2021年1月29日金曜日

コロナで閉店 近所の駄菓子屋さん

 自分の生活圏にある行きつけの店がなくなるのは、とても寂しいものです。子どもたちが大好きだった駄菓子屋さんが先日、ひっそりと閉店しました。息子が教えてくれました。

「ママ、駄菓子屋さんが閉まるらしいよ。コロナだからっておじさんが言っていた」と息子が教えてくれたのはこの水曜日。いつものように小銭を持って、その駄菓子屋さんに行って帰ってきて、そう報告してくれました。

「えっ? 閉まるってずっと? それともコロナが収まるまで?」

「わからない」

「どうして、そういう重要なことをきちんと聞いてこないの!」と思わず息子に声を荒げてしまいました。私は明らかに動揺していました。

翌日の木曜日の夜に行ってみると、シャッターが閉まっていました。シャッターの横に小さな紙が貼ってありましたが、よく見えませんでした。で、今日の夕方改めて、息子と娘と行ってみました。張り紙にはこう書いてありました

「閉店 本当にありがとうございました。駄菓子屋」

閉店を知らせる駄菓子屋さんの張り紙

「本当に閉まっちゃったみたいだよ」と子どもたちに言うと息子が肩を落として言いました。

魂ぬけた…

 息子はこの駄菓子屋さんが大好きで、2日に1度は通っていました。ガムが1個11円と安いので、50円あればガムが4個買えるのです。私にはいつもキャラメル1個を買ってきてくれました。お友達の家に行くときも、ここから手土産を買って持って行っていました。

「いつもここにあったのに、寂しいね」と娘。

「100円でいくつ買えるかな」。子どもたちはここで計算を覚えました。遠足のときも、ここでおやつを買いました。夏になると冷えたラムネを買って、店先にある古いベンチに座って子どもたちと一緒に飲みました。

息子にせがまれて買った仮面ライダーのお面。息子と一緒にドッチボールをした虹色のボール。縄跳びも、お寿司やケーキの形をした消しゴムもここで買いました。38円のポテトチップスはとてもおいしかった。1個がとても酸っぱい3個入りのガムを買って、娘と息子とじゃんけんをして選んで食べたっけ。

子どもたちとのたくさんの思い出が詰まった駄菓子屋さんが、なくなってしまうなんて…。

ここは私の小さなころの、幸せな思い出の場所ととても似ていました。札幌生まれ札幌育ちの私ですが、幼稚園のころ、たぶんほんの半年ほど北海道の浜松町という町に住んだことがあります。建設会社に勤めていた父の仕事の関係で、しばらくそこに住んだのです。

私たちが住んでいた家の近くに駄菓子屋さんがありました。そこで売っていたヨーグルト味のお菓子と同じお菓子が、ここの駄菓子屋さんで売っていたのです。それを見るたびに、幸せだったそのころを思い出していたのです。

寂しくてたまりません。考えると落ち込むので、なるべく考えないようにします。

2021年1月27日水曜日

フルーツポンチ

 「ママ、三ツ矢サイダー買ってきてください」-。朝、小3の息子がそう私に頼み事をしてきました。三ツ矢サイダーは、私が夫や娘に「ママの体調が悪くなったら、買ってきてね」とお願いしている飲み物。具合が悪いときに飲むと、気分がすっきりするのです。普段はお茶や水ですが、たまに無性に飲みたくなります。

 息子が付け加えました。「昨日、学校からレシピの本借りてきたから、作るの」。

 我が家は家族全員が大の料理好き。子どもたちも小さいころから料理やお菓子作りをしていて、新しいレシピを試すのも大好きなのです。息子が登校してから、忘れないうちに三ツ矢サイダーを近所のスーパーで買ってきました。

 帰宅した息子が作ってくれたのは、フルーツポンチです。冷蔵庫にあるキーウイとリンゴを小さく切り、ミカンの薄皮をはがして、白玉団子を作って、グラスに入れて三ツ矢サイダーを入れるだけ、という簡単レシピ。でも、息子が作ってくれたのが、何よりもうれしい。

 息子は1週間に一度、学校の図書館から本を借りてきます。レシピ本を借りてきたのは初めてです。今回借りてきた2冊のうち1冊は娘が小学校のころに買ってあげた「ルルとララのおかしやさん」シリーズ。娘はそのレシピ本を見て、カップケーキやクッキーをよく作ってくれました。今、娘がレシピを見ないで作るクッキーは市販のよりも美味しいと感じるほど、本格的です。原点は子どもが手軽に作れるこの「ルルとララ」なのです。

息子が小学校から借りてきたレシピ本

 息子が作ってくれたフルーツポンチは、すっきりとした味で美味しかった。とても楽しい午後のひとときでした。

2021年1月26日火曜日

母、83歳に

  母が83歳になりました。札幌から東京に引っ越しして迎える2回目の誕生日です。東京では新型コロナウイルスの感染が広がっており、夫の職場や子どもたちの学校でも感染者が出ていますので昨年のような家族でのパーティはやめて、私と二人でお祝いしました。

 プレゼントは体重計とヨガマット。体重計は、体重減少を気にする母からのリクエストでした。ヨガマットは体力維持に努める母が日々の体操をしやすいようにと考えました。実は母と娘と私の3人で小野リサさんのコンサートに行こうとチケットを購入していたのですが、感染を恐れて母は行きたがりませんでした(結局、夫と子供たちが行きました)。ケーキは母の好きなショートケーキ。

 母との会話はもっぱらコロナ。母が81歳の夏に我が家の近くのマンションに引っ越しして半年後にコロナが広がり始めましたが、今だなお収束の兆しが見えません。娘の私としては、本当に良いタイミングに引っ越しできたと思っています。もし、母がまだ札幌にいたら、心配でも頻繁に様子を見に行くことは出来なかったでしょう。

 2人でケーキをほおばりながら、何かあったらすぐ駆け付けられるところに母がいてくれて、本当に良かったとしみじみと思いました。普段は間食をしない母ですが、この日は「美味しいね」を連発しながら、ケーキを2切れも食べてくれました。 

2021年1月24日日曜日

物と向き合う ②片付け本読んでも

  今年は私にとって「物と向き合う」年。私がどれほど家の片付けをしたいと思っているかは、この本の多さでお分かりいただけると思います。どの本も数回は目を通していると思います。「断捨離」の提唱者、やましたひでこさんについては本だけでなく、DVDまで買いました。この片付け本の量の多さが示すのは、私は片付け本を読んでも片付けられない人間のままだということです。


 アメリカの雑誌「TIME」で「世界で最も影響力のある100人」に選ばれたこともある近藤麻理恵さんの「人生がときめく片づけの魔法」。片付けの手法についてはなるほどと思いましたが、将来も可能性も十分にある若い人から、人生を前向きに生きるためには物を片付けるのが一番だと言われているようで、私には合いませんでした。
 
 近藤さんの本の中で、残念に思った記述がありました。ある女性が長年持ち続けたセーラー服を処分するように勧めたところです。この女性がセーラー服を長年持ち続けたことには何かしら意味があるのでは。この人は、若い近藤さんに説得されて、勢いに任せて思い出のセーラー服を捨てて後から後悔しないだろうか? と胸が痛みました。私が近藤さんの本を拒否してしまった理由は、この記述にあります。

 若い彼女には、年を取って思い出とともに生きる人がいること、思い出とともに生きるしかない人もいること、が分かっていないのではと思ってしまったのです。私が近藤さんの本を読んだのは40代のとき。でも、この話を3、40代の友達に言っても分かってもらえませんでしたので、私が敏感過ぎたのかもしれません。

 「断捨離」のやましたひでこさんは、50代でクラター(ガラクタ)・コンサルタントとして「断捨離セミナー」を全国に広めたそうです。やましたさんは、物を自分が使うか使わないかという「自分軸」で、そして「今の自分に必要か」という「時間軸」で判断し、物を処分するよう勧めています。中年になっても、物を処分することで心も整理でき道が開けるのだいう力強いメッセージが伝わります。

 私はやましたさんの考えはいいなとは思いましたが、心に響きませんでした。「断捨離」の奥付を見ると、2010年3月2日第5刷発行とあります。私は40代半ばで病気の連鎖の中におり、かつ、天国の子への思いを募らせていた時期です。物を処分しなければと思いつつも、する気力がありませんでした。

 料理研究家の有元葉子さんの「ためない暮らし」。有元さんの料理本は何冊も持っていて、大好きな人です。でも、有元さんの暮らしは素敵過ぎますので、私のようなズボラな人間にとっては憧れですが、参考にはなりませんでした。

 これらの片付け本の中で、私が一番好きだったのは古堅純子さんの「生前整理~人生の衣替え~」です。年配の人に「捨てなくてもいいですよ」と言葉をかけ、「物の整理は捨てることではありません。分けることが大事」として、捨てなければならないとプレッシャーを感じている人たちの気持ちに寄り添っているところです。

 「モノと人の間には持ち主にしか分からないストーリーがあり、それを他人の判断でゴミ扱いしてはいけない」という古堅さんの謙虚な気持ちにも共感を覚えました。人の物を勝手に処分してはいけないとどの片付け本にも書いてありますが、「なぜ」の説明に古堅さんの優しさを感じるのです。

 私は母に思い出のものの多くを断りなく捨てられたことを今も引きずっていますので、この言葉の意味がとてもよく分かります。

 さて、先日ネットで「president」という雑誌を読んでいたら、とても良い文章に出会いました。作家・五木寛之さんによる寄稿文です。五木さんは「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」の4つの季節にたとえられる人生の中で、50歳から75歳までの「白秋」は「人生の収穫期」としています。そして、次のように述べています。

「白秋はそうやって後ろを向いて生きることが許される素晴らしい季節なのです。だから、思い出の品々はできるだけ多いに越したことはありません。最近は『断捨離』がブームですが、何でもかんでも捨ててしまったら、過去を振り返る貴重な『よすが』が失われてしまうので、私は断捨離には反対です」

 私は五木さんの仰っていることに深く共感しました。私は傍目には前向きに生きている人間に見えるようですが、実際は後ろ向きの人間です。過去を引きずって生きています。幸せだったころの思い出に浸るのが好きです。娘が描いた絵の数々、娘と一緒に作った工作品、膝に穴があいた何枚もの息子のズボンや着古した服、子どもたちが使ったバッグ、遊んだおもちゃやゲーム、教科書やノート…。これらの物が愛おしくてたまらない。

 私がため込んでいる物の多くが五木さんが言う「よすが」なのだとつくづく思います。私はまだ50代ですが、体調が悪い期間が長かったため、いつも死が身近にあります。ですので、ベッドから起き上がれなくなったら、これらの大切なものに囲まれて楽しかったときのことを思い出しながら過ごしたいなと思うのです。

 とはいえ、私は今すべての病気から解放され元気に生きる一家の主婦であり母でもあります。夫や子供が気持ちよく生活できるよう、物が溢れる家の片付けをするのは私の仕事です。さらに、体調が悪くなったときに備えたいとはいえ、今家にある物全部に囲まれたら、窒息死してしまいます。「よすが」も私の場合、厳選する必要があります。

 こうやって自問自答しながらの片付け。道のりは遠いです。

2021年1月18日月曜日

ごめんねクッキー

  16歳の娘はご多分に漏れず、常に体重を気にしています。14歳ぐらいまでは鉛筆のように細かったのに、一気にふっくらとしました。私も夕ご飯の量を少し減らしたり、おやつを減らしたりと気にかけているのですが、体重は思うようには減りません。

 背も高いので、とにかく「Big」な娘。足、太ももなど各パーツも大きいので、先日は巻き尺で体のサイズを測ってみました。娘のふくらはぎを測ってギョッとしました。そして、「ママも」と言いつつ、自分のウエストを測って仰天。お腹周りがだぶついていることは知っていましたが、こんなになっているとは。娘と大笑いしました。次は…と勢いづいた娘が巻き尺を思いっきり引っ張ったら、なんと壊れてしまいました。

 ずっと使ってきた巻き尺だったので残念でしたが、まぁ、これは思い出の品でもないので、アマゾンですぐ新しいものを買いました。で、昨夜のこと。

 私がちょうどブログを書いているときに、娘が階段を上がってきました。1階のダイニングから階段を上ると居間があり、そこの一角に私の仕事・作業場があるのです。娘がトレーに入れて持ってきてくれたのは、焼き立てのクッキーと入れ立ての紅茶。クッキーには「ごめんね!大好き」という字がチョコレートで書かれています。

 「この前は、ママのものを壊してごめんね」と娘。そんなことすっかり忘れていたのですが、娘は気にしていたのですね。巻き尺が壊れたことより、娘がこうしてクッキーを焼いて、時間をかけてメッセージを付けてくれたことが何よりうれしい。

娘が焼いてくれたクッキーと入れ立ての紅茶

 娘の作るクッキーはとても美味しいので一気に食べたかったのですが、昨夜は4枚だけにしました。これから、コーヒーと一緒に残りをいただきます。娘のお陰で、とても幸せな気分で一日をスタートさせることが出来ました。

娘が焼いてくれたクッキー。朝はコーヒーと一緒に

2021年1月17日日曜日

物と向き合う 

  「やらなければ」と思いつつ、忙しさに紛れて出来ずにいる。いつも頭の片隅にあって、そのことを忘れないけど、なかなか手をつけられないー。皆さんにはそのようなことがありますか? 私の場合、一つは「物の整理」、そしてもう一つは「写真の整理」です。

 まず物についてですが、新型コロナウイルス対策で家族が家にいる時間が長くなり、あちこちに散乱しています。片付けようにも、収納場所はどこも満杯。その結果、居間や寝室などに段ボールの小箱に入ったものが積み重なっています。

 私は筋金入りの「捨てられない人間」。このことについては、ブログでも何度か書いています。開き直って、捨てられない自分を正当化する文章を書くぐらい捨てられません。

捨てられない!

https://ar50-mom.blogspot.com/2016/12/blog-post_3.html

捨てられない!②

https://ar50-mom.blogspot.com/2016/12/blog-post_14.html

捨てられない! 娘の捨てたもの

https://ar50-mom.blogspot.com/2018/08/blog-post_35.html

捨てられない!でも、捨てなくて良かったものもある

https://ar50-mom.blogspot.com/2020/07/blog-post_29.html

 若いころは物や写真の整理が出来て、本や衣類も定期的にリサイクルに出していた私ですが、あるときから物をため込むようになりました。双子の一人を死産した後、その子に帰ってほしいと願い風水の本に書いてあったことを実践してからです。

 「物を処分すれば、家の中の気の流れが良くなり、願いが叶う」。風水の本にはそう書いてありました。その言葉を信じて、天国の子に帰ってきてもらいたい一心で大切にしていたものをどんどん手放しました。その中で後に後悔し、物をため込む原因となったのが、娘の可愛らしいベビー服の多くを手放したことです。

 それから、私は物をため込み続けました。先日読んだ「ゴミ屋敷」に関する記事で、専門家が「物を異常なまでにため込む人には、過去に大きな喪失体験がある場合が多い」と指摘していました。私の場合もこれ当てはまるのでは?と思いました。

 さらに、私の母が潔く物を捨てる人だったので、これが心の傷となり、物をため込む原因になったのではと分析しています。母は、私が大切にしていた絵本全部、大学時代のテキストブック全て、そして「捨てないでね」と念を押していた中高校時代に読んだ本も全て私に断りなく捨てました。私の手元に残っている本は「若草物語」だけです。

 母は私が職を得て独立した後、私の部屋を壊して、私のベッドも机も本棚も処分しました。私が自分の部屋に置いてあったほとんどの物を処分し、母が残したものは、私の叔母らが私にくれた人形と、母が選んだ整理ダンスと一面鏡。つまり、母にとっての”思い出”のものと、母の好みの家具でした。実家に子どものころの物を置いておく私も悪いのですが、せめて捨てる前にひと言ほしかった。

 「断捨離」の提唱者・やましたひでこさんは、物が主役ではなく使う自分を主体とする「自分軸」で、そして今という「時間軸」で物を捨てるよう提案しています。母にとって、娘のものを断りもなくバッサバッサと、そして「捨てないでね」と言われても、捨てた基準はいったい何だったのか? と今でも思います。捨てた理由を聞いても、「もう捨ててしまったから、仕方ないじゃない。あんたは物への執着心が強い」と叱られるので、理由も分からずじまい。

 ぶつくさと私が物を捨てられない理由を書きましたが、もうそんなことも言っていられなくなりました。我が家は、息子の部屋を屋根裏に作らなければならないほど小さな家です。もちろん余分な部屋はなく、納戸も屋根裏です。その屋根裏部屋に詰め込んだ、子どもたちの服、おもちゃ、工作品、想い出の品々、たくさんの未使用のアルバム、手芸用品…。それらが、溢れ出てきています。

 で、今年の目標の一つを「物と向き合う」にしました。初詣で私が引いたおみくじには「何事にも手を出してはいけません」と書いてありましたので、ここはじっくり自分自身と向き合おうと思いました。自分自身と向き合うために、まずは、ずっと懸案事項だった物と写真を整理することにしたのです。

 様々な理由で物が捨てられなかった私。この私がどう物と向き合うのか、このブログで折々に報告していきます。もしかしたら、「やっぱり捨てられなかった」と年末に振り返るかもしれません。それでも、向き合おうと努力した結果出来なくても前進ではないかと思います。皆さん、楽しみにしていてください。

2021年1月15日金曜日

迫りくるコロナ 2

  息子、娘の学校の児童生徒が新型コロナウイルスに感染したのに続いて、夫の会社でも初の感染者が出ました。13日夜に報告があり、感染者とオフィスで一緒だった人は14日から2週間出勤禁止という措置です。夫も1日だけ一緒だったといい、再び在宅勤務となりました。

 保健所の指示でオフィスは閉鎖し、消毒を行うとのこと。夫はその感染者と席も遠く、話もしていないとのことですので感染の可能性はかなり低いと思いますが、コロナがひたひたと近付いている気がします。

 今回、立て続けに娘と息子の学校や夫の職場で感染者が出たことで、感染者が1人でると、その影響が及ぶ範囲はかなり広いということが分かりました。

 たとえば、娘の場合はクラスメートが感染。この場合、そのクラスメートと冬休み中遊んだ生徒複数が「濃厚接触者」となりPCR検査結果が出るまで自宅待機。そのきょうだいや親も自宅待機という措置だそうです。自宅待機の生徒たちは自習となるので、勉強のことも心配です。

 夫の会社の場合は、とても厳しく、感染者が出社していた日に出社した人は濃厚接触者ではなくても2週間の出社禁止。その感染者の席に近い人は、きっと心配に違いありません。「感染者の隣の席の人の奥さんは小学校の先生なんだ」と夫。きっと、奥さんも「もしも」に備えて学校に報告せざるを得ないような気がします。こうした場合、報告を受けた学校はどういう措置を取るのでしょうか?

 さて、身近でコロナ感染者が出ている今、感染しないよう細心の注意を払うとともに、ワクチンに期待したいところです。15日金曜日は国立がん研究センター中央病院での診察の日でしたので、主治医に聞いてみました。

 「私の場合、基礎疾患がある人の分類になるのでしょうか?」と聞いてみると、主治医は「悪性リンパ腫は微妙なところですが、自己免疫疾患でプレドニン(ステロイドホルモン剤)を服用しているので、対象になります」とのこと。

 私は自己免疫が血小板を破壊する「特発性血小板減少性紫斑病(ITP)」と赤血球を破壊する「自己免疫性溶血性貧血」を患い、今でも、微量ですがプレドニンを服用しています。私が心配したのは、ワクチン接種の副反応。すでにワクチン接種が始まっている英米では、接種後に重いアレルギー反応の「アナフィラキシー症状」が出た人がいると報道されています。

 私がこの2つの自己免疫疾患を患ったときはそれぞれ1カ月以上入院しましたし、薬もなかなか効かず、また、薬の減量も大変だったので、自己免疫がまた誤作動するのではという心配が常にあるのです。ですので、ワクチン接種が可能になったときにどうしたらよいのだろうと思っていました。コロナの感染もこわいけど、ワクチンの副反応もこわい。

 主治医は、「ITPも自己免疫性溶血性貧血も、ワクチン接種で副反応が出たという報告は海外でも国内でも報告がありません」とのこと。少しほっとしました。

 とにかく、今は感染しないように気をつけます。

2021年1月13日水曜日

乗り越えて帰ります

 クラスメートに新型コロナウイルスの感染者が出たため、11日からオンライン授業に切り替わっていた娘が13日、再び学校に行くことになりました。

 学校から連絡が来たのが前日夕方。感染者の濃厚接触者として自宅待機とPCR検査の措置が取られた同級生数人以外は、全員登校という指示です。ところが、13日の朝、娘も夫も私も寝過ごしてしまったのです。

 前日、3人ともメールを確認していたのに、朝はすっかり記憶から消えてしまったのでしょうか。私は普段午前4時、5時に目覚めるのに、この日に限って気持ち良く二度寝してしまいました。

 起きたのは、息子が起きる午前7時。娘はこの時間に電車に乗らなければ、間に合いません。朝ごはんもお弁当も作れないので、夫が「おにぎりをコンビニで買うように。ランチは学校のカフェテリアで食べなさい」と娘に1000円を渡しました。私は急いで支度をした娘を車で駅へ送りました。車から出るとき、娘がため息をつきました。

「あーあ、今日はBad Luck Day(運が悪い日)だから、きっと、悪いことがたくさん起こるよ。でも、乗り越えて帰ります

じんときました。娘も成長したなぁと思いながら、「いってらっしゃい。頑張ってね」と見送りました。

 電車の改札口に向かう娘の後ろ姿を見ながら、前日たまたま納戸の整理をしていて見つけた連絡帳を思い出しました。娘が地元の公立小学校に通っていたときのものです。4年2組でした。2ページに渡って書かれた私から担任の先生へのお願いを読むと、娘は心配な子だったと改めて思いました。娘は先生が出した宿題の範囲も書き留められなかったのです。

娘が小4のときの連絡帳。私から担任の先生にお願いを書いている

「宿題の指示を聞き忘れる子がいることを前提に『今日の宿題は〇〇〇です。皆、書き留めたかな?』『確認のため、もう一回言うよ」など、子どもの注意を引くような指示の仕方をお願いできますでしょうか?」

日々忙しい先生にこんな厚かましいお願いをするなんて、私もよほど困っていたのでしょう。今小3の息子は問題なく連絡帳に翌日の予定や宿題を書いてきますので、娘は本当に成長がゆっくりだったなと思います。同級生に比べて出来ないことも多かった。でも、ちゃんと成長しました。学校で起こる様々なことも、自分で解決できるようにもなりました。

たくさん心配したけど、最近は「この子ならしっかり生きてくれるだろう」と思えるようになりました。2人の子どもを育てて、改めて思います。成長の速度は、子どもによって違うと。親が出来ることは辛抱強く待ってあげることなんですね。


2021年1月12日火曜日

迫りくるコロナ

  じわじわと身近に新型コロナが迫っているー。10日の日曜日は、そんな気配を感じた日でした。

 最初は午前中の義父母とのズーム・コールでした。義母から、テキサス州に住む夫の兄の元妻が感染したという報告がありました。元妻が3人の子どもを育てており、長女はすでに独立。長男もアパート暮らしをするため今週末に引っ越しをするというときに、元妻の感染が分かったようです。一番下の女の子は19歳ですが、障害があるため、長男が引っ越しを延期して2人の世話をしているとのこと。元妻は持病があり体調は良くないようですが、入院できないと言います。 

 「何で、兄さんが子どもたちの世話をしないんだ? 自分の子だろう」と夫。夫の兄はテキサス州の違う町に住んでいます。義母は「分からないのよ、それが。私たちにも最低限の情報しかくれないし。私たちが一番心配していることが現実になったわ」と表情が暗い。

 義父母が常々心配していたのは、元妻は病気がちのため、何かあったときに障害のある末っ子の世話をする人がいなくなるということでした。きょうだいはいますが、彼らもまずは自立して、自分の人生を歩まなければならない。人生これからという彼らに、妹の世話をさせるのは酷だというのが、義父母の考えです。

 元妻は、夫の兄と離婚した後に再婚。その後、再び離婚しました。夫の兄にも恋人がいて、恋人には元夫との間に4人の子どもがいます。アメリカは離婚が多いので、家族関係が複雑になるとは聞いていましたが、こういう場合はいったいどうするのでしょう?義父母は80代。たとえ、孫がかわいくても、自分たちの暮らしで精一杯です。

 家庭環境が複雑になると、しわ寄せは結局子どもたちに来ます。今はただ、元妻の回復を願うばかりです。

 義父母とのズームを終えた後、今度は娘の学校から「生徒が新型コロナウイルスの検査で陽性の結果が出ました」とのメールが来ました。それも、娘と同じ学年の子です。即、娘の学年だけ翌日の11日(成人の日で祝日ですが、インターは通常通りの授業)からオンライン授業になることが決まりました。

 そうこうするうちに夜になり、今度は息子の学校からも、児童が検査で陽性になったとのメールが。しかし、校内に濃厚接触者がいないため、12日以降も通常通りの登校となりました。

 コロナがじわじわと身近に迫っているー。そんな不安を感じた一日でした。

2021年1月10日日曜日

帰ってきたデリ

  4日、5日と出社した夫ですが、首都圏に緊急事態宣言が出されたため、再び在宅ワークになりました。お昼ご飯を作るのも大変なので、外食か持ち帰りにすることにしました。近場でランチを食べると1000円前後するのですが、それは使い過ぎだろうということで、700円前後で探すことにしました。

 木曜日に直行したのは、駅近の居酒屋さん。ランチ定食が700円です。夫が渋っていたのですが、入ってみると店内は清潔で人もほとんどいません。夫はショウガ焼肉、私はトリの唐揚げを頼みました。ご飯、漬物、お味噌汁と野菜もついてこの値段は結構いけます。

 気を良くして、金曜日も外食。よく行くイタリアンレストランのランチは1200円なので、パス。てくてく歩いてのぞいた韓国料理屋さんのランチは、1000円。パス。隣駅までてくてく歩いて、「今日はケンタッキーのランチセットにしよう」と決めたところで、なんと、デリがオープンしていることに気付きました。

 デリは娘が赤ちゃんのころからあり、娘が幼稚園のころ、そして息子が幼稚園に行っていたときもここでよくお弁当を買い、幼稚園のお友達と公園に行きました。私の父母がこちらに来たときも時折利用してました。とても人気があったのですが、数年前に閉店し他の街に移転してしまったのです。その後空き店舗のままだったその場所にデリが戻ってきました。

 店内は改装され、店の名前も変わっていましたが、メニューはほとんど同じ。豆腐ハンバーグ、トリの唐揚げ、チンジャオロース、ヒジキの煮物、筑前煮、ポテトサラダ…。当時のおかずがほとんどありました。お店の人に聞くと、以前のオーナーの妹さんが経営していたデリを別の人が譲り受け、ここに再オープンすることになったそうです。

 価格はおかず4種とご飯で税込み800円。夫と「どうする?」と相談し、「オープン初日に食べられるなんておめでたい!」とそこで食べることにしました。 

数年ぶりに再オープンしたデリのランチ

「美味しいね、やっぱり。予算100円オーバーだったけど、すごく満足したよね」と言い合いながら、あっという間に食べ終わりました。

 地元の小学校に通う幼稚園時代の同級生のママさんたちにラインしました。「また、お弁当買って、公園で遊びたいね」と皆、とても懐かしがっていました。コロナが収まったときの、楽しみが出来ました。

2021年1月9日土曜日

奇妙な年賀状

  奇妙な年賀状が届きました。表に郵便局の紙が貼られています。

「この郵便物は左記の理由によりお返しします。

1、あて都道府県・市・区・町・村名の記載がないため

1、あて所不完全のため

1、該当市・区・町・村名がないため

1、当該郵便局内に該当町名がないため」

〇がついていたのは、2番目の「あて所不完全のため」。つまり、私たちが出した年賀状の宛先が不完全なため、戻ってきた格好です。

我が家に届けられた住所なしの年賀状

 年賀状には宛先の住所の記載がなく、息子の名前だけ書いてありました。そして、差出人のところに、我が家の住所が。

 ひっくり返してみると、メッセージがたくさん書かれていました。

「おめでとう! You survived 2020(あなたは2020年を生き残りました)! これからもべんきょうがんばってください。これからももっといっしょにあそぼうね」

 残念なことに名前が書かれていません。日本語と英語が混じっています。誰かが息子宛てに年賀状を書いてくれたんですね。うーん、誰だろう?

 数日後、娘にも同じように宛先の住所が書かれていず、差出人のところに住所が書かれている年賀状が届きました。ここで、判明しました。娘のお友達レイちゃんからです。年賀状の絵柄は同じで雪の絵と「この一年もたくさんのしあわせがふりつもりますように」という言葉が印刷されています。そして、娘にもたくさんのメッセージが書かれていました。

 日本人と中国人のハーフで、娘と同じインターナショナルスクールに通うレイちゃんは日本のハガキの宛先の書き方を知らなかったのですね。でも、無事、2枚とも届きました。

 素朴でかわいいな、と思いました。年賀状は出した人から届かなかったり、毎年ひと言もメッセージがなくて残念だなぁと感じる人もいて、いろいろ考えさせられますが、息子と娘に届いた宛先のない年賀状には、心がほんわかとあたたまったのでした。

2021年1月7日木曜日

焦げたおもち

  7日の東京はとても寒く、エアコンと床暖房を終日つけていました。あまりに寒いので、帰宅した息子と一緒にお汁粉を食べることにしました。

 丸餅をグリルで焼くと、あらら、一つ焦げてしまいました。「ママ、それ食べるからね」というと、息子がすかさず、「ママ、焦げたものを食べてがんになったら困るから、僕が食べる」。心がほんわかしました。

 「美味しいね、体があたたまるね」と言い合いながら、一緒にお汁粉をすするー。勉強する息子の隣に座って、息子がさぼらないように目を光らせながら塾の宿題の丸付けするより、ずっとこのほうが楽しいなと思ったのでした。

2021年1月5日火曜日

観ました ワンダーウーマン

  3日、家族で映画「ワンダーウーマン 1984」を観に行きました。新型コロナウイルス感染拡大で7日にも首都圏の1都3県に「緊急事態宣言」が出されると予定されている今、不要不急の外出は控えるべきかと迷いました。が、クリスマスプレゼントで映画に連れていくと子どもたちに約束していたため、感染対策をしっかりして行くことにしました。



 娘のリクエストで、この映画を選びました。2017年の映画「ワンダーウーマン」の続編で、人並外れた体力と能力を持つスーパーヒロインが悪と闘う物語です。主人公ダイアナが働く博物館にある日、密輸業者の商品が鑑定のために届けられます。その中に奇妙な石があり、台座に「何でも一つ願いを叶える」と書いてあります。ダイアナと同僚の鉱物学者バーバラが願いをかけたところ、願いが叶ってしまう。実はこの石を狙っていたのは実業家マックス。彼はバーバラをだまして石を手に入れ、願っていたものを手に入れてしまいます。

 映画はエンターテイメントの作りで、全く現実的ではないのですが、一つだけ「それはあるだろうな」という点がありました。ダイアナ、バーバラ、マックスは心底願っていたものを手に入れるために、彼らが持っている大切なものを手放さなければならなかったことです。

 自分が本当に欲しいものを手に入れるためには、大切なものを捨てなければならないー。私は比較的若いころから、そのことに気付いていました。すべてを手に入れられる人はいるかもしれせんが、私のような平凡な人間には無理だと分かっていました。ですので、自分がどうしてもやり遂げたいことがあるときは、それに相応するものを手放しました。

 私が不条理を感じたのは、子どもを無事出産するためにやりがいのある仕事を辞めたのにも関わらず、死産したときでした。つまり、大切にしていたものを差し出しても、願っているものは得られないこともあると気付いたのです。その後も一度、とても難しいことを願ったことがあり、そのときもとても大きなものを手放すことを覚悟しました。結果的に手放すことはなく願いは叶いましたが、やはり、自分が心から願うことがあるときは、それ相応のものを手放す覚悟はいるものだという考えは今も変わりません。

 さて、このワンダーウーマンの結末はとても残念でした。マックスが自分の欲望のために世の中を巻き込んで混乱を招き、様々なものを破壊したにもかかわらず、最後に自分の愚かさに気付いて欲望を捨て、手放しそうになった大切なものを取り戻すのです。

 「あぁ、アメリカ映画だなぁ」とがっかり。自分の欲深さのために失ったものの大きさに気が付いて、生涯それを後悔して生き続けるーというのでなければ、他人を巻き込み多くの人を犠牲にした説明がつかないでしょう。たとえ、エンターテイメントであってもです。いや、エンターテイメントだからこそ、子どもたちに間違ったメッセージを伝えないようにしてほしい。虚構の部分は虚構として伝え、人としての生き方とか人生の意味のようなことにつながるものには、間違ったメッセージは入れないでほしい。同じ内容のものをイギリスやフランスで作ったとしたら、こんなに薄っぺらな結末になるでしょうか? 

 ちなみに、夫はマックスが自分の大切なものに気が付いた結末に涙していました。そうか、こういう単純な結末をアメリカ人は好むんだ、アメリカ人はこういう思考なんだ、だからこういう作りになるんだと思いました。とはいえ、自分の大切なものを失っても願いを叶えた主人公ダイアナが、最後に願いを取り消すときの葛藤には共感できましたが。

 これから観る方もいらっしゃると思いますので、これ以上は説明できませんが、もし、私のブログを読んでご興味がある方はぜひ、観てみてください。皆さんは私のように最後にあきれるのでしょうか、それとも、私の夫のように涙するのでしょうか。聞いてみたい気がします。

2021年1月3日日曜日

コロナ対応 サンフランシスコでは

 昨年は、ビデオ会議システム「ズーム」などを活用した在宅勤務が広がり、プライベートでは”オンライン飲み会”を楽しんだ方も多かったのではないでしょうか。私も取材や打ち合わせ、また、友人たちとのおしゃべりにも活用させてもらいました。本当に便利な世の中です。

 昨日2日は、サンフランシスコ在住の夫の友人とズームで話しました。彼は私たちの結婚式にも来てくれ、それ以来、ずっと家族ぐるみで親しくしています。数年前にサンフランシスコに行ったときは家に家族で一泊させてもらい、ロサンジェルスに夫の両親と行ったときは、一緒に数日間を過ごしました。夫だけでなく、私や夫の両親にとっても大切な友達なのです。

 元旦のブログでも少し触れましたが、彼は婚活アプリで台湾在住の女性と知り合い、結婚しました。奥さんは台湾からサンフランシスコに移住し、とても幸せに暮らしています。二人とも私たちと同世代。婚活アプリで知り合い、国境を越えた奥さんの勇気には脱帽ですが、彼はとても人柄が良いので、私にとってはまだ信頼できかねる婚活アプリも、利用者にとっては出会いのきっかけに過ぎないのかもしれません。

 さて、ユーモアのセンスが抜群の彼はいつものようにおもしろい話をあれこれ聞かせてくれましたが、新型コロナの話になるとちょっと怒っていました。政府に対してではありません、一般の人々に対してです。

「トランプとか州政府とか、そりゃあ、不満はあるよ。でもさ、それよりも、マスクなしで出歩くアメリカ人には本当に困っているんだ。昨日のニュースでは、『おれたちには、誰も命令できない。おれたちにはマスクをしない権利がある』と抗議している様子が映し出されていた。教会での大晦日の集いでは、マスクなしで大声で歌っていた。僕はアメリカ人だけど、このアメリカ人の自分勝手な振る舞いにうんざりなんだ」

 さらに続けます。「アメリカは世界で一番感染者も死者も多いんだよ。そんな中で、マスクをしない権利も何もないだろう。本当にアメリカ人の”権利”を主張する態度はどうにもならない。こういう危機的な状況で、どうして感染を防ぐ小さな努力をできないんだろう。どうして、社会のためにという考えができないんだろう」

 彼が指摘している点については、私も夫も同感です。夫も常々、「アメリカは僕が生まれ育った国だけど、自己主張の強さと他者を考えない振る舞い、人種間の諍いや緊張関係が嫌いだ」と言っています。

 アメリカに住む日本人女性とアメリカ人男性の夫婦では、外出時にマスクをせずに帰宅後も手を洗わない夫と、なぜマスクをする・手を洗うという当たり前の、最低限の感染対策を出来ないのか、という妻の間で夫婦喧嘩になっているという話も知り合いから聞きました。価値観というか危機感が共有できない国際結婚はこういう点で大変です。

 「マスクをしないのは低所得者が多いメキシコ系アメリカ人や黒人だという印象があるかもしれないけど、違うんだ。彼らはきちんとマスクをしている。マスクの仕方がちょっと違うなぁというのはたまに見かけるけど。マスクをしない権利なんて騒ぐのは、決まって愚かな白人なんだよ」と言います。

 とにかく自衛しなければ、と在宅勤務を続け、最低限の外出しかしないそうです。奥さんは福祉関係の仕事をしているので出勤しなければならないそうですが、とにかく人を避けて暮らしているようです。日本では少なくとも皆マスクをしていますし、公共の場や店頭にあるアルコール消毒も、当然のようにしています。時折、それらを無視した無謀な振る舞いをする人の話がニュースで出ることもありますが、ほんの一部で、日常的に見かけることはありません。そういう意味でコロナの感染が収まらない今、日本に住んでいることはとてもラッキーだと言えるでしょう。

米ジョンズ・ホプキンズ大の新型コロナウイルス感染者数・死亡者数を表すHP上の画面

 米ジョンズ・ホプキンズ大の集計によると1月3日午前10時半現在、世界の新型コロナウイルスの累計感染者は約8千4百万人。アメリカでは2千万人を超え、死者数は35万人に迫る勢いです。彼の住むカリフォルニア州の累計感染者は国内で一番多く約237万人、死者数はニューヨーク州、テキサス州に次いで多い2万6千人に上ります。

 とにかく、このまま彼と奥さんが感染しないように祈るばかりです。 

2021年1月2日土曜日

元日の速達

 元日の午後、ドアベルが鳴りました。スピーカーから「郵便局です。速達です」という声が聞こえます。「お正月早々どこからだろう?」と不思議に思って玄関に出て、郵便配達員さんから受けとったのは、なんと、息子が冬期講習に行っていた塾からの封書です。中身は12月30日に行われたテスト結果でした。

 結果は無残でした。12月初旬に受けたテストよりも、さらに点数を下げてしまいました。4教科500点満点の348点。平均点は388点。平均点より40点も低いのです。

元日に届いた速達

 友人からの結婚報告の年賀状が届き、しばし幸せな気分に浸っていましたが、すっかりしぼんでしまいました。結果の詳細を見ると、理科はかろうじて平均点より上ですが、算数は9点、社会は12点、国語にいたっては20点も低い。当の息子は「理科、やった!平均点より上」と自慢げ。「えっ? それ自慢になるの?」ともちろん、娘と私でツッコミを入れました。

  息子のテスト結果を見ていると、先日戻ってきた「生物統計学2」の課題の結果を思い出しました。ものすごく頑張って500点満点の430点(86%)も取ったのに、平均点と同点数だったのです。努力しても、医師・薬剤師ら頭の良い人たちの中で競うとママのような普通の頭の人間は平均点しか取れないんだよ。君は、単純に努力が足りないんだよ!などと、小3の息子に言っても仕方ありません。何せ、すでに、いかに楽に努力しないで世の中を渡っていこうか考えている息子です。

 娘はあらゆる勉強の理解に時間がかかりましたが、素直に勉強しました。“牛歩”のごとく、でも着実に進みました。が、息子は違います。"脱兎”のごとく宿題を終わらせますが、終わらせることに主眼を置くため、全く覚えていないという始末。そういえば、息子はうさぎ年生まれでした...。

 受験まであと3年あるといっても、皆その間ずっと頑張るのです。この段階から、頑張っている子供たちの間でどうやって成績を上げて、受験に臨めば良いのでしょう?

 東京では中学校受験の競争が激しいため、お母さんたちがとてつもない努力をして、小学校受験で子供を私立や公立の一貫校に入れようとします。その過程を「お受験」と言います。娘が幼稚園のとき、男子のお母さんのうち何人かが「夫がお受験に反対なの」と不満を漏らしていました。「中学校受験の競争ぐらい勝ち抜かないと、世の中の競争についていけるはずがない」というのが夫側の理由でした。

 そういう父親は大抵、自分が東京で熾烈な中学校受験を勝ち抜いてきた人か、地方で普通に公立の小、中、高校と進み、大学受験で勝ち抜いた人たち。私は当時、娘しか子どもがいませんでしたので、「そうなんだ~」と聞いていましたが、今、息子を塾に入れるべく東奔西走(大げさ過ぎ?)して、その意味が少し分かってきたような気がします。

 そして、思います。うちの息子が競争に勝つのはかなり難しいだろう、と。でも、その競争の中に放り込むしかないのです。音楽や絵など芸術的なセンスがあり、そういう面での”可能性”を感じさせ、親として何とかそちらを伸ばしてあげようと思わせてくれる娘に比べ、息子は運動こそ得意ですが、人よりずば抜けているわけでもなく、本当に普通なのです。平たく言うと、夫や私と同じ。だから、今から現実を生き抜く力をつけてあげたいのです。

 今年のおみくじには「何事にも手を出してはいけません」と書いてありました。昔は気にもしなかったおみくじの言葉も、死産や度重なる病気を経て、気にせざるを得なくなった私です。私自身が外に向かっていくのではなく、目の前にいる息子に向き合うようにという神様からのお告げだと素直に信じることにします。 

2021年1月1日金曜日

あけましておめでとうございます

  あけましておめでとうございます。本年も「アラフィフママの育児日記」をどうぞよろしくお願いいたします。もうアラフィフではないのですが、慣れ親しんだタイトルを変えるのも残念ですので、今年もそのままにします。お許しを!

 さて、マイヤー家の大晦日はちょっとした進歩がありました。これまで年越しそばを嫌がっていた娘が、機嫌良く食べてくれたのです。娘は好き嫌いがひどいので、困っているのですが、少しずつ克服してくれて嬉しいです。

 私が作ったうま煮も「おせち料理を食べられなかったら、将来、旦那さんのお母さんに嫌われるよね」といい、初めて挑戦してくれました。結果は、「ママ、ごめんね、無理」。でも、食べようとしてくれたので進歩です。それにしても、娘は日本人男性と結婚するつもりなのですね。身長179㌢の娘を嫁に!と思ってくれるガッツある日本人男性が現れることを願います。

 元旦の今日は、母を招いておせち料理を食べました。私の豆きんとんを喜んでくれて、ほっとしました。「千秋庵(札幌の製菓会社)が作っていた豆きんとんに近い味だよ」と言ってくれました。母は毎年聞かせてくれる「私は小さいころ、豆きんとん係だった」という話を今年もしてくれました。そして、「母さん(私の祖母)のおはぎは本当に美味しかったんだよ。子どもに平等に一人5つずつおはぎを付けてくれたから、小さかった私は食べられなくて、3人の兄ちゃんにそれぞれ1個10円で売ったの」という私が小さいころから聞いてきた話も。

 娘がその話に乗ってくれて、「10円って安くない?」と聞きました。母は「当時の10円は今の100円ぐらいだよ」とそれは楽しそうに話してくれました。一昨年夏に81歳で東京に転居してきた母は、娘の家族と一緒にお正月を過ごせて、きっと喜んでくれていると思います。言葉には出しませんが。

 午後は家族5人で地元の神社へ。娘はおみくじが「生まれて初めての大吉」で大喜び。私と母は中吉、息子が小吉、夫が吉でした。私のおみくじには「何事にも手を出してはいけません。常に控えめにして事をなさい」とありました。手を出していけないんだったら、大晦日に「2021年 私の挑戦」を書けないではありませんか。どうにか工夫しましょう。

 

娘の「初の大吉」のおみくじ

 さて、今日はとても嬉しいことがありました。昨日、「2020年 私の挑戦」で少し触れた、大学院の仲間がなんと年賀状で結婚報告をしてくれたのです。10月に婚活アプリで知り合い、11月に初めて会って、12月に結婚したそう。化学博士の才女が、婚活アプリで知り合った男性と結婚したことに驚きましたが、そういう勢いのある結婚って素敵だなぁと思いました。現代はこんな方法で男女が出会うのですね。そういえば、サンフランシスコに住む夫の友人も、婚活アプリで知り合った台湾の女性と結婚しました。婚活アプリで国際結婚までしてしまう時代なんです。かつては若かった私も、すっかり時代の移り変わりに戸惑う”オバサン”になっています。

 年賀状に添えられた写真の彼女は本当に美しく、幸せそうでした。元旦から幸せのおすそ分けをしてもらいました。 今年は良い年になりそうな予感がします。