2026年4月4日土曜日

メルボルンからの報告_5日目(4/2)

 メルボルンでの私の朝は屋上で朝日を眺め、娘の寮のエレベーターホールでサラダを食べながら、ブログを書くことから始まります。私のほうが娘より数時間は前に起きますので、娘の眠りの邪魔にならないように部屋の外に出ます。

寮の屋上デッキから見える朝日

 娘の部屋にある小さな冷蔵庫から生野菜を取り出して、パソコンと携帯電話、水、サラダ用ボウルと箸を持って、エレベーターホールへ。そこに設置されているシンクで野菜を洗い、ボウルに入れて、ドレッシングをかけて、テーブルで食べます。どうして、毎朝食に野菜なのかというと、娘が大の野菜嫌いだからです。

 東京にいるときは子どもたちの健康を考えて、生野菜を毎日食事に付けます。が、親元を離れると、生野菜は絶対食べないそう。生で食べるのはトマトのみ、調理して食べるのはスープに入れるタマネギやジャガイモ、ズッキーニなどだそう。最近は肉も食べなくなったので、栄養が採れているか心配なのですが、娘曰く「いたって健康。野菜はトマトから採っているし、果物とヨーグルトは毎朝食べているし、タンパク質は大好きな豆腐とお豆を料理して食べているから十分。前は食べられなかったキノコも最近食べられるようになった。お肉を食べないことで採れないビタミンB12はサプリメントを毎日飲んでいるので大丈夫」とのこと。

 栄養は食事からーという考えの私としては娘には野菜もしっかり食べてほしいのですが、本人が嫌というのですから、どうにも出来ません。でも、私自身は野菜が好きですので、娘がまだ寝ている朝に食べるのです。

 メルボルン5日目の朝も生野菜を食べてブログを書き終わって部屋に戻ると、娘がちょうど起きました。前夜、課題のレポートを提出したそうです。

 「昨日で今学期前半の講義は終わったし、明日からのイースター休暇の前に提出できて良かった!」と娘。娘はその日お友達とブランチに行く予定で、その後に献血をしに行くといいます。献血は私が来る前の週に終える予定でしたが、前日に下痢をしたことを報告したところ献血を出来なかったらしく、一週間延期になったそう。娘は東京でも一度献血しようと試みましたが、緊張のあまり血圧があがり、結局は出来ませんでした。今回が人生初の献血です。娘いわく「病気や事故で血液を必要としている人がいるから、役に立ちたい」とのこと。

 私も血中のヘモグロビンや血小板が減る自己免疫疾患を患ったときは、ずいぶん献血の血をいただき、命を救われました。献血してくれる人に感謝してもしきれないほど。もう私は献血はできませんが、こうして、若くて健康な娘が献血をしようという気持ちになってくれることを嬉しく思っています。

 娘には「ママは論文終えたいし、洗濯もしたいから、寮にいるね」と伝えました。娘の寮に来て、ほぼ毎日洗濯をしています(洗濯1回500円、乾燥も1回500円と高いですが…)。世の中の沢山のお母さんが、一人暮らしをする子どもの部屋を訪れたときは掃除や洗濯をすると思いますが、私もそうです。寝具やら何やら、山のようにある洗濯物を日々こなしていきます。そんな私のために、娘はフルーツヨーグルトを作ってくれ、おしゃれをして出ていきました。

娘が作ってくれたフルーツヨーグルト。この日の果物はバナナとブラックベリー

 論文の1,700ワード削減を終え、見直しをし、英文校正の会社にメールで原稿を送りました。洗濯も終え、お天気が良いので、私は公園でランチをすることに。昨日、娘が大学から無料でもらってきたサンドイッチと水を持って、麦わら帽子を被って外へ。寮の近くにあるカフェで、ラテを買って、公園に向かいました。公園では沢山の人々がお友達とおしゃべりをしたり、ランチを食べたり、寝そべったりしています。こういうのんびりとした様子はオーストラリアでよく見かける風景で、いいなぁと思いました。私もベンチに座って、サンドウイッチをほおばりました。

寮の近くの公園


 ほどなく、娘から電話がありました。友達とのブランチはアサイーボウルを食べたそう。何だか、娘はオーストラリアに来てヘルシーな食べ物に傾注しているようです。娘はそのまま真っ直ぐ献血へ。そして、大学のギフトショップの前で待ち合わせをしました。

大学のギフトショップの前に置いてあるクマのぬいぐるみ
 
娘は腕に赤い包帯を巻いて歩いてきました。

「どうしたの? 大丈夫?」

「あっ、これ? 献血をしたって印になるの。これを巻いた人は献血した人だって皆が分かるの」

「なるほど、日本の赤い羽根みたいなものね」

「うん。これを巻いていると、自分は少しでも人の役に立っているんだって思える。あーぁ、動物に血あげられたらなぁ」

「献血の量はどれくらい?」

「470 ml」

「えっ、そんなに?日本の女性だと普通200mlだよ」

「身長と体重から、この量なんだって。どうせなら、500mlでもいいですって言ったんだけど。いいえ、470mlでって言われたの」と娘は苦笑します。

 娘にとって、初めての献血はずいぶん緊張したようですが、良い経験だったようで、また、献血をしたいーと話していました。

 夜ご飯は前日の残りのマレーシア料理とお蕎麦をゆでて食べました。お蕎麦はやっぱり美味しかった。夕食後はヤラ川まで散歩をし、前回メルボルンに行ったときに食事をしたレストランに入り、娘はスイーツを、私はスパークリングワインを飲みました。5日目も楽しい一日でした。


 



 

メルボルンからの報告_4日目(4/1)

  メルボルン滞在4日目の4月1日は娘が講義でプレゼンテーションをする日。ペットについてのスライドを準備していた娘の練習に前夜付き合い、この日が本番です。

 娘はインターナショナルスクールに行っていましたので英語が母語ですが、オーストラリアに留学してからさらに英語の発音が滑らかになりました。プレゼンテーションの練習につき合いながら、若いころからこうした人前での発表に慣れると違うだろうなぁとしみじみ思いました。

 というのも、私は1月末に博士論文の審査会で30分のプレゼンテーションをしましたが、それは下手で恥ずかしい思いを沢山し、練習を重ねたからです。練習に付き合ってくれた20代の前年博士号を取得した研究者から「僕だったら、合格は出さないと思う」、30代の超優秀な研究者からは「質疑応答中、ヘラヘラ笑わないこと。自信なげに見えます。スライドの棒読みは心証が良くありませんので、文章は短くすること」などと有り難いながら厳しい指摘も受けましたので、若いころから慣れていれば、苦労は少なかったかもしれません。それでも何でも経験はするもので、娘に発表のアドバイスは出来ました。

 午前中、娘の寮から徒歩10分のメインキャンパスへ。キャンパス内のカフェで娘はアーモンドラテ、私は普通のラテを注文し、おしゃべりしながら飲みました。そして娘は講義へ、私はキャンパス内のベンチに座って、論文から250ワード削る作業に取りかかりました。前日までに全体で1,500ワード削りましたが、この日は最初に戻って、すでに削ってある文章をさらに絞る作業です。

キャンパス内でラテを飲む
プレゼンテーションの準備をする娘

娘が講義に向かった後、私はキャンパス内のベンチでパソコンを広げます


緑豊かなキャンパスの風景

 論文に集中していると、娘から電話が。「終わったからランチ食べよう!」とのこと。プレゼンテーションは無事に終わったらしい。ランチはキャンパス内のファストフードの中で、マレーシア料理を選びました。娘はベジタリアンのヌードルを、私はチャーハンとチキンを注文しました。店の人の英語がよく理解できず、私の英語も通じず、で困りました。前日のイタリアンレストランでは、オーストラリア人相手に普通に通じましたので、やはり、外国人同士の会話は互いに難しいのでしょう。
 
ランチはマレーシア料理

 ベンチに座ってランチを食べながら、娘にプレゼンーションがうまくいったかどうか、聞きました。娘は、「ママに昨日の夜アドバイスもらったように発表したら、うまくいったよ」とのこと。少し役に立てたようで、嬉しかったです。 

 私のランチはチキンレッグがチャーハンの上にどーんと載っており、それだけで食欲が失せて、チャーハンを半分だけ食べて持ち帰ることに。キャンパス内ではこの日、無料のサンドウイッチを学生に配っており、娘も長い列に並びました。こういう取り組みは、学生たちにとって有り難いですよね。

大学から無料で配られるサンドウイッチをもらうために並ぶ学生たち(テントの向こう側)

 夜ご飯は前日のイタリアンレストランから食べ切れずに持ち帰ったパスタとチキン、そして娘が作ってくれたじゃがいもの料理を娘が綺麗にお皿に盛り付けてくれ、寮の屋上のデッキで食べました。

夜ご飯は前夜レストランから持ち帰った料理と娘の料理を綺麗に盛り付けて

 夜はトラム(路面電車)で街に買い物に行き、娘の部屋で使う収納用のバスケットや日用品、食料品、息子と夫へのお土産(息子にはお菓子レシピ本、夫にはオーストラリアのワイナリーガイド)を購入。帰宅後は、バスケット4つを使って、収納の工夫をして、娘が使いやすいように配置しました。そして夜遅くまで、娘は翌日締めのエッセイに、私も論文の文章削減に取り組んだのでした。

娘の寮の前にある公園の噴水


2026年4月3日金曜日

メルボルンからの報告_3日目(3/31)

  メルボルン3日目(3/31)の朝は寮の13階の屋上デッキで、娘が作ってくれたフルーツヨーグルトを食べました。アート専攻の娘は一つ一つのことをとても丁寧にするタイプで、ヨーグルトの盛り付け方もとっても綺麗。味わいながらいただきました。

寮の屋上デッキで朝食

 この日娘は、自分が手がけた作品を先生方に見ていただく日で、午前中からスタジオにこもって作品の仕上げをしました。お昼ご飯の時間があまりないということで、朝、張り切っておにぎりを作りました。娘の使う炊飯器は水分調節が難しく、ご飯がちょっと固めでしたが、1合半のお米で出来たおにぎりは5つ。作りながら、やっぱり子どものご飯を作る時間は幸せだなぁと改めて思いました。

おにぎりを食べる娘

 娘がアトリエにこもっている間、私はキャンパス内のカフェでラテを飲んで、その後図書館にこもって論文の文章削減(1,700ワード=単語)にひたすら取り組みました。これに取り組む前に、今回英文校正をお願いした会社(何度でも修正可能という契約)に「1,700単語を削っていただく場合の追加費用は?」と試しに聞いてみましたが、「1,700ワードは多すぎる。AIを使うのでよければ無料でやってあげる」という回答。そうか、今は何でもAIなんだなぁ、と実感しました。


 ちなみにAIが校正した文章は、使う単語がなんというか、妙に格好良いので分かるんですよね。たとえば、私の論文は医療に関する内容なのに、「この文脈(context)においては」なんて言葉を使うのです。「実現に向けての課題が多い」という文章は「実現可能性(feasibility)には課題が多い」という文章に。だから、AIを使うときは、自分で全部やってみて、最後にチェックに使うというやり方がいい。

 成田空港のラウンジで取り組み始めて、飛行機の中でもひたすら削減。そして、娘のところに来てからも、朝娘が起きる前と、娘が講義に行っている間、お友達と飲み会やランチにいっている間、そして娘がレポートを書いているときには一緒に取り組み、メルボルン3日目のこの日にあと250ワードというところまで来ました。が、これは論文の最後まで削って、あと250ワードも残っているということ。翌日からはこの250ワードをすでに削った文章から削るという作業になりますので、かなり厳しい。

 今回、1,700ワードも増えたのは、初稿を提出した後、3人の査読者から寄せられた指摘に答えて、文章を追記したため。なので、追記した文章をなるべく削らずに、自分の元の原稿を削りましたが、もう、それも限界です。追記した文章に手を入れなければなりません。

 でも、娘と一緒に過ごしながらなので、ストレスゼロ。3月後半、年度末の有給休暇消化期間で在宅中の夫も、春休み中の息子と軽井沢でのんびり過ごし、東京の家に戻ってきてからも、2人でご飯を作ったり、カードをしたりして、楽しんでいるようで安心です。

 この日は娘が「大学生が良く行くイタリアンレストランがあるの。安くて量が多いから大人気なの」というレストランに行きました。寮から徒歩で10分ほどにあるレストラン。パスタのカルボナーラとチキンパルメジャーノをオーダーしました。娘は肉(牛・豚・羊・鶏モモ肉)が食べられなくなってきていますが、ムネ肉はあっさりしているため食べられて、良かったです。娘とおしゃべりをしながらのレストランでの夕食は、とても楽しい幸せな時間でした。

 

学生たちに人気のイタリアン。チキン・パルメジャーノが大きい!

寮の屋上デッキから見える夜景。娘と一緒なので、さらに美しく見えるから不思議です

 

2026年4月1日水曜日

メルボルンからの報告_2日目②

  メルボルン2日目・30日の夕方、大学のバーでワインを一杯飲んだ後、娘の寮に戻って13階の屋上に行きました。この日はお天気がとても良く、夕日がとても綺麗でした。 

 屋上デッキにはバーベキューができる場所がありますので、寮生たちが集っていました。私と娘もベンチに座り、沈む夕日を見ながら、おしゃべりをしました。話題は尽きません。

娘の寮の13階屋上のデッキ
寮の屋上から見える夕焼け

 屋上でおしゃべりを楽しんだ後は、1階のキッチンへ。娘が最近はまっているという「石豆腐」の調理を手伝いました。娘はここ半年ほどであまり肉が食べられなくなっています。肉の代わりに、豆腐や豆でたんぱく質を摂っているといいます。大好きだった牛肉もだんだん食べたくなくなり、鶏もも肉も後味が悪くてダメだといいます。今、肉で食べられるのはあっさりとした、鶏むね肉だけです。
寮のキッチンで石豆腐を調理
石豆腐は手でちぎり、パンに広げて、オーブンで焼きます。それを中華風に炒めます。私はカレーを作り、鶏肉の代わりにこの石豆腐を入れました。
 
石豆腐を手でちぎって、3つのパンに広げます

石豆腐をオーブンで焼きます

カレーライスにも石豆腐を入れます


メルボルンで売っている「群馬のしらたき」。群馬県頑張っています
 最後はじゃがいも料理をする予定でしたが、あまりに美味しそうでじゃがバターにして食べることにしました。美味しくて、3つも食べてお腹いっぱいになり、夕ご飯はじゃがバターだけとなった夜でした。私は疲れて10時ごろに部屋に戻って寝てしまいましたが、娘は午前零時過ぎまで調理をし、料理を小分けして冷凍したそうです。

じゃがバター

メルボルンからの報告_2日目(3/30)

  娘が留学するメルボルンでの2日目・30日は、近所のカフェで始まりました。牛乳が苦手な娘はアーモンドミルク・ラテを、私はカフェ・ラテをオーダーしました。

近くのカフェで、ラテを注文

 メルボルンには2千店を超えるカフェがあるそうで、コーヒーが美味しいことで有名です。でも、これまで2回メルボルンを訪れた経験では、日本のスターバックスやタリーズで飲めるようなレギュラーコーヒーの味は期待できません。

 日本で飲むコーヒーはこちらではブラック・コーヒーという呼び名で注文するのですが、何回飲んでも美味しくない。で、メルボルン滞在3回目の今回はブラック・コーヒーを諦めて、昨日も今日もカフェ・ラテを注文しました。これが、とても美味しいのです。郷に入っては郷に従え、ですね。特徴は、エスプレッソの上に載った泡立てたミルクのハート型の模様。これを、「ラテアート」というそうです。

 カフェでラテを楽しんだ後は路面電車「トラム」に乗って、大学へ。娘の通うメルボルン大学にはメインキャンパスのほかにアート系の学部が入るサウスバンクキャンパスがあり、娘は主にここで講義を受けたり、絵を描いたりしているのです。 

サウスバンクキャンパスの入り口
   翌日、先生方が学生のアトリエを訪れて学生たちの作品を評価するということで、娘はこの日は作品の仕上げをすると言います。娘のアトリエを訪れると、学生たちがそれぞれのブースで作品に取り組んでおり、このような環境で娘が切磋琢磨していることをとても嬉しく思いました。

 仲良くしてもらっているお友達ともお話ができました。そのお友達は義足を付けていました。娘は何度もそのお友達の別荘に一緒に行くほど仲が良いのに、娘からはそのことを聞いたことがありませんでした。娘に聞いてみると、「ママに言っていなかったっけ?まぁ、あの子といるとき義足のこと考えたことないからかも。生まれつきみたいだよ。お母さんのお腹にいるとき、足に臍帯が絡まってしまって、生まれたときから片足がなかったようなの」と言います。胸が痛みました。娘の双子の弟も臍帯が絡まって、私のお腹の中で死んでしまいました。娘の友達のお母さんはどれほど、苦しんだでしょう。でも、娘がそのお友達の義足のことを全く気にしないように、その子もそれは明るい子で、お母さん頑張ったんだなぁと思いました。

 

学生たちのアトリエ

 娘が作品を仕上げている間、私はキャンパス内の図書館で論文の仕上げをすることに。仕上げと言っても、投稿した学術ジャーナルの査読者3人の指摘を受け、修正・加筆した論文を1,770 ワード(14,000文字)削る作業。投稿規定は最大4,000ワードなのに、あれこれ加筆しているうちに5,770ワードになってしまったのです。論文の背景、方法、結果、考察、結論のうち、昨日は背景を削り、今日は方法と結果を削りました。

 

サウスバンクキャンパス内の図書館

 

日当たりの良い場所をみつけました
  ランチはヤラ川までテクテク歩いて、川沿いにある建物内のフードコートへ。オーストラリアは物価が高く、ファストフードも2千円近くします。でも、そんな贅沢も出来ないので、あちこち探して、娘は600円のピザ1枚を注文し、私は900円のチキンとフライドポテトを注文し、娘とシェア。実は昨日、ギリシャ料理のお店でチキンを挟んだピタパンを500円で美味しく食べられたので、ゲーム感覚で安くて美味しいランチを探しました。

ヤラ川沿いのフードコートでランチ

 この後、寮に戻り、寮のスタディルームへ行き、2人でパソコンに向かいました。「ママ、論文1,700ワード削らないといけないのよね」と娘に話すと娘が「えっ、同じ数だよ。私はあと1,700ワード追加しないといけないの」と言います。「じゃあ、ママは削るほう、私は追加するほうで競争だね」と大笑い。私のように、この年齢で学生をしていると大変なこともありますが、大学生の娘と話が合う良い面もあります。

 夕方、娘は大学内のバーで開かれる、講義の打ち上げへ。大学の雰囲気が大好きな私は娘の寮には戻らず、キャンパス内で待つことに。キャンパスの中にはあちこちにベンチやテーブル・椅子があり、学生たちが勉強できることになっています。私も心地よさそうな場所を見つけてて、パソコンを広げて、作業をしました。

 一時間ほどして、娘から「打ち上げ終わったよ」と電話がきました。打ち上げの後は寮のキッチンで料理をする予定でしたが、娘の行ったバーに寄ってみたくて、誘ってみました。娘は「全然素敵じゃないよ」と言いましたが、入ってみると、学生たちが楽しくビールを飲んでおしゃべりしていて、いい感じです。私は白ワインを、娘はモッツレラチーズのフライを注文し、楽しいひとときを過ごしました。

 



 

2026年3月30日月曜日

メルボルンからの報告_1日目(3/29)

  28日土曜日夜に成田空港を出発し、娘が留学するオーストラリアに向かいました。約9時間半のフライトで翌29日朝6時にメルボルン空港に到着。税関もスムーズでした。

メルボルン空港の到着ロビー

 大学3年生の娘は、不安症、パニック障害、軽度のうつ病の診断を受けており、服薬をしています。心配なことも多く、私一人で様子を見に来ることにしました。夫が春休み中の息子(中2)の世話をしてくれています。

 娘が空港まで迎えに来てくれることになっていましたが、到着ロビーにはいません。朝、早いからまだ、起きていないかもしれないなぁと思っていると、娘から電話が。「ごめんね!これから迎えに行くから!」とのことでしたが、電話を切った後、夫から電話が。「朝、起きられなくて、空港に君を迎えに行けなくてパニックになっているから、ウーバー手配して、寮まで一人で行ってくれないか?」

 えっ、心の準備のないまま、いきなりメルボルン空港でウーバーを手配して、娘の寮まで行く。一瞬、「このまま、飛行機に乗って東京に戻りたい」という気持ちになりました。が、「大丈夫、何とかなる」と自身に言い聞かせ、ウーバーのアプリを開いて、娘の寮の住所を入力すると、ピコッという音を立てて、車が手配になったという連絡がありました。「ターミナル2のゾーン2」という指定です。

携帯電話に送信されたウーバーの案内

 このウーバーのアプリは日本でダウンロードしたのか、以前、メルボルンに訪れたときにダウンロードしたのか、もはや覚えていません。でも、画面は日本語で、便利なことに、到着ロビーからウーバー乗り場までの行き方を、写真入りで説明してくれます。いやぁ、便利な世の中です。

 思い出されたのが、私がアメリカに留学していたときのこと。両親に遊びに来ない?と誘ってみましたが、「何かあったら、対応できないから」と一度も来ませんでした。当時の両親より、今の私のほうが年代が上ですが、勇気というより、その国の言葉を話せるかどうか、が一番の問題のような気がします。

 メルボルンのタクシー事情は、日本の空港のようにタクシー乗り場があって、そこに並んでいれば良いという仕組みではないらしく、なんだか難しいなぁと思いました。指定されたゾーンBに行くと乗用車が並んでいます。で、送られてきた6桁の番号をどこで確認したら良いか迷っていると、そこに立っていた案内の人が「あそこ、あそこ」と指示します。

 「でも、この番号が指定されているから、、、」と言っても、「あそこ、あそこ」と前方を指さします。で、言われるがままに行くと、一番前の車から、インド人と思われる人が降りてきて、強いアクセントで、「この車です」と言います。「あの、この番号なんですけど…」と携帯の画面を見せると、「この車です」と繰り返します。そして、娘の寮の通り名を言います。そこで、この車だ、と分かりました。

 荷物をトランクに入れて、後部座席に乗り込みます。数分走って、荷物が一つない!と気づきました。で、運転手さんに「トランクに荷物をいくつ積みましたか?」と聞くと、「1つだと思いますよ。確認しましょうか?」と車を寄せてくれました。

 運転手さんと共に車を降り、トランクを開けるとスーツケースと大きなバッグが1つずつ入っていました。でも、手に持っていた黒いバッグがない!と焦って座席に戻り、「運転手さんに空港に戻ってもらわなければ…」と座席をまさぐっていると、なんと、横の座席の足下に転がっていたことが判明。胸をなで下ろしました。慣れないことに対処しなければならず、緊張していたのですね。

 しばらくしてから、記憶の中にあるメルボルン市内の景色が目に入ってきました。ここら辺りで緊張が解けました。約30分で無事、娘の寮に着きました。金額は約6千円でした。

 娘に電話をして、到着したことを知らせました。娘が9階の部屋から降りてきて、玄関でハグ。娘は元気です。ほっとしました。

 部屋に荷物を運び、シャワーを浴びて、身支度を整え、外へ。娘がお友達と行ったというカフェに連れて行ってもらいました。メルボルンはカフェ・ラテが美味しいと有名なので、注文し、カフェの雰囲気と一緒に味わいました。


娘と行ったカフェ

メルボルンはカフェ・ラテが有名です

 そのまま大学に行き、娘は授業の課題に、私は論文の修正に取り組みました。ランチはギリシャ料理のお店で、夜は娘の寮の屋上で、娘の作り置きのお豆腐料理とチリスープを食べました。娘が元気なこと、ちゃんと自炊をしていることに、安堵した初日でした。

 
ランチはギリシャ料理のお店で
 
大学の図書館で、一緒に勉強

娘の寮の屋上で食べた、娘の作り置き料理

 
娘の寮の屋上から見える景色

2026年3月27日金曜日

時が止まった家

  研究所での最後の日を無事に終え、翌日の25日、軽井沢に来ました。中2の息子は春休みに入り、夫は年度末の有給休暇消化期間。3人の予定がちょうど合ったので、まだ軽井沢は寒いですが、思い切りました。

 軽井沢の家は冬期間水道の水落としをしています。春になり、開栓する場合は水が凍らないぐらいの気温にならなければダメなのですが、夜の気温が0度を下回ることはなくなったため、開栓をしても大丈夫と判断しました。

 あいにくの雨で気温も低く、コートを着込んで行きました。別荘地はしんと静かで、私たちの家のある山の頂上付近には誰も来ていないようです。家に車を寄せると、玄関の前の階段は枯葉に覆われていました。

 玄関の前のカバーを取り、家の中へ。迎えてくれたのは、コート掛けにかかった子ども用のジャンパー3枚です。これは娘や息子が幼稚園、小学校のときに着たもの。最後にこれを着たのはもう10年以上前でしょうか。本来なら、この玄関のコート掛けに今着ているコートを掛けるのですが、私たちはそのまま家に入り、椅子の背もたれに掛けたり、寝室に掛けたりします。そう、この家は時が止まっているのです。

 

子どもたちが小さい頃に着たジャンパー。今も玄関のコート掛けに掛かっています

 このコートは何度か仕舞おうとしたのですが、子どもたちが小さかったころが思い出されて、そのままにしています。リフォーム会社の大工さんも「この家には小さな子どもがいるんだな」と思ったそうです。

 玄関の靴箱の上には、松ぼっくりや栗も置いてあります。これも子どもたちが小さなころ一緒に散歩して拾ったもの。靴箱の上には、娘が小学生のころに夫と一緒に木の枝を使って作った弓も置いてあります。

子どもたちと拾った松ぼっくりと栗

 

娘が夫と一緒に作った、木の枝を使った弓

 極めつけは娘が乗ったベビーカーでしょうか。その横には虫採り網が置いてあります。どれも、これら、愛おしく、ずっとそのままに。軽井沢の家に来ると幸せな気持ちになるのは、このような想い出の物たちが迎えてくれるからだと思います。

娘が乗ったベビーカーと、子どもたちが使った虫取り網