2021年1月5日火曜日

観ました ワンダーウーマン

  3日、家族で映画「ワンダーウーマン 1984」を観に行きました。新型コロナウイルス感染拡大で7日にも首都圏の1都3県に「緊急事態宣言」が出されると予定されている今、不要不急の外出は控えるべきかと迷いました。が、クリスマスプレゼントで映画に連れていくと子どもたちに約束していたため、感染対策をしっかりして行くことにしました。



 娘のリクエストで、この映画を選びました。2017年の映画「ワンダーウーマン」の続編で、人並外れた体力と能力を持つスーパーヒロインが悪と闘う物語です。主人公ダイアナが働く博物館にある日、密輸業者の商品が鑑定のために届けられます。その中に奇妙な石があり、台座に「何でも一つ願いを叶える」と書いてあります。ダイアナと同僚の鉱物学者バーバラが願いをかけたところ、願いが叶ってしまう。実はこの石を狙っていたのは実業家マックス。彼はバーバラをだまして石を手に入れ、願っていたものを手に入れてしまいます。

 映画はエンターテイメントの作りで、全く現実的ではないのですが、一つだけ「それはあるだろうな」という点がありました。ダイアナ、バーバラ、マックスは心底願っていたものを手に入れるために、彼らが持っている大切なものを手放さなければならなかったことです。

 自分が本当に欲しいものを手に入れるためには、大切なものを捨てなければならないー。私は比較的若いころから、そのことに気付いていました。すべてを手に入れられる人はいるかもしれせんが、私のような平凡な人間には無理だと分かっていました。ですので、自分がどうしてもやり遂げたいことがあるときは、それに相応するものを手放しました。

 私が不条理を感じたのは、子どもを無事出産するためにやりがいのある仕事を辞めたのにも関わらず、死産したときでした。つまり、大切にしていたものを差し出しても、願っているものは得られないこともあると気付いたのです。その後も一度、とても難しいことを願ったことがあり、そのときもとても大きなものを手放すことを覚悟しました。結果的に手放すことはなく願いは叶いましたが、やはり、自分が心から願うことがあるときは、それ相応のものを手放す覚悟はいるものだという考えは今も変わりません。

 さて、このワンダーウーマンの結末はとても残念でした。マックスが自分の欲望のために世の中を巻き込んで混乱を招き、様々なものを破壊したにもかかわらず、最後に自分の愚かさに気付いて欲望を捨て、手放しそうになった大切なものを取り戻すのです。

 「あぁ、アメリカ映画だなぁ」とがっかり。自分の欲深さのために失ったものの大きさに気が付いて、生涯それを後悔して生き続けるーというのでなければ、他人を巻き込み多くの人を犠牲にした説明がつかないでしょう。たとえ、エンターテイメントであってもです。いや、エンターテイメントだからこそ、子どもたちに間違ったメッセージを伝えないようにしてほしい。虚構の部分は虚構として伝え、人としての生き方とか人生の意味のようなことにつながるものには、間違ったメッセージは入れないでほしい。同じ内容のものをイギリスやフランスで作ったとしたら、こんなに薄っぺらな結末になるでしょうか? 

 ちなみに、夫はマックスが自分の大切なものに気が付いた結末に涙していました。そうか、こういう単純な結末をアメリカ人は好むんだ、アメリカ人はこういう思考なんだ、だからこういう作りになるんだと思いました。とはいえ、自分の大切なものを失っても願いを叶えた主人公ダイアナが、最後に願いを取り消すときの葛藤には共感できましたが。

 これから観る方もいらっしゃると思いますので、これ以上は説明できませんが、もし、私のブログを読んでご興味がある方はぜひ、観てみてください。皆さんは私のように最後にあきれるのでしょうか、それとも、私の夫のように涙するのでしょうか。聞いてみたい気がします。

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