2026年11月3日火曜日

フルタイムに

 昨日から、仕事がフルタイムに変わりました。4月に博士号を取得し、5月から1日6時間・週3日の短時間雇用の特任研究員として勤務していましたが、今月から常勤の特任研究員となりました。61歳での”キャリア・チェンジ(苦笑)”が何とか達成できたようで、嬉しい。

 ただ、労働条件通知書なるものを見ると、「雇用年齢の上限」は「満62歳に達した以後の最初の3月31日まで」。私は来月62歳になりますので、残念なことにあと5ヶ月しかありません。でも、何事も前向きに受け止めたい。がん治療後、双子の妊娠を機にやりがいのある新聞記者の仕事を辞めた39歳の私に、「あの後たくさん困難が降りかかったけど、たくさん努力して、60代で常勤の専門職として社会に戻れたよ」と言ってあげたい。

 生き方にはいろいろあって、物事にこだわらずにしなやかに生きる人もいます。羨ましいな、と思う。でも、私は何事にもこだわる人間で、折々に自分で自分が面倒になるのですが、そういう性分だから仕方がありません。

 がん治療後の社会復帰は困難を極めました。がん患者の立場で、社会に発信するという生き方も選べたと思いますが、私は元に戻りたかった。元に戻ってからでしか、前に進めない人間なのです。

 たとえば、満員電車。私にとって、満員電車に乗ることは、健康を取り戻すという意味でした。治療中・治療後も通院時間の関係で満員電車に乗らざるを得ないこともありましたが、体力がなくて、自分の体を押し込めなかった。だから、満員電車に乗れるようになることが私にとって社会復帰(元の自分に戻ること)の一歩でした。

 次に、取材をして記事を書き、発信すること。連載記事やコラムなどをウェブ媒体に寄稿しました。報酬はありませんでしたが、記者という仕事に戻れたことで、一歩前に進みました。

 その過程で、厚生労働省を取材しました。ここは私が新聞記者時代に最後に担当した場所です。きちんとした媒体でなければ審議会などの取材は難しいのですが、その無名のウェブ媒体の名前で取材しました。記者として腕章をつけて審議会を取材する。配布された資料の字が小さくて読めなかったことで、「病気と闘っている間に私は年を取ったんだ」と妙に納得しました。厚生労働省へのこだわりは、ここできっぱり消えました。

 フリーランス記者として、日本記者クラブの会員になり、記者会見も何度も取材しました。地方にも取材に行き、勘を取り戻しました。5、6年は会員でいたでしょうか。そして、”記者”として取材し、記事を書くことに戻れたことで、納得して退会することが出来ました。自分が社会に存在するために、無理矢理どこかに所属する必要がなくなり、ここでも一歩前に進みました。

 この間、自分の体験を発信し、どなたかの参考になれば、とノンフィクション賞に応募しました。最終候補になりましたが落選。編集者がついて出版に向けて何度も書き直しましたが、販売のほうから「売れない」と言われ、出版の話がなくなりました。で、自分の出版社を立ち上げて出版。合同会社として登記をし、本を出版するプロセスは初めての連続でしたが、本を世に出すことができました。その後、会社を回していくこともなかなかに大変でしたが、何とかなりました。 

 長期間社会から離れていた私が、自分の専門性を活かして再び働くための切符として必要だと考えたのが、学位でした。最後の難関だった博士課程では、ずいぶん理不尽な扱いもされましたが、乗り越えて無事修了し、医学博士号を手にしました。

 そして、5月からの大学の特任研究員としての短時間雇用。経験や専門性を活かして働き、その対価として給料をもらえる立場になったことで、もう一歩前に進みました。そして、今回の専門職として裁量労働制の下で働くこと。

 やりがいのある仕事で報酬をもらい、経済的にも自立できる立場になるーー。やっと、やっと39歳のときの自分に戻れました。病気を患って社会から遠ざかっていたときから、社会復帰に向け努力していたこの春まで、常におどおどして、自信のない自分でした。でも、ようやく、自分らしい自分に戻れたと思います。そして、ここまでの道のりはとてつもなく長く、茨の道だったなぁとつくづく思います。

 来年3月末までのたった5ヶ月間が、”自分らしい自分”として働ける期間です。兼業は出来ないと言われ、5ヶ月間のために、苦労して立ち上げ一人で切り盛りしてきた会社を手放さなければならないのか、と逡巡しましたが、私は「元に戻る」ことを経ないと前に進めないやっかいな人間なので、常勤の専門職として働くことは、どうしても実現したいことでした。

 最初に相談した夫には「僕はできない」と断られました。次に相談したのは娘です。娘は「せっかくママが苦労して立ち上げた会社なんだよ。閉じるなんてもったいないよ。私が引き継ぐ」と言ってくれました。といっても、これまで出版したのは自分の本1冊だけという小さな会社です。アートを専攻し、デザインにも興味を持つ娘ですので、何か新しいことができるかもしれません。そもそも、娘を育てるように会社を育てようと(育て切れませんでしたが、苦笑)、娘の名前をつけた経緯があるので、娘に引き継いでもらうことが、会社の未来につながるような気がします。

 ここに至るまで私を応援してくれた家族や友人たちに感謝しながら、短い期間ですが仕事を楽しみたいです。そして、納得した後に、何かが見えるに違いないとワクワクしています。結局、何も見えなかったーで終わるかもしれませんが、それはそれで納得し、挑戦の連続で楽しかったと振り返ることができるような気がします。

フルタイム雇用となった自分へのご褒美に、パソコンバッグを買いました。電車の中で見かけた「マリークワント」のバッグ、「可愛い!」と一目惚れ。ネットで検索したら、すでに販売が終了していました。あれこれ探して諦めかけたのですが、メルカリで未使用のものが販売されたタイミングでゲット。諦めないのは、こんなところでも。😅

気持ちを上げてくれるデイジー柄


2026年11月1日日曜日

息子の成長_修学旅行を終えて

  昨今の修学旅行は至れり尽くせりです。26日から3泊4日の日程で沖縄に行った息子の学校では、スーツケースは出発前に学校まで取りに来てくれ、帰りは自宅まで届けてくれました。飛行場までの往復はバックパックのみ。驚きました。

 思い出されるのは、私の高校時代です。私が生まれ育った札幌の学校では、スキー学習が年に数回ありました。大型バスは学校から出発するため、生徒たちは自宅からスキー道具一式を持って、早朝の混んだ電車やバスに乗って学校に向かうのです。昨年開かれた同窓会ではその話題になり、「大変だったよね」と皆で振り返りました。あれに比べれば、下にローラーのついたスーツケースなんて、荷物にもなりません。いい時代ですねぇ。

 さて、息子の修学旅行。息子はシークワーサーの絵付けや水族館など楽しんだようです。せっかくの沖縄でしたが、水泳はなかったとのこと。万が一の事故が心配ですから、学校側としても控えざるを得なかったのでしょう。

 インフルエンザが蔓延していたため、各クラスに割り当てられた4台のバスの1台をインフルエンザに罹患した生徒たち用にしたそうです。息子のクラスは生徒数が一番少ないため、残り3台に分かれて乗車したとのこと。それでも、楽しく過ごしたようです。

 ちゃんとお土産も買ってきてくれました。私と夫にはクッキーとキャンディ、義父母にはシークワーサーの塩とキャンディ、母にはシークワーサージャム、そして娘にはシークワーサーのお茶とキャンディ、そしてネックレスです。


息子が家族に買ってきてくれたお土産

 そのネックレスを見て、いいなぁと思ってしまった私。子どもたちからのお土産やプレゼントは消えてなくなるものより、形に残る物がいいんですよね。いつも、それらを見たり、触ったり、使ったりして、幸せな気分に浸れますから。でも、買ってきてくれるだけでも、ありがたいですよね。

 さて、普段から全く手のかからない息子ですが、今回も全く手がかかりませんでした。息子と一緒に時間を過ごしたくて、「お洋服買ってあげるよ」と買い物に誘い、何点か買ってあげましたが、別に買ってあげなくても、家にあるものを持っていったでしょう。

 スーツケースに詰めるのも自分で粛々と行い、「ママ、●●足りないから、買って」などと言われることもありません。昨日自宅に届いたスーツケースも、さっさと荷ほどきをして、所定の場所に片付けていました。ご家庭によっては、お母さんがため息をつきながら、居間に置いたままのスーツケースを見て、「旅行から帰ったら、さっさと片付けなさい」などと注意することもあるのでしょうが、そういうこともありません。何かなぁ、つまんないなぁ。

 まぁ、何でも一人で出来るようになるということは、成長している証拠なので、良しとしましょう。でも、ちょっぴり寂しく感じるのは贅沢でしょうか。

 

2026年10月31日土曜日

Happy Halloween! 2026

  今日はハロウィーンです。今年もあちこちカボチャを探し回って、お花屋さんで色・形の良いものを入手できました。

 ハロウィーンのイベントが大好きだった娘がいなくて残念ですが、息子がカボチャを彫ってくれました。中3でなかなかに難しい年齢ですが、こうして素直にイベントを楽しんでくれてほっとしています。

 娘にフェイスタイムで連絡すると、「いいなぁ、ハロウィーン。私、来年帰るから一緒にできるね」とのこと。来年6月に卒業した後は、日本に戻ってくるそうです。あぁ、楽しみ。来年はカボチャを2つ探さなきゃ。

 

カボチャの中にろうそくを入れる息子。今年も良いお顔が彫れました

 


2026年10月30日金曜日

国際会議で感じたこと

  今週は息子が月曜日から3泊4日で沖縄に修学旅行へ、夫も火曜日から3泊4日で国内出張へ、私も月曜日から3日間の日程で国際会議があり、家族全員が忙しい週でした。

 国際会議の主催者として参加したのは、人生で初めての体験でした。オフィスでは数ヶ月前から準備をし、当日はイェール大学、北京大学、オーストラリア国立大学、コペンハーゲン大学など7カ国から参加。オンラインでもケープタウン大学、オックスフォード大学など3大学が参加しました。会議が滞りなく進むよう、スタッフ一同、準備万端で臨みました。

 私の役割は会議メモを取ること(録音は認められなかったため)、会議の報告を後日大学のホームページにアップロードすること、そして、なんと、参加者を大学内のキャンパスツアーに連れていくことでした。

 キャンパスツアーは普段学生が実施しているのですが、平日なので学生が確保できず、私がやることになりました。大学内の歴史的建造物、講堂、図書館、食堂、銅像など見所を解説しながら紹介します。

 キャンパスツアーは夕方、レストランに行くまでの1時間です。日が暮れて暗く事前に作った紙の資料は見えないため、iPadとiPhone両方にスクリプトを準備しました。緊張して雨が降ってくれることを祈ったほど。でも、当日は雨もやみ、実施となりました。手元のスクリプトを見ながらでしたが、何とか説明でき、参加者は皆喜んでくれ、ほっとしました。

 私は大学時代に米国に留学。修士課程は日本でしたが、講義は全て英語で行われ、テストや論文も英語というプログラムでした。また、博士課程も論文は英語で書きましたので、高等教育のインプットとアウトプットのほとんどを英語で行ってきました。それでも、やはり、読む書く話す、すべてが足りず、今回も苦労しました。

 とにかく、メモが追いつかないし、質問や議論をしても、適切な英語が話せない。参加者の話を聞きながら、なるほど、こういう言い回しをするのか、このような語彙で表現するんだ、と感心しきりでした。

 それでも、3日間の会議は実り多く、楽しかったです。

 私は40代のほとんどを病気と闘って過ごし、50代は社会復帰に向けて学びと挑戦の連続でした。60代になってから、こうして楽しくやりがいのある職場に恵まれました。ありがたいなぁ、としみじみ感じた3日間でした。

2026年10月24日土曜日

ペンの贈り物

  昨日、半年ぶりに親しくしている新聞記者Mさんと飲みました。Mさんと知り合ったのがもう二十数年前。厚生労働省の記者クラブで一緒でした。私はその後がんを患い退社をしましたが、Mさんは医療の取材を続け、今や押しも押されぬ医療ジャーナリズム界の第一人者です。

 前回会ったのは、博士論文の審査会が終わったときでした。その数ヶ月後に、私は無事博士号を取得し、今回は「研究者としての給料でご馳走します」とお誘いしました。

 Mさんに現在の職場がとても楽しく、良い同僚に恵まれていると話すと、「で、まさか、それで終わりじゃないよね。次は何を書くの?」と聞かれました。そして、「論文にせよ、記事にせよ、君は書かなきゃ駄目だよ」と言い、ペンをプレゼントしてくれました。

 これからの10年間は健康だと思うから、この間やりたいことがあると話すと、「10年なんて、長過ぎるよ。この1年で何をするかじゃない?」

 さすが、新聞記者。スパンが短い。私なんて、がんを患って、死ぬ目に遭ったのに、元気になったら10年スパンで物事を考えてしまう。まぁ、10年健康でいれば、いろいろできるよなぁ、ぐらいにしか考えていませんでした。だって、やっと、研究者として働けているのですから。

 でも、背中を押されているようで、嬉しかった。私の年齢になると、厳しく言ってくれる人はなかなかいません(意地悪な人、理不尽な人はいますが…)。だから、ビシビシと言ってくれるのは有り難い。それを伝えると、Mさんは「まぁ、信頼関係があるからだよ。僕がつい、上から目線で言ってしまうのは」と苦笑していました。そして、「君の書いたものを読ませてもらうのを楽しみにしている」とも。

 私には、尊敬する元新聞記者・現役新聞記者が何人もいます。かつて一緒に取材した仲間、室蘭のナオミちゃん、札幌のYさんとSさん、福岡のFさん、そして昨日飲んだMさん。彼らとのつながりは、私にとって宝物です。

 持ち手が木で出来たペンは、すぐに私の手に馴染みました。これを使って、取材メモを取り、執筆の構想を練るのが楽しみです。



 

2026年10月20日火曜日

ママ友とランチ_ベトナム料理の店へ

 週末にママ友3人とベトナム料理の店でランチをしました。この3人は昨年、天国に旅立ったゆきちゃんといつもお茶をしたり、ランチをしたりした友達です。

ゆきちゃんが旅立ってから、「ゆきちゃんと仲間」というLINEグループを作り、連絡を取り合っています。

ゆきちゃんはいつも「お茶しない?」「ランチしよう!」と声を掛けてくれました。ゆきちゃんを中心につながっていた仲間が、こうして定期的に会い、近況を報告し合えるのは嬉しいことです。きっと、ゆきちゃんも喜んでくれていると思います。

3人とも私よりぐんと若く、1人は何と17歳も年下。でも、中3男子の母親という共通点があるので、美味しいお料理を食べながら、思春期男子の話題で盛り上がります。そして、美容の話もシェア。私は教えてもらうばかりですが、サプリメントやエクササイズなど、本当に参考になります。

ママたちの顔を見ながら話して、トイレに行ったときに鏡で自分の顔を見るとギョッとするのですが、まぁ、それはそれで、笑えます。息子も母親が年だと嫌だろうなぁとつい思ってしまうのですが、いくら嘆いても若くはならないので、ママたちから教えてもらった美容情報を参考にしながら、少しでも若いママでいるための努力をしなきゃと思っています。

ベトナム料理がとっても美味しかったので、「また、次もベトナム料理の店に行こう!」ということになりました。楽しみがまた一つ。



2026年10月17日土曜日

娘@メルボルンからの愛

  娘から、荷物が届きました。小さな段ボール箱に家族への”愛”が詰まっていました。

 段ボール箱の中には、夫と息子、そして私への手紙とともに、それぞれへの贈り物が入っていました。

 息子には辛いインスタントラーメンとアニメのグッズ。夫には手編みの小さなぬいぐるみとスナック菓子、そして私にはハート型のコースターとキャンディでした。一つ一つ、こうして気持ちを込めながら、箱に詰めて、郵便局に行って送ってくれたんだなぁと思うと、胸がじんときました。


 私も時折、娘に小さな段ボールに物を詰めて送ります。先日、ちょうど娘からの荷物が届く少し前に、お土産を詰めて送りました。夫が台湾出張時に娘のために買ったヴィーガン用のインスタントラーメン、息子が夏休みのニュージーランド短期留学で娘に買ったキーホルダー、私が先月の沖縄旅行で買ったアクセサリーなど。

 こうして、娘に家族の思いを届け、娘からも愛が届くのは、幸せなことです。こんなふうに思いやりのある子に育ってくれたことに、改めて感謝をした日でした。