そこは東京・恵比寿にあった代理店を通じて私が選んだ結婚式場。当時サンフランシスコに住んでいた夫とメールや電話で連絡を取り合いながら、それぞれがドレスとタキシードを借り、ビュッフェの内容など式に必要な様々なことを決めました。
私は東京に住んでいましたので、現地集合という形で式を挙げました。振り返ると、何か一つ間違えると、式が挙げられなくなる可能性もありました。
現に、式の18日前にはアメリカ同時多発テロが勃発しました。アメリカン航空がニューヨークの世界貿易センターに突入したのは9月11日日本時間午後9時45分(現地時間午前8時45分)。当時社会部記者をしていた私は仕事を終えて、同僚と飲みに行っていました。居酒屋のテレビでニュースを見ていて、飛行機が突入する映像を見て、「これは大変なことになった」と、同僚たちと慌ててタクシーに乗り込み会社に向かったことを鮮明に覚えています。
情報収集のために関係先を駆け巡りました。また、亡くなった方々の名前と会社が分かると、紙面に載せるために顔写真を探しにあちこち駆けずり回りました。その後、世界中が厳戒体制となっても、結婚式を延期せずにハワイに行ったのですから、私も夫も若かった。
後日談ですが、帰国後は仕事があまりに忙しく、区役所に婚姻届けを出しに行ったのが11月。おそらく、たまたま平日に時間が出来たので、行ったのだと思います。ですので、お日柄も全く気にしてはいませんでした。
その後、がんを患い、子どもを死産してから、引っ越しなど小さなことでも大安や友引の日を選ぶなどお日柄をとても気にするようになりましたので、人間は不幸が続くと謙虚になるものなのですね。
さて、そのような状況で結婚式を挙げたオアフ島コオリナの式場。まずは近くにある駐車場に車を止めて、教会を見ようとしました。が、すぐにセキュリティの人に「ここは私有地ですので、ご遠慮ください」と止められました。「ここで22年前に結婚式を挙げたんです。写真を何枚か撮るだけなのですが、、、」と伝えましたが、その人は申し訳なさそうな顔で、「すみません、出来ません」。
数日後に野外でのディナーショーに行ったときにも、たまたまその教会が隣でしたので、反対側から写真撮影にトライしてみました。反対側は、一般に開放されている海岸でしたので、敷地との境界には高い金網が張り巡らされていました。
家族で一番体重が少ない息子が金網をよじ登って、スマホでパチリと撮影。身長193㌢の夫が息子を支え、夫より10センチ身長が低い(でも183㌢)の娘が、鬱蒼としている木々の枝をよけて綺麗な写真が撮れるようにする、というチームプレーでした。一番の役立たずは、背が低く体重重めの私。
教会に併設されている式場 |
「綺麗な教会だね」と娘。
「当時と全然変わらない。よくメンテナンスされている」と私。
夫は事前に、結婚式のときの写真をいくつかスマホで撮影・保存してきており、それらを子供達に見せています。
「じいじとグランパ、ママとダディが映っているこの写真は、教会の横にある式場での会食のときに撮ったものなんだ」
そこに映る父は遺影の父よりずっと若く、嬉しそうでした。父の遺影は、2012年に父母と私たち家族でハワイに行ったときに映した写真を使いました。ですので、父は結婚式のときより11歳年を重ねているのです。父親からおじいちゃんへと、父も変わっていったのですね。
もう少しきちんと教会を見たくて、旅の最終日にも、トライしました。セキュリティの人も早朝はいないだろうと考え、午前6時半に行ってみました。ところが、私たちが建物に近付こうとすると、どこからともなく人が出てきて、また、「すみません、私有地ですのでご遠慮ください」と注意されました。
でも、このときは隙を狙って窓側と正面からしっかり数枚の写真を撮ることが出来ました。記憶はずいぶん薄れてきていましたが、今回のことで、美しい教会は鮮明な記憶として再び私の脳に刻まれました。
娘に「将来結婚することになったら、ここで式を挙げるのはどう? 親子で同じ結婚式場って素敵じゃない?」と勧めてみました。今回の旅行で3回もこの式場を見に行ったことが娘の記憶に残り、将来ここで式を挙げることになれば、何て楽しいのだろうーと想像を膨らませたのでした。
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