「会いたい人に会いに行く」旅(4月11~13日)の2日目は強行スケジュールでした。朝8時過ぎのJRで東室蘭から伊達紋別に行き従姉妹に会い、午後2時過ぎのJRで伊達紋別から札幌へ。札幌駅近くのホテルにチェックインし、着替えてからすすきのに向かいました。
向かった先は、札幌唯一の酒蔵「千歳鶴」の直営店の居酒屋です。新聞社勤務時代の同期会に参加するためです。今回の会は私と同い年のKさんの定年退職を祝うために開かれました。
集まったのは9人。Kさんは記者として地方の支局・支社や社会部で活躍し、紙面の見出しを付けたりレイアウトをしたりする「整理部」でも仕事の堅実さが評価され、お人柄の良さで後輩からも大変慕われたそうです。同期の間では、愛される”いじられ役”でした。
仕事をやり切ったKさんにとって、目下の悩みは「家」。購入のタイミングを逸してしまい、札幌の不動産への海外からの投資が盛んで価格がつり上がってしまった今、高過ぎて買えないのだそうです。
Kさん以外は皆どこかのタイミングで家を購入しており、「今まで何やっていたんだ?」とからかわれながらも、とぼけた表情で「いやぁ、安くなると思っていたんだけどなぁ」とおおらかに返します。「なんで、札幌の不動産の価格が下がると思うわけ?」と皆にいじられてもにこにこしているところがKさんの良さです。
Kさんは思い出深い取材として、1996年の後志管内の豊浜トンネル崩落事故について語ってくれました。ご遺体が安置される現場でずっと取材していたKさんは、自分の宿泊先を見つけることができずにいたそうです。そのようなとき、新聞の販売店さんが「うちの2階に泊まってください」と申し出てくださり、とても助かったという話をしてくれました。
「ホテルとか旅館とかがほとんどない田舎に全国から記者が集まって取材するからさ、寝泊まりするところの確保が大変なんだよな。そんなとき、販売店さんの存在が本当にありがたいんだ」
支局長1人と支局員1人の2人で道内の広い地域をカバーする支局に赴任したことがある他の同期が大きく頷きます。
「本当にそうだよな。販売店さんには足を向けて寝られないよな」
取材現場での話から、話題は新人研修に遡ります。私たちが入社したのは1992年。既卒者を採用する「秋入社」でした。全部署で35,6人はいたでしょうか。記者職は17人(うち女性は2人)。採用された記者の年齢の幅は7.8歳はありました。
その「新人」が研修センターで約3週間みっちりと研修を受けました。記者としての心構えに始まり、記事の書き方や写真の撮り方(当時はフイルムの一眼レフカメラでした)まで幅広く学びました。
そのとき、前職の引き続きで数日遅れてきたSさん。当時を振り返ります。「会議室に入ったら、ちょうど皆がグループ討議をしていたんだ」
「テーマなんだっけ?」
「松井秀喜の5打席連続敬遠をどう考えるかだよ」
これは1992年8月に、甲子園で星陵高校の松井秀喜4番打者が相手チームの明徳義塾高の投手に5打席連続で嫌遠された有名なエピソードです。当時、大変大きな話題になりました。
Sさんが言います。「いやぁ、発表が皆すごく立派でさ。とんでもないところに入社したと思ったんだ」
すると、別の人がSさんに「Sさん、そのときサスペンダーしていましたよね」と話題を振ります。「そうですよ、Sさんのサスペンダー有名でしたよ」。こうして皆がそれぞれの思い出を披露し始め、お互いをからかい合い、大爆笑です。
会社が採用した新人たちをみっちりと鍛えてくれる、とてもいい時代でした。私も記者職で入社したものの、一眼レフカメラの使い方など全く知りませんでしたが、この研修で基本的なカメラの使い方、フイルムの現像の仕方、紙焼きの仕方など習いました。そして、研修の後に辞令が交付され、それぞれが、道内各地の支局・支社に散っていったのです。
私はがんに罹患し体調を大きく崩してしまい、会社を辞める決断をしましたが、この新聞社で仕事をしたことを誇りに思っています。ですので、こうして、同期会に今も誘ってもらえることをとても有り難く幸せに思っています。
これからも声をかけてもらえれば、同期会に参加し続けたい。そう願っています。
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