一昨日の8月15日、夫が娘の留学先のメルボルンへ向かいました。6日間の日程です。娘が先週、大学のクリニックで診断を受けたため、夫に行ってもらいました。
娘はこの数ヶ月、精神的に不安定な日々が続いていました。毎日のように電話やフェイスタイムで連絡をしましたが、電話がつながらないことも多く、心配な日々でした。
6月下旬から7月上旬にかけて、私が娘の様子を見に行ったときは娘は幸せいっぱいの表情をしていました。私もとても幸せで、娘と楽しい時間を過ごしました。が、私が帰国して数日後からぐんと落ち込み、連絡もなかなか取れなくなったのです。たまにフェイスタイムで話すと、「大丈夫だよ、電話にでられなくてごめんね」と言いながら、顔にはニキビが吹き出ていることも何度もありました。
一度は1人で夜中に海に行っていたこともあり、このときは心配で寝られませんでした。たまたま、夫が娘の電話に位置情報を検索できる機能を付けており、それで分かりました。未明に電話をかけ続け、夫の電話がつながり、寮に帰るまで電話で話し続け、寮の部屋に入るのを”見届けた”こともあります。
この機能を夫が付けたのは娘が高校生のときで、「娘のプライバシーに踏み込むのは良くないと思う」と指摘をしましたが、今となっては夫の心配性が功を奏した形になりました。
何度も夫に行ったほうがいい、と勧めましたが、娘に聞くと「大丈夫」と言います。ですので、夫も躊躇して、なかなか行く決断が出来ませんでした。私のほうも中2の息子を夫に預けて娘のところに行って息子に申し訳ないという気持ちと、私自身博士論文を抱えていることから、もう一度娘のところに行く決断が出来ませんでした。
また、夫と私は、常々娘の心配をして、あれこれサポートしてきましたので、親元から離れた今が自立のときかもしれない、その自立のプロセスを阻んではいけないーという葛藤もありました。一方で、娘の安否の心配も常にありました。このように、ずっと膠着状態が続いていたのです。
娘が落ち込んだ理由は、必修単位を落としたことでした。娘はアート専攻で、実際に絵を描く実技だけでなく、アートの歴史など必修の講義もあります。その必修講義は6つあり、それはすべてつながっており、1番目の講義をパスしたら2番目を受講でき、2番目がパスしたら3番目が受講できるという形で連なっています。そして、それぞれが1年に一度しか受講機会がなく、一つを落とすと丸一年卒業が延びる形になるのです。娘は3番目を落として4番目を受講できない状態となり、卒業が1年延びたのです。
そのような講義の仕組みはどこの大学でもありますが、6つがつながっているのは聞いたことがありません。学生のプレッシャーたるや、大変なものだと思います。オーストラリアの大学は3年なので、1年延びても日本やアメリカの大学と同じ4年間から大丈夫ーと慰めたのですが、娘は深く落ち込み、そこからなかなか上がってはきませんでした。
よくよく聞くと、娘は権威的なもの(教師や大学の窓口など)に対する恐怖心がひどく、今や先生や大学からのメールも開けないとのことでした。中高時代から「先生が怖い」と言っていて、私や夫が娘の絵の才能を引き出してくれたと感謝するアートの先生でさえも、「怖い」と言って縮こまっていました。
また、国際バカロレア(IB、国際的に通用する大学入学資格)の課程が大変だったことも尾を引いているようでした。娘はIBの中でも日本語と英語のバイリンガルで取得しましたのでさらに難易度も高く、プレッシャーもかなりあったのだと思います。夫と私の娘への期待もプレッシャーになっていたのかもしれません。
メールを開けないことについては、私は娘にこう助言しました。
「やらなければならないことは皆、なかなか着手出来ないもの。それに、やる気なんてそもそも出ないもの。だから、朝起きたら5つだけメールを見るとか時間を決めて、感情を入れないで淡々と作業をするようにしたほうがいい。ママも落ち込んだり、気分が塞いだりすることが多くて生きるのが難しいと日々感じている。で、いろいろ本を読んで取り組んでみたの。これまで一番効果があったのは、原因に迫る心理療法じゃなくて、日々作業をすることで心の重荷を軽くしていく療法だった。だから、試してみて」
でも、その助言は娘によると「聞いたときは、そうだな、それはいい方法かもしれないと思うの。でも、やっぱり怖くてメールが開けられない」と言います。
夫はこう対処しました。
「じゃあ、電話でそのメールをダディにシェアしてくれないか?一緒に一つ一つ片付けていこう」
娘はしぶしぶメールを夫とシェアしました。夫がそれを読み上げていき、締め切りが終わったものはどうしたらいいか、返信のメールの文面はどうしたらいいか、と実際の手続きを一緒にしていきました。娘と夫はそのとき20通ほどのメールを対処しました。それが終わったときの娘の表情はすっきりとしていました。私のように方向性を示すのではなく、実際に一緒に取り組むことが大切なんだと、夫に学びました。
娘はすでに大学のカウンセラーに相談していました。でも、カウンセラーからのアドバイスは的が外れていました。娘によると、助言は「日本の先生は厳しく時に暴力も振るうと聞いている。オーストラリアではそんな先生はいないから大丈夫」というものだったといいます。娘は反論したようですが、心の問題を抱える学生に知識と経験に裏打ちされたものではない、見聞きした情報で浅い助言をするカウンセラーにはがっかりしました。
夫と私で大学のクリニックを受診するようにーと助言しました。娘は大学内のクリニックの一般内科を受診。そこで、先日、「不安症」「パニック症」と「軽度のうつ病」の診断を受け、精神科の医師へ紹介してくれることになったようでした。その医師によると、娘はまだ若いので薬の影響もあるため、なるべく薬を使わず、カウンセリングなどで対処した方が良いということでした。
診断を受ける前日の娘の顔はニキビだらけで、目もむくんでいました。泣きはらしたような目でした。でも、翌日、診断を受けたときの娘の表情は明るくすっきりとしていました。「診断下ってほっとしたでしょう?」と聞くと、娘は「うん、ほっとした」と言っていました。診断が下りさえすれば、対処方法も分かりますし、前に進めます。娘にもう一度「ダディが行ったほうがいいと思う」と伝え、夫が行くことを納得してもらいました。
先ほど、夫にフェイスタイムをしました。夫はソファに座っていて、娘が夫の腕の中で寝そべっていました。娘の顔がとてもリラックスして、幸せそうでした。
「私、何百回生まれ変わってもダディの娘に生まれたい」ー。以前、そう話していた娘の言葉通りの表情をしていました。数分間だけ話をして、あとは夫に「よろしくね」と任せました。娘に聞くと、大学の窓口の人に相談し、単位数は足りているか、何か見落としているものはないか確認し、4年間で卒業できることが分かったそうです。娘なりに1人で一歩前に進んでいました。
娘は大丈夫だと思います。