2025年4月4日金曜日

指導教員との面談

  母の体調悪化で慌ただしくしていた4月1日、指導教員との面談がありました。指導教員は大変多忙でこれまで年に数回話すぐらいでしたが、この日はしっかりと話が出来ました。

 私は今年度、博士課程4年目になります。この日、私が準備していった質問は三つ。一つ目は博士論文のスケジュールと内容、二つ目は他の講座のゼミの受講について、そして三つ目は博論提出後の見通しについてでした。

 まず、一つ目。博士号取得には他の大学の場合、国際誌や査読(専門家の審査)付きジャーナルに最低3本の論文が掲載されることなどという条件があるようですが、私の大学ではそういう条件がありません。かといって、簡単というわけではなく、教授らの厳しい審査を受け、かつ、その審査会での指摘をすべて反映させて、論文を仕上げて提出しなければなりません。

 スケジュールとしては9月初旬に題目届けというものを大学に提出し、11月に論文を提出。11月から1月までの間に審査を受けて、2月に修正した論文を提出します。

 その日、指導教員はホワイトボードに2つの文字を書きました。「博士論文」と「査読論文」です。

「学生には査読論文ばかり書いている人(実績になるため)もいます。でも、査読論文と博士論文は全く別物。査読論文が何本もあるからといって、博士論文が書けるわけではありません。だから、博士論文に集中すればいいと考える学生もいますが、査読論文なしでは博士論文は書けても審査会であれこれ指摘を受け、修正が間に合わず最終的な論文提出が間に合わないということもあります。審査会はとても厳しい。指摘されたことをすべて反映させなければ、論文は差し戻しになります。それならば、早めに査読論文であれこれ指摘を受け、不備なところを直したほうがいいのです」

「はい」

「ですので、まずは先日の論文を完成させることに集中すること。今週来週中にはチェックして戻します。おそらく、何度もリジェクト(ジャーナルに不採用となること)されると思いますが、そこから足らざるところを補っていけばいいのです。ですので、まだ、博士論文は書き始めなくてもいいです」

「はい。先生、今回私は量的調査(アンケート調査)と質的調査(インタビュー調査)の2つの分析を入れていますが、もう一つ入れたほうがいいと考えるのですが」

「それは何?」

「アンケート調査の自由回答の分析です」

「やってもいいですが、間に合わない可能性があります。それなしでも仕上げられるようにしてください。本文は最低100ページは必要です。中には500ページも書く人もいますが、何を言いたいのか?という散漫な論文になりますので、長過ぎもよくない」

「はい」

「私は来年定年ですので、今の3人(私を含む3人の博士課程の学生)を今年度中に何とかしなければなりません」

 初めて知った、指導教員が来年定年だという話。私は2年目で指導教員が変わっています。指導教員が変わるとまた一からやり直しですので、今年度中にケリをつけなければなりません。同じ専攻の他の講座では1年2年延長している学生は沢山いますので、条件としてはとても厳しい。でも、逆にこの1年集中しようと覚悟が出来ました。

「●●先生、あなたのことを心配していましたよ」 

 指導教員が急に話を変えました。その先生は私が学業を続けられるよう、最初の指導教員から現在の指導教員へ変更してくれた前専攻長です。ありがたいな、と思いました。

「あなたは、皆の心配の種なんですよ」

 そうだろうな、と思いました。年で、専門のバックグラウンドもなく、研究者としての経験もない。ないないづくしなのに、博士号に挑戦しようとしている。年のため研究者としての将来もない人間に時間を割かなければならないなんて、指導教員にとって迷惑なんだろうな、申し訳ないなという気持ちにもなります。

 私がその日、指導教員と話した内容はおそらく、とても基本的なことで、もっと前に話すべきことなのだと思います。でも、私にとっては、指導教員が私と話してくれたということだけで嬉しかった。私はこの研究室では完全に”外様”です。指導教員の専門とは違う分野の研究をし、長い長い暗中模索の日々を送りました。が、何とか持ちこたえて最終学年になり、手持ちの材料で勝負をしようとしている。

 がんサバイバーのおばさんが、孤独な戦いをしながら、東大に博士論文を提出するー。この無謀な挑戦はどういう展開を見せるか。自分でも全く予想できません。

 

 

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