2020年12月31日木曜日

2020年 私の挑戦 下

  今、日本酒「久保田」を飲みながら、このブログを書いています。あと1時間で2021年です。2020年を振り返ると、私が挑戦したもう一つのことは、ブログをたくさん書くことでした。そして昨日、2015年にこのブログを開設して以来初めて、年間100本を達成しました。 


 単純計算で、4日に1度は書いていたことになります。話題の中心はコロナ、子ども、そして大学院のことでした。3月は連日コロナ関連の話題を書きました。

 でもやはり、子どものことを書くのが一番楽しい。子どもは日々成長します。その年齢でしか言わない面白い言葉、可愛らしいコメントがたくさんあります。それらの言葉は本当に愛おしくて、楽しい。50代半ばで孫の話ではなく、子どもの話をブログに書ける自分は幸せだなとつくづく思います。

 さて、来年早々、修士論文のテーマを探すべく、リサーチを始める予定です。来年はもがき苦しみながら論文に取り組んでいる様子を書くと思います。そのときは、「去年苦しんだ生物統計学なんて、苦しみのうちに入らないと気付いた」などと言っているかもしれません。

 来年も私、成長します。皆さまにとっても2021年が素晴らしい一年となりますよう。 


 

2020年 私の挑戦 上

  2020年もあと4時間で終わろうとしています。午後7時のNHKニュースでは、東京都の新型コロナウイルス感染者が初の1000人超の1337人、全国でも過去最多の4515人となったと報道されていました。感染拡大の勢いは止まりそうにありません。

 ウイルス感染防止のため、今春は子どもたちの学校が長い間休校になり、私の通う大学院ではほとんどの授業がオンラインに切り替わりました。私自身、過去に血液がん「悪性リンパ腫」を2度再発させ、また、自己免疫がうまく働かず自分の体の細胞を攻撃する自己免疫疾患を2つ患ったことがありますので、かなり感染には気をつけました。ですので、子どもの送迎や学校・塾関係での外出、必要な買い物以外の外出は極力避けてきました。取材もすべてオンラインでした。

 行動が大幅に制限される中、例年のように新しいことに挑戦することはなかなできませんでしたが、一つ、大きな挑戦をしました。決して得意ではない生物統計学の授業を1学期、2学期ともに受講したことです。1学期の生物統計学1(必修科目)、生物統計学演習1(選択科目)は努力の甲斐があり2つともAを取りました。

 特に苦労したプログラミングの授業については、このブログでも書いています。泣きそうになりながら(実際に泣いたこともあります)取り組んで、Aを取れたことは大きな自信になりました。

http://ar50-mom.blogspot.com/2020/08/blog-post.html

 2学期の受講課目はずいぶん悩みましたが、引き続き生物統計学2(選択科目)を受講しました。本当に難しく、最後のほうでは講義を聞いてもチンプンカンプンでした。ズーム授業の翌日録画したものがアップされてから、何時間もかけて聞き直しました。英語ですので講義を聞いてもテキストを読んでも時間がかかります。苦労しましたが、先日、最後の課題を出し終えました。

 私と同じ時期にこの課目を取っていた40代の女性は、「今、生物統計学から逃げると、一生逃げそうな気がするので、頑張ります!」と言っていました。彼女は製薬会社でフルタイムで働くキャリアウーマン。化学で博士号を持つ才媛です。その彼女が覚悟して挑んでいたこの課目。私のような50代半ばで理系ではない人間が挑戦するには無理があったと思いますが、何とか頑張りました。

 ユーチューブは本当に頼りになりました。世界中の統計学者が分かりやすく解説してくれているのです。また、忘れていた高校の数学もユーチューブで復習しました。お陰で、先日高1の娘に数学の問題を聞かれたとき、すんなりと答えることが出来ました。

 何歳になっても勉強は出来るといいますが、自分の能力をはるかに超える新しい勉強に挑戦するのは勇気も要りますし、苦しいものです。「私、今頃何やっているんだろう?」と思うこともあります。それでも、苦しんで取り組んだ後はすがすがしい気持ちになります。

 生物統計学。大学院の課目の中で一番苦しみましたが、挑戦して良かったと心から思っています。

我が家の年越し準備

  今年はコロナで開け、コロナで終わった年でした。それでも、我が家では誰も感染することなく無事年を越せそうです。今日も感染者の治療と看護に当ってくださる医療従事者の方々に心から感謝。

 もう午後3時ですが、まだ「うま煮」の下煮段階です。パソコンをキッチンカウンターに置いて、煮物の様子をチェックしながらこのブログを書いています。母がいつも「うま煮」と言っていたので、私もうま煮と言いますが、今だ「煮しめ」と「筑前煮」との違いがはっきり分かりません。で、グーグルで検索してみました。

 どれも味付けは、醤油、砂糖、みりん、酒と同じなのですが、筑前煮は煮る前に油で炒めるのが特徴だそうです。煮しめは煮汁がなくなるまで煮るからそのような名前になったとか。我が家の場合、具材を別々に下煮をして、最後に一緒に煮ますが、汁は残っています。夫は私と結婚してもう19年もなり、かつ、毎年私がこのうま煮を作っているのに、今だ名前を憶えてくれません。「ベジタブルスープ」です。本当に、こういうのって寂しいなと思います。ベジタブルスープですよ!鍋の中をのぞいて、「ジュースがなくなっているよ、大丈夫?」 ジュースじゃなくって、汁です。

31日午後3時で、この段階です


 

息子が里芋洗いを手伝ってくれました

 昨日は、お正月には必ず買う、新潟県・朝日酒造の純米大吟醸「久保田 萬壽」というお酒を購入しました。昨年同様、コストコ川崎倉庫店で購入。でも、なんと、先日同じお酒を買った高島屋玉川店と価格が同じであることを発見。来年はわざわざ往復1時間かけてコストコへは行かないで、息子の水泳教室の合間に行ける高島屋で買うことにします。コストコは安いと思って買うと、近所のスーパーと変わらないことも多いのです。


 
 コストコで私が久保田を手に取っているとき、息子がこう聞きました。「ママ、このお酒美味しいの?」「メチャクチャ美味しい」と私。すると、後ろにいたおばあちゃんがにこにこして、「久保田は美味しいですよねぇ」。そのおばあちゃんは私ぐらいの年代の息子さんと買い物に来ていて、ちょうど同じように久保田をカートに入れるところだったのでした。

 さて、私と子どもたちがコストコに行っている間に、夫は近所のスーパーへ。カニとボタンエビとイクラを仕入れてきてくれました。夫いわく「ボタンエビは最後のひとパックで、ラッキーだった」。まぁ、こういう良いところもあるので、ベジタブルスープは許してあげることにしました、今年も。そうして許してあげているうちに19年です。 
夫が買ってきたカニとイクラとボタンエビ。カニがいい感じです
 そして、今年復活したのが、豆きんとん。29日に豆を購入し、一晩水につけて30日に煮込みました。とにかく、ヘラでずっとかき混ぜていたので、疲れましたが、なかなかの仕上がりでした。豆きんとんは母が小さいころからお正月の口取りにつけていたものだそう。私も小さいころ、毎年、豆きんとんをつけるたびに、母から「私は豆きんとん係だったの。何よりも楽しみだった」という話を聞きました。今回も母の話を思い出しながら、作りました。

豆きんとんづくりは結構時間がかかりました。鍋にはふきこぼれた跡も

 ヘラで混ぜている間、豆が手にはねてしまったとき(熱いのです)、母がおはぎのあんを作るときに軍手をして混ぜていたのを思い出しました。で、私も軍手をはめてこねながら、今は天国にいる叔母たちが母のおはぎが大好きだったことを懐かしく思い出しました。父も母のおはぎが好きでした。

父母は栗きんとんより豆きんとんが好きでした。私もです
 
 こうして少し焦りながら料理をしていると、北海道伊達市に住むいとこからラインがありました。料理上手なジュンちゃんは完璧なおせち料理を作っていて、感動しました。送ってくれた写真の美しいこと。姉のように慕うジュンちゃんのおせち料理を見て、家族のために美味しそうな料理をこんなにたくさん作るジュンちゃんって素敵だなと気持ちがほんわかと温かくなりました。

 今、午後4時半です。ようやく、うま煮が出来上がりました。まだ、味がしみ込んでいませんが、まぁ、子どもたちは食べないので、良しとしましょう。我が家の子どもたちはおせち料理が嫌いなので、昨年から手巻き寿司にしています。これから準備をします。ちょっぴり残念ですが、家族が無事年越しできることに感謝しながら、手巻き寿司をほおばる子どもたちと楽しく過ごしたいと思います。

2020年12月30日水曜日

小3息子、冬期講習へ

  地元公立小に通う小3の息子が、クリスマスの翌日26日から塾の冬期講習に行っています。毎日1教科ずつ、理科・社会・国語・算数の順に学び30日の今日はテストです。

 午前11時から午後1時半までで、毎日お弁当を持っていきました。息子は普段給食で、お弁当を持っていくのは久しぶりですので、心を込めて作りました。初日のおかずは鶏のから揚げと卵焼きと枝豆。帰宅した息子が「隣の席の女の子と全く同じおかずだったんだよ。僕は玄米で、隣の女の子は白いご飯だったけど」と報告してくれました。おかずは大体、そんな感じですよね。

 昨日のおかずはレンコンのはさみ揚げでした。薄く切ったレンコンの間に、鶏ひき肉を挟んで揚げたもの。お肉の中には椎茸と小葱のみじん切りとすった人参を入れて、醤油、ごま油、砂糖で味付けします。子どもたちが大好きなおかずです。ご飯は息子のリクエストで、具の入っていない「塩おにぎり」にしました。

 卵焼きは4切れのうち2切れを息子のお弁当に、2切れを娘の朝食に。娘が喜ぶのでハート型にしましたが、さすがに息子にはハート型は入れるのをやめました。

 11月は2つの入塾テストに落ちて焦りましたが、1つの塾に合格できて冬期講習にも通うことが出来て、本当に良かったです。塾は来年2月にスタートします。 

2020年12月27日日曜日

心落ち着けて、縫い物

  25日に学校の今学期最期の課題を出し終え、クリスマスも終わり、ようやく心落ち着けて家のことが出来るようになりました。まず、取り組んだのは縫い物です。

 ダイニングチェアの座布団カバーの紐が取れていたのですが、もう何ヶ月もほったらかしにしていました。10分もあれば出来るのに、いつも「To Do List 」の一番下で、ついつい先延ばしにしていたのです。

 ようやく今日、3枚分を直すことができました。この座布団は、新型コロナの影響でこの春経営破たんしたイギリスのブランドLaura Ashleyのもの。私はこのブランドが大好きで、寝具やカーテン、食器、タオルなど随分買っていました。このニュースを聞いたときは本当にショックでしたが、しばらくしてから米国の会社がライセンスを取得し、日本でもワールドというアパレルメーカーが来春に店舗やオンラインで販売を再開するというニュースを読み、ほっとしました。

 最初にLaura Ashleyの座布団カバーを買ったのはもう15年は前のことだと思います。その後4回買い替えたのですが、今回のは次の座布団カバーが買えるまで、大事に使っていこうと思っています。

 次に、息子の水泳キャップにバッジを縫い付け、ほつれを直しました。このバッジは先日、テストに合格してもらったもの。クロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライのそれぞれで一定のタイムが出るとバッジがもらえる仕組みで、息子はブロンズを4つ、シルバーも3つもらっていたのですが、最後の平泳ぎがなかなか受からず、ようやく先日合格したのでした。今度はゴールドに挑戦です。

 ほつれを直したり、袋などちょっとした縫い物をすると気持ちが落ち着くので大好きなのですが、慌ただしい日々を送っているとなかなか出来ません。ひと針ひと針縫いながら、「やっぱり、こういう時間は大切だなぁ」と思ったのでした。

2020年12月26日土曜日

世界のどこかで

  私がブログを書いているBloggerではどこの国で読まれているか統計を示してくれます。時折これを見るのを楽しみにしています。日本から遠く離れた国の人も読んでくれていて、驚くこともあります。日本語は特殊な言語ですので、現地に住む日本人が読んでくれているのだろうと予想します。日本語を勉強している人もいるかもしれませんね。

 日本以外ではアメリカ、チェコは毎回表示されているので、きっと継続的に読んでくださっている方がいるのだろうと嬉しく思います。どんな方なのだろう? どんな風に日々暮らしていらっしゃるのだろう?と想像するのは楽しい。


 先日は、ずいぶん多かったのでびっくりしました。日本、アメリカ、チェコのほかポルトガル、ドイツ、イギリス、ロシア、カナダ、パキスタン。以前、アラブ首長国連邦も表示されてたこともあり、ワクワク・ドキドキでした。皆さん、読んでくれてありがとう!これを励みに今後も書き続けます!

2020年12月25日金曜日

大学院 すべての課題を提出!

 12月25日午後4時4分、大学院の最後の課題を提出しました。今学期がようやく終わりました。締め切りは午後5時で、息子を英語教室に車で送る時間が午後4時過ぎでしたので、ギリギリ間に合いました。提出したのは、今年一番苦しんだ、そして一番学んだBiostatistics(生物統計学)の課題。今、スパークリングワインを飲みながら、このブログを書いています。

 先週まで、プレゼンテーションやテストに追われ、かつ、息子や娘の塾対応も重なり、てんやわんやでした。自分の勉強に追われ、子どもの勉強への目配りがおろそかになってしまったことを思い知ったこの1カ月でした。一昨日23日は、Health Behavioral Science(健康行動学)という課目のリポートを提出。昨日24日午前は夫と一緒に子どもたちへのクリスマスプレゼントを買いに行き、午後はスーパーへ。夫がクリスマスディナーにチキンとポテト料理を作り、私は子どもたちが大好きなアップルケーキを焼きました。夜は、子どもたちが私たちと私の母からのプレゼントを開け、大喜び。

 今日25日の朝、目覚めた子どもたちの枕元にはサンタさんからのプレゼントが届いていました。息子にはスケートボード、娘には空を眺める女の子の絵です。この女の子が娘にそっくりで、娘は「まるで、私」と目に涙を浮かべていました。「16歳になってしまったから、もうプレゼントもらえないかと思っていた」と言いながら。


 25日は息子の学校の最終日で、息子が学校に行った後、娘を真ん中にベッドに寝そべってのんびりしました。娘は「ママとダディと一緒に寝るの久しぶり」と言い、嬉しそうでした。そして、サンタさんからプレゼントが届いたことをそれは喜んでいました。

 午後は、シカゴの義父母とズームで話をしました。義父母が船便で送ってくれたプレゼントを開けて、子どもたちが喜ぶ様子を義父母に見せることができました。義父母は毎年、私にも素敵なプレゼントをくれます。本当にありがたいです。娘はバイオリンでクリスマスソングを演奏。義父母もとても喜んでくれました。


 クリスマスイベントが終わった後、夕方は家族で河川敷でのんびりとバレーボールを楽しみました。


 明日は先日ようやく決まった息子の塾での冬期講習が始まります。息子を塾に送り届けた後は、個別指導塾で数学を勉強している娘と一緒に、参考書選びをする予定です。

 本当に慌ただしいですが、夫も子どもも義父母も私の母も、皆健康でコロナに感染することなくクリスマスを過ごすことが出来ました。年末年始もこのまま何事もなく迎えられればと心から願っています。 


2020年12月22日火曜日

クリスマスツリーと紅葉

 娘と私の誕生日が終わってひと段落した11日、クリスマスツリーを飾りました。後ろの窓から見える我が家の紅葉とのコントラストが素敵だったので、写真に収めました。一昨日の日曜、ズームでシカゴ在住の義父母と話したときも、後ろに大きくて豪華なクリスマスツリーが見えました。が、その華やかなツリーとは対照的に、義母の表情は暗く、疲れが見えました。

 米国ではワクチン接種が始まり、救急病院の看護師長としてコロナ患者を受け入れる最前線で働く義弟も、1回目のワクチンを打ったと義母が教えてくれました。が、米国では感染者は増え続け、21日現在累計感染者数は約1,780万人、31万7千人が亡くなっています。義父母が住むイリノイ州は全米で4番目に多い感染者数で累計90万人、死者は1万6千人を超えています。

 「仲良くしているご夫婦が感染したの」と義母。ご夫婦ともに慎重な性格で義父母のようにほとんど外出せず、スーパーとドラッグストア、ファストフードの持ち帰りという生活に必要な最低限の外出しかしていなかったと言います。マスクも必ず着用しており、「どこで感染したか分からない」そう。奥さんの容態が悪く、「もしかしたらメールを送れるのも最後かもしれない、今までありがとう」というメールが来たと義母は落ち込んでいます。

 さらに、「家族で過ごせないクリスマスは寂しすぎる。教会にクリスマスイブの礼拝にも行けない。もう50年以上も毎年欠かさず行っていたのに」と目に涙を浮かべます。米国人の中には手洗いやマスク着用などの基本的なウイルス対策が出来ていない人も多く、また、当初対策も緩かったことから、感染が急速に拡大して、普通に真面目に暮らしている義父母のような国民が長い間辛く不便な暮らしを強いられている状態なのです。

 数週間前は、そんな義父母を励まそうと、テキサス州に住む長男、東京に住む次男の夫、シカゴに住む三男と四男がズームミーティングを企画し、彼らの嫁やガールフレンド、孫たちも加わっておしゃべりを楽しんだのでした。

 あと数日でクリスマスです。義父母は数カ月かかる船便で子供たちにクリスマスプレゼントを送ってくれ、それが先日無事到着しました。夫と私からは、インターネットで地元の店からロブスターとお肉がセットになった食材を贈りました。気持ちが沈んでいる義父母が少しでも明るい気持ちでクリスマスを迎えられるよう、ズームでまたおしゃべりをしようと計画しています。

2020年12月17日木曜日

ようやく決まった、息子の塾

  これほど大変だと思いませんでした。息子の出来がこれほど悪いとは知りませんでした。小3の息子が先日、中学受験向けの塾の「入塾テスト」にやっと合格したのでした。2つ落ちて、3つめの塾で何とか合格をもらえたいわゆる”3度目の正直”でした。

 折しも、私は大学院の期末試験の勉強や課題に追われていた時期。「自分の勉強をしている場合ではない」とは承知していたのですが、目の前の課題に時間を割いているうちに、息子の塾の情報収集は遅れ気味に。この時期に数人のママ友と会い、まず、あることに気が付きました。賢い親は、すでに子どもを塾に入れていることを。

 中学受験に向け、本格的に勉強が始まるのは3年生の3学期の2月から。この時期の3年生を塾の業界用語で”新4年生”と言います。それに向けて、10月、11月に一斉に入塾テストが行われます。相変わらずのスタートの遅さで、10月ごろから情報収集を始めた私。最初にテストの申込をしたのは、1学年十数クラスはある大手の塾です。

 隣駅にあるこの塾には息子の学校からたくさんの子どもが通っています。で、そこで受けた算数と国語のテストで、息子は合格点まであと5点というところで、不合格。愕然としました。「えっ?うちの息子、こんなに頭悪かった?」と。受験で希望の中学校に入れないことぐらいは覚悟していましたが、それに向けて準備する塾にも入れないなんて、想像もしていませんでした。学校でも勉強が遅れているとは一度も感じたことはありません。

 まず思ったのは、「公文教室に通わせた3年は何だったの?」ということ。息子は小1から通っていましたので、基礎は出来ていると思っていました。いえいえ、公文のせいにしてはいけません。小1、小2と大切な時期に、息子の横に座って毎日しっかりと基礎を教えていなかった私がいけなかったのです。でも、とっても苦手なんです。子どもの横に座って、勉強を辛抱強く教えることが、、、。だから、公文に通わせていたのです。

 気を取り直して、次にテストの申し込みをしたのが、この塾に次いで人数が多い塾です。ここでは、合格点には遠く及ばず、不合格。慌てて、娘が通い始めた個別指導塾に相談に行きました。そこで、娘の入塾時に話を聞いた担当者に事情を説明しました。その担当者は開口一番こう言いました。

「お母さま、入塾テストに向けご準備されていましたか?」

 えっ?入塾テストに向けての準備?してません、だって、息子は公文に通っていましたし、、、。

「入塾テストに向けて、こちらで勉強されているお子さんもいらっしゃいます。公文とは出題の仕方がまったく違うのです」

 その帰り、書店に寄って、ドリルを買いました。その夜、テーブルにドリルを広げて息子と勉強しました。息子がそのドリルの表紙を見て、こう言います。

「『学ぶ楽しさ』かぁ。こういうドリルの表紙には、必ず、『学ぶ楽しさ』みたいなこと書いてあるんだよね。公文の教室だってさ、『やった!100点取った!』って笑顔で万歳している子どものポスター貼ってあるし。学ぶ楽しさなんて感じない、勉強しても。『学ぶつまならさ』は感じるけど」

 これって屁理屈? もしかしたら本質を突いている? いやいや、先日読んだ東大卒の脳科学者・中野信子さんとニューヨーク州弁護士の山口真由さんが書いた「『超』勉強力」を読むと、勉強が楽しいという人がこの世に確実に存在していることは確か。あぁ、小3にして勉強嫌いな子どもを育ててしまった私の責任です。娘を育てているときもいつも”ダメ親”だと実感していましたが、息子でも”ダメ親”になってしまった、、、。

 で、また気を取り直して、3つめの塾のテストの申し込みをしました。この塾には、娘と幼稚園が一緒だった聡明な女の子が3年間通い、希望の学校に入ったことは聞いていました。ですので、何とか息子がテストで引っかかってくれますようにと願いました。

 当日、息子がテストを受けている間、保護者向けの説明会がありました。塾の指導方針の説明の後、「今日一日だけ、明日分かる結果にかかわらず入塾できます」という説明がありましたので、迷わず、その場で入塾手続きをしました。

 翌日、塾のホームページ上で、翌々日は封書で結果が届きました。何とか、一番下のクラスの基準点を満たしていました。息子のテスト結果は3教科400点満点中246点(平均点267点)、国算の2教科で300点満点中179点(平均点194点)。

息子の入塾テストの結果

 その一番下のクラスの合格点は3教科で196点と、出来の悪い息子より50点も低い。きっと、全員入れたのだろうと推測しました。成績の良い子も悪い子もとにかく引き受けようということなのでしょう。本当に助かります、こういう塾は。

 とにかく、塾に入れないことには受験に向けての準備が出来ませんので、ほっとしています。娘はとても遅れているので集団塾すら入れませんが、息子は何とか集団塾には滑り込みました。受験まであと3年。長くて険しい道のりになりそうな予感がしています。

 

 

2020年12月14日月曜日

今年もたくさん アサガオの種 

  この週末、息子と一緒にアサガオの種を採りました。夏の間、ずっと綺麗な花を咲かせてくれたアサガオの茎はあちこちに伸びて、本当にたくさんの種を付けてくれました。

鈴なりのアサガオの種

 故郷札幌では庭の冬囲いが終わり、雪もちらほら降るこの時期。東京はまだ本格的な冬になってはいないとはいえ、ずっと前から種を採らなきゃと気にかかっていました。やっと昨日時間が出来て、二人で取り掛かりました。

 息子は「茶色くなった種をこうやって割るんだよ」と教えてくれます。「茎は一番最後のところを探して、そこから外していくんだ」。学校で毎年、アサガオを植えているので、すっかり”プロ”です。

アサガオの種を採る息子の表情は真剣

 「種を全部採るのに、1時間ぐらいかかるかもね」と息子。「来年は花壇中アサガオを植えようか?」と私。種は小さなミントの缶いっぱいに採れました。


虫眼鏡で種を観察

 いい雰囲気に乾いた茎を丁寧に外して、くるくると巻いて、細い紐で縛って、リースを作りました。この作り方も息子が教えてくれました。「次は公園で松ぼっくり探しだね」と息子。松ぼっくりやどんぐりを探してきて、飾り付けをする楽しみが出来ました。

素敵に仕上がったアサガオの茎のリース

 息子が小学校1年のときに学校からもらってきたアサガオの種。それが、毎年綺麗な花を咲かせて、種を作り、翌年も同じように楽しめることをとても嬉しく思っています。そして、「子どもと過ごすこの時間が一番楽しい」と幸せを感じながら、時間を過ごせることをとてもありがたく思ったのでした。

2020年12月12日土曜日

娘が16歳に

  娘が16歳になりました。身長179㌢(健康診断で179.1㌢と判明)と体がとても大きいので、つい先日まで15歳だったとは思えませんが、年齢がようやく身長に追いついてきたという感じです。

 娘からのケーキのリクエストは、例年同様「ママのアップルパイとダディのチーズケーキ」。ですので、私たちは張り切って作りました。 

 
 

 息子からのプレゼントは、おこづかいを貯めて買った「鬼滅の刃」のコミックと、鬼滅の刃の登場人物が着ている着物の柄を描いた、手作りの飾り。そして、駄菓子屋さんで買ったお菓子。息子の姉への愛情がとても感じられたプレゼントでした。

 

 私からはルビーのネックレス(私が若いころつけていたもの)と娘が大好きなアニメ「ハイキュー!!」のコミックと本。夫からは「化石」と「隕石」。夫は地質学を学んできたので、石が大好きで、子どもたちに毎回プレゼントするのです。子どもたちもこれを一番楽しみにしています。 

 娘ももう16歳。だんだん子どもではなくなってきて寂しいですが、素直に育ってくれています。それが一番大事と感じる今日このごろです。

2020年12月11日金曜日

娘の塾選び

  息子の中学受験の塾選びに加えて、娘の塾選びをしていました。娘が「日本の大学に行きたい」と気持ちを定め、「私、塾に行きたい!」と自分から言い出したからです。娘には「勉強しなさい」とはほとんど言ったことがありませんが、高1になって、ようやく自覚が出てきたようなのです。

 最初は四谷学院という塾に行ってきました。インターネットで「大学受験 塾」という検索文字と地名を入れたら、そこが一番上に出てきたからです。四谷学院の担当者は丁寧に教えてくれました。娘はインターナショナルスクールという特殊な学習環境にあり、大学受験に向けて一律に指導するそこの塾では指導は難しいことを。

 それでも、その担当者は英語が母語の娘が「帰国子女枠」「推薦枠」などではなく、普通の入試の方法で日本の大学を狙う場合の学校選びの仕方、狙える学校などを親身になって教えてくれました。

 次に行ったのはトーマスという個別対応塾です。担当者の男性は開口一番「お嬢さん、綺麗ですね。モデルみたいですね」。その言葉を聞いたとき、「軽いな」とがっかりしました。しかし、それは導入部分だけ。さすが、新規の客の窓口役になっている人です。あっという間に「この人を信頼してもいいいかも」と思えるようになりました。

 ずっと黙っていた娘が、その担当者にこう言いました。

「私はバイオリンが弾けるし、絵も描けるけど、天才じゃないんです。私はバイオリンや絵を仕事にできるほど、才能はない。だから、今一生懸命勉強して、大学に行って、普通の仕事をするーそれしか生きていく方法はないって気が付いたんです。だから、お母さんに塾に行きたいってお願いしたんです」

 娘は涙を浮かべていました。私もじんときました。娘には音楽や絵の才能があると思い、そちらの方面で存分に力を発揮してほしいと親として出来るだけのサポートはしてきました。とりたてて才能もなく、大学に行って就職をして…という普通の人生しか選ばなかった私の考え方で娘を育てると間違ってしまうかもしれないと思い、行儀作法など以外はあえて娘には何も言いませんでした。

 バイオリニストや画家になってくれたらいいな、オーケストラのメンバーやイラストレーターなんかも良いな…と勝手に娘の将来を思い描いていましたので、少し残念でしたが、娘は自分で自分の将来について考えてくれた。娘は成長しているな、と嬉しくなりました。

 担当者は私に向かってこう言いました。

「お母さん、お嬢さんは綺麗だし、モデルのようです。さらにバイオリンも弾けるといいます。だから、将来はそのうちの何かで生きていける。でも、いま本人がやりたいと言ったことをぜひ、尊重してあげてください」

 娘の数学の習熟度をざっとテストしてみると、ずいぶん遅れているようです。さらに娘の通うインターナショナルスクールの数学の進度は日本の高校に比べて1年ほど遅れていることも判明しました。さっそく、週2回そこに通わせることにしました。

 さて、インターナショナルスクールに加えて、個別対応塾の月謝もとなると、家計がさらに大変になります。息子も習い事をいくつもしており、これから塾も加わります。でも、夫との話し合いで「一番お金をかけるべきは教育。とにかく、初めてやる気を出してくれた娘を応援しよう」ということで考えを一致させました。「でも、老後はどうしよう? 教育にお金使い過ぎて、何も残らないかもね」とも。でも、それはもう少し後に考えることにしました。

 娘に週2回塾に行っても良いと伝えました。娘は、「ママ、ごめんね。インターナショナルスクールに行ってたくさんのお金を使わせているのに、さらに塾にお金がかかって」と申し訳なさそうにしていましたが、「でも、頑張るからね!」と言ってくれました。まぁ、この気持ちがいつまで続くか分かりませんが、今はとにかくサポートしましょう。

 娘はそれから週2回、元気に塾に通っています。たまに自習をしにも行っています。2年後の大学受験までの道のりはどうなるのでしょうか? 私は情報収集をしっかりしなければ、と気を引き締めたのでした。

2020年12月3日木曜日

親子3代で、葉加瀬太郎コンサートへ

 娘の16歳の誕生日祝いに、ヴァイオリニスト葉加瀬太郎さんのコンサートに行ってきました。コロナ禍、なかなか外出が出来ない母も誘いました。私自身気持ちが晴れない日々が続いていましたので、久しぶりに素晴らしい音楽を堪能し、気持ちが明るくなりました。

 感染対策として、入場前の体温チェックと自宅住所・電話番号の記載を求められました。座席は1席ずつ開けて指定されています。マスク着用とアルコールでの手指消毒も徹底されていました。

 その一つ一つに感心しながら、会場へ。間もなくステージに現れた葉加瀬さんはあの豪快なヘアスタイルに鮮やかなブルーのスーツを着て、存在感たっぷりです。美しいヴァイオリンの音色とともに軽快なトークで会場を沸かせました。

 葉加瀬さんによると、今回のバンドメンバーの平均年齢は56.4歳。一番若い人で47歳、一番年上のギタリストは64歳だそうです。第1幕が終わり、15分の休憩の後、ステージに戻った葉加瀬さんは観客に向かってこう言いました。

「休憩時間はたいへんでしたよ。皆、ぐったり疲れて。午前中の整骨院です」

 観客は大笑いです。この冗談が通じるのは一定の年齢以上でしょうが、かしこまった雰囲気になりがちなヴァイオリン・コンサートではなくて、こういう笑いのあるステージはいいなぁと思いました。やはり、今聴きたいのは気持ちが晴れる音楽と笑えるトークなのです。

 ヴァイオリンを10年近く習っている娘によると、「葉加瀬さんの弓の使い方がすごい。音が全く途切れないの。これはとても難しいんだよ」。残念ながら、「私も一生懸命練習しよう」などという”やる気”にはつながらなかったようですが、楽しんでくれて良かった。母もとても喜んでくれました。

 母が住んでいた札幌では新型コロナウイルスの感染者が増えており、そのニュースを見るたびに「去年、思い切って母を東京に迎えて良かった」とつくづく思います。この状況ですと、母のことが心配でも、私も基礎疾患がありますので様子を見に行くことも出来なかったでしょう。

 感染を避けながらの窮屈な生活は続きますが、こうして親子3代で楽しいひとときを過ごせて良かったなと思ったのでした。