2023年9月20日水曜日

巣立ち

 今朝、娘が巣立ちました。自宅最寄り駅から朝5時36分の新横浜駅行きに乗り、新幹線で京都へ。京都駅で電車に乗り換え、大学のキャンパスがある茨木に向かいました。

 家を出る前に、娘はまだ寝ている息子をぎゅっと抱き締め、「じゃあね、おねぇねぇ行くからね。大好きだよ!」と何度も語り掛けていました。自分の部屋にも「さよなら、私の子ども時代。大好きな部屋、大好きなお家、バイバイ」と涙をこぼしながら、声をかけていました。そして、私にもハグをしてくれました。

 車で、駅まで送りました。インターナショナルスクールに通っていたころ、毎朝毎朝ここに娘を送った日々を切なく思い出しました。娘は必ず、どんなに急いでいても、私のほうを振り返り、にこにこして手を振ってくれたのです。

 今朝は車を停めて、駅の改札口前まで送りました。娘をぎゅっと抱き締め、「いってらっしゃい」と送り出しました。娘の目からは涙がこぼれ落ちました。娘は、「また、明後日会えるのにね」とくしゃくしゃの顔をして、笑いました。入学式に参列する予定なので、あと数日したら会えるのです。

大型スーツケースを押し、ぬいぐるみを抱え、ヴァイオリンを背負って改札機を通る娘

 でも、娘は家にはもうしばらく帰りません。娘がエスカレータに乗って視界から見えなくなると、寂しさが増しました。ふと、お財布の中にパスが入っていることを思い出し、改札を入りました。エスカレータを駆け上がると娘が目の前に。

「ママ~。来てくれたんだね」とまた、娘は顔をくしゃくしゃにして泣きました。娘をもう一度ハグし、「18年間、とっても楽しかったよ。ありがとう!」と言うと娘は、「ママも私を産んでくれてありがとう!」と返してくれました。

 ほどなく電車が来て、娘が乗り込みました。電車のドアが閉まり、動き出しました。電車はすぐに見えなくなりました。

「母親は、子どもに去られるためにそこにいなければならない」

 心理学者エルナ・フルマンの、有名な言葉です。この言葉を胸に刻んだのは、数年前のことだと思います。子どもはいつまでも親を頼らない。子どもなりのタイミングで巣立ちをしていく。だから、親がすべきことは「去られるためにそこにいること」だと説いたこの言葉。私はちゃんと娘に去られるために、そこにいました。去られるときが予想よりずっと早かったけど…。私は、母親としての役目を一応は果たしたでしょうか。

 帰宅してしばらくして、息子が起きてきました。

「おねぇねぇ、行っちゃったね」と寂しそうです。そして、「変な夢を見たんだ」と言います。牧場を家族で訪れていて、そこで娘は「牛を切る仕事をしている」というのです。そして、息子に「この牧場では左腕を切ることが許されているの」と言い、息子の左腕を切るのだそうです。息子は「前も同じ夢を見た」と言います。そして、「なんか、左腕が軽い」とも。

 これはどういう意味かしら?とネットで夢占いを探しました。それによると、腕が切られる意味は「あなたが自由に動ける範囲が狭まること」だそうです。そして左腕の意味は女性の身内で、母親か姉。息子にとって姉は頼れる存在。娘はそんな弟から、自分自身を切り離したのです。息子は姉がいなくなり、自由に動けなくなる。つまり、私と夫の関心が息子に集中してしまうという意味でしょうか? ありえそうだと思いました。気を付けなければ…。

 朝起きたときの、娘のにこにこ笑顔を見られないんだな、帰宅したときの「ただいま。ママ、ご飯なに?」という娘の言葉がもう聞けないんだな、そう思うと本当に寂しい。

 でも、娘は元気に巣立ちました。真っすぐ前を向いて。我が愛しい娘、頑張るんだよ! 応援しているよ、ずっと、ずっと。

 

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