2020年6月28日日曜日

赤穂義士眠る泉岳寺へ

「私、今日、泉岳寺に行ってくる」。
夫と私、娘の3人で昼ご飯を食べていると、娘が急にそう宣言しました。息子は22日月曜日に分散登校から通常登校に切り替わり、クラスメート全員で給食を食べて帰ってきますので、先週は連日家族3人でのお昼ご飯でした。

「泉岳寺って、『赤穂浪士』のお墓があるところ?」
「そう」
「急にどうしたの?」
「歴史の時間に習って面白いなと思って、行ってみたくなったの。グーグルで検索したら、いろいろ分かったし」

 娘はとてもユニークな性格で、時折突拍子もないことを言い出します。娘の同級生のママたちが「娘が友達と原宿に行った」「男子と一緒で夜が遅くて心配」と心配ごとを言い合う中、「相変わらず、うちの娘は面白い」とほっとします。夫が言います。

「泉岳寺かぁ。懐かしいな。ダディが日本に来たとき、Iさんが連れて行ってくれた」。
Iさんは夫と私の共通の友人で、私たちが大学生のころ、同じ大学で院生として学んでいた人です。私の母と同い年で、50歳でアメリカの大学院に留学し、修士号を取得して帰国した、私たちが大好きな尊敬する友人です。

「Iさんが47ローニンについて説明してくれたなぁ」と懐かしがる夫。
「そうだったんだ。いいなぁ。東京に住んで結構長いけど、泉岳寺に行ったことない」と私。改めて数えると、私は19年も東京に住んでいます。

「ご主人さまのために、仇を討った武士たちのお墓ってどんな風なのか見てみたいの」と娘。
「一人で行くの?」
「うん」
「お友達は誘わないの?」
「だれも、お寺なんて興味ないよ。武士のお墓を見に行くなんて言ったら、はぁ?って反応だと思うよ」
「確かに。でも、家から結構遠いよ。電車は乗り換えなきゃならないと思う。ちょっと心配」
「大丈夫だよ」

 3人それぞれがiPhoneで行き方を調べると、自宅最寄り駅から、乗り換え1回で40分ほどで着くようです。夫は仕事があり、私は翌日提出の宿題に取り組んでいました。娘と一緒に行きたいなと思いましたが、宿題があるし…。

「今日、しっかり取り組めば、良い成績が取れるんだけど」と迷いました。が、50代の私が学校で良い成績を取ることより、成長していずれは家を離れるだろう娘と娘が15歳の1日を一緒に過ごすほうがずっと大切だと思いました。

 今日行かなければ、娘と一緒に泉岳寺に行く機会はもうやってこないかもしれません。明日には、娘は四十七士への興味を失うかもしれません。もしかしたら、母親と一緒に行動したがらなくなる日も近いかも。

「ママも一緒に行っていい?」
「もちろん。電車でおしゃべりできるね」

 こういう素朴な反応をしてくれて、嬉しいなぁとしみじみと思いました。昼ご飯と片付けを終えて、早速、娘と2人で家を出ました。コロナ禍で外出もままならなかったので、久しぶりの遠出です。私は電車の中で、歌舞伎座で何度も観た「仮名手本忠臣蔵」について娘に熱く語りました。

 江戸城松の廊下で、吉良上野介を切り付けざるを得なかった播磨赤穂藩の藩主・浅野内匠頭。その主君の無念を家老・大石内蔵助がひと言ひと言絞り出すように語ります。観客たちは皆、涙を流して、内蔵助の気持ちに共感します。泣きながら聞いた、大石内蔵助に扮する歌舞伎俳優・9代目松本幸四郎(現・2代目松本白鸚)のセリフが蘇ります。もちろん、正確には再現できませんが、現代語に訳して娘に伝えます。

 2年後に吉良邸に討ち入り、本懐を遂げた義士たちが幕府からの処分を待つ場面。ようやく切腹を命ぜられ、白装束をまとい、自分の番を静かに待つ義士たち。名前が呼ばれると、すくっと立ち上がり、一人また一人と舞台から消えていきます。

「吉良上野介の首は、赤穂浪士が泉岳寺の浅野内匠頭の墓前まで持っていったんだよ」
「ふーん、そうだったんだ」と娘。
「歌舞伎は面白いから今度連れていってあげる」
「ママ、私たぶん、全く分からないと思う。もう少し、日本語が上手になってから連れていってもらうね。チケット高いんでしょ? 今、連れていってもらっても、お金の無駄だよ」
こういう合理的なところは、現代っ子です。

 そんな話をしていると、あっという間に最寄り駅に着きました。お寺は電車の駅のすぐ近くの、とても分かりやすいところにありました。境内に入り、本堂をお参りしてから、墓地へ。

赤穂義士の墓前に線香を供える娘。後ろは大石内蔵助の墓
入り口でお線香を買って火をつけてもらい、浅野内匠頭と義士たちの墓前に供え、手を合わせました。一人一人の前で時間をかけ、丁寧にお参りする娘に聞いてみました。

「何て、お祈りしたの?」
「天国で、ご主人様とずっと一緒にいられますようにって祈ったの」
「そうか、そうだよね。それが四十七士の願いだよね」

 歴史上の人物の気持ちを想像し、祈りを捧げる娘を見守りながら、私は「娘がこの純粋な気持ちをこれからも持ち続けてくれますように」と祈りました。

 お墓を数えると48ありました。数え間違いかな?と思ってしおりを読んでみると、討ち入りを熱望したものの周囲の反対にあい、討ち入り前に切腹した義士・萱野三平の供養墓だそうです。

2020年6月24日水曜日

今年の父の日は...

 21日は「父の日」でした。昨年、娘にこの大切な日を忘れられて落ち込んでいた夫(https://ar50-mom.blogspot.com/2019/06/blog-post_30.html )。今年は朝から子どもたちにもてなしてもらい、とても良い一日を過ごせたようです。「今年は忘れませんように」と気にしていた私も、ほっとしました。

 まず、子どもたちは朝食にホットケーキを作りました。最近、ケーキ作りに凝っている娘がインターネットで探してきたレシピで、卵白をメレンゲにして、卵黄と小麦粉、砂糖とさっくり混ぜ合わせて焼くもの。手間はかかるようですが、ふわふわとして口当たりが良く、市販のホットケーキの粉で作るよりずっと美味しかったです。


 我が家では週末の朝、ホットケーキを焼くことが多く、そのときに使うのが「ミッフィー」の皿です。この皿は娘がまだ赤ちゃんのときに買ったもので、大皿と5枚の小皿がセットになっています。ホットケーキを食べるときにしか使いません。この習慣を、私も家族もとても大事にしています。


 ミッフィーは私が娘の双子の弟を死産した後に、心の拠り所としたキャラクターです。ミッフィーの絵柄の付いたグッズを買い集めては居間にある「息子の部屋」に飾り、外出してミッフィーの絵柄を見つければ、息子からのメッセージだと思いました。そのような苦しい日々も時が癒してくれ、当時の刺すような心の痛みはなくなり、今はミッフィーの絵柄のものが日常生活の中にすっかり馴染んでいます。

 さて、小3の息子からの「父の日」のプレゼントは、粘土で作った首飾りでした。夫と息子が2人でよく見る映画のヒーローが身に着けているものだそうです。

 15歳の娘からのプレゼントは、一枚の絵でした。5匹の猫が描かれています。私たち家族なのだそうです。どっしりと構えたお父さん猫、側に座るお母さん猫、そして前の3匹は子猫です。両側に描いたのは娘と天国にいる娘の弟、真ん中はこの世の弟です。
 

 ダディにプレゼントをあげたかったであろう天国の息子も、絵の中に一緒に描いてもらって嬉しく思っているに違いありません。

 この世で一緒だったことがない、でも、ママの子宮の中でずっと一緒だった弟を忘れない娘の優しさに、胸を打たれました。

2020年6月20日土曜日

母退院

 母が18日に退院しました。思ったより長く19日間の入院でした。昨夏、札幌の自宅で「みんなが具合が悪いときにあんなに尽くしてきたのに、私が具合が悪いときに一人ぽっちで辛い!」と電話口で泣いた母。そんな母に、家族に気にかけてもらっていると思ってもらえるよう努力しました。母も、納得の入院生活だったようで、私も娘として母に少し恩返しができたかなと思っています。

 担当の先生との面談以外は、新型コロナウイルス対策で病院内へは入れなかったため、入院中は毎日欠かさず果物や洗濯物を届けました。果物はスイカやメロン、グレープフルーツ、キウイ、パイナップルと毎食楽しんでもらえるように工夫し、おやつも水ようかんやゼリー、カステラなど食べやすいものを持っていきました。

 病院には子どもたちにも行ってもらいました。病院の玄関まで届け物を持って行って担当の看護師さんに渡し、代わりに汚れ物を持ち帰る役目です。母は看護師さんらに「お孫さんが来てくれる人はあまりいないんですよ。いいですね」と声をかけてもらったと喜んでいました。

 首の痛みにより一人暮らしが出来なくなり、東京への引っ越ししてきた母。その顛末はブログに4回に渡って書きましたが、首の痛みは軽くなり、今回は腎臓と食道の調子が悪く入院ということになりました。今回のことで、娘の近くにきて良かったと思ってもらえたかなと少し期待をしています。

http://ar50-mom.blogspot.com/2019/08/blog-post_28.html
http://ar50-mom.blogspot.com/2019/09/blog-post.html
http://ar50-mom.blogspot.com/2019/09/blog-post_9.html
http://ar50-mom.blogspot.com/2019/09/blog-post_29.html

 退院に合わせて家に花を飾りました。子どもたちはケーキを手作りし、夫は車で病院まで迎えに来てくれました。
 

 

 私が用意した花を母は「きれいだね。ガーベラの花言葉は希望なんだよ」と喜んでくれました。82歳の母が「希望」という言葉を言ってくれ、そして機嫌良く戻ってくれて、心底ほっとしています。

2020年6月18日木曜日

アルバイト

 我が家では、子どもたちにお小遣いをあげていません。その代わり、何か仕事をした場合にその作業量に応じて、”アルバイト代”をあげています。こういう方法に賛否はあるでしょうが、我が家では今のところうまくいっています。

 たとえば、食事の後の食器洗い(フライパンや鍋も含む)をした場合は100円、お風呂掃除も100円、庭の落ち葉拾いは300円など。家族の食事やおやつを作る場合やおばあちゃんの家に届け物をする場合(今は病院へ果物や洗濯物を届けています)など、家族のために何かをする場合はアルバイト代は支払われません。

 娘はアルバイトで貯めたお金を、お友達とランチに行ったり、100円ショップで買い物をするのに使っています。息子はもっぱら、近所の駄菓子屋さんです。

 このアルバイトの中で娘が気に入っているのは、息子を習い事に連れていく”仕事”です。毎週水曜日夕方、弟を水泳教室に連れていくのです。1回に支払われるのは600円(交通費別)。水曜日は私が午後6時からオンライン講義があり、6時15分から始まる水泳教室に連れて行けないので、娘に頼んだのです。

 最初は500円でした。が、500円ではプールの近くの無印良品のカフェ「MUJI CAFE」やハンバーガーとシェイクの店「SHAKE SHACK」で美味しいものが食べられない、「もう100円ください!」と言うので、600円に値上げしました。

 昨日も早めの夕食を5時に家族4人で食べた後、2人で出掛けていきました。まだ仕事中の夫が、仕事を中断して子供たちを最寄り駅まで車で送りました。

 さて、講義が佳境に入ってきたころ、水泳教室から電話が来ました。不思議に思って電話を取ると、息子です。
「おねぇねぇ、待っても来ないんだけど」
時計を見ると、お迎えの午後7時20分を過ぎています。
「僕、一人で帰っていい?」
「駄目だよ。今、おねぇねぇに電話するから、待っていてね」

 娘に電話をすると、「Shake Shackで、フライドポテト食べてた」と言います。
「早く、迎えに行ってね。もう、プール終わったよ」
「分かった。いま行くから」

 オンライン会議システム「Zoom」で受けている講義は集中力を要します。子どもたちとのやりとり数分間でも、何か重要なことを聞き逃したかも、と気持ちが焦ります。でも、ティーンエイジャーの娘が、父母の代わりに弟の習い事の送迎を喜んでしてくれることをありがたいと思うべきでしょう。

 さて、子どもたちは8時過ぎに機嫌良く帰ってきました。2時間20分ある講義がまだ終わっていない私のところに娘が来ました。
「ママ、冷蔵庫にチョコ入っているよ。食べてね」

 講義が終わって、冷蔵庫を開けてみると、ガーナチョコが入っていました。私の大好きなチョコレートです。メッセージが添えてありました。

「まま~!Ghana Chocolate 買ってきたよ~いつでも食べてね♡ 学校がんばれ!」
 

 600円のうち100円を使って私にお土産を買ってきてくれたのですね。娘の優しさが心に染み入りました。パッケージを開けて、パキンと半分に割り、半分をまた冷蔵庫にしまいました。そして、パソコンの前に戻り、チョコをひとかけひとかけ味わいながら、講義の復習をしたのでした。

2020年6月17日水曜日

久しぶり 夫と2人でのランチ

 3月2日に学校が休校になってから、娘が初めてお友達と出掛けました。授業も終業式もオンラインで行われたため、時折家族とジョギングなどで外出する以外はほとんど家を出なかった娘。同じくほとんど家を出なかったというお友達とランチを食べることにしたようです。

 今週から午前登校組になった息子を送った後に、おしゃれをした娘を送りました。みなとみらいにあるパスタ屋さんに行くといいます。そこはパンが食べ放題といい、「そこのパン、とっても美味しいから楽しみ」と嬉しそうに出掛けていきました。

 さて、久しぶりに夫と二人でのランチです。3月からずっと家族でランチを食べていて、先週から息子の給食が始まり、夏休みに入った娘と3人のランチになり、今日は2人。子どもたちがいないランチは不思議な感じがします。

 夫は「ピザを作るよ」と言い、ボールに強力粉とイーストを入れ混ぜています。私はルッコラサラダを作ることにしました。

 ルッコラサラダは、ざく切りしたルッコラの上にオリーブオイルとバルサミコ酢(少量の砂糖も加えます)でカリカリに焼いたベーコンを載せ、ミニトマトとスライスしたパルミジャーノレジャーノチーズをまぶした、我が家の定番サラダです。

 外は暑いですが、デッキで食べることにしました。猫の額ほどの狭い庭ですが、とても落ち着く場所なのです。夫がグラスワインを入れてくれましたので、ゆったりとしたランチを楽しめました。

 夕方、娘がご機嫌で帰ってきました。パスタ屋さんは以前とは違って、自分でパンを取りに行くのではなく、マスクの上にフェイスシールドをして、手袋をはめて、トングを持ったウエイトレスさんがテーブルまで来てくれ、パンを皿の上に置いていってくれるシステムになったそうです。トレイに載ったパンの中でどれを選ぶかは、指で指し示すのではなく、口頭でパンの名前を伝えるのだそう。娘の話を聞きながら、「コロナ禍でのレストラン運営は大変だなぁ」と思いました。

 食事の後は100円ショップに行って、ゼリーとアイシャドーとブラシを買い、その後はウインドーショッピングを楽しんだそうです。以前の日常生活が、少し形を変えてですが、徐々に戻りつつあり、嬉しいです。

2020年6月16日火曜日

娘の手料理と花と”来客”と

 昨日の東京はうだるような暑さでした。加えて、新型コロナウイルスに振り回される日々で夫と私のストレスも溜まる一方。

 そんな中、母が電話で嬉しい報告をしてくれました。5月31日から入院している母がようやくシャワーに入れたというのです。なかなか熱が下がらず、点滴も取れなかったのですが、やっと数日前にその点滴が外され、昨日シャワーも許されたようなのです。

 「気持ち良かったよ」と母。そして、「お風呂のお湯をはったままだったの。蓋にカビが生えたら困るから、洗っておいてね」ということ。そういえば、お風呂場を点検したときに蓋がしてあったことは気付いていたのですが、中まで見ていませんでした。「お母さん、今気付いたの? 」と聞いてみると、「うん。シャワーに入って思い出したの」。良かった、思い出してくれて。母はまだまだ大丈夫とほっとしました。

 夕方、涼しくなってから母のマンションに行き、お風呂場を洗ってきました。母が入院してから、数日に1度は空気の入れ替えに来ます。母が気にしていた冷蔵庫の中の食材は徐々に持ち帰っていましたが、昨日は「母が退院するまでもつだろう」と思っていた玉ねぎとジャガイモも芽が出てきましたので、持ち帰りました。これで冷蔵庫の中の食材はなくなりました。

 作業をしながら、以前、雑誌で読んで印象に残った言葉を思い出しました。エッセイを書いていたのは、料理研究家か片付けコンサルタントの方だったか忘れましたが、その方がこう言っていたのです。
「4、50代の女性は、家族に振り回されているうちに時があっという間に過ぎて行き、気が付いたときには気力も体力もなくなっていることが多い。何かを始めたいなら、忙しくても、今始めること」

 本当だな、と思いました。とにかく、毎日が忙しい。子どもたちのこと、母のこと、家事、そして税金の支払いや壊れた家電の修理などのこまごまとした用事がたくさん。どれも、先延ばしできないものばかり。息子の最後の予防接種の用紙が届いていたよね。甥っ子、姪っ子たちにプレゼントを買わなければ(今月は4人が高校・大学・大学院を卒業しました)。何がいいかなぁ。時計かなぁ。母の病院に行って5月分の入院費の支払いをしなければ。父の日が近い。アメリカではお肉が品薄だというから、ネットでステーキ・スペアリブセットを注文してお義父さんに贈ろう。あっ、息子に「ダディにプレゼントを手作りするから粘土を買ってきて」って頼まれたんだっけ。

 毎日何かを終えて線で消しても、また書き足す項目が出てきて、いっこうに減らない「To Do List」。自分の勉強や原稿書きは朝3時か4時に起きて取り組みますが、なかなか思うように進みません。

 そんなことを考えながら、マンションの一階に降りました。郵便受けのチェックを忘れていました。開けてみると、チラシや封書が結構溜まっていました。それらを取り出し、もう一度4階の母の部屋へ。不要なものを捨てて、支払いが必要なものを自分のバッグに入れて、残りをテーブルに置きました。

 帰って夕ご飯を作らなきゃ、と自転車に乗ったとき、雑草が生えてきている花壇を思い出しました。花もしおれてきています。気分転換に花屋さんに行こう!と自転車を自宅とは反対方向に走らせました。お花屋さんでいくつか苗を買い、切り花も買いました。私が一番好きな花、ガーベラです。


 自宅に戻り、早速、キッチンに飾りました。気持ちが癒されました。夕ご飯作りに取り掛かろうとしたら、夫が娘に「ダディもママも忙しいから、夕ご飯作ってくれないか」と頼みました。娘は最初、不機嫌でしたが、「いいよ」と引き受けてくれました。メニューはハンバーグです。

「タマネギはみじん切りして炒めてから、お肉の中に入れるんだよ」
「知っているよ。ママ」
「お味噌汁に入れる油揚げは湯通ししてね」
「知っているよ。ママ」

 娘が作ってくれている間、買ってきた花を植えようと、花壇に行きました。雑草を取り、ショベルで土を掘り、バジルの苗を植えたとき。目の前で何かが動きました。暗くてよく見えませんでしたので、顔を近づけてみると、なんと、手の平ぐらいの大きなカエルではありませんか。

 さっそく、息子を呼びました。が、あまりの大きさに恐ろしがって、触りたがりません。次にカエル好きな娘を呼びました。娘は「今、ハンバーグ焼いているから、焼き終わったら行くね」と言います。

 しばらく、カエルを見つめていましたが、カエルはじっとしたまま動きません。息子はカエルの周りをウロウロするだけ。そうこうするうちに娘が玄関から出てきました。

「きゃー、かわいい」とさっそく、カエルをつかみます。「このカエル、去年もうちにいたよね。うちが好きなんだね」となでなで。そして、「じゃあね、またね」とカエルに話しかけ、「ご飯、もうすぐ出来るよ」と私と息子に言い残し、家の中に入っていきました。

「手洗ってね」と家に入る娘に念を押しました。
「ママ~。洗うに決まっているじゃん」

急につかまれて、カエルもびっくりしたでしょう
昨日は1日中気持ちが急いていましたが、お花と娘が作った夕ご飯と、思いがけない”来客”のおかげで、ほのぼのとした気持ちで一日を終えることが出来ました。4、50代は確かに忙しいけど、楽しいこともたくさんあるなぁと思えた日でした。

 

2020年6月13日土曜日

孫から祖母に 手作りお菓子差し入れ

 私の母が入院してから、娘がお菓子を作って差し入れています。作ったのはボーロとメレンゲのお菓子。いずれも口の中に入れた後、かまずに味わえるので、入れ歯の状態が良くない母にもおいしく食べられるようです。

 卵の黄身を使ってボーロを作り母の病院に持参した翌日、冷蔵庫に入れてあった残りの卵白でメレンゲのお菓子を作りました。食材を無駄にせず、かつ、喜ばれるものを作れるなんて、娘も成長したなぁと嬉しく思います。
 
メレンゲを絞る娘。意外にも几帳面です
整然と並んだメレンゲ。感動しました
焼きあがった後、あまりのおいしさにいくつも口に入れてしまいました。それを見た娘が言いました。
「ママ、それ、もう少し味わって食べてくれない? メレンゲを立てるのってすごーく時間がかかるの」
「あっ、ごめーん。あまりに美味しいから」
「でしょ。でも、美味しいものって手間がかかるんだよ」


娘の言葉は世の中の多くの主婦が思っていることだよな、15歳の今それを普段の生活で学んでくれたんだな、と感じ入りました。

 さて、この日も母の病院へ。出来立てのメレンゲのお菓子を綺麗にラッピングして洗濯物と一緒に持って行きました。新型コロナウイルス感染防止のため面会は出来ませんでしたが、母からは「とっても、美味しかったよ~」とさっそくメールが届きました。

2020年6月12日金曜日

小学校再開 まずは分散登校

 息子の通う公立小学校が6月1日から分散登校をスタートさせ、一昨日10日から給食も再開しました。新型コロナウイルスに振り回された3カ月。ランドセルを背負って登校する息子を見送る日常が戻り、ほっとしています。
3カ月前より、ランドセルが小さく見えました
3月2日からの長い休校の後、学校が再開した初日は2,5、6年生が登校、翌日は1年生のみ。そして、3日水曜日に息子たち3年生の番が回ってきました。3クラスある息子の学年では、ひとクラス30人を3班に分割。出席番号が後ろの方の息子は「C班」で、11時10分登校でした。息子は4、5月に取り組んだたくさんのプリントをランドセルに詰めて、張り切って家を出ました。

 朝、3カ月前と同様、「いってらっしゃい」とハグし、道路に出て息子を見送りました。いつも途中で降り返って手を振ってくれましたが、この日は振り返らず、行ってしまいました。背中のランドセルが以前より小さく見えました。この3カ月で、体も大きくなったのでしょうか? 少し、寂しく感じましたが、元気に登校してくれることをありがたく思いながら、見えなくなるまで見送りました。

 中一日置いて、5日金曜日も1時間授業。今週は月曜日から毎日登校で、授業が2時間になりました。今週はクラスを2班に分割。息子は午後登校組で、給食が始まった10日水曜日は12時20分登校になりました。午前登校組が2時間の授業を終えて給食を食べ終えて下校するのが12時15分。その後に、息子たちが登校して、まずは給食を食べてから授業に入るという時間割です。学校もいろいろ工夫をしてくれています。

 この日のメニューはチキンカレーライスだったそう。この春、息子が3年生になるのに合わせて上履き入れを作り、(http://ar50-mom.blogspot.com/2020/04/blog-post_6.html)、余った布でランチマットと小袋を縫っていました。それを、今回、「新しいランチマット作ったんだよ」と渡しました。息子は、「上履き入れとお揃いだね」と喜んで持って行きました。


 この布は、息子が幼稚園入園のときに、絵本入れや着替え入れを作ったときに買った布です。それを今回のランチマットと袋で使い切りました。物を捨てられない自分をいつも「駄目だなぁ」と思うのですが、今回ばかりは、「物を無駄にせず、良かった。6年間も納戸に仕舞われていた布も、役割を果たせて幸せに違いない」などとしみじみと考え、ちょっぴり幸せな気分に浸ることができました。

 東京は昨日、今月2日に出した「東京アラート」を解除し、今日12日からは休業要請の緩和を遊園地などにも広げました。このまま社会・経済活動が着実に回復することを心から願っています。

2020年6月7日日曜日

母入院

 母が入院しました。4日間高熱が続いた後、最寄りの病院に連れて行き、その日に入院となりました。幸い、新型コロナウイルス感染症ではありませんでした。

 「38度の熱があるの」と母から連絡があったのは5月28日木曜日。翌29日、様子を見に行くと少しやつれ気味でしたが、薄茶を点ててくれました。「今日は胃カメラの検査の予定だったんだけど、熱が出たらできませんと言われていたから、さっきキャンセルの電話をしたの。膀胱炎の症状があって、気持ちが悪い」と言います。とりあえず、解熱剤と膀胱炎に効くという漢方薬をドラッグストアに買いに行きました。

 翌30日土曜日、夕ご飯の差し入れを持って様子を見に行くとマンションにいません。どうしたんだろう?と不安になり始め、マンションの外に出ると、母が帰ってきました。「リンゴが食べたかったから、買いに行ったの。でも、熱が38度から下がらない」と言います。「買い物行けるなら大丈夫かな?」と判断し、帰宅しました。私は前日の夜から、「生物統計学」の中間試験に取り組んでいました。

 母からSOSが来たのは31日日曜日の夜7時過ぎです。「熱が39度になった」と訴えます。すぐ電話を切り、夫に様子を見に行ってもらい、私はまず東京都の新型コロナウイルス感染症の相談窓口に電話しました。母の症状を説明すると、「かかりつけのお医者さんに電話をしてみてください」と言います。4日連続38度以上の発熱だと、診察を断られる確率は高いかもしれないと思いつつ、母のかかっている病院に電話をしました。

 その病院は、私の自宅から徒歩10分のところにある、二次救急指定病院です。そこで母は内科と外科にかかっていました。電話に出た受付の男性に、母が「逆流性食道炎」で通院していること、29日に胃カメラ検査の予定でしたが病院から「熱が出たら電話をください」と言われて、キャンセルしたことを説明。繰り返し、「病院から”熱が出たら来ないでください”と言われていた」と伝えました。

 さらに、「母は外出もほとんどしていなく、接触しているのは私たち家族だけ。私たちもほとんど外出してない。新型コロナウイルスに感染している可能性はとても低い」と強調しました。「逆流性食道炎が悪化したのかもしれません!母は病院に遠慮して、熱が出ても我慢していました。診察をしてください!」と訴え、ようやく「先生に聞いてみます」と言ってもらえました。

 しばらくして、受付の男性が電話口に戻ってきました。「では、連れてきてください。付き添いの方はマスクを忘れずに」。安堵しました。正直に告白しましょう。私の口調は強引でした。でも、それくらいでないと、このご時世、救急患者は引き受けてもらえないと考えました。ですので、とにかく引き受けてくれるまで諦めない、引き下がらない、電話を切らないと決めていました。

 夫から電話にメッセージがあり、「オカアサンはかなり悪そうだ」と言います。車で母と夫を迎えに行き、病院へ。車の中で母が言います。「やっぱり、普段から病院に行っておくとこういうときにちゃんと引き受けてくれるんだね」。私の”努力”は買ってもらえませんでした。昨年、母に気に入ってもらえるよう懸命にマンションを探したときも、「こんなに良いマンションが見つかったのは、ご先祖様のお陰」、今回近くの救急病院に行けたのも「日頃の自分の行動が適切だったから」。ああ、「あんたのお陰で」がなくて残念だなぁと思いましたが、まぁ、とにかく最寄りの病院で診てもらえるので、良しとしましょう。

 院内はしんとしていました。まずはCT検査をして、肺に異常がないかを確認。医師は「新型コロナウイルス感染による熱ではないでしょう」と説明。が、血液検査では白血球の値と炎症反応を示すCRPという項目の数値が高いことから「細菌が体内に入ったことにより、免疫が働いて高熱になっていると考えられます」とのこと。まずは、新型コロナウイルス感染ではないことに、胸を撫で下ろしました。

 最初は「解熱剤と抗生剤を処方します。今日は帰宅して、明朝泌尿器科受診を」と言われましたが、母が「手が震えるんです」と訴えると、医師の表情が変わり、「では、入院して様子を見ましょう」と言われました。安堵しました。入院してくれれば、医師・看護師の方々に頻繁にみてもらえますので、安心です。

 病院に来る途中、母に「病院から帰ったら、とりあえず家に来て」と頼みましたが、「あんたの家は落ち着かないから、自分のうちに帰る。あんたがうちに来て付き添ってくれたほうが良い」と言われていました。私は翌日提出の中間試験に取り組んでいる最中で、母にはもちろん大学院に行っているなどという余計なことは話していませんので、「困ったなぁ」と思っていたところ。ご先祖様ならぬ、あの世の父の采配でしょう。

 翌日、泌尿器科の医師から「腎盂腎炎」という診断の説明を受けました。母はその後、少しずつ回復しています。ご飯も翌日からしっかり食べていると看護師さんが説明してくれました。

 新型コロナ対策でお見舞いは出来ませんが、毎日、洗濯物や果物などを届けています。洗濯物の受け渡しのときに、母が正面玄関の近くに立って待っていてくれ、私に手を振ってくれます。私が行けないときは、子どもたちに病院に行ってもらいます。

 今回の入院で、母から「引き出しに入っている下着を持ってきて」などといくつか頼まれましたが、母は私と違って整理整頓が得意なので、すぐ、探せるので助かりました。また、気丈な人なので「トイレが大変だったらオムツを使ってくださいね」と看護師さんに言われながら、「トイレは絶対に自分で行く!」と頑張ってくれているようです。また、「ベッドに寝てばっかりで歩けなくなると困るから、廊下を歩いているの」とのこと。
 
娘が母のために作った「ボーロ」。口の中でほろりと溶けるので、入れ歯の母にも食べやすい
新型コロナの札幌での感染拡大、そして、今回の母の入院…。もし、母がまだ札幌にいたなら気が気でなかっただろうなと想像すると、昨夏母をこちらに連れてきて良かったとつくづく思います。81歳での引っ越しは大変でしたが、母も「思い切って本当に良かった」と思ってくれているようです。熱はなかなかすっきりとは下がりませんが、体力があまり落ちないうちに退院してくれれば良いなと願っています。