2025年8月16日土曜日

ママ友が旅立つ

  ママ友が旅立ちました。ゆきちゃんといいます。まだ、45歳でした。

 子どもたちが同じ幼稚園に通っていた縁で親しくなり、卒園後もずっと親しくしていました。とても大切な友達です。

 ゆきちゃんは2016年、肺がんを発病。娘さん(息子と同い年)がまだ幼稚園児のときでした。ずっと治療を続けてきて元気にしていましたが、数ヶ月前から体調が悪化し、今朝旅立ちました。

 ゆきちゃんはママ友グループのまとめ役で、お花見や花火、ハロウィーンなど子どもたちと一緒のイベントをいつも企画し、取りまとめてくれました。ゆきちゃんがいるから、皆が今でもつながっていられました。

 6日にいつものメンバー4人でお見舞いに行ったときは少し体調も回復していて、「退院したら、皆で花火をしようね」と話していたばかりでした。

 今朝、7時18分にゆきちゃんとのラインにメッセージが入っていました。私がメッセージを見たのが8時半近くでした。

「ゆきの呼吸が止まりそうです」

 ゆきちゃんは意識が混濁していて、自分のことを「ゆき」と言って、「呼吸止りそう!」とメッセージを送ってくれたのだと思いました。

「大丈夫?これからお見舞いに行っていい?」とラインを返し、「このライン、パパからだったらどうしよう…」と思い、「午前中に行くね、ゆきちゃん、頑張ってね」ともう一度ラインを打ったところで、ライン電話が鳴りました。高2の息子さんからでした。「パパに代わります」。

 ご主人が電話に出てくれ、ゆきちゃんが旅立ったことを伝えてくれました。

 もう1人のママ友と連絡がつき、病院に行きました。病室にはゆきちゃんの大学時代のお友達4人がすでに駆け付けていました。2人は大阪から来たそうです。

 ゆきちゃんはいつものゆきちゃんらしいお化粧をしていました。お友達がしてくれたそうです。普段通りに、とても綺麗でした。

「ゆきちゃん、頑張ったね」

 そう、声をかけました。腕や肩をなでると、想像以上に痩せていました。咳がずっと続いていて、辛かったんだろうなぁと思いました。

 幼稚園時代の先生も1人駆けつけました。病室では7人の友達が代わる代わるゆきちゃんに話しかけました。

 ほどなくゆきちゃんは病室から霊安室に運ばれました。お部屋には綺麗なお花が飾られていました。気丈だったご主人は関係の方々への連絡や様々な手続きを終えて、眠っているゆきちゃんの横にようやく寄り添うことが出来ました。何度もゆきちゃんの肩をなでたり、ほおに触れたりしていました。涙がとめどなくほおを伝っていました。

 ご主人はTシャツ・短パン姿で、野球帽を被り、ニューバランスのスニーカーを履いていました。昨夜付き添っていた息子さんからの緊急電話で朝駆けつけたそうです。その、今にも外にジョギングに行きそうな精悍な姿と、旅立った妻を前に立ちすくむ様子があまりに不釣り合いで、胸が締め付けられました。

 ゆきちゃんは霊安室に続く廊下から、外に運ばれ、車に乗りました。ふと、20年前、死産した息子の小さな棺が霊安室から車に運ばれ、一緒に車で病院を出たときのことを思い出しました。あの日も、快晴でした。

 一足早く自宅に向かうゆきちゃんを見送り、霊安室に戻りました。

「どうもありがとうございました」と一礼したご主人は言葉に詰まり、「すみません、締め方が分からなくて…」と苦笑しました。このような場の挨拶の言葉なんて知るはずもない、若いご主人でした。

 ゆきちゃんは、お昼ごろ大好きだった家に戻ることが出来ました。ご自宅には牧師さんが駆け付けてくれ、ゆきちゃんのために聖書の一節を読んでくださいました。その言葉に聞き入っていると、ゆきちゃんの声が聞こえました。

「むっちゃん、ランチしない?」

「むっちゃん、隙間時間にお茶しようよ」

「むっちゃん、元気もらったよ。ありがとう」

「むっちゃん、むっちゃん…」

 ゆきちゃん、仲良くしてくれて、ありがとう。天国でまた、ランチやお茶をしよう。そのときまで、いい店を探しておいてね。



 

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