2026年3月20日金曜日

娘@メルボルンからの報告_親ガチャ一等賞

  オーストラリアに留学する娘には一ヶ月に一、二度絵はがきを送っています。そのほか、折々に娘の好きなお菓子を詰めたパッケージも送ります。昨日、娘から「ママ、届いたよ!」と弾んだ声で連絡がありました。

 今回はひな祭りのチョコレート、娘の大好きな「じゃがりこ」、そしてグミ数種類(娘によると日本のグミは最高らしい)、クッキー、そしてバター醤油味のポップコーンを詰めました。ひな祭りのチョコレート以外は二百円未満で、全部合わせても送料のほうが高いのですが(こういう軽い物でも二千円ぐらい)、娘が喜ぶのでせっせと送っています。

 娘が言います。「ほら、最近、親は選べないという言葉が使われるでしょう?」「親ガチャね」。「それ、ネガティブな意味で使われることが多いと思うんだけど、私、本当にラッキーだったと思う。親ガチャ一等賞、大当たりだった!」

 目頭が熱くなりました。私は博士課程の指導教員との関係や超優秀な研究者がそろう研究所で辛い思いをしましたので、家族にはこうして私という存在を認めてもらっていると感じられることが何より嬉しい。人はどこかに居場所を求めているものだと思いますが、私はがん治療後社会復帰をしようと何年間も努力をしても社会に居場所がなかったので、こうした家族や友人たちの思いやりのある言葉が胸にしみるのです。

 娘はそのパッケージを友人たちに見せたと言います。「じゃがりこは知っている人もいて、少しわけてあげたら、喜んでいたよ。でも、私が食べたいから、1人1本しかあげなかったけど」とのこと。

 私こそ、娘も息子も大当たりでした。ありがたいなぁとしみじみ思ったのでした。

 

 

2026年3月19日木曜日

娘@メルボルンからの報告_娘の成長

  メルボルン大学に通う娘とのフェイスタイムでの会話は、私にとって癒やしのひととき。この2月から3年生になった娘は(オーストラリアの大学は2月が新学期)着実に成長しており、頼もしい限りです。

 最近、娘は動物について興味を持っているようです。大学の講義で、人間と動物の共生の難しさについて学んでおり、娘は将来動物を救うような仕事をしたいと考えているようです。海に捨てられたプラスチック製品で身動き出来なくなったカメの写真などを私に見せながら、「こういうメッセージ性のある画像はデザイナーが作っているの。私もこういう仕事がしたい」と娘は語ります。

 そして、最近読んでいるという動物に関する厚い本を私に見せてくれ、「この本に共感するところがたくさんあって、この著者の名前、どこかで見たことあるなぁと思っていたら、何と去年書いたレポートで引用した論文の著者がこの人だったの!」と興奮気味に語ってくれました。

 娘自慢になりますが、娘はとても聡明な子に育ってくれました。今21歳ですが、自分の考えをしっかり持っており、私が娘の年齢だったときより、ずっと思慮深い。海外の大学にいても、心配がありません。

 今、我が家では勉強嫌いな息子について心配が尽きないのですが、娘の心配がなく本当に助かります。今月末、娘の様子を見にメルボルンに行きます。とても楽しみです。

2026年3月17日火曜日

息子が友人の別荘へ

  中2の息子が、バスケ部のお友達の別荘に招待され、2泊3日で軽井沢に行きました。先ほど帰宅した息子は「すごい立派でビックリした」といろいろ話してくれました。

 今回招待されたのは息子と1年生2人。そのお友達は他の部員も招待していたようですが、今回参加できたのは3人でした。息子いわく「12人泊まれる家なんだよね」とのこと。まぁ、すごいお金持ちもいるものです。

 息子はお友達と東京駅で待ち合わせをして、新幹線で軽井沢へ。車で現地に行っていたパパさんが迎えに来てくれたようです。息子によると、その別荘の管理人が住む棟があり、部屋の掃除も全部その管理人さんがしてくれるのだそう。

 翌日は軽井沢プリンスホテル併設のスキー場でスキーを楽しみ、夜はボーリングに行ったそう。スキー場のリフト券とレンタルスキー代1万5千円はカードで払い、プラス現金2万円を持たせ、パスに1万円をチャージし持たせましたが、ほとんど使って帰ってきました。お金持ちのお友達がいると大変だ、と私立の中高一貫校に子どもを通わせる何人ものママ友に聞いてきましたが、本当にそうだと今回実感しました。

 息子いわく、「何でも高いんだよ。でも、そういうことを気にしないでお金を使うんだよね。歩いて行けるような場所でもタクシー使うし、ランチや夕食もすごい高いところを選ぶんだ」。息子の友人はクレジットカードを持っていて何でも買えるそうです。いやぁ、住む世界が違いますね。

 ちなみにそのお友達のご両親はお医者さんだそうです。なんだか、そういう金銭感覚のお友達を持つとなかなかに大変だなぁと思いました。

 息子が軽井沢に行っている間、夫は息子の成績が悪いとキレまくっていました。あんなに成績が悪いのに、なんでご褒美のような旅行をさせるのかーと。確かに…。でも、お友達から誘われるって、それはそれで大切なことなんですよね。 

 今回は親子で社会勉強をさせてもらいました。でも、ああいう世界に慣れてもらっても困るなぁと思ったのでした。

 

 

2026年3月15日日曜日

夫と朝のスタバへ

  大学に博士論文を提出し、在学延長し、4月から所属が大学だけになります。3月末で研究所の身分がなくなります。正直、ほっとしています。

 博士論文についての研究科での最終審査は4月になりますので、現在は、海外の学術誌に提出している論文の直しについて、共著者の先生に回覧をし、返答を待っているところ。そのほか、机も綺麗にし、あとは今月末の所属部の会議で最後になります。4年間、堪えたなぁというのが実感。思い出すのは、指導教員と廊下ですれ違ったときの不愉快極まりないという表情と数々のコメント。堪えきれずに、トイレに駆け込んで泣いたこと数知れず。

 終わりに近づき、戦闘態勢を解除すると、どっと疲れが押し寄せました。やる気が起きない。ブログの更新頻度が少なくなっているのは、それが理由だと思います。

 ここ数日、ようやく、家の中を見渡す気持ちになりました。家の中は散らかっており、私の机の周りには山のように資料や本が積まれています。それを整理するのが課題ですが、まずは、気持ちを立て直さなければなりません。

 夫を朝のスターバックスに誘ってみました。夫の良いところは、どんなときでもそこにいるという安定感。「いいよ!」と機嫌良く、スタバに付き合ってくれました。今学期の授業が終わり、自宅学習という名目で家にいる息子はまだ寝ていますので、私たちがコーヒーを飲んで帰宅するまで起きないでしょう。

 朝のスタバはそこそこ込んでいましたが、窓際の席が空いていました。ベーグルサンドとコーヒーをオーダーして、そこに座って食べました。最近の夫婦の話題は、息子の成績について。息子は勉強が嫌いで、成績がかなり低迷しています。この1年で国語と数学で1がついており、今学期の期末試験も大変な点数を取ってきました。どれかが1かもしれない、と予想しています。

  来年度1学期に1を取ると、学校を退学させられます。息子は日本語が出来ませんので、日本の学校への転校はできず、かといって、数学が出来ないのでインターナショナルスクールにも行けません。どうしたものかと頭を抱えています。

 夫は外資系の会社に勤めていますが、基盤が日本なので、海外への転勤は難しい。で、夫が言います。「昨日、考えたんだけどさ。君、博士号取ったら、海外の大学のポストドクター(任期付きの博士研究員)探したらどう」。私が海外で仕事を探し、息子を現地の学校に転校させたらどうか、というのです。「そのほうがビザは下りやすいし、僕も会社に対して海外勤務願いを出すより、家族が海外にいるので、年間半分ぐらいは家族と生活し在宅勤務をして、半分は日本に帰ってきて仕事をすると提案のほうが会社にも言いやすい」

 あぁ、何というプレッシャー。「日本でもポスドクの仕事、見つからないんだよ。ましてや海外なんて。それに私の英語力じゃあ」。「英語は何とかなるよ。それに就活は日本より海外のほうがましさ。日本は年齢制限が厳しいからね。海外は日本に比べて、年齢に対しては厳しくないよ」。

 娘いわく、「学校を退学させられたときの準備なんて、しないほうがいいよ。絶対。ほら、言霊っていうでしょう?本当にそうなっちゃうよ。なったら、なったときに考えたほうがいい」。確かに。学校もすぐではなく、数ヶ月の猶予はくれるようなので、その間に対応を決めることはできます。でも、それじゃあ、間に合わない…。

 さて、スタバの領収書についていたアンケートに答えて、フラペチーノ(フローズンドリンク)を無料でもらえました。それを持ち帰り、寝起きの息子にあげました。息子は「おっ、フラペチーノ、美味しそうだね」と喜んで飲んでいました。あーあ、良い子なんだけどなぁ。



 

2026年3月10日火曜日

いろいろあり…

  いろいろあって、ブログが書けずにいました。まず、一番大きかったのは、私の所属する研究チームの責任者が2月27日に65歳で亡くなったことです。T先生といいます。

 T先生は呼吸器外科の先生で、研究室の中で私が最も信頼するMさん、いつも励ましてくれるT君、そしてチームリーダーのOさん、私の4人が事務局となり、「T班」という名前で3年前から研究を進めてきました。T先生は半年ぐらい前から体調を崩し、あっという間に亡くなりました。がんだったと聞いています。

 お葬式に行ってきました。6日の夜でした。お寺のお坊さんによる読経がない「自由焼香」という形で、午後6時から8時までの間で参列者に都合の良い時間に伺って焼香するようになっていました。

 現役の医師のそれも要職につく人の葬儀ですので、大変な人数の人が来ていました。供花もそれはたくさんありました。遺されたのは、美しい奥様と高校生のお嬢さんです。

 その光景を見てつくづく思ったのは、当たり前ですが、死んだら終わりなんだという事実です。T先生が積み上げてきた華々しいキャリアも、美しいご家族も、死んでしまったら手放さなければならないのだということです。

 私は病気をしたこともあり、死はいつも身近にありました。でも、T先生の葬儀に参列し、改めて思いました。私はまだ、死ねないと。子どもたちとまだまだ一緒に過ごしたいし、夫と老後をのんびりと楽しみたい。母ともおしゃべりや食事をしたいし、友人たちと美味しいお料理を食べたり、お酒を飲んだりして、語り合いたい。まだまだ書きたいテーマもある。

 昨年47歳で亡くなった友人ゆきちゃんも、65歳で亡くなったT先生も、まだまだこれから家族や友人たちとの楽しい日々がたくさんあって、あれもしよう、これもしよう、と思っていたはずなのに…。無念だったと思います。

 穏やかな表情で眠るT先生に「ありがとうございました」と手を合わせました。そして、改めて、日々を大切に生きようと思ったのでした。

 

 

 

2026年3月3日火曜日

ひな祭りの祝い方

  今日はひな祭りでしたね。皆さんはひな人形を飾りましたか? 私はいろいろ追われているため、今年こそやめようかなと思いましたが、昨日、頑張って飾りました。オーストラリアの大学に留学中の娘が生まれたときに両親からもらったひな人形は、これまで一度も飾らなかった年はありません。今年も飾れた自分を、心の中でこっそりと褒めました。

ダイニングに飾ったひな人形

 ひな人形は収納エリアの奥に入っているため、その前に置いてある様々な物を一旦出さなければいけません。それが億劫なのですが、去年、ひな祭りの前日に人形を出して、翌日に片付けることにすると、居間に大量の物が置いてあっても2日間だけですので、心の負担が減ることに気がつきました。で、今年もひな人形を2日に出し、居間に大量の物を置いてそのままにし、3月4日に全部片付けることにしました。

 今朝は地元小学校に絵本の読み聞かせに行きました。読んだ本は「ひなまつりにおひなさまをかざるわけ」。木で作った人形に熱が下がらない女の子の熱を移し、川に流す「流しびな」という風習のお話です。

 読み聞かせをした3年3組の担任の先生は、息子のかつての担任の先生です。ご挨拶をすると私のことを覚えていてくれ、たまに息子を駅で見かけると話してくれました。「最近はぐんと背が高くなって、びっくりです」。息子がお菓子作りが大好きだという話をすると、それは嬉しそうに「そうですか!将来はパテシエですね」と楽しそうに話してくれました。

 このように先生や子どもたちと交流できる月に一度の絵本の読み聞かせは私にとって、癒やしの時間です。今日も、幸せな気持ちで帰宅しました。論文書きをしばらくした後、ひな祭りを一緒にお祝いするため、おかずを作って、ちらし寿司と和菓子を買って、母のマンションへ。

 88歳の母はとても元気で頭もシャープです。ママ友たちのお母さんで認知症を患っている人も多く、その大変さを聞いているため、母が自立して暮らしてくれていることに、感謝。母はテレビのスポーツ観戦が趣味で、近く行われるワールドベースボールクラシック(WBC)に出場する選手たちの名前をフルネームで覚えており、今日も嬉しそうに選手たちの話をしていました。

 母は朝ラジオを聞いているのですが、今朝は、「起爆剤」という言葉が出てきたため、寝ながら漢字の書き順を思い浮かべ、朝起きてから辞書で調べて確認したとか。こういう日々の地道な努力が年齢を重ねてもしっかりしている秘訣なのかも、と思ったのでした。

 絵本の読み聞かせという幸せな時間を過ごせ、かつ、母も元気でいてくれることに心から感謝をした一日でした。 


ひな祭りを母と祝う


2026年3月1日日曜日

ついに提出

  2月27日、製本した博士論文と16の書類を大学に提出しました。加えて、在学期間延長願いも一緒に提出しました。

 この博士論文は、4月の研究科委員会で審議されるそうです。長い長い道のりでした。3月修了の期限となる2月19日の締め切りが間に合わず(審査会に提出しましたが、連絡が来なかった。審査会の承認がなければ論文は大学に提出できません)、在学期間延長となりました。指導教員から「満期退学」を言い渡され、それを受け入れず、在学期間延長を選びました。

 在学期間を延長するということは、誰かに指導教員になってもらわなければなりません。現在の指導教員は3月末で退任しますので、新たな指導教員を私が探すのか、専攻長と相談して決めるのか、全く分かりません。でも、もう、それは後からでもいいーと判断し、とりあえず、書類のみ大学に提出しました。在学延長については指導教員と専攻長の承認の印はもらいました。

 友人Nさんにこの変のところを聞いてみました。Nさんは20代で博士号を取得しています。彼女は私の状況に共感してくれましたが、「十人十色で、楽な博士課程なんてないと思う」とのこと。私の知り合いで何人か博士号を取得している人がいますが、皆、当時を「暗黒時代」というような表現で振り返っていますので、そうなんでしょう。

 とりあえず、提出はしました。苦しかったなぁ、、、というのが今の気持ちです。