昨日、私が主宰するがんのママとAYA世代の方のお話し会を地元の施設で開きました。30代の独身の女性と、40代のママさんが参加してくれました。
30代の女性は乳がんで、片方の乳房を全摘し、再建手術をしています。職場にも復帰され、とにかく前向きで明るい方です。
昨日、私が主宰するがんのママとAYA世代の方のお話し会を地元の施設で開きました。30代の独身の女性と、40代のママさんが参加してくれました。
30代の女性は乳がんで、片方の乳房を全摘し、再建手術をしています。職場にも復帰され、とにかく前向きで明るい方です。
今日、姪っ子とお友達が2週間の日本滞在を終え、ミシガン州へ戻りました。朝夕食を作り、洗濯をし、家を綺麗に保つのは大変だったけど、二人とも日本のファンになってくれました。
姪っ子は小さなころからベジタリアンでしたが、日本に来たからには、と魚を食べてくれました。お寿司はもちろんのこと、シシャモ、イワシ、イクラ、タラコも食べました。昨日はホッキのフライとホッキカレー(おすすめです)も「美味しい!」と喜んでくれました。
私と一緒に料理を楽しみ、作った料理はすべてノートにつけて行きました。帰ったら家族に作るそうです。姪っ子のお友達は日本の大学への留学計画についても話してくれました。
息子と夫によると、「楽しかったけど、バスルームとトイレが大変だった」とのこと。女子は夜のシャワーと朝の身支度の時間が長く、我が家の男子たちは遠慮をして、女子たちが使わない”隙間時間”を使って用を足していたようです。こういうことも、きっと楽しい思い出になるに違いありません。
姪っ子は「今度来るときは、伯父さんと伯母さんがいつも行く日本酒の店に行きたい!温泉にも行きたい(今回は恥ずかしくて行けなかった)!」と語ってくれました。
姪っ子たちが帰国した後、寝室などに詰め込んでいた物を元の場所に戻しました。また、いつもの我が家に戻り、寂しいような、ほっとしたような…。
| 姪っ子とお友達が昨日「ありがとう!」と贈ってくれたお花 |
昨日は大学に学位記を受け取りに行きました。4月末に事務担当から博士号授与の連絡がメールで来て、その後に「事務室まで取りに来てください。学生証と引き換えにお渡しします」との連絡。5月1日から特任研究員としての仕事が始まり、慌ただしくしており、受け取りが昨日になりました。
博士課程の4年間は途中で指導教員が代わる、自分の専門ではない指導教員の下で研究を進めるなど苦労も多く、あまりの理不尽さにトイレに駆け込み泣いたことも数知れず(アラ還でも涙をこらえれないこともある)。一度始めたことはよほどのことがないと辞めてはいけないと思い込む昭和な気質と、困難が降りかかるほどにパワーが湧き出るという厄介な性分から、学位取得まで粘りました。
そんなことを思い出しながら、仕事を終えた後に医学系研究科の事務室に行き、学生証を渡して、学位記を受け取りました。内容を確認し、受け取りのサインを台帳にしました。そこには何人もの名前と受け取り日が記されており、5月に取りに来た人もいれば、私のように6月になっている人もいる。代理人が取りに来た人もいました。
博士号取得は皆が一斉に卒業する大学のような晴れがましいことではなく、連続する日常の延長、そして紆余曲折・悪戦苦闘の末の穏やかな一区切りなんだな、と改めて思いました。この学位記を受け取りに来た人の大半の心情は”安堵”だったのでは、と想像しました。
私の職場では教育学研究科で学位を取得した人もいて、その人は研究科長から学位記を渡されたそうです。ローブを着用して、写真を撮ったとか。彼女は修了式などという大がかりなものではなく、それほど簡易なものなんだ、というエピソードとして語ってくれたのですが、少なくとも私にはそのような喜ばしい一コマもありませんでした。
でも、学位記を渡してくれた事務担当の人がアクリル板で仕切られた窓口の向こうから「おめでとうございます」と深々と礼をしてくれことが、嬉しかった。
学位記をもらった後は、それを持って研究科の建物の前で自撮り。そして、まぁ、記念に安田講堂前で撮ろうか、とテクテク歩きました。私が左手に学位記を抱えて、右手にスマホを持っての自撮りに難儀していると、男子学生が「撮りましょうか?」と声をかけてくれました。「ありがとうございます!お願いします!」とスマホを渡しました。
数枚、パチパチと撮してくれた学生がスマホをこちらに手渡しながら、ニコニコして「おめでとうございます!」とお祝いの言葉を言ってくれました。心がほんわかと温かくなりました。
学位記をエコバッグに入れて自宅に戻った後は、いつものように夕ご飯づくりです。前日まで姪っ子と友人が泊まっており世話に忙しかったので、昨夜は冷蔵庫の残り物を使ってのご飯で、中3の無口な息子と夫と3人の静かな夕食でした。そして、片付けをした後は疲れて寝ました。
さて、今朝起きて、エコバッグに入れたまま、椅子に置いてある学位記をどうしたものかーと考えました。このまま仕舞うのもなぁ。そうだ、娘が夏、留学先から帰ってくるから記念写真を撮ろうと思いつきました。これまでは子どもの入学、卒業に合わせて記念写真を撮ってきました。でも、今回はママが真ん中に座って、子どもたちと夫が私を囲むポーズ。そんなことを想像すると、嬉しくなり、一人にんまりとしたのでした。
先週金曜日から我が家に滞在していた姪っ子とお友達が今日、新幹線で大阪に向かいました。6日間、狭い我が家に女子2人を迎え入れるのは、楽しかった半面、なかなか大変でした。
一番大変だったのはバスルームの問題でした。我が家はトイレとお風呂、洗面台が一緒です。ですので、誰がが使うとそこを使うことができません。
女子二人は夜お風呂に入ってくれたのですが、30分は入っているので、その間トイレはいけません。朝もお化粧や髪でそれぞれ30分以上かかりますので、とにかく、朝起きたら彼女たちが使う前にトイレに行き、シャワーを5分ぐらいですませます。
昨日の朝、私も息子も朝トイレに行きたくて我慢をしていたのですが、なかなか出てこないので、もう我慢できずにノックし「ごめんね、トイレ使っていいかしら?」と聞いてみると、なんと念入りな化粧の次に、三つ編みを丁寧に編んでいるところでした。
姪っ子は3人姉妹で、家にはバスルームが3つあり、3人はそれぞれ部屋があります。そして、姪っ子とそのすぐ上の姉が2人でバスルームをシェアしている贅沢さ。もちろん、義弟夫婦は自分たちのバスルームがあります。だから、バスルームをゆっくり使う習慣があるのですね。
次に大変だったのは食事です。姪っ子がベジタリアンで、日本に来たからには魚を食べるーというのですが、美味しく食べてもらうにはどうしたら良いか、本当に悩みました。姪っ子のお友達は逆にお肉も食べるというので、姪っ子用のおかずの他にお友達にはお肉を別に作ったりもしました。
たとえば、昨日のメニューは焼いたぎんなん、ごま豆腐、ビーンズディップと野菜、味噌ラーメン(姪っ子はもやしのみ、お友達にはチャーシュー付き)、餃子です。餃子の具は姪っ子には豆腐とニラ、姪っ子のお友達には豚挽き肉とニラ、という具合です。
朝ご飯もうどん、おにぎりとお味噌汁、または、パンに卵やポテト、などとバラエティに富んだものに。おにぎりの具も鮭がいいのか、梅がいいのか、ひじきも食べられるのかーと一つ一つ悩みました。
服は一日着たら上から下まで全部洗います。日本人のようにジーンズやスカートを何日か着たりはしませんので、せっせと洗濯もしました。
今朝、大阪に向かった二人。夜はまた3人の静かな時間に戻りました。「楽しかったけど、なんかほっとするなぁ」と夫。「そうだね、今日明日は残り物でいい?」と私。
二人に、日本での滞在を楽しかったと思ってもらいたい一心で頑張りました。二人は5日間を大阪で過ごし、来週我が家に戻ってきて、二泊して帰国します。
あと2日間、むつみ伯母さんは頑張ります。
娘から、2度目の献血をしたと報告がありました。女子は、最初の献血が400㎖以上の場合、次の献血は16週間後と決められているそうです。娘は4月2日に最初の献血(470㎖)をしましたが、帰国が今月末ですので16週間という期間に満たない。そこで「血漿成分献血」をすることにしたというのです。
これは、血液中の液体成分(血漿)のみを採取し、赤血球などの他の成分を体内に戻す方法で、体への負担が少ないそうです。
私が自己免疫疾患を患ったときは、ヘモグロビンや血小板などの輸血を何度もしました。ヘモグロビンが体に入ると、一気に呼吸が楽になったことを今も鮮明に覚えています。献血の袋の中に少しだけ残った血がもったいなくて、看護師さんが点滴をはずそうとしたとき、思わず「もったいないから、最後まで入れてください!」とお願いしたほどでした。
血小板輸血もしました。自己免疫が血小板を壊してしまい、体のあちこちに内出血の赤い斑点が出来たときのことです。血小板は黄色い液体だったことも、忘れられません。
娘の最初の献血は、事故に遭った方への輸血に使われたと報告があったそうです。
私は多くの輸血を受けたので、もう献血は出来ません。でも、娘がこうして誰かの役に立とうと行動してくれることを、とても嬉しく誇らしく思っています。血漿成分献血は2週間空ければ、また、献血できるそうです。娘は「帰国前にもう一回献血する!」と張り切っています。
5月31日、息子にとって中学校最後のバスケットボール大会がありました。息子は右足首の捻挫で週一回リハビリに通っており、今回は両足首にサポーターをつけて試合に臨みました。
息子の学校は体育館が小さく、週3回しか練習ができません。ですので、他校に比べて練習量が限られます。それでも前回の大会では何と一勝しました。
今回は残念ながら、一回戦で敗退。でも、息子はチーム30得点中18点を決めました。高校生になってもバスケを続けるそうです。
私も夫も観戦を毎回楽しみにしており、今回は姪っ子と友人も応援に来てくれました。あと3年間は親としての楽しみが続くので、とても嬉しく思っています。