オーストラリアの大学に留学する娘(大学3年生)とのフェイスタイムでの会話は、私にとってとても幸せな時間であるとともに、癒やしの時間でもあります。娘は聞き上手で、私の話を楽しそうに、そして、共感しながら聞いてくれるので、つい、話し過ぎてしまいます。が、先日は娘が最近考えていることをじっくり聞くことができました。
「最近ね、自分がどう生きたいかを深く考えているの」
「そうなんだね。考えはまとまった?」
「うーん、途中かな。でも、2つは固まったの。単語で言うと、Empathy とIntegrity。この2つはたぶん小さいころから自分の性格の中にあって、中学生や高校生のころは、これがあることで周囲との関係がうまくいかなかったり、自分が傷ついたりしたことも多かったの。でも、日本を離れて、違う国の人たちの中に身を置いて、一人でじっくり考えて、やっぱり私はこの2つを大切に生きていきたいということは決まったの」
「Empathyは人の気持ちに共感することだよね。それはあなたのとても良い点で、ママもダディもばあち(私の母)も、あなたと話すことでとても癒やされている」
「うん。これは小さいころからあったんだ。人の気持ちとか苦しさに寄り添うことは自然に出来たと思う。ただ寄り添うだけではなく、上から目線でもなく、相手には相手の人生があることを理解した上で共感することは大切だと思うの」
「とても大切なことだし、あなたはそれが十分出来ていると思うよ。2番目のIntegrity は誠実さ、だよね。これHonesty とは違うの?」
「うん。Honestyは正直であることでしょう。例えば、カップルがいたとして、男性が浮気をする。パートナーが『私に嘘をついたわね』と責める。でも、男性が『嘘はついていない。言わなかっただけだ』と反論する。この男性にとって嘘はついていないというのは真実なんだよね。そういう意味で正直だとも言える。だから、私はHonestyではなくって、Integrity なの。日本語で言うと、、、真っ直ぐに生きる、かな」
「なるほど。それもあなたらしい」
「Integrity。誠実さと信念を持って生きること、自分が何を正しいと思うか自分で考えること、何を正しいと思って何を正しく思っていないかを自分の行動に反映させること。他人に褒められたいとかではなくて、誰が見ていなくても正しいことをすること。でもね、ここに課題があるの」
「課題?」
「うん。自分が正しいと思うことに沿って生きることは大事。でも、自分の考えが絶対正しいわけではなくて、自分が正しいと思わなくても他人がそれは正しい・良いことだと思うことを尊重したい。そこがまだ、自分には出来ていないと思うんだ」
「そうかなぁ、十分出来ていると思うけど」
「でね、3つ目の生き方はHumility。謙虚であること。これが出来ていないの、私。私はねじ曲がった生き方はしていないと思う。高校時代は自分より出来る人、頭が良い人、自分より頑張れる人、自分より行動力がある人に接すると、自分が劣っているという気持ちがあったの。でも、EmpathyとIntegrityが自分の生き方なんだと決めたら、劣っているという気持ちはなくなった。一方でね、信念がない人、人に共感できない人、人に冷たい人を見ると、私はこんな風に人を見下すような生き方はしたくないなと思うの。でもね、そう思うこと自体、謙虚さに欠けていると気付いたの。ねじ曲がった考え方になっていることに気付いたの」
「うーん、そういう謙虚さは、ママみたいに年齢を重ねてもなかなか持てるものではないと思う。ママ、本当に感心する。ママが大学生のころはあなたみたいに深く考えなかったよ」
「えへっ、照れるなぁ。でね、謙虚さについてなんだけど。罪を犯して刑務所にいる人を例にするね。その人を見ると、自分は悪いことをしていないから、刑務所には入らない。自分のほうが、その人より良い生き方をしていると思ってしまうでしょ?それ自体が間違っていると思うの。もし、その人の立場だったら、と考え、見下さないことが大事なの。私はとても恵まれて育った。教育も十分受けている。お金の心配もいらない。もし、私がその人の立場だったら、その人の育った環境で育っていたら、私もその人と同じくらいに間違ったことをしてしまう人間かもしれない、と思うことが大切だと思うの」
「そのことに気付いたこと自体が素晴らしいと思うよ」
「自分の長所を認めながら、自分の生き方がより良いと思わないこと。その両立は難しい。でも、その難しいことを、この1、2年で身に付けたいと思っているの」
娘の刑務所の例で思い出したのは、永山則夫元死刑囚のことです。彼は極貧の家庭に生まれ、幼少期に親に捨てられ、十分な教育も受けられず、周囲からの援助も得られず、19歳のときに4人を殺害しました。その後、獄中で本を読み、思索を重ね、1997年に死刑が執行されるまで「無知の涙」など多くの作品を残しました。
もちろん、人を殺したことは許されることではありません。しかし、「自分がもし彼の育った環境で育ったなら」と思いを馳せることの大切さ、その人を見下さないことの大切さに、大学3年の娘が気付いたことを、私は親として誇りに思います。
永山則夫元死刑囚については、私の尊敬する元同僚のジャーナリストが取材し、本にまとめています。
娘との話を終え、元同僚に電話をしてみました。その話はまたの機会に。