2019年8月28日水曜日

母の引っ越し ①

 毎日電話で安否確認をしていた札幌の母が、「首が痛い」と言い出したのは6月でした。それまでは連日「膝が痛い」と嘆いていましたが、「膝の痛みなんて比べ物にならないほど痛い」というのです。
 
 長年通う最寄りの整形外科のクリニックでMRIを撮ってもらっても、「加齢」による頸椎の変形という診断で痛み止めの薬をもらうだけ。その薬は効かず、知り合いに勧められ鍼灸院に行き施術してもらいましたが、症状は悪化。

 母は長年、周囲に対して「事なかれ主義」を貫いてきました。が、耐えられない痛みだったのでしょう。何十年もお世話になってきたクリニックの先生に勇気を振り絞って、「セカンドオピニオンをもらいに大学病院に行きたい」と訴えました。が、先生には逆に「セカンドオピニオンを取りに行くなら、もうこちらでは診ません」と嫌な顔をされたらしく、万事休す。一連の話を聞いてきた私は、ついに7月初旬、これまで何年間も言い続けてきたことを改めて母に言ったのです。

「お母さん、東京においで」と。

 母は、これまで「私はこの家が好きなの。札幌がいい」と頑なでした。40年以上住んだ家には当然愛着がありますし、ご近所も良い方ばかりです。80代、90代のきょうだいも、札幌とむかわ町に4人います。さらに、私が30代後半から大病を患ってきたため、「子育て真っ最中のひとり娘に迷惑は掛けられない」という思いもあったと思います。が、今回ばかりは、もろもろの事情も「仕方ない」と思うほどの痛みだったのでしょう。電話口の母は弱々しい声で言いました。
 
「うん、分かった。東京に行く。東京に行けば、あんたに一緒に病院に行ってもらえる。入院や手術をしても、あんたが側にいてくれたら、安心だ」

 母は81歳にして、娘の住む東京に引っ越すことを決断したのです。
 
 それから、母の住居探しが始まりました。我が家は狭く母を迎え入れるスペースはありませんので、近所で賃貸マンションを探すことにしました。折しも、私が大学院の期末試験とレポートの準備に追われていた時期。「タイミング悪すぎ!せめてレポート提出後だったら良かったのに・・・」と泣きそうになりながら、勉強と仕事と育児の合間を縫って、物件を探しました。

 理想は我が家から徒歩10分以内で、電車の駅の近く。ボケないように、閑静なところより、にぎやかなところ。一軒家に住んでいた母がみじめな気持ちにならないような広さで、綺麗な住まい。

 夏休み中の娘と息子を連れて近所を散策して、良い物件に目星を付けて、帰宅後にネット検索をしてみましたが、どれも「現在、募集はしていません」。 一方、母は連日電話で「首が痛い!食べられない!やせた!」とか細い声で訴えます。

 ようやく見付けたのは、近所の分譲マンションの空き物件。オーナーがおそらく海外赴任なのでしょう。3年間の期限付きで賃貸に出しているものでした。予算オーバーで、3年後に再び引っ越しするのが面倒かもしれませんが、背に腹は代えられません。私が望んだ条件の全てを満たしていたので、さっそく内見を申し込みました。

 手続きしてくれたのは、我が家から数ブロックしか離れていないところにある自宅兼事務所の不動産屋さん。ネット上の写真を見ると、私と同世代に見える女性で、まずは電話でご挨拶。「ラインのほうが連絡のやり取りが便利」と、近所の道端で待ち合わせて、スマートフォンを取り出しラインアドレスの交換をしたのでした。

 しかし、さっそく翌日内見というときに、不動産屋さんからラインが。
「すみません!あの物件、一足先に契約が入ってしまったんです!」

 残念!振り出しに戻りました。が、残念がる時間もありません。母の首の状態が悪くなれば、引っ越しも出来なくなります。そうした場合、私が札幌に行って母の介護をすることになりますが、下の子どもはまだ小2。家を長く開けることは出来ません。ですので、母が動けるうちに東京への引っ越しを敢行しなければ。

 不動産屋さんが早速ほかの賃貸マンション数件を見繕って間取りのコピーをくれました。そのうちの1つに早速、内見を申し込みました。我が家からも徒歩10分以内にあり、徒歩圏内にスーパー5件、ドラッグストア、銀行、郵便局、区役所の出張所、そして電車の駅と商店街もあるところが気に入りました。

 母の条件は「日当たりが良くて、2LDK、膝が痛いから坂のないところ」。その物件は、マンションの4階で窓が南東向きの2LDK。日当たりも良さそうです。駅までは坂もありません。自転車でさっと外観と玄関を見に行きましたが、なかなか立派です。これなら、母もみじめな気持ちにならないでしょう。

 翌日、午前中に私と不動産屋さんとで内見したところ、日当たりも良く、部屋の中はとても綺麗でした。夜、夫と子どもたちを連れて再度内見して、全員が気に入りました。母には事前に間取りのコピーを郵送で送っておき、スマホで撮影した部屋の中の写真十数枚を母の携帯電話に送りました。母も気に入ってくれたようでしたので、早速、契約の申込をしました。

 契約は夫に頼みました。借主が夫で、住むのが私と母の2人ということにしました。81歳の女性の一人暮らしでは、契約が難しいらしく、世帯主が私で母と同居という設定です。不動産屋さんの提案で、「近所に住んで、いつもお母さまの様子を見に行くのですから、同居と一緒です!」という力強いお言葉をいただきました。その不動産屋さんは、「私の両親も80代です。お気持ちはとても分かります」と言ってくれたのです。

 賃貸マンションの契約は、簡単ではありませんでした。夫の源泉徴収票、日本在留許可証や運転免許証のコピーを提出。私が連帯保証人になり、実印を押して、印鑑証明書を提出。さらに家賃を保証する保険会社にも十数万支払いました。この間、私は大学院の期末試験とレポートに取り掛かっており、目が回るような忙しさでした。

 8月6日最後のレポートを提出し、翌日の7日不動産屋さんと一緒に契約書に必要事項を記入しました。次は引っ越しの準備です。

 私と子ども2人は、12日月曜日に札幌に帰省する予定でした。
「お母さん、18日に東京に帰るときに一緒に来ない? 札幌滞在中にみんなで引っ越しの準備をして17日に荷物を出したらどう?」
「私は、9月がいい。孫がきたときにバタバタと東京に引っ越すのは嫌だ。9月にあんたと一緒にご近所に挨拶して、きちんと旅立ちたいの」
 長年住んだ札幌を離れるのが辛いのでしょう。涙声です。

 ここは、母の気が済むようにしようと、とりあえず、18日に母の飛行機のチケットも買って、一緒に東京に来てもらい、マンションを見てもらって、1週間ほど東京に滞在して札幌に戻るというスケジュールを立てました。9月はまた大学院が始まりますので忙しくなりますが、母の納得のいくようにしようと決めました。札幌の家は母の体調が良くなったときにいつでも戻れるように、そのままにしておくことにしました。

 ところがです。一連のスケジュールを立てて、航空券も全て購入し、翌日に子どもと一緒に札幌に行くという11日、母の首の状態が悪くなってきました。朝から電話を何度かしていましたが、「痛い!痛い!」と連発します。この日は夜6時15分から息子のプール教室がありましたので、6時過ぎに息子をプールの前で降ろして、駐車場に車を停めて母に再び電話をしました。すると、母が泣きながら言います。

「首が痛いの!」
「お母さん、救急車を呼んで」
「救急車を呼ぶのは嫌だ」
「お母さん、でも、これ以上具合が悪くなったら大変だし」
「首が痛い! 痛い! これまでお父さんやあんたやみんなが具合が悪いときにあんなに尽くしてきたのに、私が具合が悪いときに一人ぽっちで辛い!!!」

 体全身で、絞り出すような声で叫びます。でも、頑として救急車を呼ぶのは嫌だと言います。間に合わなかった父のときのことが頭に浮かびます。あの時は最終便に乗れず、一睡もせずに翌朝を待って、朝一の便で札幌に向かったのです。

 私は意を決して、言いました。
「分かった。これから、札幌に行くから。待ってて!」

 夫に電話をし、事情を説明して、7時15分に息子を迎えに行ってもらうように頼みました。プール教室から家までは車で約20分。私は6時15分に駐車場を出て自宅に戻り、夫が入れ替わりに車で息子を迎えにプールへ。帰宅後、私は急いでスーツケースに思い付くものを詰め込んで、タクシーに飛び乗り羽田空港に向かったのでした。

 タクシーの中でJALに電話をしましたが、何回かけてもつながりません。ネットでもつながりません。タイミング悪く、お盆直前の週末です。もしかしたら、空席がないかもしれません。仕方ないので、普段使わないANAのホームページを見て航空券を買おうとしましたが、慌てているせいか、なかなか航空券の購入手続きができません。電話もつながりません。そうこうしているうちに羽田空港に着きました。午後7時半でした。

「満席だったらどうしよう・・・」
不安にかられながら、私は小走りでJALのカウンターに向かいました。 

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