2023年9月30日土曜日

22回目の結婚記念日

  昨日、22回目の結婚記念日でした。夫が赤いバラの花とシャンパン、そして手作りのチーズケーキをプレゼントしてくれました。

 夫は毎年、結婚記念日に花をプレゼントしてくれます。いくつになっても、花を贈られるのは嬉しいものです。昨年までは子どもたちもいたのに、今年は娘もいなく、息子は塾に行っていましたので、静かな夜でした。二人でシャンパンを飲みながら、子どもたちのこと、将来のこと、などを話し合いました。

夫がプレゼントしてくれた赤いバラとシャンパン

  夫と私が出会ったのはアメリカ・ミシガン州の大学です。卒業後は私は帰国し、英会話の講師を経て、新聞記者に。夫は少し働いてから、大学院へ進みました。お互い、キャリアを築くために忙しく、結婚したのは30代になってからです。

 アメリカに住むか、日本に住むか随分話し合い、結局は夫が日本に来る形で結婚しました。2001年のことです。9月に結婚式をハワイで挙げ、お互い、一旦はそれぞれの国に戻りました。同年の春に、札幌から東京に転勤してきたばかりの私は、東京都目黒区の1LDKの賃貸マンションに住んでいました。長い一人暮らしの間で必要なものはすべてそろえており、マンションも手狭なため、夫に「何もいらないからね。身一つで来てね」と伝えてありました。

 夫はサンフランシスコのアパートの物はことごとく処分し、大きなスーツケースとボストンバックとリュックサックだけで、11月に日本に来ました。そして、翌12月には大田区の2LKDの賃貸マンションに引っ越し。ようやく、落ち着いて生活が出来るようになりました。

 が、間もなく私は体調を崩し、どこの病院に行っても診断が下らず、ようやく2003年5月に血液がん「悪性リンパ腫」の診断を受けます。それから、1年後に退職し、私は長い闘病生活に入ります。あまりに病気が続くので、友人に「よく、離婚されないわね。夫がアメリカ人で良かったね。日本人だったら、とっくに離婚されているわよ」と言われました。そうなんだ、病気をするということは世間に「離婚される女」とみなされるのだーと深く落ち込みました。

 発病する前は私には経済力がありましたので、夫に求めていたのは経済力ではなく、家事力でした。そして、妻が働くことについて理解。その、結婚生活の前提となる私の経済力が、病気のためになくなってしまうなんて、人生は皮肉です。でも、夫は体調が悪い私を支え続けてくれました。

 時々、ご主人の経済力に期待して結婚したのに、そのご主人が事業に失敗したり、失職したりして、自身が働かざるを得なくなったーという女性の物語を読むことがあります。逞しい女性たちの物語を読みながら、人生は一筋縄ではいかないものなのだなぁとつくづく思います。

 私はいま、健康を取り戻し、普通の生活を送っています。このように不安なく暮らせるのは、夫のお陰です。感謝の気持ちを表すのをつい忘れがちになりますが、改めて、ありがとう。 

夫の作るチーズケーキは世界一、美味しい

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