2025年4月22日火曜日

新人記者時代の上司の家へ

  「会いたい人に会いに行く」旅(4月11~13日)の最終日は、新聞社勤務時代の初任地・室蘭支社報道部のデスクだったYさん宅に伺いました。退社後も長い間親しくさせていただいているYさんと奥様にご招待いただいたのです。

 新聞社のデスクは、記者の書いた原稿をチェックし、追加取材や加筆を指示したり、原稿に手を入れたりして、紙面に掲載する記事に仕上げる人です。大きな事件や事故、選挙など複数の記者がチームとなって取材するときは、その取材を指揮します。

 当時、室蘭報道部には7,8人の記者がおり、デスクが3人、部長が1人という体制でした(女性は1人)。私が入社した1992年はまだ女性の記者が珍しいときで、私は同報道部”2代目”の女性。前任者と入れ替わりで、私が赴任となったのです。

 そのときに担当だったデスクがYさんです。Yさんはお人柄が穏やかなで指示も丁寧で、私の書いた訳の分からない原稿は、Yさんに直してもらうとピシッと引き締まりました。「さすがっ、デスク!」と感心したものです(本来なら手直しされない記事を書くべきですが…)。

 私は最初、教育担当でした。室蘭市内の小学校、中学校、高校、そして室蘭工業大学をくまなく回り、”ネタ”を拾いました。教員室でもまだタバコが吸えた時代で、小学校の教員室が禁煙になるという”ニュース”も記事にしました。こういう教育とは関係のない小さなネタも、学校を回っていると耳に入ってきて、地方版(地域のニュースや情報を掲載する面)に載せることが出来るのです。

 雑談の中でそのネタをくれた教頭先生に、「先生、写真が必要なんですけど、先生がタバコ吸っている写真うつしてもいいですか?」と聞くと、「いいよ」とタバコに火を付け美味しそうにくゆらせてくれました。こうして私は、教員室で名残惜しそうにタバコを吸う教頭先生の写真を付けた記事を掲載できたのでした。のんびりとしたいい時代でした。

 Yさんには、このような街の小さな記事から、私なりに頑張って取材した記事まで見てもらいました。お正月には奥様の美味しいお料理でもてなしていただいたのも、とても懐かしい思い出です。

 13日も奥様の心づくしの手料理とYさんの準備してくださったビールと日本酒でもてなしていただきました。次々と振る舞われる奥様の美味しい手料理をいただきながら、たくさんお話をしました。

Yさんの奥様の心づくしの手料理

 私は札幌には実家がなくなり、父の遺骨を納めていた納骨堂も引き払っていますので、この地には縁が薄くなっています。でも、こうして、Yさんと奥様のお宅に伺い、お話できることをとても有り難く思っています。この日はお昼近くに伺い、夕方6時近くまで楽しく過ごさせていただきました。幸せな時間でした。

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