2025年4月3日木曜日

母の格言

  今朝午前7時半過ぎに母から電話がありました。「久しぶりにぐっすり眠ったよ。いつもは2時ぐらいにしびれで目が覚めるんだけど、今日は4時半まで起きなかった。一旦目が覚めたんだけどそれほどしびれていなくて、その後7時半までまた眠ったんだよ」とほっとした声でした。

 今回の母の体調悪化でしみじみと感じたのは、近くに住んでいることの安心感と、夫と息子の協力のありがたさでした。

 母が札幌にいたときは体調が悪いと連絡が来ても駆け付けられるのは飛行機や電車の乗り継ぎがうまくいって、6時間後。飛行機の最終便に間に合わないときは翌日になりました。

 このブログにも書きましたが、以前母がまだ札幌にいたときに午後6時過ぎに体調が悪いと電話があり、実家に着いたのは午前0時を過ぎていました。あのときは息子を水泳教室に送ったばかりというタイミングでした。車で30分のところでしたので、夫に連絡をして帰宅。夫は私と入れ替えで息子を迎えに行ってくれました。私はすぐに身の回りのものをスーツケースに詰め込んでタクシーで羽田空港へ。そして最終便で新千歳空港に向かい、同空港から電車を乗り継いで実家に戻ったのでした。

 今は母は我が家から徒歩5分のところに住んでいますので、電話をもらえばすぐ駆け付けられます。また、夫も息子も協力的ですので、連携して母のサポートが出来ます。

 さて、明日のMR検査と来週水曜日の診察は、母が「大丈夫。自分で出来るから」と言います。理由は「どうしても体調が悪いときは助けてもらうけど、大丈夫なときは自分一人でやる。人を頼るとボケちゃうからね」とだそうです。

「一人だと診察時間に十分間に合うように何時ごろに家を出ればいいとか、電車はどこで降りるかとか、乗り換えはあるのかとか、保険証を持ったかとか、一つ一つ考えて、確認するでしょう? 失敗すれば次は間違えないようにどうしたらいいか、と考えるからね。家族が側にいてくれるのはありがたいけど、自分で何も考えないで家族がやってくれるとどんどんボケていってしまう」

 母は女のきょうだいの一番下で姉が5人いました。病気で早くに亡くなったのが1人、認知症になり長く施設にいたのが3人、90歳を過ぎても元気に一人暮らしをしていたのが1人でした。亡くなるまでしっかりしていた伯母は食料品を自分で買いに行き、料理が得意でした。母もスーパーやドラッグストアに一人で買い物に行きますし、料理が大好き。伯母の話を母から聞き、母を見ていると、やはり、自分で出来ることは自分でするーという気概を持っていることが大事なのだ思います。

 今回母が言っていたことが胸に響きました。

「このまま死ねるならいいんだけど…。札幌の家も処分したし、納骨堂も引き払ったし、お父さんの遺骨は東京の納骨堂にちゃんと収めたし、13回忌も済ませたし。心残りは全くない。でも、都合のいいタイミングで死ねるわけでもないし、死ぬまで生きていかなければならないからね。生きていくなら、施設になんか入らず、死ぬまで自分で自分の身の周りのことをしていたい」

 母は脳神経外科の医師に昨年11月、脳のCT検査の結果で、記憶をつかさどる「海馬」という部位が、母の場合はぜんぜん萎縮していないと太鼓判を押されたそうです。母を見ていると、高齢になり体のあちこちが弱ってきている中、生きていくのは本当に大変だなとと思いますが、出来なくなったことは何とか工夫しながら、一人暮らしで頑張っているからこそ、脳の状態も良いのだと思います。私も見習わなきゃなぁと思います。

 母の格言。

「私はあんたの道しるべ。あんたは私から、年を取って生きるってどういうことか学べるんだよ。よく見ておきなさい」

 はい。お母さん、ちゃんと見てますよ。

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