先日、このブログで紹介した娘との対話には続きがあります。娘が自分の生き方について語ってくれたその対話では、娘は生き方の指針には4つあり、1つ目と2つ目は娘が小さい頃から持っている「誠実さ」と「人への共感」、そして3つ目はこれから身に付けたい「謙虚さ」、そして最後が「知性と判断力」だと言います。
「4番目の、知性と判断力。これはね、単に頭が良いというのではなく、物事をよく考えて、自分の価値観を壊さないように生きるということなの。どうしたら本当に良い結果につながるか、考える知性。たとえば、暗い道を歩いていると、誰かが怒られているのを見かけるとする」
「うん」
「でね、私の性格に基づく行動は、助けに行くーだよね。でも、私の目指す3番目の「謙虚さ」があれば、自分がそこに行って救えるのか?自分にはその人を救う力があるのか?と一旦考える。そして、その次の知性・判断力で、自分も引きずりこまれるかもしれないーという結果も見通すよね。でも、その怒られている人を見過ごすと、自分の持っている資質である誠実であること、共感できること、には反する。で、知性と判断力で、その間を取る行動は何か?と考える。たとえば、警察を呼ぶ。そうすると、自分では解決できないことを警察官が解決してくれるかもしれない。そして、自分も大変な目に遭わない」
「なるほど」
「賢さがなければ、その人も救えないし、自分も痛い目にあい、あまりいい結果にならないかもしれないと思ったの。でね、遠い過去を思い出したの。私が小学校のころの話。いじめられている友達を救おうとして、自分もいじめられた話。これをママとダディに伝えたら、全く違う答えが返ってきたの」
最初、そのことは思い出せませんでした。
「ママはこう言ったの。『ママも小学校のころ、同じようなことをしたよ。クラス全員に仲間はずれにされている友達を救おうとしたら、ママも仲間外れにされたの。あなたは、自分が盾になって優しいね』って」
少しずつ、思い出してきました。
「でもね、ダディには『その行動は良くないよ。君が入る必要はない。ヒーローになろうとして自分を犠牲にする必要はない』と言われたの。それでママとダディがケンカになったの。子どもをどう育てるか、で対立したのね。でね、その後、ママとダディが話し合ったらしく、結論は『自分で解決しようとしないで、先生に言おうね』だった」
夫と私は時々、娘の育て方で対立し、大げんかになることがあります。一番大きかったのは大学進学についてでした。
夫は娘の高校時代、進路についていろいろアドバイスをしていました。一番のアドバイスは「将来食べていける学科を選びなさい」でした。ですので、娘の得意な絵では食べられないから、デザインや建築にしたらどうか、と。それは自分の経験に基づきます。自分は地質学という就職先がある学科を選んだが、弟たちは「政治学」「音楽」を選び、結局はつながる仕事が見つからず、30代40代に大学院に行き大きくキャリア変更したという経験です。
私は逆に一切、アドバイスはしませんでした。なぜかというと、私たちが大学生だったころとは時代は大きく変わり、変化の速度も速い。親が自分の経験から子どもにアドバイスするなんてもってのほか、親自身の経験から来る考え自体が古いと謙虚になるべきだと思ったのです。ですので、若者は自分の感性で進路を選ぶべきだと。
そして、これについて夫婦で大げんかをしています。そして、夫は自分が信じているようにアドバイスをし、私は自分が信じているようにアドバイスをしなかった。
そして、娘は素直に夫のアドバイスに従い、海外のあちこちの建築学科に出願しましたが、自分の希望する大学に受からず、結果的に日本の大学で英語で授業を教える教養学部のようなところに入学しました。そこから私が前面に出て、「得意な絵を専攻したほうがいい。20代、30代なんていくらでも失敗できる。まずは、自分の好きな道を目指すべき」とアドバイスし、出願期間が北米や欧州よりも半年ほど遅かったオーストラリアの大学の美術専攻で出願。目指した大学全部から合格通知が届きました。入学した日本の大学を退学することについても、「後ろめたさを感じる必要はないし、将来の後悔にもつながらない」と伝えました。そして、娘は自分が好きな道を歩むため、オーストラリアに向かいました。
ここで言いたいのは、私の助言が正しかったということではありません。結果オーライでしたが、娘にはぽつりと、「ママ、このアドバイス、私が高校のときにしてほしかった」と言われましたし、夫に建築学科を勧められ、高3の夏休みにイギリスのサマースクールに参加し、2週間建築について学んだことが今とても役に立っていると振り返っています。
娘が自分の生き方を考えるにあたって、過去の私と夫の子育てのエピソードまで遡り、ブログの話題も広がりましたが、この話の軸は大学生の娘の模索と、その娘を育てた我々夫婦の直球の子育てでしょうか。
娘が自分の生き方を模索していたら、その根っこに、自分の小さなころからの気質だけではなく、父と母から受け取った相反する価値観まで見えてきた。さらに、どちらの親が正しかったということでもなく、娘自身が親から受け取ったものを自分なりに解釈し、再構成しているという話です。
一昨日は息子についてのブログを書きましたが、2番目になると我々も年を重ね、まぁ、いいか、になってしまいます。まぁ、それはそれで、息子もそこから何かを感じ取り、成長していくのだろうと考えています。
あっ、成長してくれれば、と願っています。