどうしたものかーと考えました。このまま仕舞うのもなぁ。そうだ、娘が夏、留学先から帰ってくるから記念写真を撮ろうと思いつきました。これまでは子どもの入学、卒業に合わせて記念写真を撮ってきました。でも、今回はママが真ん中に座って、子どもたちと夫が私を囲むポーズ。そんなことを想像すると、嬉しくなり、一人にんまりとしたのでした。