2021年1月24日日曜日

物と向き合う ②片付け本読んでも

  今年は私にとって「物と向き合う」年。私がどれほど家の片付けをしたいと思っているかは、この本の多さでお分かりいただけると思います。どの本も数回は目を通していると思います。「断捨離」の提唱者、やましたひでこさんについては本だけでなく、DVDまで買いました。この片付け本の量の多さが示すのは、私は片付け本を読んでも片付けられない人間のままだということです。


 アメリカの雑誌「TIME」で「世界で最も影響力のある100人」に選ばれたこともある近藤麻理恵さんの「人生がときめく片づけの魔法」。片付けの手法についてはなるほどと思いましたが、将来も可能性も十分にある若い人から、人生を前向きに生きるためには物を片付けるのが一番だと言われているようで、私には合いませんでした。
 
 近藤さんの本の中で、残念に思った記述がありました。ある女性が長年持ち続けたセーラー服を処分するように勧めたところです。この女性がセーラー服を長年持ち続けたことには何かしら意味があるのでは。この人は、若い近藤さんに説得されて、勢いに任せて思い出のセーラー服を捨てて後から後悔しないだろうか? と胸が痛みました。私が近藤さんの本を拒否してしまった理由は、この記述にあります。

 若い彼女には、年を取って思い出とともに生きる人がいること、思い出とともに生きるしかない人もいること、が分かっていないのではと思ってしまったのです。私が近藤さんの本を読んだのは40代のとき。でも、この話を3、40代の友達に言っても分かってもらえませんでしたので、私が敏感過ぎたのかもしれません。

 「断捨離」のやましたひでこさんは、50代でクラター(ガラクタ)・コンサルタントとして「断捨離セミナー」を全国に広めたそうです。やましたさんは、物を自分が使うか使わないかという「自分軸」で、そして「今の自分に必要か」という「時間軸」で判断し、物を処分するよう勧めています。中年になっても、物を処分することで心も整理でき道が開けるのだいう力強いメッセージが伝わります。

 私はやましたさんの考えはいいなとは思いましたが、心に響きませんでした。「断捨離」の奥付を見ると、2010年3月2日第5刷発行とあります。私は40代半ばで病気の連鎖の中におり、かつ、天国の子への思いを募らせていた時期です。物を処分しなければと思いつつも、する気力がありませんでした。

 料理研究家の有元葉子さんの「ためない暮らし」。有元さんの料理本は何冊も持っていて、大好きな人です。でも、有元さんの暮らしは素敵過ぎますので、私のようなズボラな人間にとっては憧れですが、参考にはなりませんでした。

 これらの片付け本の中で、私が一番好きだったのは古堅純子さんの「生前整理~人生の衣替え~」です。年配の人に「捨てなくてもいいですよ」と言葉をかけ、「物の整理は捨てることではありません。分けることが大事」として、捨てなければならないとプレッシャーを感じている人たちの気持ちに寄り添っているところです。

 「モノと人の間には持ち主にしか分からないストーリーがあり、それを他人の判断でゴミ扱いしてはいけない」という古堅さんの謙虚な気持ちにも共感を覚えました。人の物を勝手に処分してはいけないとどの片付け本にも書いてありますが、「なぜ」の説明に古堅さんの優しさを感じるのです。

 私は母に思い出のものの多くを断りなく捨てられたことを今も引きずっていますので、この言葉の意味がとてもよく分かります。

 さて、先日ネットで「president」という雑誌を読んでいたら、とても良い文章に出会いました。作家・五木寛之さんによる寄稿文です。五木さんは「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」の4つの季節にたとえられる人生の中で、50歳から75歳までの「白秋」は「人生の収穫期」としています。そして、次のように述べています。

「白秋はそうやって後ろを向いて生きることが許される素晴らしい季節なのです。だから、思い出の品々はできるだけ多いに越したことはありません。最近は『断捨離』がブームですが、何でもかんでも捨ててしまったら、過去を振り返る貴重な『よすが』が失われてしまうので、私は断捨離には反対です」

 私は五木さんの仰っていることに深く共感しました。私は傍目には前向きに生きている人間に見えるようですが、実際は後ろ向きの人間です。過去を引きずって生きています。幸せだったころの思い出に浸るのが好きです。娘が描いた絵の数々、娘と一緒に作った工作品、膝に穴があいた何枚もの息子のズボンや着古した服、子どもたちが使ったバッグ、遊んだおもちゃやゲーム、教科書やノート…。これらの物が愛おしくてたまらない。

 私がため込んでいる物の多くが五木さんが言う「よすが」なのだとつくづく思います。私はまだ50代ですが、体調が悪い期間が長かったため、いつも死が身近にあります。ですので、ベッドから起き上がれなくなったら、これらの大切なものに囲まれて楽しかったときのことを思い出しながら過ごしたいなと思うのです。

 とはいえ、私は今すべての病気から解放され元気に生きる一家の主婦であり母でもあります。夫や子供が気持ちよく生活できるよう、物が溢れる家の片付けをするのは私の仕事です。さらに、体調が悪くなったときに備えたいとはいえ、今家にある物全部に囲まれたら、窒息死してしまいます。「よすが」も私の場合、厳選する必要があります。

 こうやって自問自答しながらの片付け。道のりは遠いです。

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