2025年6月2日月曜日

息子と一緒に英検受験

  昨日は息子と一緒に英検を受けに行きました。息子が4度目の、私は3度目の1級挑戦です。

 息子は小学校4年のときに英検を受け始めました。小学生はまだ親の付き添いが必要な場合も多く、どうせ付き添うのだから、私も受験しよう!と思いつきました。息子が小5のときに準1級を一緒に受けて、一緒に合格。が、その後の1級は息子も私も不合格が続いています。

 息子はいずれの級でもやる気になったことがなく、全く勉強をしません。ママが申し込んだので、一応は受験しますよーという態度。ですので、今回も全く勉強せずに受験(私もですが…)しましたので、投入時間ゼロ・ストレスゼロ。緊張もしていません。

 今日の会場は立教大学でした。電車で向かう途中、息子は携帯電話でゲームをし、私は息子の中学校のPTA活動でのやり取りに使っているBANDというアプリをチェックしていました。そこで、中学3年のママさんから、「おもしろいイベントがある。こういうイベントをPTAや学校で紹介してくれると有り難い」というようなコメントが入っていました。

 最近、注目されている「STEM教育」のプログラムです。STEMとは、Science(科学)、Technology(科学技術)、Engineering(工業技術)、Mathematics(数学)の頭文字で、これらを重視した教育という意味です。

 さっそく、URLをクリックして、サイトを見てみました。そのサイトでの子どもたちへのメッセージに驚きました。

「君を日本のトップに、そして世界一へ。

 君は何だってできる。まだ気づいていないかもしれない。自分にどれほどの可能性があるのかを。『自分にできるのか?』『どこまで行けるのか?』そんなこと、今考えなくてもいいんだ。君はなんだってできるんだから。

 最高の環境で学び、挑戦すれば日本のトップへと成長できる。そして、その先には世界の舞台が待っている」

息子に「ねぇねぇ、この文章どう思う?」と聞いてみました。

息子「ビミョー」

私「微妙ってどういうこと?」

息子「ビミョーはビミョー」

私「あまり心に響かないってこと?」

息子「うん」

私「君の場合、日本のトップになるとか、世界の舞台を目指すとかじゃなく、軽井沢あたりでひっそりのんびり生きたいなぁって感じだよね」

息子「うん、それがいい」

 こうした熱いメッセージに今の中高生は鼓舞されるのでしょうか。我が家の息子が「これがやりたい!」というものがなく、ひょうひょうと生きている子なので、少なくとも、息子には響かない。「あっ、そうですか。すごいですね。まぁ、皆さん頑張ってください。僕は遠慮しますんで」という反応が関の山。

 こうしたキャッチコピーに刺激を受けたのは、むしろ、私のような昭和のバブル期に社会に出た人間なのではないでしょうか? 私は男女雇用機会均等法第一世代ですが、米国のパワフルな女性の先輩たちからの「Having it all!」(すべてを手に入れよう)というメッセージに心の底から共感していました。

 つまり、キャリアでの成功と幸せな結婚の両立は男性だけでなく、女性も可能なのだという力強いメッセージです。ほらっ、何となく似てませんか? 先ほどのメッセージに。

 まぁ、結局は米国でも日本でも、すべてを手に入れた女性はおそらく一握りで、当時その言葉に力をもらった女性たちは私も含め、「Having it all」は幻想だったと人生の途中で気付いてしまうのですが…。

 話は脱線しますが、私は千葉敦子さんというジャーナリストの「自分の半径2㎞以内しか興味のない女になるな!」というメッセージにも感動し、彼女のようになりたくて新聞記者になりました。

 社会から発信される力強いメッセージを真っ正面から受け止め、希望に胸を膨らませるー。私はまぁ、言ってみれば単純だったのですね。外からの刺激に何も反応しない息子を見ていると、改めて自分の若い頃の単純さを笑えます。

 さて、英検です。筆記試験100分・リスニング30分の試験を終え、教室を出て息子と待ち合わせた場所に行くと、息子は相変わらず携帯電話でゲームをしていました。

「どうだった?」

「まぁ、今回はエッセイはそこそこ出来たよ」とのこと。前回は問題の意味が分からず、あまり書けなかったのですが、今回は書けたようです。

「ママ、単語22問中1問も分からなかった。難しかった」

「僕は3分の1ぐらい分からなかったかなぁ」

「すごいね。3分の2出来ればたいしたものだよ。それにママ、リスニングで集中力が途中でなくなってしまった。年かな?」

「大丈夫。僕、若くてもリスニング、途中でぜんぜん集中出来なくなったから。年齢関係ないよ」

「そう?」

「今回受からなかったら、もう受験やめようかな。だって、英検って必要ないじゃん」

「でもさ、取れるときに取っておいたほうがいいよ。後に何かで必要になるときがくるかもしれないから。年に1回受けるぐらいの、のんびりとした受験でもいいんじゃない?」

「そうかなぁ。まぁ、どっちでもいいけど」

 息子と話をしていると、先ほどの「君は何だってできる。日本のトップへ。そして、その先には世界の舞台が待っている」という力強いメッセージは頭の中からどんどん消えていき、代わりに「暖簾に腕押し、糠に釘」という日本の古くからのことわざがじわじわと浮かんできました。

 でも、なんだかんだ言っても、お昼は美味しいパンを買って立教大学の美しいキャンパス内のベンチで食べられたし、駅までの道は息子と腕を組んで歩けたし、おしゃべりもそこそこ出来ました。良い一日だったのでした。

英検の会場だった立教大学の美しいキャンパス


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