2026年8月1日土曜日

がんのママの集いで

  今日、私が主宰するがんのママさんとAYA世代女性の集いがありました。5人のママさんと3人のお子さんたちが参加し、賑やかな会となりました。

 乳がん4人、胃がん1人が参加してくれました。このうち3人が、がんのあった臓器・部位を全摘出されていました。  

 今日の話題の一つは、がんになる前の自分に戻れないことによる気持ちの落ち込みをどう切り替えていくかーでした。

 手術や抗がん剤治療後、以前のように働けない、眠れない、動けない、食べられないー。症状は徐々に改善しても、体調は元には戻らず、外見も変わります。さらに、再発への不安も抱えながら生きていくことは、決して簡単なことではありません。

 あるママさんは、精神科医のカウンセリングを受けながら、「かつての自分に戻りたい、でも戻れない」と落ち込むたびに自分を客観視する方法を実践していました。

 別のママさんは、ある会合で教えてもらった気持ちを切り替えるための”名言”を心に留め、折に触れてそれを自分に言い聞かせているそうです。

 また、「失った臓器は戻らないし、外見も変わり、前のように出来ずに気持ちは落ち込んだ」と振り返りながらも、「”New"な自分を受け入れることで前向きに生きられるようになった」と話してくれるママさんもいました。

 今回の参加者で一番若い30代の女性は、「自分の中で、がんになったことを”格下げ”しているんです」と話してくれました。
「がんにならなくても、『あのときああすれば良かった』と後悔する自分がいたかもしれない」と考えることで、「失ったものはあるけど、その”新しい自分”として生きていく」覚悟を決めたと言います。

 かつての自分に戻ることができないー。

 このことについては私もずいぶん苦しみました。仕事=経済的自立=という、自分のアイデンティティの核だっただったものを手放さなければならかったことを長く引きずり、10年ほど続いた病気に次ぐ病気という悪循環で日常生活もままならない中で、この”喪失”に苦しみました。
 
 腫瘍精神科医のカウンセリングも受け、「生きていることに感謝すること」の大切さを説かれました。8回のカウンセリングを終えましたが、「先生は私の苦しみも悲しみも全く理解していない。だから、私はまた自力で元気になるしかない」と言い切り、目をぬらしながら診察室を出ました。頼ったはずの医師を突っぱねるほど、当時の私は、自分に折り合いをつけられずにいました。
 
「キャンサーギフト」という美しい言葉も折々にがん患者から聞きますが、本当にそうなのでしょうか? 将来への夢や希望が持てるAYA世代、働き盛り、そして、子育て真っ最中の世代ががんになり、「がんになって良かった」と前向きに受け止め、前進し続けることが出来るものなのでしょうか?

 そんな問いに対する答えを、30代の女性がきっぱりと言い切ってくれました。「がんになったことは良かったとは思わないけど、気づけたことはあった」。

 この言葉に、彼女より年上の私たちは深くうなずきました。おそらく、これが本当のところなのではないでしょうか。

 一度は死を覚悟しながらも、こうして生きていることに感謝をしている。でも、ときどき、かつての自分を思い出しては落ち込む。そして、そのたびに、自分を鼓舞したり、なだめたりしながら、何とか気持ちを切り替える。

 皆、こんな風に生きている。それを実感した一日でした。

 

2026年7月29日水曜日

秋色のバッグ

 娘は人との関わりがあまり得意ではなく、混雑した場所も苦手です。そのため、オーストラリアで1人で過ごす時間は、部屋でずっと編み物をしているそうです。

今回、ウールのバッグをお土産として持ってきてくれました。さらに、日本に滞在している間には、コットンのバッグと、鍋敷きを編んでくれました。コットンのバッグは赤を基調に、茶色とベージュをアクセントにした、秋の色合いで編んでくれました。ショールダーも肩にすっぽりとはまり、体に馴染んで良い感じです。

夏が終わり、長袖を着る季節にこのバッグを持って出かけるのが楽しみです。

娘が編んでくれたバッグ


鍋敷き(左)とコースター



2026年7月28日火曜日

娘がオーストラリアへ

  昨日、娘がオーストラリアに戻りました。日曜日夜の便の予定でしたが、機体整備のため出発が翌朝に変更になりました。当初は空港まで送る予定でしたが、夫も私も仕事がありましたので、羽田空港行きのバス乗り場まで見送りました。

羽田空港行きのバス停でハグ

  羽田空港では、同じく帰国中の親友レイちゃんが見送ってくれたそう。レイちゃんは今回、10日間ほど我が家に滞在しました。娘とディズニーランドやディズニーシー、カラオケ、買い物などに行き、娘はそれは楽しそうで、私たちも嬉しかった。

 娘はシドニー経由でメルボルンに向かう予定で、シドニーではホテルに一泊することになっていました。しかし、シドニー空港に着いたのは午後11時に近く。宿泊先を手配してくれるはずのカンタス航空の職員が見つからないと連絡があり、私たちも慌てました。

 娘は現地で携帯電話のSIMカードを入れ替えたため、何度電話をかけてもつながりません。私はネットでシドニー空港近くのホテルを探して、あとはカード番号を入力するだけの状態にして娘からの連絡を待ちました。気が気ではありませんでした。

 ようやく娘からフェイスタイムで連絡がありました。ホテルを手配してもらったこと、空港からホテルまでの送迎バスは終了していたため、タクシーでホテルに向かうことになったとのことでした。ほっとしました。

ホテルに着いたのは午前0時近くでしたが、「綺麗な部屋だよ!明日は午前4時に出なきゃならないから、4時間しかいられないけど」と、疲れた表情を見せながらも、元気そうに話してくれました。

 娘が初めて海外に行ったのは高校2年生のとき。イギリスへの夏期留学でした。フィンランド空港経由で行きましたが、カードを持たせていなかったため(当時の日本は現金があれば何とかなるという認識でした)、喉が渇いてもキャッシュレス決済のみ店では飲み物すら買えず、かわいそうな思いをさせてしまいました。留学先では、現地でできた友人にカードで立て替えてもらい、その場で現金を渡すことで何とか乗り切ったそうです。

 あれから娘は何度も一人でオーストラリアを往復しています。英語も出来ますので、大抵のトラブルには自分で対応できるようになりました。

 私も若い頃、留学先のアメリカから帰国するとき、飛行機の遅延で乗り継ぎ地に一泊せざるを得なくなったことがあります。ホテル代を払えるほどの現金も持っておらず、途方に暮れて航空会社のカウンターの前で、思わず涙がこぼれました。すると、周りにいたアメリカ人の方々が何人も駆け寄り、「このお嬢さんが可愛そうだ。ホテルを用意してあげて」と職員に訴えてくれたのです。おかげでホテルを手配してもらい、本当に助かりました。

 異国の地でトラブルに遭遇し、何とか対処していくのも、後に振り帰れば良い経験です。今回の出来事で、娘はまた少したくましくなったのではないでしょうか。

 とは言うものの、親としてはついつい「備えあれば憂いなし」の対応を子どもにしてしまうもの。今回ニュージーランドに短期留学した中3の息子には、念のため2枚のデビッドカードを持たせました。14歳なのでクレジットカードは作れませんが、1枚はMastercard、もう1枚はVisacard対応の店で使えるカードです。案の定、1枚は使えず、もう1枚が役に立ちました。まぁ、まだ中学生ですから、これくらいの備えは親がするべきでしょう。

 さて、娘から先ほど連絡があり、無事、メルボルン行きの便に乗ったそうです。朝4時に起きて、ホテルの送迎バスで空港に向かったとのこと。娘は成長がゆっくりで、すいぶん心配もしてきたので、今でも「ちゃんと起きられるかな」と思ってしまいます。でも、もう大丈夫ですね。

2026年7月26日日曜日

娘を連れてニセコへ

  23日(木)から2泊3日で、帰国中の娘と夫と一緒に北海道・ニセコ町へ行ってきました。

 札幌生まれ札幌育ちの私にとって、ニセコは冬はスキー、夏はラフティングを友人たちと楽しんだ思い出の場所です。2001年に北海道を離れてから長い間行っていませんでしたが、3年前に息子をスキーに連れて行って以来、翌年は夫と息子とスキーに、そして昨年は夏のニセコを満喫し、すっかり家族のお気に入りの場所になりました。今回は、初めて娘を連れて行きました。

 「ニセコは外国人の街になってしまった」と嘆く人も多いですが、夫にとってはどこに行っても英語が通じ、かつ、レストランのメニューも英語なので快適そうです。

 初日は「ツリートレッキング」に挑戦しました。森の中で木と木との間に張り巡らされた吊り橋やジップライン、ロープの網などを3時間かけて巡るアクティビティです。初級・中級・上級の3段階あり、上級にはバンジージャンプもあります。

ツリートレッキングでジップラインに挑戦する私

 そのバンジージャンプは命綱をつけて、地上8㍍の高さから飛び降ります。足がすくみましたが、思い切って飛びました!

バンジージャンプに挑戦する娘

 翌日は尻別川でラフティングです。こちらも2時間ほどかけて川を下る途中、4㍍ほどの崖から川へ飛び込む場面もあり、これも、怖かった。午後はのんびりと18ホールのパークゴルフを楽しみました。

のんびりとパークゴルフも

 最終日はゴンドラに乗って山を上がり、美しい羊蹄山を眺めながら、爽やかな空気を満喫しました。帰りは支笏湖に寄り、新千歳空港へ。当初は21時10分発の便でしたが、雷の影響で大幅な遅れが予想されたため、18時半発に変更してもらい、無事羽田空港に着いたのでした。

ゴンドラからの眺めも綺麗でした

娘がヴィーガンなので、食事を心配していましたが、なんと、レストランにはヴィーガンメニューがあり、コンビニエンスストアにもカップヌードルが売られており、思ったほど困りませんでした。外国人が多いニセコならではなのでしょうね。

娘が注文したヴィーガン用の担々麺

 やっぱりニセコは冬も夏も楽しい。冬は息子と一緒にニセコ・ヒラフスキー場のてっぺんからスキーでがんがん滑りたいし、夏も子どもたちとラフティングやツリートレッキングを楽しみたい。そのために体を鍛えよう!と、改めて心に誓ったのでした。

 

2026年7月20日月曜日

息子がニュージーランドへ

  今日、中3の息子がニュージーランドに旅立ちました。2週間の日程で、オークランドに短期留学します。

 息子の通う中高一貫校では、積極的に海外への短期留学を勧めており、アメリカ、カナダ、マレーシアなど夏休み・春休み・冬休みを利用した2、3週間のプログラムが用意されています。息子が選んだのはニュージーランド。息子いわく、「のんびりしていて、景色が綺麗そうだから」だそう。

 息子は同じクラスの男子と一緒にホームステイをします。午前中は学校に行き、午後はオークランド大学を訪れたり、スポーツをしたり、など様々なプログラムが準備されています。

 夫と一緒に成田空港まで送りました。「いってらっしゃい」と送り出した後、出国手続きをする息子は一度もこちらを振り返りませんでした。私がアメリカの大学に留学したときも、一度も両親のほうを振り帰らなかったと後から母から聞かされましたが、そんなものです。子どもや若者の目には、前に広がる明るい未来しか映っていませんので。

 今回の短期留学に参加したのは7人。中学校3年生が4人と2年生3人。他の3年生のママさんも「全くこっちを振り帰らなかった」と苦笑していました。ママさんの一人がご自身が中学生のころ短期留学をした経験があるそうで、「ホストファミリーによって、食事が違うの。私は持たされたランチが毎日同じで薄いサンドウイッチとチートス(スナック菓子)と生のニンジン。ニンジンはトラウマになった」と笑いながら話してくれました。

 息子を送り出した後夫にその話をすると、「それ、僕が母親に持たされたランチと同じだよ。アメリカ人は君のように手の込んだお弁当は作らないんだよ」とのこと。さて、息子はどんなランチを持たしてくれるのでしょうか?洗濯は自分でするのかな? どんな経験も、息子を成長させてくれるでしょう。

 ニュージーランドには夫の家族も私の家族も誰も足を踏み入れたことがなく、息子が両方の家族にとって初めてです。2週間、沢山の経験をしてきてほしいです。



2026年7月17日金曜日

アップルパイ

  娘は私が作るアップルパイが大好きで、11月の誕生日には毎年、市販のケーキではなく私のアップルパイをリクエストしてくれました。

 ところが、ヴィーガンになった今はバターや卵を食べられないため、これまでのレシピでは作れません。

 そこで、アップルパイを何としても食べたい娘は、卵なしのパイ生地と、リンゴの煮込みと混ぜるスポンジケーキを卵の代わりにひよこ豆の汁を使って作り、準備をしてくれました。

 昨夜は私がリンゴを煮込みました。その煮込みに娘が焼いた卵なしのスポンジケーキをちぎって入れ、粗く刻んだクルミを入れました。リンゴの煮込みだけだと物足りないのですが、スポンジケーキを入れると煮汁が染みこんでちょうど良い甘さになり、美味しいのです。

 そして、娘が作ったパイ生地の上に載せ、ブラウンシュガーと小麦粉を豆乳バターと混ぜたトッピングをまぶして、焼きました。

 リンゴはアップルパイに最適な紅玉ではないので、酸味が効いたシャープな味にはなりませんでしたが、そこそこの出来でした。何より、娘が喜んでくれて、嬉しかったです。



 それにしても、ひよこ豆の汁で作ったスポンジケーキ。味は、やっぱり少し違うのですよね。後味が独特なのです。以前、ヴィーガン向けのパン屋さんで枝豆で作った餡を挟んだパンを見かけ、「こういう工夫をするんだ」と驚きましたが、それと同じことですね。

 娘が大好きなアップルパイを諦めず、知恵を絞ってくれたことは、胸にじんときました。私も工夫をして、娘の好きな食べものを作ろうと改めて思った日でした。

 

 

2026年7月14日火曜日

お弁当5つ

  昨日は息子の学校の運動会でした。我が家に泊まりに来ている、娘の親友レイちゃんも一緒に応援に行きました。

 中高6学年24クラスが青、黄、緑、紫の4つのグループに分かれて、競いました。息子のクラスは紫団。事前にママさんたちと一緒に作った「必勝」「紫団」などの文字を付けた横断幕を応援席の前に掲げ、紫色のポンポンを手に持って応援しました。

 息子の学校の運動会は、絨毯に生徒一人が乗り、その絨毯を4人の生徒が引っ張ってポールを何回か回って速さを競ったり、部活動対抗のリレーを行ったり、とユニーク。部活動対抗リレーは調理部の生徒がフライパンを、軽音楽部の生徒がギターを持って走ったりする「エンジョイ部門」、バレー部や公式テニス部など運動部の選手が競う「本気部門」に分かれています。息子はバスケ部代表として走りました。やはり、陸上部は面目躍如。断トツの走りを見せてくれました。

 一番盛り上がるのが「全員リレー」です。4グループが競います。4グループは学年がバラけており、人数が足りないグループでは2度走る生徒もいます。走る順番は各グループが決めますので、男女が一緒に走る場面も多い。保護者の応援にも熱が入り、「青団、頑張れ!」「行け行け!紫!」など、歓声が場内に響きます。

 娘もレイちゃんも日本の学校のダイナミックな運動会を観戦したのは初めて。二人ともインターナショナルスクール育ちで、各学年が数十人という規模でしたので、運動会は競うというより、各競技を楽しむという感じでした。ですので、息子の学校の生徒が真剣に、でも楽しみながら、競っている姿を見て、感動したようでした。

 お昼は5人分のお弁当を作りました。3合炊きの炊飯器で2回ご飯を炊き、好みのおにぎりの具も違うので、鮭、ヒジキ、梅、ゆかりの4種類を用意。おかずの量も多く、私一人では手が回らないので、夫に鶏の唐揚げを揚げてもらいました。

5人分のお弁当。ご飯は2回炊きました

 息子の中学校最後の運動会。私も母親としてママさんたちと一緒に横断幕を作り、声を張り上げて応援するなど、思い切り楽しむことができました。運動会も残すは高校の3回だけ。そう思うとすでに寂しい気持ちになります。子どもと関われる期間は、本当に短いものですね。