2025年6月30日月曜日

@メルボルンからの報告 カレーライス

  メルボルン6日目も娘の作ってくれたヨーグルトで始まりました。これは娘が毎朝食べているもので、果物にチアシードを混ぜたヨーグルトをかけたもの。チアシードはオメガ脂肪酸、食物繊維、ミネラルなどを豊富に含んだ植物の実です。

 毎日食べているので飽きないのだろうか?と不思議に思っていました。が、メルボルンに来てから、昨朝のホットケーキをのぞいて毎朝娘が作ってくれても、全く飽きません。娘はこのヨーグルトに出合うまで、スーパーで販売するありとあらゆるヨーグルトを試したそうです。本当に美味しいのです。

 

娘が作ってくれたヨーグルト。バナナとキウイを綺麗にカットしています

 朝食を終えた後は、娘は宿題。私は部屋の片付けです。私の友人が、一人暮らしの子どもの部屋に行っては、終日掃除・洗濯をしているーと話してくれたことがありますが、本当です。一昨日、昨日にした洗濯物をたたみ、部屋の掃除をし、ベッド下の物を整理します。また、娘が1年生のときに描いた絵は今回持ち帰るので、スーツケースに入れました。
 
 掃除と整理整頓が一段落したので、ランチです。前回、日本から持ってきたカレーライスのルーが沢山ありますので、娘と一緒に作りました。作った後は、せっかくですのでまた13階の屋上へ。今日は快晴で、おしゃべりもさらに弾みました。




2025年6月29日日曜日

@メルボルンからの報告 休日の朝食

  メルボルン5日目の今日は日曜日なので、娘がホットケーキを焼いてくれました。週末の朝ホットケーキは子どもたちが小さいころから我が家の定番でしたので、娘が「今朝はいつものようにホットケーキにしよう!」と提案してくれたのです。

 綺麗に切ったバナナとキーウイが添えられていて、私が作るよりずっとおしゃれ。さすが、アート専攻です。毎日朝食は部屋で食べていたのですが、今日はキッチン横にある共用のスペースでゆっくりと食べました。

共用キッチンでホットケーキを焼く娘
娘のホットケーキの盛り付けはアーティスティックです

 朝食の後は、再び昨日行ったセント・ギルダの海岸へ。市民らが手作りの作品などを販売するサンデーマーケットをぶらぶらと歩き、屋台でサンドウイッチを買ってランチに。その後は、海岸の近くにある遊園地へ行き、小さな観覧車に乗りました。

セント・ギルダにある遊園地「ルナ・パーク」の入り口

今日は観覧車だけ乗りました

 

セント・ギルダの海岸

 セント・ギルダから帰宅後は昨日のバーベキューの残りを夕食に食べて、「ミッション・インポシブル」を観に映画館へ。今日は夫と息子も東京でこの映画を観たそうなので、私たちも観よう!ということになったのです。

 字幕がないので、あまり良く分かりませんでしたが、トム・クルーズは相変わらず格好良かったですし、相変わらずアクションもすごかったので、十分楽しめたのでした。

2025年6月28日土曜日

@メルボルンからの報告 バーベキュー

  メルボルン4日目は再び娘の大学のアトリエに行きました。私は自身が現在も大学院に行っているように、学びの場にいるのが大好き。娘が自分の得意な絵を専門に学び、充実した学生生活を送っていることをとても嬉しく思っています。

娘のアトリエ。右と中央に作品、左は娘が撮影したメルボルン市内の写真
芸術学部の校舎。娘によると、昔は警察の厩舎だったそうです


キャンパス内にある黒くて丸いオブジェ。このキャンパスを作ったときに出た土をこの中に埋めているそうです

 オーストラリアの大学は3年間ですので、娘の学生生活はあと1年半。娘は将来的には大学院に行くつもりのようで、大学卒業後そのまま大学院に行くか、一旦就職するかはまだ決めていないようです。「自分のクリエイティビティ(創造力)を生かせる仕事をしたい」そう。ここで力をつけて、やりがいのある仕事を見つけてほしい。

 娘のアトリエを見た後は、キャンパスのすぐ近くにあるビクトリア国立美術館へ。常設展をゆっくりと鑑賞しました。

美術館に展示されている草間彌生さん作のオブジェ

 

ビクトリア国立美術館の外観

 その後は寮に戻って、バーベキューです。13階の屋上にはバーベキューの器具が設置してあり、とっても便利。昨日スーパーで買ってあった牛ステーキ、豚肉、野菜を焼きました。ゆっくりランチを食べた後は、トラムに乗って昨日も行ったセント・ギルダの海岸へ。

娘の寮の13階の屋上でバーベキュー

ステーキを焼く娘

メルボルン市内を走るトラム

 今日は天気が良かったので、夕焼けがそれは美しかった。桟橋は沢山の人で賑わっていました。

セント・ギルダの美しい夕焼け


2025年6月27日金曜日

@メルボルンからの報告 海へ

   メルボルン3日目は娘の眼鏡を買いに街に行きました。眼鏡をなくして数ヶ月経つのですが、まだ子どもっぽい娘は「眼鏡は親と一緒に買いに行くもの」という思いがあるらしく、ずっと眼鏡なしで暮らしていたのです。

 通常の暮らしには不便がないのですが、やはり、先生がボードに書く字が読めなかったり、映画が楽しめなかったりするらしく、今日一緒に買いに行きほっとしたようです。

 ランチは昨日の残りのパンやチーズ、サラミ、そして娘が作ってくれたトマトスープを昨日と同様13階の屋上デッキで食べました。娘の寮では1階に立派なキッチンがあり、各階にも電子レンジや共用のシンク、そして食事が出来るテーブルがあります。13階の屋上はとても気持ちが良く、ここの学生は恵まれているなぁとつくづく思います。

13階の屋上デッキで食事

 私が留学していたころの寮は3人で1部屋をシェアしていて、食事はカフェテリアでした。時代は代わり、学生寮は1人部屋が基本で、立派な共用キッチンがあり、学生たちは皆自分の好きな食べ物を作って、好きな場所で食べられます。娘の寮にはヨーロッパやアジア各国から留学生が来ており、それぞれが自分の食べたい食事を作っています。キッチンにいると、使う香辛料の匂いも違い、面白いなぁと思います。

 夕方はトラム(電車)に乗ってSt.Kilda pier(せント・キルダ・ピア)という海岸へ。娘が1人で電車に乗って行き、絵を描いたり、日記を書いたりする海岸なのだそうです。静かで、心が落ち着く場所でした。





2025年6月26日木曜日

@メルボルンからの報告 マーケットへ

  留学する娘を訪れたメルボルン2日目は、娘の寮から歩いて数分の所にある、産地直送の食材を売っている市場に行きました。

 そこでは新鮮な魚介類や肉、野菜、果物、加工食品など何でも売っています。東京のかつての築地市場もそうでしたが、市場は活気があって、歩いているだけでワクワクします。

活気溢れる「Queen Victoria Market」

新鮮な魚が並びます
お客さんが並んで買う牡蠣

 今日はサーモン、牡蠣(オーストラリアは南半球ですので冬です)、チーズ、サラミ、オリーブとトマトのオイル漬け、バケット、ローズマリーを買って帰りました。娘と寮のキッチンでサーモンを焼き、13階の屋上でピクニックをしました。 

娘の寮の13階の屋上でピクニック

 2時間ほど美味しい食事とおしゃべりをしてから、9階の娘の部屋に戻って、娘の部屋の片付けです。昨日は食料品や日用品など足りないものを買いましたので、今日はもっぱら部屋の中の整理整頓を手伝いました。

 日が暮れた後に、メルボルン市内をのんびりと散歩。中心地を流れるヤラ川沿いにあるカフェでワイン(娘はジンジャーエール)を飲んで、またおしゃべり。帰りはドーナッツとホットチョコレートを買って、寮に戻りました。 

市街を流れるYARA川の美しい夜景
YARA川を望むバーで、ワインを
中心街にある駅「Flinders Street Station 」にあるドーナツ屋さん

 夫と息子に電話をすると、夫は昨日、今日とちゃんとお弁当を作ってくれているようです。今日のお弁当はバジルパスタとオレンジチキンだったそうです。今日の夜のメニューはピザ。夫は料理好きなので、本当に助かります。

 夫は昨年2月の娘の入学時にこちらに来て、娘と一緒に10日ほど過ごしました。そのときは銀行の開設など英語が必要な場面が多く、夫が担当。今回は私の番で、夫も快く私を送り出してくれ、息子の世話をしてくれます。娘とこういう時間を持てて、とても幸せだなぁと感じています。


2025年6月25日水曜日

@メルボルンからの報告_娘の大学のアトリエへ

  昨日午後6時50分に成田空港を出発し、今日午前7時ごろ(日本時間6時)メルボルンに着きました。約11時間のフライトでした。

 隣の座席が空いていましたので、ゆったりと座れました。見た映画は4本(トム・クルーズズ主演のを3本)。やはりほとんど寝られませんでした。でも、メルボルンと日本の時差は1時間ですので、時差ボケもありません。

 娘が空港に迎えに来てくれ、タクシーで娘の寮へ。スーツケースいっぱいの物を片付けてから、娘の大学へ行き、アトリエを見せてもらいました。そこでは学生1人1人が絵を描く場所を与えられています。娘に案内してもらい、それぞれのブースの壁にかけてある学生たちの絵を見せてもらいました。皆個性的で、のびのびとしていて、自由に描いている様子がうかがえました。このような場で娘が得意な絵を学ぶことができて、本当に良かった。

絵画専攻の学生1人1人に与えられているブース


 娘の大学では、絵画、造形、版画、写真、映像、音楽、アニメーション、ダンス、演劇などの芸術学部はメインキャンパスとは別の場所にキャンパスがあります。娘にはあちこちを案内してもらい、図書館にも行きました。図書館でもあちこちに学生たちの絵やオブジェが展示されており、自由な雰囲気が漂っていました。

 キャンパス内を見終わってからトラム(電車)に乗って、中心街へ。賑やかなモールのフードコートでランチにピザとパスタを食べました。その後は公立図書館、食料品と日用品を買いにスーパーへ。初日からあちこち歩き回り、充実した一日でした。

ランチはフードコートでピザとパスタ

メルボルン市内にある公立図書館「State Library Victoria」

公立図書館の外観


あちこち歩き回った後は、娘の寮の部屋でチョコレートとお茶を

2025年6月24日火曜日

メルボルンへ

 娘が留学しているメルボルンへこれから旅立ちます。 娘と2人での10日間を楽しんできます。

成田空港のサクララウンジで


スーツケースは全部娘に持っていくもの。ご飯パック、コンソメ、お茶漬け、そば、そうめん、ナプキン、シャンプー

息子が作るミートソースパスタ

  週末日曜日のランチは息子が作ったミートソースパスタでした。

 息子は鶏挽肉で作りたかったようですが、先週ちょうど私が鶏挽肉のトマトソースを作ったばかり。ですので、豚挽肉のミートボールパスタを注文してみました。息子は「いいよ!」と快く引き受けてくれました。

 タマネギとマイタケのみじん切りを炒めて、豚挽肉の中に入れて、塩・コショウで味付けします。それを一口サイズに丸めて、サラダ油で揚げます。ここまでは良かったのですが、「ママ~、ミートボール崩れちゃうんだけど」と息子。キッチンに行って見てみると、つなぎを入れていなようです。私も教えるのをすっかり忘れていました。

「タマネギを炒めて入れるまでは良かったんだけど、つなぎに卵とパン粉を入れないと、崩れちゃうね」

「そうなんだ、パン粉を入れるんだ」と息子。「僕、手がベトベトしているから、ママ入れてくれる?」

「オッケー」

 確かに、ミートボールを作るのにつなぎがいるのは、分からないですよね。こういう小さな気づきがあって、お料理を覚えていくんですよね。

 息子は途中まで炒めたミートボールを崩して、残りのお肉の中に入れたようで、結局ぐちゃぐちゃになってしまったよう。「ママ、今回はミートボール諦めてくれる?」と言い、全部をフライパンの中に入れて細かく刻み、缶入りのトマトを入れました。

「コンソメを1個入れるといいよ」

「そうか、コンソメね」

「うん、それとお砂糖も少し」

「それは入れた。あと、イタリアンパセリとバジル」

「完璧!」

ミートソースを作る息子

 ソースが出来、鍋いっぱいのお湯を沸かして塩を入れ、パスタを入れた後には調理用具をさっさと洗い始めた息子。パスタがゆであがるころにはキッチンは綺麗になっていました。

美味しそうに出来ました

「キッチン、綺麗で気持ちがいいね。料理と調理器具を洗うのはセットだって覚えていたんだね。偉い!」

「うん」とうなずく息子。

 夫が月曜日から出張でしたので、息子と2人のランチ。息子が作ったミートソースは格別に美味しかったです。


2025年6月22日日曜日

がんのママたちとランチ

  がんのママ2人とランチをし、この秋から地元でがんを患うAYA世代・子育て世代の集いの会を隔月で開くことになりました。

 何年間も温めてきた構想で、同じ区に住む40代のママさん、50代のママさんと昨年から打ち合わせを重ねてました。

 会場は区の集会所で、駅から徒歩1分の場所。会の周知は、既存のがんサポートグループにお願いし、自分たちが関わる別の活動グループ、フェイスブックやラインで発信することにしました。お茶やお茶菓子は持ち寄りで。大学病院勤務の腫瘍医の先生にもバックアップを頼みました。

 40代のママは30代で胃がんを発病。胃を全摘し、現在も後遺症に悩まされていますが、治療後に出産し、仕事や社会活動に奮闘しています。50代のママさんは40代で乳がんを発病、お子さんを小児癌で亡くし、がんの子どもたちを支える会で活動をしています。私は30代で悪性リンパ腫・50代で胃がんを発病し、現在は医療者とがん患者のコミュニケーションを研究する大学院生です。

 それぞれ違うがんということ、40代のママさんと私はがん治療後に出産していること、50代のママさんは子どもをがんで亡くす大変な経験をしていることから、がんと診断されて戸惑う若い女性、子育て中にがんと診断され育児と治療の両立に悩むママさんが、本音で語り合える場を作り、サポートが出来るのではと考えました。

 それぞれが、がんの再発の可能性があり、体調管理にも気を遣わなければならないことから、「3人だったら、1人が体調を崩しても続けられるよね」と話し合っています。

 3人とも比較的若くがんを経験し、治療を乗り切った経験から、同じがんの女性たちのお役に立ちたいーと考えています。こうした仲間に出会えたこと、一緒に活動できることは、私にとっての財産です。

会を開く、集会所の前のアジサイ
がんのママたちと食べたランチ


2025年6月21日土曜日

ほんだし

  昨日に続き、料理の話。娘と夫は食べませんが、息子と私が好きな一品があります。これも母から受け継いだものです。ジャガイモとニラの千切りをサラダ油で炒めて、味の素の「ほんだし」を振りかけて味付けしたものです。

 これもきっと母が、顆粒の出汁が出回ったときに、使ったものと思います。母は昔、この「ほんだし」を料理に使っていました。

 新しいものを取り入れるのが大好きな母ですから、今は使いません。 出汁専門の店「茅乃舎」や「久世福商店」から買ってきて、それを使っているようです。母によると、「茅乃舎の出汁は量が多くて、食べきれないの。久世福商店の一パックは一人暮らしの人にもちょうど良い量だから、デパートの買い物に行ったときに地下の食料品売り場に寄って買ってくる」のだそう。

 私は母と違って、新しいものより昔からあるものを大事にしたいタイプ。だから、母から引き継いだこの一品は、母が作った通りに作りたい。

 でも、このほんだしは、母のこの料理を作るときにしか使いません。ですので、すぐ賞味期限が切れてしまい、先日も茶色く固まってしまった顆粒のほんだしを捨てたばかりです。

 で、捨てたことを忘れて、ジャガイモとニラを炒めてしまいました。香辛料を入れている引き出しを開けて、ないことに気づきました。もう、こうなると、他の香辛料で代用できません。あの味の素のほんだしでなければならないのです。

 火を止めて、自転車を飛ばして、最寄りの小さなスーパーへ行きました。売ってなかったので、次は駅前の大きなスーパーに行きました。そこでようやく見つけました。帰宅して、封を開いて、ジャガイモとニラを温めなおして、この顆粒を振りかけ、仕上げました。もちろん、この日は夫はいなく、息子と私だけの夕食でした。

駅前のスーパーでやっと見つけた、味の素の「ほんだし」。嬉しくて、思わず携帯でパチリ

 これを作りながら、思い出したのはある本で読んだエピソードです。これはお料理の本ではなくて、人は固定観念に縛られているので、自分の思考も一旦は疑ってみることも大切ーという文脈だったと思います。その中での具体例として、次のようなエピソードが書かれていました。

 ある女性が、丸くスライスしてあるハムを焼くときはいつもハムの両端を切ってフライパンに入れるのだそうです。で、その著者が、なぜ両側を切るのかと聞いてみると、「母がそうしていたから」と何の疑問も持たずにそう答えたそうです。

 で、その著者がその女性のお母さんに聞いてみたところ、お母さんが不思議そうな表情で「当時、私が持っていたフライパンは小さくて、丸いハムの両端が入らなかったから、切って焼いた」と答えたそう。つまり、その女性は、お母さんが物理的な理由でハムの両端を切っていたものをハムはそうするものだと覚えて、ずっと続けていたということです。

 私も同じだなぁと思いました。ジャガイモとニラの炒め物は、味の素のほんだしで味付けしなければならない。バジルもオレガノもイタリアンパセリもパプリカもターメリックもクミンもローズマリーも、そして塩・コショウもあったのに、それらでは駄目なのです。だから、食材を炒めた後でも自転車を飛ばして、スーパーまで買いに行くのです。

 なんか、おかしい話ですよね。でも、この2つのおかしなエピソードが示すことは、こと調理に関する母親の影響は多大だということでしょうか。突き詰めれば、「母の味」「母の調理法」になるのでしょうね。

 そういえば、母親に虐待されて育った男性が大人になり、その辛い幼少期の思い出を振り返った本の中で、「母の炊き込みご飯は絶品だった」と振り返るシーンがありました。その男性は思い出の中の母の味を再現しようと、何度も何度も炊き込みご飯を作って、その味に近付けようとするのです。なんとも切ない話ですが、子どもはいくつになっても、母の味を求めているのかもしれませんね。

 

2025年6月20日金曜日

昭和な食べ物

  先日、娘とフェイスタイムで話しているときに、「ママは昭和の人間だよねぇ」としみじみとした表情で言われました。たまたま、娘がキーウイにヨーグルトをかけ、その上に食物繊維がとれるという「チアシード」を振りかけていたときです。

 娘は毎日それを食べているので、「飽きない?」と聞くと、娘は「ぜんぜん。ママにとってのトーストだよ」と答えたのです。娘は続けました。「ほら、ママってトースト大好きで、毎日食べても飽きないじゃん。それと同じ。ママは朝食でトーストを食べるのがおしゃれだった昭和の人間なんだよねぇ」と言います。

「トーストが好きだと、昭和感がでちゃうの?」

「そうだよ。私たちなんて、トーストなんて食べないもん。スムージーとか、ヨーグルトとかだから。まぁ、パンを食べる人もいるけど、トーストにはこだわらないよ」

 トーストに”昭和”のイメージがあるなんて、びっくり。ちょっとグーグルで調べてみると、昭和40年代にオーブントースターが家庭に広まり、手軽に食パンのトーストが食べられるようになったらしい。そうかぁ、私はそういう世代なんだ、と実感。私が子どものころの朝食は、トーストにバターでしたから。

「確かにママが若かったころは、厚切りトーストとか、フランスパン風のトーストとか、胚芽入り食パンのトーストとか、いろんなトーストを食べていたなぁ。厚切りトーストなんてとっても美味しくて。でも、カロリー高いから、もう食べられないけど」

「あははっ」

 娘との会話が終わり、改めて考えてみると、娘の定義による”昭和な食べ物”は、それが家庭に持ち込まれたときは新しかったけど、定着した後には古さを感じるもののようです。肉じゃがのような、時代が変わっても”日本人のお母さんが作る美味しい和食”とは違います。

 欧米から入ってきた料理を日本風にアレンジしたものかもしれません。たとえば、パスタのナポリタンのようなお料理。ナポリタンは私は好きですが、娘や夫は絶対に食べません。ケチャップをパスタに絡めるなんて、とんでもないという人たちですので。

 考えてみれば、私が母から受け継いだ料理で、娘の言う”昭和な食べ物”がいくつかあります。これはおそらく、母が当時工夫したり、新しく取り入れたりした料理です。たとえば、コーンとベーコン、タマネギを炒めたもの。缶詰のコーンが普及し始めたころに、お料理好きな母が作ったものなのでしょう。

 私は缶詰のコーンを使ったこの一品が大好きですが、夫と娘は絶対に食べません。たとえば、これがゆでたコーンをほぐして炒めるなら食べます。でも、缶詰は食べません。ホールトマトで作ったソースを絡めたパスタは好きですが、ケチャップを絡めたパスタは嫌いなのと同じです。チーズはパルメジャーノレジャーノやコンテは好きですが、プロセスチーズは食べないーも同じ。

 それに比べて、息子はあまりこだわりがありません。缶詰のコーンの炒めものを息子に作ってみたら、息子が好きだということが分かり、それからは息子と自分のために作っています。

 さて、私は今朝もトーストを食べました。最近、トーストは老化を促進する”糖化”した食べ物として敬遠されているらしいですが、そんなこと気にしません。やっぱり、美味しいものは美味しいですので。

 

2025年6月18日水曜日

息子のスタイリスト?

  息子の髪は今も私が切っています。中学校1年生のときに一度、美容室に行ったのですが、私が切っても美容師が切っても変わらないと考えたようで、また私に任せてくれるようになりました。

 息子の髪は毛先に少しウェーブがかかっており、普通のはさみで切っても、それなりに格好が付きます。

 私の友人にも息子2人の髪を切っている人がいて、彼女は息子たちが20代になった今も切っています。彼女は仙台に住み、息子たちは東京と横浜に住んでいますが、子どもたちが帰省したときに切ってあげるそう。それが彼女の楽しみなんだとか。

 私もいつまで、息子のスタイリストでいられるか分からないですが、この楽しみがもう少し続きますように。



 

2025年6月16日月曜日

夫が出張へ

  夫が今日から1週間の日程でシンガポールに出張です。夫の会社はイギリスが本社で、本社やアジア各地からCEOやら何やらが来て打ち合わせらしいのです。夫は環境コンサルティング会社で、アジア全体のセールス部門を担当しています。

 今日は夫に「あなたは十分に家族に尽くしてくれたから、あとは自分が会社でこうありたいというところを目指して!」と送り出しました。

 このブログで何度か書きましたが、改めて夫と私の出会いから現在に至るまでをつづってみます。私と夫はアメリカの大学で知り合い、長距離で行ったり来たりしながら、30代で夫が日本の外資系企業に転職する形で結婚しました。

 私がアメリカに行くか、夫が日本に来るかで何年間もせめぎ合いましたが、私は日本語で書く新聞記者のため日本に場所が限定されること、一方、夫は英語ですので世界中どこでも通用するため、日本にある英国本社の会社に転職したのです。夫は今もその会社に勤めています。

 私たちは2001年に結婚。私は当時東京で仕事をしており、給料も夫よりずっと多かったのです。ですが、夫がこちらに来て間もなく体調を崩し、がんを発病。その後がんの再発・再々発や関連疾患などで私は仕事が出来なくなり、夫が家計を一人で担わなくてはなりませんでした。

 私が稼いでいたときは、あまり仕事も熱心ではなかったのですが、私が体調を崩してから頑張り出し、数年後には共働きのときの収入を一人で稼ぐようになりました。

 夫の優先順位ははっきりとしていて、一番が家族、そしてそれ以外は仕事を含めて2番です。どんなときも家族を優先してきました。短気なので沸点が低く、いつも何かしらでキレていて、私はその怒鳴り声で寿命が縮まる思いなのですが、子どもたちは慣れたもので、キレる夫をくすくすと陰で笑っています。娘など、夫が車の運転中にキレて怒鳴っていると、「いやぁ、ダディは単純でいいなぁ。元気でるよ」と言います。このコメントには仰天しました。

 キレることが多くても、こうして子どもたちに大目に見てもらえるのは、夫の子どもたちへの深い愛情からだと思います。基本的にいい人間なのです。義母は夫のことを「nice man」と表現していますし、私の母も「あんたは幸せだ」と言いますので、いい人間であることは家族皆が認めています。

 夫は出世には興味がなく、「会社にとって自分が価値があり、それに見合った収入があればそれでいい」というタイプ。社内政治で対立するどちら側にも付かず、常に真ん中にいます。そして、中立的な立場で会社に貢献し続けることで、出入りが激しい外資系会社の中でも首を切られる心配もなく順調にここまで来ました。

 家族を支えてくれる夫には、ここで仕事人生の最後の挑戦をしてほしいなと思っています。この1週間で上層部とコミュニケーションを取ることで、今後につなげてほしい。これまで支えてもらった分、これからは私が支える番です。

 

2025年6月15日日曜日

小さな靴

  私は物を捨てられない人間だと何度もこのブログで書いています。先月、軽井沢の家に行ったときに子どもたちの靴を整理していたら、約40足ありました。

 世の中広しと言えども、子どもたちの靴を40足も取っておく人はなかなかいないのではないでしょうか? でも、捨てられないんです、可愛らしくって。比較的大きなサイズは、海外の子どもたちに寄付しましたが、小さいのは駄目なんです。

 その40足は一つ一つ靴箱を開いて、状態を確認し、防虫剤を入れ直し、カビが生えているものは東京に持ち帰り洗いました。

長靴はベトベトしていたので、熱湯に浸して中性洗剤で洗いました

 今週の土日にとんぼ返りですが軽井沢に行き(土曜午後2時に東京を立ち、日曜午後2時に軽井沢を出ました)、その靴をまた靴箱に仕舞って、屋根裏部屋に収納しました。

 屋根裏部屋は普通に立てるスペースが少なく、ほとんどが座ってしか使えません。でも、子どもたちの服や靴、おもちゃや絵本などを置くスペースとしては十分。私はこの週末もここで片付けをしながら、心穏やかな時間を過ごしたのでした。

2025年6月13日金曜日

ペンキ塗り

  この春DIYで夫、息子、私の3人で完成させた花壇のフェンスが黄色く変色してきました。夫が気を利かせて、防水スプレーを掛けたのですが、それが変色の原因だったようです。指摘をするとキレるだろうなぁと思いましたが、意外にも穏やかに受け止め、白いペンキを買ってきました。

「僕が塗ろうか?」と申し出てくれましたが、とんでもない。細かな作業が苦手な夫が塗ると、ムラのある仕上げになりそうです。週末に、私がゆっくり取り組むことにしました。

黄色く変色したフェンス(左側)と白いペンキを塗ったフェンス(右)

 先週末、時間を作って作業しました。一枚一枚、丁寧に塗っていきました。それでも、ところどころにムラが出来ますので、それをならしていきます。小さなフェンスですので、1時間半ほどで完成しました。

 我ながら綺麗に出来ました。小さな花壇がぱっと明るくなり、満足! 

完成したフェンス

2025年6月12日木曜日

ホッキ貝

  昨日夕方、スーパーに買い物に行くと、なんとホッキ貝が売っていました。ホッキ貝は亡父と母、夫、私の大好物です。今日と明日はホッキ三昧にしよう!と決め、10個買いました。

 ホッキ貝は私が小さなころから、母がフライにしたり、カレーライスの具にしたり、塩焼きにしたりして、美味しく食べていました。ホッキ貝が食卓に上ると、家族が笑顔になったものです。

 昨日は10個購入。そのうち6個をフライにし、残り4個を今日カレーライスに入れることにしました。ホッキ貝のさばき方は母から教わったやり方です。貝の横からナイフを入れ、貝の硬い口をぐっと開くのです。貝殻から中身を切り離し、半分に割って、黒い内臓を取り出して洗います。ホッキ貝は貝柱だけでなくひもも食べられます。

生きのいいホッキ貝

ナイフを横から入れてぐっと貝の口を開きます

 

フライに

 夫と2個ずつ食べ、母のところに持っていきました。母も時々買うそうですが、「フライは一番美味しいんだけど、自分でフライにするのは面倒だから全然しないの。嬉しいわぁ。夕ご飯は食べてしまったから、明日食べるね」と喜んでくれました。

キャベツの千切りと一緒に

 母いわく、「手が痛いから、お店の人にさばいてもらうんだけど、貝柱だけ綺麗に取り出して、ひもとかは全部取ってしまって本当に小さいの」

「確かに昔、食べたような肉厚なホッキ貝は見ないよね。外側は昔と同じなんだけど、開けてみると、弾力がないんだよねえ」

「そうなんだよ。もう、昔のような厚みのあるホッキはしばらく見ない」と母。

 それでも、ホッキはホッキです。母は上機嫌でした。

 帰りに、煮たばかりという大根と昆布の煮付けとピクルスを持たせてくれました。お互いに作ったものをお裾分けし合えるぐらいに母と近くに住めるなんて、幸せだなぁと思ったのでした。

 

母からもらった大根と昆布の煮付けとピクルス