2023年9月9日土曜日

行くべきか行かぬべきか

  昨日の私は、心が不安定でした。昼間、大泣きしました。でも、夜は自分の判断はあれでよかったのだと納得し、心穏やかに眠ることができました。昨日の私の心の動きを皆さんと共有したいと思います。

 ”事件”の発端は水曜日のグループ会議。これは私の指導教員である教授と研究者、IT担当、秘書が集まり、自分の仕事の進捗を話し合う場です。

 そこで気付いたのは昨日から金沢市内で開かれている「がん予防学会」にほとんどの研究者が参加するという事実。私もその学会のことはぼんやりとは知っていましたが、私は10月末に開かれる別の学会で研究発表をすることになっており、そちらに注力していたため、すっかり失念していました。

 私の指導教員の専門は「がん疫学」。私は昨年春に大学院博士課程に入学し、別の指導教員についていましたが、いろいろ事情があり、今年から今の指導教員の下研究しています(顛末はこのブログにも書いています)。指導教員の専門は私の研究の分野と違いましたが、私の研究テーマと似ている研究班に私を割り当ててくれ、現在、私はそちらの研究に集中しています。

 でも、私としてはせっかくその指導教員に引き受けていただいたので、その専門について学びたいという気持ちを持っています。さらに、研究室のほとんどの研究者がその学会に参加している。その仲間に入りたいーという気持ちもありました。

 で、急ではありますが、その学会に行くことにしました。指導教員に聞くと、「いいですよ。じゃあ、●●費から出張費は出します」と秘書の方にその旨伝えてくれました。そして、秘書の女性から送られてきたエクセルのファイル。そこには、その学会への貢献度をパーセンテージで記すことになっていたのです。ガーン! 私は他の研究に携わっていますので、こちらの学会への貢献度はゼロ。で、その女性に「私は貢献していないので、自費で行きます!」と返信しました。

 調べると学生の参加費は無料。あとはホテル代と交通費負担だけです。娘と一緒に軽井沢にいる夫に電話で相談すると、「行ったほうがいいと思う。先生の専門分野について君も学べるし、他の研究者と交流もできる」と理解を示してくれました。学会は金・土の2日間の日程。今月末から娘が京都の大学(キャンパスは茨木市にある)に行くので、その前に軽井沢で過ごしたいと火曜日から向こうの家に行っている夫と娘に、本来なら土曜日に戻る予定を一日早めてもらい、金曜日の夜に戻ってもらうことにしました。

 息子は学校から3時半過ぎに帰宅しますので、1時間だけ一人で過ごしますが、午後4時半に家を出て塾へ向かう。で、夫と娘が、午後6時か7時くらいに自宅に着き、午後8時45分に夫が塾に息子を迎えに行くー。そんなスケジュールを立ててもらいました。

 学会の前日の木曜日に、金沢駅近くのホテルを予約し、新幹線の切符は当日朝に買うことにしました。そして木曜日の夜。台風が近づいているというニュースが流れ、息子の小学校からは「天気予報を見て、明日7時に対応を決めます」とのメールが。

 そして昨日金曜日の朝7時。学校からは特に連絡がなかったので、雨足が強まっていましたが、8時過ぎに息子と一緒に家を出て、そのまま東京駅に向かいました。学会は午前9時から始まっていましたが、「子育て中は全部参加は無理」と割り切り、午後から参加することに決めていました。あとは、息子の「塾行きたくない」が始まり、親がいないことをいいことに、塾を休むことがなければ順調に行きます。私は息子に釘を刺しました。

「ママ、学会に行ってくるから、今日は『塾行きたくない』は止めてね」

「学会? うわっ、プロフェッショナルぅ!分かったよ。今日はちゃんと塾に行くから」

 息子は私とバトルを繰り返しますが、自分が我儘を言ってはいけない重要な局面は判断できるらしく、一応は納得してくれました。

 そして、東京駅についたのが午前9時過ぎ。ものすごい人です。台風の影響で運転見合わせになっている新幹線もあったのでしょうか。乗車券売り場は大混雑。券売機の前にも人が並んでいます。私は9時20分発の「かがやき」で金沢に向かう予定でした。駅員さんを捕まえて、「ギリギリの時間なのですが、車内で乗車券を買うことは出来ませんか?」と聞きましたが、「入れるのは事前に乗車券を買った方だけです。券売機で買ってください」とにべもない。

 気を取り直して、券売機の前に並びました。ラッキーなことにすぐ私の順番が来ました。画面で金沢・自由席のボタンを押すと、何と片道13,850 円。ガーン! ここで、私は運賃を調べていたときに乗車券代約7,000円だけを見て、特急券を見ていなかったことに気付きました。でも、ここまで来たんだから、と自分を納得させて、購入。そして、改札を通り、電光掲示板で「かがやき」が発車するホームを確認し、エスカレーターを上りました。発車5分前のギリギリでしたが、間に合いそうです。

 ホームに出ると、たくさんの人がいました。「台風でも、こんなに大勢の人が移動するんだ」と感心しながら、自由席の乗り口を探していると、「『かがやき』は全席指定席です。自由席の券をお持ちの方は、35分発の『はくたか』にご乗車ください」というアナウンスが流れました。ガーン!

 ここで、私の気持ちは揺れ始めました。「何で、全てがうまくいかないんだろう? これは、行くなという意味だろうか」と。でも、行きたい!学びたい!他の研究者らの仲間入りしたい!という切実な思いがこみ上げてきます。

 再び、気を取り直して、「はくたか」の発車するホームへ。のどが渇いてきましたが、飲み物を買う余裕もなく、自由席の乗り口を探して、発車2分前に乗ることが出来ました。比較的空いていたので、座席に座ることが出来ました。ほっとしたのも束の間。「本当に金沢に行っていいのだろうか?」という気持ちがむくむく湧いてきました。

 「かがやき」は2時間半ぐらいで金沢に着きますが、「はくたか」は3時間。現地に着くのが12時半過ぎで、そこから迷いながら移動して、学会の会場に向かい、おそらく午後1時から始まるシンポジウムにギリギリ間に合うかどうかです。そこで、夕方まで聞いて、夜、一人でホテルに帰り(研究者仲間から食事のお誘いがあれば嬉しいですが、ないかもしれない)、翌朝また会場に向かい、研究者らの発表を聞く。そして、夕方3時間かけて東京に戻り、東京駅からまた1時間かけて自宅に戻るのです。 

 台風の行方もまだ分からない。もしかしたら、天候が荒れて、学校が早めに終わることになり、息子が集団下校で帰ってくる可能性もある。大荒れの天気で、一人で家にいるなんて、きっと不安に違いない。夫と娘は猛烈な雨の中、軽井沢から無事帰宅できるだろうか? 夫と娘が万が一東京に戻れなくなったら、最悪、母に連絡をして息子を母のマンションに泊めてもらえるか聞いてみよう。でも、そこまでするほど、この学会に参加することは私にとって意味のある、重要なことだろうか? 自問自答しました。

 カバンの中には新幹線の中で読もうと考えていた論文が何本も入っていました。パソコンも持ってきて、自分の論文にもすぐ取り組めるようにしてきていました。でも、この精神状態だと、有効に使えるはずの新幹線内の3時間もおそらく無駄になってしまうに違いないと考えました。

 現地に行けば、気持ちは切り替えられるだろうけど、学びたい!他の研究者の仲間に入りたいという自分の欲のために、交通費と宿泊費、食事も入れると4万円近くを使うのは正しいことなのだろうか? このお金があれば、子どもたちと美味しい食事が何度も食べられるし、ディズニーランドにも連れていけるのに。

 私は何をやっているんだろう? がんの闘病期間が長く、社会復帰がずいぶん遅れたため、しゃにむに頑張ってきた。でも、どこにも自分の居場所を探せず、そのことが辛くて、もがいている。ああ、バカだな、私は何てバカなんだろう。

 ぐるぐると考え、気持ちが定まりませんでした。そして、私は意を決して立ち上がり、次の「上野」駅で降りました。上野を出てしまうと、次の駅までずいぶん距離を走ってしまうので、ここで決断するしかありませんでした。東京駅で新幹線に乗り込み、数分後に上野駅で降りる人は、よほどの急用が出来た人しかいないでしょう。ドアが開くと、ホームには乗り込む人がたくさん並んでいました。私は彼らが入る前に、ドアから出ました。彼らが乗り込み、新幹線が発車してしまうと、ホームには私一人しかいませんでした。大きなホームはがらんとしていました。

 心の中は、決断できたという納得感より、敗北感で一杯でした。その気持ちを抱えたまま、東京行きの新幹線に乗り換えました。乗降口から乗ると、そこにはすでに、東京駅で降りる人達が待っていました。私は体を小さくしながら、そこに立ち、数分後に終点の東京駅で降りました。

 東京駅の窓口で、切符の払い戻しをしてもらいました。「台風の状況か不安定なので、乗車は止めました」と言うと、おそらくそういう方々も沢山いたのでしょう。すんなりと払い戻しが出来ました。宿泊費は、払い戻しのきかない安いホテルを予約していましたので、その五千円は「人生の勉強代」を支払ったと考えることにしました。

 気持ちを落ち着かせるために、自宅に戻る電車の乗り換えの駅で降り、タリーズに入りました。コーヒーを飲み、自分が取った行動をノートに記して、自分の心の在り様を整理するつもりでした。それも、途中でやる気がうせ、ただ、ぼんやりとコーヒーを飲みました。そして、再び電車に乗り、自宅に戻りました。

 雨足は弱くなっていました。おそらく、台風は東京をよけてくれたのでしょう。私はベッドに寝転がりました。涙が流れてきました。この無駄な時間と行動を反省するつもりが、心は悲しさと悔しさ、切なさが入り混じった気持ちでいっぱいでした。 

 誰かに話をしたかった。私のこの右往左往について、恥じることなく、正直に話せる人と話したかった。私は、大先輩のイワサキさんに電話をしました。イワサキさんは母と同い年の85歳。私が留学していたときに、国費留学生として大学院に入学してきた方です。そのとき、イワサキさんは50代。帰国後は大学の教員として働き、60代で博士号を取得し、教授に。もうかれこれ30年以上も親しくしていただいています。

 いつものように、「あらっ、睦美?」と明るい声で電話に出てくれました。イワサキさんはどんなときも、私を受け入れてくれます。私は顛末を説明しました。イワサキさんはじっくりと私の説明に耳を傾けながら、私がなぜこのような行動をとったのか、適格に分析してくれました。私が自分なりに考えていたのとほぼ同じ考えでした。イワサキさんはその後、こういう風に私を慰めてくれました。

「睦美、帰ってきたのは正解だったよ。あなたの子どもを守れるのはあなただけだから。子育てしながら仕事をしていると、どちらかを犠牲にしなければならない場面がいくつもある。そして子どもを犠牲にしてしまう女性は少なくない。私もそうだった。でも、それではだめ。仕事や学業より子どもは優先されるべきなの」

 1時間以上話をして、後半、私は泣きっぱなしでした。自分が情けなくて、情けなくて仕方なかった。でも、心は少し軽くなっていました。

 その後は仕事をしました。私が研究発表する学会に向け、発表の抄録を書き直し、メールで提出しました。これは2度修正依頼が来ていて、一緒に研究しているもう一人の研究者の女性と何度もやり取りをして、修正をしたのです。

 グループチャットには、金沢にいる研究者から「●●さんと●●さんと、金沢にいます!」という元気なテキストが届きました。この研究者は20代の男性。とても優秀で親切な若者です。私と同じくこちらに残った研究者の女性が、テキストを返します。

 「お疲れ様です! 金沢で美味しいもの食べてきてください。私たちも行きたかった!」

「私たち」という言葉が胸に沁みました。もし、私があちらに行っていたとして、このグループチャットを読んで、そこに「私も行きたかった」と書いてあったら、私は罪悪感に苛まれていたでしょう。彼女も中学生、小学生の子どもを育てる母親。「週末にかかる学会は、諦めることにしている」と以前話していたことがありました。

 そのチャットの「私たちも行きたかった!」の言葉をかみしめながら、やっぱり、行かなくて良かったんだと納得しました。 

 午後3時半過ぎ、息子が帰宅しました。「あれ、ママ、どうしたの?」「台風がひどくなりそうだったから、帰ってきたの。心配だったから」「そうなんだ、でも、雨やみそうだね」「アイスクリーム食べる?」「うん!」。

 息子と一緒に食べるアイスクリームは格別美味しかった。夜7時過ぎ、夫と娘が帰宅しました。娘はいつものようににこにこして、「ママ~、会いたかったよ」。「ママもとっても会いたかったよ」とハグ。夕ご飯は子どもたちが大好きな餃子と納豆巻き、お味噌汁を作りました。子どもたちに夕ご飯を食べさせた後は、夫と一緒にいつも行く近所の日本酒のバーへ。

 バーで日本酒を飲みながら、夫が聞きます。「明日は授業参観行くんだろう?」。そうでした。息子の授業参観に出られないので、夫に行ってもらうよう頼んでいたのでした。「もう小学校も終わりの年だから、授業参観楽しんだほうが良いね」と夫。そうだな、と思いました。明日は、息子の授業参観を楽しんでこようと思いました。そして、この数日間の自分の行動と心の揺れを振り返りながら、今回はやっぱり行かないほうが良かったんだと、納得しました。

 こうして、私の気持ちは少しずつ和らいでいきました。夜ベッドに横になるころには、自分の心に満ちていた敗北感や自己否定感がなくなっていました。そして、穏やかな気持ちで眠ることが出来たのでした。


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