2026年9月3日木曜日

ジムでのルーティン

  週に2、3回行くジムでの私のルーティンは、ランニング・マシーン30分プラス腕を鍛えるトレーニング・マシーン3台をそれぞれ40回ずつです。これに加えて腹筋40回、最後に床にマットを敷いてストレッチをして完了です。

 そのランニング・マシーンの使い方は人それぞれ。いきなり走る人もいれば、歩いている人もいる。歩くプラス走るを組み合わせる人もいる。5台しかないので、1人の利用時間は30分と決められています。で、目の前の画面には、消費カロリーが出てきます。

 先日はオープン時間に行く事が出来ず、着いたのは9時20分ごろ。すでにその5台は埋まっていました。ホワイトボードに自分の番号を書きます。そして、トレーニングをして待ちました。真ん中3番のマシーンが空いたので、いつものコースを始めました。

 まずは、傾斜3%・5.5km/時をセット。歩き始めて、何気なく隣の2番のスクリーンを見ると、その人は終わりかけで、なんと、300カロリーも消費している!驚きました。走っていたのは、中年の女性でした。どうやったら、30分で300キロカロリーも消費できるのだろう?

 私の30分の組み合わせはスタート時の傾斜3%・5.5㎞/時。16分で100キロカロリー消費。次は傾斜を0にして(傾斜があると辛くて走れない)速さを8㎞/時に変更。6分走ると、150キロカロリーに。その時点で10㎞/時に変更して、4分で200キロカロリーに。ここが私の限界で、クールダウンをして30分終えます。だから、隣の女性は私より100キロカロリーも消費している!スゴすぎ!

 私の左のマシーンで走っているのはよく見かける中年男性。黙々と走り、黙々とトレーニングマシーンで鍛えている。きっと、自分の体型や体力に思うところがあるんだろうなぁ、と共感します。そういうストイックさ、メッチャいいです。頑張ってください!

 周囲の人に驚いたり、共感したりしながら、私もストイックに、額から汗をポタポタ流して、鍛えていきます。そして、自分に集中するのは気持ちが良いのですが、ちょっぴり辛いのは、ストレッチをするときに壁一面の鏡に映る自分の姿を見るとき。

 正真正銘のおばさんで、背中や腕、お腹周りにでっぷりとついた贅肉。マットレスの上で開脚をして、上半身と腕を前方に押し出すときの、あの、お腹周りの「浮き輪」。悲し過ぎる!

 中年女性を揶揄する、いや、中年女性が自虐的に語るこの「浮き輪」という言葉。ブルブルとした二の腕を表現する「振り袖」…。若いころは他人事でしたが、まさに自分事です。

 そんなことをつらつら考えながら、今日も体を鍛えます。

 

2026年9月1日火曜日

息子が15歳に

    息子が15歳になりました。

 前日、夫と一緒に、近くのモールにアイスクリームケーキを買いに行きました。そこは、息子が小さいころ良く行ったモールです。

 店内には、小さい子どもや赤ちゃんを連れた親御さんがたくさんいて、それは賑やかでした。息子が小さかったころのことを、懐かしく思い出しました。

 「赤ちゃん本舗」という店には、ベビー服を買いに行きましたし、「ボーネルンド」という遊び場では一緒にトランポリンをしたり、ボール遊びをしたり、しました。「サーティワンアイスクリーム」では、息子はいつも「ポッピングシャワー」を食べ、私は「キャラメルリボン」。

 手芸用品店では、息子の体操着袋などの材料も買いました。屋上でも、息子は走り回ったっけ。次々と思い出される息子との時間が懐かしく、そして、あの時間はもう戻らないんだという切ない気持ちになりました。

 そして、こういう気持ちはたくさんのお母さんやお父さんが抱くものなんだろうな、とも思いました。

 さて、息子からの誕生日の食事のリクエストは「マカロニチーズ」でした。ゆでたマカロニにチェダーチーズなどのチーズソースを絡めてオーブンで焼く、アメリカの家庭料理です。それに、骨付きの鶏モモ肉のソテーをつけました。

 夫からのプレゼントはバスケットボールシューズ、娘からはレゴやお菓子。私からは息子が大好きな「デンバー・ナゲッツ」という米国NBAのチームのロゴが付いたバスケットボールとキーホルダー、水着とラッシュガード。私の母と、義父母からは「好きなものを買って」と現金が贈られました。

 夕食、ケーキ、そしてプレゼントを開けるまで、娘もFaceTimeで参加しました。そして、息子が一番喜んでいたのは、娘がプレゼントしたレゴ。深夜まで、もくもくと作っていました。

 やっぱり、お姉ちゃんが一番ですね。



 

 

2026年8月29日土曜日

アサガオ咲いた!

  昨日、やっとアサガオが咲いてくれました。葉ばかり青々として、まったく花が咲かないので、夜間の玄関前ポーチのライトを消したら、3日後に咲きました。

 アサガオは夜の暗い時間を必要とします。昨年も夜間のライトを消したら咲きましたので、今年も同じ理由だったようです。

 咲いたのは一輪だけで、ほかにつぼみも見当たりません。でも、一輪でも咲いたので、良しとしましょう。青色で、とっても綺麗でした。 


2026年8月28日金曜日

科研費申請

  25日に、大学に「科学研究費助成事業(科研費)」を提出しました。科研費は、研究者が自分のしたい研究について研究計画を書き、そのために必要な費用を申請する制度です。専門家による審査を通れば、研究費が支給されます。助成団体は日本学術振興会で、書類は所属する研究機関のチェックを経て、同会に申請します。

 今回私が申請したのは「若手研究」。博士号取得後8年未満の研究者が申請できる助成金で、有り難いことに年齢制限がありません。博士号取得して間もなければ「若手」。いい響きですよね。

 研究計画書には研究の背景や着想に至った経緯、学術的な問い、研究の目的と学術的独自性・創造性、国内外の動向、研究遂行能力と研究環境、人権保護への対応などを書きます。A4用紙7枚です。

 毎夜コツコツと書き、締め切りの前々日にようやく完成しました。そして、締め切りの前日に申請画面のに必要事項を入力して、「次へ」と進もうとすると、どこかでつっかえる。あれこれ確認して、ようやく前に進んだかと思ったら、また、別の所で止まる。で、事務の人に連絡をしてみましたが、そこでも分からず、また、一つ一つ確認しながら進め、結局提出できたのは締め切り当日でした。

 今回は時間に余裕を持って申請しようと心に誓っていて、少なくとも前日に提出を試みたので、何とかなりました。

 私は研究者として雇われていますが、実際の仕事は自分の研究とは違うフィールドの仕事です。仕事は楽しいのですが、せっかく学位を取ったのだから、自分の目指すテーマを研究し続けたい。今回の科研費申請はそのための一歩でした。。

 本当にこういうことは、一つ一つに時間がかかりますが、でも一歩一歩前に進んでいるような気がして、嬉しいです。審査結果の発表は来年2月です。

 取れるといいなぁ。

2026年8月27日木曜日

ジムのお作法

「今年、結婚25周年だよ」。先日、夫にそう言われました。9月の結婚記念日はもちろん忘れませんが、今年25周年だということをすっかり忘れていました。これって、銀婚式? ですよね。

 私たちが結婚式をハワイで挙げたのは2001年9月。その2ヶ月後の11月に、夫が日本に移り住みました。夫はそれから日本、特に、沢山の人がひしめき合う東京でのマナーを少しずつ身に付けました。たとえば、朝、電車を待つマナーです。

 日比谷線の始発駅の中目黒駅では通勤時間の朝、4列の「先発」の電車を待つ人の列があり、その横に「後発」の4列があります。電車が来て、先発の4列の人たちが乗ると、その「後発」の4列がそのまま、列を乱さず「先発」の列にスライドし、数分後に来る次の電車を待ちます。

 日本人の私たちは、この作法を静かに守りますが、たまに、この列を乱すような形で待つような人がいます。きちんと整列していないとか、前の人との距離が妙に広いとか。夫は、こういう人に、とっても怒るのです(実際に、その人に怒るわけではないですが…)。

「狭い日本でお互いにストレスを感じずに暮らしていくには、こういうルールを守らなきゃ駄目なんだ」と。そういう人は外国人であることも多く、おそらく、まだこの独特のルールが分かっていないのだと思います。

 あちこちで見られる、この暗黙のルール。実は私が通うジムにもあります。自分が使った後、トレーニングマシーンを丁寧に拭くことです。先日、たまたま珍しく黒人男性が来ました。「この人どうかな?」とチラリと見ると、ちゃんと自分が使った後、マシーンを拭いていました。それも、受け付けの横にあった除菌スプレーまで持ってきて、振りかけて、備え付けのタオルでしっかりと拭いていました。で、その後来た白人男性。その人も、腹筋をするための台を、使用後ちゃんと拭いていました。

 いやぁ、こういうのって本当に気持ちが良いです。一方、夫が怒ったのは(もちろん、相手に怒ったわけでなく、私に報告してくる)、トレーニングマシーンを占有する日本人でした。夫と私は別々の時間帯に行きますが、お互いにジムでの小さなエピソードを報告し合うのです。

「10回ぐらい使ったら、携帯を長々と見て、また、10回ぐらい使う。そして、また長々と携帯を見ててさ、使いたい人がたくさんいるのに、と思ったよ」

「あっ、その人分かる。比較的若い男の人でしょう?」

「そう。あれ、迷惑だよなぁ」

「実はね、あのマシーンの横に張り紙が貼ってあって、『人気のあるマシーンですので、ご配慮をお願いします』って書いてあるの。たぶん、スタッフも言いづらいのかもね」

 夫も広いアメリカに住んでいたら、こんなことに目くじらは立てなかっただろうな、とちょっとおかしくなったのでした。

 

2026年8月25日火曜日

息子の料理

  今日は仕事の休みの日でしたが、研究費の助成金申請の締め切りのため、朝からパソコンに向かっていました。夏休み中の息子の昼ご飯に、鶏肉のハンバーグとチャーハンを作ろうと考えていたら、息子が「僕、作るよ」と言います。

「ありがとう!じゃあ、お願いね。鶏の挽肉だから、ミートソースでも作る?」

「うん、そうする」

 トマト缶2つ、パスタ、鶏挽肉をキッチンのカウンターに置いて、「楽しみにしてるよ!」と言い、私は助成金申請に戻りました。息子はパントリーから玉ねぎとニンニクを持ってきて、みじん切りを始めました。

 30~40分ほどしてから、「ママ、できたよ!」と息子の声。ダイニングに行くと、ランチョンマットの上に、美味しそうなパスタが置いてありました。冷蔵庫から、私が事前に作っていた野菜サラダを持ってきて、添えます。


「いただきます!」

 パスタ、めっちゃ美味しかったです。数日前に、息子は夕ご飯にバターチキンカレーを作ってくれましたが、これもとっても美味しかった。

息子はやっぱり料理男子です。

2026年8月22日土曜日

プレゼンテーションを終えて

  昨日、職場で研究発表をしました。参加者は東大のダイバーシティ関連の教員・研究員たち約10人。当日、画面共有がうまくいかず、自分のパソコンではメモ付きの画面が見えて、相手側には全画面が見えるという仕組みが使えず残念でしたが、事前にメモをワードに落とし込んでプリントアウトしていたので、乗り切れました。

 私は5月から特任研究員として働いており、今回が博士号取得後の初めての発表でした。発表後に質問を受けて答えるのは苦手なのですが、昨日は普通に答えられました。つくづく思ったのが、国立がん研究センターの研究室で博士課程時代に行った、いくつものプレゼンテーションが役に立ったな、ということ。

 海外を勝負の場とする同センターの研究者たちはそれは優秀で、質問も鋭い。答えられず、「後ほど調べてご連絡します」と答えた場面数知れず。その渦中にいるときは、それは辛かったのですが、乗り越えてみると、自分の糧になっていた。改めてそう思いました。

 私が61歳までの人生で、雇用されて就いた仕事は4つ。最初はサントリー株式会社札幌支店の事務職、次は札幌の英会話学校の講師、次は北海道新聞社の記者職、そして人生最後の職(年齢からして、たぶんそうだと思う)は東大の特任研究員です。

 この道のりを「キャリア」という視点でみると、バラバラです。特に記者職から研究員までの道のりが長く、多難で、大きな方向転換でした。まぁ、よくぞここまでたどり着いたものだ、と思います。

 この茨の道を振り帰ると、要所要所に、病気により社会から離れた私をもう一度社会へ引き戻してくれた人たちがいます。その人たちは、家族や友人のように人生の中での長く付き合ってきた人たちではなく、ピンポイントで現れます。

 たとえば、病気の寛解後、社会復帰のきっかけとなったWebニュースサイト。元テレビ記者と元新聞記者が作ったサイトで、たまたま、元新聞記者の市民講座を受講していた私に声がかかり、サイトのメンバーになりました。ここでの経験は取材・執筆という基本の動作を取り戻すのに大変役に立ちました。

 そして大学院修士課程では、良き指導教員に恵まれ、無事修了。博士課程では、私を受け入れた指導教員が大変なハラスメントをする人でしたが、1年もたたないうちに別の大学へ移りました。今振り返ると、その指導教員は私をこの大学に入れるという役割を担ってくれた人だったように思います。

 そして、その指導教員に代わって私を引き受けた指導教員からは理不尽な扱いを受け、最後は決裂しました。が、彼女が私の人生で担ってくれた役割は、私を博士号取得まで導くことだったと考えています。実際、決裂後に私は無事、博士課程を修了することが出来ました。

 こうした人たちは、私の人生の節目の局面で現れ、ほどなく私の人生から消えていきます。不思議なものだな、と思います。

 皆さんの人生にも、ある局面で現れ、次の場所へとつないでくれた後、いつのまにかいなくなった人はいますでしょうか? もしかしたら、自分が誰かの人生で、その役割を担っているかもしれませんね。そう考えると、人生は面白いですね。

 まぁ、「あの人は嫌な人だったけど」と思い出されるのも何ですが…(笑)。