2026年8月15日土曜日

ジムで

  我が家の近くに区のスポーツジムがあり、先月から週2、3回通って体を鍛えています。61歳でも息子はまだ中3なので、冬に息子と一緒にがんがんスキーを滑りたいので、今から体を鍛えようと通い始めました。この夏、娘とニセコに行き、ラフティングやツリートレッキングなどを楽しみ、「あと10年は子どもたちと遊ぶぞ!」と決意したのも大きな理由です。

 スポーツジムはできてまだ数年で、公園を見下ろす大きな窓の側にランニング・マシーンが設置されています。毎回、そこで30分ウォーキング・ランニングをし、その後はマシーンで腕や足を鍛えています。

 今朝はオープン直後の午前9時8分に着いたのですが、5台あるランニング・マシーンは全部埋まっていました。走っている人も、筋力トレーニングをしている人も皆、黙々と体を動かしており、こういうのっていいなぁと思いました。そして、腹筋をしていたら、汗がボタボタ落ちてきて、高校時代の部活動を思い出しました。

 思い出すのは、いつも同じシーンです。私はソフトボール部に所属しており、札幌は冬になるとグラウンドが雪で埋まるので、校舎内を何周も走り、廊下で腹筋や背筋などをして鍛え、夏に備えていました。今、再び腹筋をしている自分と、ひたすら筋力トレーニングをしていた当時の記憶と重なりました。あぁ、体を鍛えるって気持ちが良いなぁと思いました。

 50代、60代になったら、子どもの頃のことを思い出し、自分がかつて好きだったことをしよう、というアドバイスをよく聞きます。どう思い返しても、私は「絵ばかり描いていた」とか「編み物が好きだった」とか、好きなことに没頭した記憶はありません。かといって勉強をしたわけでもなく、唯一没頭したのはあの部活動でした。そして今日、ふと思い付いたのです。「そうだ!60代は高校時代のように、体を鍛えよう」と。

 さて、ランニング・マシーンの順番が回ってきました。今日はイヤフォンをつけて携帯電話に保存してある、娘が作ってくれた私の好みの曲のアルバムを聴きながら走りました。荒井由実の「中央フリーウェイ」、ポール・マッカートニー&ステーヴィー・ワンダーの「エボニー&アイボリー」、ビリー・ジョエルの「素顔のままで」、SMAPの「夜空ノムコウ」、アース・ウインド&ファイアーの「レッツ・グルーブ」、久保田利伸の「LA・LA・LA LOVE SONG」…。

 そして、「Isn't She Lovely」。娘の可愛らしい顔を思い出しました。この曲はスティーヴィー・ワンダーが娘の誕生の喜びを歌ったもの。でも、我が娘にぴったりの曲なのです。

 こうして音楽に聴き入りながら走っていると、隣に細身の素敵な女性が来て、軽やかに走り始めました。私は最初にウォーキングでウォームアップしてから走りますが、彼女はいきなり走り始めたのです。若い人かなぁと思ってふと横を見ると、なんと、顔に皺やシミがそれなりにあり、おそらく私ぐらいの年齢でしょう。

「おぬし、やるな!」とつい心の中でうなってしまいました。こういう同世代の女性が引き締まった体をして、軽やかに運動しているのを見るのは気持ちが良いものです。私も見習わなければ。

※ランニングマシーンから見える眺めを携帯で撮影したつもりが、なぜか写っていませんでした。今度、アップしますね。

 

 

2026年8月13日木曜日

納骨堂へお参り

  今日は盆の入り。母と夫、息子と一緒に父の遺骨を納めてある都内のお寺の納骨堂にお参りに行きました。

 父の遺骨は以前、札幌市内の納骨堂に納めていましたが、母が東京に転居した後にこちらに移しました。

 もう3年になりますが、いまだに札幌のお寺が懐かしい。でも、こうして母と家族と一緒に命日やお盆、お彼岸にお参りに行けるのは良いことですよね。父も天国で喜んでいると思います。

 先月、父の妹のご主人が亡くなり、母はそれを父に報告。「お父さん、山田さんにもう会えた?」と聞いていて、何だか、本当に父があちらで叔父さんに会っているような気がして、父も知り合いが増えて楽しいかなぁと想像しました。

仏壇の前で手を合わせる母

 父が大好きだった和菓子をお供えしました。お参りの後、皆でそれをいただき、お寺を出た後は昨年と同じ中華料理店へ。母は食欲が落ちているようでしたが、それでも、天津あんかけを美味しそうに食べていました。

 また、来年のお盆もこうして家族でお参りをして、中華料理を食べられますように。

2026年8月12日水曜日

娘@メルボルンからの報告_スプリンクラー

  メルボルンにいる娘から、寮のスプリンクラーが作動して部屋の床が水浸しになったと連絡がありました。娘によると、同じ9階の男子学生が慌てて部屋から出てきて、そこから煙がもうもうと出ていたそう。

「きっと、タバコだと思う」と娘。火の出る可能性のあるキッチンは1階ですので、やはり、タバコかもしれません。

 床に置いてあったものが濡れてしまったようで、フェイスタイムで水浸しになった床と物を見せてくれました。「ちょうど2,3日前に床のものを片付けたところだったの。不幸中の幸い」との苦笑する娘に、「やっぱり片付けすると良いことがあるんだね」と私。

 娘は、「寮の空いている部屋に今晩、移ってって言われているの。綺麗になるまで数日かかるみたい。それでね、9階の住人にピザをオーダーしてくれたの。でね、私、ヴィーガンなんですけどって伝えたら、ヴィーガン用のを注文しますって言ってくれた」と嬉しそうでした。

 そして、約1時間後。再び、娘からフェイスタイムで連絡がありました。娘は目に涙を浮かべています。

「私、ピザを食べるのを楽しみに一生懸命片付けて、ようやく終わって取りに行ったらもうなかったの。悲しい…」。

「あら、かわいそうに。管理人さんに伝えた?」

「うん、でも、追加注文はできないって」

「それは残念だね。じゃあ、ピザ、買っておいで。ついでにアイスクリームも」

「うん、ありがとう。今日は遅いから、明日買うね」

 娘はよくこういうことがあります。一生懸命、真面目に取り組んでいるのに、なぜか最後にちょっと損をしてしまう。あぁ、またか、かわいそうにと思いつつ、でも、こういうところが娘らしくて、何とも愛おしいなぁと思うのです。

 今日はピザ買えたかな?とびっきり美味しいピザでありますように。

 

2026年8月10日月曜日

海へ

  8日(土)に学校との話し合いを終え、中3の息子が無事2学期からも学校に通える事を確認し、肩の荷が下りました。翌9日から一泊で千葉県御宿町に泳ぎに行ってきました。

 娘はオーストラリアの大学3年生、息子は東京の私立一貫校の3年生で、子どもたちと遊べる期間は限られているーと最近ひしひしと感じるので、「遊びに行こう!」と思い立ったら、すぐ計画を立てることにしています。

 今回も「海に行こう!」と思い立ち、海が綺麗だという千葉県に行くことにしました。宿泊先は6月にオープンしたばかりのカフェ併設のホテルを予約しました。

 御宿町のビーチはサーフィンで有名らしく、たくさんのサーファーたちが来ていました。台風が接近しているため、波も高く、泳ぐというより次々と打ち寄せる波に体を任せるのに精一杯。でも、「海水浴に来たぞ!」という雰囲気は十分に味わえました。

御宿のビーチ

 ホテルにチェックインをしシャワーを浴びた後は、街へ。バーベキューをしているカフェを見つけて夕食を取りました。夜はベッドに寝っ転がって「スパイダーマン」を観ました。

夕食を取ったカフェ


 

カフェ併設のホテル「Dear Mom」

 


 今朝はホテル併設のカフェで朝食。昨日はあまり泳げなかったので、車で20分ほどの守谷海水浴場へ行きました。ここは入り江になっているため波が穏やか。サーファーの姿もなく、海水浴に来た人たちがのんびりと過ごしていて、私たちもゆっくり楽しめました。

「Dear Mom」での朝食

穏やかだった守谷海水浴場

ただ、息子は昨日の日焼けで皮膚が真っ赤になり、今日は泳げなかったのが残念でした。

 学校のことが一段落ついた直後の小旅行。一緒に泳ぎ、カフェでご飯を食べ、ベッドに寝っ転がって映画を観るー。子どもたちが大きくなった今、こうして一緒に遊べることが何より嬉しい2日間でした。 

2026年8月8日土曜日

闘い終えて…

  一週間ぶりのブログです。今日は息子の学校と闘ってきました。息子がニュージーランドにいる間に学年主任の先生から電話があり、帰国後息子と私たちと学校に来るようにと言われたのです。

 詳しくは書けませんが、ある出来事の発端は息子で、息子の行動により、誰も予想していなかったことが展開してしまったのです。

 先生から電話があったのは7月30日、息子が帰国する5日前です。私と夫はすぐ息子に事情を聞き、私たちとの日本語と英語でのメッセージのやり取りと事の深刻さに息子は数日間寝られなかったらしいのです。

 私と夫で車で成田空港に迎えに行きましたが、元気がなく、荷物をトランクに入れて後部座席に座った途端、安心をしたのか自宅までの1時間半ずっと寝ていました。

 私は弁護士に電話相談したり(取り合ってもらえなかった)、AIに相談したり、インターネットで検索をしたりして、何日もかけて準備をし、今日に臨みました。

 夫は担任の先生(外国人)にメールで連絡し、事情を聞き、今日の面談に出席してもらうことにしました。担任の先生は息子の味方でいてくれ、我々としては心強かった。

 今朝は夫が「具合が悪い」と言うし、息子も起きてこないし、で困りました。でも、「腹が減っては戦が出来ぬ」ということわざがありますので、息子の好きなアサリのパスタを山盛りにして食べさせました。

 話し合いは2時間ほどでした。私が先生方に質問をし、答えに対して疑問を呈するという形で進みました。結果的には息子が今後気を付けることを約束し、終わりました。

 ずいぶん心配しましたが、収束しました。学校の帰りにカフェに寄り、夫とはスパークリングワインで「お疲れ様でした」。息子も元気を取り戻し、あれこれ沢山食べました。それにしても、男子の中2中3は大変だと聞いていましたが、本当でした。

 有り難かったのが担任の先生の存在。「男子は中3までが一番大変ですが、高校生になれば、落ち着きますよ」と笑っていたのが、救いでした。

 

2026年8月2日日曜日

ベアを洗う

  明日、息子がニュージーランドから帰国します。2週間の滞在期間中、電話をくれたのは1回だけ。そのほかは、短いメッセージだけでした。やっぱり男子ですね。

 でも、お友達と一緒の写真を送ってくれました。山の上のベンチに座って、お友達4人とオークランドの街を見下ろす一枚。青春そのものという感じの、良い写真でした。

 今日は、息子が今でも一緒に寝ているクマのぬいぐるみ「ベア」と「ベアジュニア」を洗って干しました。ふんわりと良い匂いになって、息子を待っています。

 あぁ、私もベアになりたいなぁ。



2026年8月1日土曜日

がんのママの集いで

  今日、私が主宰するがんのママさんとAYA世代女性の集いがありました。5人のママさんと3人のお子さんたちが参加し、賑やかな会となりました。

 乳がん4人、胃がん1人が参加してくれました。このうち3人が、がんのあった臓器・部位を全摘出されていました。  

 今日の話題の一つは、がんになる前の自分に戻れないことによる気持ちの落ち込みをどう切り替えていくかーでした。

 手術や抗がん剤治療後、以前のように働けない、眠れない、動けない、食べられないー。症状は徐々に改善しても、体調は元には戻らず、外見も変わります。さらに、再発への不安も抱えながら生きていくことは、決して簡単なことではありません。

 あるママさんは、精神科医のカウンセリングを受けながら、「かつての自分に戻りたい、でも戻れない」と落ち込むたびに自分を客観視する方法を実践していました。

 別のママさんは、ある会合で教えてもらった気持ちを切り替えるための”名言”を心に留め、折に触れてそれを自分に言い聞かせているそうです。

 また、「失った臓器は戻らないし、外見も変わり、前のように出来ずに気持ちは落ち込んだ」と振り返りながらも、「”New"な自分を受け入れることで前向きに生きられるようになった」と話してくれるママさんもいました。

 今回の参加者で一番若い30代の女性は、「自分の中で、がんになったことを”格下げ”しているんです」と話してくれました。
「がんにならなくても、『あのときああすれば良かった』と後悔する自分がいたかもしれない」と考えることで、「失ったものはあるけど、その”新しい自分”として生きていく」覚悟を決めたと言います。

 かつての自分に戻ることができないー。

 このことについては私もずいぶん苦しみました。仕事=経済的自立=という、自分のアイデンティティの核だっただったものを手放さなければならかったことを長く引きずり、10年ほど続いた病気に次ぐ病気という悪循環で日常生活もままならない中で、この”喪失”に苦しみました。
 
 腫瘍精神科医のカウンセリングも受け、「生きていることに感謝すること」の大切さを説かれました。8回のカウンセリングを終えましたが、「先生は私の苦しみも悲しみも全く理解していない。だから、私はまた自力で元気になるしかない」と言い切り、目をぬらしながら診察室を出ました。頼ったはずの医師を突っぱねるほど、当時の私は、自分に折り合いをつけられずにいました。
 
「キャンサーギフト」という美しい言葉も折々にがん患者から聞きますが、本当にそうなのでしょうか? 将来への夢や希望が持てるAYA世代、働き盛り、そして、子育て真っ最中の世代ががんになり、「がんになって良かった」と前向きに受け止め、前進し続けることが出来るものなのでしょうか?

 そんな問いに対する答えを、30代の女性がきっぱりと言い切ってくれました。「がんになったことは良かったとは思わないけど、気づけたことはあった」。

 この言葉に、彼女より年上の私たちは深くうなずきました。おそらく、これが本当のところなのではないでしょうか。

 一度は死を覚悟しながらも、こうして生きていることに感謝をしている。でも、ときどき、かつての自分を思い出しては落ち込む。そして、そのたびに、自分を鼓舞したり、なだめたりしながら、何とか気持ちを切り替える。

 皆、こんな風に生きている。それを実感した一日でした。