メルボルンの大学でアートを学んでいる娘とは2、3日に一度、フェイスタイムで話をします。今日はアトリエにいるということで、絵を描きながらおしゃべりしてくれました。
娘は私と話している間に2枚の絵を完成させました。ぱっぱっと仕上げているにもかかわらず、とてもいい絵なのです。今回のテーマは”砂漠”。砂漠そのものを描いた絵と、砂漠の上に太陽を描いた絵です。波打った砂がリアルで、写真のよう。
「すごいねぇ、こんな短時間で絵を完成させられるなんて」
「そうだね、早くはなったかも」
「ママだったら、その絵を完成させるのに2,3週間はかかると思う」
「そう?ほら、去年、一枚一枚の絵をじっくり描いていたら、先生に一枚をじっくり描くよりも、数を沢山描いたほうがいいと言われたの。で、それに従っている」
「そう。でも、それを出来るなんてすごいね」
「この色のコントラストが激しい絵は先生が気に入りそうな絵なんだ」
「そうなの」
「うん、自分が描きたい絵ばかり描いていると評価されないし、一方で、先生に評価されそうな絵ばかり描いても、煮詰まるし。だから、先生が気に入りそうな絵を少しだけ描くようにしているの」
「なるほど。小学校受験で、学校に受けのよい絵を練習するみたいな感じだね。ほら、画用紙いっぱいに人が生き生きと描かれている絵が多いなぁと思っていたら、ある学校好みの絵だったと分かったことがあったよね。でも、それは画一的という欠点はあれども、画用紙いっぱいに描くことによるメリットのようなものがあるのかもね」
「確かに、そうかもね」
娘の絵を見せてもらいながら、ふと娘にお願いしたいこと思いつきました。娘との会話にいつも癒やされているので、思いついたのです。
「ねぇ、一つ約束してほしいことがあるの」
「約束? 内容によるなぁ」
「ママが死ぬときに、側にいてね。ママは病院でも自宅でも死ぬのはどちらでもいいんだけど、ママが旅立つとき、手を握って見守っていてほしいの」
「もちろん!頼まれなくてもそうするよ。ママは私にとって世界で一番大切な人だから、当然だよ。会社辞めてついているよ。でも、ママが死ぬときって、何十年も後だから、そんなこと心配しなくていいよ」
「それを聞いて、安心した。ママが望むのはそれだけ」
「了解!」
娘はこういう優しい言葉がけができる子なのです。娘に見守られて死ねるなんて、なんて幸せなのだろう? そのときを想像すると死ぬときは寂しくないなと心がほんわかと温まりました。実際はどういう最期になるかなんて誰にも分からないけど、希望を持つだけで今を生きられます。親をこういう幸せな気持ちにさせてくれる娘に感謝です。
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