2024年5月19日日曜日

虫干し

  私は家のリフォームが大好き。東京の家は13年前、築10年の中古住宅を購入し、部屋の間取りや水回りも含め全面リフォームして住み始めました。その後、駐車場と花壇、庭とデッキ、屋根裏部屋を改造した息子の部屋と収納室作りとあちこちリフォームし、昨年はキッチンと玄関、窓、二階のデッキ、外壁、塀と大型リフォームをしました。東京の家はこれで大体仕上がったと思います。

 で、今度は軽井沢の家のリフォームです。この平屋は東京の家を購入する3年前、築20年の物件を購入しました。東京の家は賃貸で、軽井沢に週末用の家という「2拠点生活」を始めました。私の体調が悪く、空気の綺麗な所で過ごしたら良くなるかもしれないという願いからでした。

 前の持ち主がとても綺麗に住んでいらしたので、そのまま住むことが出来ました。が、水回りが古くなってきたので2年前に洗面台のある場所とトイレをリフォーム。この夏から屋根裏部屋を全面リフォームする予定です。

 娘や息子の友達が遊びに来てくれることもありますので、彼らが泊まるところがあれば良いな、将来孫が出来たら遊べる「ファンタジールーム」があれば良いな、と思いました。そして、収納エリアを広く取り、詰め込んできたものをすっきりと収められれば良いなと思ったのです。

 で、リフォーム計画を立てるにあたり、どんな間取りで出来るのかを決めるため、これまで屋根裏に置いていたとてつもない量の物を昨年11月に下の部屋に下ろしてきました。その量のすごいこと、すごいこと。8畳の部屋がほぼ、埋まりました。

 このブログで何度も書いていますが、私は筋金入りの捨てられない人間。特に子どもたちのおもちゃや服などはほとんど捨てずにとってあります。それをこのGWに少し取り出してみてみました。残念なことに、何枚かにはシミが浮き出ていました。全ての服は洗ってきちんとプラスチック製のケースに入れたり、紙製の箱に入れていましたが、この紙製の箱の中に入れていた服が駄目だったようです。

 染み抜きをして洗い直しましたが、取れないものは泣く泣く手離すことに。特に息子の赤ちゃんのときの肌着は思い出もひとしおですので、捨てるときはもちろん抱き締めて、ありがとうと感謝の言葉をかけ、綺麗な袋(ミキハウスやファミリアなど子供服ブランドの紙袋)に入れて、さらに町指定のゴミ袋に入れて、捨てました。私は捨てられない人間ですので、捨てるときはこのような”儀式”を必ずします。

洗い直して干した娘の服。身長183㌢の娘もこんな可愛い服を着ていました
息子が赤ちゃんのときの肌着

 娘が着たドレスは一点一点洗う「デラックスクリーニング」に出していますので、保存状態も良好。それを今回、虫干ししました。もし、娘か息子が結婚して孫が出来て、着てくれたらなぁと想像するだけでワクワクしました。もし、それが実現しなくても、子どもたちが小さなころに来た洋服や遊んだおもちゃを触ったり眺めたりしていると、私自身がとても幸せな気分になるので、それだけで取っておく価値はあると思っています。

娘のドレスは虫干し

 娘や息子の工作や絵も全部取ってあります。今回、息子のランドセルもここに加わりました。

 世の中では捨てることが随分推奨されていて、「過去を手離して、今の自分を生きましょう」などというアドバイスに多くの方が賛同しているようですが、私にとっては過去の物に触れながら、当時を懐かしく思い出したりするのはとても幸せな時間。だから、捨てません。屋根裏部屋が出来たら、また、これらをきちんと収納する予定。 

 私がこの世を去って、子どもたちが要らないと判断すれば、一気に処分してもらってもいいと思います。そのための貯金は残しておきます。子どもたちには「ママはこんなものまで取っておいたんだ」と笑うかもしれませんが。

 先日、朝日新聞にタレントの松本明子さんが実家の維持に25年間で1885万円かけた話が載っていました(5月12日朝刊)。大変な思いをしながら維持・そして最終的には手離されたことが書いてありましたが、ご自身の子ども時代のピアノの譜面や習字も全部親が残していたという話では、愛情を込めてこのように書いていました。「『本当に自分は大事にしてもらっていた』と思えた。親とまた再会できたような気がして。家族の思い出の品と巡り合えて、大事な時間だった」と。松本さんには親の思いが伝わったのだな、と受け止めました。

 逆に私の母は私の物のほとんどを捨てた人。私の物に限らず、家の中の不要な物はほとんど処分していました。ですので、松本さんとは真逆で、実家を手離すのは本当に楽でした。でも、私は自分自身が子どもたちの物を捨てられず、捨てるときには身を引きちぎられる思いをしながら捨てるので、母が私の物を捨てたときのことを想像し、胸を痛めてきました。

 母は私が着た服、私が使ったおもちゃ、私が読んだ本を「物」として処分したのだろうな。私の使っていたベッドや本棚を捨て、私の部屋を解体して広々とした部屋を作ったときは、きっと清々しい思いをしたのだろうな。母は私がつたない字で自分の名前を記したノートも、何の感情も持たずに捨てたのだろうな、と。

 でも、母は今も私を頼らず、迷惑をかけず、自立をして、しっかり生きています。お父様に「実家を頼む」と言われて、維持し続けた松本さんのような負担は私には全くありません。ですので、どちらが良いとも言えず、言うべきでもなく、子どもが自分のやり方で物や自分の気持ちと折り合いを付けながら、取り組むべきものなのでしょう。

 さて、軽井沢の屋根裏に押し込んでいた物です。子どもたちの物だけでなく、私のものも出てきました。新聞記者時代に書いた記事のスクラップブックや熱中していた歌舞伎の筋書です。スクラップブックを開くと取材した当時を思い出しましたし、筋書をペラペラとめくると、5代目中村勘九郎(18代目中村勘三郎)の演技など舞台のメモ書きもあったりして、これらもやっぱり捨てられない。ですので、虫干し。

 自民党と民主党が政権交代したときの全国紙も出てきたりして、当時の私にとっては重大ニュースだったのだなぁと苦笑しました。これはさすがに捨てようと思いましたが、まぁ、今まで取っておいたのだから、私の捨てられない物の中に取り合えずは入れておこうと紙袋に入れ直しました。子どもたちがこれを見たら、「ママ、こんなものまで取っておくの?この写真の人は誰? 何で同じニュースが書いてある新聞が5紙も? 意味不明」とゴミ袋に直行ですね。

自分が書いた記事のスクラップブックやよく通った歌舞伎の筋書も虫干し
自民党と民主党の政権交代のときの新聞。朝日、日経、読売、毎日、産経新聞


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