2022年8月30日火曜日

実家にさよならとありがとう

  イギリスから15日に帰国し、あっという間の2週間でした。娘は見学したイギリスの大学を1校出願することに決め、息子は塾通いを再開。息子は旅行中に勉強していたものの追いつかず、27日のテストでは、散々の出来でした。そして、私は大学に設置されている相談所に指導教員について相談。あまり助けにならず、自分で解決することに決めました。そんな慌ただしい2週間でした。

 そして、30日の今日、母を連れて日帰りで札幌に行きました。実家を不動産会社に売却するためでした。本当なら前日から札幌入りし、母とのんびり札幌の街を歩いたり、美味しいお寿司を食べたり、実家の見納めを出来れば良いのですが、私には今回、その時間がありませんでした。で、日帰りを強行しました。

 母は近所に住んでいますので、午前5時半分の羽田空港行きのバスに乗車。羽田空港でおにぎりを食べて、7時半の飛行機で新千歳空港へ。そこからJRと地下鉄、タクシーを乗り継いで実家へ。まだまだ住める家でしたので、母はどなたかに住んでほしかったのですが叶わず、実家は解体するという条件で、今回売却できたのでした。ですので、今回が実家の本当の見納めです。

 これまでの3回の実家の整理で、東京に持ってこられなかったもの、整理し切れなかったもので、持ち帰りたいものをスーツケースに詰めました。母は父が残した4冊のアルバムをそのまま置いていく(つまり、解体するときに一緒に処分される)つもりだったようでしたが、私には出来ませんでしたので、すべて持ち帰ることにしました。

 前回、時間をかけてこのアルバムを見て、父が良く写っているものは持ち帰っていました。でも、家が解体されるときにアルバムがぐちゃぐちゃにされるのを想像すると、やはり、置いていけなかった。このアルバムの写真に写っている父は、会社の慰安旅行や同窓会に参加したときの父なので、父以外誰一人知りません。でも、やはり、処分するときは私が丁寧に、処分したいと思ったのでした。

 売却する不動産会社の支店は実家に比較的近い場所にありましたので、一旦は荷物を実家に置いたままで、タクシーで向かいました。約束の時間は正午で、仲介してくれた実家の近くの不動産会社のKさんもそこにいました。母はたくさんの書類にサインをして、押印をし、代金は即座に母の口座に振り込まれました。

 鍵を不動産会社に渡して、すべてが終わりました。午後1時半でした。不動産会社はすぐにも解体作業に入る予定だったようですが、私たちはもう一度実家に戻る予定でしたので、作業を明日以降に延期してもらいました。そして、Kさんの車に乗せてもらい、再び実家に戻りました。

 Kさんは母と同年代で、事務所とご自宅は実家のすぐ近くにあり、母と亡父とKさんは40年以上の長い付き合いでした。母は実家を処分するときはKさんにお任せすると言っており、今回Kさんも母の意向を聞いて、家を買ってくれる人を探してくれていましたが、うまくいかず、結局、大手の不動産会社に売却することになったのでした。

 Kさんはずいぶんやせて、歩行もやっとという感じでした。車中、Kさんの奥さんがすい臓がんで余命宣告をされたという話をされていて、きっとKさんもそろそろ引退するのではと思いました。Kさんは近所の人たちが他界されたり、転居したりするのずっと見届けてきており、母に「おねえちゃん(私)のところに行けて良かったね」と何度も言っていました。

 母と私は、もう一度実家に戻り、各部屋に「ありがとう」と声をかけました。母は「ありがとうね。長い間、楽しませてもらったよ」と元気に話しかけていました。サバサバしていて、母らしいな、と思いました。

両親が過ごした実家

 母が「ここは私のお城」と言っていた家。父母が約50年前に土地を購入して建て、自分たちの住みやすいようにリフォームを重ねた家。「お友達何人にも褒められたんだよ」という母の自慢のキッチンも、父と一緒にバーベキューをして楽しんだ庭の一角も、子どもたちが隠れん坊をして遊んだ2階の部屋も、父の書斎も、母が丹精した庭も、母が嫁入り道具に持ってきた箪笥も布団も、「お父さんとあちこち見て歩いて、見つけたんだよ」と言っていたお気に入りの”旭川家具”の食器棚も、全部、なくなります。

 でも、実家がなくなるーという現実を前にしみじみと思うのは、大切なのは家そのものではなく、そこで過ごした思い出だということ。

 もう10年以上前のことでしょうか。母とKさんの事務所の近くに住んでいたご夫婦が、息子さんと一緒に住むということで引っ越しをされました。そのご夫婦の家はまもなく解体され、母とKさんが解体されるときに見守っていました。でも、ご夫婦はそこにはいませんでした。母は「最後にお家を見に来てあげればよかったのにね」と言っていましたが、今、母が同じ立場になり、実家が解体される場面には立ち合いたくなどないと思います。

 綺麗な状態のまま「さよなら」をして、その思い出をずっと持ち続けたほうがずっといい。

 さて、実家にさよならをし、私たちは6月に亡くなった母の姉の家に行きました。仏壇にお参りをさせてもらうためです。いま、お墓を建てている最中ということで、叔母の遺骨はまだ仏壇の中にありました。叔母の家に来るのも、もうこれが最後となるでしょう。

 Kさんにご挨拶したときもそうでしたが、「もう、これが最後かもしれない」。口には出さずとも、そう思いながら「お元気でね」とさよならをする。そんな別れがずいぶん続いています。

 すべてを終え、午後3時半、新千歳空港に着きました。午後5時半の出発時刻まで2時間ありましたので、母とゆっくりと「北海道料理」のお店で、遅めのランチを食べました。東京では食べられない「うに・いくら丼」をいただきました。「これで全部、終わった。良かった」とほっとした表情の母。母は、ずいぶん前に購入したお墓の土地(亡くなった父の遺骨は、お寺の納骨堂におさめました)も処分してきており、札幌で手続きが必要になるものはこれで何もなくなりました。

新千歳空港で食べた、うに・いくら丼

 自宅に着いたのは午後8時半。娘は宿題に取り組み、息子は塾に行っていました。夫はソファに寝そべり、本を読んでいました。日常に戻り、ほっとしました。父の遺影に手を合わせ、今日のことを報告しました。

「お父さんが一生懸命働いて建てて、亡くなるまで過ごしていた家がなくなってしまうの。残念だけど、家を売ったお金で、お母さんはゆとりのある老後を過ごせるよ。お父さん、頑張ったよね」

持ち帰った父のアルバム


2022年8月22日月曜日

ロンドンからの報告 ④

  ロンドン滞在4日目の13日は、大英博物館に行きました。夫と私が一番見たかったのは、エジプトで1799年に発見された「ロゼッタ・ストーン」です。古代エジプト語のヒエログリフを理解する手がかりとなった石版です。

大英博物館に展示されている「ロゼッタ・ストーン」

 皆さんは知らないと思いますが、ひと昔前、40年以上前ぐらいでしょうか。「ロゼッタ・ストーン」というイギリスのバンドがあったのです。当時人気のあった「ベイシティローラーズ」というバンドにいた、イアン・ミッチェルという男の子が、作ったバンドです。

 私は当時小学生だったのですが、もう、夢中になりました。彼らに。このブログを書くにあたり、グーグルで「ロゼッタ・ストーン バンド」と調べると出てきました。多分、私の年代の女性が書いたと思われる「ロゼッタ・ストーン 知っていますか?」というブログが。読むと、当時のそのバンドのビデオが出てきました。懐かしい。歌を聴きながら、一緒にハミングしました。

 私にとって、「ロゼッタ・ストーン」はエジプトで発見された石版ではなく、私が小学生のころ夢中になった、イギリスのバンドなのです。

 さて、ランチは大英博物館のカフェで食べました。私と娘は「イギリスに来たからには、食べなければ!」とアフタヌーン・ティーをオーダー。夫と息子はハンバーガーです。

 食事をいただきながら、今回の旅行で訪れた街の順位付けをして盛り上がりました。

私たちが訪れたのは、ケンブリッジ、エジンバラ、リバプール、アイルランド・ダブリン、っしてロンドンです(日帰りのオックスフォードは含めませんでした)。

 順位を聞くと、結構違って面白かった。特に10歳の息子の視点は違って、ユニークでした。

【イギリス旅行で訪れた街・ベスト5】

娘 ①ケンブリッジ②リバプール③ダブリン④エジンバラ⑤ロンドン

1位のケンブリッジについて➡「街がかわいい。建物が歴史があって綺麗。道が狭くてガヤガヤした感じが好き」

夫 ①ダブリン②ケンブリッジ③リバプール④エジンバラ⑤ロンドン

1位のダブリンについて➡「街が小さくまとまっていて、交通機関が発達していて便利。サラダがとにかく美味しかった。伝統料理も美味しい。人々がフレンドリーなところが良い」

私 ①ケンブリッジ②ダブリン③リバプール④エジンバラ⑤ロンドン

1位のケンブリッジについて➡「街がこぢんまりとして、知的な雰囲気が良かった。街並みが素敵。住んでいる人々が楽しそうで、私も幸せな気分になった」

息子 ①エジンバラ②ケンブリッジ③ロンドン④ダブリン⑤リバプール

1位のエジンバラについて➡「エジンバラ城がハリーポッターみたいで面白い。登った山の崖が、隕石が落ちて出来たみたいで格好良かった。山から地平線が見えた」

 翌朝、私たちはロンドン・ヒースロー空港から、フィンランド・ヘルシンキ空港を経て、成田空港に向かいました。

2022年8月21日日曜日

ロンドンからの報告 ③

   ロンドン3日目の12日は列車で1時間ほどのところにある、大学都市オックスフォードに行きました。オックスフォードには夫の会社の上司が住んでいるのです。ケンブリッジの街と似ていて、歴史を感じさせる建造物がいくつもあり、知的な雰囲気が漂う街でした。

 ランチは隠れ家風のとても素敵なレストランで、夫の上司がご馳走してくれました。上司は香港に20年暮らして、民主化デモが始まる直前の2019年にイギリスに戻りました。現在は会社の事務所があるオックスフォードに居を構えています。写真を見せてもらいましたが、豪華な家で、3人の子どもが巣立った現在はほとんど在宅で仕事をしているそうです。「オックスフォードは素晴らしい街だけど、少し退屈かな」と語っていました。やはり香港は仕事の面でも暮らしの面でも、エキサイティングな街だったのでしょう。

 イギリスに本社がある夫の会社の中でも、多分に漏れず、権力闘争のようなものがあるらしく、社内政治に巻き込まれぬように中立の立場を取っている夫も、情報収集はしっかりとしているよう。今回も上司からいろいろと情報を得ていました。

 「僕には家族を養うという責任があるからね。一方に肩入れして、その人が社内で力を持ったときには自分も引き立てられ、力を失ったときは一緒に落ちて職も失うーということにはなりたくないんだ。権力争いからは距離を置いて、でも、実績は挙げて、会社にとっては必要な存在であり続ける努力はする。社内で登り詰めることは出来ないけど、良い給料とそこそこやりがいのあるポジションは確保するんだ」

 何事にも慎重な夫は、こういう考えで浮沈の激しい社内で生き残っているようです。信頼する元上司と今回会って話をすることが出来、良かったに違いありません。私たちも素敵なレストランで、美味しい料理をいただきながら、楽しい時間を過ごさせてもらいました。 

ランチをご馳走になったオックスフォードのレストラン

散策の途中で見つけた、素敵なカントリーハウス

  さて、今回の旅行に、息子は10年間眠るときはいつも一緒のクマのぬいぐるみ「ベア」と、ベアの友だち「ベア・ジュニア」をバックパックに詰めていきました。

ベアとベア・ジュニア

 ベアは息子の誕生祝いに私の友人から頂いたものです。これがなければ眠らないし、いつでもどこでも(もちろん海外にも)連れていったので、万が一なくしたときに備えて、同じぬいぐるみを後に購入し、ベア・ジュニアと名付けました。 

 ですが、やはり肌触りと匂いが違うらしく、息子はベア・ジュニアには見向きもしませんでした。全く同じクマのぬいぐるみなのに、持ち主に愛されないベア・ジュニアが不憫で、買ったことを後悔したぐらいでした。ベア・ジュニアの気持ちになると、とても切なくて、ときどき私が抱き締め、ベッドを整えるときにベアの横に置きました。家族には「ママが入院したら、ベア・ジュニアを持ってきてね」と伝えてありました。

 ところが、です。息子が10歳になる少し前でしょうか、急にベア・ジュニアをベアと一緒に可愛がり始めたのです。息子の中で、気持ちの変化があったのでしょう。ベア・ジュニアは我が家に来て9年目にして、ようやく、息子に可愛がられるようになったのでした。「ベア・ジュニア、良かったね」と私もほっとしています。報われる日があるのですね。

 東京の自宅から持ってくるときはバックパックの中に押し込まれ、イギリス国内を移動するときは、息子のスーツケースの中にギュウギュウに詰めこまれても、ベアもベア・ジュニアも喜んでいるに違いありません。

 

2022年8月20日土曜日

ロンドンからの報告 ②

  ロンドン滞在2日目の11日の朝、ホテルで朝食を取りました。ご存知の方も多いと思いますが、イギリスは朝食がとても美味しい。私たちはケンブリッジとリバプールのホテルでも朝食を取り、とても美味しくいただきましたが、ロンドンのホテルが一番バラエティに富み、美味しかった。

娘の朝食。フルーツとナッツたっぷりのヨーグルト、ソーセージ、ハッシュドポテト、ピーナッツバターとチョコレート付きのワッフル、トマト。きっとすごいカロリー

 クロワッサンなど何種類ものパンやシリアル、ワッフルにホットケーキ。ソーセージやベーコン、ハッシュドポテト、卵料理など温かい食べ物。ハムや何種類ものチーズ、野菜。そして豊富な果物、ナッツ、ヨーグルト…。どれを選ぶか迷うほど。

 美味しく朝食をいただいた後は、PCR検査を受けに、クリニックへ。日本に入国するときは、イギリス出国72時間以内に実施した検査結果の陰性証明書を見せなければならない決まりなのです。夫が、最近出張でイギリスに来てPCR検査を受けて帰国したという友人からクリニックの情報を得て、予約してくれました。iphoneにもアプリをインストールして、検査結果をダウンロードできるようにしました。

PCR検査を受ける息子

 イギリス人はマスクをしていないので、私たちはこの日の検査で陽性にならないよう、旅行中もしっかりマスクをつけていました。ここで陽性になってしまったら、日本に入国できないのです。そうなれば、娘の学校や息子の塾など、さまざまな予定が狂います。とにかく、陰性であることを祈りました。

 その後は、ロンドンの観光名所を巡りました。バッキンガム宮殿、ウエストミンスター寺院、そしてビッグベン。どこも観光客がいっぱい。ランチはイタリアン・レストランで。

バッキンガム宮殿


ウエストミンスター寺院

ビッグベン

 ホテルに戻った後、息子と一緒にあの”噂”のプールへ行きました。夫は「今日はやめとく」と言い、娘も行きたがらないので、2人で行きました。プールには窓がなく照明も薄暗くて、確かに水は濁っていました。両腕に大きな入れ墨をしたマッチョな中年おじさんは怖かったですが、子ども連れのパパや、カップルもいたので、少しは安心しては入れました。でも、夫が言うように、あの水は何と表現してよいか分かりません。

 でも、水泳が大好きな息子がとても楽しそうにしていましたので、私もハッピーな時間を過ごしたのでした。「ママ、一緒にプール行こう!」なんて嬉しいお誘いは、来年はないかもしれません。ですので、子どもからの誘いはよほどのことがない限り、断りません。

2022年8月19日金曜日

ロンドンからの報告

  ダブリン3日目の10日はバスで再び、街へ。お土産屋さんに寄りました。ここでも子どもたちはグランマ・グランパや私の母からもらったお小遣いで、買い物をしました。息子が買ったのは「ひつじのショーン」の絵付きのコップとキーホルダー、娘が買ったのは綺麗な絵柄のボトルと「不安が消える石」でした。 

ダブリンのお土産屋さんで買った「不安が消える石」

 この「不安が消える石」が面白くて、私も買いました。石が入っている厚紙にはこう書いてありました。

 「不安は2つしかない。健康か病気かだ。健康だったらもう不安はなくなる。病気だったら、不安は2つしかない。回復するか死ぬかだ。回復すればもう不安はなくなる。死んだら、不安は2つしかない。天国に行くか地獄に行くかだ。天国に行ったらもう不安はなくなる。でも、もし君が地獄に行ったとしても、先に行っている君の友人たちと握手するのに忙しくて、不安がっている暇はない」

 いいですね。アイルランド人のこのユーモアのセンス。これをなでていると、不安は消えるそう。娘が言いました。「ママ、不安になったらこれを撫でたら良いよ。石が不安を吸い取ってくれるから」。これから毎日撫でそうです。

 名残惜しい気持ちで午後、ダブリン空港からロンドン・ヒースロー空港へ向かいました。ロンドンは今回の旅の最終地。4日間滞在します。

ヒースロー空港の到着ロビー

 空港から「ヒースローエクスプレス」という列車に乗って、パディントン駅へ。そこで地下鉄に乗り換え、ホテルのある「キルバーン」駅へ。ところが、降車駅を間違えてしまいました。娘がiphoneの「グーグル・マップ」で調べると歩いて20分ぐらいだと分かりましたので、歩くことにしました。

 それにしても、便利になりました。SIMカードを入れ替えれば、自分の携帯電話を使えるのですから。私もなぜか使える自分のiphoneを使い(後からくるドコモからの請求が恐ろしいので最小限の利用にしました)、夫も自分のiphoneを使って、公共のWi-Fiを使い、ネット接続。iphone が使えるのと使えないのとでは、海外旅行も違ってくるなぁと思いました。

 ロンドンの街を歩くと、ダブリンとの差を実感しました。まず、笑っている人が少ないのと、眉間にしわを寄せている人が多い。「なんか、東京みたいだね」と娘。都会に暮らすということは、ストレスも大きいのでしょう。それと、人種も多様化しています。ただ、私たちが行く夫の故郷アメリカ・シカゴや夫が日本に来る前に暮らしていたサンフランシスコなどと違い、アジア人の割合がとても少ない。比べて多いのが、おそらく東ヨーロッパから来た人たちと、アラブ人です。

 20分間、ダブリンやケンブリッジと違い、のんびりとというより緊張感を持ちながら速足で歩きました。ホテルが近くなってきて、ある通りを過ぎてからがらりと印象が変わり、安全な雰囲気になりました。ほっとしました。

 ホテルはアメリカのホテルのチェーンということで、今回の旅で初めて冷蔵庫付き。金庫もついていますので、息子はさっそく、お菓子を金庫へ。「だって、おねぇねぇにすぐ食べられるんだもん」。金庫にお菓子を入れるという発想が子どもらしくて笑えました。娘がそうですが、このような子どもらしさは成長とともに少しずつ、消えていきます。こういう思い出を大切にしたいといつも思います。

金庫にお菓子を入れる息子。暗証番号は息子しか知りません

 併設されたスポーツクラブのプールが使えるので、息子も大喜び。夫と2人でさっそく入りに行きました。しばらくして帰った息子と夫によると、「プールの水が濁っている」そう。息子が「表面は綺麗なのに、もぐると前のほうが見えなくなるの」。夫が「これまで生きてきて、もぐると視界が悪くなるプールに入ったのは初めてだ。水が汚いというわけではないんだよね。君も明日入ってみてごらんよ」と続けます。うーん…。

 昼食はダブリン空港で子どもたちにせがまれ「バーガー・キング」で高カロリーのハンバーガーセットを食べましたので、夕食はホテル近くのスーパーで低カロリーの蒸し鶏とバケット、サラダと果物を買って、ホテルの部屋で食べました。夜はホテルのバーで、夫とワインを一杯。 

2022年8月17日水曜日

ダブリンからの報告 ③

  ダブリンの街は綺麗で明るく、街の人々もとても明るいー。それが3日間の滞在で感じた印象でした。リバプールの人々と同様、笑っている人が多く、「人生を楽しんでいる」感じがするのです。カフェやバーで実に楽しそうに恋人や友人たちと語らっている人を多く見かけたからかもしれません。

 街を明るく見せているのは、人々だけではありません。色鮮やかなドアや街のあちこちで見かけるお花です。こんなドアが日本にもあったら、日々の暮らしが楽しくなるだろうなーと思えたのでした。皆さんだったら、どのドアを選びますか? 




 










2022年8月16日火曜日

ダブリンからの報告 ②

 アイルランド・ダブリンの2日目の朝(9日)は夫とホテルから歩いて5分ほどのところにある、カフェに行きました。50代の私たちは午前6時過ぎに目覚めてしまい、子どもたちが起床するまでしばらく時間があるので、コーヒーを買いに行くのです。カフェがちょうど開いていたので、出来立てのスコーンとコーヒーを注文し、テラス席でいただきました。スコーンがとても美味しかった。

ホテルの近くのカフェで食べたスコーン

 イギリスとアイルランドはエスプレッソ・コーヒーを飲む文化らしく、日本でどこでも飲める普通のコーヒーは、きちんと「アメリカーノ」を「ブラックで」と頼まなければなりません。最初のころ、「レギュラーコーヒー」と頼んだら、聞き返され、何度かやり取りをして出てきたのが、エスプレッソをお湯で割ったコーヒーのミルク入り。

 娘によると「ママの言っていることが理解できないから、推測して出してきたんだよ」。生真面目な日本人でしたら、「●●●でよろしいですね?」と確認をするのにーと思っても仕方ありません。それからは、「アメリカーノ」を「ブラックで」を覚えました。

 イギリス滞在が1週間にもなるとご飯が恋しくなるらしく、子どもたちの朝食は持参したインスタントのご飯と韓国のり、現地で調達したお湯を入れるだけのお味噌汁。電子レンジはなかったので、夫がレストランに出向いて使わせてもらいました。「日本から来たので、子どもたちがご飯を食べたいというので」と説明したらしい。箸を持ってくるのを忘れましたので、スーパーでデリ・フードを買ったときにもらったフォークを付けました。


 イギリス・アイルランドで感心したのが、市販のカトラリーは全て木製だということ。ファスト・フード店でも、スーパーに売っているのも木製です。そしてもちろんストローは紙製。日本でも最近はスーパーでも木のスプーンやフォークが見られるようになりましたが、まだ、プラスチック製のスプーンが置いてあります。


 プラスチックは製造過程や焼却時に二酸化炭素を排出しますし、プラスチックゴミが海洋汚染につながっていることを考えると、プラスチックを減らしていくこういう取り組みはとても大切なことだと思います。

 「でもさ、全部を木製にすると木を沢山切ることになるでしょう? そうすると資源の無駄遣いだよね。やっぱり、マイ箸とかマイフォークの持参ということになると思うけど、それも実は難しかったりするんだよね」と娘。

 日本は割りばしを使う食文化です。割りばしは多くが、木材として使えない端材や間伐材を使って作られていると言いますが、日本では輸入品が9割と言われていますので、実際のところは私はよく分かりません。ですので、娘の話にははっきりとは答えられませんでした。でも、娘が多面的な物の見方が出来ることを知り、「成長したなぁ」と思えたのでした。

 この日はダブリン大学トリニティ・カレッジに行ってきました。この大学は1592年にイングランド女王エリザベス1世により設立されました。イギリスのオックスフォード大学とケンブリッジ大学をモデルにして造られたそうですが、両大学がいくつものカレッジで構成されているのと違い、ダブリン大学ではこのトリニティ・カレッジ1校です。

ダブリン大学トリニティ・カレッジのキャンパス

 構内に入ると、卒業式が行われる日のようで、ローブを着た学生がたくさんいました。お父さん・お母さんが誇らしげに子どもと一緒に写真を写す姿を見ると、私もハッピーな気分になりました。

 一般公開されている図書館も見てきました。圧倒的な美しさでした。「世界で最も美しい本」と呼ばれる1200年前の写本「ケルズの書」も見ることが出来、「アイルランドまで足を延ばせて良かった」と満足。

トリニティ・カレッジの図書館

 娘に「トリニティ・カレッジはどう思う?」と聞いてみましたが、「難し過ぎて駄目」とのこと。娘は高校の最後の1年を、「少しチャレンジングな大学と、確実に入れる大学」を選んで出願し、「エネルギーと時間の無駄遣いをしない」方針で臨むそう。まぁ、大学は自分で決めることですので、娘が選んだ大学への出願を精一杯サポートすることにしましょう。

 ランチは「テンプル・バーエリア」にあるバーで食べました。このエリアは、1840年に出来たアイリッシュ・パブ「ザ・テンプル・バー」を中心にたくさんのバーが立ち並ぶ場所で、ダブリンで最も有名な観光地の一つ。

歴史あるアイリッシュ・パブ「ザ・テンプル・バー」

 夫はアイルランドの郷土料理「アイリッシュ・シチュー」(羊肉を野菜と一緒に煮込んだ料理)、娘はアイルランドの国民食とも言われる「シェパーズ・パイ」(羊肉や牛肉のミンチを煮込んだものにマッシュポテトをかぶせてオーブンで焼いた料理)をオーダー。娘は「めっちゃ、美味しい!」と満足そう。夫も「アイルランドに来たからには、これを食べなきゃ帰れないよ」と言いながら、美味しそうに食べていました。息子はビーフ・ハンバーガー、私は無難にチキンにしました。

ダブリンのバーでのランチ

 夕方息子の勉強が終わった後、子どもたちは昨夜同様パソコンでダウンロードしたアニメを観始めました。私と夫は夕食を買いにスーパーへ。バケットとハム、チーズ、オレンジジュースとサラダ(夫がこれまで食べた中で一番美味しいと絶賛)を購入し、帰り途中にカフェに寄り、ワインを一杯。

夜はカフェでワインを一杯
ダブリンの夜

ライトアップされたホテル

【参考文献・サイト】

・ダブリン大学トリニティ・カレッジ

https://www.tcd.ie/

・ザ・テンプル・バー

https://thetemplebarpub.com/

 

 

 

2022年8月15日月曜日

ダブリンからの報告

 リバプールでビートルズを満喫した後、私たちはリバプール空港から飛行機でアイルランドの首都ダブリンに向かいました。ダブリンは私が以前から訪れたかった街です。

 約1時間で着きました。アイルランドはEU加盟国ですので、入国にパスポートが必要ですので税関で少し時間がかかりました。空港の外に出ると暑くて、気候は終日半袖で過ごせるリバプールと似ているようでした。エジンバラは朝夕は長袖・長ズボンが必要になり少し寒かったですので、また夏らしい天気の都市に戻ってほっとしました。空港の前には、フラワーバスケットがあちこちに飾られており、とても明るい雰囲気です。

 ダブリンの滞在先は、19世紀に建築された煉瓦造りの趣のあるホテルでした。入口の床には「1881」という数字のタイルが貼られています。かつてはある民間団体の学校として使われていたとのことで、歴史を感じさせます。 

歴史を感じさせる煉瓦造りホテル

入口の床に貼られたタイル

 このホテルにチェックインをして、私たちが最初にしたのは洗濯でした。実はこの旅行で想定外だったのが、洗濯が出来ないことでした。ケンブリッジ➡エジンバラ➡リバプールと周り4カ所のホテルに宿泊しましたが、いずれのホテルにもコインランドリーがなく、ホテルの近くにも探せなかったのです。下着は手洗いしていましたが追いつかず、結局エジンバラでランドリー店に持ち込んで洗ってもらいました。

 調べてみると、クリーニング屋さんでは、水で洗う「ランドリー」と「ドライクリーニング」の両方を受け付けているようでした。エジンバラ―ではこの「ランドリー」を利用しましたが、持ち込んだのはTシャツや短パンなどで、最も手入れが必要のない服。これを「ランドリー」に出すのは主婦として不経済に感じ、夫と子どもたちに説明し、各自で洗ってもらうことにしたのです。

 私一人が「洗濯オバサン」になるのもつまらない気がして頼んでみると、皆快諾。夫と息子には、洗面台に水を張って洗剤を溶かして下着類を浸し、手洗いをして絞り、洗剤が消えるまで何度もすすいで絞り、乾いたタオルに水分を吸収させてハンガーにかけるーという手順を教えました。息子が嬉々として取り組んでいたのが良かった。旅では不便なこともありますが、工夫次第で何とかなるものなのですね。

各自が洗濯をしました

 洗濯を終えた後は午後4時を過ぎていましたので、ホテルの近くを散策しました。スコーンなどが置いてあるおしゃれなカフェや午前6時に開くスターバックス、美味しそうなデリ・フードが置いてあるスーパーを見つけました。夕食は息子のリクエストに応えて再びサブウェイでした。

息子が大好きなSubwayの店

 夫と私はこのサブウェイに楽しい思い出があります。学生時代2人とも金銭的に余裕がなく、サブウェイで一番安い1ドル99セントの「ミートボールサンド」をよく食べました。食べ過ぎて最後には飽きてしまったぐらい食べました。夫が今回、そのミートボールサンドを注文。「あのころと全く同じ味だ」ということ。私はがんを患ってから肉を数年間一切やめて、徐々に鶏肉、豚肉と食べるようにしましたが、牛肉はもう胃が受け付けないので、今回も食べませんでした。が、とても懐かしかった。

  食べながら、学生時代に夫とよく観に行った1ドル映画の思い出話を子どもたちにしました。毎週水曜日に旧作の映画が1ドルで観られる映画館があったのです。ビデオのレンタルが広がる前のことです。ポップコーンをほおばり、コーラを飲みながら、1ドル映画を観るー。こういう思い出は、懐かしく、その場面も鮮やかに覚えているものです。

 ホテルに帰ってからは、子どもたちはパソコンをホテルのWi-Fiにつなげてアニメをダウンロードして観始めました。子どもたちは安全な場所にいますので、夫と私でホテルのバーにビールを飲みに行くことにしました。イギリスは”パブ”の文化がある国だからでしょうか。比較的大きなホテルのロビーにはパブのようなバーがあるのです。夫は濃いめの「IPAビール」、私は軽めの「コロナビール」を注文。テラスで美味しく飲み、ダブリンでの1日目は終わったのでした。

パブのようなホテルのバー


テラス席でのんびりと

2022年8月14日日曜日

リバプールからの報告 ②

  イギリス国内を旅行し戸惑ったことは、誰もマスクをしていないことと物価が高いこと、そして驚いたのは入れ墨をしている人がとても多いことです。

 新型コロナウイルスの新規感染者が再び爆発的に増えたときに成田空港を出た私たち。まず、日本航空とコードシェアをするフィンランドの「FINNAIR」の客室乗務員がマスクをしていないことに仰天しました。

 「飲み物はいかがなさいますか?」と男性の客室乗務員が顔を寄せてきたときには、動揺しました。私の声が聞こえなかったらしく、聞き返されたので、マスク越しだと聞こえにくいのかもーと思い咄嗟にマスクを外して注文してしまいました。その客室業務員が注文を繰り返したときに、息が私に吹きかかったように感じ、不安になりました。フィンランドではマスク非着用になっていても、このような密閉された空間ではせめて乗務員は配慮をしてほしいなと思いました。

 イギリスでも、マスク非着用はもう標準になっているようで、マスクをしている人を探すのが難しいほど。でも、私たちは帰国時にPCR検査をしなければなりませんので、マスクはしっかりと付けていますが…。

 次に戸惑ったのは物価の高さです。成田空港で円をポンドに替えたときは1ポンド167円でかなりの円安でしたので、それも理由なのでしょう。ひと足早くイギリスに着いていた娘からも、物の値段の高さは聞いていましたが、本当に高い。ファストフードでさえ、1200円以上は当たり前です。レストランでパスタなど普通のランチを頼んでも、家族4人で7,8千円になります。ですので、ランチをレストランで食べたときは、夕食はスーパーでハムやチーズ、サラダ、バケットなどを買ってホテルで食べたり、サブウェイなどファストフードの中でも野菜を多く取れるものを食べることにしました。

 そのほか、かなり驚いたのは入れ墨をしている人の多さです。数年前にアメリカを訪れたときにも入れ墨を入れている人が多いことに気付きましたが、イギリスはアメリカと比べてもより多いような気がしました。アメリカでは腕や肩、足などにワンポイントで入れている人が多かったのですが、イギリスでは腕全体、足にも広い範囲で入れている人が目立ちました。

 リバプールでも、中年の男女や若者も気軽に入れている感じが見受けられ、本当に驚きました。マッチョな中年男性が腕全体に入れていれば、何となく怖い感じがしますし、若い女性が入れていると、娘を持つ母親として「あんなに美しい白い肌にもったいないなぁ。将来、その入れ墨が嫌になったらどうするのだろう?」と心配になります。小さな子どもを連れている普通のお母さんやお父さんたちが入れ墨をしているのを見ると、「近い将来、子どもたちも入れるようになるかもしれないな」とも思い、残念な気持ちになりました。

 夫によると「アメリカ人で入れ墨を入れている人の割合はたぶん、3割は超えている」ということですが、イギリスの街を歩いていたり、スーパーで買い物をしていて、すれ違う人の中で入れ墨をしている人の割合もそれぐらいだと思いました。それほどに、多い。日本人も近い将来、そうなるかもしれないと心配になりました。

 さて、ネガティブな話が続いてしまいましたので、リバプールで気付いた良い点についてお話ししたいと思います。リバプールの人は「人生を楽しんでいる」という印象を持ちました。街を歩いて、店外のテラス席で食事をしたり、友人同士で歩いていたりしている人達が、とても楽しそうなのです。豪快に笑っている人が実に多い。特に、男性が男友達らとビールを飲みながら、スポーツの話で盛り上がっているのでしょうか、にぎやかに語り合っている雰囲気が良かった。

 ダウンタウンのあるパブでは、ビートルズの衣装を着た男性が、外のテラス席に設けられた電子ピアノを弾きながら、「ヘイ・ジュード」を歌い始めました。客たちがビールを片手に楽しそうに一緒に歌っていました。あぁ、人生を楽しむってこういうことなんだなと通りすがりの私まで、幸せな気持ちになりました。私も夫も立ち止まって、一緒に歌いました。夫が、それは嬉しそうな表情で大声で歌っていました。

演奏者に合わせて、客らも一緒にビートルズの歌を歌うリバプールのパブ


リバプールからの報告

  エジンバラの滞在3日目の6日はエジンバラ城近くにある土産店を巡り、スコットランド国立博物館へ。夕方、ビートルズの街リバプールに向かいました。ビートルズファンの夫に「ここは絶対行くべきだよ!」と説得し、旅行のプランに入れたのです。

 エジンバラ・ウエイバリー駅から列車に乗り、プリストンで乗り換えて3時間半でリバプールに着きました。リバプールのイメージは夫も私もあまり良くなかったのですが、駅を降りてホテルまで歩いていく間に、印象が変わりました。街の人たちは明るく、街並みもとても綺麗なのです。

リバプールの港にあるビートルズの銅像

 ホテルに着いたのは8時過ぎ。ケンブリッジとエジンバラのホテルにはなぜか机やテーブルがなく、息子は文句を言いながらもベッドに寝ながら、塾の勉強をしていました。リバプールのホテルには机が付いていたので、そこに座らせて10時ぐらいまで勉強させました。

 息子は「旅行に来てまで、何で勉強しないとならないの?」と言い、なかなか始めない。でも、今ごろ塾では連日子どもたちが新しい単元を学んでいます。心を鬼にして取り組ませました。

 さて、翌日の7日はビートルズの博物館「ビートルズ・ストーリー」へ行きました。ビートルズ誕生の逸話から一世を風靡するに至るまでの経緯、音楽の魅力、世界に衝撃を与えたグループの解散とジョン・レノンの死、解散後のポール・マッカートニー、ジョージ・ハリソン、リンゴ・スターの活動までを紹介しています。とても見ごたえのある博物館でした。

 その後、各メンバーゆかりの場所を巡るバスツアーに参加しました。ジョージとリンゴ、ジョンの生家やポールとジョンが共に曲を作ったポールの家、そしてジョンの家の近くにあり曲のテーマにもなった孤児院「ストロベリー・フィールズ」などを巡りました。

曲のテーマとなった「ストロベリー・フィールズ」の入り口
ジョン・レノンの生家。比較的裕福な家だったそうです
 
 ツアーが終わった後は、ギフト・ショップで「The Beatles」のロゴが入ったトレーナーを家族で買いました。買い物があまり好きではない夫が、嬉しそうにトレーナーとTシャツを選んでいる様子を見て、「リバプールを旅程に入れて良かった」と私まで嬉しくなったのでした。
 
 夜はホテルの近くのパブでイギリス名物「フィッシュ&チップス」を食べました。地元の人たちがそれは楽しそうにビールを飲み、食事をしている様子が印象的でした。

パブで食べたフィッシュ&チップス

博物館に展示されていた若き日のビートルズの写真

2022年8月12日金曜日

エジンバラからの報告 ②

  スコットランドの古都・エジンバラは、知的な雰囲気があり美しく、街を散策するだけで幸せな気分になる大学都市・ケンブリッジとは違った魅力がありました。観光名所はどこも圧倒的な迫力があるのです。

 初日にエジンバラ大学を訪れた私たちは、2日目の5日、ケンブリッジのときと同様に「Hop-on, Hop-off City Tour bus」(市内の観光名所に停まるバス)に乗り、市内を回りました。最初に訪れたのは、世界遺産の一つで美しい街並みを一望する「カールトン・ヒル」です。

エジンバラの街並みを一望できるカールトン・ヒル

 ここに行ってみたいと希望したのは、建築に興味のある娘でした。この丘にある「ナショナル・モニュメント」は19世紀にナポレオン戦争で亡くなったスコットランド兵士のために造られた戦没者記念碑です。アテネのパルテノン神殿を模して造られ、未完のまま現在に至ります。モニュメントは高く、そこに登るのはなかなかに難しいのですが、何とか登って立ち上がりエジンバラの街を眺めると、晴れ晴れとした開放感に包まれました。

圧倒的な迫力のナショナル・モニュメント

 カールトン・ヒルから眺めるエジンバラの街並みはそれは美しく、いつまで眺めていても飽きることがありません。

カールトン・ヒルから眺めるエジンバラの街

  次に訪れたのが、「エジンバラ城」です。残念ながら、入場チケットが売り切れてお城の中に入ることは出来ませんでした。これを前向きにとらえて、「今回入れなかったのは、また、エジンバラに来るチャンスがあるということだね」と次回の楽しみにすることにしました。

バスから眺めたエジンバラ城
エジンバラ城の入り口
 
 エジンバラ城を下がっていくと、土産店がひしめく通りに出ます。その通りには、夫が所望したスコッチウイスキー博物館がありますので、行ってみました。子どもたちは興味がなさそうだったことと、チケットが高かったことで、入場は断念。でも、ギフトコーナーでウイスキーの試飲が出来たので、夫は満足したようです。少し可哀想でしたので、スコッチウイスキーのミニボトルとコースターを買って、夫にプレゼントしました。

「Scotch Whisky Experience」の前でふざけ合う子どもたち

  次は、山登りが好きな息子のリクエストに応えて「ホリールードパーク」内にある山「アーサーズシート」に登りました。その小高い山を見上げたときは迷いましたが、息子と一緒に山登りをする機会はこれからあまりないかもしれないーと考え、思い切って登ることにしました。
 
 約30分で、頂上に到着しました。そこから切り立つ崖を見たときは足がざわざわとすくみましたが、ここから眺める景色もカールトン・ヒルに違わぬ絶景です。

アーサーズシートから見下ろす風景。切り立つ崖を見ると足がすくみます

中央に見えるのがエジンバラ城
 
 頂上からの眺めを堪能した後、山を下って、「ホリールードハウス宮殿」の横にある広い芝生で休憩をしました。息子は思う存分バク転を繰り返し、皆で鬼ごっこをしました。すがすがしいひとときでした。

 
ホリールードハウス宮殿

広々とした芝生の上で思う存分バク転をする息子

芝生の上で寝る息子

【参考文献・サイト】

カールトン・ヒル

https://ewh.org.uk/world-heritage-sites/calton-hill/

ナショナル・モミュメント

https://ewh.org.uk/iconic-buildings-and-monuments/national-monument/

スコッチウイスキー・エクスペリエンス

https://www.scotchwhiskyexperience.co.uk/

ホリールードパーク

https://www.historicenvironment.scot/visit-a-place/places/holyrood-park/